相良良晴――。
戦国ゲーム好きの平凡な高校生だった彼は、ある日気が付けば、ただ一人で戦国時代の日本にタイムスリップして戦場の真っ只中に放り出されていた。
そこで彼は木下藤吉郎を名乗るおっさん――つまり下積み時代の豊臣秀吉に命を救われたのだが、彼は種子島を喰らって死んでしまった!
豊臣秀吉が『足軽その一』のまま死んでしまえば、日本の歴史が破壊されてしまう! 良晴は一念発起して彼の身代わりになり、一国一城の主となって
そしてモテモテハーレムを作り、その王様になってやると誓ったのだ!
……断っておく。
相良良晴は至って真面目である。豊臣秀吉は「日本の歴史上もっとも女好きな男」として知られている。
その秀吉の夢を受け継いだわけだから、彼が今、大阪の宮殿で南蛮渡来の玉座にドカッと座り、猫耳メイド服着用の女の子百人に傅かれているのも
全然、ちっとも、全く、な〜んにも間違っていないのである。
彼は相良良晴。
大阪にて『南蛮蹴鞠神』と呼ばれて愛らしい女の子、総勢数万人から慕われるモテモテ野郎である。
そう、彼は死んだ藤吉郎との約束を果たしただけである。
別に、信奈の為に自分を犠牲にしようとしているとか、そういうのではないのである。
彼女たちが自分を手放したくないというので、仕方な〜〜〜〜〜くハーレムの王様になってあげているだけなのである。

「良晴様、私を側室にしてほしいにゃん」
「蛍だけずるい。この小雀もぜひ側室に!」
「私も―!」

モテモテハーレム王となった彼の朝は、こうして猫耳メイド百人に傅かれて「ご利益ご利益」「どうか蹴鞠がうまくなりますように」と頭を撫でられることから始まるのだ。
ちなみにこれは現実である。良晴の初夢なんかではない。

「あーはははは。良晴はん、今日も朝からたこ焼きがうまいなあ! どや、うちが食べさせたろ。あーんせえや、あーん」

露出度が高すぎるきわどいメイド服を着て美尻が半分見えている女性が迫ってきた。
彼女は雑賀孫一。紀伊から来た色っぽい底抜けに陽気な美人のお姉さんで、見ているだけで自然と人を笑顔のできる人間なのだが。

「なあなあ。そろそろ返事をよこせや。うちを嫁にせんか? 毎晩ええことしたるでー」

割と断りづらい迫力で迫ってくるし、良晴がお茶を濁すと、

「乙女に恥かかせよってからに! 尻でも喰らえや!」

と、大鉄砲の八咫烏を良晴の口のなかに突っ込んでくるデンジャラスな武闘派なのだ。

「ヨシハルさん。お悩みがあるのでしたら、いくらでもわたしの胸で癒されてくださいね。さあ、どうぞ」

悩む良晴の頭を抱きしめるのは、やはり猫耳メイド姿のルイズ・フロイス。

「こらバテレン、なにすんねん! うちの良晴はんにそないなエロ接待するのはやめてんか―」
「え、エロ接待ではないです。ヨシハルさんを癒して差し上げているのです」
「アホやな。ガキならともかくええ歳した男が乳なんかで癒されるかいな! 大人の男が癒しを感じるのは、女の尻やでー! どや良晴はん、うちの尻の下に敷いてやろかー?」

モテていた。モテ期が来ていた。「男はつらいぜ」と似合わない溜息をついてしまうくらいだった――! なのに、不安でたまらない。
そんな相良良晴に破滅の時が迫っていた。
そう。
とうとう信奈から書状が届いたのだ。
お馬鹿の良晴にだって内容の見当はついていた。というか、恐ろしくて読みたくなかった。
当たり前だ。クリスマスの夜にキスしておきながら、大阪で独立してハーレムの王になっているなんて、謀反そのものである。つーか、男のクズだ。

(これも信奈を救うためなんだよ、分かってくれよ)

