時は戦国。
季節は十二月。
山城国、京の都。
本能寺にて織田信奈をはじめとする織田家の面々に、七梨太助と月小燐、山野辺翔子の三人は、自分たちの真の来歴を語っていた。
「デアルカ。正直、あんたが実際にその『でぃけいど』になったところや、化け物を見てなくちゃ、サルの事以上に信じられない話だわ」
「……同感」
「にわかには信じられない話ですが……姫様の言うとおり、信じるしかないのでしょう。三十六点」
「あ、あたしは、その……何を話してたのかさえ、さっぱりなんだけど……」
「まあ、とにかく。あんたが今すぐどこかへ行くんじゃないのならそれでいいわ。これ以上問題増やしたくないもの」
そう言って信奈はイライラした様子で話を打ち切った。
まあそれも仕方がない。
現在、信奈と織田軍は浅井朝倉連合軍と戦国最強の武田信玄とに北と東から挟まれた格好になっている。
久々に再開した義父・斎藤道三も慌てて美濃へ帰ってしまったし。
分かっていたとはいえ、和睦からまだ一月もたっていないうちに浅井朝倉が戦準備を始めたし。
しかし、何よりも信奈の頭を悩ませているのは、相良良晴。
雲母坂で自分を庇って撃たれる姿を見た時と、夢の中で幻の母を相手に弱音を吐く良晴を衝動的に抱いて励ました時。
弟の信澄にすら、「恐ろしく捻くれて素直じゃない困った性格」と言われる信奈もはっきりと自覚した。
しかし、それを認めることは出来なかった。
道三に別れ際に、
(儂はもう、そなたと相良殿の仲については口を挟んではやらぬぞ。今のそなたは一頃の浅井長政と同じ、由を自らに課すことで生まれる責任や苦難を
恐れて己を偽ることでそれから逃げておる。いいかげんに親離れをせぬか、信奈殿。弟夫婦に恥ずかしくないのか)
と言われてもだ。
確かに、あの長政が父・久政を捨てて、単身織田家についたのには驚いた。
あまりの事に、長政が実は女だったことがどうでもよくなってしまう程だった。
(父はずっと自分のしたいようにして、それを私に押し付けてきた。それがはっきりとわかった今、私は私の心を押し通したい。
ただの猿夜叉丸に戻った身なれど、どうか勘十郎と共に今一度、義姉上の夢を叶える手助けをすることをお許し下さい!)
そう言って頭を下げる長政は、美濃を盗ろうとした時とも、上洛の時とも確かに違っていた。
いったい何があったのかはわからないが……。
「そう言えば、光秀さんはどうしたんでしょう? 来てませんけど」
物思いにふけっていた信奈は、その言葉で顔を上げた。
「確かに……珍しいわね、遅刻なんて」
「……病気?」
その時。
「お待たせしましたです、旦那様♪」
とても陽気な声とともに、明智十兵衛光秀がやってきた。
広いおでこ、長い黒髪、金柑の髪飾り。
そこまでは、いつもの光秀だったが――。
いつもと違う点が、一ヵ所。
「って、何その恰好ッ? いったい誰と結婚するんだよッ!?」
そう。何故か今日の光秀は、長い髪を文金高島田に結い上げ、白無垢の花嫁衣装に細い身を包み、そして頭にはこれまた純白の角隠し、と完璧な花嫁姿なのだった。
「何をわかりきったことを言うですか。もちろん、七梨先輩のもとに嫁いできてやったのです。泣いて感謝しやがれです♪」
三つ指をついて、深々と太助に頭を下げてくる花嫁さん光秀――。
「「「はああああぁぁぁッ!?」」」
第二十五話「恋模様と隠し湯と勝千代」
「……取り敢えず一つ。何がどうしてそうなった?」
