「たたた太助と、みみみ光秀が、生きていたってえ? あ、あ、足は、足はついてるのかッ?」

涙目で震えながら、太助と光秀に足がついていることを確かめて、

「よよよかったお化けじゃなかった! お前ら、よくぞ生きていてくれたあああ!」

と狂喜乱舞する柴田勝家。

「お二人のお姿を再び見られるとは……満点です」

うっすらと涙ぐんではいるが、静かでにこやかな表情の丹羽長秀。

「……お腹すいた……きんかん、頂戴」

光秀の髪飾りに手を伸ばし、「だーめーでーす―!」と断られてむくれる犬千代。

「太助……十兵衛……」

信奈は、長い沈黙の末に万感の思いを込めて一言。

「よく、やったわ」
「約束、したでしょう?」
「そうだったわね」
「……でも、どうして助かったの?」

犬千代のもっともな疑問に、太助は不思議そうに。

「あれ? 元康さんはまだ報告してなかったんですか?」
「竹千代が?」

どういうこと? と信奈が尋ねようとするや否や。

「すすすすみません吉姉さま〜。私も今、半蔵から事の次第を聞いたばかりで〜」
「――服部半蔵、参上。七梨太助は、自分に「微塵隠れ」をかけるように言ってきた。土御門久脩に通じるかは賭けであったが、奴があの場に現れた
 明智光秀たちに気を取られてくれたおかげで上手くいった」
「ですが〜、私が兵を連れずに今日から水坂峠へ引き返したせいで、半蔵は私の護衛の為に太助さんを捨て置かなければならなかったのです〜」

たぬ耳の松平元康と、黒装束の服部半蔵が、本陣へとはせ参じてきた。そして、二人の背後には――。

「そこで、俺達が忍びどもに代わって大将を掘り出し――」
「こうして、明智様と一緒に京までお守りしてきたんだみゃあ!」
「まさか、大将を助けに来た明智様を、逆にお助けするとは思わなかったみゃあ!」

金ヶ崎から始まった地獄の撤退戦を奇跡的に生き抜いた、殿部隊の野郎たち。

「ちょっと待つです! とっとと見捨てた半蔵と松平殿に代わって先輩を救おうとしたこの十兵衛光秀のどーこーがッ! 足手まといなのですかッ!!」
「だって明智様、地割れから這い上がるときに太刀を大小共に折ってしまわれて――」
「うッ」
「その時に脱臼したせいで右腕が使えなくなってたし――」
「ううッ」
「大将に肩を貸すぐらいしかしていなかったみゃあ」
「う、う、うわーんッ! 先輩、そんなことないですよねッ!? 十兵衛が来て助かりましたよねッ!? ねッ!? ねッ!?」
「あー、もちろん助かりましたから、泣かない泣かない」

ここに、竹生島に囚われた長政・信澄夫婦と、その二人を救出するために北近江に生き残っている五右衛門、京で療養中の良晴・半兵衛を除くほぼすべての重臣達が、信奈のもとに勢ぞろいした。

「七梨はん。あんたからも焼き討ちを止めるようおひぃ様を――」
「やらないわよ」

説得してください。と続けようとした今井宗久の口が止まった。

「はい?」
「だから、やらないわよ。焼き討ち」
「うふ。非常に残念ですが小燐殿に止められてしまいましたの」
「焼き討ちの準備を整えた上で、浅井朝倉を追い出し、二度とどこにも協力しないと誓うのであれば、焼き討ちはやめる、と交渉するというシャオ殿の策だったのです。今井殿、フロイス殿」
「シャオが? らしくない策だなあ」
「太助君の真似をしてみました」
「俺の?」
「はい。私とデートするときとか結構悪知恵働かせますよね?」
「それで十兵衛。駄目押しとしてあんたに――」