どうするどうなる、相良良晴。
そう。
それは、一か月前からはじまった――。


第三十話「デレとハーレム王と本猫寺」


年が明けて春となった戦国時代の日本。
尾張の小大名・織田信長が駿河の大大名・今川義元を破った「桶狭間の戦い」それを皮切りとした美濃の併合。浅井長政との婚姻同盟を結んでの上洛。
伝説の撤退戦「金ヶ崎の退き口」を生き延び、叡山の僧兵をも屈服させ、武田信玄と浅井朝倉を一度に引き受けるという防衛戦をも勝ち抜いた。
この一年はまさに激動の年だった。
そして、関東地方も激動の渦中に巻き込まれていった。
これまで関東の情勢は、北条氏康、武田信玄、上杉謙信の三者が互いの領地を奪い奪われを繰り返していた。
しかしそこに、奥州を統一した『邪気眼竜正宗』こと伊達政宗が侵攻。
家臣達からも恐れられているオッドアイを利用したイメージ戦略で、はっきり言って「ド田舎」の関東の民衆をビビらせまくり、破竹の勢いで関東を平定――政宗曰く、「破壊」していた。
その勢いの前に、同盟相手の北条も押し切られそうだと知った武田晴信は、織田と一時停戦し、小田原城へと急行したのだが……。


「この城は落ちないというのに、無駄なことを。伊達政宗――あのような田舎の小娘が関東を乗っ取ろうなど、笑止だわ。貴方もそう思うでしょう? 信玄。いえ、晴信」

北条氏康。
青白い肌に優美な動作、その美貌は日本人形のように人工的。公家の姫と見まごうばかりの高貴な顔立ちだが、鋭い視線を持ち、口も悪い、
薄ら笑いが何よりも似合う傲慢な性の持ち主であった。

「ふん。あたしは伊達政宗との決戦の為に、わざわざ来てやったのだがな。貴様はいつものように小田原城に籠城して、相手が背中を向けるのを待ち続けるつもりか?
 『関東独立王国を築く』という大それた野望を持っているくせに、小心な奴だ」

晴信は機嫌が悪かった。
既に軍師・山本勘助の四十九日も終わり、上洛戦を再開したい。
加えて天下の武田騎馬隊がわざわざ加勢に来ているのに氏康の消極策に付き合わされているのだ。
小田原城に籠城しながら敵家臣の調略などを試みつつ、上手くいきそうなら退却中の敵を背後から襲う。
それが、北条氏康の十八番の戦法だった。
かつて上杉謙信が関八州の大名豪族を束ねて攻めかかってきたときもこの手を使った。戦では晴信・謙信に及ばないという自覚があるからか、
あるいは小心な本質ゆえか、氏康はとことん用心深く『負けない戦い』しか、しない。
そんな消極策など愚策。と思っている晴信が、それでも氏康を無視して自分たちだけで討って出ない理由は一つ。

『例え同盟相手であろうと、背中を見せた者には平気で斬りかかりかねないのが北条氏康である』

そう考えているからだ。
かくして、伊達対北条・武田の戦線は絶賛膠着中であった。


さて、関東の状況はこれぐらいにして、良晴の身に起こった出来事について語っていくとしよう。
良晴は自分の軍団を率いて、北近江の虎御前山に砦を築いて守りを固めていた。
小谷城の正面に位置するこの小さな山で、浅井の動きに目を光らせ、本格的な動きがあれば即座に南の佐和山城の丹羽長秀、さらに南の安土近辺の
信奈本軍や柴田勝家の軍を合わせた全兵力で撃破する、というのが信奈の取った作戦だった。
だが、頼みの武田信玄が関東に釘付けになっている今、浅井は一日一度、偵察部隊を繰り出しては、半兵衛の敷いた「石兵八陣」の迷路に迷って帰るということを繰り返すのみ。
信奈も、「せめて義妹には、父ともう一度話し合う機会を」と考え、滅ぼすのを躊躇っている。
つまり、近江戦線もまた、膠着状態だった。
戦国時代にタイムスリップしてからほとんど休む暇もなく働いてきた良晴にとって、初めての「退屈な時間」だった。

「今日はいい天気だな〜。退屈だし、麓の村で可愛い女の子を探すかねぇ」

退屈すぎて、すっかりダメ人間になっていた。
まあ、信奈から「浮気……じゃなくて、仕事をさぼらないように見張っていて頂戴」と言い含められているねねちゃんがいるから大丈夫だろ、と太助は思っていた。