「これは主命です♪ この高貴でお利口で美しい十兵衛光秀、信奈様から先輩を託されましたです。だからぁ、全然気が進まないながらも渋々先輩と結婚してやるです♪」
「その割には声がウキウキしてるな、オイ」
それから一同は、まるで不動産屋みたいな流暢な口調で「新築予定の坂本城こと愛の巣城がいかに二人にとって最適の住まいか」をペラペラ喋り続ける光秀を無視して会話を始めた。
「信奈さん……。あんたあのたくらんけに何を言ったんだ?」
「え……いや……ただ、これからも太助を守ってちょうだいね。としかいってないんだけど」
「……光秀の考えていることは分からない」
「確かなのは、こうなった明智殿はとても面倒くさいということです。それはもう満点で」
「そ・し・て。本気で七梨に惚れこんでるってことだな。どうする? シャオ」
「何でそこで私に振るんですか、翔子さん」
「光秀さんが一人で盛り上がっているうちに私達で軍議を終わらせてしまいましょう、くすん」
「畜生信奈めぇ〜! 武田信玄との決戦が迫っているというのに、独りぼっちで伊勢参りなんてやってる場合かよ〜! いきなり伊勢へ行けなんて言われても、『伊勢神宮』と『赤福』くらいしか知らねえよ!」
行商人に身をやつした相良良晴は、太助と共に近江から伊勢へと向かう街道を歩いていた。
「まあいいじゃないですか。腹の穴が完全に塞がるまでゆっくり養生してくれば」
いきなり妙覚寺にやってきた信奈に「伊勢で養生してきなさい。ただし一人で」と言い渡されて、あれよあれよという間に太助とシャオによって旅支度を整えられ送り出されてしまった。
そして途中まで見送りにきてくれている太助から伊勢行きのもう一つの理由を教えられた。
『伊勢で別働隊を率いていた滝川一益さんが、最近連絡を絶っているそうだ。伊勢攻略が難航していたとしても、京で孤立した主を知らんぷりにしてほったらかしにしたので、
謀反の疑いをもたれている。療養中での陣中見舞ってことにすれば、向こうも信奈さんを疑わないだろう。つまり、信奈さんは良晴さんに期待しているって訳です』
ということらしい。
「でも本当かあ……? 大体俺は滝川一益とは面識がないし、『織田信長公の野望』でも影が薄かったからなあ。どんな奴なのかさっぱりわからねえ」
「間違いではないですよ……半分くらいは」
「何? じゃあもう半分は何だ?」
太助は表情を引き締めると良晴の胸を指差しながら言った。
「信奈さんも良晴さんも、いい加減に『ここ』に真剣に向き合わなきゃいけないってことですよ」
「『ここ』? ……っておい! 何度も言うけど、俺はあんな乱暴でガサツでけち臭くて家臣に鞭しかくれねえ放火マニアの事なんかぜんっぜんッ! 好きでも何でもねえのッ!!」
「その乱暴でガサツでけち臭くて家臣に鞭しかくれねえ放火マニアの事が好きでもなんでもないなら、なんであんなに命を賭けるんですか?」
「え……」
「義父を救いに行くのも、最低のタラシとの結婚をぶち壊すのも、家臣になりふり構わず手を伸ばすのに付き合うのも、狙撃から庇うのも、命懸けでやることですか?」
全ては生きてこそ。あの時もそう言いましたよね、という太助の言葉に良晴は
「いや……その……俺は……だな、足軽上がりの風来坊だし、戦国の覇者とは結ばれる道理が……だな。それにあいつだって飼いザルに惚れるなんてありえねえし……それに……」
「ああッ、もう!!」
ボソボソ言い訳ばかりの良晴に、太助も頭を掻き毟って叫んだ。
「これも前に言ったよなぁ!? あれこれ理屈に逃げるのはクソ野郎だって! 今のあんたはあの時と同じだぞ!?