信奈が光秀に命令を与えようとしたところへ――。

「叡山より、使者が参りました!」


第二十三話「生還と交渉とビッグディザスター」


「天台座主様より叡山を任されたこの正覚院豪盛様が、貴様ら姫武将どもに降伏を進める使者として参ってやったぞ!」


やたらと酒臭い、武蔵坊弁慶の如き異形の僧兵だった。

「何たる乱世、何たる末法の世、不浄な小娘共が武具を取って大の男を相手に戦をしているとは……なんと嘆かわしい!」

豪盛は、これ見よがしにそんな憎まれ口を叩き、一方的に話を切り出した。

「浅井久政殿と朝倉義景殿は、伝統ある叡山を灰燼に帰すことは忍びずと言っておる。織田信奈、貴様に我等に降伏する考えはあるか? 条件次第では降伏を認めてやっても良いぞ」
「降伏なんてもってのほか。結ぶならば、対等な和睦よ! そして和睦には条件があるわ」

信奈は、むすっとしたまま、そう切り出した。

「一つ。私を狙撃し、サルに重傷を負わせた杉谷善住坊を引き渡すこと。仏僧たちの修行場が暗殺者を匿うなどもっての外だわ」
「ふん。あの役立たずは山から追放した。いないものを引き渡すことは出来ん」
「デアルカ。まあ、いいわ。でも、次の三つの条件は絶対に呑んでもらうわよ」
「なんじゃ、チビジャリ、言うてみるだけ言うてみい。ぐはははは」
「一つ。火事場泥棒みたいに『金ヶ崎の退き口』に割り込んできて、すんでの所で太助と重兵衛の命を奪いかけた、若狭の陰陽師・土御門久脩を引き渡すこと」
「……ふん……そうじゃのう。引き渡すだけならばよかろう」

随分簡単に頷いたのを訝しむ信奈だが、三好勢が摂津の尼崎へと上陸し、六角承禎も中山道を封鎖した今、一刻の猶予もならない。

「二つ。今後二度と武家同士の争いに関わらぬとの証文を作り、叡山の僧兵たちは直ちに武装を解除すること。そしてこれよりは僧侶本来の仕事に戻ること」
「何じゃとッ、武装解除せよだと? 痴れ者めが、そんな真似ができるかッ!」
「嫌とは言わせないわ! そもそも僧侶の仕事は仏の教えで民の心を救うことと、自ら仏に近づくために厳しい修行をすることで、薙刀とかを持って暴れることじゃないでしょうッ!?
 坊主の特権を持ったまま武力を行使しようだなんて、厚かまし過ぎるのよッ!」

織田家の姫武将一堂に睨みつけられて、豪盛も冷や汗をかく。

「ぐぐぐ何たる迫力。おなごも大勢になると、これほどの圧力になるとは」
「いい? 速やかに武装を解除しないというのであれば、叡山そっくり焼き払うわよ!」
「仏僧たちも焼き払う、と?」
「叡山そっくり焼き払うと言ったでしょうッ!? これは脅しでも、通告でもないわ! 決定事項を伝えているだけよ! 言っておくけど、ちゃんと役目を果たしている
 徳の高い僧だって、長年にわたって風紀の乱れだの僧兵の横暴だのを見過ごしてきたのだから例外じゃないわ! むしろ天罰としておとなしく受け入れるかもしれないわね」

信奈のこの言葉には、豪盛すら度肝を抜かれた。

「き、貴様……神仏を恐れぬのかッ! なんという罰当たりで愚かな小娘よ!」
「違うわッ! 私が恐れないのは、神や仏を錦の御旗に掲げて、その陰で人を想う心を食い物にしている卑劣な人間どもよッ!
 私がそんな卑劣漢たちを殺したからって、神仏というものがもしもいたとしても、決してこの私に祟るはずがないわッ!」
「何という……これだから神仏も学問も理解できぬ小娘は」
「それと、最後の条件よ。これが一番大事なところ。絶対に譲れないわよ」
「まだあるのかッ? 何と厚かましい。三つ目の条件は何じゃ?」
「和睦の調印を行う場所は――叡山の根本中堂! 私自身が、直接叡山に乗り込んで印を押すわ」

それだけは絶対にならんぞおお! と、豪盛が立ち上がって割れ鐘のような怒声を発した。

「ふざけるな、小娘! この南蛮かぶれの罰当たり者が! 根本中堂は『不滅の法灯』を守り続ける聖堂ッ! 叡山にとっての心の臓にあたる、最も尊い場所ッ!
 絶対にッ、穢れた女人をッ、入れるわけにはいかんのじゃあああああッ!!!」


