――Pipipipipi……
 早朝、部屋に鳴り響くのは電子的なベルの音――が、その音は「ガツンッ!」という衝撃音と共に停止した。
 ベルの音の発生源たる目覚まし時計は、“投げつけられた苦無に貫かれて”ベルどころかそのすべての機能を完全に停止。部屋は再び静寂に包まれる――かと思われたその時、動きがあった。
 目覚まし時計の置かれた棚とは正反対側、その壁際に置かれたベッドの上で、タオルケットの塊、もとい、タオルケットにくるまった、この部屋の主がムクリと身を起したのだ。
 頭にかかっていた部分のタオルケットがずり落ち、強靭なクセのついた茶色がかった黒髪がピョコンと跳ねる。その頭をがじがじとかきながら、一言。
「……起きるか」
 それが彼――



 柾木ジュンイチの、本日の第一声であった。



    ◇



 手際良く大量の朝食を作り、それをきれいに片づけると、壁に掛けてあったいつもの道着に袖を通す。
 これから登校、さらに言えば“今通っている”学校は元々通っていた龍雷学園と違って私服登校は許可されていない。だから本来ならば学生服であるべきなのだろうが、残念ながらそんなものはない。学校側としては「“たったひとりの例外”のために“一から作って”いられるか」ということなのだろう。
 十分に腹は膨れたが、念のためのダメ押しにと食パンを手に家を出る。ガブリとかじりつき、もぐもぐと咀嚼しながら学校への道を歩く。
 一昔前のマンガのようにパンをくわえたまま走っていく、なんてことはしない。そこまでしなくても十分に間に合う時間だし、それは女子の役どころだろうし……何よりかじりついている食パンはスライスではなく塊だ。走りながらでは食べにくいことこの上ない。
 と、不意に頭上を飛ぶ鳥の気配。スズメかカラスかと見上げてみれば――
「……ウミネコか。
 ってことは、“今は陸の近くを航行中かな”?」
 そういえば、近々寄港予定があるって話を聞いたっけ――と思い出しながら、ちょっとした興味に駆られたジュンイチは地を蹴った。
 すぐ脇のブロック塀と電柱上部に備え付けの点検用ステップを足場に、常人離れした脚力とバランス感覚をもって軽やかに電柱の上へと跳び上がる。
 そこから見える景色は街が二割に海が八割――海辺の街を写した風景写真でよく見る構図だが、ここは海辺の街というワケではない。と言うか、“海辺どころの騒ぎではない”。
 なぜなら――
「……富士山はほぼ真北か……
 ってことは、今静岡の南辺りなのか、“このフネ
 ここは、海上を行く艦の上に作られた街なのだから。

 学園艦。
 空母を設計ベースにして専用に建造された超巨大艦艇の上に、学園都市を丸ごとひとつ乗せてしまったものを総称してそう呼ぶ。
 元々は来たる国際社会に向けて広く開かれた視野を養ってほしいという願いだとか、艦の上という基本自分達ですべてを賄わなければならない環境で暮らすことで互いに助け合う互助の精神を学ぶとか、その他諸々の試験的な教育方針の数々をまとめてブッ込み、あと国内の鉄鋼産業の需要喚起を中心とした公共事業の拡大やら用地の確保に難儀していた学校側の土地事情やらの思惑が多少ならざる割合で便乗した結果生まれたテストケースにすぎなかったという。
 が、最初の学園艦において(教育的な意味でも公共事業的な意味でも)かけたコストに見合った成果が見られたことで事業は一気に拡大。現在では公私立を問わずすべての高校は学園艦として運営されるようになっていた。中には、400年もの歴史がある学園艦まであるというのだから筋金入りと言えよう。

 しかし。
 ジュンイチはそんなものが作られていたなんて話はまったく知らなかった。
 それどころか、学園艦というものの存在自体、“ここ”に来て初めて知ったぐらいなのだ。
 その他にも、自分の知るものとはあまりにも違いすぎる“常識”が多数――故に、“そういうこと”であると認めざるを得なかった。
 自分が――自分達のいたところと極めてよく似た、しかしいくつかの要素が決定的に異なるパラレルワールドに迷い込んでしまったのだと。



 この世界に迷い込んで早半年。未だ、その原因も不明なら帰還の目途も立たないまま。
 そして、そんなジュンイチを保護し、置いてくれているこの学園艦の名は――県立大洗女子学園。







 ………………あれ?

