織田信奈の欲望、前回の三つのあらすじ!
一つ! 太助とシャオ、二人は堺で再会を果たした!
二つ! 良晴は料理勝負の課題にたこ焼きを使う許可を今井宗久から引き出した!
そして三つ!! だが、初めての料理に良晴は大苦戦を強いられる!!
「これでは堅すぎるでござる、相良氏! すっかり焦げてまちゅっ」
どうにかたこ焼きを作りはじめられたが、火力調節に失敗し、肝心のたこを入れる前にたこ焼きが焦げて固まってしまった。
「し、仕方がねえ! ここは、水をかけてふやけさせ……」
「はわわ。そんなことをしたら調理に失敗したのがばれて大減点されちゃいます。ななな何か別の方法は無いですか、良晴さん!?」
「やれやれ。自慢の千里眼も料理道には通じないでござるな、ちゃがらうぢ」
その時、追い詰められた良晴の脳裏に、閃きが走った。
たこ焼き=もちもちした柔らか〜いもの……とは限らなかった!
俺の時代には、もう一つのトレンドともいえる新味たこ焼きが存在した!
「――油だ! 油を大量にかけるんだ!」
「……また油?」
「良晴さん。油が多すぎます」
「いいんだ! ここまで焼けちまったものはしょうがねえ。いっそ『揚げたこ焼き』に仕上げてやらあ! っていうか、もうそれしか方法がねえ!」
揚げたこ焼き!?
太助とシャオを除く全員が首を傾げる。
『あ・げ・た・こ・や・き!! さあ、窮地に追い込まれたサルがまたしても謎のサル語を披露いたしました! 揚げたこ焼きとは、いかなるサル料理なのでありましょうかッ!』
『あないな焦げたたこ焼き、ほんまに食えるようになるんでっしゃろか?』
ふん。はったりに決まってます、と余裕の光秀。
良晴たちの大騒ぎにも呼吸を乱されることなく、千枚通しでくりくりと綺麗にたこ焼きを裏返していく。
「俺にはやらせてくれないんですか……?」
「この作業は手先の繊細さが要求されるですッ! 十兵衛が一人でやりますッ」
「何度か作ったことはあるんですけど、たこ焼き」
「名物勝負はもはやこの十兵衛の圧勝ですが、最後の仕上げにしくじったら万が一ということもあります! 『サルも木から落ちる』ということわざを知ってますですかッ!
ぜーったいに、ダメですからねッ!」
「……(その万が一を俺は起こして、自分は絶対に起こさないって物言いだな……)」
太助が、心に十兵衛への『黒いモノ』をため込む中――。
第十六話「揚げたこ焼きとプッツンと暗殺者」
「よーし! これぐらい焦がせばもういいだろう! 油もたっぷり乗ってるぜ!」
まずは、得体のしれない相良屋の揚げたこ焼きが、完成した。
表はほとんどカリカリ。
爪楊枝を指すのも苦労するぐらいに堅く焼きあがっている。
作り損ないのたこ焼きにしか見えない。
「こないなもんを食わされるんか……」
「売れ残りのたこ焼きを鉄板の上に置きっぱなしにするとあないな風に堅くなるわな」
「あかん。あんなもん商品にならん」
会合衆一同、げんなり。
だが良晴は堅いたこ焼きの上にソースを大量にぶっかけ――。
「そして! 最後に取り出したるは俺様が徹夜で作った秘密兵器――マヨネーズだッ!!」
「真夜姉酢……? この、白くてもこもこねばねばしていて臭いお汁は、何ですか……? くすん、くすん」
「半兵衛ちゃ〜ん、なんか変なものを連想するから、その表現はやめて! こいつはれっきとした調味料だよ!