交渉は、決裂した。


「で、どうするんですか。時間が無いのに、問題をこじれさせて」
「うるさいわね。この南蛮文化の新時代に女人禁制だの不浄、ほんっっとに時代遅れでむかつくのよ。こいつの態度を見ているうちにイライラしてきて
 あんな条件をついつい追加しちゃったのよ! しょうがないでしょ!?」
「あのな〜〜……。苛立ち任せでそんなことするなよッ! 俺や良晴さんの命懸けの働きを、一時のイライラで無駄にしてどうするッ!!」

豪盛がどっかと胡坐をかいて「卑しい女人を根本中堂に入れることだけは出来ぬ。不服ならば拙僧の首をこの場で刎ねるがよい。どうせできんだろうがな」
と居座っているその真ん前で、信奈と太助が珍しく大ゲンカ。
何がどうなっているのかさっぱりわかっていない勝家以外の面々も、渋い顔をしている。
彼女たちも姫武将として『女人禁制』の掟を振りかざす豪盛には苛立ちを感じているし、信奈の言葉通り、掟そのものを叩き潰さなければ、叡山は反織田の拠点として利用され続けてしまう。
が、今は何を置いても和睦しなければ、京が危ないのだ。

「そ、そうだ! 豪盛の野郎が女嫌いなのがまずいというのなら、あたしたち織田家軍団でたくさん接待して女嫌いを改めてもらうってのは、どーかなッ?」

勝家が愚策を捻り出すが、「はあ? 色仕掛けで天下を盗ろうだなんて、それこそ姫武将の評判が下がっちゃうじゃない!」「いいですけどね別に。評判下がって困るのは
信奈さんなんですからね、勝家さん」と怒った二人に却下された。

「うあああ……ごめんなさい、ごめんなさい姫様ッ! ああああたしは色仕掛けとか、そそそそこまで過激なことを言ったつもりは〜!?」

勝家が目を潤ませて土下座し、そして怒りと疲れで頭に血が上った太助は。

「……こうなったらこの粗野で卑怯な腐れ僧兵をさくっと斬って、叡山を焼きましょう、イワシのように、アジのように、大仏のように」

そこで豪盛をちらり、と見て、

「この粗野で卑怯で女嫌いの腐れ僧兵だって、掟を破るくらいなら死んだ方がましと思っているでしょうし、だから斬りましょうよ」

ニヤ〜リと笑った。
もうそれしかないのかしら、と信奈が覚悟を決めようとしたその時。


「おーっほっほっほっほっほ! 信奈さん? 随分お困りの御様子。こういうときには征夷大将軍であるこのわ・ら・わに御頼りなさい!」


誰もが完全にその存在を忘れていた、征夷大将軍・今川義元が何故か巫女達が担ぎ上げている輿に乗って颯爽可憐と現れた。

「ハア? あんた、いつの間にか一人称が元に戻ってるじゃない。捕虜のくせして、何調子こいてんのよ」
「あらあらまあまあ。征夷大将軍ともなれば、偉そうな一人称を使うのが当然ですわ!
 本当は『朕』を使いたいのですが、姫巫女様に遠慮して『わらわ』で我慢して差し上げているのですわ!」
「で、何しに来たんですか。忙しいけど聞くだけ聞いてあげますから、終わったら帰ってくださいね」
「まあまあ、太助さん。世は持ちつ持たれつと申しますわ。この度は征夷大将軍のい・ま・が・わ! この今川義元がやまと御所の姫巫女様に直談判させていただき、
 和睦の御綸旨をいただいてきて差し上げますわ!」
「敬語は正しく使えよ!」

