「…………むー……」
凰鈴音は機嫌が悪かった。
部屋にいても気持ちがモヤモヤするばかり。気晴らしにと散歩に出てみたが、そのモヤモヤは一向に晴れる気配がない。
(それもこれも、あの二人が……)
幼なじみの男子、織斑一夏。
仲間の双子の弟、柾木ジュンイチ。
それが、鈴の頭を悩ませている二人だった。
自分は、ずっと一夏が好きだったはずだ。その想いは今でも変わらない。
しかし――その一夏への想いはそのままに、鈴の中に割り込んできたのがジュンイチだった。
一度目はこっそりと、そして二度目は大々的に。臨海学校で、自分は二度もジュンイチに命を救われた。
その鮮烈な出会いは楔となって鈴に打ち込まれ、彼女の中でいつしか一夏に負けないウェイトを占めるようになっていた。
そんな中、先日まで同室で、夏休みに入ると共にイタリアへ帰国したカレン・ヴィヴァルディから帰国の間際、空港で告げられた言葉――
『一夏くんとジュンイチくん、“どっちにする”か早く決めた方がいいと思うな』
『でないと……私が、ジュンイチくん取っちゃうよ?』
突然の“(ジュンイチを巡る)ライバル宣言”――それが決定的だった。カレンのあの言葉が、一夏とジュンイチの間で揺れる鈴の心に大きな波紋を引き起こしていた。
(べっ、別にアイツがカレンとくっつこうが関係ないじゃない! あたしは一夏がす、すっ、すっ……好きなんだからっ!)
心の中だけの話でも「一夏が好き」と宣言するのは恥ずかしいらしい。頭の中で自分に言い聞かせる鈴の顔が真っ赤に染まる。
(そうよそうよ! アイツはカレンにくれてやればいいのよ!
どうせもう、空港でアイツにキ、キっ、キっ……)
――キスしたんだから。
そう考えた瞬間、空港での光景が思い出される。
カレンの次の行動が読めず、目をパチクリさせているジュンイチの両の頬に手を添え、唇を重ねるカレンの姿。
イメージの中のカレンの姿をなんとなく自分に置き換えて――
「――あぁぁぁぁぁっ!」
あわてて頭をかきむしり、頭の中からその光景を追い払う。
「あああああ、ダメだ。完っ璧にドツボにはまってる……」
ここが自室なら、寮のそばの路上でなかったらその場に崩れ落ちていたところだ。
(こんなところで悩んでる場合じゃないのに……
あたしがまごついてる間に、もし箒にでも一夏を取られたりしたら……)
追い払ったはずの光景が脳裏によみがえる。
ただし今回は男側が一夏で、女側がほうk
「悪夢退散っ!」
思い切り、拳を傍らの並木に叩きつける――ISも展開せず生身のままの拳ではこちらが痛いだけだが、その痛みがようやく思考を現実に引き戻してくれる。
「……よし、一夏を殴ろう。ジュンイチも次会ったら殴ろう」
とりあえず悩みの種である二人への制裁(私刑)を決意し、鈴は顔を上げ――
「…………何物騒な決意固めてるの……」
そこには、あきれてため息をつく上級生。二年生、新聞部の黛薫子の姿があった。
第27話
恋する乙女の大勝負!?
真夏のデート大作戦!
「……ふぅん。
つまり、凰さんは織斑くんが好きなんだけど、柾木くんの弟くんも気になっている、と」
厄介な相手に見つかった、とあわてて逃げ出そうとした鈴だったが、あっという間に捕獲された。新聞部の部室に連れ込まれ、気づけば薫子に洗いざらい話した後だった。
「あああああ、なんで全部しゃべっちゃったんだろ……」
「いや、途中から凰さんの大愚痴り独演ショーになってたからね?」
頭を抱える鈴に薫子が苦笑する――気づけば、こちらの話に合わせて手書きでメモをとっていたはずの彼女の手にはいつの間にかICレコーダーが握られていた。どうやら彼女がメモをとりきれないほどの勢いでいろいろとぶちまけたらしい。
「まぁ……焦る気持ちもわからないでもないけどね。
凰さんと違って対抗馬の篠ノ之さんは織斑くん一筋。それでなくても織斑くん自身がイケメン力抜群でいい感じだしね」
「…………先輩?」
「わ、私は狙ってないからね!?
