「どうやら、折れたようですね」

良晴の咆哮を聞きつけたシンが言った。

「一つを拾うために、一つを失う。努力が足りないばかりに、あの忍びの命を支払う破目になってしまった」

またしても、新たな一団が墨俣に到着した。

「あの旗印は大沢正秀殿!? こ、ここにきてあの方までが……」

「鵜沼の虎」の異名で知られ、美濃三人衆と並び称される武将の登場に、光秀も膝をつきそうになる。

「これで『相良良晴の物語』は終わりですね。それも最悪のバッドエンドというやつで」


「それはどうかな?」


ディケイドが不敵に笑ったその時だった。

「た、竹中半兵衛重虎、義によって……いえッ、義よりも大切なものの為に良晴さんに助太刀いたします……!」
「大沢治郎左衛門正秀、先の約定に従い七梨太助殿にお味方いたす!!」
「みみみ美濃三人衆筆頭、この安藤伊賀守も仕方なく相良の坊主にお味方いたす……あう、あうあうあう」

川並衆から借りた手勢と式神軍団を引き連れた半兵衛が子馬に跨り、ふるふると震えながら采配を振り下ろした。無事に救出された安藤伊賀の守も一族郎党の兵を引き連れて
一斉に美濃勢の背後から墨俣の戦場へと割り込んできた。
加えて、大沢正秀の一団も美濃勢に攻撃を加え始める。

「半兵衛、やはりそなたは儂を裏切ったのだな! この謀反人めが!」
「殿には御恩がありますが、私は――私は良晴さんに我が軍略と知謀を捧げることにいたしました! 例え謀反人と蔑まれようとも――後悔はありません!」

あの荒武者を見ると怯えてばかりだった半兵衛が、戦場の只中だというのに、六尺五寸の大男に睨まれながら大音声で叫ばれても、泣きも怯えもしない。
彼女の戦場における天才的な軍師振りと陰陽師としての実力の双方をその瞼に嫌というほど焼き付けられてきた美濃勢の侍たちは、一斉に腰砕けとなった。

「どういうことですか七梨先輩!? いつ大沢殿に接触を!?」
「五右衛門さんが安藤殿を救出してから今日までの間ですよ。安藤殿から『出仕もままならないほどの重病』になった国人たちを聞き出して密かに口説いていたんです。
 しかし、半兵衛殿がここで動いてくれたのは幸運でした」


第11話「援軍と決着とぎふの城」


美濃勢は、半兵衛と伊賀守の軍勢に背後を盗られて大混乱。加えて味方と思っていた大沢正秀に攻められるとあって、次々と戦意喪失し始めた。

「安藤伊賀守! 親父殿が取り上げた国人共の権益を儂が尽く返してやったというのに裏切るとは!」
「こここの安藤伊賀守、義龍殿に叛意は無い! 無いんですぞ殿ッ! し、しかし、半兵衛が、半兵衛が……」
「ま、安藤殿は命を救われた弱みと、半兵衛さんの毅然とした態度に気圧されて仕方なくといったところだろうけど」
「ですが、三人衆の筆頭である安藤殿がこちらについてくれたのは大きいですよ!」

光秀の言うとおり、その衝撃は美濃三人衆の残り二人――稲葉伊予守一徹良通と氏家卜全直元にも伝播した。
二人とも主君の義龍が形勢不利になったからと言って損得勘定で寝返るような男ではなかったが、そろって竹中半兵衛の崇拝者だった。
織田勢を二度も撃退したその神算振りと奪った城を義龍へ帰す欲の無さ。後は相応しい主君にさえ出会えれば戦国乱世を平定する「今孔明」となるべき娘、と高く評価していたのだ。
しかし、残念ながら義龍は半兵衛を使いこなせる器ではなかった――。
このままでは半兵衛は世から消えてしまい、乱世は永遠に続くのではなかろうか。二人はそう嘆きあっていたところだったのだ。