 

 


 

第1話
「戦車道、やります!」

 


 

 

 「おい、ちょっと待て」とツッコみたくなった読者諸君、あなた達は正しい。
 そう。大洗“女子”学園――女子校である。
 なのになぜ、男のジュンイチがいるのか――それは、彼がここに“拾われた”その経緯に理由があった。



 すべては、大洗の学園艦が進路上をプカプカと漂流していたジュンイチを見つけたのが始まりだった。
 意識を失っていた(今にして思えば、おそらく世界の境界を飛び越えたショックによるものだろう)ジュンイチはすぐに引き上げられ、艦上学園都市内の病院へと運び込まれた。
 しかし、ジュンイチが意識を取り戻した時、そこにいたのは医師ではなかった。
 角谷杏――二年生にして生徒会長の座についた才媛。この大洗の生徒の代表という立場からジュンイチのことを知り、様子を見に来ていたのだ。
 偶然医師が席を外し、杏しかその場にいないタイミングで目覚めたジュンイチに対し、杏は興味本位からいくつか質問して――両者の認識する“常識”に大きなズレがあることが判明するまで大した時間はかからなかった。
 二年生にして生徒会長を務めるだけあり、杏の能力は、人を見る目は確かなものであり、だからこそジュンイチがウソをついているワケでも、頭がおかしくなっているワケでもないことはすぐに確信できた――だが大人達もそう判断してくれるという保証はどこにもない。
 いや、むしろ常識という枠組みに凝り固まっている分、信じてもらえない可能性の方が高い――故に杏は提案した。名前以外の記憶をなくした、記憶喪失のフリをしてやり過ごすように、と。
 面倒事を避けたかったジュンイチもその提案に乗り、退院までの数日間、記憶喪失の患者を見事に演じきってみせた。
 それだけでなく、杏はその後のことにも便宜を図ってくれた。ジュンイチが高校生(くらいの年頃)ということで学業面を心配し始めた大人達に対し、「それなら次の寄港までの間はウチで面倒を見よう」と身元の引き受けを申し出てくれたのだ。
 これに対しては周り(ジュンイチ含む)から「女子校に男子を通わせるのはいかがなものか」という至極真っ当な意見も出たのだが、同時に「ま、次の寄港までの間の一時的な間に合わせにすぎないのならそう目くじらを立てることも……」ということもあり、結局一時的な特例措置として目をつむることになった。



 ……すぐに、再燃するハメになるとも知らないで。



 そう。ジュンイチの運命が真に踊り狂い始めるのはここからであった。
 寄港までの間、拾ってもらった、そして置いてもらっている恩を少しでも返そうと、ジュンイチは杏ら生徒会の、そして学校全体の雑用を積極的に引き受けていった――が、今にして思えばそれがマズかった。
 元々傭兵時代に培った各種スキルのフィードバックによって、ジュンイチは日常生活においては基本的に“何でもござれ”の万能人間と化している。そんな人間があちこちでその力を存分に発揮したなら、手伝ってもらった各所が大いに助かるのは自明の理。
 故に、杏に余計な欲を抱かせてしまった――こんな便利なヤツを、「男だから」という“だけの”理由で手放してしまうのは非常にもったいない、と。
 そんな(余計な)ことを考えた杏の行動は素早かった。ジュンイチによって助けられた各所を回って「ジュンイチのおかげで助かった」という好意的な証言をかき集め、さらには「世界に開かれた視野を養うための学園艦なのに女子だけなんて閉鎖的環境じゃ意味がない」と女子校であるという大前提すらかなぐり捨てた共学化論まで振りかざして各方面を説得。
 さらに、学園艦ならではの“特例在校制度”なるものまで持ち出してきた。これは学園艦が艦上学園都市という閉鎖的環境であるが故に設けられた制度で、今回の「女子校の学園艦に男子」といったケースのような、本来在校できない学園艦に何らかの事情で居住しなければならない場合の救済措置として、一定の審査をクリアすれば特例として入学・転入を許可する、というものであり、ジュンイチをこの制度の適用対象として推挙したのだ。
 結果――ジュンイチが気がついた時には、すでに「共学化に向けたテストケース」としてジュンイチの受け入れ態勢がほぼ完全に整ってしまっていた。
 さすがのジュンイチも、ここまで各方面に動かれた後、その上それが(首謀者の思惑はどうあれ)自分への恩義、厚意によるものだとあっては強く固辞することはできなかった。結局、杏の思惑通り、「特例在校制度を利用した特別編入生」という形で大洗女子学園始まって以来の“正式に所属する男子生徒”となったのだった。
 もちろん、反対する声もあった。ラノベやマンガでよくあるシチュエーションを前にしてそのシチュエーションのままに色めき立つ者もいた。しかし、それも物珍しさが薄れるにつれて収まっていき――ジュンイチが「環境はちょっと(?)特殊だけど概ね平和な暮らしが戻ってきたか」と実感したのはつい先日、年度が改まる直前であったという。



