織田信奈の欲望、前回の三つの出来事!!
一つ! 良晴はうこぎ長屋の一室で暮らすことになった!
二つ! 信奈の弟、信勝はバカ殿だった!
そして三つ! 初仕事として、米の買い出し任務が良晴に与えられた!!
結論から言ってしまえば、良晴の作戦は大当たりだった。
五右衛門が三日でまとめた報告書を片手に、良晴は犬千代と共に近隣の町を歩いて在庫が余っている品物を安く買い取り、逆に在庫が不足している街で高く売る。
輸送も川並衆の力を借りたので費用、時間とともに最低限で済んだ。
そして、あっという間に二週間が過ぎた。
仕事の進み具合が気になったねねが良晴の家を覗いて見ると、室内は小判で溢れかえり、良晴は小判の山の上でエヘラエヘラと締りの無い笑顔を浮かべている。
「サル様! 何やっているですか! この小判はなんですか!」
「おお、ねね。お前欲しいものあるか〜? 何でも買ってやるぞ〜。見ての通り無茶苦茶稼いだからな〜」
「元手はどこからきたですか! 庭のうこぎだって食い尽くしているのに!」
「それはな〜、信奈の奴が気前よく三千貫も貸し……て……」
言ってる最中に良晴は気付いた。
あの三千貫は貸してくれたのではなく、米の買い出し費として預けられたのだ。
増やしているうちに「稼げるだけ稼いでモテモテになってやる」と欲を出してしまいすっかり忘れていた。
「犬千代も……忘れてた……」
「い、い、犬千代! この仕事の期限はいつだったっけ?」
「今日の夕刻ですよ」
答えたのは犬千代ではなく、長屋の入り口に寄りかかっている太助だった。
ちなみに今は昼過ぎである。
「しまった! あの女のことだ、いくら金を積み上げたって米が無ければ……俺、打ち首!?」
慌てて立ち上がると、本丸の信奈の下へと猛烈な勢いで走り出した。
「犬千代、五右衛門の手を借りて今すぐこの金全部で米を買えるだけ買ってきてくれ! 買った米は信奈の所へ運んでくれ!」
「……わかった」
後は、とにかくあいつを怒らせないよう、ひたすら土下座して時間稼ぐしかないが……多分無理だな。と良晴は思った。
第4話「お使いの結末と出奔とお家騒動」
ところがどっこい。
「いいわよ、夕刻ギリギリまで待ってあげる」
「いいのか?」
「ええ」
「本当に待ってくれるんだな!?」
「だからそうしてあげるって言ってるでしょ」
「俺の顔面を蹴って蹴って蹴りまくって、髪を掴んで引きずり回した挙句打ち首にしたりとかそんなこと考えてないんだな!?」
「しつこいわね! そんなに言うんなら望みどおり打ち首にしてやるわよ!」
「だあッ! 悪かった。言い訳が通じると思ってなかったからつい念押ししちまった!」
余りのしつこさに信奈が刀に手をかけたのを見て、慌てて謝る良晴。
「まあ、あと四千石でしょ? それぐらいなら夕刻までに揃えられるでしょうから――」
「四千石? 待て、俺は元手増やしに夢中になってて、一石も買ってないんだが――」
「はぁ? あんた太助から聞いてないの?」
「? 何で太助が出てくるんだよ?」
「二週間前、あんたが出て行った後に聞かれたのよ。八千石の米は分けて納めても構いませんか? ってね。構わないって答えたら、今まで千石ずつ、合わせて四千石納入されていたんだけど
どうやら太助は、こんなことになるって読んでたみたいね」
「流石は信奈さん。まったくもってその通りです」
ふすまの向こう側から、太助の声と拍手の音がした。
「太助、入ってきていいわよ」
失礼します。と太助が正座しながらすすーっと良晴の隣に移動する。
「信奈さんの言うとおり、十中八九こんなことになるだろうと思って、五右衛門さんに米の買い付けも並行してやってもらうよう頼んでいたんです」
「何で言ってくれなかったんだよ!」
「良晴さん……女性の気遣いを無駄にするたわけ野郎は痛い目を見た方がいいでしょう?」
「酷ッ!!」
