勝利の宴会から一夜明けて……。
信奈は主だった将を呼びつけた。
「なあ、犬千代。いったい何の用か聞いていないか?」
「……浅井との同盟についてと聞いている」
そのことか……と胸中で呟きながら、良晴は昨夜のことを思い返していた。
稲葉一徹と氏家卜全の後で安藤伊賀守の番が来たが、彼は入室するなり「わっちは長政の手の者に囚われ、半兵衛をおびき寄せる人質にされていましたのじゃ!」と激怒していた。
浅井長政も、これでは墨俣の書き文字だけでは一同を納得させられないと考え、咄嗟に「伊賀守をかくまいつつ『義龍が目障りな三人衆を始末し始めた』
と噂を流して、美濃攻略を密かに手助けしていたのです」と理屈だけは通った言い訳を並び立てた。無論、勝家ぐらいしか信じなかったが。
肝心の信奈は興味が無いらしく、長政の弁明をあっさり聞き入れて、この件を終わらせた。
残るは、浅井長政との婚儀と、「恩賞自由」の件だけである。
「稲葉山城を盗ったものはどんな恩賞でも自由自在」
美濃を盗りたい一心で口走ってしまったあの約束を、信奈が果たす時がついに来たのである。
「わたしの公正な見立てによれば、恩賞自由の功労者は一番槍をつけた勝家ね」
「そうですよね、姫さま! サルなんかじゃなくて、あたしが勲功一番ですよね!」
「姫。それでは筋が通らないです二十点。墨俣築城、三人衆と半兵衛の調略、野武士五千人の仕官斡旋による戦力増強、そして決死隊としての城内潜入。
恩賞自由の褒美は、これらの大功を立てた相良良晴殿にお与えなされませ。それでこそ公平な論功行賞というもの」
(流石長秀さん、満点の進言だ)
太助は内心で長秀に賞賛を送った。
これで信奈は、周りに言われて仕方なくという言い訳が出来て、堂々と良晴に恩賞を与えられるというわけだ。
「チッ、仕方ないわね」と眉を顰めながら、しかし何かを期待するように身を乗り出し、良晴の面前へ顔を近づける。
「ほら。サル、何が欲しいの。さ、さっさと言いなさいよ」
「……あ、あんまり顔を近づけるなよ、言いづらいだろうが」
「いいから、さっさと言いなさいってば」
第十二話「恩賞と明智光秀と天下布武」
互いに緊張しながら無言で見つめ合った。
信奈は頬を紅潮させ、良晴が長政から自分を奪うため、「恩賞はお前だ」と言うのを待ち続けた。
良晴は、一体どうすればいいのか、信奈が自分に奪われたがっているような錯覚を覚えながら迷い続けた。
俺の嫁になれ! などと言えば、信奈は錯乱して暴れるだろう。
凶暴なうつけ姫を嫁にする趣味など無いが、信奈を困らせるのも一興か、そう思ったその時。
丹羽長秀そして七梨太助の二人の姿が目に入った。
長秀は温厚な笑顔を絶やさなかったが、
(相良殿。ここは姫の為に分をわきまえなされよ)
と、良晴を優しく諭しているように見えた。
そして太助も
(半兵衛さんに言った言葉を、自分で嘘にするつもりですか? 天下も恋も両方守る、それが要求するべき恩賞でしょう?)
