織田信奈の欲望、前回の三つの出来事!

一つ! 織田軍は美濃軍に惨敗する!
二つ! 近江の浅井長政は、信奈を利用するため政略結婚を申し出る!
そして三つ!! 良晴は竹中半兵衛を調略するため、美濃を訪れる!!


「ゆばりの茶か糞団子か、どちらかを残らずたいらげて土下座すれば、そいつの下に仕官してやっても良いぞ」
「そ、それは……」
「おえっ……わかっちまったら吐き気が……」

長政も良晴も冷や汗を流しながら、果てしない長考に突入。

(妖怪変化相手にそこまでやるなんて、男のやることじゃねえ!
 だがしかし、だがしかしここで俺が頭を下げなきゃ、信奈がこいつに、信奈が……! うおおおお!)
「ええい! ままよ!」
「毒を喰らわば皿まで! どうとでもなりやがれ!」

お互い覚悟を決めて、団子を口にしようとしたその瞬間。

「えいっ」
「はあッ!」

犬千代の朱槍と真紅の髪の女の抜き手が半兵衛を貫いた。
こーんと一声泣いて、もんどりうって倒れる狐半兵衛。

「ぎゃーーッ!!?? せせせせ先輩、なんてことをしてくれやがってるですかーッ!!??」
「貴様ら、影武者とはいえなんてことを……!」
「いいいい犬千代、刺殺してどーすんだよ!?」
「……良晴、もののふには頭を下げていい時と悪い時がある。同じ頭を下げるにしても、卑屈になってはならない矜持を捨ててはならない。
 今頭を下げたら良晴はもののふではなくなっていた」
「騙し討ちをしてきた相手の要求なんて呑む必要はないわ。そもそも守るなんて思えないもの」
「だからって……!」
「それに……姫様のためとはいえ、あんなものを口にして土下座する良晴なんて見たくない」

珍しく頬を紅潮させて長台詞を呟く犬千代。

「犬千代……そうは言うがあんなものを食わされた怒りもちょっとはあるだろ?」
「……気のせい」
「どうするんですかこれ。って言うか本当に死んだですか?」
「大丈夫よ、ほら」

と、血の一滴もついていない綺麗な右手を見せる。

「あッ! もしかしてこの影武者、式神だったですか!?」
「どうすればいいのだ。これでは私まで暗殺の意思ありととられても仕方がない……」

その時、長政は障子の裏から気配を感じ、颯爽と障子を切り裂いた!
そこにいたのは……。


「くすん、くすん、い、い、いぢめないで……ください……」


犬千代よりもずっと華奢で小さい、浅黄の木綿筒服を羽織った、子リスのような少女が半泣きで腰を抜かしていた。

「えっと……立てるかい?」

助け起こしてあげようと、良晴が手を差し出すが。

「えい!」

少女はいきなり、良晴の眉間をめがけて腰の短刀をぶん投げてきた!
どうにか奇跡的に避けることが出来た良晴だったが、さすがにちびった。

「うおおおおおッ!? 危ないじゃないかッ!?」
「あうぅ……ごめんなさい、でもいぢめたくなったでしょう……?」
「いや、いじめないよッ! でもいきなりあんなことしたら危ないだろうッ?」

日々美女、美少女の味方、特に胸の大きな美女の味方である良晴も流石に声を荒げる。
が、少女が愚図り始めたのを見て慌ててあやしにかかる。

「ああ泣かないで〜。ほ〜ら怒ってない、怒ってないよ〜」

そんな良晴の額にドーマンセーマンのお札がペタリ。

「我が主を泣かせる輩め、成敗してくれる!」
「でえッ! さっきの狐半兵衛!?」

ドタバタ騒ぎを繰り広げる良晴たちをよそに、真紅の髪の女は、柱に刺さった短刀を手に取る。

「ねえ光秀、この刀なんだけど……」
「どれ……むむ! この刀は名刀『虎御前』! まさか……」

そこに、仕官志望の浪人たちを店から返していた安藤伊賀守が慌てて戻ってきた。

「おお、やっぱりこうなってしまったか」
「安藤殿、虎御前を持っているということは……」
「そうじゃ、その子が正真正銘、真の竹中半兵衛じゃ」
「なんだってぇぇぇぇぇ!?」