実は、太助は分割納入の言質を信奈からとった際、少し良晴には難しいのでは? と思っていたことを聞いてみたのだ。
すると信奈は、「そう思うけど、あいつにできそうな仕事が他に……。べ、別にサルの為に苦心しているわけじゃないわよ!?」と聞いてもいないことまで言ってくれたのだ。
おそらく信奈も信奈で良晴の出世を考えていたのだろう。もし失敗すれば良晴のことだ。信奈の気も知らずに打ち首を受け入れてしまうだろう。
そんな馬鹿にはこれぐらいが良い薬だ。そう考えて太助は黙っていたのである。
まあ、ともかく良晴は打ち首を免れた。正確にはちょっとだけ先延ばしになっただけだが。
それから、三人で待つことにしたのだが、三分ほどして信奈の忍耐が早くも限界に達した。
「退屈ね。犬千代が買い出しに行ってるのに何でこんなに遅いのよ」
「あー。良晴さんは買えるだけ買ってきてくれ、と頼んでましたから……長屋の一室を埋め尽くすほどの小判ですから四千石じゃきかないでしょうね……」
「はぁ? ちょっとサル、あんたどれだけ……というか、どうやってそんなに増やしたのよ?」
「それは、企業秘密だ」
「またサル語で誤魔化す。いいかげんにしなさいよ」
「退屈だったらお互い話でもしてみたらいいんじゃないですか?」
と太助が提案してみるが。
「手段に夢中になって主命を忘れるようなサルから聞きたい話なんてないわね」
と信奈はバッサリ。しかもサルの鳴き真似付きだ。
「じゃあ、良晴さんは……」
見れば空を見つめる信奈の横顔をじっと見ていた、かと思えば顔を赤くして座ったままゴロゴロと揺れ始める。
(まーた惚れてねェ、惚れてねェと自分に言い聞かせてるな)
「サルが私の話に興味があるはずないでしょ」
「そんなことは無いさ。『天下』とか『世界』を見据えているお前が、どうして『尾張のうつけ』なんて言われるようになっちまったのか――そこは知っておきたいな」
「……生まれつきよ」
曰く、生まれてすぐに乳母の乳首を噛み千切りまくった、と母から聞いた。
「信勝の城に居るっていうお母さんか」
「何であんたが勘十郎のことを知ってんのよ」
「この二週間、毎日徒党を組んで嫌味を言いにきてやがったんだよ。仕事の邪魔をしているつもりらしいな」
「あっそ。不出来な弟のことだけど、謝らないわよ」
「いいよ、お前が謝るってのはちょっと想像しにくい」
「あいつも悪い人間じゃないのよ。『家督を継ぎなさい』って母上から尻を叩かれていたのに、学問でも武芸でも私に勝てない物だから、すっかり捻くれちゃって」
「捻くれてるっていってもお前に比べりゃ可愛いもの……痛ッ」
良晴は、信奈の手元にあった金平糖をぶつけられてしまった。
「私のどこがどう捻くれてるっていうのよ」
「父親の葬式にうつけ姿で現れて暴れるなんて、捻くれ者のやること以外の何だよ」
「あの時は……! そういえば太助。あんた信勝を殴った時、私の気持ちを分かっているのかとか言ったそうじゃない。ちょうどいいわ、今この場で私とサルに説明してみなさいよ」
(来たか……)
あの時、怒りに任せて口走ってしまったこの話題についてはいつか聞かれるだろうと思っていた。それゆえ太助はこの二週間、織田家についての情報をかき集め自分の知識と照らし合わせていた。
「まず一つ。信秀様が四十二というまだまだこれからという年齢で早逝してしまわれたこと。二つ目は葬儀の際の皆様の態度、信勝殿を当主に立てて好きにふるまうことを考えるばかりで
心の底から悲しんでいるものがいなかったことへの怒り」
「…………」
一度言葉を区切るが、信奈は何も言わなかった。続けなさいという沈黙だと判断した太助は言葉を続ける。
「そして最後にそのような者たちの策にまんまとはまり『尾張のうつけ』に成り下がってしまった信秀様への腹立たしさと悔しさ……」
「!!」
瞬間、信奈が立ち上がった。
太助の言葉、特に最後の理由は決して誰も気が付かないと思っていたからだ。
「……続けなさい」