    ◇



 キーンコーンカーンコーン……
「……んっ、んー……っ!」
 たとえ世界は違っても、やはり日本は日本なのか――そんなことをしみじみと実感させてくれる、“前の世界”でも聞き慣れていたチャイムを聞きながら、ジュンイチは自分の席で大きく背伸びした。
 午前の授業が終わり、昼休み突入――周りの女子達が学食に行こうとか購買でパン買おうとか友達同士で話しながら教室を出ていく中、のんびり教科書を片づける。
 今日は朝しっかりと“食いだめ”してきたので、学食で常人一人分で事足りる。さらに席も十分用意されているため、それほど急ぐ理由もない。むしろカウンターの行列をやり過ごす意味でわざと出遅れるのも十分に“アリ”だ――さて、今日は何を食べようかとジュンイチが考えていると、
 ――コロコロコロコロ……
「………………?」
 ジュンイチの耳が拾ったのは、常人ならまず聞き逃すであろう、小さな何かが転がる音――見ると、自分と同じようにのんびり教科書を片づけていたクラスメイトのひとりが、シャープペンを床に落としてしまったところだった。
 しかもそれで終わりではなかった。シャープペンを拾おうと机の下にもぐり込んだはいいが、その机の下で何度も机にぶつかっているらしく、定規や消しゴムが次々に落ちていってしまっている。
 そしてついに筆箱まで――さすがにこれを見過ごすのは後々寝覚めが悪そうだ。ため息まじりに立ち上がると、筆箱を拾って彼女の元へ。
「ほら、西住さん」
「え……? あ……」
 ジュンイチに筆箱を差し出され。彼女――西住みほはようやく自分の机の上から筆箱もなくなってしまっていることに気づいたようだ。
「あ……ありがとう、柾木くん……」
「どういたまして〜」
 異性への照れか筆箱の一件の気恥ずかしさからか、顔を赤らめながら筆箱を受け取るみほの謝辞に対し、ジュンイチは手をヒラヒラと振りながら適当に返して――



「ヘイ、彼女! 一緒にお昼でもどう?」



「…………へ?」
 いきなり軽い口調でナンパされ、みほの目がテンになった。
 筆箱を拾ってくれたと思ったらいきなりナンパ?――と困惑しながらジュンイチを見返すみほだったが、ジュンイチは手をパタパタと振って「オレじゃない」とアピール。そしてその場から横にどくと、ジュンイチの身体でみほから見て死角になっていたナンパ発言の主が姿を現した。
 女子が二人。黒髪で落ち着いた佇まいの子と、栗色の髪の明るそうな子だ。件のナンパ発言は栗色の髪の子が発したものだ。
「沙織さん、いきなりあんな誘われ方をして、西住さんが戸惑ってますわ」
「つか今、一瞬オレが言ったように誤解されたんだが」
「あはは、ごめんね〜」
 黒髪の子とジュンイチにたしなめられ、「沙織さん」と呼ばれた栗色の髪の子が謝る――が、すぐに気を取り直して改めてみほに告げる。
「西住さん、よかったら一緒にお昼食べに行かない?」
「え……? 私……?
 ………………」
「……おい、そこでどうしてオレを見る?」
「あ、えっと……柾木くんとの話の途中だったから、いいのかな、って……」
「筆箱拾っただけのやり取りで、これ以上どう話をふくらませるつもりだったんだよ。
 いいからさっさとご厚意に甘えてこい」
 みほに答え、ジュンイチは軽く肩をすくめてみせる。
「つか、せっかくのチャンスじゃねぇか。
 これを機会に、ガッツリ交流深めてこいよ――転校してきたばっかりで、まだ友達いないんだろ?」
「う、うん……」
 ジュンイチに促され、それでも何やら未練がましそうにしていたみほだったが、
「……じ、じゃあ……」
 意を決して――ジュンイチに“提案”した。