「まあともかく、俺達が退屈しているってことは、各地の反織田勢力に力を取り戻す時間を与えているってことです。膠着状態を打開しないと、後が辛くなるだけですからね」
「だな。ああ〜朝倉義景を姉川で討ち漏らしたのが響いてるな。いやでも、偽長政……エンヴィーだっけ? もいるから変わらねえか」
「逃がしたとはいえ、人間モードでいられなくなるくらい殺してます。生命の補充が出来るかどうかわかりませんが、なるべく正史には合わせてくるでしょうから……」
「へー。サルの癖に真面目な話してるじゃない」

背後から失礼なことを言われた良晴が振り返ると、そこには町娘に扮した信奈が仁王立ちしていた。

「姫様、何時の間にいらしたのですか? ここは危険ですぞ」
「信奈さん。道三殿の四十九日の法要以来ですね。その後、ご機嫌はいかがですか」
「まあまあかしらね。てっきりそこのサルが減らず口を叩いてるかと思ってたけど」

信奈は道三の病死後しばらく別人のように打ちひしがれていたが、四十九日の法要で吹っ切れたのか、今ではすっかり元気を取り戻していた。
だが、初対面の頃と比べるとどこか横顔が大人びて見えるようになったな……と良晴は気付いた。
義父の道三との死別を経て、真の意味で『独り立ち』をはじめた信奈は、いよいよその美貌が神がかり始めた。

(俺、こいつとキスしたのか。信じられない。けど……)

クリスマスはまるで夢のような夜だった。でも恋人として振る舞い合えるのが、一年に一度だけなんて我慢できない。

「サル。ちょっと顔貸しなさい」
「お、おう」


(なんだ? もしかして小谷城を落とす秘策でも閃いたのか?)

良晴はそう思って信奈と二人きりで、茶室に入った。
簡素な砦である虎御前山にも、密談に備えて茶室は設けられている。
しかし、信奈の用事はそのようなものではなかった。

「やっと二人きりになれたわね、良晴!」

茶室に入るなり、信奈は良晴に飛びついて、猫のように甘えてきたのだ。

「待て、信奈。お前、変なものでも食べたのか? 今日はクリスマスじゃないぜ、こんなところを家臣団の誰かに見られたら……」
「いいじゃない、四十九日が終わるまで我慢してたんだから。ねえ良晴、頭を撫でて頂戴」
「あ、頭? そうか。お前、落馬でもして頭を打ってこんな変なキャラになっちまったのか?」
「違うわよ。何を言ってるのよ、さっさと撫でなさいよ」
「撫でりゃあいいのか?」
「ん〜。そうそう。良晴に撫でられると、私、とても落ち着くの。心がとても軽くなっちゃうみたい」

そうか、爺さんに死なれて寂しいんだな、と良晴は察した。
どうせこの茶室には、自分と信奈の二人っきり。他人の目を気にする必要はない。頭を撫でて甘えさせてやってもかまわない。

(こいつ、俺より小顔なのに、目だけはパチッと大きいんだよな。……なんでだろう。こいつに甘えられてると、俺も心が温かくなって……。
 とても落ち着く。ああ……なんでこいつは織田家の姫なんだ……。何で『織田信長』なんだよチキショー!)

身分が違い過ぎる。責任も大きすぎる。信奈は自分の夢を、役割を放棄できない。そんなことは分かってる。でも、好きだ。
自然と、お互いに抱きしめあう腕に力が入った。
キスしたい。でもここでしてしまったら、歯止めが効かなくなってしまう……そうなればいずれ人々にもバレる。この大スキャンダルは、必ず信奈の天下取りに重大な支障をきたす。
良晴は無防備にキスをねだるように目を閉じている信奈の小さな体を抱きしめながら、ぐっとこらえた。辛い。信奈だってそう思ってると分かるだけに、なおさら。

「な、なあ信奈。まさかこれだけの為に安土からわざわざ?」
「……そ、そんなはずないでしょ。これからの方針の打ち合わせだってやるわよ」

信奈も、『夢を託してくれた道三の死を無駄にするわけには』の一念でギリギリ踏みとどまっているようだった。

「良晴。小谷城を落とし、近江一国を完全に平定すれば天下布武への道は開けるわ」
「でもそれができねーから、こうして千日手にはまってるんじゃないか?」
「そうね。でも聞いたわよ。今の浅井家はびっぐでぃざすたあに乗っ取られてるも同然なんでしょ?」
「ああ、浅井久政は家臣たちに完全に見限られて……本人も切腹を決めていたところをあのエンヴィーに生かされてるらしい。
 太助によれば……奴らは、俺達の知ってる歴史通りに事を進めようとしてるらしいからな」
「つまり、久政を助けられるかもしれないってことよね……。親とは、通じ合っていた方がいいはずだもの……」
「信奈……」

