織田信奈の欲望、前回の三つの出来事!!

一つ! 揚げたこ焼きと光秀の失策で勝利したかに見えた良晴だったが、津田宗及は裏で買収を進めていた!
二つ! 空気を読まずに勝利を喜ぶ光秀に、太助は完全にブチ切れる!
そして三つ!! 暗殺者、杉谷善住坊が良晴を餌に信奈を狙う!!


良晴が杉谷善住坊によって信奈を仕留める道具にされていた頃。
光秀は単身京へ戻り太助を探していたが、そこに堺の今井宗久から信じがたい知らせが飛び込んできた。

『大和の松永弾正がにわかに翻心。今川義元様の首を狙い、一斉に京へと進軍中。津田宗及が弾正と何やら手紙でやり取りをしていた由。
 京がもぬけの殻になっていると弾正に知らせてそれとなく煽ったのやもしれませぬ』

津田宗及と松永弾正久秀の繋がりが本当かどうかは分からないが、松永弾正は天下の足利将軍を襲撃した、謀反と下剋上の常習者。
織田軍が京に僅かな手勢と新将軍候補の今川義元しか残していないと知り、巻き返せる好機と見たか。
あるいは、今井宗久の予測通り、自由都市である堺を織田家の傘下にしたくない津田宗久との利害の一致か……。
ともあれ、光秀は津田宗及の取った行動を恨まなかった。
津田宗久は商人であって、武士ではないし、商人にも、守るべきものと戦いがあるからだ。

「急ぎます! 清水寺へ!」

光秀は守備兵を全てかき集めたが、京に残る手勢は僅かに八百足らず。
この時、光秀は初めて、犬千代、半兵衛、五右衛門の三人に、京に戻ってから会っていないことに気付いた。

(まさか、ずっこいやり方でサル人間を追い落とそうとした私に、愛想を尽かしたのでしょうか?)

名物勝負での三人の怒り具合、良晴の同僚家臣からの慕われ具合を考えれば、ありえることだった。良晴を気に入ってない人間など勝家ぐらいしかいない。

あの人にとって家臣団こそが家族。
家族に大切にされなかった少年の言葉が、光秀の胸を突いた。
敵は一万を超え、味方は八百。
その上、城塞ではなく、寺に籠っての防衛戦。
知恵でどうこうできる戦力差ではない。

「まあまあ。光秀さん、頼りにしていますわよ! お寺の周囲を完全に囲まれてしまいましたけれど、この程度の危機位貴方の知恵でなんとかしていただけますわよね?」

松永の旗印が乱舞する中、常と何も変わらない今川義元の陽気な声。
明智十兵衛光秀は、瞼を閉じ、そして覚悟した。

「御意。京を守るは、明智光秀。この命に代えましても最後まで義元様をお守りいたします」

京を守る。
それは信奈が自分に下した命令だ。
同僚に見放されたのは、自業自得。
自分はただ、信奈が美濃から兵を率いて駆け付けるまでの間、今川義元を守り抜くのみ。
その為には、自ら前線に立ち、種子島を撃って敵の名だたる将を討ち取り、松永勢を怯ませて時間を稼ぐ。
この戦力差ではそれしかない。

(援軍が来るころには私の命は尽きているでしょう……。信奈様、先輩たち。謝ることが出来ず申し訳ありません。……さあ、涙はここまでです)

種子島を構えると、光秀は庭へと飛び降りていた。
この命が尽きるまで、一人でも多くを撃ち倒し、一刻でも長く時間を稼ぐ――。

「明智十兵衛光秀、参る」

その瞬間、門が破られ、敵兵がなだれ込んでくる。
その兵たちの先頭に立つ、一人の異国風の華麗美女。

「うふ――我が名は、大和は多聞山城城主、松永弾正久秀。以後お見知りおきを。すぐに、末期の別れとなりますけど」


第十七話「炎の清水寺と胡蝶の夢と幻術遣い」


光秀は、「この女が……!?」と思わず目を見開いた。
そう。松永弾正久秀は――。
妙齢――三十歳になるかならないかの、熟れ頃の美女であった。
褐色の肌と、彫の深い顔立ちは、異国人の血が入っているからかもしれない。
この時代の女性としては珍しい、清楚な短髪。
唐風の真っ赤で派手な衣装で豊満な体を包んだ、女の色気を匂い立たせるいでたち。
楊貴妃の如きたおやかな笑顔と、菩薩の如く溢れる母性。
世間で言われるような、天下に名高い大悪人には、到底見えない。