「義理堅い知将半兵衛が多勢に無勢を承知しつつこの窮地に駆け付けお味方するとは、相良良晴なる者はよほどの器量人」
「見よ見よ。半兵衛殿のお顔がまるで別人のように輝いておる。遂に臥龍は使えるべき主と巡り合い、天翔の龍となるか」

二人は口々に叫びながら、一斉に軍勢を義龍側へと向けた。
これで、両軍の戦力はほぼ互角。
いや、士気を喪失しつつある義龍側が圧倒的に不利だった。

それでもなお、義龍は「ここが死に場所」とばかりに鬼の形相で立ち上がり、六尺五寸の巨体を駆って次々と足軽兵を薙ぎ払っていく。

「わしは負けぬ、絶対に負けぬ! この儂こそが美濃の国主! 親父殿よ、うつけ姫よ、儂の命ある限り美濃は決して奪わせぬ、それを思い知れい!!」

怪物じみた巨体を誇る義龍の鬼の執念が、一度は壊乱しかけていた美濃勢を立て直していた。
いや、敵から逃げれば義龍に殺される。十割の死よりも一厘の生を求め美濃勢の足軽達は次々と死地へと飛び込んでいった。

「これはこれは。鬼と化した今の斎藤義龍には、竹中半兵衛の理も通じないようですね。おまけに病弱な彼女は、この過酷な戦場にいるだけでも心身を疲弊させているはず。やはり結末は変わりませんでしたね」

シンの言う通り。後一撃で墨俣の城門へと義龍が到達しようとしていたその時。

「来る」

ディケイドがそう呟いた。
それに答えるように、尾張側から、聞き覚えのある声が――。

「墨俣城はあと少しで完成よ! みんな、美濃勢を追い払うのよ!」

南蛮風の甲冑を着た信奈が、一騎駆けで駆けてきた。
そして、そんな信奈の背後からも――。

「墨俣城築城失敗の汚名をえ〜っと……返上すべく柴田勝家ただいま見参!」
「我らが全軍で押し寄せてきたのを見て、敵は浮足立っています。九十三点」
「サル君、七梨君、この尾張の貴公子、津田信澄を置いて行くなんて水臭いじゃないか!」
「……良晴と太助をいじめるものは許さない」

信奈が総動員した尾張の全軍勢が、川を渡り、一斉に墨俣へとなだれ込んできた。
予期せぬ織田軍の破竹の進撃に美濃勢は、震え上がった。


「まさか、稲葉山城ではなく斎藤義龍の首を狙ってくるとは……」

シンにとっても、先頭で指揮をとっていた斎藤義龍にとってもこの事態は予想外だった。
用心深い義龍は、稲葉山城にもたっぷりの守備兵を残しておいた。兵力が少なく、城攻めを苦手としている信奈なら、墨俣と稲葉山城に軍を分けても
充分織田勢を各個撃破できる――そう踏んでいたのだ。
しかしこのまま、肝心の大将である自分が、この墨俣で討たれてしまえば、守備兵はこぞって信奈に降るほかはない。
策士、策にはまるとはこのことであろうか。もはや背に腹は代えられぬと、義龍は稲葉山城の守りを固めるべく、断腸の思いで兵を引かせた。

「あるいは、単純に相良良晴の救援か……。まあこれで斎藤義龍の敗北は確定的になりましたし、後は織田信奈の手際を拝見するだけです」

そう言ってシンは姿を消してしまった。

「先輩……あいつは何者ですか?」
「敵です。俺の……この世界の」


「相良良晴の墨俣一夜城」は、伝説となった。
戦勝に沸く墨俣城。
変身を解いた太助と光秀は、馬上の信奈に平伏した。
良晴は血に塗れたまま、横たえた五右衛門の傍に膝をついている。

