「…………ん?」
最初に気づいたのは、橋本の頭の上に座るヴァイトだった。
「タカノリ……」
「ん………………?」
「ジュンイチの家の前……誰かいる……」
見れば、確かに柾木家の門扉の前で、ひとりの女性が困ったように立ち尽くしている。
夕日の逆行で顔はわからないが――背丈から察して、歳の頃は自分達と同じぐらいだろうか。
ともかく、あそこにいるということはジュンイチなり龍牙なりあずさなりに用があるのだろう。ジーナは声をかけるべく女性の下へと駆け寄り、
「どうしました?」
「あ、いえ、実は……」
ジーナの問いに、彼女はクルリと振り向き――
「――――ジュンイチ?」
『え――――――?』
少女のつぶやきに全員の動きが止まった。その視線が少女の視線の先――ジュンイチへと集まる。
一方、ジュンイチは驚きのあまり目を丸くしていて――と、橋本はふと気づいた。
驚いているのはジュンイチだけではない。青木も同様だ。彼にとっても知り合いなのだろうか。
「あの……お知り合いですか?」
同様の疑問を持ったのか、そう鈴香が尋ねるが――ジュンイチには彼女の問いに答える余裕はなかった。呆然と、少女に向けて尋ねる。
「な、なんで……
なんで帰ってきてるんだよ……」
「………………母さん!」
その瞬間――その場の空気が静止した。
ジュンイチと青木――相手の正体を知る二人以外の全員がその言葉の意味を懸命に脳内で処理し――
『母さん〜〜〜〜〜〜っ!?』
驚きの声が住宅街に響き渡った。
Legend27
「帰ってきた女性
現れる凶敵」
「お、お母さん、って……この人が?」
ジュンイチの口から告げられた衝撃の事実――呆然とつぶやき、ジーナは問題の人物へと視線を向けた。
背丈は自分達とさほど変わらず、透き通るような栗色の髪を足元まで届くか届かないかというところまで長く伸ばしている。
顔立ちも“母親”と呼ぶにはあまりにも若々しく、自分達と同年代、最悪でも10代で通るだろう。
唯一外見年齢にそぐわない、“大人”であることを彷彿とさせるのは、出ているところは出て、引っ込んでいるところは引っ込んでいる、均整の取れた抜群のスタイルぐらいか。その他の若々しすぎる外見とのミスマッチが独特の色香をかもし出している。
「…………えっと……ジュンイチ、確認するわよ。
この人って、ジュンイチの……」
「あぁ」
素直には信じられない――思わず尋ねるライカだったが、そんな彼女の心情はすでに見透かされていたか、ジュンイチはため息まじりにうなずいてみせる。
「オレの母さん……柾木霞澄」
「どうも♪
ただ今ご紹介に預かりました、柾木霞澄。よろしくね♪」
ジュンイチの後に続いてそう名乗ると、霞澄はすぐとなりのジーナの、そしてライカの手を取り、
「ジーナちゃんとライカちゃんね?
うちのジュンイチがお世話になってるみたいで♪」
「は、はぁ……」
「恐縮、です……」
「で、キミがファイちゃん?
あずさ、自慢してたわよー。『カワイイ妹分ができた』って♪」
「う、うん……」
「そして、あなたが鈴香ちゃんね?
ジュンイチが迷惑かけてない? 年上だし、何かと責任負わされてない?」
「い、いえ……
ジュンイチくんは、そういうことはすごく気を遣ってくれますから……」
ジーナ達に続き、ファイ、鈴香と順に手を取ってあいさつする霞澄にそれぞれが応え――ジーナ達4人の視線がジュンイチへと集まった。
そこに宿るのは皆同じ“なぜ自分達のことを知っている?”という疑惑――ため息をつき、ジュンイチは答えた。
「“みんな”知ってるよ、母さんは。
あずさのヤツが定期的に連絡を取り合ってるからな――オレ達がブレイカーであることも含めて全部筒抜けだ」
「って、そんな簡単にバラして……!」
あっさりと答えるジュンイチの言葉に、ライカは思わず不満の声を上げ――
「当然よ」
対し、霞澄はいたって大真面目にそう答えた。
「子供たちが命をかけて戦ってるのよ。親なんだもの、当然心配だし、どんなことがあったか、知っておきたいと思うのは当然の感情よ。
あなた達も、親に内緒で戦ってるのなら、正直に打ち明けた方がいいわ」
真剣な表情で告げる霞澄の言葉に、ライカは思わず目を丸くして――
「ちょっ、ジュンイチ!?」
素早くジュンイチに詰め寄ると、小声で尋ねる。
「ジュンイチ……霞澄さんって、ホントにあんたの母親!?
何か、言ってることがすっごくまともなんだけど!?」
「ものすごく引っかかる言い方だけど……お前にゃ悪いが本当だ」
「とは言うけどね……正直信じられないわよ。
そもそも見た目からして違和感ありまくりよ。どう見たって、親って言うよりきょうだ――」
ジュンイチに答えかけ――ライカは動きを止めた。
ゆっくりと振り向き、そこにいた人物の姿に顔を引きつらせた。
「か、霞澄さん……!?
いや、別に、霞澄さんがジュンイチの姉弟みたいだとか、子供っぽいとか、そーゆーコトじゃなくて……」
見た目はどうあれ二児の母。れっきとした“大人の女性”だ。女性として若く見られるのは大歓迎だろうが、子供扱いはさすがに気に障ったか――あわてて弁明の声を上げるライカだったが、
「…………うれしいこと言わないでよ、もう♪
私とジュンイチが兄妹みたいだなんて♪
しかも、ジュンイチのカワイイ妹みたいだとか、あずさの美人のお姉さんだとか……♪」
「あー、えっと……そこまでは言ってませんけど……」
待っていたのはある意味“お約束”の展開――子供扱いすら彼女にとっては許容範囲だったか、大喜びで身をくねらせる霞澄の言葉にうめくライカだったが、これまたお約束。霞澄はまったく聞いていない。
「…………前言撤回。
間違いなくジュンイチの親だわ、この人」
「自分に都合のいいふうにしか話を進めるつもりがないところとか、こっちの話をちっとも聞いてくれないところとか、一度舞い上がったらどこまでも……なところとか?」
「むぅ……」
ライカとファイの言葉に、ジュンイチは思わず言葉に詰まり――
「ねぇねぇ」
そんなジュンイチのズボンのすそを引っ張り、ブイリュウが声をかけた。
「いつまでもこんなトコでしゃべってないで、家の中に入ったら?」
「っと、そうだな。
青木ちゃん……」
「わかってるよ。
龍牙さんとあずさちゃんを連れてくればいいんだろ?――久しぶりの家族の対面と行こうじゃないか」
声をかけるジュンイチに青木が答えるが――
「ついでにそのまま当直交代。
ブレイカーベースを空にできねぇだろ? そんなワケで夜露死苦」
「…………ホント、どーでもいい時と場合の下じゃつくづく容赦ないよな、お前……」
あっさりと告げられたその言葉に、青木は思わず天を仰いでつぶやいた。
東京都内のとある住宅街――
古くから続く家が多く、かといって老朽化による改築が相次ぎ、比較的新しめの日本家屋が並ぶ――そんな土地柄のその住宅街の中、その家は今でもどっしりとした佇まいを保っていた。
見るものすべてに威圧感を与えるその門扉には、“炎皇寺”との表札がかかっていて――
「…………古臭い家ねー……」
「人の家を前にして、最初に放つ言葉がそれか、お前は」
その門を前にそんなことを言ってくれたミレイに、イクトはため息まじりにそううめいた。
「まったく……一人暮らしの男の家にこんな時間にやってくるとは、どういう神経をしているんだ……」
「イクトなら大丈夫だってわかってるし。
異性に対してはヘタレそのものだもんねー」
「失礼な。
オレだって……」
「こないだグリフが読んでたヤンマガの水着グラビアで鼻血出して倒れたのは誰だっけ?」
「………………オレが悪かった」
所詮男は女に(精神的に)勝つことはできないのか。信じてもいない神に内心で悪態をつきつつ、イクトはミレイに茶を差し出し――ふと彼女が自分を見ていないことに気づいた。
ミレイが見ているのは――
「……剣道の段位認定証がそんなに珍しいか?
