織田信奈の欲望。前回の三つの出来事!
一つ! 信奈は天下布武の好機を捨て、道三の救出に向かう!
二つ! 山本勘助は、人の心を取り戻して、その生涯を終えた!
そして三つ! 織田と武田の殲滅戦を阻止するため、良晴は『クリスマス停戦』案に望みを賭ける!!
「織田より、七梨太助と申す者が使者として参りました」
「七梨だと? あいつならば無下には出来んな。通せ」
武田晴信と七梨太助が対面したのは、十二月二十四日の、深夜だった。
「お初にお目にかかります武田信玄殿」
そして、太助は晴信に語った。
未来の日本には、キリスト教文化がもたらした『クリスマス』という祝祭の日が設けられていて、それが丁度今夜から明日にかけて行われるということ。
もう間もなく岐阜城に集まってきた聖歌隊が、クリスマスの歌を歌うという話。
「信玄殿。せめてクリスマスの間だけでも、この戦を止めることはできないでしょうか。父親と永遠に別れようという時にまで、信奈さんに戦をさせたくはない。
今だけは戦ではなく、散っていった者達の為に泣きたい、彼等を弔って過ごしたい。それは大将から足軽まで、全ての人々がそう思っているはずです」
織田の使者でありながら、その言葉には、武田への憎悪も、武田信玄への恐れも、一切なかった。
「全てを救おうなんて綺麗事だし、不可能かもしれない。でも、相良良晴――おれの仲間はそれを諦めることをしない。この国の歴史は大きな分岐点に差し掛かっている。
俺の言葉一つ、信玄殿の気構え一つで、信玄殿が暗殺の危機を乗り越えたことには、きっと重要な意味があります。そしてそれは、信奈さんと互いに憎しみ合い、
人間の弱さと碌でもなさを証明するためなんかじゃあ決してないはずだ。俺は貴方にも――世界を、見て欲しい。そう思っています」
「ふん。世界、か……甲斐の山猿には、少しばかり大きすぎる話だな。――分かった。他ならぬお前の提案だ。クリスマス停戦の話、受けてやろう」
「あ……ありがとうございます!」
「それと、だ」
「はい?」
何故か、晴信は頬を赤らめて告げた。
「あ、あたしは、この後正式に名を『武田晴信』と改めるが……お前は、いつ何時でも『勝千代』と呼んでいいからな……」
「えっ? ……いや、それは……」
「き、気にするなッ! お前はこの天下の名将・武田晴信に大きな貸しを作っているんだッ! こ、これはその返済のようなものだッ!!」
「あ、はい。わかった、わかりました……」
こうして。
日本史上初めて、『クリスマス停戦』の講和が成立した。
不退転の決意で岐阜城近くに陣を張っていた武田信玄が最も早くこの提案を受け入れたため、残る織田・松平・浅井・朝倉も速やかに受け入れ、
たちまちのうちに停戦が成立した。
第二十九話「聖夜とサンタと太助の疑念」
雪は、夜が更けてもなお降り続いていた。
武田軍が撤退準備を始める中、晴信は本陣に一人で居残り、山本勘助と最後の別れをしていた。
「……戦の鬼であったお前も、これほど清らかに微笑むことが出来たのだな……」
寝台の上に横たわる勘助は、晴信が今まで見たことが無い、安らかな死に顔をしていた。
真田の忍びから口述によって伝えられた、遺言もそうだった。
良き夢を見せていただきました
人にとって夢がかなうかどうかは問題ではありませぬ
共に同じ夢を見てくれる者と歩めた
その道程こそが人にとっての本当の幸せなのです
某は御館様と出会えた天下一の果報者でございました
これからはどうか御館様ご自身の御心のままに
自由に生きてくださいますよう
なにとぞ良き殿方と巡り合われお幸せにおなりくだされ
かつちよさま
かんすけ
「……最後の最後になって、あたしを泣かせるとはな。本当にお前はずるい奴だ。勘助」
勘助の遺言を反芻しながら、晴信はゆっくりと床几から立ち上がっていた。
「お前はこの地に遺していく。伊達政宗の関東侵攻を阻んだ後、あたしは再び、ここに戻ってくる。あたし自身の天命を見定める為に。――『天命を動かす者』
