「それがな、あたしもほとんど覚えていないんだよ」
七梨家のソファーに腰かけながら、十二単を三枚だけ身につけた山野辺翔子は、太助と良晴に語った。
「気が付けば草原に放り出されててよ、途方に暮れてたら後ろから声をかけられてよ、何か突き付けられて……」
『お前は今川義元だ、尾張を踏みつぶし、京に今川の旗を掲げるのだ』
「……って言われて気が遠くなって、気が付いたらこんな格好で寝てたってわけ」
「そうか……やっぱり何かが絡んでいたのか。ん? 良晴さんどうしました?」
「いや……戦国時代にタイムスリップしたと思ったら、ダチがSFの主人公だったなんて誰だって驚くだろ!?」
桶狭間の合戦から翌朝。
太助は改めて、良晴に翔子を紹介すると同時に全てを話した。
ディケイドとして幾つもの世界を旅してきたこと。この世界に来た時、仲間と逸れたことを。
「ともかく『敵』が山野辺を今川義元に仕立て上げた時点で、俺はそいつを倒さなくちゃならない。
そいつは、必ず世界を自分の都合の良いように捻じ曲げようとするだろうからな。で、だ。山野辺にもやってもらいたいことがある」
「なんだ?」
清洲の町。
ここは他の町とは比べ物にならないほど、発展していた。
この時代では、どこの国でも他国の間者が入り込むことを恐れて関所を設け、通行税を高くしている。
だが、信奈はこの関所を撤廃し、通行を自由にできるようにしたのである。
その為、商人たちはこぞって清洲で商売をするようになり、商品も情報も続々入ってくる。
信奈が市場の見回りを日課としているのも、他国の情報収集の為である。
その清洲に翔子はねねと一緒に訪れていた。
人相書きに、シャオ達の顔を書いてもらうためと、買い出しの為である。
「っていうかよ、何であたしまで織田家で働かなきゃいけねえんだかなぁ〜」
荷物を運びながら、翔子は盛大に愚痴っていた。
あの後、彼女は太助に、丹羽長秀の下へ連れて行かれて、彼女の手伝いをさせられることになったのだ。
もちろん翔子も文句を言ったのだが、太助に『無駄飯ぐらいを抱えていたら、俺の評判が悪くなるんだよ!』と言われて切り捨てられた。
しかも長秀に向かって「こいつの一番好きな言葉は『横着』で二番目が『手抜き』ですからビシバシ働かせてください」などと言われれば愚痴も出る。
「翔子様も兄様と同じですぞ! 今が一番大事な時なのですから頑張らねば駄目ですぞ!」
「っていわれてもな〜。ん?」
歩いていると、視界の端に馬に跨った侍の一行が見える。
先頭の白馬の侍は、男子の外見に特に興味のない翔子にとってもなかなかレベルの美男子だった。
掲げている旗印は『三つ盛り亀甲』ということは。
「浅井家御一行様ってわけか。あれ? でも浅井家って……」
翔子はサボり癖があるが、勉強ができないわけではない。
ここ数日、太助から戦国時代の資料を借りて勉強していたのだ
それによれば、浅井が織田にかかわってくるのは織田が美濃を攻略してからのはず。これも自分たちの影響なのだろうか?