しかし、アイデアそのものはこれ以上ない名案だ。というか、もうこれ以外にない。
肝心の使者が『あの』今川義元というのが微妙だが……。

「大船に乗ったつもりでお待ちあそばせ! このわらわの神がかった外交能力を駆使しまして、さくっと御綸旨をいただいて参りますわ! おーっほっほっほっほっほ!!」

この調子なら、あの腹黒お歯黒がどれだけごねても大丈夫だろ。と太助はそう思った。


やまと御所――。

「なんじゃと? あの駿河のお飾り公方が約束も無しに、いきなり御所を訪ねてきたとな!?」

早朝、邸宅から慌てて御所へ駆けつけた関白・近衛前久は、目を白黒させるばかり。
金ヶ崎の退き口から始まった、一連の反織田の動きは、例によって例の如く、この男の陰謀であった。
「織田信奈はこの国から身分制度をなくし、やまと御所も姫巫女様も滅ぼしてしまわんと麻呂を脅してきたでおじゃる」と「嘘と誇張と紛らわしい」表現を駆使した手紙で
戦下手の癖に(だからかもしれない)武家のメンツにこだわる浅井久政の欲望を刺激して、織田を裏切るよう仕向けた。
叡山が浅井朝倉に味方したのも、同じ内容の手紙を前もって送りつけていたからだ。
「織田軍が叡山に釘付けになっている間に所領を回復せよ」と密書を送りつけて、六角と三好が確実に動くように仕向けた。
唯一の誤算は、杉谷善住坊がまたしても信奈暗殺に失敗したこと――。

「あの生意気なサルが死にかけているのは……ざまあみろ! でおじゃるが、失敗した挙句、勝手に行方をくらましおって……。やっぱり忍びなどを信用した麻呂が愚かだったでおじゃる!」

どういうわけかはしらないが姫巫女は織田信奈を気に入っているようだし、あのお飾り公方に合わせたらどうなるか……しかし、時既に遅し。

「おーっほっほっほっほっほっ! それではさっそく和睦の御綸旨を頂けるのですわね! 流石は姫巫女様ですわ!」
「こ……この、頭に響く、耳障りな甲高い笑い声は……!」


「えいざんのてんだいざすをつとめるあにには、ちんじきじきにはなしをしよう」
「まあまあ。怖れ多くも姫巫女様にそこまでしていただけるなんて……この征夷大将軍・今川義元、有り難き幸せですわ!」
「さがらよしはるのけがのぐあいは、どうじゃ」
「それはご心配なく。どうも気づかぬ間に心に負担がかかっていらしたようでしたけど、今は順調に回復しているそうですわ!」
「そうか。さがらよしはるは、だいじょうぶか」
「ええ、ええ、大丈夫ですとも。ここだけの話あ奴はこの征夷大将軍のわ・ら・わが『天晴れ日本男児』と認めた二人の片割れですもの。
 あの男はそう簡単にはくたばりませんわ! おーっほっほっほっほっほ!!」

近衛前久は、くらり……と眩暈に襲われながら、室内を見渡した。

「(今川義元……八つ橋を齧りながら扇子を扇ぐなど、姫巫女様を前にしてなんという無礼な態度!)ま、待つでおじゃる!」
「あらあら、関白さんでしたっけ? まあまあ、白塗りに、描き眉にお歯黒、見事な麻呂っぷりですこと。流石本家本元は違いますわね、おーっほほほほほほ!」
(こっ……この駿河のバカ娘ぇ〜……! 将軍如きが姫巫女様と同格だと本気で考えておじゃるなぁ〜。となると、麻呂がいくら説教しても全部『おーっほほほほ』と聞き流されるだけでおじゃる!
 おのれ織田信奈! 何という最悪な使者を送ってくるでごじゃるか!)

ここは姫巫女を説得するしかない。と前久は悟った。

「姫巫女様、浅井朝倉家と織田家の和睦を取りまとめる件はともかく、叡山の女人禁制の掟だけは破ってはならぬでおじゃる!」
「なぜじゃ、このえ」

御簾の向こうから、幼い姫巫女が不思議そうな声で尋ねてきた。

「叡山と高野山が女人禁制と定められたのは、今よりおよそ八百年の昔、平城京の時代の事でおじゃる。八百年の伝統なのでおじゃる。それを壊すは、
 京の鬼門を守護する叡山の面目を潰し、日ノ本の神事を司ってきたやまと御所と姫巫女様の権威を失墜させるのも同然でおじゃる!
 そもそも霊山における女人禁制の掟は平城京の時代、『養老律令』によって定められたのでおじゃる。決して女人を蔑視しているのではなく、あくまでも仏教の戒律を守る為でおじゃって――」
「このえ」
「はっ、ははっ!」
「『ようろうりつりょう』ではおのこのてらにおける『にょにんきんせい』と、あまでらにおける『だんしきんせい』をともにさだめていたときく。ならば『だんしきんせい』の
 おきてのほうだけがすたれ、『にょにんきんせい』のおきてだけが、のこっているのはおかしい」
「あう、あう、あうでおじゃる」