「はい。信勝派の重臣達にとって信秀様には早々に退場していただきたい人間。そこで、岩室様という側室をとらせたと聞いています」
「ええ、私の幼馴染よ」
「信秀様は彼女に夢中になり酒の量も増えてしまわれた。戦場の疲れが出てくる年にもかかわらずの強淫強酒で命を削られ……」
「ええ、あんたの言うとおり、最後の最後に父上はうつけになって死んでしまった……」
その無念そうな声を聞いて良晴は思った。ああ、こいつは父親のことが本当に大好きだったんだと。
「信勝はどんな感じだったんだ?」
「勘十郎は……泣いて悲しんでいたわ。でも、取り巻きの連中は違う。私への謀反を考えている目つきだったわ」
「お前、あいつのこと何度も謀反したけどその度に許してるそうじゃないか。やっぱり実の弟は可愛いんだな」
「母上が悲しむから、斬りたくても斬れないだけよ! でも、信勝の奴、今度という今度は殺すわ」
「なんでだよ?」
「家中が分裂していたら強大な今川家から尾張を守ることなんてできやしないわ! もう決めたのよ!」
それは織田上総介信奈として……尾張の民を背負うものとしての決定であり、自分の『夢』のため、個人の感情を犠牲にする覚悟をせねばならない時もあるということだろう。
「もういいでしょ。それよりサル! この地球儀であんたの知能を測ってやるわ!」
「その勝負、乗ったぜ!」
「人間とサルが対等に勝負できるとでも思ってるの? これはあくまでも知能測定よ」
そういうと、信奈は地球儀を飛び切りの笑顔で回しながら叫ぶ。
「これを作った南蛮の連中は手強いわよ! 大きな海を渡って地球を半周して日本まで来るんだから! この地球儀の意味、あんたに分かる?
世界ってね、平らじゃなくて、この地球儀のように球体なのよ!」
「それぐらいは知ってるさ。俺の世界じゃ学校で習うくらい当たり前だからな」
「嘘言いなさい、サルの国の寺子屋が南蛮並みだなんて。じゃあこの地球儀のどこが日本か知ってるかしら?」
「もちろん。この小さい島国がそうだ。ちなみにお前達が南蛮って読んでる国々はズーーーーッと西のココ。ヨーロッパだ」
ちなみに、南蛮は詳しく分けるとオランダ、スペイン、ポルトガルの三ヵ国である。
(良晴さんが指差してるのはフランスなんだけど……まあ、黙っとこう)
「信じらんない……誰に説明しても信じてもらえなかったのに、何であんたみたいな馬鹿がそんなことまで知ってるのよ」
「だから言っただろ。何百年先の未来じゃ、もう当たり前になってるんだよ」
「ま、それはともかく、種子島や地球を一周できる船を持っている南蛮諸国は本当に強いわ。今は宣教師しかやってこないけど、いつか必ず大船団でやってくると思うの。
日本を自分たちの領土にするためにね。だから一日も早く乱れた天下を納めて、南蛮の奴らとも対等に付き合える国を作らなくちゃ駄目なのよ!
……ねえ、私の言ってること、おかしい? うつけだと思う?」
「いや……(こいつ、南蛮とか、世界の話をする時だけは、いい笑顔を見せるよな……ちょっとだけ、ちょっとだけだけどな!)」
「何赤くなってるのよサル? 熱でもあるの? もしかして知恵熱?」
良晴は鼻の頭をかきながら答える。
「お前の言ってることは正しいよ。忌々しいけど、百年とか千年に一度ってレベルの天才なんだ、お前は。
お前を笑う連中は、自分たちが馬鹿だってことを認められないからお前を馬鹿にしてるんだ、俺の時代にもそんな奴らはいる、だから気にすんな」
「……ふん。そんな根拠のないおべっか使われても嬉しくないわね。しかもサルなんかに」
口から出てくる言葉こそ毒まみれだったが――浮かべた表情は、とても無防備な、少女らしい笑顔だった。
まあ一瞬後にはすぐに元の不機嫌そうな顔に戻ってしまったが、良晴の心に残るには十分な一瞬だった。
(っておいおいおい、なんでこんなに高鳴るんだ俺の心臓!? 待て待て、こんな凶暴な暴君に惚れてどうする!?