    ◇



「……どうしてこうなった?」
「何? 不満?」
「いや、別に不満ってワケじゃねぇよ。どうせオレも学食のつもりだったしな。
 ただ、さっきまでのやり取りからこうなるに至った流れについて、もうちょっと詳細な説明がほしいところなだけだ」
「そ、それについては、また後で……」
 学食、カウンターの行列に並んだ中で沙織に答え、ジュンイチは一緒に学食に行こうと誘ってきた張本人へと視線を向ける――が、そのみほからは答えを保留されてしまった。肩をすくめ、ジュンイチは残る二人に話を振ることにした。
「っていうか、お前らはどういう風の吹き回しで?」
「そんな、一時の気の迷いみたいな言い方しないでくださいよ。
 動いたのが今日だった、というだけで、わたくし達、一度西住さんとお話してみたかったんです」
「そ、そうだったんですか……?」
「そうなのか。こりゃ失敬――」
「なんかいつもアワアワしてて、おもしろいんだもん」
「お、おもしろい……」
「一瞬でも謝ろうと思ったオレの誠意を返せ!」
 黒髪の子のフォローをきれいにぶち壊してくれた沙織に対し、苦笑するみほのとなりからジュンイチのツッコミが飛んだ。
「あ、そういえば自己紹介まだだったね!」
「最初のホームルームでやっただろ?」
「お近づきの印に改めて!」
 が、当の沙織は気にする様子はない。ジュンイチのツッコミもどこ吹く風といった様子でみほに名乗ろうとするが、
「私は――」
「武部沙織さん。6月22日生まれ」
「って、え……?」
 意外なことにみほの方から先手を打ってきた。沙織が呆気にとられている間に今度は黒髪の子へと向き直り、
「五十鈴華さん。12月16日生まれ」
「はい」
 黒髪の子、華がうなずくと、最後にジュンイチを見て、
「柾木ジュンイチくん。4月17日生まれ」
「正解」
「へぇ、誕生日まで覚えててくれたんだ」
「うん。
 名簿見て、クラスの子全員、いつ友達になってもいいように……」
「いや、どんだけガッツリ待ちかまえてんだよ……」
 感心する沙織に答えるみほに、ジュンイチは思わず苦笑する。
「やっぱり西住さんっておもしろいね。
 ……そうだ、名前で呼んでいい?」
「え…………?」
「『みほ』って」
 沙織の提案の意味を測りかねたみほに華がフォローして――ようやく意図を理解したみほの顔が輝いた。
「すごい! 友達みたい!
 じゃあ、私も名前で呼んでも!」
「もちろん!
 ……って、なんで柾木くんは列から離れない程度に一歩下がってるの?」
「いや、『名前で呼んで』って話なら、オレは部外者かな、と」
「え?」
「待て西住さん。どうしてそこで心底不思議そうに首をかしげる?」
「え……男の子って、友達でも名前で呼んじゃダメなんですか?」
「んー……そりゃ男でも仲良くなれば名前呼びもアリだけどさ、異性の間ではやめといた方が無難だと思うんだけどなー?」
『………………?』
「ちょっと待ったのしばし待てい。
 西住さんはともかく五十鈴さんまで首かしげんな」
「ほ、ほら、男女の間で名前で呼び合うくらい仲がいいってなると、友達以上の関係だと勘繰る人も出てきちゃうし……ね?」
 この天然っぷりにはさすがに沙織もフォローに回ってくれた。彼女の言葉に、みほと華はしばしそれを咀嚼するように考えて――ようやく意味を理解したらしい。その顔がぼんっ、とでも擬音がつきそうな感じで赤くなった。
「ご、ごめんなさい……」
「わたくし達、配慮が足りなくて……」
「わかってもらえたようで何よりだ」
 二人からの謝罪に、うんうんとうなずきながらジュンイチが応え――行列が進んだので、固まったままの二人にさっさと進むように促すのだった。