私にとって、織斑くんはオイシイ取材対象だから! それだけだから!」
まさかあなたも“そう”見なければならないのか――黒い“ナニカ”を身にまとい始めた鈴に、薫子はあわてて弁明する。
「とりあえず、あまり余裕がないのも確かよね。
凰さんから二人への気持ちについては結論を急ぎすぎちゃダメだとは思うけど、それで結論出る前に織斑くんが誰かとくっついちゃったら元も子もないものね」
「はい……」
薫子の言葉に、鈴は黒いオーラを収めてうなずいた。
「どうしたらいいんでしょうか……?」
「うーん……」
鈴の問いに、薫子はしばし考え込み、
「とりあえず……時間稼ぎの方法ならあるわよ?」
「ホントですか!?」
「えぇ。
ただし、この“時間稼ぎ”自体が、すごく難しい方法なんだけど」
「それでもかまいません!
少しでも可能性のある方法なら!」
薫子の言葉に、鈴は思わず身を乗り出した。
そんな、なりふりかまわぬ様子の鈴に苦笑し、薫子は告げた。
「それはね……」
「それは……!?」
「二人とも、自分に惚れさせちゃえばいいのよ」
「………………は?」
「だから、織斑くんと柾木くんの弟くん、両方とも自分を好きになってもらえばいいのよ」
予想もしていなかった提案に目がテンになる鈴に対し、薫子はあっさりとそうくり返した。
「そうすれば、二人とも別の誰かに取られる心配はしなくてもよくなるでしょ?
後は凰さんがどっちか選べばいい」
「ちょっ、ちょっと待ってください!」
告げる薫子の言葉に、鈴はあわてて待ったをかけた。
「い、一夏を、あたしに惚れさせろって言うんですか!?
それがどれだけ難易度高いかわかってます!? 相手は“唐変木・オブ・唐変木ズ”の一夏ですよ!?
その上ジュンイチまで惚れさせろ!? どんなミッション・インポッシブル!? ソレスタル・ビーイングも裸足で逃げ出す高難度ミッションじゃないですか!」
「うん。
言ったでしょ? 『すごく難しい』って」
詰め寄ってくる鈴を「まぁまぁ」と落ち着かせ、薫子はそう答えて肩をすくめる。
「そ、それに……どっちも自分に惚れさせておいて、どっちかを選ぶなんて……
それじゃ、選ばれなかった方は……」
「そうね。
私も、あまりほめられた方法じゃないのはわかってる。
けどね、凰さん……あなたはひとつ忘れてる」
そう鈴に答えると、薫子は拳をグッと握りしめ、
「恋っていうのは……戦いなのよ!」
イスを蹴飛ばし立ち上がり、力強くそう宣言する。
「好きな男のハートを射止めるために女の子はしのぎを削る!
己を磨き、権謀術数を駆使し、ライバル達より抜きん出る!
どんなに正攻法で挑もうと、負けたらそこでおしまいなの! 生き残るためには、他のすべてを踏みにじる覚悟が必要なのよ!」
「は、はぁ……」
薫子のすさまじい気迫に圧倒され、鈴は理論にツッコみどころが満載であることをわかっていながらもうなずくしかない。
とりあえず――思ったことを一言。
「さすが、相手がいないだけあって食いつきっぷりがすごいですね」
「私が整備課だろうが、あなたが代表候補生だろうが、機体のハンデがない生身で一年生に負けるような訓練受けた覚えはないからね」
「…………ごめんなさい」
プラプラと右手を振っている薫子の言葉に、脳天に大きなコブをこしらえた鈴は目尻に涙をたたえて謝った。
「とにかく! 不誠実とののしられようが選ばれなかった方を泣かせようが、恋は駆け引きなのよ!
奇麗事は『まかり通れば御の字』程度! 好きな人を振り向かせられなかったら意味はない! オール・オア・ナッシングなのよ!」
最後に力いっぱい言い切って――唐突に身にまとっていたプレッシャーを消し去り、薫子は告げた。
「ま、織斑くんと柾木くんの弟くん、両方と付き合うって選択肢もあるしね」
「ちょっと待ったぁっ!
それはある意味かたっぽ切り捨てるよりひどくないですか!?」
「そう?
あまり知られてないけど、天下のアメリカだって重婚OKなんだし、本人達がOKならそれで」
さすがにこれにはツッコまずにはいられなかった。声を上げる鈴に、薫子はあっさりと答える。
「ま、いずれにせよ、“取られる前に囲い込む”って考え方はありだと思うわよ。
凰さんの場合、柾木くんの弟くんとは連絡取れないみたいだし……まぁ、単独行動でアプローチかけられる人も少ないと思うから、織斑くん相手が主になるけど」
「……結局、いろんな意味で今まで通りじゃないですか……」
「そう? 方向性が見えただけでも大きな収穫だと思うけど」
机に突っ伏す鈴に答えると、薫子はポケットをあさり、
「それじゃあ……そんな凰さんに出血大サービス!