七梨太助――。もう一度あの者に会いたい。戦い合い、殺し合い、奪い合う。百年もの間続いていたこの国の状態が、大きく変わろうとしている」
だが今宵は、勘助。
勝千代という、只人として静かに、
この戦いで散っていった者達と、お前の冥福を祈る。
岐阜城の麓、斎藤道三の陣中では、鉄砲隊の撤収作業中だった滝川一益に、良晴が何度も何度も頭を下げていた。
「一益ちゃん! クリスマス停戦を閃いた時に、伊勢で見た一益ちゃんの力のことを思い出したんだ! 今こそあの力が必要なんだ! 悪いが、頼まれてくれ!」
良晴が強引に引っ張ってきたらしい、無言のままツンとそっぽを向きっぱなしの信奈を見て、一益も「頼みごと」の内容を悟ったらしい。
「姫もお爺ちゃんと信奈ちゃんにこのまま死に別れて欲しくはないがの、力を死んでいく人に使うのは結構疲れるのじゃぞ? 心が痛くなるしの」
「わかる。そこを何とか、頼む! 相良良晴、一生のお願いだ!」
「貸し一つじゃな、よっしー。この貸しは大きいぞ。くすくす」
「……利子は常識的な範囲にしてくれよな」
斎藤道三は、死の淵をさまよっていた。
かつて恋仲だったころもあったという松永久秀は、あらゆる秘薬をかき集めて延命を試みていたが……。
「限界ですわ信奈様。もう、もちません」
「デアルカ」
床に伏した道三は、信奈が陣中に来たことに気付いたようだった。
「うつけものめ。儂の覚悟は相良殿達から聞いたであろうに、死にゆく儂の為に天下を柿のように投げ捨ておって……」
良晴と一益が、無言で引き返そうとする信奈の袖を引っ張って静止した。
今の信奈は、何時壊れてもおかしくない状態だった。
憎まれ口も悪口も出てこないのがその証拠だ。
「一益ちゃん。頼む!」
「よっしー、これはとても大きい貸しじゃぞ。くすくす」
道三の額に、一益が小さくてあたたかな掌を、押し当てようとした、その時。
「――じゃが、それでよい。そなたは何も間違ってはおらん」
はっ、と。
全員が道三の顔を見た。
朦朧としていた視線が定まり、慈愛に満ちた瞳で、良晴と信奈を見ている。
「信奈殿。親が子よりも先に逝くのは当たり前の事じゃ。そなたは今宵、存分に悲しむだけでよい。誰かを恨み、天下布武の夢を穢してはならぬ。
どうしても耐えられなくなったのなら、儂を恨むがよい。天下布武の野望を吹き込み、人を殺し続けているのは儂のせいだと言って回るがよい」
信奈は俯いたまま無言でうなずいた。
何かを言おうとすれば、泣き声になってしまう。
「相良良晴殿。いずれ義龍の遺骨が岐阜城に届けられよう。儂と同じ墓に葬ってやってくれ」
「お、おう」
「良晴殿。どうか信奈殿をお頼み申す。信奈殿を未来に待ち受ける天命からお守りし、広い海原の彼方へとお連れくだされ。太助殿とともに、なにとぞ」
手を……と、道三が喘ぎながら言った。
良晴は、唇を噛み締めて耐えている信奈の白くて柔らかそうな手を、握りしめていた。
信奈が、その手を強く握り返してくる。
「信奈殿。身分の違いなどで、その手を離してはならぬぞ。好いたおのこの手をな」
「蝮、わたしは、こ、このサルとは、べ、べ、別に」
いつもの癖で思わず反論した信奈だったが、嗚咽ばかりが溢れて、言葉になっていなかった。
「信奈殿。そなたは父離れせねばならぬ時が来たのじゃ。永遠に父親の庇護に縋りたいという望みは、只の子供の我儘に過ぎん。人を信じ愛する勇気を持つには
親離れせねばならぬ。儂にはその勇気が少しばかり足りなんだ。恋を諦め、子に怯え、自分自身を『蝮』と貶め生きてきたのは、儂が臆病だったからじゃ。
だが、そなたたちならばきっと乗り越えられる」
良晴殿、くれぐれも信奈殿を頼みましたぞ。
天下平定の暁には必ず祝言をあげて結ばれると、この年寄りに約束してくだされい。
二人とも、「それは叶わぬ夢に過ぎない」という言葉を飲み込み、そして互いに、頷いた。