そうやって拗ねていれば誰かが背中を押してくれたり、言い訳を用意してくれると思っているのかッ!?」
ひとしきり怒鳴って頭が冷えたのか、太助は舌打ちをしながら吐き捨てた。
「……はいはい、わかりましたよ。まあじっくり考えてください。けどね、朝倉義景が信奈さんに何をしたとしても、その時に俺が止められる保証なんて無いんだ。
それだけは忘れるなよ」
「武田信玄、上洛」
この凶報を聞いた松平元康は、尾張の東隣にある三河からなんと信玄の領土に近い東方へと進み、旧今川領だった遠江を押さえて武田信玄の上洛を阻もうとした。
家臣団の間では「単独では戦えぬ、岡崎城に籠って武田軍が通り過ぎるのを待つべし」という意見が多かったが、元康は「桶狭間の戦い」を引き合いに出して、
「今こそ一世一代の勇気を奮い起こして打って出る時です〜」と家臣団を一喝した。
そして今、松平元康の本隊は浜松城に陣取っている。
まだ天守閣も無い、小さな平城だった時期だ。
出来ればさらに東進し、国境を固めてしまいたい……と元康は考えていた。
が、武田軍は元康の予想を大きく上回る速度で進軍していた。
駿河で編成していた水軍を海路で浜松へと差し向け、信玄自身は遠江を侵攻し、二俣城を包囲していた。
さらに美濃にも別働隊を送り込むという徹底ぶり。
おまけに信奈本隊は浅井朝倉連合との決戦の為、むしろ元康に援軍に来てほしいほどに追い詰められていた。
「今回は『何故か』あの浅井長政が軍を率い、朝倉義景も打倒織田家に執念を見せているし……。元康さん、ここは降伏して信奈さんを救援に向かいましょうよ」
と、良晴を見送ってそのまま元康を手伝いにきていた太助が言うが、元康は頑固であった。
「吉姉さまは、決して勝てない絶望的な危機に立たされた時、桶狭間で奇跡の勝利を呼び込みました〜。それに、あの地獄のような金ヶ崎からも生還しました〜。
わわわ私だって、ぜぜぜ絶対に諦めません〜!」
太助が「あの時は今とは状況も条件も違うんですけど」となおも力説しようとした時だった。
城内の兵士たちが、一斉に沸き立つ声が本陣にまで聞こえてきた。
「なんだ、どうした」
「半蔵様、援軍です! 織田からの援軍が到着したんです!」
本陣へと飛び込んできた見張りの兵は、もはや半泣きだった。
「援軍!? 織田にそんな戦力なんてもう……あ。あった」
「遥々伊勢・志摩から、織田家に加勢する九鬼海賊衆という連中が船団を率いてきたんです! どういうわけか、南蛮船まで連れています!」
「海賊と南蛮船だと? 何だその異様な組み合わせは?」
「きっとサル晴さんです〜! サル晴さんが、奇跡を起こしてくれました〜!」
「いやいや元康さん。相手は武田信玄なんですよ? 一人二人の人間の頑張りで勝てるほど甘くは……」
「いいえ〜! サル晴さんは何か、不思議な勝ち運のようなものを持っています〜。きっとこの戦、勝てます〜!」
良晴たちは熱烈な歓迎を受けた。
「ふええええええ。サル晴さん、ありがとうございます〜! このご恩は七代後まで忘れません〜!」
「おやおや、良晴さん。いつのまに海賊になっちゃったんですか? それに、後ろのお三方は?」
浜名湖へと接岸した海賊船から降りてきた良晴は上半身裸で頭には布、と海賊衆の一員らしい風貌になっていた。
それに続いて降りてきたのは、南国風味のカラフルなビキニ水着に豊満な肉体を押しこめた大柄なお姉さん海賊。
黒い宣教師服を着て河童のお皿のような帽子をかぶった、十代くらいのイタリア人風の少年。
最後にひかえしは、黒いマントに黄金の西洋甲冑で完全武装した騎士。
「いやいや、転職したわけじゃねえから。こっちにいるのは、九鬼海賊衆の頭領、九鬼お姉さんと美少女騎士ジョバンナちゃん。あとついでに宣教師のオルガンティノだ」
「成程。九鬼さん、ジョバンナさん。初めまして、七梨太助です。この度はうちのサルがとんだご迷惑をおかけしまして誠に申し訳ございません……」
「ちょっと待ていッ! その不祥事前提の物言いは俺に失礼だろッ!!」
「そう言われても、こんなお色気たっぷりの人に良晴さんが反応していない方がおかしいでしょう……。で、実際のところは?」
「あたしの姿を見て鼻の下を際限なくのばしたり、おっぱいがでかけりゃ年上でもいいとか、あたしの心を土足で踏み荒らす腐れ台詞を吐きやがった」
「友好とお詫びの証として一つ願いを叶えると言ったら求婚された。斬りたくなった。……今でも思い出すだけで鬱になりそうだ」
と、九鬼さんとジョバンナ。
「かけてるじゃないですか、迷惑」
「全く相良良晴め。海での戦いは五分となったが我が軍はそもそも陸戦での兵力すら足りていないのだぞ。大体貴様が率いていた相良軍団はどこへ行った?」
「俺の軍団は今、信奈に預かられちまっている。だが代わりに伊勢にいた滝川一益ちゃんの部隊をかき集めて船で連れてきた。ジョバンナちゃんもいるしな。
一益ちゃん、織田家四天王らしい活躍を一発頼むぜ!」
「ここが遠江なのじゃな。随分と草深い田舎じゃのう。味噌の匂いがするぞ」
整った鼻をちょんとつまみながら下りてきた姫武将を見て太助は驚いた。
何故か巫女装束を着ていたからではない。
姫巫女と生き写しだったのだ。
(どういうことだ……? ドラマかなんかだと家を割らないために双子の片方を捨てるなんてよくあることだけど、これは小説だからな……。でも良晴さんは問い質していないのか?)