私が策を授けてしんぜよう!」
取り出した“それ”を、鈴の目の前に突きつけた。
「そ、それは……っ!?」
“それ”が何なのかを理解し、鈴がゴクリとノドを鳴らす――そんな彼女に、薫子は尋ねた。
「フフフ……さぁ、どうする?」
「…………むー……」
篠ノ之束は機嫌が悪かった。
ラボにこもっていても気持ちがモヤモヤするばかり。気晴らしにとIS学園に侵入してみたが、目新しいものもなく気分を晴れさせるにはまるで足りない。
(それもこれも、じゅんくんが……)
自分と行動を共にしている男、柾木ジュンイチ。
それが、束の頭を悩ませている張本人だった。
束は、今までずっと他人とは無縁に生きてきた。自分にとって、箒と千冬、そして一夏だけがすべてであり、他の人間など「どうでもいい」存在だったから。
しかし――そんな束の中に割り込んできたのがジュンイチだった。
いつものようにラボで研究をしていた束の目の前に突如現れた、異世界からの来訪者。
彼の持つ“装重甲”は彼女に鮮烈な衝撃をもたらした。知的好奇心から彼につきまとい、ISとはまったく概念の違うその技術のことを知ろうとした。
彼の機嫌を取れそうなことはなんでもやった。同じようにこの世界にやってきた者がいないか、徹底的な探索を行い、その結果あずさと鷲悟を発見した。あずさとの合流にも手を貸した。
その時だ。
『ありがとな、束』
束の中に、“柾木ジュンイチ”という新たな存在が楔となって打ち込まれたのは。
彼は束自身に礼を言った。“篠ノ之束博士”という天才科学者に、ではなく、“篠ノ之束”というひとりの人間に対して。それがたまらなくうれしかった。
自分を特別扱いしないでくれる。今まで箒や千冬達しかいなかった“そういう人間”がいつもそばにいてくれる。 ただそれだけで心が安らいだ。
いつしか、彼にかまうのは“装重甲”の技術目当てのご機嫌取りではなく、純粋な彼とのコミュニケーションとなっていた。
ただ喜んでもらいたい。ただ話していたい。ただじゃれつきたい。ただ一緒にいたい。時にはちょっとだけ困らせてもみたい。
気づけば、束の中の柾木ジュンイチという存在は箒達に優るとも劣らないほどに大きくなり、それでいて箒達とはその在り方を大きく異とするものとなっていた。
だが――そこに一石を投じる者が現れた。
先日、ジュンイチが個人的に関わった事件の中心的人物であったカレン・ヴィヴァルディ。
どうやら、彼女もまたジュンイチに特別な想いを抱いたらしい。別れ際、最後の最後に、こともあろうに一夏達や、監視モニターにハッキングしてその様子を見ていた自分の目の前でジュンイチの唇を奪ってくれたのだ。
(私でさえ、私でさえじゅんくんにキ、キ、キ……したことないのにっ!)