そう言ってるように見えた。
(そうだ。半兵衛ちゃんの前で大見得切ったんだ。ここで信奈を没落させるような要求なんて、今の俺に出来るわけがねえ。百貫取りの武将格くらいじゃあ信奈に並び立つには遠すぎる。
まるで本当の太陽みたいに……)
「――信奈、俺の恩賞は――お前の縁談を破談にすることだッ! 浅井長政と結婚するな!」
「って、サルッ!? な、な、何を言い出すのよッ!? そうじゃなくって……」
「何だとッ!?」
「やったぜ、サルぅぅぅぅッ! でかしたぁぁぁ! よくぞ姫様の操を守ってくれたぁぁッ!!」
「……お二人のお気持ちを思えば手放しでは喜べませんが、これで織田家崩壊は免れました。八十点」
勝家は狂喜しながら立ち上がり、長政は複雑な笑顔でうなずいている。
完全に面目を失った長政は、色を成して義晴と信奈の前へと歩み出てきた。
「これはいったいどういうことですか、信奈殿!?」
「長政。私は稲葉山城を盗ったものには恩賞自由、と約束していたの。どうやらサルはよっぽど私の幸せを妬んでいたみたいで、私とあんたの縁談を破談にすることを恩賞に要求してきたって訳。うふふふ」
露骨に嬉しそうにしてるな、信奈さん。と翔子。
姫、もっと腹芸を使ってください三十二点。と長秀。
「いったい何ですか、それは!? 信奈殿、まさかそんな馬鹿馬鹿しい恩賞をお認めになるつもりではありますまいな!?」
「認めるわよ。約束していたんだし、サルが勲功一番なのは誰の目にも明らかだしぃ。そういうわけで長政、あんたとの縁談は無かったことに。遠路遥々ご苦労、もう近江に帰っていいわよ」
「それでは浅井家と織田家は同盟できない! 近江から天下に打って出るという私の野望も潰える!」
「そんなに同盟したいのなら、この場で私に頭を下げればいいじゃない」
「いいえ。血縁同盟でなければ、我が父、久政を説得できないのです! そして、私にはきょうだいはいない! 織田家から姫をもらうしか道は無いのです!」
懸命にまくしたてる長政だが
「正直に言っていいですよ長政殿。『父を』ではなく『朝倉を』とね」
太助の言葉に顔色を変えた。
「き、貴様……何故そのことを……」
「浅井と朝倉の仲と、織田と朝倉の仲を知れば、大体想像が付きますよ」
と、ここで太助は良晴をちらりと見て。
「知らない人の為に説明しておきましょう、山野辺が」
「あたしかよ! お前じゃないのかよ!」
まあ、いいけど。と翔子は良晴に説明した。
元々織田家の主家は越前・若狭・尾張・遠江の守護職であった斯波氏であり、織田家は尾張の守護代であった。
ところが朝倉は違う。朝倉は但馬の国からやってきて斯波家の家臣になり、斯波家が衰退したとみるや、越前の守護職を奪い取った。
片や斯波家の家老。片や他国者の癖に主家を横領した家柄。理屈の上では、朝倉は織田家の下につくはずである。
無論、朝倉がそれを認めるはずもなく、以来両家は犬猿の仲なのである。
「無理矢理隠居させて家督を奪っておきながら、いまだに他国の言いなりになっている父親の言いなり。長政。あんたが浅井家の当主っての……嘘だろ?」
「……親に従うのは子として当然だろう」
「……政略結婚の申し込みに来た時から思ってたけど――あんた、何かを『諦めて』いるだろう」
「ッ!?」
「義龍に手を貸してまで、こちらの邪魔をしていた理由……信奈さんを絶望させるためだったんじゃないか? 夢を諦めたのはそれが世の習いだからだ。
現に織田信奈でさえそれを覆すことはできなかった。だから『私が弱い訳じゃない』そうやって自分を正当化しようとした。……夢を叶えるために
努力するのではなく、他人の夢を叶えさせないために努力するなんてガキのやることだな」
「……もう一度言ってみろ……!」
俯き、拳を震わせる長政。
周囲が慌てはじめるのをよそに、太助は極めて冷静だった。
「お望みなら何度でも言ってやるよ、浅井長政。あんたは自分の行いの責任を取るのを嫌がっているただのガキだ。だから父や周りの顔色を窺って言いなりになっているんだ」
「貴様ぁぁぁッ!!」
完全に怒った長政は、太助の胸倉に掴み掛る。
「それの何が悪い! 貴様は自分の命を、それと同じくらい大切なものをいつ奪われるか怯えながら床に就いたことがあるか!?
六角の下で私はずっとそんな夜を過ごしてきた! 家督を奪ったのだってそうだ! 父に任せておけば六角に臣従させられる日々に逆戻りだ!!