    ◇



「えっと……柾木くん」
「んー?」
 何はともあれ、それぞれが注文の品を受け取り、先頭だった華が確保してくれていた席についたところで、みほがジュンイチに声をかけた――まだ少し緊張が残っているのか、「意を決して」なんて表現が似合いそうな気合の入りっぷりだ。
「どしたい」
「あ、えっと……これ」
 聞き返すジュンイチに対し、みほは自分の昼食――定番のランチメニューだ――をトレイごと差し出した。
「さっきの筆箱のお礼。
 好きなおかず、ひとつどうぞ」
「なるほど、オレをこの席に誘ったのはそういうことか……別によかったのに」
「そ、それじゃなんだか悪いし……」
「だったら別の形でその内返してくれればいいよ。持ちつ持たれつってヤツで」
「それでいいの……?」
「いーのいーの。
 どの道おかず一品程度じゃ腹の足し的な意味で大したメリットにならんしな。食事以外の形で返してもらった方がよほどいい。
 それよりさっさと食っちまおうぜ」
「う、うん……」
 ジュンイチに言われて、みほはとりあえず納得したようだ。改めて席について沙織や華と共に食べ始める。
「けど、よかったー、友達ができて。
 私、ひとりで大洗に引っ越してきたから」
「そっかー」
 先のやり取りを思い出して微笑むみほの言葉にそう返すと、沙織はうんうんとうなずいて、
「ま、人生いろいろあるよねー。
 泥沼の三角関係とか、告白前にフられるとか、五股かけられるとか」
「え、えっと……」
「じゃあ、ご家族に不幸が?
 骨肉の争いとか、遺産相続とか」
「そういうワケでも……」
「つかどーしてそう不穏当な方向に話を持っていきたがるかなー、お前ら」
 激しくピントのズレた推論を繰り広げる沙織と華にみほが困っているのを前に、ジュンイチが肩をコケさせてうめく。
「じゃあ、柾木くんは何だと思うの?」
「ふーん、そうだな……」
 沙織の問いに、ジュンイチはしばし考え――ピッ、と右の人差し指を立て、
「借金取りに追われて、とか?」
「自分だって十分に不穏当じゃない!」
「というか一番失礼なこと言われた気が!?」
 ジュンイチの仮説に、沙織とみほのツッコミが飛び交った。