頭の中ですら「キス」という単語が恥ずかしくて使えないらしい。
意外な純朴さを見せている束だが、この歳まで正真正銘、「恋愛」の「れ」の字も知らずに生きてきたのだ。突然自らの中に芽生えた恋愛感情を自覚できず、持て余すのもある意味当然かもしれない。
もっとも、妹の箒もけっこうな不器用ぶりを見せていることを考えると、案外篠ノ之の血のせいかもしれないが。
「うぅ、どうしよう……」
いずれにせよ、「束が自らの好意を自覚できないほどに恋愛経験が足りていない」という点は揺るがない――その上で現れたカレンという存在に、さすがの大天“災”篠ノ之束も自分の感情を整理できず、頭を抱えるしかなかった。
いっそのこと“消して”しまおうか――そんな危険な考えも脳裏をよぎるが、
(……ダメだぁ〜……絶対じゅんくんに嫌われるよぉ〜……)
そうなった時、あの男が自分の関与に気づかないはずがない。絶対にバレて今の関係が壊れる――迷うことなく却下する。倫理的な意味から却下しないあたりが怖いところだが。
「むー……じゅんくんのばーか……」
結局、今の束にできるのはそんな悪態をつくことくらいで――
「オレがどうかしたのか?」
「ひゃうっ!?」
だから、不意に声をかけられた束は本当に驚いた。
「じ、じじじ、じゅんくん!?」
「よぅ、ただいま」
驚いた拍子に顔面からつんのめるようにイスから転げ落ち、尻を突き出すような体勢のまま振り向く束に対し、ジュンイチは目の前の尻にもまるで動じることなくそう答える。
「は、早かったねー。
いっくん達の様子を身に行ってたんじゃ……?」
「そうなんだけど、ダメだねー。平穏そのもの」
「んー、私もハッキングしてたけど何もおもしろそうなことが起きてなかったもんねー。
だから言ったでしょ? やっぱり行事やってる時に行かないと。事件が起きた時に見てないといいデータは取れないよ?」
「だよなー」
完全に“行事=事件”扱いである。しかも今までの“行事=事件”の大半(4件中2件)が自分達の仕業であるという自覚もないらしい。
「ま、そのついでに地元の商店街で食材買い込んできたから、完全に無意味だったってワケでもないけどな。
量より種類、で買ってきたから、今夜のメシはある程度リクエストに応じてやれるぞ。何か食いたいもの、あるか?」
「エネルゴンマトリクス!」
「……お前の場合、ホントにそれで栄養摂れそうだから怖いよな――そういう装置を作りそう的な意味で」
即答する束に、ジュンイチはため息をついて――
「……あ、そうそう」
ふと思い出し、懐をあさり始めた。
「実は、商店街で福引やっててさ。
で、オレもやってみたら……こんなん当たった」
言って、束に“それ”を差し出した。
「おーい、鷲悟ー」
その日、一夏が鷲悟の元を訪れると、鷲悟は部屋の中央で右手、その人さし指一本で逆立ちしていた。
トレーニング中なのは一目でわかるが、よく見てみると鷲悟の身体を支えている指は床に触れていない。わずかに宙に浮いている。
床のすぐ上に、重力エネルギーを凝縮したビー球大の“足場”を作り、その上で逆立ちしているのだ――筋トレだけでなく、重力エネルギーの制御も兼ねたトレーニングである。
「ん? 一夏じゃん。どしたの?」
その鷲悟はすぐに一夏に気づいた。逆立ちをやめ、足を地につけると右手をプラプラと振りながら一夏に尋ねる。
「鷲悟……また部屋でトレーニングか?
セシリアに『部屋が汗臭くなるからやめてくれ』って言われてなかったっけ?」
「換気はバッチリ!」
一夏に答え、鷲悟は全開に開け放たれた窓を指さす。なるほど、この部屋がやたらと暑いのはこれが原因かと納得する。
「それにセシリアは今日まで国に里帰り中。アイツのいない間くらいいいじゃんか」
「あー、確か帰ってくるの、夕方だって話だよな?」
「で? 一夏はいったい何しに来たのさ?」
「ん? あぁ、これだよ」
言って、一夏は鷲悟に“それ”を差し出した。
2枚のチケットだ。何のチケットかというと――
「これ、できたばっかりのウォーターワールドのチケットじゃんか。
確か、前売り券は今月分が完売して、当日券も会場2時間前に並んでようやく――ってシロモノだぞ」
「あー、やっぱり鷲悟も知ってたのか」
どうやら一夏は知らなかったらしい。
「で? そのチケットがどうして一夏の手に?」
「鈴がくれたんだよ」