かつて、信澄が『織田信勝』だったころ。
謀反を繰り返すばかりの信勝を、信奈は母との断絶を恐れて処刑に踏み切れなかった。
だからこそ、思ってしまう。義妹だけは、せめて、と。

「あんたのせいよ。犠牲をいとわない覚悟をしていたのに、なるべく戦をせずに人を死なせずに天下を平定しよう、だなんて思うようになっちゃって。
 落ちてくる実を全て拾わなくちゃ気が済まない、あんたの欲張りが移っちゃったんだから。……でも、そんなわたしでいられるのがね、……嬉しい」

頬を赤くして微笑みながら、信奈が良晴の腕の中でそう言った。

(し、し、しおらしいじゃねーか信奈。可愛い……もっともっと抱きしめたい! いや駄目だ! 抑えなくちゃ……でも、信奈だって期待してるんじゃねえか?
 つーかよく考えたら誰も見てないじゃねーか。クリスマスの夜と同じだ。だったら!)
「き、キスしていいか? 信奈」
「……う、ん」

信奈が瞳を潤ませながら、小さくうなずいた。
二人が今まさに唇と唇を重ねあわせようとした時だった。


「済みません信奈さん。光秀さんが今すぐ会わせろと来ているのですが……つーか今俺が必死で押しとどめてます」


襖越しに太助の声がして、二人は慌てて離れた。

「じゅ、十兵衛が? 十兵衛は坂本城にいるんじゃなかったっけ? どうしてここに?」
「坂本から今浜の港まで水路を使い、そこから馬でここまで、だそうで」

織田家きっての切れ者、明智十兵衛光秀。
自他ともに認める才媛だが、ただ一つの欠点として自信家過ぎて、思い込みが激しく、場の空気や人の心中を察する能力が、とても低かった。
そのはずの光秀が、最近信奈と良晴が妙にぎくしゃくしていることには気づいていた。
自覚していないとはいえ、今の光秀は太助に恋する乙女。そういう空気にだけは敏感になっていた。
クリスマスのキスは兵の間でも噂になっており、光秀は今回その真偽を見極めるべく気合を入れてやってきたのである。

「いいいいったい何の用なのよ十兵衛。軍議の邪魔をしたんだから、それ相応の要件なんでしょうね!?」
「是非とも七梨先輩にお見せしたいものがありまして。そうです! せっかくですから、信奈様にも御覧になってほしいのです!」
「ははあ。さては坂本城が完成したんですね?」
「そう! そうなのです先輩! 先輩とわたしの『愛の巣城』がやっと完成したのですぅ! あ、別に相良先輩は来なくていいです」
「……ちっ……心底どうでもいいじゃない。あーあー、せっかくいいところだったのにぃ……」
「えっ? 何が良きところだったのでしょうか、信奈様?」

光秀の眉がぴきり、と跳ねあがった。
怪しい。思いっきり、怪しい。

「なんでもないわよ。こほん。い、いいわよ。行きましょう、サル」
「お、おう」


四人は快速で飛ばす船に乗って、琵琶湖の東岸から南岸へと一気に渡った。
坂本は西近江から京へ至る入口にある戦略上の要衝である。
光秀はこの地を与えられた昨年からずっと、『新時代に相応しい城』としてこの坂本城を建築していたのであるが――。

「どうですか信奈様! 坂本城の本丸をご覧ください。南蛮の騎士ジョバンナの意見を参考に、防衛に適した南蛮様式にしてみましたです!
 もちろん松永弾正の真似っこでは終わりません。キリシタンは『天主教』とも呼ばれておりますから、『天守』改め、『天主』と称することにしたです。
 うーん、我ながら素晴らし過ぎる名前。自分の才能が空恐ろしくなってきたです」
「さ、流石ね。(しまったわ。私も安土の城は南蛮様式にして「天守」を「天主」に改名するつもりだったのに先を越されるなんて! そもそも十兵衛さえ
 いきなりやってこなかったら今頃良晴と……何よ、得意げに金柑飾りを揺らしちゃって!)」