太助が疑問に思う間もなく話は進んでいき、二俣城の近くまで元康、一益、良晴の三人で偵察に行くことになった。
良晴は、馬を進める一益の後ろに「よいしょ」と乗……ろうとして太助に首根っこを掴まれた。
「何をしていますか」
「何って……いや、乗馬が苦手なの知ってるだろ? だから、馬上で軍議と行きたくてさ」
「だったら俺も一緒に行きましょう。伊勢で起こったことも詳しく聞きたいですし」
「え……」
「必要でしょう? それとも、うら若き乙女の柔肌を触ったり、その華やかな匂いを鼻一杯に吸い込んで堪能したいなんて変態丸出しなことの方が主目的だったとでも? んん?」
「俺は幼女は射程外だっつーの! まあいいか、俺も太助に色々話があったし」
かくして、二俣城までの道のりで、良晴は太助に語った。
伊勢についてすぐに九鬼海賊団に捕まって、滝川一益のもとに連行されたこと。
度胸試しとして、伊勢イスパニア島を守っていたジョバンナと戦うことになったこと。
危なかったが、オルガンティノのおかげで双方和解でき、援軍として出発できたこと。
ついでに一益が援軍を出さなかった理由は、本気かどうかわからないが嫌いな埃っぽい陸戦より、海の上での自由気ままな生活を満喫したかったかららしい。
「だいたいわかりました。ところで、一益さんの素性についてなんですけど……」
「ああ。そりゃわからねえ。そもそも一益ちゃん自身も知らねえみてえだし、深い事情があるかもしれねえし、
何より今は武田信玄と浅井朝倉連合軍を迎え撃つことだけを考えなくちゃならねえだろう?」
「まあ、確かに(でも……早いうちにこの謎を解かないと、一益さん自身の破滅につながっていく……そんな気がするんだよな)」
「よっしー、何を話しておるのじゃ?」
何か感じたのか、滝川一益が並走してきた。
「ああ、伊勢でのあれこれだよ」
「くすくす。つまりよっしーがくっきーを年増扱いして殴られたり、姫を泣かせて殴られたりしたことじゃな?」
「いや、それは聞かれなくても予想できました。一益さん」
「……お前の中での俺のイメージを一度問い詰めたくなってきたぞ……」
「ところで、そちが噂に聞くよっしーの世話係のたっしーじゃな?」
「そうです。はじめましてわっすーさん。七梨太助です」
………………
「ちょっと待つのじゃ。そのわっすーとはもしかして姫の事かの?」
「駄目ですか? じゃあまっすーにします? マッスルみたいで似合わないと思いますけど」
「どちらも嫌じゃ! この愛らしくかわいらしい、伊勢神宮の巫女にぴったりなかわゆいゆいな呼び方をしてほしいのじゃ♡ お・ね・が・い♡(パチリ)」
良晴が、「でた! 一益ちゃんのおねだり攻撃! あれは強力だぜ」と恐れ戦くも、太助は全く動じず。
「じゃあロイヤルビューティプリンセスワンカップで」
もっとださい案を出した。
「…………わっすーでよいのじゃ」
すげえ、あの一益ちゃんをやり込めた……と良晴は感心していた。
二俣城は遠江のやや北にあり、天竜川と二俣川が合流している地域に立つ、天然の川を堀として利用していた堅固な山城だった。
その為武田信玄を相手に持ちこたえられたのだが、周辺の出城は尽く武田方に奪われ、三万の大兵力で完全に包囲され、兵士たちの士気は著しく下がっていた。
二俣城が落ちれば、遠江における元康の勢力は浜松城のみとなってしまう。
良晴たちは、半蔵の結界に守られながら、二俣城を見下ろせる丘を登り、眼下に広がる武田の大軍勢を目にした。
「御覧の通り、お城はびっしりと包囲されています。落城は間近です〜」
「これは笑うに笑えない大軍勢じゃな……。これよっしー。信玄をやっつける知恵を今すぐ出すのじゃ。何が策があると言ってたではないか」
「ふっふっふ。聞いて驚くなよ一益ちゃん。実は! 俺達の時代の歴史学者によればだな、戦国時代の日本にいた馬は、一部の例外を除けばみんな身体が小さいんだ。
甲冑を着た武者を乗せたら、人間が走る程度の速度でしか駆けられないんだぜ! ということは、だ。武田騎馬隊の強さの実態は、
宣伝上手な武田信玄の情報戦によって生み出された幻想で、最強の武田騎馬隊などは存在しないッ!