「鈴が?」
「あぁ」
鷲悟の問いに一夏がうなずく――そう。悩める鈴に薫子が授けた“策”。それがこのチケットだったのだ。
「で、4枚あるから自分とオレ、あと鷲悟と他の誰かでも誘ってみたら、って……」
鈴が一夏に惚れているのは鷲悟も知っている。
おそらく鷲悟と、残り1枚をもらうことになる誰かさんは照れ隠し的な意味でのカモフラージュ……鈴としては自分と一夏、鷲悟と誰かとでWデート、という計画なのだろう。
「あとひとりは、箒でも誘おうかと思ってんだけど――」
「ストップ」
だから、鷲悟はすかさず一夏を止めた。
これで一夏が箒を誘ったりしようものなら、予想される未来は箒と鈴の(非公式)IS戦と一夏のフルボッコだ。それだけはなんとしても避けなければならいない。友達を守る的な意味でも巻き込まれたくない的な意味でも。
「残りのひとりは、オレの方で声をかけてみるよ。
欲しがりそうなヤツに心当たりあるからさ」
「そうか? なら頼む」
特に疑うこともなく、一夏は鷲悟の分、そして残り1枚のチケットを置いて帰っていった。
「さて……あぁは言ったけど、誰を誘ったものか……
つか、日付……ゲッ、明日じゃんか!? こんな急な話で誘える子、いるかな……?」
鈴のことを考えると、誘えるのは一夏に“惚れていない”子に限られる。その上で明日空いてる子……と鷲悟が候補をリストアップしていると、
「…………ん?」
気づいた。
「さて、やっと帰ってこれましたわ」
IS学園の正面ゲート前。白のロールスロイスから降りると、セシリアは息をついた。
外に出るなり襲いかかってくる熱気にうんざりするものの、その気分はむしろ高揚していた。
(やはり、想い人とは同じ空の下にいたいものですし……)
本国イギリスへの帰郷――もう家族のいないセシリアにとって、それは決して楽しいことだけではなかった。
オルコット家での、当主としての職務、国家代表候補生としての報告、専用機の再調整、他にもバイオリンのコンサート参加、旧友との親交……
そして――両親の墓参り。
そのことを考えると、少しだけ胸が痛む――
「お嬢様」
かけられた声が、彼女を現実に引き戻す――振り向くと、セシリアの幼なじみにして専属メイド、チェルシー・ブランケットがそこにいた。
「どうかなされましたか?」
「い、いえ、なんでもなくてよ」
多少乱れたものの、セシリアは努めて冷静を装ってそう答え――
「おーい、セシリア」
「――――――っ!?」
しかし、新たにかけられた声の前には、そんなものはあっけなく吹き飛んだ。
「し、ししし、鷲悟さんっ!?」
「………………? 何驚いてんだ?
オレが相手の“力”を感じ取れるのは知ってるだろ? お前が帰ってきたのを察して迎えに来るくらい朝飯前だって」
「お嬢様が動揺していらっしゃる原因はそこではないと思われますが」
そうツッコんでくるのはチェルシーだ。
「えっと……誰?」
「お初にお目にかかります。
セシリア様にお仕えするメイドで、チェルシー・ブランケットと申します。以後、お見知りおきを」
「チェルシー?」
その名に、鷲悟は覚えがあった。
「じゃあ、実家でセシリアの料理の練習につき合ってたっていうのは……」
一方、チェルシーも鷲悟のその言葉に含まれる同情の念を感じ取っていた。
「では、あなたも……」
「えぇ……」
もう、二人の間にそれ以上の言葉はいらず、
「柾木様……」
「チェルシーさん……」
『…………心友よっ!』
二人は心からわかり合っていた。
「どういう意味ですのっ!?」
その意味を敏感に察した、セシリアの抗議をスッパリと無視して。
「まったく、鷲悟さんもチェルシーも、人のことを何だと思ってますの?」
「慢性的料理オンチ」
「即答!?」
「心当たりがないとは言わせないぞ。
味見することを覚えたとたん、オレのところに“作品”持ってこなくなったろうが」
「う……」
学園の食堂に隣接しているカフェで、セシリアは鷲悟にやり返されて言葉に詰まった。
カフェと言っても学園の施設だけあって金がかかっている。冷暖房完備、年中無休は当然として、外のコーヒーショップなど一笑に付すような本格的なコーヒーや各種ドリンクに加え多彩、且つ上等なスイーツが楽しめるとあって、夏休み真っ最中だというのに鷲悟達以外にも学園生の姿は多い。
「ちゃんと写真じゃなくてレシピ見て作ってるか?