「あれ、良晴さん、半兵衛さんは? 城の中に入って行ったのを見たんですけど」
「……がたがた震えて櫓の中に隠れちまったよ……まだ信奈に会うのは怖いらしい……」
「さっきの戦では、稲葉殿と氏家殿をこちらに引き込むために、無理をしていたんですね……」
「しかし、信奈さん。何故こちらに? 俺達を囮に稲葉山城を攻めるという手もあったのでは?」
「ふん。サルを捨て殺しにする気満々だったけど……サルと同じで、私も欲張りなの。墨俣に城も建てたかったし稲葉山城も盗るつもりよ。何も諦めない主義なんだから」
「まあ、寄せ手の少なさからして、義龍はかなり多くの守備兵を稲葉山城に残していたみたいですし……」

良晴は、辛くも命を拾った。
それと引き換えに、五右衛門の命を取り零してしまった――。

「――その乱破には、気の毒なことをしたわね」
「ああ。戦ってのは、どうやったって人が死ぬな。嫌なもんだ……」
「サル……あんたの罪じゃないわ。築城を命じた私の罪よ。元気、出しなさい」
「ああ。わかってらぁ。分かってるけど……それでもよぉ……うっ、うううう……」
「泣き虫ね。それでも、侍なのかしら」

そんな憎まれ口を叩く信奈の目にも、見つめる光秀の目にも、うっすらと光るものが浮かんできた。
しかし、その時。
横たわっていた五右衛門が、どっこいしょ、と体を起こした。

「五右衛門!? お前、どうして……!?」
「忍びは戦の折、素肌に鎖帷子を着こむのでござる。弾の一発くらいなら防げまちゅる」
「何だよ……! 俺はてっきり……!」
「欲深な相良氏には、一度くらい『実』を失う思いをさせておかにぇばなりまちぇんからな。ふふふ」

五右衛門が死んでいなかった!
あまりの嬉しさに良晴は五右衛門を抱きしめて頬ずりし始めた。

「わ。わ。わ。ははは離すでござる、お、おにょこにだきちゅかれるとちぇっちゃ、ちぇっちゃ〜!」

嬉し過ぎて五右衛門の言葉すら耳に入らない良晴。
結局、完全にブチ切れた前野某たち川並衆に袋叩きにされるまで頬ずりを止めなかった。


稲葉山城の戦いは最終局面を迎えていた。
竹中半兵衛と美濃三人衆、それに大沢正秀が織田方につき、瑞龍寺山の砦はたちまちのうちに名誉挽回(本人にとっては名誉返上)に燃える勝家に攻め落とされた。
そして、とうとう稲葉山城を残すのみとなったのだが……。

「力押しでは時間がかかり過ぎるわ。でも少数の手勢で城内へ潜入して内側から門を開ければ、もしかしたら……」

すかさず長秀と勝家がそれぞれ決死隊に志願するが……。

「お二人はまだまだ信奈様に必要です。ここで命を賭けさせるわけにはいきません」
「太助の言う通りよ、却下」

そう言った信奈は、ちらりと信澄に目をやる。

「ぼ、僕は、その、山登りは大の苦手で、あは、あはははは〜」
「使えないわね」

犬千代が自ら手をあげようとしたが、その手は良晴が押さえた。

「さっきから何か言いたそうね、サル」
「こういう時の為に俺が居るんだろうが。心配すんな、策ならある。……俺の策じゃねえけどな」
「本当かしら。恩賞自由の約束に目がくらんでるんじゃないの?」
「うるせえよ。こういうときぐらい、俺を信じて任せるぐらいできねえのかよ」
「……分かったわよ。あんたはどうせ止めても行くんでしょうし。そんなに天下一の美少女とイチャイチャしたい訳? ……つまりわたしと」
「か、勘違いすんなよ。俺はただあの偽サル野郎をぎゃふんと言わせたいだけだ」
「珍しいわね、わたしも同意見だわ」

気が付けば、もう日が西の空に傾き始めている。
夜になる前に、ケリをつけるべく、良晴は「今すぐ潜入して門を開けてきてやる」と信奈に言い渡すと、颯爽と走り出そうとした。