坂本城の桟橋に船を横づけにした光秀は、二人を天主内部へと案内した。
ちなみに、この城の警護は「あの」正覚院豪盛がやっていた。
この男、叡山騒動の際に自分に優しくしてくれたフロイスを菩薩としてあがめており、彼女に見立ててこしらえた「マリア観音像」を熱心に造っては
各地の寺に配置するという、「フロイス信者」になっていた。

「これより天主の最上階にご案内いたします。本来はこの十兵衛と七梨先輩しか入れないのですが、信奈様は御主君ですから特別にお見せいたします。
 相良先輩は駄目ですよ、ここで待っていやがれです」

この時、信奈の体の周辺から凄まじい憤怒の炎が立ち昇った。
しかし光秀は全く気付いておらず、太助も気にした様子はない。
最上階についた。

「最上階は、十兵衛と先輩の寝室。即ち、うら若き夫婦がつがう愛の巣です」

部屋のど真ん中には、白いレースのカーテンに包まれたダブルベッドが鎮座していた。
脇のサイドテーブルにはワインや金平糖といった南蛮物の飲み物やお菓子がずらり。部屋の岸側には琵琶湖を一望できる南蛮風のバルコニーが
据え付けられ、様々な観葉植物が飾られていた。

「南蛮のお姫様の部屋は、おおむねこのような感じなのだそうです。城内では南蛮寺の建築も進んでおりまして、そこで二人は南蛮風の祝言をあげるです」

あーこんな身分卑しい冴えない男が十兵衛の旦那様になるだなんて憂鬱ですと口では言いながら、ひしっ、と太助の腕にしがみついてくる光秀。

「どうでしょうか、この最新鋭の内装は。これからはこの南蛮式の寝室で毎晩この十兵衛が先輩を甘やかしてやるです」
「信奈さんは、別に祝言を上げろとは言ってないそうですけど?」
「そうよ十兵衛。私はただ、太助はかなり無茶をするから……」
「信奈様、ご存知ですか? 今、兵の間では信奈様と相良先輩がクリスマスの夜に接吻していた、とよからぬ噂が立っているのです」

信奈は凍りついた。
一体どこから漏れたのだろう?

「それで、俺と結婚してその噂を消してしまおうって?」
「そう! その通りです! 十兵衛は別に全然先輩に惚れているわけではありませんし、正直申しまして嫌で嫌でたまらないのですが、これも織田家のため。
 仕方がないのです。あまりにも格が違い過ぎる『月とすっぽん』の夫婦ですが、織田家の恩為に夫婦になってやるです」
「……ぐ……」

説得不能の持論を滔々と述べる光秀を見ているうちに、信奈はたまらなくイライラしてきた。
理由は分からない。でも太助に間違いなく惚れているくせに、織田家の為、とか、嫌々だけど、とか理屈ばかりこねくり回して予防線を張り巡らせる様を
見ているとむかむかしてくる。
信奈は自分でも気づかないうちに、刀の柄に手をかけていた。
まずいな、と察した太助は、咄嗟に理屈を考えた。

「これしきの城を作ったくらいで俺を婿にしようなんて、甘すぎる考えじゃないですか?」
「なっ!? 日本で初めて本格的な南蛮様式を取り入れた坂本城が、まだまだ甘いとおっしゃるのですか先輩ッ!?」
「当たり前です。織田家の快進撃の立役者たる俺を婿に取ろうっていうんなら、最低でも信奈さんが普請を計画している安土城に匹敵していなくちゃあ、
 俺の城に相応しくない」
「安土城、ですか。噂はかねがね聞いているです」
「そう。百年二百年たっても人々の記憶に残るような超ド級の城を造ってみてくださいよ。そうしたら、祝言をあげてあげないでもないですから」

取り敢えず、この場は引き延ばす。
頭の中で完璧な理屈を完成させてしまっている光秀を説得することは不可能だろう。この手の輩は大抵人の話を聞かなくなっているからだ。
そもそも太助に光秀と祝言を上げる気などない。
かといって、外国文化の吸収には熱心だが、古来の伝統を重んじている光秀に「信奈と良晴は愛し合っている」と告げればどうなるか。
良くて出奔。最悪の場合「本能寺の変」が前倒しで発生するかもしれない。
さりとて、恋に目が眩み、聞く耳持たずになっている光秀を翻意させる妙案はない。
だから根本的な解決にならないのは承知で、太助は引き延ばし戦術に出たのだ。
その為に、信奈がかねてより計画していた「安土城」の話を使ったのだ。