お前、見た目だけで作ろうとするからなー。だからトマトケチャップが出てくる場面でタバスコなんか持ち出すんだよ」
「あ、あの時はご迷惑をおかけしました……」
「いや、その謝罪はオレより先に割り込んでがっついた結果誤爆した布仏さんに言うべきだと思うな、うん」
ちぢこまるセシリアに答え、鷲悟はホコホコと湯気を立ち昇らせている、淹れたて熱々コーヒーをすする。ちなみにブラックだ。
「ま、味見することを覚えてくれただけでも大した進歩だ。
あずさなんかはいくら言っても味見しないし、日々攻撃力が増してるし」
「こ、攻撃力……?」
もはや評価の基準が“味”ですらなくなっていた。
「アイツの場合、ちゃんとレシピ通りに作ってるクセになぜかモノスゴイのが出来上がるからなぁ。
しかも見かけがいいほど攻撃力が高いから始末に負えない」
「そ、そうなんですの……?」
「これ、簪さんから聞いたんだけどな」
聞き返すセシリアに答える形で、鷲悟は彼女にしか聞こえない程度の小声で告げた。
「アイツが転入して最初の調理実習以来、四組の誰もアイツをキッチンに立たせなくなったそうだ」
「………………」
いったいどれほどの猛威だというのか――鷲悟の言葉に、セシリアはもはやコメントも返せず、緊張のあまりゴクリとノドを鳴らすしかない。
「……と、ゆーワケで、アレと違ってちゃんと進歩してるんだ。安心していいよ」
「ホントですの……?」
「あぁ、それは保証するよ」
自分の料理スキルを酷評された後にあずさの微妙な武勇伝を聞かされ、今ひとつテンションの上がらないセシリアだったが、
「何なら、オレがそばについて教えてやってもいいし……」
「ぜひお願いいたしますわ!」
「お、おう……」
それでも、これにはさすがに食いついた。勢いよく身を乗り出してくるセシリアに、鷲悟はすっかり気圧されてコクコクとうなずく。
(はぁ……鷲悟さんと一緒にキッチンに立つことができるなんて……
これってまるで、し、し、し……新婚夫婦のよう……って、キャアァァァァッ♪)
頭の中で繰り広げられる未来予想図(妄想)にセシリアがひとりで盛り上がっていると、
「ところで……だ」
不意に、鷲悟の声で現実に引き戻された。
「何ですの?」
我に返り、尋ねるセシリアに対し、鷲悟は両のヒジをテーブルにつき、組んだ手で口元を隠す――某新世紀な特務機関の司令の如きスタイルでセシリアに問いを返した。
「ひとつ、聞きたいことがある」
「は、はい……?」
「お前って……」
「“鈴×一夏”派? それとも“箒×一夏”派?」
「…………はい?」
「ふぅ、やっと一息つきました……」
職員室の自分の席で、真耶はその言葉通り安堵の息をつき、熱いお茶をすすっていた。
ふと時計を見れば、もう寮の消灯時間を過ぎている。集中している間にすっかり夜更かししてしまった。
「もうこんな時間ですか……
まぁ、一学期の総まとめが終わっただけでもよしとしておきましょうか」
厳密にはまだ仕事は残っているのだが、今くらいは気が緩むのも仕方のない話だろう。
というのも――今年はとにかくイレギュラーが多すぎた。
“ISを扱える男子”、“ISに匹敵する戦力を持つ男子”に始まり、異常な数の専用機持ち、頻発する謎の事件。篠ノ之束と柾木ジュンイチの暗躍、さらには国際IS委員会からの説明要求と織斑一夏、柾木鷲悟の身柄引き渡し命令、その他諸々。
それらの仕事がやっと半分以上片づいたのだから、今この時くらいは休ませてもらってもバチは当たらないはずだ。
もっとも――ある意味一番厄介な問題は未だ片づいていないのだが。
お茶をすすりながらも、視線はどうしてもそちらを向いてしまう――机の上に置かれた、3枚のお札……もとい、3枚の書類を順に見る。
それ自体はただの生徒の身上票……問題はそこに書かれている三人だ。
織斑一夏、柾木鷲悟――そして、篠ノ之箒。
三人とも“代表候補生でないのに専用機持ち”という微妙な立ち位置にある。しかも一夏の白式や鷲悟のG・ジェノサイダーはともかく、箒の紅椿は篠ノ之束の個人製作機であるため登録国籍がない――つまり、“どの国家にも帰属していない”。
要するに、“すべての国が彼女をIS付きで招くことができる”ということだ。その上紅椿自体が篠ノ之束が最高の性能を与えたという第四世代型ISだ。力ずくでも欲しいという国はいくらでもいるだろう。
今の彼女は存在そのものが争いの火種――かつて鷲悟も危惧していたことだ。
(なんで、私のクラスにばかりいろいろと集中しちゃうんでしょうか……)
特にシャルロットとラウラだ。普通、あれだけの数の専用機持ちを同じクラスに集めたりはしないはずだ。現状専用機持ちがひとりもいない三組あたりに編入させるのが自然だ。
(――何かしらの根回しがあったってことでしょうね)
どの国家にも属さないIS学園ではあるが、各国からの影響力を完全に遮断することはやはり難しい。
ならば二組、四組に編入したカレンやあずさはどうなるのか、という話になるが、彼女達の場合は単に“一組にこだわる理由がなかっただけ”ということだ。
カレンは学年全体、専用機持ち全員に用があったワケだし、あずさもIS学園に放り込めば他の専用機持ち共々守ってもらえるだろうとジュンイチが束を動かした背景がある。
どちらも“専用機持ちに近づく”理由はあっても“一組に編入する”理由はない。それで一組以外で専用機持ちのいる二組、四組への編入となったのだろう――結果的に専用機持ちのいない三組はまたしても無視される形になったワケだが。
(まぁ、そのあたりはあまり考えずにおきましょう)
どうせ、考えたってどうしようもないのだし、と自己完結しておく。
て、残りの書類も一気に片づけるかと机の上に残る書類の山へと向き直る。一番上の書類に手を伸ばし――
(…………?)