そう考えていると、群衆の中から美男美女のお似合いの夫婦が出来ただの、織田信奈ほどの美しい姫に似合うのは近江の浅井長政殿を置いて他にはいまい、という内容が同じ声で延々と聞こえてくる。
(そういうことか……出雲おにーさんと変わらないねえ)
翔子はこの声の主が浅井のサクラであると確信した。
民衆の空気を誘導して、断れない状況を作ってから話題を切り出そうというつもりだろう。
第8話「貴公子と政略結婚と竹中半兵衛」
織田信奈は隣国の強敵・今川を下し、勢力を大きく広げ、さらに三河の松平元康と同盟を結ぶに至った。
この同盟により東方への備えを得た信奈はこれを好機と判断。念願の上洛に必要な美濃の攻略へと着手した。
桶狭間の勝利で勢いづいていた織田軍は美濃に攻め入り――。
惨敗した。
「なんでよ! 何で蝮のいない美濃軍があんなに強いのよ!」
憤懣やるかたない、と言った態度で乱暴に手羽先を食いちぎる信奈。
「あれは『十面埋伏の計』と『石兵八陣』です。どうやら敵方には並々ならぬ知恵者がいるようですね」
「しかも、前者の策は、こちらが桶狭間の勝利に浮かれていると踏んでの採用。後者も十面埋伏の計を警戒して進軍速度を落として対応してくると
予測して使ったんでしょう。おかげでこちらは士気が落ちてこうして逃げ帰ってしまった。敵ながら見事ですね、満点ですよ」
と長秀と太助。
「ま、そうそう桶狭間の時みたいにうまくは行かねえってことだな」
「うるさいわよサル! 稲葉山城は必ず手に入れるわ!」
そして、信奈は諸将に号令を発した。
稲葉山城攻略に一役買った物には恩賞自由であると。
もちろんこれに人一倍張り切ったのは良晴であった。
「言ったな信奈、その言葉、忘れるなよ!? 必ず稲葉山城を攻略してやるぜ!!」
「何であんたが張り切るのよ、たいして役に立ってないくせに」
そこに、浅井長政来るの報が飛び込んできた。
突然の来訪に諸将は首をかしげたが、信奈は通すように命じた。
現代人であるため大柄な部類に属する良晴よりも頭一つ高い背、長く伸ばした黒髪とまつ毛が女性の目を引く色白の美少年侍。
うっかりすれば女と見間違うばかりの美少年っぷりに犬千代は思わず、おおー、と歓声を上げ、良晴は無駄に劣等感を刺激される。
「この浅井長政。織田信奈殿に一目お会いしたく、近江は小谷城より、はるばるやってきました」
(礼儀作法は完璧だな。どうにも主張が激しいってところを除けばだが。良晴さんも気が気じゃないだろう)
浅井長政。
畿内の経済大国・近江の北半分を支配する浅井家の若き当主。
正史に置いては、信長が美濃を奪って京へ向かう際、上洛路を確保するために、妹のお市姫を嫁がせ同盟を結ぶ。
しかし、父の方針に逆らうことが出来ず、義を貫いて織田家を裏切る男。
(山野辺が街で聞いたところによると、この男は信奈さんを政治の駒としか考えていないらしい。
良晴さんも心配してるだろう。……ま、それは半分だけで、もう半分はやっかみなのは自覚していないだろうけどさ)
「で、今日は私に何の用なのかしら? 挨拶も無しに直接清洲まで来たということは、よほどの重大ごとを持ちかけるつもりなのでしょう?」
「いかにも。信奈殿は岐阜・斎藤道三のかつての居城、稲葉山城を攻め取ろうとなされているのでしょう」
「もちろんよ」
長政は語った。
その後は京への上洛を考えているはず。
ならば、北近江を領するこの浅井長政こと猿夜叉丸と不戦同盟を結んでおきたいはず。
天険の要害・小谷城を擁し、父・久政も自分に家督を譲ったとはいえ健在にて家臣団の結束も強く、兵も精強。敵に回せば上洛は大幅に遅れるし、斎藤義龍と結ばれて、美濃攻略もままならなくなる恐れもある。
故に、信奈殿は何が何でも私を味方につけようと考えておられるはず。
そこまで聞いて、ふふん、と信奈が微笑んだ。
頭の回転が速い彼女は、賢い武将を好む。一から十まで説明しなくていい分、話が早いからだ。
「確かに、いずれこちらから同盟を申し込むつもりだったわ。あんたも長年の敵対関係にあった六角の人質だった身として、よその手を借りてでも六角を叩き潰したいんでしょう?」
「その通りです。こうして直接清洲まで参りましたのもその次第」