……まあ、素人料理なんで卵黄と油に酢を混ぜただけの「ぽいもの」なんだけど、これを揚げたこ焼きに乗せると実にいけるんだ!」
「相良氏。いくら何でも油が多すぎるでござる、肥ってちまったらどうちてくれるでごじゃるか。にんぢゃはかるちゃをいぢちなくてはにゃらにゃいとゆーのに……」
「いいからいいから。さあ、会合衆の皆! 未来のたこ焼きを食ってみやがれい!」
どーん! と嫌がる会合衆の前に揚げたこ焼きマヨネーズ添えを一皿ずつ並べていく良晴組。
「料理は見た目や素材の銘柄じゃねえ! 美味いかどうか! それが大事なんだッ!」
「そう言われてもねえ……。黒くて堅くて……しかも白い変なねばねばがぶっかけられてる……」
「おひぃ様、とりあえず喰うてみまひょ」
最後の仕上げに入っている光秀と現代人二人以外の全員が、嫌そう〜な顔をしながら、揚げたこ焼きマヨネーズ付きをパクリ。
……
……
しばしの沈黙。
(やべえ!? もしかして戦国時代の人間の口には合わない味だったかッ!?)
マヨネーズが酸っぱすぎたか、揚げたこ焼きが堅すぎたか。
一瞬「終わったあああ」と絶望して崩れ落ちる良晴。
そんな中、最初に口を開いたのは今井宗久だった。
「……相良はん……! なんちゅう……なんちゅうもんを、喰わせてくれはったんや……!」
あの今井宗久が落涙ッ!
これは尋常ではないッ!
「うわあああ! おっさんもしかして激怒してるッ? 泣くほど後悔してるッ? 悪かったッ! 会合衆の代表を賭けた勝負になるなんて考えてなかったんだ―――――!!」
ひたすらに土下座して詫びる良晴。
「違う! 美味いんや! 泣いてしまうほどに!」
「え?」
試食を終えた面々が感動の声を一斉にあげる。
猫舌の五右衛門も、肥ることを気にする半兵衛も、敵の津田宗及迄もが揚げたこ焼きを大絶賛。
「たこ焼きを油で揚げるとは奇策も奇策。相良様は料理の天才かもしれませぬな」
「いやいや。揚げたこ焼きは別に俺のオリジナルって訳じゃねーから……いいのかな……」
「これはたこ焼きとは申せ、某が考案した料理とは全くの別物。これならば納屋独占のたこ焼きを手放したという気にはなりませんな。
いや、流石は未来から来たお人だけのことはある」
この予想外の成り行きに驚愕したのはもちろん、光秀であった。
「ここここういう場合、さささ先に料理を出した方が負けると決まっているはずです! ししし信じられないです!」
何にも増して耐え難いのは町娘の吉に変装した信奈が、笑顔で良晴といちゃついていることだった。揚げたこ焼きを良晴にフーフーしてもらうわ、「あ〜ん」してねだるわ、心底良晴に心を許している。
「仕上げのソースはどれぐらい塗りましょうか」
「そそそソースは中止です! あんなくどくて下品な味の代物では、あの怪しげなマヨネーズとやらには勝てません!」
「(この人関西の皆さんに喧嘩売ったよ……)ではそのままで出すと?」
「そんなことはしません。かくなる上は、必殺の調味料を使うですッ!」
光秀の目は紅蓮の嫉妬の炎で燃え上がっていた。
「え? そんなものありましたっけ?」
「ありますですッ!! これならば、絶対に信奈様が大喜びすること間違いなしですッ!」
完全に光秀は焦りと嫉妬に心を支配されていた。
折角技術と予算を惜しみなく費やして極上至高のたこ焼きを完成させたというのに。
「さあさあ、これを喰いやがれ、ですッ」
会合衆は一人残らず凍り付いていた。
何故なら、たこ焼きの上に、たっぷりと。
そう、たっぷりと、三河名物の八丁味噌がぶっかけられていたからだ。
「八丁味噌の中でも特に熟成した最高級品をつかったです! 松平元康殿に頼んで取り寄せたのですッ! さあさあ、遠慮せずにどうぞ召し上がれですッ♪」
……
………
…………
「ふっふーん。感動して金縛りになったのですか? 遠慮しないで、冷めないうちにいただくですッ♪」
審査員の中に、この光秀の「どうだ参ったかです」と言わんばかりの得意満面の笑顔に「こんなゲテ物食えるか」と言えるものはいなかった。