たかだか初段の時のものだぞ、それは」
「うん、珍しいよ。初めて見るし」
尋ねるイクトに対し、ミレイはあっさりとそう答えると認定証の文面を目で追っていく。
「……『炎皇寺往人』……
それが、イクトの“人”としての名前?」
「あぁ」
「初めて知った」
「言わなかったからな」
「そっか」
そこで会話が止まる――ふと遠い目をして、ミレイはつぶやく。
「……私達って……お互いのこと、何も知らないのよね……」
つぶやくミレイのその言葉に――イクトはなんとなく、彼女の“用件”を悟った。
「…………ザインのことか?」
「うん……」
静かにうなずくと、ミレイは視線を落とし、
「ザインは……あの“炎”のブレイカーの強さを見るために、バベルを捨石にした……
あたし、ずっとアジトにいたけど……ザインがそんなこと考えてるなんて、ちっともわからなかった……」
「お前が気に病むことじゃない。
それはむしろ、神将を束ねる立場にありながら気づくことのできなかったオレの責任だ」
答えるイクトだが――ミレイの表情は晴れない。
「ねぇ……
イクトは、またザインが今回みたいなことをしてくると思う?」
「……気休めを言っても仕方がない。
ハッキリ言わせてもらえば――やってくるだろうな」
不確かな希望ならない方がマシ――尋ねるミレイに対し、イクトはハッキリとそう答えた。
「ヤツはオレ達の力を、純粋にただ戦力としてしか見ていない。
自分達神将も、ヤツにとっては戦いに勝つための駒――人数が限られている以上、そうそうオレ達を捨て駒にはしないだろうが、いざ“その時”が来たらおそらくためらうまい。
ヤツの目的は――瘴魔の頂点に立つ、我らが“主”を勝利させること、ただそれだけだ」
「“主”……」
イクトの言葉に、ミレイは静かに息をつき――
「…………“無に還す者”ね……」
自分に向けられたものではなかったが――その一言は、イクトの動きを止めるには十分すぎた。
「あの人も、たいがいわかんないのよねー。
あたし達に姿を見せるでもなく、ただ指示を飛ばすばっかりでさ。
そもそも、今回の件だって、ザインに好きにさせすぎたのが原因みたいなものじゃない」
「そう言うな。
我が主のことだ。オレ達の――それこそザインですらも及ばないような深慮遠謀があるのだろう」
言って、イクトは自らの茶をすすり、
「いずれにせよ、オレ達瘴魔神将は主君たるオーバーゼロ様のために戦う将だ。
あの御方が望む限り、すべての力で戦い抜くのみだ」
「……ま、イクトならそう言うよね。
古臭いっていうか武士みたいっていうか……」
「それよりも、今はザインの動向だ」
ミレイの言葉に気分を害することもなく、イクトはそう言って話の軌道を修正した。
「“城を攻めるは下策、心を攻めるは上策”――ザインはブレイカー達を倒すため、権謀術数を駆使するだろう。
おそらく、精神的な揺さぶりも一度や二度では済むまい。すでにヴォルトやグリフには警告したが、もし、自分が現場に出ている時にそれが起きたなら……」
「“炎”のブレイカーには十分に気をつけろ」
「あの子に? 何で?」
「ヤツの目だ」
思わず尋ねるミレイに、イクトはそう答えた。
「強い意志の裏に、深いにごりを併せ持った目――あれは、かつて絶望のふちに立たされ、“堕ちた”ことのある人間の目だ。
おそらくヤツは、本人にしかわからないような深い苦悩を乗り越えて立ち直ったのだろう。そうした人間の心はえてして強いが――それだけに、再び砕かれた時の反動もまた大きい。
もし、ヤツほどの力を持つ男が今再び心を砕かれ、暴走したなら……」
「……どうなるの?」
そこで言葉をにごされ、ミレイは思わず尋ね――そんな彼女にイクトは答えた。
「ヤツら、ブレイカーズにとってはもちろん――」
「オレ達瘴魔にとっても、最悪の敵を産むことにもなりかねん」
「本当に送らなくてもいいのか?」
「大丈夫よ。
あたしを誰だと思ってるの?――瘴魔神将のひとり、“風刃”のミレイ様よ♪
そこらのチカンなんか、ブッ飛ばしてやるわよ」
こちらを心配し、そう告げるイクトに答えると、ミレイは軽くガッツポーズを取ってみせる。
「……そこまで言うなら、今回は信用しよう。
だが――“何か”あったなら、手加減くらいはしてやれ」
「りょーかい♪」
イクトの言葉に笑いながら答え――ふと、その笑顔が優しげなものに変わった。イクトに対し、落ち着いた口調で告げる。
「…………龍、美麗」
「何………………?」
「あたしの本名。
みんなにはわかりやすく、日本語読みで“ミレイ”って伝えてたの」
聞き返すイクトに、ミレイはあっさりとそう答えた。
「イクトの本名を知ったのに、こっちが教えないのはフェアじゃないから。
だから、ちゃんと覚えときなさいね」
そうイクトに告げると、ミレイはクルリと背を向け、夜の住宅街へと消えていった。
「…………中国人だったのか、ヤツは……」
苦笑まじりにつぶやき、イクトは夜空を見上げた。
「オレはリーダーでありながら、そんなことも知らなかったのか――」
そんな彼の脳裏によぎるのは、自分と同じ属性を持ち、自分と同じ“リーダー”であるあの男――
「柾木ジュンイチ……
貴様は、仲間達にどれだけのことを伝えている……?」
イクトは知らなかった。
その問いが、相手にとっては最大級の嫌味にしかならないことを。
彼が、“ほんの一握りの人間”以外には“本当の自分のこと”を何ひとつ知らせていないことを――
イクトは、わずか数時間後、地獄の中で思い知ることになる。