手にした書類の下に、もう一枚別の書類がくっついていることに気がついた。
「何の書類でしょう……?」
首をかしげながら、隠れていた方の書類に目を通し――
ぴしり。と思考が凍りついた。
「こ、これは……」
“こういうこと”にならないように、すべての書類には事前に目を通していたというのに――まさか上の書類にはりついていた、などという形で見落としがあろうとは。
冷や汗をダラダラと流しながら、真耶は時計を見た。
今まさに、日付が変わったところであった。
「鈴さん」
「セシリア……?」
ウォーターワールドのゲート前。
声をかけられ、振り向いた先にはよく知る顔――突然のセシリアの登場に、鈴は思わず首をかしげる。
だが――幸い「なぜここに?」と問いかける前に気づくことができた。
「なるほど、鷲悟に誘われたわね?」
「えぇ。だいたいのことは聞いています」
計 画 通 り
鈴の頭の中に、その四文字がまるでタイプライターのように刻印される。
自分が一夏を好いていることを知っている鷲悟を誘うように一夏を誘導すれば、少なくとも恋敵たる箒に残り1枚のチケットが渡ることはないと踏んだが、どうやらその思惑は図に当たったようだ。
一夏と鈴、鷲悟とセシリア、うまくWデートの形に持ち込めたようだ。
「わかってるわね、セシリア」
「えぇ。
力を合わせて、今日こそあの難攻不落の要塞を!」
ガッシリと握手を交わした、その時だった。
(あれ……?)
鈴が、見覚えのある“ウサミミ”を視界に捉えたのは。
そう。見覚えがある。
ウサミミに、どこか少女趣味な感じのするワンピースにエプロンドレス。まるでアリスと白ウサギが同居した“ひとり『不思議の国のアリス』”とでも言うべき服装――
「あぁぁぁぁぁっ!?」
「ひゃあっ!?
り、鈴さん、いきなりどうし――」
突然声を上げた鈴に驚き、振り向いたセシリアもまた、鈴が何を見て驚いたのかを理解した。
そう。二人が目にしたその人物とは――
『篠ノ之束(博士)!?』
「んー、何だい何だい、キミ達は。
束さんはキミ達なんか知りませんよーだ」
しかし、驚く二人を前にしても彼女は――篠ノ之束はまるで動じる様子を見せなかった。というか、むしろ「興味ありません」とばかりにしっしっ、と手を振ってみせる。
「『知らない』とは言ってくれるわね!」
「えぇ!
臨海学校の時、わたくし達もあの場にいましてよ!」
「んー?
じゃあ、ひょっとしてキミ達って、いっくん達に群がる“その他大勢”のひとりなのかなー?
ごめんねー。箒ちゃんやいっくんやちーちゃんやしゅーくん以外はどーでもいいからさぁ」
ひくっ、とこめかみが引きつる――束に「どうでもいい」と言い切られ、一瞬頭に血が上りそうになるが、
(…………あれ?)
鈴の脳裏に、不意に疑問が浮上した。
そもそも、どうして束はここにいるのだろうか?
臨海学校の時は、箒に紅椿を与えるという目的があった。しかし、ここは箒ともISとも縁もゆかりもないウォーターワールド。
ぶっちゃけ、束が訪れる理由があるとは思えない。自分達はデートという重要な目的があるのだが――
(……『デート』?)