一同、恐る恐る「味噌たこ焼き」を口に放り込む。
「うーん。まあまあいける……ことも……ない……ことも……」
「……苦い」
「ぢ、滋養はつきそうでちゅな」
日ごろ、味噌料理を食べ慣れている美濃尾張から来た面々でさえこの通り。
普通の味噌の三倍苦い特製の熟成八丁味噌は、慣れている光秀はともかく、八丁味噌自体に馴染んでいない堺の面々は誰も完食できなかった。
「な……なんやこれは……」
「あかん……わての舌が、舌がアホになってしまう……」
そして光秀に勝負を賭けていた津田宗久はたこ焼きを刺した爪楊枝を、無言でこっそりと皿の上に戻していた。
「確かにこの味噌は高級品。たこ焼きも完璧な仕上がり。料理自体の完成度は、相良はんのものより遥かに高みにある。そやけど、素材同士の調和がとれとらん。
高級な素材がみな台無しや。どないかしておひぃ様に気に入られたいという焦りがそのまま、料理の出来に現れとる」
今井宗久がぴしゃり、とダメだし。
「えええええええッ……だ、だ、駄目ですかああああっ!? そんな……まさか……!」
光秀、がっくりと膝をついて敗北を覚悟した。
「し、七梨先輩ごめんなさいです。折角お力添えをいただいたのに……」
「落ち込む必要はありませんよ、光秀さん」
太助は腕を組んで、冷静に言った。
「俺達が負けることなどありえませんから、絶対の、絶対に、ね」
そして……。
しばしの休憩の後に行われた、会合衆による投票の結果は。
太助の言うとおり、光秀が、大差で。
勝った。
「やったですうううううううううう!!」
「よろしいですな。これより、手前が会合衆の代表」
やっぱり八丁味噌は最高の食材です! と大はしゃぎで飛び回る光秀と腕を組んだままの太助。
「……おかしい」
「さては津田様が会合衆の皆さんを買収したのでは」
犬千代達が一斉に抗議するが、光秀はそんなことはどうでもいいとばかりに「ふーん。負け惜しみですね、見苦しいです」と空気を読まずに大威張り。
「拙者、京へ帰るでござる! これ以上明智氏の顔を見ていたくにゃいでごじゃる!」
「わたしもです。まさかこんな八百長勝負で本当に良晴さんを左遷しないでしょうね」
「……太助をあんなにこき使ったのに……むかついた」
五右衛門、半兵衛、犬千代は怒気を発してその足で京に戻ってしまった。
静かに茶を一服する津田宗及に、今井宗久が話しかける。
「これだけの票を買い取るとはかなりの大金を使いましたな、天王寺屋はん」
「もう少しいい勝負になると踏んでいたのですがね。八丁味噌のおかげでかなりの痛手です。まあ、客に売る際には味噌を使わねばいいだけのこと――
それより納屋さん、あなた、手前が皆を買収するのを黙って見過ごしましたね? 何故です?」
「何しろたこ焼きの独占権を手放すんや。あんたらが買い取らなんだ相良はんの『揚げたこ焼き』は某の独占物とさせてもらおう。異存は、おまへんな?」
津田宗及は言葉に詰まった。ある、と言えば今井宗久は買収の事実をぶちまけるだろう。今井宗久は良晴が揚げたこ焼きを開発した時から、その独占権を抑えるために良晴の敗北を望んでいたのだ。
「成程……名より実を取った、というわけですか」
「左様。会合衆代表の座なんぞ、おひぃ様が今以上に大きくなれば、自ずと某の掌に転がり込んできますからな」
「どうでしょうか? 京の公家衆の間では、織田信奈様の評判はすこぶる悪いとか」
(あなたも織田様ともども、足を救われぬよう気を付けねばなりませんよ、か……。成程、大体わかったよ。あんたが光秀さんにやらせようとしていた依頼の出所がな)
太助は腕組みをしながら、ずっと津田宗久と今井宗久の会話に耳をそばだてていた。
良晴は、もう終わったことと気にしていなかったが、太助は「何故南蛮人の反感を買うようなことを光秀にやらせたのか?」その理由をずっと考えていたのである。
だがこれでわかった。
あの依頼の大本は京の公家衆――おそらくあの男――で間違いない。
(だけど、まだ証拠がない以上、誰にも言わない方がいいだろう。今はそれよりも……!)