「待ちなさい、サル!」

引き留めた信奈は、腰にぶら下げていた愛用のヒョウタンをぶん投げてよこした。

「金華山には水の手が無いわ。喉が乾いたら、その水でも飲んでなさい」
「……恩賞自由の約束、必ず果たせよ」
「あんたが、生きていたらね」

信奈が小生意気に目を細めて微笑む。
良晴も、つられて思わず笑っていた。

「あああサルと姫様が目と目で会話してるぅ? 何ッ? このいい雰囲気? サルゥ〜! その姫様愛用の千成びょうたんに口をつけたら殺すからな!!」

勝家の嫉妬の叫びを背に、良晴は金華山へと駆け出した。


実は良晴、半兵衛からこっそりと裏道の存在を教えられていたのだ。

曰く。
北の長良川側の崖を登れば丑寅の鬼門から二ノ丸の内側へ忍び込める。
ただし切り通しの崖が幾重にも連なり、獣も通れないような死地である。
人が挑めば十に七、八は命を落とす。

「それでも俺は行く。そうわかっていて教えてくれたんだよな? 半兵衛ちゃん」

唯一人で本陣から飛び出した良晴は、迷わず鬼門の道を上っていた。
数は少なければ少ないほどよい。故にお供は五右衛門のみ。
流石に抜け目ない義龍は、この鬼門の山道にも、見張りを置いていたが、それらの兵は陽動部隊の犬千代がいつも通りの声で吠えながら注意をひきつける。
……やる気のない声は、良晴と一緒に山登りできなくて拗ねているからだろうか。


信奈はじっと、良晴からの合図を待った。
待ちながら、彼の身を案じている自分に戸惑っていた。
何故わたしはあいつのことになると、こんなに心を乱すのだろう。
何故、あいつに頼ってしまうのだろう。
父上が、平手の爺が亡くなってからずっと一人で立ってきたのに。
いつの間にか心のどこかで「良晴ならきっと何とかしてくれる」何の根拠もないのに、そう思ってる自分がいる。
この出陣の前に蝮は言っていた。

「浅井長政はひとかどの戦国大名なれど、大局観を持たぬ小才子に過ぎん。同盟相手にはふさわしかれど、そなたの夫にはふさわしくないわ。
 そもそも、そなたにふさわしい男なら、すでに現れておるではないか。そなたの天命を助くべく、時を超えて天から遣わされたあの者が!」

本当にそうなのだろうか?
だから、私は、あいつのことを信じられるのだろうか? 頼ってしまうのだろうか?
あいつの、良晴のことを……。

「姫さま! あれを! あれは姫さまのヒョウタンですッ!」

勝家が指差した方向――山麓の二ノ丸に、確かに光るものが掲げられている。
間違いない。良晴に預けたヒョウタンだ。
ひょうたんを槍の穂先に縛り付けて、良晴が振り上げているのだった。
信奈は床几から立ち上がって、そして拳を天へと突き上げていた。

「勝ったわよ、六! 今こそ、総攻めよ!」
「っていうか、なんであのヒョウタンあんなに光り輝いているんだよぉぉ〜! きっとサルのやつが舐め回したに違いないぃぃ〜!! サルの奴今度こそあたしの手で殺すッ!!」
「六! わたし、決めたわ! あのヒョウタンを、サルの旗印にするわよ!」
「ええええッ? あれって姫さまの宝物なんじゃあ……そんなに、そんなにサルが大事なんですかぁ姫さまあああ〜!?」


その頃、七梨太助は、金華山の麓に布陣した万千代こと丹羽長秀に同行していた。
稲葉山城の城門周辺を手勢で包囲し、信奈の城攻めを静かに見守る長秀。

「悲願の稲葉山城攻略まで、あと一息。満点です」
「長秀さん。どうやらコソ泥どもが火事場泥棒に現れたようですよ」

そんな二人の前に、見知らぬ軍団が出現した。
その旗印は三つ盛り亀甲。先頭に立つ若武者は浅井長政。

「この浅井長政、夫として信奈殿の美濃攻めに加勢いたします」

が、ずっと長政のやり口を見てきた太助にしてみれば、加勢の知らせすら寄越していない長政の本音など手に取るようにわかる。

(大方、信奈さんが独力で稲葉山城攻略を成し遂げつつあると知って慌てて駆け付けたに違いない。このままじゃ織田を吸収できなくなるし
 義龍の口から自分の暗躍をばらされかねないしな)
「どうなされたお二方。道を開けられよ!」