「………………」
霞澄と自分達の交流会を兼ねたどんちゃん騒ぎも終わり、寝静まった柾木家――なんだか眠れなくて、ジーナはベッドの上で身を起こした。
なんとなくだが、眠れない理由はわかる――となりに視線を向け、今夜限りの同衾者を見下ろす。
どんちゃん騒ぎの末、泊まっていくことを希望したライカだ。
霞澄の突然の登場に面食らいはしたものの――その衝撃が過ぎ去った後、真っ先に瞳を輝かせたのがライカだった。興味津々といった様子で霞澄に積極的に話しかけ、ジュンイチの子供時代の話を根掘り葉掘り聞き出しにかかったのだ。
ちなみに当事者たるジュンイチは当然「ヘタなことを話されてたまるか」と阻止にかかったが――そのあわてぶりに気を良くした霞澄がジュンイチの過去を勝手にベラベラとしゃべり始めた。結果、公開羞恥プレイの犠牲となったジュンイチは精神的にリタイアと相成った。
「いつもいつもこちらを振り回してくれるジュンイチに対し、せめてひとつでも弱みを握りたかった」とライカは言っていたが――
(明らかに、興味の方が勝っていたと思うんですけどね……)
あの時のライカは、どう控えめに見ても“ジュンイチへの興味”の方が前面に出ていたように思えた。本人の証言通りジュンイチの弱みをつかもうとする黒い考えよりも、純粋にジュンイチのことを知りたい、そんな想いが態度からにじみ出ていた。
ライカをそんな行動に駆り立てたのは――
(やっぱり……ライカさん、ジュンイチさんのこと……)
もちろん確証はないが、そんな考えが頭の中にこびりついて離れない。
その一方で、ライカのそんな行動に心中穏やかではいられない自分がいて――
(私……ライカさんに嫉妬してるのかな……?)
ジュンイチのことを知ろうとする――ジュンイチに少しでも近づこうとするライカのことを考えると胸がむかむかする。考えれば考えるほど自分の気持ちがわからなくて――
(……やめよう。
わからないものはしょうがないし)
問題の先送りなのはわかっているが、先に進めないものはどうしようもない。とりあえず水でも飲んで寝なおそうと、ジーナはライカを起こさないようにベッドから抜け出した。
「……電気もつけないで何してるの?」
「月見ってことにしといて」
一方、リビングに面した縁側には夜空を見上げるジュンイチの姿があった。背後から霞澄が声をかけるが、すでに気づいていたのか、特に驚く様子もなくあっさりと答える。
「眠れないの?」
「疲れてるはずなんだけどな――昼間はドンパチやらかしたし、夕食は宴会同然のどんちゃん騒ぎだったし」
「そうね」
ジュンイチの言葉に多くは語らず、霞澄は彼のとなりに腰を下ろし、
「……いい子達ね」
「少なくとも“悪い子”達じゃねぇな」
「素直だし」
「おかげでちょうどいいオモチャだよ」
「食後の後片付けも手伝ってもらっちゃったし」
「働かざるもの食うべからずだ」
「カワイイ子ばっかりだし」
「オレに美的な評価を求めるな」
そこで会話が止まり――
「で、誰が本命?」
「そーゆー話に持ってかれたくなかったからこその返答だったんだろうが! 空気読めよ!」
とうとうダイレクトに尋ねてきた霞澄に、ジュンイチは力いっぱい言い放つ。
「だってだって、あんなカワイイ子達に囲まれてるのに!
誰かひとりくらい、気になることか出てくるもんでしょ!?」
「何さ、その無意味な自信に満ちた確定形!?
だいたい、人選にそもそもムリがあるだろ! 鈴香さんはむしろ青木ちゃんがお熱だし、ファイなんてまだ小学生だろ!」
「略奪愛も歳の差恋愛も多いに結構っ!」
「息子にインモラルな恋愛を推奨すんじゃねぇ!」
「まったく……ワガママなんだから」
「どっちが!?」
あくまで自分とジーナ達のカップリングに話を持っていきたいらしい――反論するジュンイチだが、霞澄はまったくこたえた様子はない。
「何よ、母親として、息子の異性関係の進展に気を遣ってあげてるのに」
「その結果選ぶ行動に問題があるんだろうが、母さんの場合は!」
口を尖らせる霞澄に言い返すと、ジュンイチは深々とため息をつき、
「そもそもなぁ……『これで女心を勉強しなさい♪』とか言って、毎月毎月新作のエロゲをしこたま送りつけてくるような親がどこにいる!?」
「目の前」
「お約束のボケはいらんっ!」
あっさりと答える霞澄にジュンイチが言い返し――
「だって……」
「本当に、心配なんだもの……」
不意に霞澄が視線を落とした。いきなり空気を一変させたその姿に、ジュンイチも思わず口をつぐむ。
「だって……ジュンイチ、自分から人と距離を詰めようとしないじゃない。
来る人に対しては危険がない限り拒まないし、“守る”と決めた子達は何があっても守るけど……それでも、本当の意味で相手を自分の中に踏み込ませようとしない。いつもどこかで“壁”を作って……
まるで……“自分がいついなくなってもいいように”、人と深いつながりを持たないようにしてる」
「……そりゃ、そうだろ……」
哀しげに告げる霞澄の言葉に、ジュンイチもまた視線を落として答える。
「オレに深く関わるってことは……それだけ地獄の中にはまり込んでいくのと同義だろうが。
母さんだって、知ってるだろ……」
「オレが……“どういう存在”か」
(え…………?)
リビングの戸に手をかけようとした瞬間、聞こえてきたのはとても重い声色のジュンイチの声――その内容に、ジーナは思わず動きを止めた。
(「“どういう存在”か」って……どういうこと……?)