第一信奈は、俺の主君で終わりを統べる戦国姫大名で、俺はしがない足軽だぞ!? 身分違いすぎだろッ、下剋上にも程があるって―のッ!)
「何。どうしたのその顔? 私に何か言いたいことでもあるの? まさか、謀反でも企んでるとか?」
「あ、いや、謀反つーか……ある意味下剋上っつーか……」
「なによ、はっきりしないわね」
良晴は金縛りにあったように動けない。
何せ信奈が瞳を見開いて顔を覗き込んできているのだ。吐息も鼻息も頬にかかる距離に信奈の顔がある。
(ちくしょう! 悔しいけど、こいつやっぱり綺麗だ! いや顔だけはな! 顔だけだけど美少女なんて、信奈の癖に〜〜!)
二人が互いを無言で見つめ合い、その二人を太助がじっと見ていると、どこかで時を告げる太鼓の音が響いた。
「……刻限だわ。座り直しなさいサル。織田家の法に則って――あんたの首をはねるわ」
言われるまま、良晴は正座して頭を垂れた。
弟殺しの覚悟までしている信奈だ。足軽一人の首なんてためらわず斬るだろう。なのに、恐怖は無かった。やっぱり俺、どっか抜けてるんだろうか?
それともこいつに殺されることに『納得』してしまってるんだろうか? ……どっちでもいいか。
「……言い残すことは無いの?」
「あんだけ大口叩いたくせに、お前の期待を裏切った。だったら今更じたばたしねえさ。さ、やれよ」
太助は頭を抱えた。この馬鹿サル、なんでそんな態度をとるんだよ。
外から見てる太助には、信奈が、自分では絶対に認めないだろうが――とても優しい人間であることも、良晴を「トクベツ」と思い始めていることも分かっている。
弟殺しの覚悟だって、理屈で必死に心を押さえつけているだけだ。だから――。
「信奈さん。いったい誰を斬るっていうんです?」
「太助? そんなのサルに決まって――」
「良晴さんでしたら、犬千代さんと一緒に清州に米の買い出しに言ってるじゃないですか」
「え? おい待て太助。何を言って……」
「(ギロッ!!)」
凄い勢いで睨みつけられた良晴はおおよそを察した。
つまり、自分は犬千代と米の買い出しに行っているから、斬りたくても斬れない。そういうことにしておけ、と。
そんな理屈で信奈が納得するのか? と思って信奈を見ると、何かに悩んでるような様子だった。
ひょっとして……こいつも、俺が命乞いとかするのなら、助けようかと思っていた……のか?
そう考えていた瞬間。
「……姫様、良晴……遅れた……」
「犬千代?」
部屋の中に、あちこち汚れた侍姿の犬千代が入ってきた。
「おおお、犬千代〜! 助かったぜ! ありがとうッ!」
「良晴……お米、買ってきた……」
「んで、肝心の米俵はどこなんだ?」
「……今、運び入れている」
三人が窓から身を乗り出してみると、すごい数の米俵が次々と城内に運び込まれている。あまりの多さにうこぎ長屋の主、浅野のじいさんとねねも笛や太鼓を鳴らして運搬している侍集を鼓舞している。
「凄い数だ……。犬千代さん、幾つ買ってきたんです?」
「……六万五千俵」
「一石が二俵半だから……二万六千石」
「太助が買っていた分と合わせて、三万石!? 嘘ッ? ほんとッ? 信じられない。これで種子島を買いそろえる資金が捻出できるじゃない!」
信奈は微笑みながら、畜生二人とも計算が早い、と呟いていた良晴の頭を殴った。
「喜びなさい、サル! 大手柄よ!」
「おっ? てことは褒美をくれるのか?」
「それは、刻限を守れなかった罰と相殺よ! 犬千代の働きとわたしの寛大さに感謝しなさい!」
「なんだそれッ? けちくさいんだよ、お前は! こういう時に――モガッ!?」
(馬鹿サル、文句をつけないで! またややこしいことになるからッ!)