女性が相手だというのに声を荒げているあたり、長政は相当焦っているらしい。
しかし、長秀は笑顔のまま。太助は不敵な笑みを浮かべて長政の行く手を塞ぐ。

「浅井殿。我らは姫よりこのように仰せつかっております」
「『この戦は、相良良晴の戦。卑劣にも割り込もうとする者は、誰であろうが問答無用に斬り捨てよ。例え浅井長政であろうとも』――ってな」
「……わ、わたしを斬れば、浅井家は織田家の不倶戴天の敵となるぞ!」
「仕方ありますまい。どうやら姫にはそのお覚悟があるご様子。織田家がここまで来られたのも相良殿の命を張った奉公があったからこそ。最後の最後になって
 手柄を横から掻っ攫われては相良殿が無念であろうと、姫はそうお考えなのでしょう」
「……よもや私とは結婚せぬと言い出すおつもりではないでしょうな。浅井との同盟は。天下はいかがなさるおつもりか」
「さあ? 何せうちの姫の独占欲は凄いからな。飼いザルが菩提山の子リスに夢中になっただけで、やけを起こして近江のサルに乗り換えようと考えたぐらいだ。
 そこまでお気に入りのサルに理不尽な危害を加えるような奴がいたら、怒りに任せて浅井も天下も投げ捨てたっておかしくは無い」

二人はそれぞれの笑顔を崩さないが、その凄味、その殺気は長政にも、側近たちにも伝わっていた。
先に進むためには、ここに首を置いて行かなくてはならない。
長政は進軍を諦めざるを得なかった。

「ここは兵を退かせろよ、長政殿」
「……承知。だが信奈殿の返事だけはいただいて帰る。私との結婚、浅井家との同盟、果たして是か非か。今日こそ決めていただく」
「良いでしょう。勝ち過ぎれば恨みが残ります。間もなく戦も終わるでしょう。後ほど旗本だけを連れて本陣へ参られよ」
(まだだ……。伊賀守誘拐の件については墨俣に残した書き文字で言い逃れができる。後は義龍の口さえ封じればよい。
 織田家を吸収して天下に打って出るという我が野心、まだ諦めるわけにはいかんのだ……!)

長政は屈辱に耐えながら、未だ野心にしがみついていた。


決着は呆気なくついた。
良晴が城門を解放してからは、嫉妬の鬼と化した勝家が鬼神の如き槍働きで二ノ丸を占領。
義龍は本館に立てこもっていたが、二ノ丸そして山頂に織田の旗が次々と翻るのを見て、敗北を悟り降伏。
信奈はついに、父の代からの悲願を果たしたのである。
美濃三人衆が尽く信奈についたために、井ノ口の町の混乱は最小限に留められた。
「町の人に無礼を働いた者は打ち首」という布告を守る兵たちを見て、町人たちも信奈を歓迎した。
そして夜になり、いよいよ評定が行われる刻限が来た……。


「この俺が竹中半兵衛重虎にござる。この度はお見事な戦振りで稲葉山城を落とされ祝着至極」

まずは竹中半兵衛の面通し……なのだが、信奈の前にいるのは前鬼だった。
信奈から逃げ回っていた半兵衛をやっと稲葉山城まで連れてきたと思ったら、いつの間にかすり替わっていたのだ。
仕方なく良晴と犬千代は、彼を半兵衛として評定の間に連れてきたのだが、信奈はむすっと不機嫌顔。