「槍は宝蔵院流にございます」

そして久秀は十文字槍を構えた。
十文字槍、別名、鎌槍。
足軽同士の槍衾戦では、長槍は相手を叩くために使われる。
しかし、一騎打ちにおいては、『突く』しかできない槍は八斬一突、変幻自在の刀に対して圧倒的に不利。
だが、十文字槍は穂先の左右に、一対の三日月形の刃が伸びている。
宝蔵院流槍術は、この刃を利用して薙刀の如く『薙ぐ』鎌の如く『引く』という選択を加えた、変幻自在の槍術なのだ。

「『槍は宝蔵院流』――もしや弾正殿は、興福寺の御出身でしょうか」
「ええ。その通りですわ」
「ならば、何故足利幕府を滅ぼし、奈良の大仏を灰燼に帰し、織田家の天下布武を妨げんとするのですか。仏の道を見失いましたか!」
「見失ったのは人の道と心ですわ。我が主・三好長慶様を失った時、私の心も共に死にました。以来、私自分が夢うつつの世界に迷い込んだように何もわからなくなりましたの」
「三好長慶を殺したのは、お前自身でしょう!」
「それは悪しき者共の噂。わたくしはあの御方を我が子のように心底慈しんでおりましたの。あの御方を失った悲しみのあまり、つい、都も大仏も焼いてしまいたくなった。それだけの事ですわ」

久秀は光秀の詰問にも、夢を見ているかのような妖艶な笑みを浮かべて答える。

「今のわたくしはただ、織田信奈様がわたくしの新たな主君として相応しい御方かどうかを見極めたいだけ。
 人は生と死の瀬戸際でこそ真実の姿をさらけ出す……貴方ご自身の真実の姿も、また……。うふふ」
「私はただ、信奈様を信じてついていくだけ。私は、あの方の夢におのが人生を賭けたです! 夢うつつに惑っているような者に、私が斬れますか!」
「うふ。これ以上の議論は無駄ですね……さあ、殺し合いましょう。あなた方を混沌の世界へと、お連れいたしましょう」

血と火炎と喧騒の中、落ち着き払った松永久秀が、じりっ……じりっ……と近付いてくる。

「宝蔵院流が相手なら、種子島では勝負になりません。私も、剣を抜かせていただきます」

このような狭い場所での近接戦闘では、種子島に頼れば確実に殺される。
光秀は種子島を捨て、腰の刀――備前長船長光が門下、近景の策――明智近景を抜いた。

「ついに抜きましたわね……。気高く美しき姫よ、冥土へ旅立つ前に名をお聞かせ願いたいですわ」
「我こそは清和源氏の流れを汲む土岐市の末裔、明智十兵衛光秀。剣は――」
「明智が光り、秀でる。貴方に相応しい美しい名ですわ。しかし剣の腕はどうでしょうか?」

久秀がほくそえみ、そして、光秀は地摺り青眼の構えのままに突進した。

「剣は鹿島新当流・免許皆伝」
「えッ!?」

名乗りを聞いて、久秀はひらり、と後ろに飛んだ。
その判断が、久秀の命を救った。

「まさしく、今の太刀筋は鹿島新当流奥義「一の太刀」馬鹿正直に名乗らなければ、両腕を落せていたはず。
 織田信奈を理解できる発想に加え、種子島も剣も一流。まさに戦国の世が産み落とした奇跡の天才」

光秀をそう評したのは松永勢の足軽に成りすましていたシンだった。
が、誰も彼を気に留めていない。
固唾を飲んで、宝蔵院流の槍使いと少女剣士の対決に見入ってしまっていたからだ。
誰も、声を発することができない。
お互い、一歩、さらに一歩と接近していき、ついに回避可能な距離を超えた。
初動の速い方が勝ち、遅い方は、死ぬ。

「……」
「……」

静寂と闇の中から響くは、二人の呼吸音のみ。
そして。
二人の腕が稼働を開始した、その刹那――

「そうそう。一つだけ、お教えしておきますわ」

それよりも早く、久秀の唇から、猛毒が撒き散らされた。

「甲賀の杉谷善住坊が、織田信奈様を近江路で待ち伏せして撃ったそうですわ。あの者は百発百中の殺し屋ですから、信奈様はもうお亡くなりになったんじゃないかしら?」
「……な……なんですと?」

何か、怪しげな香りを嗅がされている……光秀がそれに気付くよりも早く。
光秀の心は、その忌まわしい言葉に捕われ、意識が、瞬間、飛んだ。
自身の存在意義が、足下から崩壊したかのような衝撃だった。

(あの、信奈様が……死んだ!?)