美男美女の賢人同士の会話に、なんだかよく解らないが腹立つ、と歯噛みする良晴と、そんな良晴の臑をつねって黙らせる犬千代を横目で見ながら太助は考えた。
「ところが、あんたの父親・久政は六角・京極両氏に挟まれて手も足も出なかった時代に、後ろ盾となって援軍を送り、両勢力を駆逐してくれた
大恩人の朝倉家と友好関係を続けたいし、仇敵の六角を滅ぼそうとも思ってない。だから、老いた朝倉よりも、野望を隠さぬ若い織田を選んだ、違いますか?」
ここで、長政は驚いた顔で太助の方を見た。
「貴殿は?」
「癇癪ザルの世話係の太助と申します。別に覚えなくて結構」
「つまりは長政、あんたは私の天下取りに協力してくれるって訳?」
「いいえ、信奈殿。――私は、貴方を我が妻として貰い受けに参りました」
「「はあッ!!!!?」」
流石の信奈も、これには驚いた。
何せ男から求婚されるなど、生まれて初めての経験だったからだ。
「けけけけけけ、結婚ってこと? それって、わたしに求婚してるってことッ!?」
「これは切れ者の信奈殿とも思えぬご発言。お互いにもう、子供でもあるまいし」
「わたしはッ! 旦那様にする男は自分で選びたいのッ! 自分が好きになった男の人と結婚するのッ! それが私の夢よッ!」
「ほう。それでは信奈殿には、すでにどなたか心に定められた殿方が? 例えば、そこでもがいている一匹のサル殿に惚れておられるのかな?」
その一言をきっかけに、信奈はさらに真っ赤になった。
太助(と翔子)から見れば、図星を刺された照れ隠しで良晴をポカポカ。
主の貞操の危機だと怒鳴れば、良晴も自分の想いを分不相応と蓋をしようとしているものだから、足軽の自分が口を出せる問題じゃないと逃げる。
後はもう売り言葉に買い言葉でいつもの取っ組み合いの大ゲンカ。
「あんたが欲しがっている天下一の美少女が、浅井長政に奪われようとしてるのよ。黙って見てるっていうのッ?」
「だから、天下一の美少女が何で、お前のことになるんだよ! ていうか、そんなに嫌なら断れよ!」
「はぁ!? 私情を挟んで断るなんて馬鹿なこと、このわたしがするわけないでしょ!」
「じゃあどうしたいんだよ、全然わからねえ!」
「ああもう! どうしてこうあんたって頭が悪いのよ!」
家臣たちも「また始まった」とあきれ顔である。
だが、その中で太助は見た。
二人の喧嘩を見つめる長政の目に、妬むような、羨むような光が宿っていたことを。
「やれやれ、これでは話どころではない。お年頃の姫様に突然求婚したのは、私の勇み足だったようだ」
と言って腰を上げる長政に犬千代が。
「御足労感謝。返事はいずれこちらから……」
と主に代わって対応。
「よいお返事をお待ちしていますよ」
と浅井長政は来た時と同じように爽やかに去って行った。
が、その背中からは既に色恋に疎い小娘の心はがっちりつかんだ。と言わんばかりの余裕を太助は感じていた。
太助は、長政を見送る為に清州の町に一緒に来ていた。
「ところで、長政殿。一つ窺いたいことがあるのですが、よろしいですか?」
「ほう、それはなにかな?」
「結婚を申し出ていましたが、長政殿は信奈様に惚れたのですか?」
「そんなものは庶民の言うこと。私は浅井家当主、信奈殿も織田家当主。かほどの大身に生まれついた以上、愛無き政略結婚は世の習いだ」
長政の言葉はこの時代の常識だった。
この時代に置いては肉親・縁者は皆政略の道具であり、それ以上でも以下でもない。
「大名ともなれば、家同士の利害関係が何よりも最優先。色恋で婿を選ぶなどは足軽風情のやること。自ら家督を継いで姫大名となった時から、信奈殿は女としての幸せなどとっくに放棄しているだろう」
「そこまでわかっていながら、信奈様を道具にすることを何とも思わないのですか?」
「ない。もしも信奈殿が、天下を望みながら恋にも生きようなどと甘い夢を見ているのであれば、早く諦めさせてやった方がいい。それが大人の優しさだよ。
中途半端に叶いもせぬ嘘の夢を見せてやろうとするなど、私にはできないし、するつもりもないね」
「成程。しかし、あの相良良晴は、信奈様の夢を叶えてやると誓っている身。貴方の言う甘い夢であっても、信奈様が現実にしたいと望むのなら、その為に足掻くでしょう。