「デアルカ。それで、仕官の条件は?」

前鬼は妖怪じみた笑顔で。

「俺は相良殿に色々と世話になった身。織田信奈がどのような御仁なのかは知らぬが、相良良晴殿「うりゃっ」

いきなり話の途中で太助がやる気なさそうに、刀を前鬼に一振り。
コーン、と一声鳴いて前鬼は煙と共に消えてしまった。

「「「えええええええーーッ!?」」」

家臣一同激しく驚くが信奈だけは涼しい顔。

「太助、いきなり物騒じゃない」
「信奈様こそ、その種子島を誰に向けるつもりだったんです?」
「太助!? お前いきなり無茶苦茶を!?」
「すいませんね良晴さん。俺、往生際の悪い人間って老若男女を問わず大っ嫌いなんです。さて、いい加減に覚悟を決めなさい半兵衛さん!」
「はうううぅううぅううぅぅ」

歯を小刻みに鳴らしながら、涙目になった半兵衛が太助に首根っこを掴まれて連行されてきた。

「その子が半兵衛? 金華山の子リスの間違いじゃないの?」
「猿回しみたいな傾いた格好で町を練り歩くお前が言うなよ」
「よよよ良晴さん。たたた助けてくださいななななななんとかして、ひぐぅ」

元々一度は式神を使って虐めるかどうかの確認をしないとまともに話も出来ない半兵衛である。
まして信奈はもちろん太助も前鬼が偽物だと一目で見破り、躊躇なく貫手をぶち込むという無茶苦茶をした相手。

「さあ半兵衛。誰に仕えるのか自分の口ではっきり、サッサと言いなさい」

上座に座り直した信奈が、良晴の背中に隠れた半兵衛にむかって言う。
その時、太助が。

「信奈様の下で小姓として直接雇ってもらい、息絶えるまで鍛え抜いてもらうことを望む。と、そう申しています。半兵衛さんは」

往生際の悪い人間は大嫌いというのは本当だったのか、太助は勝手に半兵衛の言葉を代弁し始めた。

「ち、ち、違います、の、の、信奈様は、こ、怖いです」
「聞き間違えました。勝家殿の下で、地獄の修行でとことん鍛え直してほしい。だそうです」
「そんな気弱なことじゃ戦場で生き延びられないぞッ! きえええええーッ!!」

そう言って庭に飛び出した勝家が、長槍を一閃、松の大木が音を立てて池の中へと滑り落ちていく。

「ぜぜぜぜ絶対に嫌ですッ、た、太助さんあの…………」
「ではなく、道三殿の下で悪逆の謀略とそれに必要な気合いを教えて欲しい。だそうです」
「おうおう。なかなか見所があるのう、では手本を見せてやるとしよう、ふんぬッ!」

ようやく回復した斎藤道三、諸肌脱いで庭の巨石を軽々担ぎ上げて池へと放り込む。

「ひいいいいい……えぐっ、あぐっ、ぐすぐすっ」
「ああこら、お前ら半兵衛ちゃんを脅かすなよ! 太助も! いくら何でもやり過ぎだ!!」
「要はいじめられっ子って訳ね。道理で蝮に仕えなかったわけだわ」
「ぐすんぐすん。わ、わたしは良晴さんに忠誠を誓っています。良晴さん以外の人には仕えることはできません……」
「そういうわけだからよ。それで勘弁してやってくれねえか?」
「……まあ、いいわ。これからはサルの軍師として努めなさい」


かくして、半兵衛は良晴の与力として正式に織田家に仕官することが決まり、本格的な評定に入った。
まずは、降伏した斎藤義龍の始末である。
縄を打たれたまま評定の間に連行されてきた義龍は、半兵衛にただ一言。

「気に病むな。儂がそなたを使えなかっただけの事よ」

そう言って半兵衛を許した。

「で、斎藤義龍。何か言うことは?」
「家臣領民の命を助けてもらえるのであれば、土岐家嫡流として、敗軍の将の務めを果たすのみ。だが、しかし――」
「しかし?」
「信奈殿、浅井長政は陰で儂に味方し――」
「黙らぬか下郎! 我らに離間の策を施すつもりだ早く斬ってしまいましょう!」
「浅井長政よ、離反常無きは戦国の習いとはいえ見苦しいぞ。死を覚悟した儂が虚言を弄す必要がどこにある」
「うるさい。信奈殿、斬れ、斬ってしまえ」