悲鳴をあげそうになったところを、精神力でかろうじて持ちこたえる。
瞬刻、隙が生まれた。
久秀が勝利を確信するには十分すぎる隙が。

「……うふ。我が春花の術にかかりましたね」

久秀の十文字槍が、蛇のようにするすると伸びて。

「……しまったです……!」

十兵衛光秀の、白い首筋へと――。


だが光秀は、絶命しなかった。


光秀と久秀の間合いの中に大胆不敵にも身を躍らせ。
十文字槍の穂先を、剣で受け止めた者がいた。
久秀がいきなり飛び込んできた第三者の出現に、舌を打つ。

「ぶしつけな。貴方は……?」
「通りすがりの超戦士だ、覚えておけ」
「一騎打ちに割って入るとは、卑劣ですわ」
「その舌先で先手を打ったあんたには言われたくないね。この人は騙されやすいんだ」
「あら、騙してなど。信奈様のお命は十中八九、すでにこの世には……」

松永久秀が確信めいた物言いをするのが気になったが、太助には詮索するだけの情報も時間も無い。

「者ども! 狙うは今川義元の首一つですわ! 邪魔する者は撫で切りにしなさい!」

久秀は一騎打ちを諦め、乱戦へと持ち込んだ。
一斉に松永勢の足軽兵が槍を突き上げ、刀を構えて攻めかかる。

「まずいな。乱戦に持ち込まれるとこっちが不利だ」

十文字槍から光秀を守った太助――ディケイド。
どうしてここに? としばし立ちすくんでいた光秀が、ディケイドに声をかける。

「まさか、第一声がそれですか? 名門中の名門の光秀さん?」
「え……。いや、今はそんな事より……」
「そんなこと!? そ・ん・な・こ・とぉ!?」
「あ……ご、ごめんなさい。あの時は、すいませんでした……」
「はい、わかりました。で、どうしてここに? の理由は、仕事だからです」
「こんなところに来ている場合じゃありませんよ先輩! 信奈様が杉谷善住坊に狙撃されて」
「それで?」
「え?」
「あいにくですが、織田信奈には四人も仲間がいるんだ。たった一人の暗殺者なんかに殺されるはずがないでしょう」
「そ、そんな理屈!」
「話は後よ、十兵衛!」

ドンッ!
清水寺本堂の屋根の上から、轟音一発。
種子島――。
撃ったのは無論。

「信奈様!?」

無傷で生きていた。
いかにして暗殺者の魔の手を逃れたのか、尋ねている余裕は無かったが、五体に再び気が満ちてくるのが解った。

「チッ。間に合ったはいいけど、やっぱり兵力差は圧倒的ね。絶体絶命だわ」
「信奈様。かかる事態となったのは、全て私の失策ゆえです。私を、お叱りには」
「そんな話はこの窮地を乗り切ってからだ、十兵衛ちゃん!」
「サル人間……わかったです!」
「名物勝負の件は後で決着をつけるでござる。生きられよ、あけちうぢ!」

五右衛門の手引きで屋根に上ったらしき信奈は、三丁の鉄砲を傍らに並べて良晴に弾を込めさせ、次々と敵兵を撃ち続ける。

「……犬千代、参上。お腹すいた……」
「味噌たこ焼きはやっぱりまずいですが、今は松永勢を追い払うときです!」

犬千代と半兵衛も、信奈の背後から屋根に上って顔を覗かせた。

「十兵衛! 岐阜に戻る時間は無かったの。悪いけど、援軍は五人だけよ! 今こそ明智の桔梗紋を天下に翻らせる時!
 私があんたの背中を守ってあげるから、思う存分戦ってみせなさい!」

信奈が光秀へ、心からの信頼の言葉を向ける。
だが、松永久秀の囁き声は、立ち尽くしている光秀の耳を通り、心を侵していく。
これは夢。
夢幻ですわ。
貴方は、ご自分の望む夢を、ただ見ているだけ――。
薬物を使った催眠術。それこそが『春花の術』の正体なのかもしれない。