二度とそうならぬために、強くなるために私はあらゆる手を尽くしてきた! 女を誑し込んで利用するのも、斎藤道三の真似をしただけだ!」
怒りに任せてまくしたてる長政。
だが、太助は眉一つ動かさずに言った。
「それで父の言いなりになってどうなるんだ。縛られる対象が六角から父と朝倉に変わっただけじゃないか」
「貴様……!」
そこで、信奈が口を挟んだ。
「もうやめなさい太助! ……長政、朝倉家が関わっているというならしょうがないわ。同盟の証として織田家の姫君をあんたの所によこしてあげる。
そういうことなら、織田家から人質を取ることになってあんたの父親も納得させられるでしょう?」
「む……姫君? わ、分かった。今度こそ、その約束を違えぬように……父は私から説得しておく」
「父親も天下もどっちも大事なんて、あんたもサルのことを言えない欲張りね。後、敵の妻女をたぶらかして調略するというやり口はもうやめなさい。
我が織田家から妻を迎えるつもりならね」
「……承知」
そう言って長政は去ったが、広間は戸惑いの空気に包まれていた。
太助のらしくない挑発に誰もが戸惑っていたのだ。
「七梨殿、なぜあのような言い方を?」
「……なんとなく、今気づかせなければあの人は自分の欲望を見失ったまま破滅してしまう。……そう思ったのです」
(でも、長政の奴、諦めていない気がするんだよな……)
あそこまでの決意を以てここまで来たのだ。
その為に長政が、どれだけの物を捨ててきたのかは良晴には解らない。
唯一つわかるのは、諦めた『長政の欲望』はもう『野望』と呼ばれるようになってしまっているのだろう、ということであった。
「しかし、姫さまはどうなさるおつもりなのでしょうか……」
「え? 長秀おねーさん、そりゃいったいどういうこと?」
「織田家には、信奈姫以外に――姫がいないからです。一点」
「ああああそうだった!」
悲鳴をあげる勝家。
「? そんなはずないだろう、お市がいるんじゃないのか?」
良晴が、一同に声をかける。
史実、および良晴のゲーム知識では、織田家と浅井家の同盟は、長政に織田家のお市姫を嫁がせることで成立するのだ。
もっとも、お市は夫・浅井長政の落城と切腹という悲劇に見舞われるため、良晴も今まで言い出せなかったのだ。
「……お市って……誰?」
「信奈の妹だよ」
「ひ、姫様に妹君はいらっしゃらないぞ、サル!」
「お前は何で、大汗垂れ流して焦ってるんだよ……」
そこへ、信奈が姿を見せた。
「みんな、待たせたわね!」
「お、おい信奈! お前にはちゃんと、お市姫っていう『妹』がいるよな!?」
「お市? そうね……名前はどうしようかと思ってたけど、それで行きましょう! 入ってきなさい!」
評定の間に入ってきたのは、花魁に扮したバカ殿・津田勘十郎信澄であった。
「姉上、女装してこいとのことでしたが何用でしょうか、はっはっは」
信奈は主だったものを周りに集めて、ニヤリと黒い笑みを浮かべた。
「……で、あんたたち……どう思う?」
「……おいおい、信奈。まさか……ゴクリ」
「……愉快ですが、ばれたら長政殿は烈火のごとく怒りましょう。危険な賭けです、五十点」
「……男なのに犬千代より美人、悔しい……賛成」
「まあ、今回本当に何もしてないもんな〜」
勘十郎殿を浅井家に嫁がせましょう、と柱の陰に隠れていた半兵衛が涙目で震えながら献策してきた。
「ふ、ふたりは、あ、あ、あいしょう、ぴ、ぴったり……です……」
「あ、それ、俺も思ってました」
「えっ二人とも、それってどういう意味だよ」
良晴が首を捻るが、信奈は即断即決。
「知恵者の半兵衛が太鼓判を押すなら問題なさそうね! みんな! 勘十郎をひっ捕らえなさい!」
「はーっはっはっは。ところで七梨君、君は何故乱破君と一緒になって僕を縄で縛りあげているのだい?」
「お市様、お覚悟なされるでござるよ」
「乱破君。お市様とは誰の事だい?」
「あなたですよ」
「おいおい七梨君。僕の名は勘十郎信澄……」
「本日只今より、浅井長政の妻、お市姫になってもらうのさ」
「あ〜れ〜!?」
哀れ信澄はそのまま籠に放り込まれて、近江路への旅に出されてしまったのであった。
こうして、信奈は浅井家との同盟問題を見事に片付け(?)とうとう天下に号令をかける時が来た。
良晴も「とうとう、この時がきやがった……! そろそろ流浪の室町将軍・足利義昭が信奈の下へと転がり込んでくる頃合いだぜ」と内心燃えていた。
しかし、転がり込んできたのはもっと大変な知らせを持ってきた明智光秀であった。
「太助から聞いてるわ。美濃に潜り込むときや、墨俣築城に力を貸してくれたそうじゃない。織田家で雇ってあげてもいいわよ! 美濃一国を版図に加えて人手が足りなくなってるの」
「はっ――しかし、今日はもっと重大な知らせを持ってまいりました。これは織田家の運命にとってもおそらくは分岐点」
それを聞いて良晴は思わず声をあげた。
「皆まで言うな十兵衛ちゃん! 京で、松永久秀と三好一党が将軍足利義輝公を暗殺! 十兵衛ちゃんは義輝の弟・足利義昭公を担いで新将軍とし、幕府の権威を再興したい!