信奈は興味なさそうに長政を無視して、目立たぬように広間の隅に着座していた道三に声をかけた。

「蝮は、何か意見がある? 義龍は養子とはいえあんたの息子でしょう。意見があれば聞くわ」
「……そ奴は顔に似合わぬ知恵者。放逐すれば後々、信奈殿の天下取りの障害になろう。始末せよ」

苦々しげな表情で声を振り絞る道三と、養父を睨みつける義龍。

「……義龍よ。そなたには知恵こそあるが、血筋を重んじる古さと気位の高さが、此度の自業自得の結末を招いたのじゃ。時の流れに逆らう者は、例外なく滅びるのじゃよ」
「信奈殿こそ、親父殿の夢を継いでくれるもの。それは解っていた。しかしそれを認めてしまえば、儂が斉藤家の後継者として育てられてきた意味がなくなってしまう。
 ならば、同じ血の繋がらぬ跡取り同士、実力で勝ることで親父殿の跡取りたる証を立ててやろうと、そう思った……。
 いや……。『流石は、斎藤道三の跡継ぎよ』と……、他ならぬ親父殿にそう言って欲しかった。それだけだったのかもしれぬ」
「そなたを跡取りにすれば我が悪逆の数々も帳消しになるであろうと、甘い夢を信じていた頃もあった。わが不覚悟こそ、最大の過ちじゃった」

二人の間で、しばらく鋭い視線だけの会話が続いた。

「許せ、義龍」
「……これまで世話になった、親父殿」
「我が息子を、斬ってくれ。信奈殿」

道三は呻くように小声で言った。
浅井長政も、父を強引に隠居させて家督を奪った身として、策謀が明るみに出なかったことを喜ぶ気分にも浸れない。

「美濃の斎藤家。我が浅井家。甲斐の武田家に越後の上杉家。親子きょうだいが互いに争い合うこの戦国の世は、いつまで続くのだろうか――」

我知らず、そのような言葉を呟いていた。
そして、信奈はむっとした表情のまま――。

「義龍は斬らないわ」
「なんと。何を言い出すのじゃ信奈殿。今こやつを斬らねば、必ず勢力を盛り返してまた信奈殿に立ち向かってくる。義龍の目をよく見よ!
 まるで屈伏しておらん! 今逃せば、虎視眈々とそなたを狙うぞ!」
「蝮、そうだとしてもこいつは私の敵じゃないもの」
「儂に遠慮をしておるのであれば、斯様な情けは無用! 天下盗りの為には、情を捨てなくてはならぬ時がある! 信奈殿、その甘さはいつの日かそなたの命取りとなろうぞ!」
「黙りなさいよ蝮! 意見は聞いたけど、あんたは隠居の身でしょう。いいから義龍を放逐しなさい!」

義龍は「親父殿の言うとおりだ。必ず後悔するぞ」と呟き、信奈に礼を言うこともなく、堂々と広間から立ち去って行った。
この成り行きを呆然と見守っていた道三は体を震わせながら「これにて御免」と言い捨てて広間から退室した。
険悪な空気が一瞬、広間全体を覆ったが、信奈はけろりとして。

「ほんとに年寄りって気が短いわね。さ、ここからはお待ちかねの論功行賞よ!」

まず呼びつけたのは長秀と勝家だった。
長秀は「小牧山城の普請」「東美濃勢の調略」の勲功を称え「ういろう一年分」その他。
勝家は「稲葉山城攻め一番槍」に対して「味噌煮込みうどんの店の出店権」と「茶器」などを与えた。
ちなみにこの茶器は「唐から渡ってきた美濃一国分の値打ちを持ったと〜〜っても立派な茶器」……ということにした二束三文の安物だった。
そして美濃三人衆は、領地はそのままだが楽市楽座政策を進めるため、座や市の特権だけは取り上げるということで決着がついた。