貴殿が、信奈様を心から愛すると約束すれば、断腸の思いでそれを祝福すると思いますよ」
「悪いが、私は信奈殿を愛していないし、今後も、愛さない。何故ならこの私も、天下を望む野望に取りつかれた者だからな――が、信奈殿の心を籠絡する術くらいは心得ている。
これからあの姫にはせいぜい私の為に諸国を切り取り続けてもらうさ。――しかし、あのサルは本気で自分とあの姫が結ばれると思っているのかい?」
「さあ? 俺は良晴殿ではないので、答えようがありませんね」
「そうか……いや、馬鹿なことを聞いたな。氏素性の知れぬ風来坊が、由緒正しい織田家の姫君を嫁にするなどできるはずもない。そんなことになれば家臣団はおろか
領民も世間の声も、信奈殿を『本物のうつけ』と見放し、彼女の身の破滅だ」
「そうでしょうね……。ありがとうございました長政殿。……あ、最後にもう一つだけ」
「何か?」
「貴方は……道具でありたいのですか? それともありたくないのですか?」
挑発するような太助の物言いに、長政の家臣団が色めき立つが、長政はそれを制する。
「どういう意味かな?」
「先程、俺の言葉を否定しませんでしたよね? 久政殿は朝倉との友好を望んでいるが、貴方は織田と手を結びたいと。
つまり、今回の同盟は浅井家の総意ではなく貴方の勇み足。だからてっきり、家督を譲ってもなお、政策にあれこれ口を出してくる父親を黙らせるためだと思ったのですが、違いましたかね」
「……確か、七梨太助と言ったな」
「ええ。ですけど、先程も言ったように覚えなくていいですよ」
「いいや、二度と忘れないようにしておくさ」
そう言い残して、長政は近江へ帰って行った。
「さてと、次は道三殿の所かな」
夕刻。良晴はうこぎ長屋へ戻ると、隣の犬千代の部屋に上り込み信奈のその後の様子を尋ねた。
「……姫様は、とてもとても迷っている」
「そっか。……なあ、信奈の奴、長政に惚れてると思うか?」
「……姫様は、ご自分の恋の話については何も語られないからよく解らない。それに……」
「それに?」
「……良晴にはこの件について何も語るな、と言われている」
「なんだよお〜!? 俺を無視すんのか、あの女〜!」
腹立ちまぎれに犬千代の部屋の畳をごろごろごろと転がりまくった良晴。
玄関から上り込んできた人影に腹を踏みつけられてようやく止まった。
「何悶えているんですか、良晴さん」
「ゲホッゴホッ……痛えじゃねえか、太助!」
「やーれやれ。たかが男一人が紛れ込んできたくらいで、らしくないったらありゃしない。あ、犬千代さん。お邪魔します」
「……構わない」
「で、何の用なんだ? 世間話だったら明日にしてくれよ、俺は今、あんにゃろうのせいでカリカリきてるからな」
「そのあんにゃろうこと、浅井長政の話ですよ」
犬千代が無言で太助に茶を出し、太助は「すいません」と一言言って、湯呑みを受け取る。
「求婚の話ですけど、もう清州城下に知れ渡ってますよ。山野辺によれば、サクラがいたそうですから、返事を待たずに既成事実を作ってしまおうって寸法でしょう」
「……チッ、黒いぜ。女を口説き慣れてる男の手口だな」
「で?」
「で? って何だよ」
「信奈さんが一世一代の決断を迫られてるのに、考える暇があったら心のままに突っ走る。そんな男は今、人様の部屋でみっともなく愚痴を零し、拗ねて不貞寝に勤しんでいる。
もっと他にやることがあるんじゃないですか?」
「恩賞自由の事か? それならやる気満々だぜ」
「じゃあ、もっとやる気が出るように、浅井長政の本音でも聞かせてあげましょうか」
そして太助は、浅井長政の語っていたことを全て良晴に聞かせた。
だが、良晴はやる気を出すどころか、逆に押し黙ってしまった。
「……そんなこと言われたって、長政の言葉はいちいち正しい理屈だ。これじゃ自分だけが『いやだいやだ』と駄々っ子みたいに喚いているだけじゃねえか……と思ってます?」
「……その通りだよ。第一信奈が誰と結婚するかなんて、それこそあいつだけの問題だろう? 下っ端の家来に過ぎない俺が口をはさむ問題じゃない気がするし……所詮は身分違い」
バキィッ!!