    ◇



 さて、そんなおバカなやり取りを繰り広げた昼食も終わり、教室に戻った四人は(席に戻ろうとしたジュンイチを惰性で捕まえたまま)午後の授業までの時間をおしゃべりで過ごしていた。
「そうだ、今日帰りにお茶していかない?」
「え、お茶? 女子高生みたい!」
「女子高生ですって……」
「どれだけ女子高生の『普通』から離れた生活してたんだ……?」
 沙織の提案に喜ぶみほに華がツッコみ、ジュンイチが軽く首をかしげる――が、沙織はみほの同意が得られた(?)ことで何やら安心した様子を見せ、
「よかったぁ……実は相談したいことがあってさぁ」
『相談……?』
 いきなりの沙織からの相談宣言に、ジュンイチとみほが顔を見合わせる。
「実はちょっと悩んでて……
 私罪な女でさぁ……最近、いろんな男の人から声かけられまくりで……どうしたらいいかな?」
「いろんな……?」
「近所の人なんだけどね、毎朝『おはよう』とか『今日も元気だね』って……」
「それ一切疑う余地なく確実に朝のあいさつ――っ!」
 オチに気づいた瞬間ジュンイチがツッコミを入れるが、
「ううん、絶対私のこと好きだもんっ!」
「ボケじゃなく本気で信じてやがりましたぁーっ!?
 そんなこと言ってたら、今こうしてお前とボケツッコミ繰り広げてるオレはどーなる!?」
「え!? 柾木くんも私のことを!?」
「それがお前のカン違いだっつー話をしてるんだろーがっ!」
 沙織のボケにしか聞こえない本気の主張にジュンイチが再度ツッコミを入れると、
「武部さん、明るくて親しみやすいもんね。
 だからみんな友達になりたくなるんじゃないかな?」
 対してそんな好意的な意見を述べるのはみほである。
「誰とでも仲良くなれるなんてすごいと思うよ。
 私ね……今日、武部さんが声をかけてきてくれて、本当に嬉しかった。素敵な友達ができたなー、って」
「そ、そう……?」
 半ば不意打ちで手放しでほめちぎられて、沙織の頬に朱が散り――
「……先に声かけてたオレの立場は……?」
「も、もちろん、柾木くんも声かけてきてくれて嬉しかったよ!」
 ジュンイチにツッコまれ、みほがあわててフォローを入れる――明らかに目が笑っている辺り、ジュンイチがみほをからかっているのは間違いないのだが、
「柾木くん、ぶっきらぼうに見えてすごく優しいよ!
 さっき私が名前呼ぶ・呼ばないで変なリアクションしちゃった時もやんわりフォローしてくれたし。本当、変なこと言っちゃってゴメンね?」
「お、おぅ……」
 一切の裏もなく「優しい」などと言われてしまった上に謝られた。思わぬカウンターにジュンイチもまた照れ臭くなって頬をかく。
「西住さんこそ素敵な方です」
「ぅえぇっ!? ぜんぜん、私なんてぜんぜんっ!」
 と、今度は華が参戦。彼女にほめられ、真っ赤になってブンブンと首を振るみほの姿に、成す術なく赤面させられた二人、ジュンイチと沙織がようやく一矢報いたかとこっそりガッツポーズし合っていると――
「五十鈴さんの方が落ち着いてて、芯が強そうで、それに大人っぽくて……すごくうらやましいな!」
「そんな……いつも堅苦しいって言われてしまって……」
「そうなの?
 私なんかみんなに『頼りない』って、前の学校じゃいっつも叱られてばっかりだったもの。
 どうしたら五十鈴さんみたいになれるんだろう……?」
「華道をずっとやってたから、そのせいかしら……?」
「へぇ、すごい!
 私もやってみたかったの! 女らしくて、華やかで、いいよねー!」
「は、はぁ……」
『あぁ……』
 ダメだった。ジュンイチや沙織よりはもちこたえたが、結局みほにほめちぎられて顔を赤くする華の姿に、ジュンイチと沙織はそろってため息をつく。
「こ、これは……けっこうキますね」
「でしょ? でしょ?」
「無意識天然の産物だから無邪気にこっちの懐に飛び込んできやがるからなぁ……なまじ裏がない分あしらいづれー……」
 まるで円陣でも組むように顔を突き合わせてヒソヒソ話を始めるジュンイチ達三人に対し、みほは居住まいを正して、
「三人とも、友達になってくれてありがとう」
 改めて礼を言うみほに、沙織と華は顔を見合わせ、みほへの微笑みをもって応えるが、
「んー……」
「何? 柾木くん、不満?」
「いや、そうじゃなくてだな……」
 ジュンイチは眉をひそめて首をかしげている。沙織にツッコまれるとそう答えてため息をつき、
「我ながら、今まで周りの人達はみんな『身内』か『それ以外』かで分類してたからさ……
 だから、改めて『友達』と言われると、何だろうな……何かこう、むずがゆい感じが……」
 そのジュンイチの言葉に、女性陣三人は顔を見合わせ、
『…………ぷっ』
「なっ、何だよ……?」
「柾木くん、それは、西住さんに『友達』って言ってもらえて、照れ臭いんですよ」
 いきなり笑われ、戸惑うジュンイチには華が答える。
「何? 柾木くん、友達ができて恥ずかしがってるの?
 男の子ってそーゆートコ見栄張るよね。一匹狼気取っちゃってさ」
「そういうんじゃねぇよ……こっ恥ずかしいのは否定せんが」
「え? 友達になれたことに照れてるんじゃないの?
 ……あ、わかった! 柾木くん、みほのこと好きなんだ! 友達よりも一歩進んだ関係になりたいのね!?」
「ふぇえぇぇぇぇぇっ!?」
「やめい」
 いきなり発想が飛躍した沙織の言葉に、みほが思わず顔を赤くして声を上げる――とりあえず彼女へのフォローは後回しにして、ジュンイチは沙織を軽くたしなめて――
「…………ん?」
 ふと、何かに気づいて教室の前方出入り口に視線を向ける――どうしたのかと沙織と華が(みほは未だオーバーヒート中)その視線の先を追うと、まるでそれを待っていたかのようなタイミングで三人の女子が入ってきた。
 単眼鏡モノクルをかけた黒のショートカットの子。
 セミロングの髪をポニーテールにまとめた巨乳の子。
 そして、そんな二人の間に、まるで二人を従えるように立つ、小柄で髪をツインテールにまとめ――手にした干し芋をポリポリと食べている子。
 モノクルの女子が小柄な女子に、“こちらを指さしながら”何かを告げる――それを受け、小柄な女子がこちらに向けて(干し芋を手にしたまま)手を挙げ、
「やぁやぁ、西住ちゃん」
『え――――?』
 名を呼ばれたのはみほだった。我に返るみほに、ジュンイチ達のみならず珍客の登場に気づいていた教室中の視線が集中する。
「え、えっと……?」
「真ん中の人がウチの生徒会長。
 それから、副会長と、広報の人……」
 戸惑う美穂に沙織が説明すると、そのとなりからさらに声が上がる。
「杏姉、桃姉、柚姉、どしたのさ?」
『え………………?』
「やーやー、ジュンイっちゃん!
 そういえばこのクラスだったね、奇遇だねー♪」
『えぇっ!?』
 ジュンイチの言葉に一同呆然、さらにジュンイチのことを愛称呼びで返してきた小柄な生徒会長――杏の言葉に二度ビックリ。そんな周囲にかまわず、杏はジュンイチのところまでやってきて、
「けど残念、今日用があって来たのは、ジュンイっちゃんじゃないんだよねー。
 と、ゆーワケで、西住ちゃん借りていい?」
「西住さんを……?」
 いったいみほに何の用なのか――杏の言葉に、ジュンイチは思わず沙織と顔を見合わせた。