「いいですか光秀さん。発言力で言うなら、俺は貴方と並ぶ重臣。天下人たる織田信奈の腕同士が祝言を挙げるとなれば、この程度の城が結納の品だなんて
 しょぼいにも程がある。ただ流行に乗ればいいってもんじゃないんですよ。安土城の壮大な計画案を見て、ちょっとは勉強したらどうですかですぅ?」
「グッ、流石先輩。挑発的ながらもそのお言葉、一々真にその通り。分かりました、先輩への結納の品とするお城は安土城を見習いたいと思いますです」
「そう、謙虚な光秀さんが、俺は好きですよ」
「ッ!! と、と、ところで、一体どんな壮大なお城を建てられるのでしょうか信奈様は」
「あーそれは、その……」
「信奈様。その安土城の計画は果たして出来上がっているのでしょうか?」

疑われている。いつもは空気を読まない光秀が、信奈が関わることにだけは妙に鋭い。

「ええと……ま、待ちなさい。今は手ぶらだから。明日、安土に来なさい」

まだ計画は出来上がっていないらしい。
前線で膠着しているとはいえ、浅井・朝倉との戦の最中にこんな問題を解いていていいのか。
だが、壮大な城を築いて信奈が『天下人』であることを日ノ本中に知らしめる。これはいずれ避けて通れぬ道。力だけで天下は統一できない、
いや統一してしまってはいけないし、したくないという思いを抱くようになった今の信奈にとって、安土城の普請計画は二重三重に重要な仕事となっていたのだった。


夕方、安土山麓の仮城。
安土城普請計画に関わっている家臣、文化人たちが信奈によって急遽集められた。
メンバーは、丹羽長秀、松永久秀、フロイス、オルガンティノ、そして良晴と太助。
ちなみに柴田勝家は「どうせ『何を言ってるのか全く分かりません〜〜あうあうあう』って涙目になるだけでしょ、時間の無駄よ」とハナから呼ばれていなかった。

「明日までに壮大な普請計画を完成させて十兵衛を誤魔化し……十兵衛をあっと言わせなくちゃならないんだから」
「そ、そうか(やけに十兵衛ちゃんに対して攻撃的だな……天主で何があったんだ? 太助も教えてくれねえんだよな〜)」

元々、安土に巨城を築くことは、道三の生前から考えていた。
安土は京に近く、北と東、つまりは上杉にも武田にも対応できる拠点となりうる地なのだ。

「ってことは、どんな城にするかを考えていたってことか」
「ええ。そして、もうきまったわ!」

一.山を城塞化し、山頂に信奈の住居を兼ねた七階建ての大天守を立てる。
二.天主の内部は南蛮寺のような吹き抜け構造に。
三.城の周囲は土ではなく、石垣で固める。

「たった一人で七階建ての建物に暮らすつもりか? 孤独になりそうだけどな」
「うるさいわねサル。琵琶湖の絶景を堪能するには、ちょっとでも高い建物の方が有利に決まっているでしょ」
(もしかしたら一緒の住める日が来るかもしれないじゃない、そしたら、か、家族が増えるかもしれないから、家は広いにこしたことはないでしょ。とは今は言えないよな)

ここで長秀が、前例もないのに、そのような奇天烈な建物を建てるのは不可能です。七点です。と待ったをかけたが、信奈は前例がないだけで、
できるかどうかやってみればいいわ、と長秀を普請奉行に一任した。

「私ですか?」
「これはある意味、合戦よりも困難な事業よ。山頂に天主を建てるだけじゃない。城下に天下人が治めるに相応しい壮大な商業都市を新たに造らなくちゃいけないもの。
 私は安土を日ノ本一の観光名所にしたいの」

これほどの大事業は確かに粘り強い長秀にしかできない。短気な勝家やおバカな良晴には不可能だ。

「商業都市ですか? これはまた異なことを。この安土には葦が生い茂るばかりで、何もありませんが」
「何も無いからこそ、新しい街を自由に造れるんじゃないですか」
「そうよ太助。私が作り上げたいのは、天主や南蛮寺だけじゃなく、日ノ本を含めた世界各国の文化を一か所に集結させた、この国の民の誰もが一生に一度は
 来てみたいと思えるような、いいえ、噂を聞いた南蛮人たちまでが先を争って押しかけてくるような、そんな壮大な夢の町なのよ!!」
「……御志は気宇壮大で満点ですが、技術面での困難もさることながら先立つ予算が……」