第9話「おめん子軍師と調略合戦と良晴の欲望」


「いや申し訳ない。半兵衛は幼い頃からいじめられ癖があっての。初対面の相手は自分をいじめるかどうか試さなければ、まともに話も出来んのじゃ」
「そこで今回は、この俺「前鬼」が主の影武者を務めていたわけよ」
「ごめんなさい。わたし、おめん子なんです」
「えええええェ〜!? お、おめッ……!?」

戸惑う良晴に、光秀がジト目で解説する。

「美濃弁で『人見知りする子』という意味ですよ。何いやらしい聞き間違いしてやがるですかサル」
「あ〜あ。ポイ単語を聞くとすぐ『そっち』に行くんだから、いやよね〜」
「……目つきがいやらしかった」
「ちょっと驚いただけなのにこの言われよう……ん? そう言えばあんたどこの誰だ?」
「そういえば、名乗っていなかったわね。私の名はリリィ。主の命を受けて竹中半兵衛を斎藤義龍から離間させることが目的よ」

そういうと、リリィは良晴と長政の肩を叩く。

「というわけだから、頑張って頂戴」
「はあ? 調略に来たんじゃないのかよ」
「うちの主は半兵衛の才能を惜しんでるのよ。韓信の二の舞にならぬように私をよこしたって訳」
「リリィ殿の主は、そこまで半兵衛を評価しておられるのですか」
「だから、義龍から離間できればあとは半兵衛殿が隠居しようが、新たな主に仕えようが自由にしていいのよ」

ちなみに韓信とは古代中国の武将で、劉邦を勝利に導いた漢の建国の立役者の一人である。
だが、終戦後そのたぐいまれなる才能が下剋上に使われるのを恐れられて暗殺されてしまった。
その才能の凄さは、同時代の別の軍師が己の主に「彼を重く用いないのであれば、必ず殺してしまうように」と忠告していた程である。

「まあともかく各々方! 半兵衛を妬む家来は大勢おる! 明日の出仕の際に半兵衛が誰かに虐められても切れぬよう、くれぐれも守ってやってくれい!」
「むしろ虐めた側の心配をした方がいいのでは……」

光秀は思わず呟いていた。


翌朝。
半兵衛主従は稲葉山城へと向かっていた。
この城は山そのものを天然の要塞とした巨大な山城で、東西を山に囲まれ、北と南は長良川・木曽川が天然の堀となった背山臨水の王都なのである。
先頭の半兵衛は「重いから」ということで具足をつけずに木綿筒服に一ノ谷の兜。
乗ってる馬も「大きいと怖い」ということで驢馬みたいな小さい馬。
女の子とはいえ、これで「侍」を名乗れば侮られるのも無理はない。

「しかしおっさん。前日に募集するなんて半兵衛ちゃんほどの軍師なら引く手数多じゃないのか?」
「うむ……もうわかっとると思うが、半兵衛は陰陽師としても、日本随一の凄腕でのう。恐れられて、美濃の人間は誰もよりつかなかったのじゃ」
「ふーん(人知を超えた才能……半兵衛ちゃんもある意味信奈と同じなんだな……)」

良晴たちがそんなことを話していたのと同じく、最後尾の光秀とリリィも真剣な様子で会話していた。

「光秀。昨日、伊賀守殿が言っていた妬む家来に心当たりはある?」
「斎藤飛騨守なんかは怪しいです。こいつ、戦の駆け引きはからっきしですが、人の足を引っ張るのだけは達人です」
「主君に黙って出る杭を打ったり、除いたりは?」
「やりかねないです」

そんな話をしている間に稲葉山城の門についた。その瞬間、半兵衛の顔に何かが浴びせられた。
見上げると、男が用足し中の柴犬を抱きかかえて門の上に仁王立ちしている。

「あ! リリィ殿、あいつが斉藤飛騨守です!」
「あんた! こんな子供にそんなことをやるなんて、やり過ぎなんじゃないの!?」
「ふん! 今日まで出仕を渋っていた不忠者には丁度……何? 子供?」

半兵衛は一瞬何が起きているのか解らなかったが、次第に大きな瞳を潤ませ、

「……きゃああああああ!!」

子リスのように黄色い悲鳴を上げた。

飛騨守は、自分こそ年端もいかぬ女の子に犬の小便をひっかけるという、切腹ものの粗相をやらかしてしまったことに気付くと門から転がり落ちて、
「違うのだ! 拙者は幼女にこんなことをする趣味は、決して……!」と言い訳を始めた。