文句をつけようとしていた良晴の口を、慌てて太助が塞いでいると、犬千代が信奈に言った。
「姫様……犬千代を斬る……」
「えっ? 何を言い出すの、斬られるならそれはサルよ?」
よく見ると、犬千代の袖にはまだ新しい血がついている。それも、返り血だ。
「……犬千代はさっき信勝様の小姓を斬った。法度を破った。……だから犬千代を斬らないと、信勝様と揉める。……尾張の、為」
太助は犬千代の両肩を抱くと問いただした。
「犬千代さん。城内に米俵を運び入れようとした時に、奴らに邪魔されたんですね? 向こうからやった。そうなんですね!?」
「(コクリ)斬らないと、時間に間に合わなかった……命は、とってない」
「聞いてたか、信奈。非があるのは信勝たちのほうだ! 犬千代を斬ることはねえ!」
「わかってるわよ! でも……でも」
犬千代が、信奈にとってどれだけ大切な存在か。餌付けするように、ういろうを食べさせてあげるところを見ていれば十分理解できる。
斬れるわけがない。
だが、見逃せば信勝側が黙っているわけがない。必ず実力行使に出るだろう。
そして今度も以前までのように、負けてしまい――実の姉に、斬られてしまう。
(犬千代を斬るか、信勝を斬るか、二つに一つ)
選べるはずが無かった。
言葉を失い、ふらふらと欄干にもたれて震え始めた信奈を、良晴は見ていられなくなった。
しかし、声をかけたのは信奈ではなかった。
「犬千代! いいか、お前は信奈に斬られそうになったが、逐電した! 信勝側とはそれで手打ちにする! だから早く清洲から逃げろ!」
「……出奔する? ……でも……」
「今、お前も信勝も信奈に斬らせないようにするにはこれしかねえんだ! 俺の為に頑張ってくれたお前に、こんなことを言うなんて情けねえけどよ……!」
「……わかった。……姫様。お別れ」
信奈のほうに向き直って、深々と頭を下げる犬千代。
それを見つめる信奈の頬に、一筋の涙がこぼれていたように見えた。
だがそれは、錯覚。
涙に見えたのは、唇から流れた、血。
あふれ出ようとした『心』を、必死に『姫大名』で押さえつけていた。
(私を置いていかないで、一人にしないで)
それは口に出せなかった。『織田上総介信奈』が口に出してはならない言葉だったからだ。
だが、犬千代には伝わっていた。
信奈を見つめる犬千代の顔には、ひどく優しい微笑みが浮かんでいたのだから。
「……きっと戻る。それに、良晴と太助がいる」
初めて見る笑顔を、良晴が思わず見つめていると、犬千代は不意に二人のほうに向き直った。
「びっくりしたっ? 犬千代、約束だぜ! 信勝と信奈が和解したら、絶対帰ってこいよ!」
「(コクリ)……その時は……小袖、買ってくれる? 約束」
「ああ、俺様の利殖テクでいくらでも買ってやるぜ! 約束だ!」
「太助も約束……姫様と良晴をよろしく……」
「もちろん。友達に力を貸すのは、当たり前ですよ。……犬千代さんにもね」
「犬千代も、太助と友達」
そして、犬千代は清洲から逐電してしまった。
だが、織田家のお家騒動を食い止めることはできず、わずか三日後に、織田信勝が腹心の家老・柴田勝家と共に清州城の信奈の下に訪れていた。
が、勝家は、実に憂鬱そうなため息をついていた。
彼女は若くして尾張最強の猛将として知られており、一度槍を取らせれば天下無敵の豪勇を誇る。
立場としては信勝の家老だが、自身は昔から信奈に心酔していた。
その信奈だが、最大の理解者であった信秀を失ってから、頑なに心を閉ざし、唇を堅く結び、家臣たちには常にイライラと尖り続けている。
信勝の取り巻き達が『愛想の良さだけは信勝様の方がいいし、(都合が)良いんじゃないか?』と増長し謀反をもくろむようになったのは、このあたりに原因があった。
勝家としては姉弟の不和を丸く収めたいのだが、どうすればいいのか、が思いつかなかった。
今回も、犬千代が信勝の小姓を斬ったことを理由に、信勝と取り巻きの若侍達は謀反を企み始めた。
勝家はその度に、思いとどまらせようとするのだが、逆に本気で戦わないことを理由に責められる始末。
先祖代々、織田家の為に戦ってきた武門の家柄として、今の織田家中の対立は勝家にとっては苦々しいものだった。
だが、主筋の信奈と戦っても、信勝を誅しても、自分は織田家に謀反してしまうことになる。
あるいは、取り巻き達を全員叩き斬れば、乗せられているだけの信勝も目を覚ましてくれるかと考えたが、そんな血の粛清をしでかしたら