太助は光秀を睨みつけた。
だがその視線にも、喜びの絶頂にある光秀は気付かないのであった。
「この勝負は私の勝ちですね、先輩」と鼻高々の光秀。
「お、おかしいじゃねえか!」
「ぜんぜんおかしくないです」
「むっきー!! 人の勝ち星を横取りしやがって! 今井のおっさんに謝れ!」
「ふっふーん。百歩譲って票の不正があったとしても津田宗久がやったことで、私は全然あずかり知らないことです。勝負の世界は厳しいのです、相良先輩」
今井宗久の屋敷。
信奈と今井宗久の前で、良晴と光秀はなおも口論を続けていた。
良晴は全然納得がいかないし、光秀は「不正があろうがなかろうがこの十兵衛は知らぬことですし」とケロリとしている。
「お前、意外とせこいな……そこまでして信奈の第一の側近になりてーのかよ?」
「当然です」
そして光秀は、太助に語ったことを良晴と信奈にも語った。
明智家のルーツ。才を見抜いた母が我が身を犠牲にしてその才を伸ばしてくれたこと。
正徳寺で信奈の夢を知って以来その夢に仕える決意をしたのに、信奈の傍にはとんでもない下剋上野郎が就いていたこと。
「私は、どんなせこい手を使ってでも信奈様をお守りするために追い落とさなければならないのです!」
「下心なんかねえよ! 重兵衛ちゃんの真っ直ぐな志とか母親孝行の思いは分かったけど、俺はそんな悪い男じゃねーってば。誤解だぜ」
ずっと無言で二人のやり取りを眺めていた信奈が、ぼそりと口を開いた。
「十兵衛がお家再興の為に頑張っているのは分かったわ。でも今はとにかく、厨房係送りの件よ」
こめかみがぴくぴく引き攣っている。
さあ来た、と良晴が身構える。
「勝負は勝負。まさかサルの干し首一個で勘弁してもらえると思ってる訳?」
「いや……しかし……」
凄まじく不機嫌そうな信奈に今井宗久が話しかける。
「おひぃさま。某は津田宗及が票の買収をやっとると知っていながら『揚げたこ焼き』の権利を押さえるために見逃したんですわ。
しかし実際には間違いなく相良はんが勝っとりました。ここは某の面目を立てるちゅうことで、なにとぞ寛大なお裁きを」
「そうは言っても、約束は約束だし……」
「(えッ!? 俺って実は今井のおっさんに背後からブスリとやられてたのかあ!?)厳しいぜ……商いの道はマジで厳しいぜ……思い知った……!」
信奈の心中は、重兵衛を叱りつけたいが、票の買収そのものは、会合衆代表の地位を欲した津田宗久が勝手にやったことなので責めづらい。
今井宗久がこれほど銭にこだわるのも、自分に身代全てを傾けて投資するためなのだと分かっているし。
だが……一番腹立たしいのは、良晴の左遷に異議を唱えることを良しとできない自分の気位の高さだった。
「信奈様。この勝負私が勝ちました! さあ、公正なるご沙汰を!」
天真爛漫な笑顔で迫る光秀。
この空気の読め無さに、「左遷の罰は無しで」という方向で丸く収めるつもりだった今井宗久も顔色を変える。
「そ、そうね……」
「さあ信奈様。『サル、あんたは岐阜城の厨房係に降格!』と仰って下さい!」
「……う……で、でもね。得票数はあんな形になったけど、実際にはサルの『揚げたこ焼き』の方が好評だったわ。ここは引き分けということで……」
「ですが、対決は私の勝ーちーですー! 先輩からも信奈様を説得してください!」
あと一押しと見た光秀は太助に援護を頼むが。
「黙れ、きんかん女」
ぼそり。
……
空耳、ですよね?
今の黒い言葉……まさか、私には劣りますが、あの生真面目な七梨先輩が……まさか、です。
「じゅ、十兵衛ちゃん! 謝れ、今すぐ謝れ! 太助の奴完全にキレてるから!」
「は、はあ!? この良い子の十兵衛光秀が何を謝らなくてはならないのですか! 何度も言いますけど、票の件は津田宗及が勝手に……」
ボゴッ!!