「おっさん、あいつもしかして半兵衛の事を……?」
「うむ、今日が初出仕だからのう……いやしかしこれはまずい」
「何がまずいんだ?」
「わっちをはじめ、美濃の国人達は皆、子供を大切にするのでな……」

と伊賀守が語ろうとした時、騒ぎを聞きつけた義龍たちがぞろぞろと門の周りへ集まってきた。
そして「絶世の美少女が濡れ鼠となってしくしくべそをかいている」姿を見て鼻息も荒く「体を拭いて着替えさせて頭なでなでするのはこのワシだ!」と全員で突進してきた。

「こいつら全員ロリコンかよッ!?」
「うむ、じゃから出仕を断っておったのだ……」

混乱していた半兵衛は、変質者の群れと化した義龍達を見て、ついに切れてしまった。

「い、い、い、いぢめ……いぢめないでくださああああい!!」

お札が乱れ飛び、前鬼・後鬼だけではなく、さらに十二体もの式神が召喚される!
これを見て、義龍たちも、目の前の幼女こそが、大陰陽師にして大軍師、竹中半兵衛だと知った。

「我が主を辱めた罪、決して許さんぞ!!」

哀れ、義龍たちは式神軍団から逃げ惑う破目になってしまった。


「おお、気が付けば城がもぬけの殻になってしまったわい。ということは稲葉山城はわっちらの物? でかした半兵衛!」
「「喜んでる場合かよ(ですか)おっさん(安藤殿)!!」」

のんきに喜ぶ伊賀守に突っ込む光秀と良晴。

「あ、あああ、む、む、謀反してしまいました……」

いぢめられます……と事の重大さに震えあがる半兵衛。

「半兵衛殿、してしまったことは仕方がありません。この稲葉山城を手土産に私――浅井長政に仕えませんか? もちろんいじめませんとも。
 それどころか、貴方をいじめる悪い男達からこの猿夜叉丸が生涯お守りいたしましょう」

実に手慣れた様子でいきなり半兵衛を口説き始める長政。

「ちょっと待つです! 信奈様に『愛は無いけど政略結婚しましょう』なんて言って求婚していたのはどこの誰ですか!」
「戦国の大名たるもの、妻は何人いても構わぬ。それに現実主義者で大きな夢を追う信奈殿には大人じみた殺し文句が一番効くのです。
 それとは逆で、慎ましやかな半兵衛殿は幼い言葉で口説くのが最善」
「おい。それってつまり、舌先三寸の言葉をその場その場で使い分けてるってことじゃねえか!!」
「女子に愛される秘訣を教えてやろうサル。それは相手が見たがっている夢を言葉にして与えてやることさ。それに、私は信奈殿は愛していない。
 だが半兵衛殿は真剣に愛しているさ」
「嘘をつけ嘘を! 女の子を出世の道具扱いしてるくせに!」
「ふん。心にもない嘘をついている貴様には言われたくないな……」
「きぃぃぃ! 犬千代! 朱槍を貸せ、この結婚詐欺師とマジで決着をつけてやる!」
「サル人間、今だけは応援してやるです! やっちまうです!!」

ゴンッ、ゴンッ、ズゴンッ!!
と騒がしい三人の頭にリリィの拳骨が振り下ろされる。

「いい加減にしなさいよ! 濡れ鼠になった半兵衛を何時までそのままにしておくつもり!?」

犬千代、着替えに付き添ってあげて、と指示を出すリリィ。

「それと浅井長政、一つ言っておくわ」
「何でしょうか」

リリィは、右手の人差し指で天を指しつつ、こう言った。

「お母様がおっしゃられていたわ『名物にうまい物無し。謳い文句が豊富な料理はまずいと思え』ってね」
「……はあ……?」
「元が悪いものほど、人は綺麗な言葉で誤魔化そうとするってことよ」