しかし京の三好・松永を討つ兵力は無い。だから織田家に上洛を要請しに来たんだろう!?」
「いえ、全然違います」
「えええッ? 違うわけないだろッ!?」
「松永久秀と三好一党が義輝公の暗殺を企てたところまではその通りです。だがしかし、賢明なる義輝公は勝ち目無しと見て『他日を期す』と言い残し、
義昭姫ら『妹』君達を引き連れ敦賀の港から大明国へと逃げてしまいました。このため、室町幕府の将軍職を代々努めてきた足利宗家は事実上断絶。
関東公方を務める足利分家の一族も北条氏の台頭ですっかり落剥していまして、もはや将軍のなり手が見つかりません――このままでは、この日ノ本の戦乱は未来永劫続きます」
これには良晴、大混乱。
「現役の将軍が、次の将軍になるはずの義昭を連れて、外国に亡命ッ!? それじゃ織田家には上洛する大義名分が――いや、それ以前に歴史が俺の知らない方向へルート分岐しちまったら、この俺様の存在価値が――」
顔には出さないが、翔子も太助も動揺していた。
(おい、七梨。これってやっぱり……)
(まだわからないさ。イレギュラーって言うなら、良晴さんも、シンもいるんだ。それに『この世界』の正常な流れである可能性だってある)
「光秀さん。貴方ほどの人がここに来たのは……何か策があるからでしょう?」
「流石、七梨先輩。その通りです。ただし、危険な策ではございますが」
光秀が身を乗り出し、信奈に耳打ち。
信奈は一瞬、迷ったように眉を顰めたが、すぐに決断を下し、犬千代に命令した。
「蹴鞠で遊んでいるあのお歯黒姫を連れてきなさい」と。
ちなみにそのお歯黒姫こと今川義元。
相変わらずのお姫様気分で、人質生活をしているくせに出家もせず、豪華な十二単を着て連日連夜お茶に蹴鞠に連歌にと昔と変わらず遊興三昧の「金食い虫姫」であった。
「おーほほほほ。いよいよ、私の出番ですわね。我が今川家は、由緒正しき足利の分家。『御所が絶えれば吉良が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐ』と申しますわ。
足利宗家が途絶え、次の将軍位継承権を持つ吉良家もすでにこのわ・た・く・しが滅ぼしました。残るは我が今川家のみ!