光秀はそれ以上言えなかった。
太助が、光秀の顔を手加減無しで殴り飛ばしたからだ。
「黙れと言っただろうが、きんかん女。黙って聞いていれば人を苛立たせるようなことをグダグダグダグダと……。どこまで人を見下していやがる。
言ったよな? 俺はお前と友達になりたいって。悪いがあれは無しだ。悪いことをしておいて、自分は悪くないと言えるような人間と友達になる気は無い」
ええええええッ?
「せ、先輩? まさか……まさか、先輩って裏表のある性格ッ?」
「違う。礼儀正しい人間には礼儀正しく。お前みたいな人間不信のクズに尽くす礼儀なんて持っていないってだけだ」
「に、人間不信?」
「わかっていないのか?」
ゴスッ、と容赦なく頭をドつく。
「いたッ! 何がですかッ」
「あんたは心の中では『信奈さんの理想を真に理解できるのは、この世に自分しかいるはずがない』そう思ってる。それは自分の行いが常に正しいと疑いもしない
この世で一番の馬鹿がやることだ。あんたは自分しか信じていない大馬鹿だ」
だから、俺がやったことにも気づいていなかった。と言って太助は信奈に向き直る。
「信奈様。俺はこの勝負で不正を働きました。光秀さんは知らないようでしたが、俺は津田宗及の買収に初日から気が付いていました」
今井殿が証人です。との言葉に信奈はちらりと宗久を見る。
「は、はい。ですが、津田宗及なら票の買収を行っても不思議ではないっちゅう程度のもんです」と今井宗久。
「それだけではありません。光秀殿が用意した食材の一部を、良晴さん達のものとすり替えました」
「……デアルカ、理由は?」
「ありません。とにかく俺は不正を働きました。厨房係の罰は俺が受けるべきです。では」
そう言って太助は部屋を出て行こうとする。
「待つです先輩!」
その時、光秀が声を上げた。
「確かにあのような不本意な勝ち方をしたのに、はしゃぎ過ぎたのは私の落ち度です。でも先輩にだって母上がいるでしょう? ならば、母上の為にという私の気持ちも……」
「わからないね」
「だって俺、母さんにそこまでされたことないもん」
ま、詳しくはシャオに聞いてよ、と言って今度こそ太助は部屋を出て行った。
「それで、私に話を聞きに来たんですね」
今井屋敷の別の部屋。
あれから光秀はシャオを訪ねていた。
「私には信じられないです。七梨先輩が母上の為に働くという気持ちが解らないなど」
「……太助君のお母さんは、太助君を生んでしばらくしてから旅に出ているんです。『私はもう十分愛してもらったから、今度は私が誰かを愛しに行く』
そう言って恵まれない人々を救うために日本を離れたそうです」
「そんな……自分の子供を置いて、ですか!?」
「お母さんだけじゃありません。そもそも私が太助君と暮らしているのだって、私の故郷で太助君のお父さんと会って、太助君が一人暮らしをしていると知ったからです」
「え、シャオ殿の故郷というのは……?」
「この時代で言うと……明の国です。太助君のお父さんは放浪の画家だそうで」
時々手紙を送るぐらいかな、なんていうものだから頭に来て、だったら私が太助君を孤独から守るんだーって。
今思うと結構やり過ぎですね。とシャオは照れたように言った。
「それにお姉さんも、太助君が身の回りの世話を一人でできるようになったら、太助君を置いて旅に出ちゃったんですよ。
……だから、太助君は家族の思い出とかいうのが本当に無いんです」
「……先輩は、私が母上を思っているのを羨ましいと……」
「光秀さんは、この戦国時代では珍しいくらい恵まれています。だから太助君はあんなに怒ったんですよ。前田さん達同僚の怒りも買って
織田家で孤立しないためにはあそこで叱らなければいけないと思ったから」
光秀は頭を垂れた。
こぼれた涙が、ポロリ、と手の甲に落ちた。
「先輩は……私を許してくれるでしょうか?」
「太助君は更生の見込みのない人間を叱ったりしませんよ。きちんと謝って、繰り返さないためにやるべきことをきちんと言えば大丈夫です」
だが、事態は激変した。
京へ戻ろうとする太助を引き留めようとしていた良晴が行方不明になり、信奈が良晴を探すために、単身で堺を飛び出してしまったのだ。
良晴を探して単騎、堺の町を飛び出した信奈。
だが、京への途上では、良晴を見つけられなかった。
(どこに行っちゃったのかしら……。あ! もしかしたら『名物勝負もまた戦。戦にせこいもくそもねえ』とか何とか言って、太助の代わりに美濃へ帰っちゃったんじゃ……!)