「そうです……これは。これは夢です。私はサル人間をいじめて、かかる失態を演じ、七梨先輩に愛想を尽かされた。信奈様にも嫌われ、前田殿たちにも見捨てられた。
 こんな私の為に、たった五人で信奈様たちが助けに来てくれるはずがない。私はきっと絶望のあまり夢を、幻を見て……」

光秀の隣で敵方の雑兵を蹴散らしていたディケイドが、光秀の頬を叩いて叱咤する。

「痛いッ! ななな、何するですかッ!」
「あっさり口車に乗るんじゃないッ! 良晴さん、事情説明!」
「何で俺……って、そういやお前も知らないんだっけ。よし! いいか、十兵衛! 近江路で杉谷善住坊は俺を捕らえ、人質にして信奈をおびき寄せたんだ!」
「そしてあえなく撃たれたのですね。つまり、あの信奈様は幽霊!」
「違う! その直前に、杉谷善住坊が何者かに撃たれたんだ! そして、犬千代達三人が駆け付けたのを見て、善住坊は信奈を撃ち損じたことに
 驚き怒り、「信じ難し、織田信奈には天の加護でもあるのか」と捨て台詞を吐いて遁走した! 犬千代達は京に戻らぬ信奈の行方を捜していたんだ!
 断じてお前を見捨てて京を捨てたんじゃねえ!」
「だからって、圧倒的に不利な清水寺にたった五人で舞い戻るわけがないでしょう! ここは京を守るこの十兵衛光秀に任せて岐阜城から兵を連れてくるのが常道……!」
「ああ! 一応、五右衛門は反対した。源氏の血を引く将軍候補なら探せばまだ出てくるはず、義元にこだわる必要はないってな! だが信奈はこう言ったんだ。
 『明智十兵衛光秀は欠点もあるけれど、わたしと夢を共有してくれると誓ってくれた大切な家臣。見捨てることはできない』ってな! 『今後自分に万が一のことがあれば
 家柄、才能、志の全てを兼ね備えた十兵衛に後を託す』とまで言ったんだぜ! ったく、ここ一番で情を選んじまいやがる、普段からそうしろっての!」
「……嘘です……そんなはずが……これは夢……」

松永久秀が、なおもこれはただの夢……ただの幻……と囁き続ける。
素直すぎる上に、失態を演じた自分はもう役立たずと思い詰めていた光秀は、意志を手放そうとする。
だがディケイドは剣を振るいながら、良晴とともに、光秀に向かって叫ぶ。

「人生は一時の夢……そんなの誰だって一度は考えるさ。『夢は第二の人生』とか『胡蝶の夢』なんて言葉があるのがその証拠だ。でも少なくともこの世界――この夢は、
 明智十兵衛光秀が独りぼっちで見ている夢じゃない! 俺達が一緒に見ているんだッ!!」
「そうだ! 聞いてくれ十兵衛。信奈は口は悪いし、態度は捻くれているし、人に誤解されるのが趣味としか思えない、困った欠点だらけの奴だ。
 だからこれからも自分で直接お前に言うことは無いだろうけど、あいつはお前をそこまで高く評価している。あいつの途方もない夢を共有できるのは、多分天下に
 未来から来た俺達と、信奈と同時代に生まれたもう一人の天才・十兵衛。お前だけだ」

だが、俺達はこの時代の人間じゃない。
だから、あいつに何かあった時、本当に後を継げるのは、お前だけなんだ。

「だから忘れるな。この国は、世界は今、織田信奈を必要としているんだッ! あの人はこの国とそこに生きる人々の、もしかしたら世界中の人々の『最後の希望』かもしれないんだ。
 光秀さん。もしもこの戦を生き延びて、それでも自分を、信奈さんを信じられなくなったら、今この時を思い出せっ! あんたを救うために、織田信奈は
 命を賭けて手を伸ばした。その事実を思い出せッ!!」