にらみ合う二人。
だがこの人は全く気にしていなかった。

「それではわっちは祝いの酒を用意するとしよう、今日は宴じゃ」
「あんたはもうちょっと現状に危機感を持てよ!?」

のんきな伊賀守に「私も同行します」と長政もついていった。


良晴たちと着替えた半兵衛は城の一室で、二人を待つことにした。

「しかし稲葉山城がこんな形で手に入るとは幸運だったぜ。半兵衛ちゃんの式神軍団がいれば、義龍たちが城を取り返しにきても大丈夫そうだな」
「あの……それが駄目なんです。陰陽師が式神の召喚や陣の建築など行う際には護符が必要なんですけど、さっきの騒ぎで護符を全部使ってしまいました……」

陰陽師たるもの、常に何枚かもっていなければならないたしなみなんですけど、と半兵衛。

「護符はどうやって調達するの?」
「護符そのものは紙に筆で印をかけば大丈夫です。でも式神を召喚できるようにするには晴明神社にて霊力を注入しなければなりません」
「晴明神社って確か京にあるんだっけ?」
「本拠は京ですが、晴明神社は実は日ノ本の各国にあるんです。安倍清明公を祀るのみならず、陰陽師たちの霊力注入や修行、情報交換の場としても活用されています」
「この近くにもあるのか?」
「美濃の晴明神社は大垣にあります。私の居城・菩提山からほど近いところなのですが……」
「大垣ですか……遠いですね」

光秀の遠いという言葉に、良晴は頭から戦国ゲーム知識を呼びだした。
確か――西美濃にその名前の支城を建てられたな、あのあたりがそうならもう関ヶ原の近く、ほとんど近江との国境だ。

「往復の時間を考えると、信奈を呼んでも義龍が先に取り返しに来るだろうな……」
「半兵衛が城を離れれば、攻め込まれる可能性も高くなるでしょうね」
「うーーん。安藤のおっさんとも相談した方がいいかな……ってそういやおっさんは何やってるんだ?」
「確か、酒を取りに行くと言ったきりです」
「……犬千代が捜してくる」

ふと、良晴は半兵衛が居心地悪そうにしているのに気が付いた。

「ひょっとして、人が多すぎるかな? だったら俺達は外に出てるよ」
「あ、いえ、大丈夫です。……あの良晴さん、リリィさんも聞いてください。私は浅井にも織田にも付くつもりはありません。
 稲葉山城も義龍様にお返しするつもりです」

そして、半兵衛は怯えきった様子で言った。

「それに織田信奈殿と蝮様は怖いです。お味方するなんて絶対無理ですッ。くすん」
「ねえ、そんなに怖いの? その二人」
「まあ、第一印象はなあ……(初対面で殺されかかったしな)」
「むぅぅぅ……道三様の悪名はこの十兵衛もかばえないです……」

リリィの素朴な疑問に、二人を知ってる良晴も光秀もフォローの言葉が出てこない。
そこに犬千代が戻ってきた。

「良晴、安藤殿がどこにもいない」
「どういうことだ……? そう言えば長政の奴もさっきから見当たらないな」
「浅井長政なら、安藤殿と一緒に酒を取りに行くと言っていたですが……」
「嫌な予感がするわね……、犬千代と光秀は半兵衛と一緒にいて! ともかくみんなで探しましょう」

犬千代と光秀と半兵衛組と、良晴、リリィで城内をくまなく探したが、伊賀守も長政もどこにも見当たらない。
探し回っていると、ある部屋で長政の手紙を見つけた。半兵衛宛だ。
内容はこうであった。


サルの居るところでは愛を語らえぬゆえ、ご無礼をお許しいただきたい――安藤伊賀守を返してほしくば、サルのいない所で今一度二人きりでお会いしたい。
刻限は今宵、四つ半。場所は長良川の中州――墨俣にて。来ていただければ、叔父上をお返ししよう。