ここは当然、この『海道一の弓取り』今川義元! 今川義元が京に上って将軍位を継ぐしかありませんわね! おーっほほほほほほ!!」
そう。
京の都で必要とされる古式ゆかしい礼儀作法や格式ごとに詳しい十兵衛光秀は、「足利宗家が絶えた今、正当な将軍継承権は今川の姫にあります」と信奈に教えに来たのである。
信奈はそんな馬鹿臭い話、全然知らなかったが、今川義元新将軍を擁立して京を荒らす不忠の松永と三好一党を成敗するという名目で上洛すれば、武田信玄も
上杉謙信もうかつには手出しできない、と不承不承頷いたのである。
(ま、軽率だけど、血筋だけは良いから実害はないだろう)
「おーほほほほ。私が新将軍になった暁には、信奈さん? 貴方には管領でも副将軍でも好きな位を差し上げますわよ? 私、寛大な女ですの。おーほっほっほっほっほ」
「うっさいわね。ほら義元、この『五箇条の条書』に花押を書き入れなさい! それで将軍にしてあげるわ」
「これは何かしら? ………………なっなんですのこれはッ!?」
義元が床にたたきつけたそれに太助も目を通してみる。
「何何。第一条、あんたの将軍職なんてただのお飾りなんだから、ご内書にはいちいちこの信奈様の副状を付けること。
第二条、天下人はこの信奈様よ、私の一任で誰かれなく成敗するからね。あんたも逆らったら成敗よ。
第三条、あんたは多忙な私に代わり、京の姫巫女様に下働きの心がけで奉公するのよ。
第四条、その甲高い声はやめてよね、癪に障るわ。
第五条、今後はこの慈悲深い信奈様を母とも姉とも思い、日々敬い、決して私がいる方角に足を向けて眠らないこと。
確かに、これは酷い」
義元は「明日の将軍様にむかって何と無礼な」と文句をつけているが、信奈に凄まれて、すぐに松平元康を呼びつけた。
が、そこは腹黒狸の元康。「将軍になってしまえばこんな五箇条なんて後でどうとでもできますよ〜」とあっさり義元を丸め込んで、悪魔の五箇条にサインをさせてしまった。
「十兵衛。京ではあんたの古めかしい教養も必要になりそうだわ。これからは私の家臣として働きなさい!」
「御意。有り難き幸せ」
光秀が生真面目に平伏するが、良晴はまだ混乱していた。
「……良晴さん。後で俺の家に」
七梨家。
混乱する良晴を見かねた太助は、事情を知る者同士で会話をすることにしたのだ。
「落ち着きました? 良晴さん」
「そりゃちょっと無理だぜ……、桶狭間で死ぬはずだった今川義元が将軍様だぜ!? 足利義昭よりもはるかに厄介な性格してるのに……。
いや、それどころじゃない。これからますます大きなルート分岐が起きそうなんだ……。クソッ! 今後俺のゲーム知識がまるで役に立たなくなったら、どうすりゃいい?」
「それは今後あくまでも『参考程度』に留めておくことでなんとかしましょう。それよりも、とうとう光秀さんが織田家に仕官してしまいましたね」
「ああ……」
織田信長の生涯に置いてもっとも有名なイベント。
それこそが、織田信長が明智光秀に殺される「本能寺の変」
織田信長は家臣の明智光秀に謀反され、天下統一を目前にして京の本能寺で炎に包まれ切腹。その波乱の生涯をいきなり閉じてしまう――木下藤吉郎こと羽柴秀吉はその時、
中国地方で毛利の大軍と交戦中であり、柴田勝家や丹羽長秀も各地方でしゃにむに敵国と交戦中。結果、救援は間に合わなかった。
それが本能寺の変の全貌である。
(魔王の信長ならともかく、口は悪いけど愛らしい信奈が夢の途中でそんな無残な最期を遂げちまう……、そんなの俺は嫌だ! 認めたくねえ!)
信奈の人生から「本能寺の変」を回避させる。その為に俺はこの世界に来た。
良晴は心のどこかでそう思い定めていたが、これまでそれを考えようとはしなかった。
(何故か……? そんなの決まってる。俺は、天下統一に手を賭けた信奈が紅蓮の炎に焼き尽くされて「髪の毛一本この世に残さなかった」
そんな凄惨な死を遂げるなんて想像したくなかったんだ。その場に俺が居ないことが……、伸ばした手があいつを掴めないことが……!)