小心な信勝は、パニックに陥っていよいよ取り返しがつかないことになりそうだったし、取り巻き達も視野狭窄な馬鹿だが、殺さねばならないほどじゃない。
豪放磊落な性格で、政治感覚とか小難しいものは欠片も持ち合わせていない勝家は迷っていたが、そんな時信勝から、
「勝家、ついてきてくれ。犬千代を引き渡せ、と姉上に交渉を持ちかけてこようと思う。姉上が突っぱねるようなら今度こそ戦だな!」
と、頭痛モノの命令を受けてしまったのだ。
かくして、勝家は信勝と一緒に、清州城の本丸にいるというわけである。
部屋の中には五人。
信勝と自分。部屋の主である信奈と、その側に犬千代に代わって新参者の相良良晴。部屋の壁際に、同じく新参の七梨太助。
場所は信奈が流行に乗っかる為に作った茶室である。
が、信奈の態度は身内だけの席ということもあってか、無茶苦茶悪かった。
足がしびれるという理由で正座ではなく胡坐。茶の立て方も、入れる抹茶の量、そそぐお湯の量、かき混ぜる回数も全てが適当。
茶菓子代わりに食べてる名古屋コーチンの手羽先も骨ごと丸呑みにして、口のなかで綺麗さっぱり食べつくして骨だけを吐き出す。
(本人曰く、ちまちまかじるなんて、スイカの種を全部取り除いた後で食べるようなもの)
「お前ってほんっとに出鱈目だな。作法を無視するくらいなら、最初から茶室なんか作るなよ」
「うるさいわね。お茶なんて熱いうちに美味しく飲めればそれでいいのよ」
「……姉上! ぼかぁサルと遊びに来たわけではありません! 犬千代の件で来たのです!」
今日は勝家を控えさせているせいか、信勝が強気で迫る。
「……犬千代なら出奔してしまったわ。居場所は私にもわからないから」
ムスッと頬を膨らませながら、窓の外に視線をそらす信奈。
(無理も無い、犬千代は幼い頃からずっと、犬のように付き従ってきた友……いや! 実の妹も同然! 信奈様の心中やいかばかりか……。
おい太助! 本当に何とかなるんだろうな?)
勝家はとっちらかった頭で思い返していた。
二日前、夜中に太助が彼女のもとを訪れたのだ。
「こんな時間にいったい何の用なんだ?」
「勝家さん、犬千代さんの一件既に聞き及んでいるかと」
「ああ、サルが処刑されるのを阻止するために已む無くだったと聞いている」
「では、取り巻きのバカ連中は、また謀反を起こそうと信勝さんを煽られているのでは……」
「そ、その通りだ。あたしが抑えになれればいいんだが、こういうことに疎いあたしでは、怒鳴って脅すか、いっそ斬ってしまうかぐらいしか思いつかない……」
「そのことですが、信奈様は、今度信勝さんが謀反をすれば、母上がいくら助命しようと斬る、と決意成されました」
「何だって!?」
「今川義元が上洛の準備を進めている。織田家存亡の時に国内で揉めている余裕はもうどこにも無い。と申していました」
「そそそそそそんなあ!?」
勝家はもうこの時点でパニくっていた。
「しかし、決して表には出しませんが、信奈さんも信勝さんを斬りたくはないでしょう」
「そうだろうな。あたしだってそんなことはさせたくない」
「そこで、このお家騒動を終わらせるいい考えがあります」
「本当かッ!?」
「問題は信奈様が侮られていることです。要するに『織田信奈は法を犯した者は例え身内であっても容赦しない人間だ』としらしめられれば
信勝さんを斬る必要はないわけです。打ち首になりかかれば、信勝さんだって反省するでしょう」
勝家はそこまで聞くと、足りない頭で必死に考え出した。
確かに、野心家やおべっか使い共が、信奈様を侮っているのは事実だし……信勝様でも容赦されないと分かれば、そいつらもおとなしくなるだろう。
「……で、そんな話を言いに来たってことは、あたしにしてほしいことがあるんじゃないのか?」
「はい。近いうちに犬千代さんを引き渡すよう交渉が行われるでしょうから、その場に信勝さんを連れてきてください。後は俺が何とかします」
「え、それだけでいいのか?」
「この二週間、織田家について調べて、勝家さんは腹芸のできない人だというのがよーくわかりましたから」
「はっきり言うな! ……そうだけどさ」
(そんなことがあったから、信勝様のほうから交渉にいくと言ってくれたのは正直助かったんだけどな……)
だが、その太助は先ほどから壁際で瞑目したままじっとしている。
「それでは姉上。どうあっても犬千代は引き渡せないと……」
「いないものは引き渡せないわ」
(って、いつの間にか話がここまで進んでる!? おい太助! いったいなにやってるんだ! 早く何とかしろーッ!!)