七梨太助は、全力で相良良晴をぶん殴っていた。
「このクソ馬鹿野郎! 今更そんなものに逃げようっていうのか! 拗ねていじけて、心は答えを出してる癖に、それを認めたくないから、頭で考えた理屈で誤魔化して……今のあんたは最低のクズヤローだ!!」
「俺が何に拗ねてるってんだよ!?」
「口を挟めない下っ端? 所詮身分違い? だったら、そんなこと誰にも言わせないぐらい大きくなればいいだけだろうが!! 道三殿だって、京の油売りから『商人が自由に商いが出来る世を作る』
という欲望を満たそうと大名に成り上がったんだぞ! 身分なんかに縛られる必要があるもんか! 足りないのを嘆く前に、自分自身の器を大きくすればいいじゃないか!!」
そこで、太助は一息入れて続ける。
「さっき道三殿から聞いてきたのですが……、彼は女に愛される美貌の持ち主ではありますが、一度として女を愛したことが無いそうです。
今まで何人もの女を誑し込んでは用が無くなれば捨てていると。六角家から独立を果たしたのも、次々と六角方の武将の妻娘を落としては捨てての繰り返しによるもの」
「……何だってッ!?」
「本人が言っていた、今後も信奈を愛することは無いと言うのは本心でしょうね。戦国大名にとって家族なんて政略の道具っていうのがこの世界の常識。
『大名織田信奈』が天下統一の夢を追うためには『少女・吉』としての幸せをあきらめなくてはならない。そんなことぐらい本人が一番分かっている」
しかし、と太助は言葉を続ける。
「大きな欲望の為に、かけがえのない欲望を捨てる。それじゃあの人は天下を盗っても、本当の『満足』は得られない。そんなの、良晴さんは許せますか?」
良晴は答えられなかった。
今口を開けば、また強がって心とは真逆のことを口に出してしまいそうだった。
犬千代が、うこぎ汁の椀を差し出してきた。
「犬千代。信奈と長政の結婚話、お前はどう思う?」
「……もちろん反対。それに良晴が言わないと、多分止められない」
「え? お前や勝家じゃなくてか?」
「……姫様の『夢』を本当に理解している家臣は、良晴だけだから」
犬千代が、良晴の瞳をじっと見据えながら、そう呟いた。
乱れきった天下を統一し、南蛮諸国を相手に対等な関係を築けるような、そんな強い国を創る。
そして、この丸い地球の上に広がる七つの海を大船で渡って、まだ見ぬ広い『世界』をその目で見てみたい。
それが、信奈の欲望。
それに、もう一つ。
ささやかな、だけどかけがえのない、本物の欲望。
『自分で選んだ男と添い遂げたい』
姫大名としては子供じみていて非常識なのかもしれない、笑って聞き流すべき言葉かもしれない。でも、まぎれもない信奈の本心だ。
だったら、そんな信奈に意に介さぬ政略結婚をさせて『捨てさせ』ようとする長政の下に一生縛り付けることなど、良晴には許せなかった。
「わかったぜ、犬千代」
太助が世界を救ってきたように、あいつの夢を叶えてやるという役目を果たすために、俺はこの世界に来た。
真実がどうあれ、俺は自分でそう決めた。
「やっと調子が戻ってきたみたいじゃないですか。で、結婚を引き延ばすにしたって、稲葉山城を落とすのが第一です。
そこで良晴さん『竹中半兵衛』を知っていますか?」
「竹中半兵衛! 今孔明の異名をとった大天才軍師じゃねえか! アイテム補正抜きで最強の98の知謀を誇ってる!」
「ゲームの話は置いといて……道三殿曰く」
人前に出ることを極端に嫌う性格で誰にも知られていなかったが、その知謀は道三をはるかに凌駕する。
半兵衛が守っている今の稲葉山城は、設計者の道三本人はもちろん、甲斐の虎でも、越後の軍神でも落とせない。
そもそも自分が長良川であそこまで義龍に追い込まれたのも、半兵衛の存在があったから。
「密かに臥龍と呼んでおられたそうですからね。さて良晴さんどうします?」
良晴は考える。
軍議で長秀と太助自身が言っていたように、織田軍を手玉に取った才能は確かに本物だ。
竹中半兵衛を味方につければ稲葉山城攻略は大きく前進、恩賞自由への道も拓ける。
そして、正史では秀吉の熱心な勧誘が功を奏した。となれば……。
良晴はうこぎ汁を一気にかきこむと、立ち上がった。
「よし犬千代! 美濃へ行くぞ!」