「けど、十兵衛ちゃんが仕官しちまった以上、これからは本能寺イベントを回避する努力も陰で始めなくちゃいけねえよな……。
でもまあ、素直で真面目で可愛い十兵衛ちゃんが、謀反なんてやるわけねえ。杞憂だろうな」
「それはどうでしょうね」
「ん? 何だよ太助。十兵衛ちゃんを疑うのか?」
「素直で真面目。それは確かに光秀さんの長所です。でも、しばらく行動を共にしてわかったことがあるんです」
明智十兵衛光秀は、自分に絶対の自信を持っている。だからこそ、明智十兵衛光秀は、他人を信じていない。
だからこれから、きっと良晴さんとぶつかり合うことになる。
「全軍、京へ!」
九月七日、織田信奈が率いる上洛軍は岐阜を出発した。
手を結んで足利義輝を京から追放した三好一党と松永久秀であったが、畿内の支配権をめぐって対立。
両者の抗争は日を追うごとに激化し、松永久秀の手で奈良東大寺の大仏殿が焼かれる事態にまでなった。
その為、今の京は政治的な空白地帯なのである。
「ぐずぐずしている暇はないわ。速攻で京まで一直線よ!」
馬上の信奈は、南蛮兜に赤いビロードマントを羽織った伊達姿。
その後には、丹羽長秀と柴田勝家の二代家老。
それに続いて、前田犬千代と相良良晴。
良晴に並走する形で、明智光秀と七梨太助。
「おーほほほほ! ついに、ついに我が念願の今川幕府を開く時が来たのですわ! 元康さん、頼みましたわよ!」
お飾り将軍今川義元は豪華絢爛な十二単を纏い、輿の中から琵琶湖の眺めを満喫中。
そしてその後ろに、松平元康と山野辺翔子。
「は〜、自分の立場を考えているのかねェ、この人は」
「義元様のお言葉はせっせと聞き流してください〜」
このほかには「美濃三人衆」の筋肉親父トリオに、ロリコン集団川並衆、幼き天才軍師・竹中半兵衛。
そして、高齢故に駕籠に乗っている斉藤道三。とそうそうたる人材が一堂に会していた。
尾張・美濃の軍団に、松平元康の援軍を加えた、総勢四万もの大軍団。
東海地方から京へ抜けるルートは二つある。
一つは、清州から伊勢・南近江を通る東海道。
もう一つが、今回信奈が浅井長政の援軍・一万と合流するために選んだ、岐阜から北近江を経て、南近江で東海道と合流する中山道である。
だが、不安が一つ。
この一万は、勘十郎信澄を「信奈の妹・お市姫」として送り込んだことに激怒した長政が信奈を迎え撃つために用意したのかもしれないということである。
ところが。
黒と緑に塗り分けた当世具足に身を包んだ長政は馬上から降りて恭しく頭を下げた。
「義姉上、この長政と共に参りましょう――天下へ」
誰が聞いても心の底からそう思っているとしか聞こえない声。
おまけに顔は眉間のケンが取れた、別人と見間違うばかりの優しい笑顔。
これには信奈の方が気味悪がった。
「ねえサル。もしかして長政って……男が好きなのかしら?」
「ま……まさか……」
「いやーいかにも夫婦円満って感じの顔をしてますねえ」
「太助。そういや半兵衛ちゃんと一緒に、二人は相性ピッタリだとか……」
「それは、長政さんは一人で考えすぎるタイプだから、楽天的な信澄……もといお市姫とはちょうどいいという意味ですよ」
「あーあー、気になってきちゃった。考えないようにしよっと」
「弟の貞操が色んな意味で危機なんだぜ。考えてやれよ」
長政の突然の変心はともかく、彼が松平元康と同じく信頼のおける同盟者となったことは確かであった。
これで、上洛軍は五万を超える大軍に膨れ上がった。
京への道を阻む敵勢力は、南近江の六角承禎ただ一人となった。
六角家は、佐々木源氏の流れをくむ名門守護大名であり、三好一党と手を組んだ六角承禎は、徹底抗戦の構えだった。
南近江には十八もの城がある、五万の兵を動員したとしても、十八の城に向かわせれば、一城あたりせいぜい二千五百。
その程度なら三好、松永が援軍をよこすまで十分持ちこたえられる。
「そんな計算をしているでしょうね。六角とやらは」
「先輩、分かるんですか?」
「いや、俺が同じ条件で防衛戦をやるなら、そうします。策を見抜く基本は、敵の立場に立ち、自分ならばこの備えをどう破るか、どう対処するかを想像すること。
俺が旅の中で学んだことです」
「姉上。六角の兵はさして強くは無いですが、観音寺城はかの稲葉山城にも匹敵する難城。一旦野陣を構築し、支城を一つずつ気長に落としていくのが上策かと思います」