京を通過して近江に入り、ひょうたんの水を飲みながら琵琶湖の畔をひたすらに駆けた。
(まったく、なんでこんなことになるのかしら。あの二人には手を取り合って一緒に活躍してもらわないと困るのに。生真面目で古の文化教養に詳しい十兵衛と
女好きでスチャラカだけど人とは違う視点から思いもしない知恵を出してくるサル。あの二人なら互いに欠けたところを補えるはずなのに……)
いや、そんな事より、サルにはもっともっと出世してもらわなくちゃ、わたしが困る。
もっともっと手柄を立てさせて、押しも押されぬ織田家の家老宿老格に。
やがては一国一城の主に。
さらには天下統一のための地方方面軍総司令官として、天下平定事業における最大の功労者になってもらう。
その暁には御所から高い高い官位を与えて、目も眩むような高みにあいつを登らせて……。
それでも足りないなら、どうやってもこの国が変わらないのなら、巨大なガレー船を作って一緒に七つの海へと乗り出せばいい。
世界へと。
狭すぎる日本を飛び出して、広い広いこの『地球』へと。
そうすればきっと――。
きっと、この国の誰も、文句を付けられない。
わたしと、良晴との……。
……
(……いや、ちょっと待って。私何を考えているのかしら。熱でもあるのかも)
信奈は浮かびかけた思考を振り払おうとぶんぶん首を振ったり、「何で私がサルの心配をしなきゃいけないのよ!」と騒いだりしながら、街道を突っ走った。
着の身着のまま、町娘・吉の姿で飛び出してきたので、「織田の姫様、ご乱心!?」と民たちに騒がれることは無かったが。
だがしかし。
この馬上でキーキー騒いでる女の子があの織田信奈だと見破った者が、この近江の中山道沿いにいた。
そいつは、フロイスの南蛮寺に押し入ってきた傭兵達の中でも、一人毛色の違った種子島を担いだ虚無僧。
その虚無僧は今、中山道沿いのあばら家に隠れ、信奈を待ち受けていた。
土間の片隅には、何と相良良晴が縄で縛られて転がされていた。
顔中青あざだらけになっているのは、捕われる際に激しく抵抗し、しこたま殴られたためだろう。
「お前、南蛮寺にも来たな? いったい何者なんだッ?」
「どうせ貴様は死ぬ。教えてやろう。俺は杉谷善住坊。甲賀の忍びさ」
「にっ忍者だと?」
「忍びと言っても、俺の獲物は種子島だ」
使い込まれた鉄砲の筒を掃除し煤を掃いながら、善住坊が嘯いた。
「甲賀者は銭によって主君を変える。今の俺は、さるお方に『織田信奈を殺せ』と依頼されていてな。中立都市の堺では流石に殺れなかったので、街道で待ち伏せて殺すことにした」
「その、サルお方ってのは誰だッ!」
「さてね。サルとはいえ、お前じゃない事だけは確かだな」
編み笠の下で善住坊が暗い笑い声を立てた。
「戦なんぞしなくても、玉を取れば勝ちって訳よ」
「……だったら、どうして近江なんかで待ち伏せる? 信奈は京に向かっているはずだぜ?」
「今井屋敷の小物を脅して聞き出したところによれば、美濃へ向かっているそうだぜ」
「はあ? なんだそりゃ。武田信玄が上洛軍でも起こしたのか?」
「ところがだ。あの姫はどうやらお前を探しているらしいぜ」
「俺を?」
「くっくっく。折角のお忍び旅行だ。お前にもう少し、可愛がって欲しかったのかもなあ?」
怒った良晴が善住坊を蹴ろうとするが、きつく縛られていて身動きが取れない。
「貴様を餌に、信奈をおびき寄せる。捕われた貴様を見たあの姫が慌てて近寄ってきたところを、ズドン、だ」