ジュンイチがこちらに気づいた様子はない――人間離れした気配察知能力を持つ彼にしては珍しい。それだけ周りに気を配る余裕がないということか。
つまり、これはジュンイチにとって極めて重要な話だということだ――気づけば、ジーナは自分にできる限り気配を殺し、リビングからの声に耳をかたむけていた。
「……それは……わかってるけどね……」
一方、告げるジュンイチの言葉に、霞澄は小さく息をつき、答えた。
「常人のそれをはるかに超える知覚領域を持つ五感。
傷つくたびに、それを克服すべく強化されていく身体……」
「そう。
そして……」
そんな霞澄に応え、ジュンイチはリビングの中へと戻り――電話の脇に置かれたネットワークのハブに手を触れた。
と――驚くべきことが起きた。テレビが、オーディオが、リビングに置かれたプライベート用のパソコンが、ネットワーク制御の電子レンジやオーブンが――ネットワークにつながった、リビングやキッチンの機器が一斉に、ひとりでに起動したのだ。
その光景に廊下のジーナが思わず息を呑み――テレビの中にジュンイチの姿が映し出され、霞澄に告げる。
〈電子機器やネットワーク端末に右手で触れることで、意識体の一部をその中にもぐり込ませることのできる“力”……〉
「同様に、左手で生き物に触れれば、遺伝子情報や記憶みたいな生体情報を読み取ることのできる“力”……
自分の接触することのできる、“情報”と名のつくものすべてに侵入する“力”――“情報体侵入能力”」
ジュンイチ本人がテレビの中の自分に続き――ジュンイチが手を放すと同時、起動していた機器は再び電源を落としていく。
「そして、その“力”を実現させている、今やコンピュータも同然に“置き換え”られた脳ミソ……
心配してくれる母さんの気持ちはありがたいけど……」
「もうオレは……“人と違う存在”になっちまってんだよ」
(――――――っ!?)
霞澄に向けられたジュンイチの言葉は、ジーナの耳にも確かに届いていた。全身の血が凍りつくのを感じながら、彼女はその場に立ち尽くした。
彼が今話したことが真実なら、彼は――
(ジュンイチさんは……人間じゃない……!?)
しかし、それでは辻褄の合わないことがある。
(けど……ジュンイチさんは、確かに精霊力を正しく受け継いでる……
精霊力は生命体として“正しく”産まれた存在なら誰もが持っている――瘴魔神将でさえ持ってる力……
ジュンイチさんが人間じゃないなら……少なくとも精霊力を持っては産まれない……)
考えれば考えるワケがわからない。ジュンイチの話には致命的な矛盾がある。
だが――
(……ジュンイチさんは「なっちまってる」って……“過去形”で言ってた……
最初から“そう”だったなら、過去形にする必要なんかないはずなのに……)
ジーナは確信していた。
ジュンイチはウソは言っていない。彼は“致命的な矛盾”を覆せる何らかの事実を握っていて――おそらく、霞澄をそれを知っている。
(ジュンイチさん……
あなたは……一体何者なんですか……!?)
音もなく屋根を蹴り、夜空に身を躍らせる――柾木家を辞した後に退魔士としての習慣である夜の見回りを終え、橋本は住宅街の上を下宿に向けて駆けていた。
背中では、すでにパートナープラネルであるグリフォン型のヴァイトがうつらうつらと舟をこぎ始めている――今夜はハデな戦闘があった直後。「勝って兜の緒を締めよ」の格言ではないが、気を引き締めようと区内まで足を運んだのはやりすぎたかと内心反省する。
と――
「………………ん?」
それに気づいたのは、本当に偶然だった。
街灯の死角――暗がりの中、数人の男に絡まれている少女の姿がそこにはあった。
「こんな時間に、女の子のひとり歩きは危ないよ」
「そーそー。オレ達が家まで送ってってあげるよ♪」
(まったく……見事にお決まりのセリフね……)
もっとセリフにバリエーションを持たせられないのか――下卑た笑いと共に自分を取り囲む男達に、ミレイはため息まじりに胸中でつぶやいた。
男達は一様に酒臭い――繁華街で飲み歩き、帰り道に自分と出くわした、そんなところだろうと見当をつける。
奇しくも自分を気遣うイクトの懸念が的中した形だ。女性として言わせてもらえば、こういう輩はさっさと天誅を下してしまいたいのだが――
(イクトに『手加減しろ』って言われちゃったものね……)
別に“言われたから”手加減する、というワケでもないが――ここでヘタを打てば、待っているのは余計な騒ぎを起こした自分に対するイクトのお説教だ。
あの真面目を絵に描いたようなイクトの説教は正直御免こうむりたいが――
「おいおい、何とか言えよ」
「………………」
男のひとりが自分の肩をつかんだ瞬間、そんな考えは因果地平の彼方に消え去っていた。
「気安く触るんじゃ――」
流れるような動きと目にも留まらぬ速さで、ミレイは拳を振り上げて――
「ちょっと待った」
「――――――っ!?」
気づけなかった。
彼が目の前に飛び込んでくるまで。
そして――
「そのくらいにしとこうね――どっちも」
ミレイの肩をつかんだ男の手を引きはがし、その一方で彼女の振り上げた拳を制し――橋本は両者に対してそう告げた。
橋本の乱入によってその場は収まったかに見えたが――ミレイはともかく男達は皆酒が入って判断力が鈍っている。
当然、簡単に話が収まるはずもなく――
「……お待たせ♪」
「う、うん……」
結果、橋本の手で鎮圧となった。男達をあっという間に叩き伏せ、戻ってくる橋本の言葉に、ミレイは若干頬を引きつらせながら応える。
「容赦ないわね……」
「あぁいう手合いは引いてくれなきゃ力ずくで黙ってもらうしかないからね。
しかも酒が入って感覚が鈍ってるから、中途半端じゃ止まってくれない――結局意識がトぶまでぶん殴るしかないんだよ。
幸い、今夜は熱帯夜になるって天気予報で言ってたし、この場に転がしといても取りあえずは大丈夫でしょ。おかげで気兼ねなくやれたよ」
思わずつぶやくミレイに答えると、橋本は軽く肩をすくめてみせ、
「ところで……こんな時間にたったひとりで何してたの?
こいつらのセリフじゃないけど、深夜のひとり歩きは危ないよ」
「あー、うん……
ちょうど、家に帰る途中で……」
尋ねる橋本の問いに答えかけ――ミレイは気づいた。
橋本の姿を訝しげに頭からつま先まで観察し――
(…………あぁぁぁぁぁっ!
“影”のブレイカーの……シンを殺した、橋本崇徳!)
ようやく、彼が何者かに思い至った。アジトで見たデータと目の前の人物の特徴が一致。声に出して叫びかけたのを何とかこらえ、代わりに胸中で驚きの声を上げる。
「………………? どうしたの?」
「あ、ううん、なんでもない」
しかし、ミレイと違って初対面である橋本は、当然彼女が瘴魔神将であることなど知る由もない。不思議そうに首をかしげてみせる橋本に対し、ミレイはあわてて手を振って答える。
(そっか……この子、あたしが神将って事に気づいてないんだ……)
自分の正体が知られていないことに思わず安堵し――
(……って、ちょっと待ってよ。
これって……チャンスなんじゃない?)