長秀は微笑みながらも冷や汗をかいて告げるが、信奈は、天主の中には日ノ本の神々、仏、キリスト教の臓や絵をたくさん陳列する、城の中には自分の
像を祀る南蛮寺を建てる、とどんどん話を大げさにしていく。
光秀への対抗意識かもしれないが、さすがにそれはやり過ぎだ。
しかし、驕慢に過ぎる、世間に入らぬ誤解を招くと反対のフロイス、長秀に対し、天下人が信奈であることを知らしめるには効果絶大な大芝居ですと松永久秀は大賛成。
いっそのこと姫巫女様に行幸していただいて一気に取り込んでしまいましょう、と悪巧み。

「御行幸の件は後で考えましょ。フロイスと弾正は、長秀の与力として築城を手伝ってちょうだい。それぞれ南蛮式と波斯流の建築術を任せるわ。で、サル。
 あんたは石垣に使える石を調達してちょうだい。足りないなら墓石や地蔵を使ってもいいわよ」
「言うと思ったぜ。……不気味だし墓石はやめねえか?」
「とは言いますが良晴さん。実は昔の石垣にも墓石は普通に埋め込まれていたんですよ。しかもひっくり返して」
「えッ!? なんでそんなますます罰当たりなことをッ!?」
「死を連想させるものを逆転させて礎に据えることで、生を引き寄せようとしたとか何とか。要するに験担ぎです」
「へぇ〜。ま、いいか。石の調達くらい朝飯前……いや昨日の晩飯前だぜ!」
「言ってる意味は分からないけど、最前線の砦を守りながら、そんな大仕事が出来るかしら?」
「川賊どもから陰陽師まで何でもござれの相良良晴軍団を舐めてもらっては困るな。できいでか」

長秀と弾正は無言で顔を見合わせ、太助は目を閉じて微笑した。
いつものような喧嘩腰の二人ではない。一見今までと変わらないようで、その内側には確かな信頼のような何かがある。それを感じ取ったのだ。

「万千代達は徹夜で安土城と城下町の図面を作って頂戴。これで明日、あの小憎らしい金柑を平伏させてやることができるんだから」

信奈が「それじゃ解散ね」と宣言した時だった。
近頃「赤母衣衆」という新しい役職に取り立てられた前田犬千代が陣中に駆け込んできた。
姉川の戦いにおいて、本陣を駆らにしてしまったために朝倉義景に信奈が襲われかけた事件と、全軍が壊滅しかけた原因の一つに伝令系統の混乱があったこと。
その二つの要因への対策として信奈が新設したのが親衛隊兼伝令衆の「赤母衣衆」である。
信奈お気に入りの小姓で、忠誠無比の犬千代はその筆頭なのだ。

「どうしたの犬千代? またアホの今川義元が『蹴鞠大会を開きたい』と我儘を言い出したの?」

元々戦嫌いで風流趣味の今川義元は、『五箇条の条文』への文句はどこへやら。華やかな都で贅沢暮らしを満喫していた。ただ、最近退屈が過ぎてきたのか、
やたらと蹴鞠大会の開催にこだわっていた。

「……違う……一大事。大阪の本猫寺が姫様を倒すと宣言して、蜂起した」

誰もが予想していなかった急報だった。
ゲーム知識(最近かなり怪しい)を持っている良晴だけは落ち着いていた。

「正史で言う一向一揆に相当する一大事だな」
「武装している仏僧は、エイザンだけではなかったのですね。ノブナ様はエイザンの焼き討ちを思い留まられたというのに、なぜ彼らは蜂起したのでしょうか」

犬千代曰く。
信奈が本猫寺を攻めるという流言飛語が飛んでいて、それを本気にとったらしい。大阪本猫寺が蜂起すればいずれ門徒が多い伊勢でも三河でも一揆がおこり、
一益、元康共に動きを封じられ、その隙を浅井朝倉につかれてしまうかもしれない。
これでもし武田晴信が関東での騒乱にカタをつければ、間違いなく再上洛してくるだろう。
太助がちらりと向けた「もしかして」という視線に対し、久秀はこくりとうなずいてみせた。
その反応は即ち『この流言飛語の出所は、近衛前久ですわ』ということを示していた。
あの麻呂にそんな政治力があることは、信奈陣営ではこの二人しか知らない。
京を統治し公家衆とも親しくしている光秀は、そのことに気付ける可能性を持っていたが、彼女は利発であれど疑心を持ち合わせていなかった。
しかし、この一揆は厄介である。
何しろ一揆は本質が「民の不満の爆発」であるため、一か所で起これば、あちこちで続々と起こり続け、もぐら叩きのゲリラ戦が繰り返される。
正史において、織田家は一揆の中心である大阪本願寺を降伏させるのにおよそ十年を要した。この一揆さえなければ、信長の天下統一は叶っていただろう。