なぜだろう。
なぜ、サル人間は、そんな哀しげな、祈るような目で自分を見つめてくるのだろう。
なぜ、七梨先輩は、そんなに必死に自分に訴えかけるのだろう。
この時の十兵衛には理解できなかった。
何故なら、彼女は知らないからだ。
信奈と合流した時、良晴が「十兵衛はいずれ謀反人になるから見殺しにしよう」と心を鬼にして献策しかけたその言葉を飲み込んで、光秀の未来も信奈の未来も
どちらも摘み取るまいと心に決めて、「俺が歴史を変えてやる」と決意したことを。
二人が「本能寺の変」という光秀と信奈。二人にとっての「破滅の未来」を既に知っているということを。
だがなぜ愚直に信奈を慕う光秀がそのような謀反に及ぶのか、良晴には想像もつかない。
明智光秀が「本能寺の変」を起こした直接的な理由は、21世紀になってもなお謎のままなのだ。
ましてや、今この時、信奈を一途に慕う今の光秀にわかるはずもない。
ただ、一つだけ、光秀に理解できたことがあった。
相良良晴は、おべっか使いのお調子者ではない――。自分にも負けないくらい、信奈を想っているのだ、と。
しかし、なぜだろう。
なぜ、太助の訴えかけるような声に、こんなにも胸騒ぎを覚えるのだろう――。

「うふ……明智様は我が術で心を操れる御仁かと思いましたが、どうやらその奇妙ななりの男の言葉の方が力が強いようですね」

光秀を籠絡できぬと知った久秀はいよいよ本堂に火矢を射かけさせ、義元も信奈も共々に燃やしてしまおうとばかりに総攻撃を仕掛けた。

「ああ……織田信奈様。よくぞ、善住坊の暗殺を凌がれました。今こそ、貴方の真の姿を見定めさせていただきますわ――我が生涯の主に相応しい御方かどうかを」

光秀と太助はやむなく庭園から退き、本堂の廊下を守る。

「この私を値踏みするとはいい度胸だわ、松永弾正!」

屋根の上から眼下にうごめく敵兵の群れを見下ろす信奈が、左右に侍り弓を使っていた犬千代達に十兵衛と太助の加勢に回るよう、目で合図を送る。

「蜂須賀五右衛門、参上でござる」

音もなく廊下へ姿を現す五右衛門。流石にこんな超シリアスな場面で噛みたくないのか口数が少ない。

「前田犬千代利家、参る」

犬千代はド派手な朱槍を構えて、屋根を滑り降りて乱戦が繰り広げられている廊下に着地する。

「……ぜぜぜ前鬼さん、後鬼さん、よろしくお願いします!」

半兵衛は頼りない足取りで降りようとして、結局廊下まで転げ落ちてしまったが、涙目になりながらも式神たちを繰り出して、本堂の消火に当たる。
この時、半兵衛の活躍を見た松永久秀が、自分の全てを見せた。

「まあ、陰陽師さんですか。わたくしも、あやかしの術師として振る舞わなければなりませんわね」

宝蔵院流槍使いにして、最強最悪の幻術遣い。
それが、妖婦・松永弾正久秀の真の姿。
清水寺の渡り廊下へ、重力を無視して宙を飛んだ久秀が降り立った。
標的は、咳をしながら懸命に護符を繰り出し続ける竹中半兵衛。

「一度お会いしたかったですわ。美濃菩提山の臥龍さん?」

半兵衛が久秀の全身から放たれる禍々しい妖気に「ぴくっ」と身を震わせ、前鬼と後鬼を呼び寄せる。

「まずいな……。光秀さん、しばらく一人で頑張って!」

消耗した半兵衛では久秀の相手はまずいと判断したディケイドも、渡り廊下へ飛び降り、半兵衛を庇って久秀と対峙する。

「……貴方は……ただの侍ではないのですね」
「ええ。仏の道なども学び、今は松永久秀などと名乗っていますが、わたくしの出自は流浪の幻術遣い。陰陽師にとっては不倶戴天の敵ですわ」
「幻術遣い――奇門遁甲とも真言密教とも一切関わりの無い、遥か異国のあやかしの技を為す者ですね」
「うふ。わたくし、平安朝の昔よりうまくこの国に取り入っている陰陽師を見ると我慢できませんの。源流が定かではない我が術は、常に異端、邪悪と恐れられてきました」
「幻術の起源……半兵衛さんも知らないんですか?」
「はい……ですがこの方は恐るべき腕前です……! 松永様。それはもう大昔の話です。御所を霊的に守護していた土御門家は没落し、
 京を捨てて若狭へと去りました。貴方に妬まれる理由はありません」
「そうですわね。今の言葉はただの理屈ですもの。私は優れた陰陽師である貴方と腕比べがしたいだけ。それに……」
「それに?」
「なぜあなたは織田信奈様に力を貸すのです? あの方は、神をも仏をも恐れぬ、私たち闇の者にとっては真の大魔王たるお方。古代よりこの京の大地を貫く龍脈を断ち、
 陰陽師たちが作り上げた怨霊封じの大からくりを根底から破壊する者。あなた達陰陽師に残された力は、そのからくりを壊され龍脈を断たれたときに、消え失せてしまう。
 あなたはちゃんと解っているはずですわ」