「美濃へ……何で?」
「竹中半兵衛をこっちの味方につけるのさ、つまりヘッドハンティングだ!!」
「信奈さんに話を通さなくていいんですか?」
「時間が惜しいし、嫌味を言われて話をこじらせるのもごめんだからな。お前から言っといてくれ」
(こじれる原因は、お互い子供過ぎるからだと思うんですけど)
そんな風に思いながらも太助は考えていた。
もちろん、良晴の自信が不安だからである。
何せ、良晴は信奈と会ってから、一歩間違えればすぐ死亡の綱渡り人生を送っているのだから無理も無い。
とはいえ、今回は表立って手を貸すと将来の信奈との仲に響きかねない。
(悪いが、今回は『七梨太助』としての協力は無しにしよう)
「現状で浅井家と同盟を結ぶのは零点です」
翌日の軍議の席で、丹羽永秀は開口一番で反対を進言した。
長政の真の狙いは、織田家を風下に置いて利用することにあるのは明らかだ。
しかも、美濃勢に惨敗を喫した今なら援兵を餌に信奈の妥協を引き出せると考えて、今申し出てきたのだろう。
が、上洛路を確保する為にも浅井との同盟は必要不可欠。
長政の狙いをくじくには、対等の同盟を結べばよい。その為には、信奈が独力で美濃を併呑し、国力で浅井を上回ればよい。しかし、その為には――。
「結局、稲葉山城をどうにかするしかないってことか」
やれやれ、という感じで柴田勝家が締めくくる。
「ええ。それも早急に。相良殿もそれを理解して美濃へ向かったのでしょう。報告を七梨殿に丸投げしたのは減点ですけど」
「随分張り切っておったからのう。本当に竹中半兵衛を調略してくるかもしれんの」
と斎藤道三。
ぎっくり腰は完治していないが、杖を使えば出歩けるぐらいにはなっている。
「恩賞自由の薬が効きすぎとるかもしれんのお、信奈ちゃんや?」
道三のからかうような言葉に、信奈が頬を桜色に染めながら呟いた。
「あいつ……もしかしたら、私に結婚を申し込むつもりかも」
まさかの爆弾発言に勝家はもちろん、長秀までもが啜っていた茶を吹いた。
「失礼しました。姫、どこからそのような考えを?」
「ええとね、ほら万千代。前回の恩賞、太助の言うとおりにしちゃったじゃない?」
「ま、『未来の』天下一の美少女『かもしれない』から、良晴おにーさんの希望を叶えてないわけじゃないけど」
「それでも詐欺みたいなものではありますけど……」
と翔子と長秀。
「それにぃ……わ、わたしと長政の縁談を、とても嫌がってるみたいなの。あいつってほら、口では私のこと可愛くないとか乱暴者とかいうし、どこの誰だかも分からない
長政とは見た目も出自も比較にすらならないけど……私の為にあれこれ尽くしてくれてるし、案外頼りがいもあるじゃない? 大体あいつの夢は天下一の美少女とい、いちゃいちゃ
することだから……もしかしたら私に「俺の嫁になれ」って言いだすんじゃないかな……なんて……だ、だとしたら、もう恩賞自由って約束しちゃったし、今度はもう誤魔化せないしぃ……」
畳にうねうねと「の」の字を書きながら、信奈が説明する。
「幾らなんでも飛躍しすぎです! 姫は由緒ある織田家の頭領、相良殿は出自不明の風来坊。下剋上疑惑の追及ではなく、ただの惚気話ではありませんか、零点です」
で、どんな話だろうと良晴関連で信奈が惑えばこの人が黙っていない。
「おのれサルめ……信奈様をこんな風に……ッ! 長政よりもはるかに危険だ、見つけ次第ぶった斬ってやるッ!!!」
「何言ってんの六? あいつは私の飼いザルなんだから斬ったら駄目よ」
「『私の』ッ!? うぁぁぁぁぁ〜! もう二人の仲はそこまでいってるんだぁぁぁぁ〜!」
一部始終を見ていた翔子は思った。
(七梨、頑張ってくれよ。信奈おねーさんとおにーさんの恋、結構面白そうだからさ)
山野辺翔子。
こういう生臭くも甘酸っぱい話題を、自分が面白いように引っ掻き回して楽しむのが大好きなのであった。
その頃、犬千代と共に美濃へと向かった良晴はというと。
稲葉山城の麓、井ノ口の町にある「鮎屋」という茶店を訪れていた。
五右衛門の情報によれば、この日この刻限にこの場所で竹中家が士官面談を開催しているのだ。
初出仕が明日に迫る竹中半兵衛だが、郎党に腕利きの侍がおらず、新たな家臣が若干名必要になったという。