はーっはっはっはっはぁ! 武田信玄よ、戦国ゲーム知識を持つ俺様が織田軍にいたことがお前の不幸だったな!」
武田軍の陣立てを眺めながら、良晴は高笑いの大威張り。
(武田騎馬隊の正体は高速の荷駄隊だった説か……。でも学説なんてのはぶっちゃければ後世の勝手な解釈だし……、良晴さんが自信満々な時点ですでに怪しい)
太助がかなり失礼なことを考えていると……。
どどどどど……。
と、彼方から大地を揺るがす馬蹄の轟音が響いてきたではないか。
そこには、武田の赤備と呼ばれる真紅の馬具を装着した巨大な馬が数千頭!
しかも背中には真紅の甲冑に身を包んだ精兵達を乗せているッ!
「げーっ、武田騎馬隊ッ!? じじじ実在するなんてええええッ!?」
戦国時代に来てから見る物全てに好奇心と興奮を覚えていた良晴は、初めて心の底から恐怖した。
歯の音が合わず、体が勝手に竦み上がる。
眺めてこれなら、相対したのならどれほどのものか。
良晴は、武田信玄を「いつまでも上杉謙信と決着をつけられない武将」と舐めていたことを心の底から後悔した。
というか、こんな化け物軍団と毎回互角以上に戦っている上杉謙信は、一体どれほどの化け物なのかッ!?
「あれはアラブ系の馬だな……どうやら南蛮から輸入して育成していたようですね。これじゃあ、二俣城の兵士の士気はがた落ちで明後日には落ちますね。さて良晴さんどうします?」
「どどどどうするっていわれてもな、元康。は、浜松城の戦力は?」
「みみみ三河を空っぽにして全軍を動員しても、ははは八千が限界です〜」
「かかか一益ちゃん。陸戦に投入できる援軍兵力は幾らだ?」
「海賊衆の女の子たちはくっきーに預けて海で暴れさせるからの、陸で姫が動かせる兵力はせいぜい二千くらいじゃの」
足しても一万。対する武田はその三倍。しかも騎馬隊は一人が三倍くらいの戦力になるだろうから、実質九万対一万。
おまけに十二月とはいえ、東海地方では雪も望めない。
(せめて半兵衛ちゃんと五右衛門がこの場にいてくれたらいい知恵を貸してもらえるかもしれねえのにな……いや、駄目だ駄目だ! 無いものねだりをするな、俺!
今こそ俺がこの時代に来た意味が問われているんだ! 生きる意味も、この時代に来た理由も、天だか何だかに勝手に決められてたまるか。俺の命の使い道は俺が決める!
そして俺は決めたんだ、信奈を悲劇的な運命から守るってな! って、このままじゃあそもそも信奈も俺も「本能寺の変」まで辿り着けねえんじゃないのかッ?
その前に武田信玄にあっけなく倒されて――)
その時、太助のつぶやきが耳に入った。
「えっ!? 太助、今なんて言った!?」
「こんなにすごい武田騎馬隊も結局信玄の指揮下では織田と戦わないままだったんだよな、と言いましたけど?」
「……そうだ、そうだよ! 信長は信玄と直接戦ってなかった! 信玄が上洛戦の途中で急死しちまったんだ!
それで武田軍はやむを得ず甲斐へ引き返すことになって、織田軍は九死に一生を得たんだ!」
「とうとう妄想に取り憑かれてしもうたか。よっしー、哀れな奴じゃの……くすん」
「一益ちゃん、妄想じゃねえよ! この世界ではどうなるかわからねえが、少なくとも俺が知っている歴史ではそうなるんだ!」
良晴は、「信奈には秘密」という条件で、一益と元康に極力解りやすく自分が知っている『歴史』を説明した。
信玄の死因は、いくつかの推論だけで、真実は明らかになっていない。
その中でも、有力なのが――。
一つ! 実は以前から労咳か何かの病を患っており、それが疲労と寒さで急に悪化し、死に至った。
二つ! 病気の正体は胃癌だった。
三つ! 徳川の城を包囲して攻めている途中、夜な夜な敵兵が吹く美しい笛の音に聞き入るようになり、それを知った敵方に種子島で狙撃されて死んでしまった。つまり暗殺された。
「成程。ならば確実なのは暗殺。わっすー、自信の程は?」
「接近して毒を盛る手ならいけるかの。夜の敵陣に向けて鉄砲を放って暗殺するのはちと現実的じゃないの」
「二人とも待て待て待てーい! いいか。要人の暗殺なんかで歴史は動かせねーぜ。動いたとしても、時代の変革を遅らせる悪い方向にしか向かわねえ!