半兵衛はうっすらと微笑んで答えた。

「これ以上、私たちは薄暗い闇の秘術を用いてこの国を乱してはならないんです。民を守れる力をなくしてしまった、あやかしの者は日輪の光の前に
 静かに消えるべき時が来ているのですよ」
「では――あなたは、もしや!? まさか……あなたは、そのような覚悟を持って……!」

ディケイドは久秀の声が、驚愕と畏怖で震えているのに気付いた。
半兵衛の言いたいことは、陰陽師はもう消え時である、ということだろう。
しかし、久秀の驚きようは何なのだ?

(まるで……陰陽師をやめてしまえば、半兵衛さんが……!)

その時、久秀が動いた。
指を鳴らすと同時に、黒い天空から、五体、十体、二十体、と次々に何かが降ってくる。
その正体は、久秀自身の童女時代の姿を写し取ったかのような、若く幼く美しい娘たち。
が、その瞳に光は宿っていない。

「傀儡……これがお前の本当の力か!」
「その通りですわ。幻術遣いの真価は幻での目くらましではありません。波斯より伝わりし傀儡使いの技こそ、幻術の奥義。大日如来、阿修羅、
 全て波斯の最高神アフラ・マズダーの相の一つなのですわ」
「そんな……これほどの術者がいたなんて」

陰陽道と全く異なる体系、かつ、密教や奇門遁甲と言った唐国伝来の文化とも無縁。
西の最果てである印度よりもさらに西の国、波斯。
おそらくは、その地においても遠き昔に滅び去った術。
最高クラスの陰陽師、竹中半兵衛にも理の解らぬ術。
それが、長大なシルクロードの終点である京の都に、久秀自身の波斯の血と共に甦っている。

「さあ、決しましょう。あなたの式神とわたくしの傀儡。どちらが上なのか」

いかに半兵衛と言えども、未知の術師相手では、分が悪い。
その時。

「半兵衛さん。松永久秀は俺が相手をする。貴方は消火に専念して」
「太助さん……でも!」
「心配ご無用。向こうも破壊者、こっちも破壊者。いい勝負ができると思いますから。それに……」

声を潜める。半兵衛だけに聞こえるように。

「自分の欲望を叶えるためにも、半兵衛さんにはまだまだ良晴さんの傍にいて欲しいですから」
「……気を付けてください。松永様の心は、蠍のように捻じ曲がり、乱れてしまっています」
「覚悟が必要って事ですね……」

ライドブッカーソードを、久秀に突き付ける、ディケイド。

「そういうわけだ、待たせたな」
「一度ならず二度までも……本当にぶしつけな方ですわね」
「そんなに上等な生まれじゃないんでね。さあ、来いよ! 主君殺しと囁かれ、死に至る病に倒れた者よ。今から、『希望』って奴を見せてやる!」
「希望? ならば見せてもらいましょう」

久秀が手を振り抜いたのを合図として、矢を射られても弾を喰らおうとも死なない傀儡たちが一斉に。
廊下へ、屋根の上へと舞い上がり、信奈主従に最後の止めを刺しにかかる。

「ちょ。何よこれっ? 何で人形が襲ってくるの? 幻でも見せられてるのッ?」
「違う、こいつらは幻じゃねえ! 実体がある! 逃げろ信奈……!」

万事、休す――!

「ちくしょおおお! 清水寺で終わりだなんてゲームと違うじゃねえかよッ!」
「だから全ての実を拾うことはできないと言ったでござる、ちゃがらうじっ!」

槍で突いても手応えのない傀儡が繰り出す怪力に取り押さえられ、首筋に短刀を添えられた良晴の耳に、五右衛門の怒声が遠くから聞こえてきた。

「諦めては駄目です! 最後まで! ……相良先輩!」

良晴の首を盗ろうとする傀儡の首を、傷だらけの光秀が一閃する。
ディケイドの攻撃だけは、次々と傀儡を破壊していくが、焼け石に水。
とうとう、義元と犬千代も槍衾に囲まれる。
次々と襲い来る傀儡の群れに再び押し倒された良晴は、己の選択を心から後悔していた。

(俺は「本能寺の変」を気にしすぎて、とんでもなく間違った決断を信奈にさせちまった! 光秀が将来信奈を裏切るとしても、ここで信奈が死んじまったら何の意味もねえ!
 ちくしょう! 俺って奴はいつもいつも、見定めたことばかり気にしてすぐに他の事を見失っちまう!)