「こんな馬鹿な真似をして誰が得するっていうんだよ? お前、信奈にどんな恨みがある……!」
「恨みか。そんなものはお前にも織田信奈にも、別に持っていない」
「だったら、雇い主が払った三倍の銭を俺が払う! だから……」
「ふん、俺の願いは俺の種子島の腕を天下に轟かせることよ。天下人に名乗りを上げた織田信奈を殺せば、俺の名は甲賀どころか日ノ本中の忍びの間に鳴り響く。
そして俺は、一度定めた的を外したことのない男だ」
「名を売るだと……? ふざけるなッ! そんな理由で人々を絶望させるつもりかッ!」
「その通りよ。俺は殺すも盗むも好き放題のこの戦国乱世が楽しくて仕方がない。ああ。俺や俺の同類から楽しみを奪うという意味では、天下を統一しようとする
織田信奈に恨みがある。と言えるかもな? ふはははははッ!」
(こいつは、生粋の暗殺者だ……。日本が滅茶苦茶に乱れて民が苦しんでいる光景を見て、心底喜んでいやがる……! こいつとは言葉が通じる気がしねえ……!)
「そろそろ猿回しの姫が追いつく頃合いだ。さあ、楽しい暗殺劇の始まりだぜ」
街道の片隅にある茂みの中に、善住坊は棒を突き立てていた。
あばら家から引きずり出した良晴を縄で棒に固定し、自分はあばら家へと身を隠す。
このあたりの道はちょうど急な曲がり角から出てきたところで、しかもそこからは見通しのいい真っ直ぐな一本道。
絶好の狙撃ポイントだった。
(なんてこった……! 俺が殺されるならまだしも、この俺が信奈暗殺の餌にされるなんて……! いっそ舌を噛み切って……いや、そうしたって信奈は俺の姿を
見つけたらやっぱり一目散に駆け寄ってくるだろう。むしろ俺が無様な死骸になっていたらあいつはますます取り乱してまんまと罠にかかるかもしれねえ。
口は悪いし態度は素直じゃねえしとんでもねえ姫さまだが、それくらいは鈍い俺にだって分かるんだよ)
「信奈、これは罠だ! 単純すぎる罠だ! 来るんじゃねえええ!」
その時、良晴の声に呼ばれたかのように、曲がり角の向こう側から馬が駆ける音が鳴り響いてきた!
町娘・吉に扮している信奈だった。
この時、良晴は自分がとてつもない馬鹿をやらかしたことに気が付いた。
叫び声なんてあげれば、自分の居場所を教えているのと同じこと。
さらに知り合いが縛られているのを見れば、まず何を置いても解放しようとする。
案の定、信奈は良晴の言葉を聞かずに、馬に乗ってまっしぐらに良晴のもとへ突き進んでくる。
「ちょっとサル! あんた、なんでこんなところでさらし者になってるのよ?」
「わあああああ! 来るな来るな! 忍者が種子島でお前を狙って……」
「え? なに? きぃきぃ叫ばないで落ち着いて喋りなさいよ!」
後僅かばかりの距離へと縮まった、二人の鼻先に、硝煙の匂いがした。
そして。
善住坊が引き金を引く音に続いて。
種子島が火を噴く大轟音。
管理人感想
ダークレザードさんからいただきました!
行き当たりばったりで絶体絶命かと思いきや、揚げたこ焼きへと路線変更したことで窮地を脱した良晴。
ふとジャンプで連載中の『食戟のソーマ』を思い出しました。「常に想定外の事態が起こりうる厨房で最も必要とされる能力」として現場での対応力が挙げられるシーンがあるんですが、良晴が一番備えてる能力な気がします。技術さえ伴えば料理人として大成できるんじゃないか、こいつ?