そんな考えが脳裏をよぎった。
(情報に寄れば、この子はプロの退魔士……ブレイカーとしてじゃなくても、本物の“現場”で戦ってきたプロ……そんな子からスパイ、っていうのは難しいかもしれないけど……少なくとも、この場で寝首をかく、くらいのことはできるんじゃ……
そうよ、こいつらはシンやバベルの仇なんだもの。情けをかける必要なんかないじゃない)
少々卑怯な気がしたが――「敵同士だ」「仲間の仇だ」と自らを納得させた。決意を固め、ミレイは橋本へと視線を戻し――
「じゃ、オレは行くから」
「………………え?」
あっさりとこちらに対して背を向けた橋本の姿に、ミレイの目がテンになった。
「また誰かに絡まれない内に、キミも早く帰りなよ」
「ち、ちょっと!?」
迷わずこの場から立ち去るつもりだ――あわててミレイは待ったをかけた。
「何!? その淡白な反応!
普通ここは絡まれたあたしを気遣って、家まで送ってくれる場面じゃないの!?」
「まー、普通はそうだろうけどさ……」
そう答えると、橋本は自分がノした男達へと視線を向け、
「今この状況で言い出しても、シチュエーション的にはこいつらとほとんど変わらないじゃんか」
「え………………?」
「さっきみたいなことを言い出すからには、キミはそういうのを気にしないのかもしれないけど……世間一般的にはそう見えちゃう、ってことだよ。
それに……」
そこで、橋本は不意に言葉に詰まった。ふとミレイから視線をそらし、恥ずかしそうに頬をかき、
「キミみたいなカワイイ子が相手だと……なおさら“同類”になっちゃいそうでオレ自身が怖い」
「………………え?」
一瞬、言っている意味がわからなかった――しかし、その言葉の意味を脳が理解した瞬間、ミレイの頭の中は一気に沸騰した。
(え? それって……ナニ? そーゆーこと!?)
「と、ゆーワケで、送り狼な犯罪者にならないうちに予防線。
さっきも言ったけど、キミも早く帰った方がいいよ」
あわてるミレイに言って、橋本はそそくさときびすを返し――
「――待って!」
なぜそうしたかはわからない。
しかし――気がつけば、ミレイは橋本の左手をつかみ、引き止めていた。
「な、ナニ……?」
「あー、いや、えっと……」
お互いに、いきなりのことで思考がまとまらない――思わず上ずった声で尋ねる橋本に、ミレイもどう応えればいいかわからずに言葉をにごすしかない。
しばらくの間、形容しがたい沈黙がその場を支配し――
「……お礼に……ジュースくらい、おごらせなさいよ……」
やっとの思いで、ミレイは橋本にそう切り出したのだった。
「…………ほら。
カフェオレでよかった?」
「あ、うん……」
住宅街からオフィス街への境界線を兼ねた公園の一角――自販機で買ったカフェオレを差し出され、橋本は戸惑いながらもそれを受け取る。
そのまま二人でベンチに腰掛け、それぞれドリンクに口をつけ――
((…………き、気まずい……!))
二人同時に胸中でうめいた。
(どーすんだよ、これ!? マヂ会話続かないじゃんか!
元はといえば、オレが余計なこと言ったせいだろ! 何とかしろオレ!)
(あー、もうっ! なんでこんなところでこんな気まずい想いしなきゃなんないのよ!
だいたい、何で引き留めてんのよ! 相手は敵なのに!
自業自得なんだから、何とかしなさいあたし!)
橋本とミレイ、それぞれが心の中で自分自身を叱咤し――
『……あ、あのっ!』
気づけば、二人の声が見事なシンクロを遂げていた。
(って、だぁぁぁぁぁっ! 何お約束なネタやらかしてんだよ!
どこの三流ラブコメだ、コレ!?)
(落ち着け、落ち着くのよあたし!
こでテンパったら負けよ! クールにいくのよ、クールに!)
なんというありがちな展開か――心の中でそれぞれに叫び声を上げ、二人は深呼吸して動悸を落ち着け、
「……と、とりあえず……まだ名乗ってなかったわね。
あたしは龍美麗」
「ロン・ミンリン……中国人?」
「おじいちゃんがね。
クォーターなの、あたし……生まれも育ちも国籍も、れっきとした日本人よ。
まぁ、みんなには日本語の読みで“ミレイ”って呼んでもらってるんだけど」
「そうなんだ……
……あ、オレは崇徳。橋本崇徳」
「そ。よろしく」
実は知ってるんだけどね――と内心で相槌をうち、ミレイはとりあえずうなずき――
((…………会話が止まったぁ――っ!))
待っていたのは再びの沈黙。またしても気まずい緊張感にさらされ、橋本とミレイは同時に心の中で悲鳴を上げる。
(うぅ……どーしろってのよ、この状況……)
内心で頭を抱えるミレイだが、当然ながら助けてくれる者などいはしない。
(ったく、なんでこうなるのよぉ……)
どうして自分がこんなところでこんな想いをしなければならないのか――孤立無援の状況に言い知れぬ理不尽を感じ――
(……そうよ……そもそも、コイツがあたしを助けたりするからこうなったのよね)
やがてそれは、橋本への八つ当たりにも似た怒りへととって代わられた。
(そうよ。こいつが余計なことしなきゃ、今頃あのナンパ男どもをきれいにノして、すんなり家に帰れてたはずなのよ。
なのに、こいつが首を突っ込んできたせいで、何もかもおじゃんじゃない)
目の前の橋本は、こちらに対し気まずそうな顔をして、ちびちびとカフェオレをすすっている――が、彼の場合は純粋に今のこの場の空気にあてられているに過ぎない。両者の“敵同士”としての関係に気づいていないだけまだマシというものだ。
(あたしの正体も知らないで……)
もう、いっそのこと正体をバラしてしまおうかとも考え――
(…………あれ?)
その思考にふと引っかかりを覚えた。
「……ねぇ、崇徳」
気づけば、ミレイはごくごく自然に橋本へと声をかけていた。
「どうして……さっきあたしを助けてくれたの?」
「え………………?」
尋ねるミレイの問いに、橋本は思わず動きを止めた。
「そ、そりゃ、えっと……
……い、いいだろ、今さら……」
ミレイの問いに対し、返答の言葉に困った挙句にそう回答を放棄してしまう橋本だったが――
「ちゃんと答えて」
そんな彼に対し、ミレイは真剣な表情で問いを重ねた。
しかし――
(……お願い……
あたし達を敵対に導く答えであって……!)
その一方で、ミレイはそんな願いを抱いていた。
(あたしへの下心とか、そんなのは当然として……
『困ってる人を助けるのは当然』とか、『あぁいう小悪党をほっとけない』とか……そんなうわべだけのことを言ってくれれば……
そんな、“偽善”を口に出すなら……あたしはキミの“敵”としての立場を貫ける……!)