そこで、浪人のふりをして竹中半兵衛の家臣となり、魂の説得で織田家に寝返ってもらう。というのが良晴の作戦だった。
その為に、御馳走をたっぷり注文して、お金持ちぶりをアピールして面接ポイントを稼いでいた。
三十三貫文と安月給の良晴がどこにこんな金を持っていたかというと、こっそり米の売り買いを続けていたからである。
もちろん信奈にばれたら大目玉だが、「飯を食うにも仕事するにも金がいる」と良晴はお気楽に居直っている。
「よーし犬千代。今日はご馳走をたらふく食おうぜ!」
「……お金、大丈夫?」
「そこらへんは心配すんな! ほれ、名物の鮎料理だぞ〜」
「……いただく」
犬千代の豪快な食べっぷりを見ていると、良晴の中にいたずら心が湧いてきた。
「ほ〜れ、あ〜ん」
犬にやるように鮎を犬千代の顔の前にぶら下げてみると……。
「……ぱくっ。……おいひい」
「ほ〜れ、もう一匹〜」
右へやったり左へやったり。犬千代の頭もそれに合わせて右へ左へ。
「へへ〜。何かお前を餌付けしたがる信奈の気持ちがわかった気がするな」
そんなまったりしている犬猿コンビを、奥の席から見つめるものが二人。
「なにやってるんですかね。あのサル人間は」
「―――――」
「『あれが竹中半兵衛の目に留まる為の作戦』ですって? まあ、道三様も、これからは銭の力で国盗りをする時代じゃと言ってましたが……
鬼の居ぬ間に何とやらにしか見えないです」
一人は長い黒髪を後ろで一つに束ねた、目つきの鋭い爽やかな美少女剣士「明智十兵衛光秀」
もう一人は、室内にもかかわらず紫色のローブを頭からすっぽり被っており、男か女かもわからない。
「ほんとに仕官する気が……ん?」
その時、良晴たちの席に見かけない親父が割り込んできていた。
身なりはなかなかよく、腰が低く、愛想も良い。
だが、笑顔の裏で腹に一物抱えていそうな、油断のならなさも感じさせた。
「あの方、安藤伊賀守守就殿です。美濃三人衆の筆頭で道三様の片腕だったですが……」
「―――――」
「『義龍とは折が悪い訳だ』その通りです。それに「毀誉褒貶これにあり反復常無き御仁」と言われるような方です」
「―――――」
「『半兵衛の悪評の半分はあの人のせいだな』? 確かに……」
見ていると、守就に連れられて犬猿コンビが席を立つ。
「仕官が決まったみたいですね。では、私は手筈通りに」
「―――――」
「『よろしくお願いします』ま、長良川での恩返しと思ってください」
そういって光秀も席を立った。
二人は安藤伊賀守に案内されて、半兵衛の居る奥の座敷に通されたが、良晴は上手くいきすぎることに不安を覚えていた。
(安藤のおっさん、もしや俺達が信奈の家来だと見破っている? だったら罠か、それとも織田家と繋がりを作っておいて、二股かけるつもりか。
だがここは、虎穴に入らずんば虎児を得ず! 必ず半兵衛を調略してやるぜ!)
覚悟を決めて入った奥座敷には、三人の先客がいた。
一人は行商人の姿をした艶やかな、どこかでみたような美青年。
「って、浅井長政ッ!?」
「貴様はサルではないか、何故ここにいる?」
「お、俺は……織田家を出奔して今日から半兵衛殿に仕官することにしたんだよ! お前こそなんでここにいるんだ!」
「言っておくが、私は近江商人・枡屋が一子、猿夜叉丸であって浅井長政などではない。まあ、よく似ていると評判ではあるがな」
「こいつさっきからずっとこの調子です。しかし、安藤殿も相変わらず食えない御仁。
織田家と斎藤家を二股かけるどころか、浅井家まで天秤にかけるとは。……竹中半兵衛を一番高く買ってくれる所に売り込むつもりですね」
「で、君は……誰だっけ?」
その言葉に、目の前のおでこ娘がずっこける。
「この明智十兵衛光秀を忘れたですか!? 正徳寺でも長良川でも会ってたじゃないですか! ええい、頭の中身までサルですね!!」
「…………あーあー! 蝮のおっさんの小姓か! 何でここに?」
「この人が竹中半兵衛に会いたいというので、道案内を頼まれたです」
最後の一人は、ローブを頭からかぶっている。
こちらの視線に気づいたのか、軽く会釈をした。
「お初にお目にかかる。いかにも、俺が竹中半兵衛重虎だ」
いったいいつの間に現れたのか?