道三は、安心したように破願した。
「信奈殿、儂より長く生きるのじゃぞ。もし相良殿と結ばれずに、慌ててこちらに来たら、今度こそ本当に親子の縁を切るからのう」
信奈殿の可憐な花嫁姿を一目見たかったわい。
それが、斎藤道三の人生最後の言葉となった。
日付が十二月二十五日に切り替わろうとしていた深夜。
信奈は、簡素な白無垢姿でただ一人、岐阜城山頂の草庵に上っていた。
道三お気に入りの茶室がある、金華山の頂上に。
この身は本当に花嫁衣装を身に纏うことは無いだろうが、正式でなくても、この姿で義父を見送りたかったのだ。
雪は儚い細雪に代わり、聖歌隊の歌声が大きく響いてくる。
言葉の意味も分からない奇妙な歌を聴いているうちに、涙が溢れてきた。
「私が好きになった人は、頼りにした男の人は、みんな、死んでしまうの」
父上も、蝮も、あの宣教師様も、みんなみんな、そうだった。
きっと、あの人も例外じゃない。
手を伸ばせば、「史上最悪の下剋上男」と天下万民が激怒して、あの人を殺しにかかる。
ほんとうは、そばにいてほしい。
でも、手に入れようとすれば、壊してしまう。
織田家の姫であることも、何もかも捨てて、ただの町娘・吉になりたい。
あの人と繋ぐ手があれば、他に何もいらない。
そんなこと、できるはずがない。
この身は既に、『天下布武の夢』という罪を背負ってしまっている。
そんな無責任は許されない。
だからあの人を伊勢に追いやったけど、やっぱり、耐えられなかった。
一日だって、忘れることは、できなかった。
だって、あの人はもう、私の夢の一部なのだから――。
「……う……う、うう…………」
天も神様もデウス様も、誰も私の頑張りにご褒美をくれない。
くれるのは悲しみと寂しさばかり。
どうして、私の一番欲しいものを――。
「メリー・クリスマス。信奈」
いつの間にか、良晴が目の前に立っていた。
涙目ではっきりと見ることは出来ないが、変なとんがり帽子をかぶり、白いずだ袋っぽいものを担いでいて、赤白に塗り分けられた妙にもこもこした
南蛮の衣服を身に纏った姿は、まるで紅白まんじゅうだ。
「こんな寂しい場所で花嫁のコスプレとは寂しい奴。そんなお前のもとに来てやったぜ、サンタクロースがな! ……ヒゲとトナカイはねえけどな」
「惨堕苦労主……って誰よ? 少女誘拐魔?」
「クリスマスの夜に、良い子にプレゼントを――贈り物をあげにやってくる、俺の世界の有名人だ。めっり〜、くりっすま〜す♪」
この男は――こんな時に何を浮かれているのか。
そりゃあ自分を慰めようとしているのは分かるが、そんな不審人物の格好をする必要はないだろう。
訳がわからないにも程がある!
「ハン。あんたなんかが、私にいったい何を贈れるっていうの。蝮を私のもとに返してくれるとでもいうの? それとも、私を奪って岐阜城から逃げていく度胸があるの?」
口から出てきたのは、今までと変わらない憎まれ口だった。
「無理よね。何度も恩賞を上げようとしたのに、私に接吻する勇気も無かった口先だけのあんただもんね。私に忠誠を誓うとか、私の夢を叶えるまでずっと一緒に
いてくれるとか言っておいて、目を離したらすぐに他の女の子と浮気ばかり。結局可愛い女の子なら誰でもいいんでしょ。私じゃなくてもいいんでしょ。
どうせ、どうせ自分の主君には何もできないヘタレの弱虫の癖に――! あんたなんか、あんたなんか、だいっきら……」
「ハッピー・クリスマス。これが、必死に頑張ってきた良い子のお前への、プレゼントだ」
抱きしめられていた。
不意に、唇に唇が重ねられていた。
何をするんだと、良晴の腕の中で暴れた。
良晴の唇から血が出るまで、噛みついてやった。
それでも良晴はやめなかった。
「〜〜〜〜〜〜〜〜!」
この、妖怪接吻馬鹿サル。
いきなりなにすんのよ。
こんなところ、誰かに見られたら、あんた破滅よ?