ブレイカーが“勇気”や“愛情”といった、“自分のプラスの感情”を“力”の源、“鍵の感情”としているように、瘴魔神将にもまたキー・エモーションは存在するが――ブレイカーと違い、マイナス思念を糧とする瘴魔に与する神将達は“他者
が自分達に向けるマイナスの感情”をキー・エモーションとしている。
ミレイのキー・エモーションは“偽善”――うわべだけの誠意のない善意を前にした時、ミレイは最大限の“力”を発揮することができる。飾りだけの善意を振りまく“偽善者”を誅殺するために。
いずれ敵として相対するのなら、今のような想いを抱きたくはない。自分を助けた理由が偽善からであってほしい。自分が最も討つべき感情を持つ、自分にとっての“敵”であってほしい――それがミレイの願いだった。
「…………オレは……」
そして、橋本は口を開き――
次の瞬間、二人は強烈な爆発の中に消えていた。
「………………っ!?」
異変は突然――“それ”を感じ取り、ジュンイチは突然顔を上げた。
「ジュンイチ……?」
「橋本の“力”が乱れた……」
霞澄に答え、ジュンイチは懸命に気配を探り――
「………………くそっ!」
突然その表情がこわばった。舌打ちしながら庭へと飛び出す。
「ジュンイチ、どうしたの!?」
「橋本の“力”の乱れ……乱れ方が半端じゃねぇ。
誰かに襲われたのは間違いないけど……相手の“力”が、オレ達の戦いにちょっかいを出すには小さすぎる」
「それって……」
「あぁ」
尋ねる霞澄の問いに、ジュンイチはハッキリとうなずいた。
「相手は“力”を使わずに橋本を襲った……
このタイミングでそんなことをするヤツがいるとすれば……
そんなの……“ヤツら”しかいねぇ!」
「ちょっと、待ちなさい、ジュンイチ!」
強く歯がみして、うめくように告げるジュンイチの言葉に、霞澄はあわてて声を上げた。
「襲われてるのは橋本くんなんでしょ!?
だったら、これはジュンイチひとりの問題じゃない。みんなも――」
「みんながそろうまで、悠長に待ってろっつーのかよ……!?」
そう答えるジュンイチの視線は――怒りに満ちていた。
「ずっと追い続けてきた……8年間、ずっと……!
その仇が、目の前にいるんだぞ!」
「ジュンイチ!」
もはや霞澄の言葉も届かない――吼えるように言い放ち、ジュンイチは地を蹴った。向かいの屋根へと飛び上がり、そのまま屋根伝いに現場へと向かう。
「……マズイわね……」
完全に怒りに突き動かされている――ジュンイチの行動にそうつぶやくと、霞澄は背後へと振り返り、
「……そういうことだから。
説明は後にして……今はあの子を支えに行ってあげてくれない?」
「…………わかり……ました……」
霞澄のその言葉に、そこに立ち尽くしていたジーナは思わず視線を落とし、苦しげにそう答えた。
「くぅ………………っ!」
常時展開レベルの力場では防ぎきれなかった――背中を焼かれた痛みに耐えつつ、橋本はミレイを抱きかかえ、距離をとって着地する。
「た、崇徳、背中!」
「大丈夫。このくらい……!」
あわてて声を上げるミレイに答えると、橋本は彼女を放し、襲撃者と対峙した。
数は6。男が5人と女がひとり。全員が黒革のロングコートに身を包んでいる。まるでどこぞの近未来SFの“救世主とそのご一行”のようないでたちだが、残念ながら目の前の彼らはそんなイメージとは著しくかけ離れていた。
というのも――
(何なんだ、こいつら……!
“力”の強さは人並み……なのに、今の攻撃の威力、マスターランク並みの出力じゃないか……!
それに、こいつら……感じる“力”ににごりがある……!?)
「何だよ、お前ら!?」
「お前が知る必要はない」
声を上げる橋本だったが――リーダー格の男はその問いに対し突き放すように言い放つ。
「我々はただ、貴様ら能力者を捕獲せよとの命令を受けてここに来た、それだけだ」
「誰の命令だよ!?」
「別に誰でもいいだろ、そんなの」
そう答えたのは、リーダー格とは別の男だった。
「お前はただ、おとなしく捕まればいいんだよ。
もっとも――その後どうなるか、までは知ったこっちゃないけどな」
「ジャルグ、口を慎め」
口を挟んできた男をたしなめると、リーダー格の男は橋本へと視線を戻し、
「抵抗はムダだ。
こちらはお前達の抵抗も考慮した上で派遣されてきている」
「言ってくれるね。
オレがただの人間じゃないってわかってるんだろ?」
「あぁ……問題ない」
橋本に答えると、リーダー格の男は指をパチンと鳴らして――公園の奥の暗がりの中から、以前自分達の戦いにも乱入してきた、あのラヴァモスもどきがゾロゾロと姿を現した。
「こいつら、こないだの……!?
……なるほど、こいつらに任せて、お前らは高みの見物ってワケか」
驚きを極力胸の奥に隠し、軽口を叩く橋本だったが――
「違うな」
そんな橋本の言葉を、リーダーはあっさりと否定した。
「こいつらは単なる援護役――戦うのはあくまで我々だ。
何しろ――」
言って、リーダーは橋本へと右手をかざし――
「こちらも、“ただの人間”ではない」
その言葉と同時――その右手から閃光が放たれた。とっさにガードを固めた橋本の力場と激突、巻き起こった爆発の衝撃に負け、橋本が吹っ飛ばされる!
「崇徳!」
思わずミレイが声を上げ――その一方で、リーダーは橋本へと告げた。
「オレ達は何なんだ――そう聞いていたな。
“GXナンバー”第8世代――“ジェネティック”のひとり、レイドだ」
〈“ジェネティック”、ターゲットのひとりと接触、作戦行動に入りました〉
「そうか」
明かりの消えた室内で、男は部下からの報告にうなずいた。
「では、後は予定通りに事を運べ。
その能力者を捕獲――“ジェネティック”のデータ取りも忘れるなよ」
〈はっ〉
答え、部下が通話を追え――男は手元の端末のディスプレイにその映像を表示した。
液体が満たされたカプセルの中に、人がひとり収められている。
「“GX−666”……8年前、こいつを失ったことで、我々の計画は大きく後退した……
その挫折を乗り越え、更なる高みに達した“ジェネティック計画”……それが今、本当の意味で始動する時が来た……!」
「くっ、そぉ……!」
戦闘開始から5分――肩で大きく息を切らせ、橋本は対峙する“ジェネティック”達をにらみつけた。
「オラオラ、いくぜぇっ!」
そんな橋本に向け、最も体格に優れた“ジェネティック”――コングが襲いかかった。振り下ろされた拳をかわすと、地面に叩きつけられた拳はその周囲を粉々に打ち砕く。
そのまま、橋本は距離をとり、街灯を背に着地――するが、すぐにその場を離れた次の瞬間、街灯が細切れに斬り裂かれた。
細身の男の“ジェネティック”――ブロムの五指から伸びるワイヤー状のカッターによって斬り裂かれたのだ。
だが、攻撃を回避した橋本の周囲に異変が起きた。突然気温が急低下、周囲の空気に溶け込んだ水分が凍結していく!