「信奈。戦っちゃ駄目だ。相手は侍じゃない、俺達を支えている民たちなんだ。戦えばお前は……!」
「姫。大阪の本猫寺は『寺』と名乗っていますが実態は海と川に守られた、北条家の居城・小田原城に匹敵する難攻不落の大要塞なのです! 自分が攻められる
 ことを想定していなかった叡山とは違います。織田家全軍を以てしても容易には落とせません」
「お前が天下を平定してこの国に平和をもたらせば、本猫寺の信者たちも武器なんて捨てて日常に戻れるんだ! 今は長らく天下が乱れているから民が希望を
 持てなくなっているだけなんだ。ここは俺を使者に選んでくれ! そもそも話の発端は誤解なんだし、何とかして本猫寺の蜂起を止めてくる!」
「良晴さん、本猫寺にツテが?」
「ないぞ」
「……本猫寺についてどれくらいの知識を?」
「猫を拝んでるんだっけ?」
「それでどうやって蜂起を止めるんだよッ!? 久秀さん、大阪で蜂起した一揆勢が京に達するまでどれくらいかかります?」
「うふ。素人の集まりですから一月はかかるかと」
「一月ね。分かったわ。サル、あんた一月で本猫寺を止められる自信がある? 出来なかったら当然、切腹モノよ?」

信奈は大きな賭けに出た。
この賭け、外せば織田家を窮地に追い込んだ罪で良晴を斬らねばならなくなる。

(しかし、今回は今迄みたいに「目の届かない所で勝手にしなさい」「ああ、そうするさ」と喧嘩の形にならなかったな。それだけ信頼が大きく強くなったってことか。
 ……今まで以上に死ねなくなったな、良晴さん)
「ヨシハルさん。私にできることがありましたらなんでも協力します」

と、フロイスが良晴の手をきゅっと握ってくれた。

「ありがとう、フロイスちゃん。この不安を解消するために今一度その豊かな胸で甘えさせて……」
「(ギロリ)」
「(ギロッ!)」
「……なんて冗談言ったら殺されそうなんで、素直にありがとうと言っておくよ」
「日ノ本最大の宗教勢力だという本猫寺のおねこさま信仰に興味もありますし、ヨシハルさんについて行っていいでしょうか?」
「異教徒の総本山に乗り込む。命懸けですよ?」
「タスケさん。もとよりジパングに来たときから覚悟は出来ています!」
「……そうだな。一揆勢もフロイスちゃんに問答無用ということはしないだろうし、フロイスちゃんの笑顔を見てると癒されるし……一緒に来てくれるか?」
「ありがとうございます!」
「万が一フロイスちゃんの身に危険が及んだら、俺が体を張って守るから安心してくれ!」
「守りたいのはフロイスさんじゃなくて、天使のように愛らしく甘えたくなる素晴らしい『フロイスさんの胸』だろうに」
「……お前さ、三方ヶ原のあたりから、俺に対して毒を吐きすぎじゃねえか?」
「毒を吐かれるようなことばかりしているあんたが悪い」

この博打、果たして勝つか、負けるか。


管理人感想

 ダークレザードさんからいただきました!

 今回は冒頭から大爆笑。何やってんの良晴(笑)。そしてフロイスちゃんはナイスメイド(萌悶)。

 北条氏康の小物っぷりがひどい。そりゃ戦国の末に小田原評定なんてやらかすわ。
 それでいて関東の最大勢力なのだからさらに始末が悪い。付き合わされた晴信には心から同情します。

 信奈がデレモードに入ってブッ壊れましたか。原作でもこの変わりようにはニヤニヤが止まりませんでしたわ。
 そして光秀は太助に転んでもやっぱり良晴達のジャマするんですか。(お約束要員的な意味で)ラブコメの神様に愛されてますな。