そこで思考が止まる。
鷲悟とも確認したことだ。彼女のもとには――
「まさか……」
「ジュンイチとデート、とか言うんじゃないでしょうね?」
止まった。
それまでは本当にこちらを歯牙にもかけないとばかりの態度をとっていた束が、ピタリと。
「まさか当たり!? ホントにデートなワケ!? ジュンイチと!?」
「えぇっ!? ま、まさか、お二人はそういう関係でしたの!?」
「え゛!? あ、いや、その……」
計勢逆転。聞き捨てならないという鈴と興味津々といった様子のセシリア、二人に詰め寄られた束は、普段の彼女からは考えられないほどにうろたえて――
と、不意に携帯電話が鳴り響いた。
鈴だけではない。セシリアのも、さらには束の携帯電話までもが、ほぼ同じタイミングで着メロを鳴らし始めたのだ。
仕方がないので、携帯電話を取り出す。相手は――
「一夏……?」
「鷲悟さん……?」
「じゅんくん……?」
それぞれの待ち人から同時に連絡――何なのだろう、このシンクロぶりは。
相手がシンクロしているものだから、自然とこちらもシンクロする――同時に通話ボタンを押し、携帯電話を耳にあてる。
「もしもし? 一夏?」
〈あぁ、やっとつながった……〉
鈴の電話の向こうの一夏は心底安堵したようだった。
「どうしたのよ? もうすぐ待ち合わせの時間――」
〈実は、そのことなんだけどな〉
鈴の問いに、一夏は申しわけなさそうに口を開いた。
〈さっき、出ようとしたら山田先生に捕まってさ。
今日、倉持技研から白式の開発スタッフが来るんだと。
なんか、データ取りたいらしくてさ――ほら、白式、第二形態になっただろ? それ関係で改めてデータが欲しいらしくて……〉
「………………で?」
〈えぇと……すまん。
今日は行けそうにない〉
「なぁっ!?」
一方、セシリアや束も、それぞれの相手から同様の説明を受けていた。
〈……となると、一夏のヤツ、行けないから鈴の計画もパーだろ?
つまり、オレ達が鈴のデート作戦に協力してやる理由もなくなるワケで……ちょうどいいから、データ取りの模擬戦の相手に立候補して、それをエサに簪さんのISの開発凍結、なんとかできないか……って、簪さん連れて交渉に行ってくらぁ〉
「はいっ!?」
〈白式・雪羅のデータ、束だってもっと詳細なの欲しがってただろ?
こんな機会めったにないから、オレもちょいともぐり込んでデータ取ってくるよ。直に見ておけば、お前の分析にもいろいろ役に立てるだろうし〉
「いや、それはそれでうれしいけどっ!」
思わず声を上げるが、電話の向こうの三人がそんな彼女達の想いに気づくはずもなく、
〈けど、そうなるとせっかくのチケットがムダになってもったいないだろ?〉
〈あずさにあげようとも思ったけど、アイツもどっかからチケット手に入れてたらしくてさぁ……〉
〈ムダにしないためにも、誰かにくれてやった方がいいと思ってさ〉
<<だから……>>
<<箒/布仏さん/あずさにチケットくれてやったから、お前(ら)で楽しんできてくれよ>>
「…………は?」
「え…………?」
「……へ……?」
その言葉に、三人は同時に視線を上げて――見つけた。
おそらくその視線は束しか捉えていないだろう。「どうしてここに!?」という感じで目を丸くしている箒と、「ごめんなさいっ!」と両手を合わせるあずさ。そしておそらく何もわかっていないであろう、ニコニコしている本音の姿を。
〈……あ、悪い。呼ばれたからもう行くわ〉
〈……あ、一夏が呼ばれたからオレも行くわ〉
〈……あ、そろそろ始まるみたいだから行くわ〉
<<じゃあな>>
ブツッ、とノイズを残して電話は切れた。最後まで実に見事なシンクロぶりであった。
『………………』
すでに何の声も発しない携帯電話を、三人はゆっくりと顔から離して――
ぐしゃり。
まったく同時に、三つの携帯電話が天に召された。
夏休み
されどおバカは
相変わらず
次回予告
セシリア | 「こんにちは。セシリアですわ。 まったく、鷲悟さんったら、せっかくのデートでしたのに……」 |
鈴 | 「アンタ達なんかまだいいわよ。 あたしなんか主賓なのに。言い出しっぺなのに……」 |
束 | 「ちょっとちょっと! なんか、イベントに優勝したらペア旅行だって!」 |
セシリア&鈴 | 『…………それだっ!』 |
あずさ | 「次回、IB〈インフィニット・ブレイカー〉! |
『夏のプールは危険がいっぱい!? 恋の嵐は止まらない!』」 | |
箒 | 「それで……どういう状況なんだ? これは」 |
本音 | 「さぁ?」 |
(初版:2011/09/27)