そもそも乱暴すぎ。
サルの国の王子だからって、もっと優しくしなさいよ。
こんな、荒っぽく……。
こんなに強く、抱きしめられたら。
心臓が、もたない。
また、涙がたくさんこぼれてきた。
でも、今度は悲しみの涙ではない。
泣けば泣くほどに心が、苦しみに代わって、温かいモノで満たされていくのがわかった。
「悪い。俺もはじめてだったんで、上手くは出来ないんだ」
頭を、くしゃっと撫でられた。
「こんなことして。あんた、殺されちゃうわよ」
「クリスマスには、夢みたいな『奇跡』が起こるのさ。だから気にすんな」
「ねえ、来年の『くりすます』にも『さんたくろーす』さんは来て、くれるの?」
まるで子供みたいな声で、そう口走ってしまっていた。
「必ず会いに行くさ。お前が良い子でいる限り、来年も、再来年も、ずっと、ずっと、な」
もう、信奈は何も言えなかった。
童女に返ってしまったかのような泣き声だけが、喉から溢れ続けた。
「これは俺の姉川でもらい損ねた恩賞の分な」
また、唇を塞がれていた。
「どうやら、寺までは辿り着けぬな」
美濃から飛騨へと向かう道中。
潜伏先の寺へと戻ろうとしていた義龍は、全身から力が抜けていく感覚に襲われ、馬から滑り落ちた。
麓、岐阜城の方角から、南蛮の歌がかすかに響いてくる。
「あれは、親父殿への鎮魂の歌なのだろうか……。ふ、ふ、ふ。南蛮異国の歌で親父殿を送り出すとは、いかにもあのうつけものらしい」
一人だけでも、供を連れてくるべきだった。
「もう、立ち上がれぬか……。すまぬ親父共、同じ墓には……誰か、いるのか」
気配が、した。
殺気は微塵もない。
湖の静かな水面を思い起こさせる、一人の虚無僧が近づいてくる。
「……誰かは知らぬが、物盗りでないのなら頼まれてくれぬか。儂はそろそろいかんようだ。この儂を弔い、その骨を黙って岐阜城へと届けてもらいたい。
それで相手にはわかる」
義龍の面前に正座してきた虚無僧が、被り物を取った。
顔中、傷だらけであったが、瞳は澄み渡り、表情は平安そのものと、徳の高さが窺えた。
もしかすると、元は武家だったのかもしれぬ、と薄れゆく意識の中で義龍は思った。
「……お名前を」
「拙僧、杉谷善住坊と申します」
「……はて。どこかで、聞いたような」
「今は一切の恨みも欲も捨て、戦国乱世の終わりを一心に祈っておる世捨て坊主でござる。ここで出会うたのも何かの宿縁。貴公の願い、しかと聞き届け申した」
「かたじけない」
義龍は安心して、微笑んでいた。
岐阜城内、七梨家。
その今にて、七梨太助は寛いでいた。
元々は『清州城の使われなくなった土蔵』という扱いだったが、本拠が移転してから、こちらに移ってきていたのだ。
「今回のクリスマスはシャオと過ごせなかったか……何かで埋め合わせしなくちゃな」
シャオの事を考えながらも、太助が気にしていたのは、今回の戦いの流れであった。
(追い込まれた道三を救うために、感情に従い出陣した信奈さん。そして一益さんによれば、義龍は武田を油断させるために岐阜城――旧稲葉山城に入った……。
俺が勝千代さんを説得し、あの人の運命を変えたこと。信奈さんの焦りも含めれば間違いない)
今回の『姉川の戦い及び岐阜の戦い』は、いわば『長良川の戦い及び美濃攻略戦ハードモード』であったのだ。
今まで行方不明だった義龍を武田が見つけ出せたこと。戦いそのものがほぼ同時に起こり、別働隊を出せなかったこと。
そして、前回自分たちが行った行為が、今回は出来ないような状況だったこと。
「どう考えても、『歴史の強制力』が作用しているよな」
そして、そればかりではない。
立場を離れた物の見方が出来る。
明らかな目上の人を除いて、誰に対しても変わらない態度で接する。
普段は感情を指針にしているのに、重大な選択の時は理屈で決めようとして間違えかける。
そして何よりも。
仲間という『果実』を、全て拾い上げなければ気が済まない厚かましさと欲張り振り。
似過ぎている。
相良良晴と織田信奈は、似過ぎているのだ。
「もしかしたら良晴さんは……『木下藤吉郎』役じゃあ、ないのかもしれない……」
もしかしたら、良晴と信奈は、二人で一人の――。
後書き
信澄夫婦はしっかりと夫婦二人きりの時間を過ごしているとか。
そして、「良晴と信奈は二人で一人の」については私の個人的解釈です。
ですが、原作八巻以降は二人の内面が逆転していってるように見えました。
「本能寺の変」がどうなるかは不明ですが、最近の良晴のやけっぱちな自己犠牲ぶりをみるに身代わりになりそうで怖い。
管理人感想
ダークレザードさんからいただきました!
太助、信玄改め晴信にガチでフラグ立てやがって……うらやましいぞこんちくしょうっ!(血涙
願わくば彼女にも幸せになってもらいたいところですが……この作品でそれやっちゃうとどう転んでも太助ラヴァーズによる血戦の予感しかしない。
シャオは何だかんだであっさり受け入れそうですけど、光秀対晴信は確定かな? 今や光秀の行動力はあらゆる意味で理不尽パワーと化してますし、まぢでカオスな図式しか見えねぇ(苦笑
そんな一方で歴史は残酷な運命をちらつかせ始めているようで。
本能寺。モリビトは光秀の方が不安ですね。光秀によって起きる運命は回避されたとしても、信長=信奈の革新的なやり口は保守派にとって目の上のタンコブなのは史実でもこちらでも変わりありませんし……ぶっちゃけ誰が光秀の代役になってもおかしくないワケで。そしてその時、本来の役割から弾かれた光秀がどんな役どころに放り込まれるか……
『光秀がやらないから起きない』なんて少しも思えないから恐い恐い。あっさりやらかしかねない小物悪役にも不自由してないしなぁ、この作品(滝汗