いくら武田信玄が強敵とはいえ、正々堂々と戦って勝たなきゃ天下は盗れねえぜ!」
「でもサル晴さん。正々堂々と戦っても信玄さんには勝てないのではありませんか〜?」
と元康。
「ま、まあな……圧倒的なまでの戦力差を考えるとな……」
「ですよねえ〜。困りましたね〜、えへへ」
「真っ向勝負は無理、暗殺もやりたくない。じゃあどうしようっていうんですか」
「決まってるだろ。武田軍に潜入して、何とかして武田信玄に接触して、信玄の体調を見定めてやるぜ! 俺は『信玄病死説』に賭けたッ!」
「勇ましく言ってますけどすご〜く後ろ向きな賭けですね。つーか神頼みだよね」
もっともなツッコミだが、良晴はもう聞いてない。
「はぁ〜。わっかりました、いってきましょう!」
「なぬ!? 何でお前が!?」
「俺がそんじょそこらの人間より強いのは知ってるでしょう?」
「いやいや、今回ばかりはまずいって! 相手はあの武田信玄だぜ!?」
「……言いたくありませんけど、良晴さん、前科があるでしょう?」
「前科?」
「あの性格の悪い金食い虫の今川義元を『美人だから』で助けたのは、どこの相良良晴さんでしたっけねぇ?」
「どこのも何も特定してるじゃん!?」
「もし武田信玄がすこぶる付きの美人姫武将だったりしたら……しかもフロイスさん並のボインちゃんだとしたら……
あんた、しなくてもいいおせっかいを焼いて帰ってくるかもしれませんし」
「おう、してくるぜッ!!」
ドズッ!
いい笑顔で言い切った良晴のみぞおちに、太助の蹴りが突き刺さった。
「殴りますよ」
「たっしー。蹴ってから言う台詞ではないぞえ、くすくす」
一益の言うとおりだった。
そして太助は良晴の耳元で呟いた。
(死なせるわけにはいかないんですよ。信奈さんときっちりけじめをつけるまでは、絶対に)
その夜――。
太助は武田陣営への侵入にかろうじて成功した。
武田軍の赤備えの甲冑を身に着け、二俣城攻めで手傷を負った負傷者の群れの中に『死体のふり』をして紛れ込んだのだ。
念のために、「二目とみられない重傷の顔」マスクを被っていた。
幸いにも季節は冬。死体は邪魔にならない所に積んで済ませると踏んで、太助はじっと『死体のふり』を続けた。
(この寒さなら、信玄は本陣を影武者に任せて、自身は温泉に入って養生するだろう。……まあ、病人ならの話だけどさ)
「ふぅ……肩が凝ったな……胸が大きすぎるせいだろうか」
武田本陣の中を髪を真っ直ぐに下ろした、背の高い小袖姿の乙女が歩いている。
すれ違う兵士たちは皆、この少女を「信玄様お付きの小者」と思っているのか気にも留めない。
だが実は……。
(気は森の中に隠す。流石は勘助、最高の安全だな)
そう。
この乙女こそが「武田信玄」の素顔、勝千代なのだ。
勝千代をおもいっきり勇猛果敢に、超好戦的にした「御館様・武田信玄」の虚像を築いてしまうことにより、周囲の敵大名たちを威圧し、同時に味方からも正体を隠すことができる。
これもまた、軍師・山本勘助の策だった。
前述の通り、ベースは実際の勝千代であるため、なりきるのも簡単である。
が、それでも時折、素の自分に戻って緊張を解かないと、肩が凝ってしまって持たないのも事実。
それにピッタリなのが、温泉であった。
曲がりくねった山道を上った先、新たに確保した隠し湯に、勝千代は身を沈めて行った。
「ああ〜、いいお湯だ。はやく東海・畿内の再開発計画を完成させて、織田勢を倒した後の町割りや治水作業について細かく決めてしまわないと……。
やはり上杉謙信との最終決戦に備えて、近江に巨城を建てるのが本筋かな。……あの戦馬鹿で、いつもいつも攻め取った領地を放棄するなんて信じられないことを
平気でやってのける上杉謙信さえいなければ、今頃とっくに味噌臭い東海地方を、近代的な商業地帯として再開発していたはずなのに」
勝千代の内政好きは筋金入りだった。
寂れた土地を見ると、そこを一面の水田や人々が往来する港町に作り替えたくなってうずうずする。土地が『元気』を取り戻していく姿を見るのが好きなのだ。
「にゃ〜」
半身浴に勝千代が興じていると、野良猫が寄ってきた。
「おお。可愛いな♪ 来い、おいで、おいで」
猫は目をつむって、懐いてきた。
勝千代は、猫をぎゅーっと抱きしめて、頬ずりしてみた。
「にゃあ、にゃあ」