慇懃なデートの御誘い文句だが、ありていに言えば脅迫状であった。

「そ、そんな……叔父様が……」

自分のせいで家族が攫われた。そのショックに耐え切れず、半兵衛は気を失ってしまった。



竹中半兵衛は心の中に真の勇気と「義の心」を持っていた。
彼女には有り余る知略と采配の才があるが、「自分の欲望」は極めて希薄で、菩提山でひっそりと晴耕雨読の暮らしを続けられればそれで満足だった。
義龍の下に出仕したのも父代わりに自分を育ててくれた伊賀守に対して「義の心」で返すためだった。
「自分の欲望」を持てなかったのも生まれつきの虚弱さと、過ぎた賢さから「自分は何一つなせずに、この世から儚く消えてしまうだろう」と
自分の限界をあまりにも早くに悟り、諦めてしまったからかもしれない。
しかし、「自分の欲望」が無いということは「この世に自分がいようがいまいが同じだ」という虚しさに支配され、人として生きていると言えないということでもあった。
だから半兵衛は、己の器を「欲望」ではなく「義志」で埋めることで生きてきた。
そんなことを闇の中で感じながら、半兵衛は気が付いた。
自分が今まで生きてきた中で見たことのない『光』が闇の中に差し込めている。
半兵衛は『光』に手を伸ばし…………。
目を覚ました。

「ここは……稲葉山城……?」

自分はいつの間に眠ってしまったのだろう? そう考えていると、おかゆを持って良晴が部屋に入ってきた。

「お、目が覚めたか。半兵衛ちゃん」

おかゆをフーフーしながら半兵衛に食べさせてあげる良晴。

「それにしても、手紙を読んでたら突然倒れたからびっくりしたよ。体調が悪いなら言ってくれればよかったのに」
「ごめんなさい……式神の召喚で体力を使い過ぎたみたいです……。あ! わたし、長政殿の所に行かないと……!」
「まだ安静にしてなさい。刻限はまだ先なんだから……ね」
「それに、一人で行くのは危険」
「はい、安藤殿が人質になってますし、向こうも待ち伏せしているはずです。一人で行けば半兵衛殿は確実に攫われるですよ」
「でも、私が行かないと叔父様が……」

不安がる半兵衛に、良晴は笑って言った。

「だから、俺達も一緒にいくのさ! 稲葉山城よりも、半兵衛ちゃんと安藤のおっさんの方が大事だからな!」
「あ……ありがとうございます……ッ」
「相良氏、全部の実を拾おうとは少し厚かましいのではござらぬか?」

その時、外から聞き慣れた舌足らずな女の子の声がした。

「五右衛門か。呼んでも来ないし、今までどこにいたんだよ」
「め、面目ござらぬ。実は、式神どもに追い回されて山中を逃げ回っておりまちたゆえ」
「何で、義龍たちと一緒になって追われてんだよ……」
「それよりも相良氏、ちとお話ししたき事が……」

そして、五右衛門はこう語った。
理屈をこねて時間を稼ぎ、伊賀守を見捨てたほうがいい。
そうすれば半兵衛は武門の名に懸けて叔父の仇を討たねばならない。義龍は二度と半兵衛を用いないだろうから、半兵衛は良晴と手を組むしかない。
これで稲葉山城は信奈の手に入るし、良晴も大出世。ついでに浅井有利の同盟もできなくなって婚儀も解消の一石三鳥である。
もちろん、噛んで噛んで噛みまくりだったために良晴が聞き取るのにだいぶ時間がかかったことは言うまでもない。
そしてこれも言うまでもないことだが、良晴が五右衛門の献策に心を動かされることは、一瞬たりとて無かった。

「いいか五右衛門。そんな献策二度とするんじゃねえ。俺はな、木下藤吉郎のおっさんの志を継いだ男、日本全国の可愛い女の子の味方、相良良晴だ!
 半兵衛ちゃんにそんな悲しい思いはさせられねえ! ここは稲葉山城を捨てて、おっさんを助けに行く!」
「ふふ、そういうと思っていたでござるよ」

「あんた、自分が今何を言ったのか分かってるの……?」

ふと振り向くと、リリィが仁王立ちをしてこちらを睨んでいた。
誰がどう見ても、今にも切れそうなのを必死にこらえようとしているのだと分かった。

「もちろんだ。半兵衛ちゃんの父親代わりのおっさんを殺させて、その感情を利用しようなんて、人間のやることじゃねえ!」
「ええ、それは正しいわ。でもね、今あんたは敵であるはずの半兵衛の感情と、主君である織田信奈の欲望を秤にかけて敵のほうを選んだのよ?
 あんたはこの先ずっと! こんなことが起こるたびに同じ選択をして、主君の欲望を叶えるのを先送りにしていくっていうの?」