だが、その時であった。
太助は急に立ち上がると、信奈から刀を奪い、信勝に突き付けたのである。
「ひぃっ!!? ななな、何をッ!?」
「一つ、周囲に持ち上げられるままに謀反を繰り返した」
「え?」
「二つ、その都度、許されながら改まることをしなかった。三つ、下らない嫌がらせで犬千代が出奔する原因を作った」
「ききき、君は、何を言っているんだい?」
「自覚してないだろうから、代わって数えてやったんだよ。あんたの罪をな。何も知らずに死ぬなんて、絶対に許さねえ」
「「「ッ!??」」」
この場にいた全員が理解した。
太助は、信奈に代わって信勝を斬るつもりだ。
(待て待て待て! 芝居だよな? いやでもあの殺気は本気だし……、どうなってるんだ〜!)
もう勝家には何が何だかわからなかった。だが、それでも太助が本気だということだけはわかった。
「待ってくれ太助! 信奈様、信勝様をいさめられずにいた私にも責任があります! どうか私の首で手討ちにしてください! 信勝様にお慈悲を!」
「却下。あんた抜きじゃ今川には勝てないわ」
「うわああん! 姉上! 真のうつけは僕のほうでした! もう二度と謀反なんて考えません! ういろうを全国区の食べ物にするという野望も捨てます!
だからどうかお命ばかりはお助けを!! 七梨君を止めてくださいぃぃぃぃ!!」
恥も外聞もなく命乞いをする信勝。だが、太助は冷酷に言った。
「……信勝。あんた自分の命の価値を分かってないだろう」
「え?」
「姫大名なら出家すれば命だけは助かる。でも男は違う。謀反常習者の上に才能も無いあんたを今川が生かしておく理由なんてどこにも無い。
ここで殺されるか、尾張の民と一緒に今川に殺されるか。さあ選べ」
「どっちも死ぬんじゃないかぁぁッ!!」
「そうか。じゃあ俺が選んでやる。……死ね」
「いやだぁぁぁッ!!」
「うるさいッ! これは信奈様の決定なんだッ! 『信奈様』のなッ! だから潔くしろッ!!」
その瞬間、良晴は気が付いた。これは時間稼ぎだ。正徳寺と同じように、「信奈の本音を引き出して信勝を許すようにしてくれ」と太助は言っているのだ。
「信奈! 太助を止めろ、自分の弟を殺させんな!」
お前まで手討ちにされたいのか! 馬鹿! と勝家が叫んだ。
だが恐怖は無い。
(どうせ死んで元々。俺みたいなやつの命でこいつを魔王にさせずに済むんなら悪くねえ)
「何でよ。さっき太助が言ったでしょう? あれだけでも、信勝を斬る理由には十分だわ」
「ここで信勝を斬ることを選んだら、お前はこの先ずっと、周りの親しい人たちを斬って斬って斬りまくって、一人ぼっちの魔王になっちまうんだぜ! それでいいのかよ!」
「何よ、私情を捨てて天下万民のため、魔王になることの何がいけないのよ! 天下を統一するには家臣たちが私の命令に忠実に従わなくちゃ駄目なの!