「お前も、本猫寺の連中からおねこ様に祭り上げられて疲れてるんじゃないか? この戦国の世では、皆不安だからな。明日がどうなるか誰にも分からない。
だから名将やおねこ様に縋って安心して生きていきたいんだろうな。……あたしだってそうなんだから」
動かざること山の如し。
武田信玄は決して怯えない。動じることもない。
しかし、勝千代という一人の娘はそうではない。
彼女は、何故か、会いたかったのだ。
織田家にいるという、「天命を動かす者」に。
天賦の才能と勘助の教育と膨大な努力。
その果てに、勝千代は、完全無欠の将・武田信玄へと成長した。
だがそれでも、『父に愛されなかった自分は、どれだけ巨大になろうと、「天命」を持つことはできないのではないか』という不安を消すことが出来なかった。
(父を追放したその時から、あたしは何かに見放されている気がしてならない。それは、夢をこの手に掴むために必要な物であり、それを持たないからあたしは、大勢の者の血を流し、
勘助を失いかけてまで戦をしなければならないのではないだろうか……。いや、そもそもあたしはこの国に必要な人間なのだろうか?)
勝千代は切れ者過ぎた。先の先を読み抜く理知を持つが故に、ふとそんな迷いが浮かんでくることもあった。だが、例え武田信玄であろうとも、
そのような人智を超えた問いに答えを出せるはずが無かった。
(わからない……わからないな……。だが「天命を動かす者」ならば、この問いの答えを持っているのだろうか……)
同じ隠し湯の対角線上。
七梨太助が、肩まで湯に浸かっていた。
「ああ〜。温泉はいいねェ。独り占めしてると余計にそう思う……」
その時。
とぷん……、と入浴する音がした。
「む。あっちか……この隠し湯を使うということは、信玄本人か、かなり近しい人間に違いない。さりげなく、さりげなく……」
太助は、勝千代の方へ「すぃ〜」と泳ぎながら接近していく。
「む? 誰だ、お前は?」
「おっと、女性でしたか。これは失礼」
太助はそっぽを向く。
「通りすがりのマタギです。借りをしていたら戦が始まってしまったので、終わるまで山籠もりをしようと思って、寝床を探しているうちにこんな所まで……」
「そうか。ところでお前はこのあたりの者か? 大阪なまりが見られんが」
「そう言う貴方も、只者ではなさそうですね。麓の旗を見るに、武田の将でしょうか?」
「はっはっは。残念だがそれははずれだ。あたしは『将』ではなく……『御館』だ、織田の刺客よ」
よくぞここまでたどり着いた、褒めてやろう、と勝千代が薄い唇の端をつり上げてニヤリと微笑んだ。
「残念でしたね。俺は刺客じゃなければマタギでもない。『通りすがりの湯治客』です。別に覚えなくていいですけどね」
と、太助も唇の端をつり上げてニヤリと微笑んだ。
お互いそのまま睨み合い……。
「……ふ……どうやら刺客でないというのは本当らしいな。この『甲斐の虎』武田信玄を前にしてなお、人を食ったような態度を崩さないとは、いい度胸だ」
勝千代が、微笑みながら自らの正体を明かした。
「やはり貴方は武田信玄。では俺も名乗りましょう。七梨太助と申します」
「七梨太助? この上洛戦を始めるにあたって織田軍の顔ぶれをそこそこ調べてきたが、うぬの名前など聞いたことが無いぞ?」
「(うーん。手柄は全部良晴さんと一緒にたててたからな……)織田軍に『サル』と呼ばれている者がいるというのは知っていますか?」
「織田家に、自分を人間と勘違いしている哀れなサルが一匹紛れ込んでいるが、これがもう何の役にも立たないどうしようもないド外道で、しかも
隙を見せれば女の子の乳ばかり揉もうとするエロザルである、という情報ならあるが?」
「凄い、大体あってる。そのサルの猿回しをやってます」
「それは……大変な仕事だな」
「大変なんですよ……最近特に」
あのサル野郎、ことあるごとにフロイスさんに泣きつきやがって……。なーにが誰かに甘えないと辛くて生きていけない体質になったんだ! だ。
胸が目当てだってのは分かってるんだよ。だいたい……。とブツブツ愚痴り始めた太助に、勝千代は面食らっていた。
(男とは「武田信玄」を前にすると恐怖と緊張のあまり萎縮して這いつくばる、そんなだらしのない者ばかりと思っていたが……。こいつはいったい何者だ?