姫巫女の言ったことは事実である。
元々『養老律令』が制定された当時は、日本の仏教界は男寺と尼寺の二種類の寺院から成り立っていた。仏教は戒律で『男女の僧の性的な交わり』を禁じていたため、やまと御所は
男寺への女性の立ち入りと、尼寺への男性の立ち入りを共に禁じたのだった。
ところがこの国では尼寺は時代とともに廃れたため、「男子禁制」の掟も共に忘れられていった。
そして「女人禁制」の掟は、仏教伝来以前の霊山信仰と結びつき、何故制定されたのかも忘れられて今にいたるのである。

「(ままままさか、幼い姫巫女様が斯様な故事を御存じだとは……)いやしかし女人は不浄と昔から言われているのでおじゃる」

前久が苦し紛れに反論しようとするが、姫巫女はくすりと笑いながら、こう言い返した。

「このえ。にょにんがふじょうであるからえいざんにはいれぬというのならば……ちんがえいざんにはいっても、えいざんをけがすことになるのであろうか?」
「はうッ? そそそ、そのようなことはござりませぬでおじゃる! 尊き姫巫女様が不浄など、そのようなことを申す輩には必ずや神罰が下るでおじゃるー!」
「ならば、にょにんきんせいのおきては、あくまでもそうりょがかいりつをまもるためのものにすぎぬのであろう」
「……そ、そ、その通りでおじゃりまする〜!」
「そもそも、やまににょにんがはいってきたくらいでかいりつをやぶってしまうのであれば、それはそのそうりょのしゅぎょうぶそくというもの。
 にょにんにはつみなどない。そうではないか?」
「は、は、は、はい。その通りでおじゃりまする」

姫巫女の理路整然とした主張の前に、前久はついに抵抗を諦めた。

「おーっほっほっほっほっ! 文句はありませんわね、関白さん? それではこのい・ま・が・わ・よ・し・も・とが、姫巫女様に成り代わり
 叡山の根本中堂にて和睦の儀式を執り行わせていただきますわ!」

今川義元の甲高い笑い声に続き、姫巫女の言葉。

「おだだんじょうにつたえてほしい。ゆめは、ただひとりでみるものではない。さがらよしはるたちをたいせつにせよ、と」
「ええ、ええ。お言葉の意味はよく解りませんけど、御意ですわ!」

この時。
(またしても窮地を脱したか織田信奈……まあ良い。お主を討ち滅ぼすことのできる者などいくらでもいるでおじゃる。そして麻呂は、そ奴らを自由に動かせるのでおじゃるからな)と
近衛前久が内心次の手を企て始めていることを姫巫女は知ることが出来なかった。公家たちが、自分たちの汚れた欲望を見透かされないように、御簾で姫巫女と世界を隔てているために。


十二月十三日。
季節はすでに冬本番。
一面の雪化粧を施された叡山の山道を、織田信奈とそのかしましい家臣団は、八百年の掟を突破して意気揚々と登っていた。

「見て見て! サルの親子がいるわよ! あいつの仲間だったりしてね」
「あ〜、あれはニホンザルですね。良晴さんは……エロイザルですから違います」

その後も、二条城に金の鯱を飾らせていただけますか? おねーさんそれは無駄遣いだぜ。でしたら銀の鯱で我慢してあげてもかまいませんわよ?
と一同、大騒ぎしながら根本中堂に到着した。
御堂を取り巻き主君を護衛している浅井朝倉の足軽達。
やまと御所からの御綸旨によってしぶしぶ武器を捨てた僧兵たち。
彼らは、きらびやかな織田家の姫武将たちに目を奪われ、その中に混じっているただ一人の男に敵意をむき出しにしていた。

「何故だろう。理不尽に恨まれているような……」
「くすっ。それじゃ御堂に入りましょう」

だがしかし。
根本中堂の門前に、若狭の少年陰陽師・土御門久脩と正覚院豪盛が立ちはだかっていた。

「がははははは。引っ掛かったな!」
「なによ、あんたたち。私達は和睦しに来たのよ。姫巫女様の御綸旨を無視してまで、まだ戦うつもり?」
「すでに浅井朝倉殿は御綸旨を受けられ、和睦証書に印を押しておるわ。そして拙僧は約条通り土御門殿を引き渡しに参っただけ。
 ただし――引き渡しはするが、その後のことまでは約束しておらなんだのう! うわはははははは!!」
「そうとも。この僕は君たちに降伏するとは一言も言っていない……ここで君たちを倒すつもりだよ」
「さあ、土御門殿、思う存分にこの穢れた女人どもへのお仕置きを――お願いいたす!」