どうせどいつもこいつも私の言ってることなんて理解できないんだから、黙って命令に従っていればいいの! それにね、もううんざりなのよ!
信勝の面倒を見るのは! 厄介ばかりかけて、私に逆らって……! そんな弟なんて――!」
「それ以上言うんじゃねえ、この馬鹿女!」
「な、なんですって!?」
「お前、犬千代が自分を斬れっていったとき、あんなに悩んでたじゃねえか。それって犬千代と信勝が同じくらい大事だからだろ?
そんなに大事ならあっさり捨てようとするな! 捨てたら一生後悔して止まれなくなっちまうぞ!」
「うるさい! いい!? 人の命の価値ってのは農民も武士も商人もみんな同じなの! 戦で兵や民を死なせるのに、信勝を『身内だから』で許すなんて不公平じゃない!
一人の命でもっと多くの命を守れるなら、それが正しいことなら一番良いことでしょう?」
「だから、それは唯の理屈だろうがッ!! お前は頭が良すぎるんだよ! 天下を取ろうってんなら、弟の命くらい欲張れよッ!!」
そこで良晴は一度言葉を切ると、息をついてつづけた。
「信奈。俺は、お前には、楽しそうに地球儀をくるくる回して、夢を話す『人間』でいて欲しいんだ。『魔王』なんておっかないものになってほしくないんだよ……。
天下なんて関係ない。お前、本当は信勝をどうしたいんだ?」
「…………ッ! 斬りたいわけないじゃない! 自分の弟を殺したがる女の子なんて、いるわけないでしょ!」
今度こそ、信奈は泣いていた。
太助の足元にうずくまっていた信勝も思わず、姉上、と声を漏らしていた。
「じゃあ、そう言えば良いじゃねえか! 別に『尾張の主は家族にひいきしてはいけない』なんて法があるわけじゃねえだろ?
一番偉いんだから素直に言えば良いってのに、あー可愛くねえ女!」
人前で涙を見せてしまった。
しかも、サルなんかに叱りつけられて。
信奈はうろたえ、涙を乱暴に拭いながら、ぶっきらぼうに怒鳴っていた。
「わ、わかったわよ! 太助、信勝は許すわ! だからやめなさい!」
その言葉を聞いて、太助は刀を下げて信勝を解放する。
伏して項垂れている信勝の横に、信奈が腰を下ろした。
「ふ、ふん。勘十郎……あげるわ」
そう言って信奈が差し出したのは、小姓が持ってきた薄切りされたういろうだった。
「食べなさい、あんた、好きだったわよね」
「……いいのですか、姉上」
「仲直りの印よ」
「……い、いただきます……」
信勝は、恐る恐る信奈の手からういろうを受け取って、食べた。
食べながら思い出していた。
家中が家督争いで割れる以前、信奈から毎日のようにういろうをもらっていたこと。
(そうだ……あの頃の僕は姉上が手づからくれた、ご褒美のういろうが何よりも好きだったんだ。
はしゃぎながらういろうをくれる姉上が好きだった……。なのに、姉上を蔑ろにして、誰よりも気位の高い姉上を、人前で泣かせて……!)
信勝は、泣いた。
自分のあまりのうつけものぶりに泣いた。
信奈はそんな弟をやさしくみつめていたのだった。
それは、数年ぶりに訪れた姉弟の穏やかな時間だった。
後書き
サブタイトルにならって前回の三つの出来事を入れてみました。
これからも時々やります。
管理人感想
ダークレザードさんからいただきました!
シリーズタイトルもサブタイトルもオーズっぽいと思っていたら“前回の三つの出来事”まで。
その内やたらと誕生日を強調したがる大店の旦那とか出てこないよな? 堺あたりで出てきそうな勢いなんですが(苦笑)。
織田家のお家騒動は太助の機転で戦に発展することなく和解……戦やらんのかいっ!
個人的にはアニメでのあの信奈コールがかなり笑った覚えが……ついでにそれをパロッたBD初回特典の告知CMとかも(マテ