ただいかれているだけなのか、それともとてつもなくでかい器の持ち主なのか?)
勝千代があまりにも不慣れな展開に戸惑っている間にも、太助の愚痴は続いていた。
「まったく、世界を旅してきたけど、こんな厄介で面倒くさいのは初めてだ。俺は山野辺みたいに他人の恋愛をあれこれする趣味は無いってのに……」
「世界を旅する、だと? 一体どうすればそんな真似が可能になるというのだ?」
「理屈とかそういうのは俺にもわかりません。ただ世界に引き寄せられるだけで」
「……七梨太助。教えろ。うぬはあの『長良川の戦い』で斎藤道三を救出した決死隊に参加した一人か?」
「参加したというか、出動させたというか……。って言うか、そこまで甲斐に伝わっていて何で良晴さんの名前は伝わっていないのやら? ま、しょうがないか、足軽だもんな」
(この者だ……! 死すべき宿命を背負っていた斎藤道三、その定めを動かしたもの……! あたしが会いたかった、宿命の好敵手……「天命を動かす者」だ!)
そう気づいた時、勝千代は、何故か急に混浴している今の状況がひどく恥ずかしくなってきた。
「俺は、武田信玄が労咳か何かで弱っていたんじゃないかという学説を検証するために潜入してきただけです。ま、見るからに健康そうでよかったよかった。
やっぱり、他人の不幸を当てにするのは駄目ですね。それでは、正々堂々戦いましょう、武田信玄殿」
「……か、勝千代だ」
「え?」
「……し、信玄というのは、出家名だ。戦国大名らしくて強そうな名前を選んで名乗っている。か、勝千代という本名は、女の子っぽくてあまり迫力が無いので、公には使っていない……」
「その辺はアイドルと似たようなものだなあ……。でも、いいんですか? 一応、織田の人間ですよ、俺」
「……構わん。温泉に浸かっている時のあたしは、ただの勝千代だ。……ところで、何故あたしが労咳だなどという説が遺されるのだ? あたしはこの通り健康そのものだぞ?」
「そりゃあその辺の記録が未来に残っていないからですよ。残っている記録を繋ぎ合わせて、推測するしかないですからね」
武田騎馬隊は実在しなかった、なんて説も出てきますし。と語る太助の姿を眺めていた勝千代は、勇気を振り絞った。
己の未来を知るということは、この先の人生に『希望が無い』という『絶望』を知ることなのかもしれない。
だがしかし――。
遥か未来の人間たちの心に残るような存在となる、そのことだけで自分は満足するべきなのではないか。
不意に、そう思ったのだ。
「……あたしの天命は、ここで尽きるのか? あたしのこれまでの武田信玄としての人生は、全て虚しい努力に過ぎなかったのか。あたしはこれだけ有利な状況にいるにもかかわらず、
上洛できると思えないのだ。敵であるうぬに答えを求めるのは筋違いかもしれないが……。頼む、あたしに真実を教えてくれ」
後書き
今回より(やってほしい)第二期編に突入です。
お市がいるのに浅井長政が軍を率いているのには、ちゃんと理由がありますよ。
管理人感想
ダークレザードさんからいただきました!
光秀、のっけから愛の大暴走(笑)。
いやもう、可愛くなっちゃったの何のって。最初の頃のあのツンツンぶりがウソみたいです。いや、比喩でも何でもなく本当に。
モリビトが『信奈』第二期を熱望する最大要因、武田信玄のお風呂シーンが早くも披露。
……あれ? なんか太助相手にフラグ立ってね? うらやましいな、こんちくしょうっ!(嫉妬やめい