「柾木くん、生徒会長達とどのようなご関係で?」
「お前ら……転入直後に杏姉から説明あったろうが。完全に忘れてるな、その様子だと。
 まぁ、いいや。どーせ西住さんも同じ疑問抱えてるだろうから、戻ってきた後でな」
 杏達はみほを連れて廊下へ――教室に残されたジュンイチは華の問いにそう答え、
「ただ……うん。
 武部さん。おのれの考えてるような関係じゃないってのは事前に明言しとくわ。だからそう瞳をキラキラさせるのヤメロ」
「えー?」
 明らかに色恋沙汰に結びつけて考えていたらしい沙織が不満げに声を上げる――が、そんな沙織をあしらいながら、ジュンイチの耳は廊下でのやり取りの声をしっかりと拾っていた。



「必修選択科目なんだけどさ――“戦車道”とってね」
「えぇっ!?
 あの……この学校は、戦車道の授業はなかったはずじゃ……」
「今年から復活することになった」
「私、この学校は戦車道がないと思って、わざわざ転校してきたんですけど……」
「いやー、運命だねぇ♪」
「必修選択科目って、自由に選べるんじゃ……」
「とにかくよろしくー」



 そこで会話が止まった。話が終わったと見て、ジュンイチは沙織や華と共に廊下をのぞき込み――
「ぅわ、レイプ目」
 焦点のあってない目で呆然自失といった様子のみほの姿に、正直それ以外の感想が浮かんでこなかった。



    ◇



 結局、その後みほが昼休み中に復活することはなかった。
 それどころか、午後の授業中も――とりあえず席にはつかせたものの、完全に心ここにあらずといった有様で、見かねた教師によって保健室に行くよう言い渡されてしまった。
 だが、そんなみほを心配して、沙織や華が仮病を使ってその後を追う――と、いうワケで、現在三人はそろって三つ並んだベッドの中にいた。
「……で、何があったの?」
「うん……」
 保険の先生が出ていくのを確認し、沙織が尋ねる。対し、ようやく再起動したみほが布団の中から顔を出して――