ずっこい糞坊主ね! 卑劣です! と土壇場で騙された信奈たちは烈火のごとく大激怒。

「ふふん。叡山は素晴らしい……京に流れ込んでいる大龍脈から立ち昇る『気』を思う存分吸収できる、指折りの龍穴地帯だよ。
 僕が操る式神どもの力は、若狭での十倍……いや、二十倍にはなっている」
「そうかい。だが不意打ち騙し討ちばかりのお前が、俺達に正面から勝とうって言うなら、二十倍じゃあ厳しくないか?」
「猿回しめ……だが今は君よりも優先することがある。竹中半兵衛はいるかい?」

わたしです、と小柄な子馬に乗ってとっとことっとこ山道を登ってきた半兵衛がおずおずと手を挙げた。

「君が菩提山の臥龍くんか。『今孔明』と呼ばれているそうだが、所詮は傍流の田舎陰陽師。翻ってこの僕は、始祖様・安倍清明公に連なる名門・土御門家の当主。
 どちらの術が上か、勝負しようじゃないか」
「わかりました。勝負しましょう」

半兵衛が子馬からよたよたと降りてきて、さらりと言ってのけた。

「半兵衛さん、待った! ムカつくガキだが腕は本物だ。若狭の時より強くなっているのなら病み上がりの半兵衛さんが無理をすることは――」
「太助さん、大丈夫です。おかげさまで体の具合もすっかり良くなりましたので清水寺での借りをお返しするときです」
「ほう、やる気のようだね臥龍くん。それでは勝負と行こうじゃないか」

土御門久脩は自信満々、無数の異形の怪物たちを一瞬で召喚し、天空から半兵衛と信奈たちめがけて舞い降りさせる。
このまま、信奈たちは和睦の席上で壊滅してしまうのか――ッ!?
しかし。
竹中半兵衛、いささかも慌てず、ただ一枚の護符を空へと放った。

「前鬼さん。お願いします」
「言われずとも」

狐顔の貴公子・前鬼が、土御門久脩の正面へと躍り出た。

「何だ、また一匹ぽっちかい? 水坂峠では、よくも僕を騙してくれたね」
「ふん。七梨太助がお前如きに命をくれてやるわけが無かろう。騙される者が愚かなのよ」
「それにしても無謀だね。いくら人の姿をした高級な式神であろうとも、たかが一匹では僕の式神軍団には敵わないと思い知ったはずだろうに……
 式神一匹の力がそれぞれ二十倍ということは数が多ければ多いだけ急激に力が増大する。所詮は田舎者の式神、足し算も出来ないのか」

前鬼めがけて、全ての式神が一斉に殺到してきた。
にたり、と前鬼が大口を開いて微笑んだ。

「あいにくだが――我が主は今万全の体調となっておる。さらに叡山にて召喚された俺の力は、若狭の時と比べれば一千倍は確実よ。七梨太助の言うとおり、二十倍程度では厳しいぞ」
「はったりだね。僕よりも強い力を持った陰陽師は、始祖様・安倍清明公以外には存在しない。田舎陰陽師と半人半狐の式神など僕の敵ではないよ」
「やれやれ。土御門も若狭くんだりに籠っているうちに腐った井戸の中の蛙となったらしい。これは『躾』が必要だな」