傀儡たちから手刀や足蹴り、拳撃を全身に打ち込まれながら、なおも光秀とディケイドは良晴を救おうと戦い続けていた。
だが、もう、良晴のもとへは辿り着けない。
光秀が自分に向けて、何かを泣きながら叫んでいる。
何を叫んでいるのか、良晴には聞き取れない。

「十兵衛ちゃん。信奈。太助。皆……ごめんな」

――その時、奇跡が起こった。
夜の京に、新たな馬蹄の音が轟いた。

「援軍だわ!」

屋根の上で傀儡たちに囲まれ、名刀『圧切長谷部』で果敢に抵抗を試みていた信奈が西の方角を指差して叫んでいた。

「西? 山城・摂津の方角だが……あそこには僅かな守備兵がいるだけだろ? これほどの軍勢になるはずがねえ。いったい誰の軍勢だ……!?」

良晴が、目を細める。
援軍の先頭に立っていた南蛮式甲冑を身に纏った娘こそは、堂々と胸を張り、ヨーロッパから渡ってきた白馬に乗った金髪碧眼の少女――。

「フロイスちゃんッ?」

そう、堺で良晴に救われた修道女、フロイスだった。
無論、神に仕える敬虔な修道女であるフロイス自身は、兵など持ってはいない。
だが、多くの味方を彼女は持っていた。

「ヨシハルさん! 畿内のキリシタンの方々をお連れしました!」

そう。それは彼女の仁徳にうたれてキリシタンとなった畿内の人々である。
摂津高槻城・城主、高山ドン・ジュスト。堺会合衆の一人、小西ジョウチン。京の医師、曲直瀬ベルショール。そして、名も無き町人、農民たち。
そして、遥か彼方より、柴田勝家、丹羽長秀率いる美濃からの救援も駆け付けている。

「ば……馬鹿な! こんなことありえない! 高山右近など動きを見せた強い武将に靡いて家名をどうにか存続させてきた苔にも等しいひ弱な武将!
 それが南蛮の娘を押し立てて、織田信奈様に加勢するなどと……!」
「信じられないか、目の前の光景が!」
「信じられませんとも。波斯は波斯、日本は日本、南蛮は南蛮。異なる文化、異なる神を頂く者同士、永遠に混じり合うことも、分かり合えることも無いのですから!」
「だが、あの人は来た! 南蛮の、しかも絶対に武器を持たないはずの宣教師が日本の姫の為に戦いに来たんだッ! 人々はフロイスさんに、フロイスさんは信奈さんに
 『希望』を見たからだ! 絶望して死に場所を探し続けてきたあんたが、日本を変えようとする信奈さんに敵うわけがないんだよッ!!」
「……!」

久秀はかつてない巨大な衝撃を受けた。
そして心の底から思い知った。
織田信奈は違う。
長慶様とも――この国に現れては消えて行った幾多の英傑たちとも――他の誰とも違う。

「貴方は……何者ですの?」
「さっきも言っただろう? 通りすがりの超戦士だ、覚えておけ」
「では超戦士殿。私を信奈様の下へ連れて行ってくださいまし」

そう言って久秀は、十文字槍を足下に置いて跪いた。

「この松永弾正久秀、今度こそ心より信奈様に降伏いたします」


管理人感想

 ダークレザードさんからいただきました!

 フロイス達の援軍を受けて、絶体絶命からの大逆転勝利。
 それほど決定的なフラグなんて立ててないのにこうも慕われる辺り信奈の器の大きさが見えますな。さすがは来世で話術サイドの申し子をやってるだけのことはあるっ!(中の人ネタやめい

>明智が光り、秀でる

 思わず「おでこが?」とつぶやいた自分はきっと悪くないと信じたい(爆)。
 いいじゃないか! 光秀ちゃんのチャームポイントなんだからっ!(開き直るな