その日の深夜。
斎藤道三は一人で金華山山頂の草庵の縁側に佇んでいた。
義龍始末の件で義娘と仲違いしてから久しぶりにこの草庵に上ってきていたのだ。

「まだ腐っておられますか、道三殿。宴会に顔を出してもいいのではないでしょうか」
「そなたか、サルの小僧はどうしたのじゃ?」
「勝家さんに絡まれていますよ。……義龍始末の件、やはり納得いきませんか」

そう言って太助は道三の隣に腰を下ろす。

「儂は長良川で死ぬべきだったかもしれん。あの場に儂がいなければ、信奈殿は義龍の首を取れたはずじゃった。……わしの存在が、あの子の弱点になってしまっているのかもしれぬ」
「信奈さんは貴方に、義龍を斬らせたくなかったんですよ。天下取りの為に追い出した主君の嫡男に、天下統一後の美濃を任せる。
 それも『斎藤道三の欲望』だった。だからこそ、あの時『斬れ』と言った貴方に逆らったんです」

もし、「斬るな」と言っていたら信奈さんは迷わず斬っていましたよ。それなら、息子殺しをさせずに済みますから。と太助。

「儂がそんな悪名をあの子に負わせるはずがない、それは信奈殿も分かっていよう。……初めから信奈殿には義龍を斬る気など無かったのじゃ。
 ……やはり信奈殿は甘すぎる。死にぞこないの老いぼれ、しかも“蝮の道三”に悪名を背負わせまいとするなど」
「だったら、何故義龍を斬らなかったんです? 何故下剋上をされるまで義龍と対話をし続けたんです?」
「む……」

確かにその通りだった。蝮の道三ともあろうものが、義理の息子に頭を下げて説得することしか考えず、騙し討ちなどしようとも思わなかった。

「蝮の道三は正徳寺でとうに死んでいますよ。ここにいるのは『仏の道三』です。だから信奈さんはこれ以上貴方に悪名を作らせたくないんです」
「儂は主君を追い、稲葉山の城と井ノ口の町を奪った。何をいまさら……」
「……あんたの娘がこの城と町につけた新しい名前の由来。分かるか?」
「『岐阜』じゃろう? 周の文王がそこより出でたと言われる岐山の別名で……」
「そうじゃない。何度でも声に出して言ってみろ」

太助がそう言い残して姿を消した後、道三は再び井ノ口の町に視線を下ろした。
闇の中、無数の松明が街のあちこちで灯りはじめ、それらはゆっくりと一つの形を作り始める。
出来上がったそれは、この金華山の山頂から見なければわからないほど大きな一つの絵だった。
その絵を見て、道三はやっとわかった。
新しい城と町の名前の由来と、義娘の自分に対する想いの大きさを。

「ぎふのしろ、ぎふのまち」

義娘から義父へ贈る、滑稽な顔をした可愛い蛇の絵だった。
道三は震える手で懐から扇子を取り出すと、己の顔を伏せて隠した。
月を通して、信奈に見られるかもしれなかったからだ。



後書き
恩賞自由と同盟の約束はまた次回。
あと、太助はちゃんと半兵衛に荒療治が過ぎたと謝りました。


管理人感想

 ダークレザードさんからいただきました!

 大沢軍に寝返られて戦意喪失の義龍軍。歴史上の合戦ではよくある光景ですね。
 かの関ヶ原の合戦も小早川軍の寝返りが戦局を決定したワケで。裏切りは戦力的な打撃よりも精神的な打撃の方が大きいと改めて実感しました。

 一方で評定の場に出てきた半兵衛ちゃんを(精神的に)いじめる勝家や道三がすんげぇ楽しそう。わざとじゃないんだろうけど。
 太助は謝ったらしいけど、この二人は謝ったんだろうか?……いや、あんなネタかました後じゃ謝る前に逃げられるか(苦笑)。