奥座敷のど真ん中に、浅黄の木綿筒服をゆったりと羽織った男がごろりと寝転んでいた。
(こいつが竹中半兵衛……ゲームのイメージそのままだな)
細面に吊り上った長い目は狐を連想させる。
「俺は……」
「ああ、挨拶は結構。尾張の相良良晴に近江の浅井長政。いや失敬、ただの素浪人と商人の子、猿夜叉丸ということにしてほしいのでありましたな」
「すべてお見通しというわけか……」
「左様、当てが外れて残念であったな、浅井長政殿。しかし……」
半兵衛は光秀たちのほうへ視線を向ける。
「そちらの御仁は……『放浪者』か。まさか俺も出会うことになるとはな……」
『放浪者』と呼ばれた瞬間ローブの人の体がピクリと震えた。
「いや失敬、遠路はるばる、井ノ口までよくぞ起こしなされた。まずはみたらし団子と粗茶をどうぞ」
半兵衛が大儀そうに手を叩くと、頭に、オオカミの耳が飛び出している美少女が部屋に入ってきて、団子を積み上げた。
「その娘は、我が式神の『後鬼』ですよ」
「式神? 安倍清明が使役していたって言われているあの式神か?」
「左様。我が始祖をご存じとは、意外と相良殿は物知りと見える」
「いやあたまたまさ。ともかく丁度喉が渇いていたところなんだ、いただきますっ!」
良晴と犬千代は夢中でお茶と団子をぱくつき、みそ団子が嫌いな長政は眉をひそめて口をつけない。
光秀もお茶に手を伸ばそうとしたが、ローブの人がそれを手で制した。
「? 飲むなということですか?」
「竹中半兵衛。狐似なのは顔だけじゃなく、やり口も同じようね」
ローブの人のいきなりの指摘に良晴も犬千代も手を止めた。
「どういう意味かな?」
「『竹中半兵衛』に会わせろって言ってんのよ、こんなとんでもないものを食わせるくらいならね」
「とんでもない? ま、まさか毒でも盛ったのかッ!?」
「……そういえば……お腹、痛くなってきた」
「くっくっくっ。あーははははっ! いたずらを見破ったのが尾張侍では無かったのは肩透かしだが、流石は『放浪者』よ」
何と、半兵衛の顔がすっかり狐になっていた!
「どどどど、どういうことですか!?」
「面妖な……!」
「ふん。あんたほどの才能があるなら、調略にせよ暗殺にせよ、いずれ誰かが自分の所に来るぐらいは予測していたはず。
なら、影武者ぐらいたてておくでしょう? いたずらは趣味でしょうけどね」
そういうと、被っていたローブを顔の部分から外す。
その下から現れたのは、真紅の髪をポニーテールにした炎のような女性。
「ちなみに、アレ本当は何な訳?」
「ふふふふふ。馬のゆばり(小便)茶と馬糞団子よ」
今まで自分たちが舌鼓を打っていたものの正体を聞かされた途端、良晴と犬千代はせき込み始めた。
「うげえええ〜! ななななんてものを飲ませやがる!」
「おええ……」
長政と光秀「口にしなくて良かった……」と安堵。
「見たところ、貴様らの目的は我の調略であろう。団子でも茶でも食いきって土下座してみせれば斎藤家を捨てて仕官してやっても良いぞ。
さあ、どうするね?」
後書き
真紅の髪の女……いったい何者なんだ……?
管理人感想
ダークレザードさんからいただきました!
個人的に序盤一番の山場だと思ってる良晴・信奈・長政の三角関係勃発。
そして当然と言うべきか山野辺は良晴×信奈の応援に……いい加減自分の心配しろよ(爆)。
そして新キャラ登場。真紅のポニーなお姉さん。いったい何者なのやら。
さて、『信奈』原作で赤毛と言えば信玄だけど、登場には早いしポニーじゃないし……太助・ディケイド側でディエンド役かと思ったけど、この作品のディエンド枠はすでに剣に取られてるしなぁ……今後の正体バレに期待します。