そこでリリィは言葉を切った。

「私が言いたいのはそれだけ。で半兵衛殿はどうしたいの?」
「あ、あの、良晴さん……」

半兵衛は、良晴と浅井長政そして信奈を巡る大体の状況を既に察していたし、浅井長政との結婚話を巡る織田家の内情も犬千代からこっそり教えられていた。
良晴は決して口には出さないが、主君の信奈に対して憧れを――もしかしたら、恋を知らない自分がまだ味わったことのない、強烈な想いを抱いているのだろう。
ここで自分を助けるために稲葉山城を手放せば、それほどに思っている信奈を諦めねばならなくなるかもしれないのに、それなのに、『半兵衛を斬って
稲葉山城を奪おう』という選択を思い浮かべもしない。それどころか、リリィの言ったように主君の信奈と自分の重みを秤にかけつつ、さもそれが当然のように決めてしまった。
半兵衛は今、敵であるはずの良晴から、自分も報いなければならないと思う程の「義の心」を受け取っていた。

「良晴さんは織田信奈殿の為にこの城が必要なんですよね? でしたら、この城は良晴さんに差し上げます。わたしは、一人で墨俣へ行きます!」

しかし。
良晴と犬千代は笑顔で、リリィと光秀はしょうがないなという顔でその宣言を却下した。
良晴に「今の俺達は半兵衛ちゃんの家来なんだ。無理しなくていいんだぜ」と頭を撫でられた時、半兵衛は泣いた。
怯えて流す涙ではなかった。もしかしたら生涯で始めて流す「嬉し涙」なのかもしれなかった。


こうして。
半兵衛主従は闇に潜む五右衛門を加えて、夜陰に乗じて山城を抜け出し、川並衆の筏に乗って長良川を急行。
一路、墨俣へと向かった。

「はぁ〜。今頃義龍は稲葉山城に戻ってるでしょうねぇ〜。まったくサル人間ときたら、信奈様の僕の自覚があるんですか?」

先程から光秀はぐちぐちと良晴に向かって嫌味を言ってくる。
言われるまでもなく良晴も、これが信奈を怒らせかねない選択だというのは分かっていた。
だが、半兵衛のようなか弱い女の子に仇討の運命を背負わせたくないという想いは本物だった。
長良川を一気に下り、中洲の墨俣を川並衆は筏の船団を率いて急襲。
ところが――。

「あれ? 誰もいない」
「人っ子一人いやしねえ」

墨俣には、猫の子一匹いなかったのだ。
見つかったのは手紙が一枚だけ。
良晴は手紙を読み終わった時、思わず「やられた!!」と声をあげていた。

『義理堅い半兵衛殿は謀反人になるのを嫌がっておられるご様子。
 しかし相良良晴がいては稲葉山城を斎藤義龍に返還することはできない。
 そこで私は一計を案じ、あえて裏切り者の役を買って出た次第。
 今頃、憎い私を討ち果たす口実を得た相良が半兵衛殿をかどわかしてこの墨俣を訪れていることでしょう。
 これで半兵衛殿は謀反人の汚名を免れました。
 だがこれだけの騒ぎを起こし、美濃に帰参するのは無理でありましょう。
 我が近江に参られよ。
 安藤伊賀守は、半兵衛殿が我が家臣となった時にお返しいたしましょう』

「ふん。自分優位の同盟を結ぶためなら手段は選ばないというわけね」
「くそッ。こうもあっさり長政が稲葉山城を捨てるとは計算外だったぜ……」
「……半兵衛さえ家臣に出来れば自力で稲葉山城は盗れる。長政はきっとそう考えている。それに、例え盗れなくても姫様も盗れなければ同じこと」
「けど、政略結婚による尾張の吸収にこだわり過ぎてないかしら? 信奈を愛していないって明言してるのに」
「……理で考えれば天下統一を志す自分にとって同じ志を持つ姫様は最適の妻、そう考えているはず」
「そんな馬鹿な。信奈様の『天下』と浅井長政の『天下』が同じなはずないですぅ!」

光秀の言葉は良晴の内心の代弁でもあった。
浅井長政は行動力もあり策謀にも長けているが、視野の広さ、器の大きさは信奈に遠く及ばない。
そしてリリィも長政の行動に違和感を感じていた。