四方八方から襲い掛かってくる式神軍団――。
だが前鬼は。


「人の姿も心も、自分がそうであった時も忘れし鬼どもよ。闇へ還るがよい。オン、バサラ、ダルマ、キリ、ソワカ。千手観音よ、来たれ」


指を蒼天にかざし、呪文を一度唱えた――。
ただそれだけ、たったそれだけで、式神軍団を、残らず瞬時に覆滅していた。


最強陰陽師の座を賭けた勝負は、ほんの一瞬で決着したのだ。


「……な……? そ、そんな……ば、馬鹿なこと……!?」

土御門久脩が、後ずさる。

「ありえない! ありえてたまるものか! ……ぼ……僕は安倍清明公の直系の子孫、名門土御門家の当主! 日ノ本最強の陰陽師! だのに、こんなに赤子の手を捻るかのように簡単に……」
「ふん。狐の霊力を我が物としたところで、数百年を経れば血の力も衰えるのが道理。久脩よ。陰陽師の時代は、この日ノ本を覆ってきた古き闇と共に終わるのだ。
 いや、我が主と共に『この俺が』自らの手で、終わらせるのだ」

瞬間、土御門久脩の表情が一変した。
自身も、完全なる敗北を喫してもなお失わなかった矜持も、心もろともに砕かれたかのようだった。
久脩は、はっきりと、恐怖していた。
ありえない。
こんなことが……起きうるはずがない。

「……まさか……まさか、貴方様は……そんな……!?」

にたあ、と前鬼が狐の笑顔を見せた。

「久脩よ。お前など、この俺から見ればまだまだひよっこよ。安倍清明の末裔を名乗るなど十年早いわ。若狭で心身ともに一から鍛え直してくるがいい」
「うわ……うわあああああああああああ!? ごめんなさあああああいッ!?」

恐怖のあまり久脩は、恥も外聞もかなぐり捨てて、失禁しながら一目散に逃げ出した。
その間中、前鬼が繰り出した見えない千手観音の拳に追いかけられて全身をこれでもかと殴られまくり、鼻血を吹き出しながら山道をごろごろと転がり落ち、そのまま見えなくなってしまった。

「……やれやれ。本来ならば命を奪うところだが、我が主の優しさに感謝するがよい」
「ありがとうございます、前鬼さん! これで久脩さんも、もう太助さんや良晴さんを狙ったりはしないでしょう」
「うむ。半兵衛殿。そなたは良い子だ」

何が起こったのか理解できずに呆気にとられている信奈たちを尻目に、前鬼は一声泣いて煙とともに姿を消した。


「そんな、馬鹿なあああああッ!? なぜあの土御門久脩が、斯様な子栗鼠の如き小娘に敗れたのじゃあ!?」

最後の抵抗も敗れた正覚院豪盛は、とうとう信奈たちに包囲され、追い詰められた。
豪盛は、自慢の金棒も足元に落として、巨大な体をぶるぶる震わせて、涙声で祈るばかり。

「ぬおおおお! ついに根本中堂は女人どもに穢されてしまうのか! 無念じゃ! 観音菩薩様、申し訳ありませぬ! なにとぞ、この穢れた女人どもに今すぐ
 仏罰をお下しくだされええ! なにとぞ、なにとぞおお! もしも拙僧を哀れと思し召しならば、万策尽きた拙僧を女人どもの魔手からお救いくだされ〜!」

実はヘタレだった豪盛を、ギロッと睨んでいる信奈たち姫武将軍団。
その中から太助は一人歩み出ると、豪盛の顔を引っ掴んで、アイアンクローで無理矢理立たせる。

「なあ、豪盛さん。祈る内容が間違ってるぜ」
「な、なな、それはどういう……」
「正しくはこうだろう? 観音菩薩様、どうか――楽に殺してくださいッてなあ!」

太助は豪盛を、包囲網へとぶん投げる。
そこに間髪入れずに、信奈が繰り出した中段蹴りが、豪盛の脇腹……丁度肝臓のあたりに深々と突き刺さったッ!

「ぐはああああッ!?」
「誰が『罰当たりな女人』よ! 私達のどこが穢れているっていうのよ、このクソ坊主!」
「その通りです! 和睦の席上で卑劣にも私達を暗殺しようとしたお前の方が、よっぽど穢れているです! 御綸旨を無視するとはそれでも叡山の僧ですか! 恥を知れです!」

続けて十兵衛光秀の爪先が、容赦なく豪盛の股間を蹴りあげる。

「うぎゃああああああッ!? お……お許し下され……! 拙僧が間違っており申したあ〜! かほどに強い女人様方が穢れているなどと、
 二度と申しませぬ! どうか命だけは!」