観音寺城の手強さを知る長政が献策するが。
「それでは敵の思うつぼだ、長政。ここは『速度』という信奈さんの最大の武器を使うときだ」
その上で、太助は二つの方法を提案した。
一つは、全軍で蓑作城から観音寺城までの城を一気に攻略して、頭である六角を潰す策。
もう一つは……五万の兵を分割し、防備を固める前に全ての支城を陥落させる策。
六角がそれなら勝てると計算したのは、どこの大名家でも大将が率いていない軍は、別働隊ぐらいしかできることが無いからだ。
「だが、織田家は信奈様がいなければ何もできない烏合の衆ではない。そうでしょう? 信奈様」
「その通りよ! 長政、織田家には、私の代わりに大将を任せられる武将が少なくとも五人いるわ。六。万千代。伊勢にいる左近。
新たに加わった十兵衛。そして、太助と組んだサルよ! それと、美濃に稲葉山城という名の城はもうないわ。岐阜城、よ!」
そして、信奈は二つの策の内、全支城の同時攻略作戦を採用。
なんと、たった一日で、十八の城全てを落としてしまった。
特に光秀の活躍は目覚ましく、鉄砲隊五十名と、自身の正確無比な射撃の腕で、次々と支城を落としていった。
自らの想像を遥かに上回る信奈を前に、六角承禎はその日の内に甲賀の忍びの里に逐電。
ここに、源頼朝以来の名門・六角家は、事実上滅亡したのである。
浅井長政は戦の後を見ながら思った。
(浅井家三代の宿敵にして、私にとって恐怖の象徴であったあの六角承禎がたった一夜で滅びてしまうとは……。
それに明智光秀殿の率いる鉄砲隊の火力と轟音の凄まじいこと。……時代は変わったのだな)
岐阜を出発してから二十日余りで、信奈は京に入った。
神速での上洛に、松永久秀は信奈に書状を出し降伏して京を明け渡し、逃げるように大和へ退去。三好一党は「六角が一日で滅ぼされた」と聞いて怖れを成して摂津へと後退した。
最初こそ信奈を恐れていた京の民は、しかし、傾奇者と数寄者と南蛮かぶれが集まった織田軍のド派手な軍装に、まず心を奪われた。
そして、信奈が京の町中に布告した政策の中身を知って、さらに驚いた。
「私が来たからには、兵の乱暴狼藉は許さないわ! 民に乱暴した兵はその場で打ち首! 街に火をつけた者も打ち首! 銭と米を民から取り立てることも厳禁よ!」
戦国史上、この日ノ本に、これほど厳格で、これほど民の味方をしてくれる軍勢がかつてあったろうか。
しかも、そこらじゅうに散らばっている死骸を片付けて、町を清掃してくれているではないか。
織田の姫さまは、ワイら民の味方や――。
これでやっと、この京にも平和が来る――。
応仁の乱以来、一世紀にわたって絶え間ない戦と略奪に苦しめられ、絶望しきっていた京の民たちは信奈を歓呼の声で迎えていた。
浅井長政も松平元康も、斎藤道三ですら、これには目を疑った。
絶望の中、他国の武将を信じないはずの民たちが、織田信奈を京の、いや日ノ本の救世主の如く伏し拝み、あるいは涙を流して迎えていたのだから。
天下を、武によって平定する。即ち天下布武。
美濃を盗った信奈のその宣言を、誰もが「口だけだ」「織田家に上洛などできるはずがない」と嘲笑っていた。
だが、今、信奈は己の保身も損得も考えることもなく、しゃにむに全軍を率いて京へと入り、そしていつ果てるともない戦乱が続いていた京に、平和をもたらしたのだ。
これは夢なんかじゃない、歴史通りの『現実』なんだ。相良良晴と七梨太助は胸を張って信奈の晴れ姿を見つめていた。
管理人感想
ダークレザードさんからいただきました!
原作通り朝倉家への生贄(+女装)にされた信澄。いやぁ、信奈達の実に楽しそうなこと(笑)。
しかしこれが信澄にとっても長政にとっても運命の伴侶との出会いになるのだから運命ってわからない(苦笑)。
光秀が傘下に加わり、上洛する信奈……良晴の心配する通り完全に本能寺の変へのフラグが立ってます。
まぁ……原作だと別の意味で信奈と光秀はぶつかることになるんですけどね(苦笑)。さて、あの流れがこちらではどうなるか。
そろそろ太助にも人間関係的な意味での積極的な介入を期待したいところ。太助×光秀でフラグが立つのもおもしろそうですが……つか、お前も少しくらい修羅場れ(←黙れシュラバスキー)。