「マズイ――!」
とっさにその場を離れ、異変の元凶である、冷却能力を持つ唯一の女性“ジェネティック”、イズラを迎撃するべく突撃し――
「――――――っ!?」
気づき、急停止した橋本に対し、左右から無機質な刃を握った人形が襲いかかる!
人形には糸も何もついてはいない。その後方に控える子供――脳波コントロール型の“ジェネティック”、ディムの仕業だ。
そして――
「よくかわすが――そこまでだ!」
咆哮し――レイドが右手から光熱波を放った。とっさに防壁を展開するが、やはり先ほどのように弾き飛ばされる。
そのレイドの右の手のひらには、すり鉢状のくぼみがある――ラヴァモスもどきのそれと同じ、しかしはるかに小型で威力の高い生体熱線砲だ。
「くそ………………っ!」
うめき、橋本はなんとか身を起こすが――劣勢は明らかだ。
(こいつら……強い……!)
理屈も何もない。本当にそう思う――その特異性を抜きにしても、“ジェネティック”達の持つ戦闘力は、能力者といっても身体そのものは“鍛えられただけの人間”でしかない橋本をはるかに上回っている。
ミレイがその場から逃げられないでいるのも大きかった。一般人(だと思っている)ミレイが目の前にいては着装できない。それが、切り札とも言えるブレイカーの“力”の使用を阻み、反撃の機会を奪っているのだ。
そして――
(あたしがいるから……本気で戦えないんだ……!)
ミレイもそのことには気づいていた。
力を貸せれば――そんなことを考えるが、そんなことをすれば自分の正体を明かすことになる。
別に敵同士なのだ。橋本がどうなろうと知ったことではないし、正体を明かすことに問題もない。
しかし――
『キミみたいなカワイイ子が相手だと……なおさら“同類”になっちゃいそうでオレ自身が怖い』
そう告げた時の、橋本の照れたような顔が脳裏によみがえる。
(…………どうしろってのよ、あたしに……!)
心の中でうめき、ミレイは拳を強く握りしめ――
「おっと、ひとりだけ見物かい?」
「――――――っ!?」
そんな彼女に背後から声をかけたのは、先程橋本とレイドの会話に割り込んできたジャルグだ。
「悪いが、目撃者を出すワケにはいかないんだ。
運が悪かったと思って、あきらめな!」
言い放ち、ジャルグが右腕振り上げ――コートの袖を斬り裂き、腕の中から刃が飛び出してくる。
(――迎撃するしか……ない……!)
もはやここまでか――参戦の覚悟を固め、ミレイは拳に“力”を集め――
「危ない!」
「――――――っ!?」
突然の声に思わず動きを止めたミレイの目の前で――
ミレイをかばい、橋本はジャルグの刃をその腕に受けていた。
「崇徳!?」
「よかった……無事か……!」
思わず声を上げたミレイの言葉に、橋本は痛みに顔をしかめながらそう告げる。
自分に向けられたその背中は、先程受けたものとは違う、新たな火傷が刻まれている――しかも新しい。自分を救うため、レイドの熱線を受けてでも飛び込んできた証拠だ。
「あんた、どうして……!?」
どうして、そこまでして――うめくミレイに対し、橋本は告げた。
「さっき……どうして守ってくれたのか、って聞いたよな……?」
そう告げて、橋本は視線だけをミレイに向け、
「答えは……ないよ……
勝手に身体が動いたんだ……理由なんか、わからないさ……!」
「………………っ!」
その瞳は、たとえようのないほどまっすぐで――ミレイは思わず言葉を失った。
自分は、彼が偽善者であってほしいと願ったが――そんな生易しいものではなかった。
善も偽善もあったものじゃない――橋本は根本的なお人よしなのだ。
相手が自分に敵対する存在でない限り、相手のことを常に肯定的に受け止められる――知り合ったばかりの相手でも、“友”として信じてあげることが、守ってあげることができる。
それが、“友情”を司る存在である、橋本崇徳という人間だった。
そんな橋本のまっすぐに視線に射抜かれ、ミレイは真実を告げられない事実を前に思わず視線を落とし――
「こっちを無視してんじゃねぇ!」
告げると同時、コングがミレイの背後に降り立ち、彼女に向けて拳を振り上げる!
「ミレイ!」
「させっかよ!」
とっさにコングを迎撃しようとする橋本だが、そんな彼をジャルグが阻む。
橋本の妨害もないままに、コングの拳がミレイに向けて拳を振り下ろし――
「ムダだ」
その一言と共に――振り下ろされたコングの右腕が切り飛ばされた。
「ぐおぉぉぉぉぉっ!?」
腕を失い、コングが悲鳴を上げ――次の瞬間、コングが強烈な衝撃と共に弾き飛ばされた。
続けて、ジャルグもその顔面を蹴り飛ばされ――
「それ以上は許さないぜ――お前ら」
言って――ジュンイチは橋本達を背後に守り、“ジェネティック”達の前に静かに降り立った。
「じ、ジュンイチ……!?」
彼の性格を考えれば、仲間達を放り出して駆けつけてくるのは十分に予想できる展開だが――その後ろ姿を前に、橋本は思わず疑問の声を上げた。
何というか――空気が違う。
自分の知るジュンイチは、これから戦う相手と対していてもどこか余裕があり、ひょうひょうとしているのが常の姿だ。しかし――今のジュンイチは一分のスキもないほどに張り詰めた、威圧感あふれる空気を全身にまとっている。
そこに宿る感情は――
(…………“怒り”……?
それとも、“憎しみ”……!?)
(映像記録にある姿とぜんぜん違う……
これが、あの“炎”のブレイカー、柾木ジュンイチなの……!?)
初めて見るジュンイチのそんな姿に、橋本とミレイは胸中で疑念を抱き――
「やってくれたな」
そんな二人にかまわず、ジュンイチはレイド達“ジェネティック”に向けてそう言い放った。
足元に転がるコングの腕――その腕の中に金属の骨格とモーターが仕込まれているのを確認し、告げる。
「お前ら……人間じゃないな……!?