豪盛が地の上を転がり悶え苦しみながら口にした命乞いも、金ヶ崎以来の鬱憤を遂に大爆発させた信奈たちには届かない。
――だがその時。


「「「うぎゃああああああッ!!」」」


御堂を囲んでいた浅井朝倉兵、僧兵双方から、悲鳴と血が上がった。
そして人垣が割れて、それを行った犯人が露わになる。
片や、小袖をだらしなく着崩した女性。ただし、両手がまるで岩でできたかのように鋭く巨大になっている。
片や、左右で黒と赤に色分けられた西洋甲冑に身を包み、髑髏の盾と巨大な薙刀を構えた戦士。

「……デビルアーマー……それにフィロッ!?」
「そんな……じゃあまさか、この場にッ!?」

太助とシャオが驚く。
何故なら、この二体の異形は、その正体は。

「ふふふふ。またお会いしましたね、ディケイド」

根本中堂から出てきたシンと朝倉義景。この二人と織田信奈は、この根本中堂で初めて顔を合わせた。

「もっとも、貴方が織田信奈のもとにいる限り、またいつか戦場で会うことになっていたでしょうが」
「シン……そっちの男が朝倉義景か……浅井久政はどうした?」
「あの恥知らずの優柔不断なら、とっくに山を下りましたよ」

顔を合わせれば斬られるとでも思ったのでしょうね、とシンが語る横で朝倉義景が信奈をじっと見つめる。

「織田信奈……そなたは余が想像した通りの美しき姫君であるな。遂に余は、我が母の面影を重ねあわせられる無垢な乙女を見つけたぞ――美しい。
 臓腑を全て抜き取ってそのまま剥製にしてしまいたいほどに美しいぞ」
「……!?」

ぶるッ……と信奈は身震いした。
なに? 我が母の面影……剥製……? 何を……言っているの?

「フフフ……義景殿は籠城があまりにも退屈すぎて越前から長谷川等伯殿を呼びつけて、根本中堂の壁に源氏物語のヒロインの皆様の立姿を描かせまして。
 ああ、お喜び下さい。中央は貴方の想像図ですよ、織田信奈。この方は貴方について調べ上げているうちに、貴方の幻に恋をしてしまったようでして」
「よもやこの現世に、余が手に入れるべき女性がいようとは。余は必ずやそなたを我が館へ連れ帰り、艶やかに着飾らせてみせよう……そなたは我が若紫となるのだ。
 それが我ら二人の宿命」
「ち、近づかないで!」

朝倉義景が手を伸ばすが、信奈は怯えてシャオの背後に隠れてしまった。
物怖じをしない彼女がこうまで他人に怯えるのは、ほとんど初めての事である。
それほどに、朝倉義景が信奈を見つめるその目つきには、尋常ではない狂気が宿っていた。
女に惚れた、などというものではない、暗く歪んだ情熱に憑かれた者の眼差しであった。

「だというのに……つまらぬ、つまらぬぞ! 現世とはいつもこうだ。いそうもない美しい少女をやっと見つけたと思った時には、すでに下品で女に手が速いだけの詰まらぬ男……
 そう。あのサルのような男がたかって花を散らし、美を穢して台無しにしているのだ!!」

朝倉義景が、憎しみのこもった声で叫んだ。

「そんなことはどうでもいいです! シンといいましたね、あんな化け物を引き連れるお前は、いったい何者ですか!?」
「フフフ……第一部のクライマックスですからね……今こそこの世界の『英雄』に名乗らせていただくとしましょうか」

シンは顔を覆っていたフードを取る。
その下から現れたのは……。
オレンジの髪を短いツインテールにまとめた、金色の瞳の少女。
それがシンの素顔だった。


「あらゆる世界の悪が大同団結した大いなる大組織! それが我等『ビッグディザスター』だッ!!」


管理人感想

 ダークレザードさんからいただきました!

 義元が(いろんな意味で)大活躍。本当に優秀なシリアスブレイカーだな(苦笑)。

 そして義元がぶち壊したシリアスな空気を立て直してくれた半兵衛&前鬼とシン。こっちもこっちでまぢ優秀。よくも悪くもバランス取れてますね。
 そして最後にシンが存在を明かした巨悪ビッグディザスター。本家ディケイドに対する大ショッカーですね。さて、どんな顔ぶれが出てくるか……