(長政のこだわり様には、自分の行為を肯定しようとする執念すら感じる……信奈さんの夢をつぶすことで何を……)
「リリィ殿……先輩!」
「ッ!? あ、ああごめん光秀、なにかしら?」
「義龍の手勢が半兵衛を討ちに来るかもしれないというので、半兵衛を菩提山へと送り届けることになったです。先輩はどうするですか?」
「そうね……最後にもう一度半兵衛殿と話して、それから尾張に引き上げるわ」

そう言って半兵衛に近づくと、良晴と話しているらしかった。

「……そんなに大切なら、誰の手も届かない所に隠してしまえばいいんですッ。誰も姫様を傷付けられないように大切に大切に、お城の奥へと仕舞い込んでしまえば」

リリィには、その言葉がこう聞こえた。
わたしだって本当は世に出たくなんて無かったんです。そうすればこんな目にあうことなんてなかったのに、と。

「それは違うぜ、半兵衛ちゃん」

そう言って良晴は天に輝く月を指差した。

「例えばだ、半兵衛ちゃんが陰陽の術であの月をどこかへ隠せるとして……そうしようって思うかい?」
「……いいえ、月は好きですけど、そんなことしたら困る人が大勢います。いくら好きだからって、私一人で独り占めしていいものじゃないです」
「そうだな。それに月の奴だって、夜空で輝いて、夜を美しく照らし出す力を使いたいはずさ。だってそうでなきゃあ、月が月でなくなっちまう。
 それと同じさ、俺にとって信奈は。あいつを手元にかくまっちゃ、意味ねえんだよ。あいつがあいつでなくなっちまう。俺はな、あいつを天下に輝かせたいんだよ」
「……天下に輝かせれば、その輝きで影が生まれます。多くの敵を作り、良晴さんの大切な人は、もっと苦しむことになると思いますよ」
「そんなものは、俺達家臣の手でなんとかすればいい。あいつを守りながら、同時にあいつを輝かせる。それが俺の欲望なんだ」

半兵衛はこの時、良晴に何かを奪われたと感じていた。
義の心に火をつけられたという感覚とも、また違う。
感情、信念、情熱。それら全てでできた、それらよりもさらに熱く、激しく、眩しいもの。

「そ、そんなの子供の言いぐさです」
「子供でいいよ。誰に何と笑われようが、俺は『諦め』たく無いんだ」

今度こそ、私はこの人に、大切なものを奪われた。半兵衛はそう確信していた。

「良晴さんは本物のお馬鹿さんです」
「かもな」
「優し過ぎて戦国の世に向いていないのかもしれません」
「死んで、もともとさ」

そのまま長い時間が過ぎた。
そして、半兵衛はこっそりと、良晴だけに聞こえるようにつぶやいた。
何度もためらった。しかし、生まれて初めての恐怖が自分を後押しした。
今言えなかったら、やっと見つけた自分の欲望をなくしてしまうという恐怖が。

「私も――あなたを天下に輝かせながら、あなたを守ってあげたいです」

良晴は半兵衛が何を言ったのかが、一瞬理解できなかった。

「え、それって……」
「竹中半兵衛は相良良晴殿に仕官します。よろしくお願いします、我が殿」

良晴は驚きのあまり思わず半兵衛の足元に土下座して悲鳴のような声を漏らした。

「ありがてぇ……ホントにありがてぇ……!」
「頭をお上げください、我が殿。これからは殿の為にわたしの知略と陰陽の術を思う存分お使いください」
「いや違う! 半兵衛ちゃんは俺の家臣じゃねえ! 仲間だ! 家族だぜ! だから今まで通り良晴さんって呼んでくれ、こそばゆいからさ」
「……くすっ。やっぱり戦国武将なんて似合ってませんね。良晴さん」

竹中半兵衛は――。
こうして、相良良晴の仲間になった。


管理人感想

 ダークレザードさんからいただきました!

 稲葉山城奪取の流れがひでぇ(爆笑)。
 とりあえず、城の守りには半兵衛か犬千代かねねを置いておけば万事解決するのでは。敵に攻められても城下の連中が勝手にバーサークしてくれるぞ(マテ

 大垣という地名に今更ながら「あぁ、この話モリビトの地元でやってんだよなー」と実感(←岐阜県民)。
 今度聖地巡礼でもやってみようかな……けど金崋山(岐阜城)の徒歩登山は勘弁。あそこの登山道、あんなの“道”じゃねぇ(苦笑)。