まさか……!」
「あぁ、そうだ」
ジュンイチのその言葉に、レイドはあっさりとうなずいた。
「貴様の考えている通りだ。
柾木ジュンイチ……いや――」
「“GX−666”」
「――――――っ!?」
レイドが告げたのは、彼らの主と思われる男が口にしたのと同じ、認識番号らしき何かの番号――だが、それを聞いた瞬間、ジュンイチの目が限界まで見開かれた。
「じ、GX……?」
「666……って……まるで“悪魔”の数字よね……?」
だが、橋本とミレイは当然ながらレイドの言葉の意味がわからない――思わずそうつぶやくが、
「その通りだ、小娘」
そんな二人のつぶやき――特にミレイのつぶやいた内容に対し、レイドはあっさりとそううなずいた。
「おいおい、レイド……
“GX-666”って、まさか……」
「あぁ」
一方、事情がわからない人物は“ジェネティック”側にも――尋ねるブロムに対し、レイドはうなずき、ミレイや橋本に告げる。
「666、それは悪魔の数字として知られる番号だ。
ヤツにその番号が振られたのは単なる偶然だ――しかし、ヤツはその番号に見合うだけのことをしでかしたんだ。
そうだな? 柾木ジュンイチ」
「………………」
レイドの言葉に、ジュンイチは答えない。ただじっと、“ジェネティック”の面々をにらみつけている。
「おい、ジュンイチ……?」
思わず橋本が声をかけるが――
(こいつらが……!)
ジュンイチは聞いていなかった。無意識のうちに奥歯をかみ締める。
(……こいつらが……!)
硬く握りしめた拳から、ジワリと血がにじみ出る。
(…………こいつらが……!)
(オレ“達”を!)
その瞬間、視界が真っ赤になって――
意識が途絶えた。
「…………いた! ここです!」
「ジュンイチ!」
ようやく追いついた――柾木家に泊まった面々を起こし、共に現場に駆けつけたジーナとライカが声を上げ、
「大丈夫ですか!?
今手当てします!」
傷ついた橋本の元には鈴香が駆け寄り、
「お姉ちゃんは?」
「あ、大丈夫……ありがと」
ミレイの元にはファイが駆けつけた。尋ねる彼女に、ミレイは戸惑いながらもうなずく。
そして、
「みんな、大丈夫か!?」
公園の向こう側からはブレイカーベースから駆けつけた青木が到着した。ジュンイチ達と挟み込む形で“ジェネティック”達と対峙する。
一方――ジュンイチはまったく動きを見せない。うつむいたまま、沈黙を保っている。
「ジュンイチさん……どうしたんですか……?」
「ヤツめ……どうしたというんだ……!?」
そんなジュンイチの異変に、ジーナとレイドがそれぞれに疑問の声を上げるが――
「ちょうどいいぜ!
アイツをとっ捕まえれば、一番手柄はいただきだ!」
「待て! ジャルグ!」
そんなジュンイチのスキをチャンスと見たか、ジャルグはレイドの制止も聞かずに突撃、そのままジュンイチへと襲いかかる!
「油断するな!
なぜここまで来てミスを犯す!?」
「ジュンイチ!」
「腕いただきぃっ!」
レイド、ライカ、そしてジャルグ――三つの叫びが交錯する中、凶刃がジュンイチへと迫り――
ジュンイチとジャルグ、二人の姿が消えた。
「え………………?」
突然ジュンイチの姿を見失い、ジーナは思わず目を瞬かせた。
ジュンイチだけが消えたのならまだわかる。トップスピードはライカに、小回りではファイに譲るが、瞬発力――瞬間的な加速力においてはジュンイチがブレイカーズの中では最速を誇るからだ。いきなりトップスピードでその場を離れたジュンイチの姿を見失うのは、決してありえない話ではない。
しかし、同時にジャルグの姿も消えたのがわからない――彼がジュンイチと同等のスピードを持っていたというのなら話は別だが、今までの動きを考える限りそれはないだろう。
だったらなぜ――? 理解が追いつかず、ジーナは周囲を見回し――
戦場の真ん中に、それは鈍い音を立てて落下した。
「――――――っ!」
“それ”が何なのかを理解した瞬間、ファイの目が大きく見開かれ――
「見るな!」
とっさに橋本が動いた。ファイを抱き寄せ、彼女の視界から“それ”を覆い隠す。
「な、何よ……!」
「ひどい……!」
ライカとジーナも、その姿を前に思わず口元を覆う。それほどまでに“それ”は凄惨な状態だった。
だが、そんな彼女達の反応もムリはない。“それ”は――
ズタズタに切り刻まれた、人間の――
ジャルグの下半身だった。
「……まさか…………っ!?」
ジュンイチと共に姿を消したジャルグの下半身だけが降ってきた――嫌な予感に導かれ、青木は頭上を見上げ――そこに、予想通りの存在を見つけた。
下半身を失い――下半身同様にズタズタに切り刻まれたジャルグ。
そして――
先端に鋭い突起を有した自らの尾でそのジャルグの身体を貫く、漆黒の異形の姿を。
体格は優に2mを超え、全身が頑強な生体装甲で覆われている。
背中には巨大な翼を有しており、その羽ばたきによって自身を空中にとどめている――その縁も生体装甲が覆っており、しかも「間違いなくあの翼で斬撃ができる」と確信できるほどに鋭く研ぎ澄まされている。
顔立ちはトカゲのようにも見え、額には鋭い角が2本。背中の翼や尾なども相まってドラゴンのような印象を受けるが――単純に“ドラゴン”と定義するには、あまりにも禍々しい雰囲気を周囲に撒き散らしている。
そんな異形の、一抱えほどもある太い腕、その左手首には――
ジュンイチのブレイカーブレスが巻かれていた。
それが、“ジェネティック”達の元となった存在――
悪魔の数字を有することからその名を名づけられた存在――
試作開発ナンバーGX-666“ルシファー”降臨の瞬間だった。
仲間達の前で、凶悪な怪物へと変貌したジュンイチ。
「あれが……ジュンイチだっての……!?」
異形と化したその力で、瞬く間に“ジェネティック”を叩き伏せたジュンイチはその牙をジーナ達に向ける。
(ごめん、イクト……
やりにくくなっちゃうと思うけど……正体、バラすね……)
「敵とはいえ……これ以上、こんな戦い見てらんないわよ!」
“瘴魔神将”である前に“人”として戦うことを決意するミレイ。
「悪いな。
これでも、オレはそいつの仲間なんだ」
そんなミレイを守るため、戦場に降り立つイクト。
「やれるな、橋本……」
「『やるしかない』だろ?」
交錯する想いと思惑の中――
『精霊獣融合!』
新たな戦士が誕生する!
次回、勇者精霊伝ブレイカー、
Legend28「舞い降りる悪魔・新たなる“力”」
そして、伝説は紡がれる――
(初版:2008/02/02)