 ――コンコンッ。

「おーい、柾木だけど……入って大丈夫か?」
「あ……はい。大丈夫です」
 ノックと共にかけられた声に華が応えて――はて、と首をかしげたのは沙織だ。
(今……廊下からにしては聞こえ方がおかしくなかった?)
 具体的には声の聞こえてきた“方向”だ。廊下ではなく、別の方向から聞こえてきたような気がしたのだ。
 眉をひそめ、沙織は声がしてきたと感じた方を“見上げて”――
「ハァイ♪」
『〜〜〜〜〜〜っ!?』
 結果として沙織のカンは的中していた――天井の一角がパカッ、と天井裏側に取り外され、ひょっこり顔を出してきたジュンイチに真下のみほ達三人が驚く。かろうじて悲鳴を上げるのは耐えられたが、驚きのあまり三人とも心臓はバクバクだ。
「ちっ、ちょっ、なんでそんなところから!?」
「女子が三人ゾロゾロ入ってった上保健の先生まで出ていった保健室に真っ正面から突撃する勇気はオレにはない。
 風紀委員に目ェつけられるのはゴメンだよ」
 なんとか声を押し殺し、尋ねる沙織に答えると、ジュンイチは「よっ」とみほと華、二人のベッドの間に降りてくる。
「で、オレが現れた理由も気になってるんだろうけど……武部さんや五十鈴さんと同じ理由のはずなんだが?」
 言って、ジュンイチはみほへと向き直り、
「悪かったな。なんか杏姉がムチャ振りしちゃったみたいで」
「え? なんで柾木くんが謝るの?
 それに、『杏姉』って……」
「そうそう。副会長や広報の人にも同じような呼び方してたよね?
 どういう関係なの? いい加減教えてよ」
「どういうも何も……」
 いきなり謝られて戸惑うみほやそれに便乗してくる沙織に対し、ジュンイチは軽くため息をつき、
「もう半年になるし、学校じゃプライベートでの接点はそんなになかったから割と忘れられてるけど……思い出せよ。ウチの生徒会長、角谷杏は、曲がりなりにもオレの“保護者”なんだぜ。
 武部さんと五十鈴さんはその説明でだいたい通じると思うんだけど?」
 ジュンイチの指摘の通りだったようだ。彼の言葉に、二人が『あぁ』と納得する。
「で、副会長の小山柚子、広報の河嶋桃、両先輩もその縁で、と……」
「保護者……? 会長さんが……?」
「えっと、何て言ったらいいのかな……?」
「柾木くんは、この学園艦の“拾われっ子”なんです」
 首をかしげるみほにどう説明したらいいものかと考え込む沙織に代わり、華がみほに語り始めた。
「元々柾木くんは、学園艦の進路上の海上を漂流していたのを保護されたんです。
 そして、運び込まれた病院で記憶喪失であることが判明。経過観察の利便性などの理由からこのままこの学園艦に滞在した方がいいと判断されて、特例在校制度を使ってそのまま居つくことになったんです」
「え?
 じゃあ、柾木くん……記憶が……?」
 華の話に、みほはジュンイチへと気遣わしげな視線を向けて――
「――と、いうのが、対外的に通している“表向きの話”です」
「………………へ?」
 続く華の言葉に、その目がテンになった。
「え? 今の話……ウソ?」
「全部が全部、ってワケじゃないけど……ね。
 経過観察の話だって、そんなのカルテ引き継いで転院しちゃえば済む話でしょ?」
 沙織の言葉に、すっかり信じ込んでいたみほが「言われてみればそうだ」と納得する。
「じゃあ、記憶喪失の話は……?」
「オレ自身が、ちょいと面倒、且つややこしい事情を抱えてたりしたもんでね。
 で、目覚めたタイミングの関係で医者より先にそのことを知った杏姉が『こんなの正直に話したら窓に鉄格子のついた病院に一直線だ』って心配してくれて、それを避けるために記憶喪失のフリをすることを思いついたワケだ」
「その『面倒、且つややこしい事情』については、未だに何の説明もないんだけどねー」
「そりゃ、この話の一番のキモだからな」
 横から口をはさんでくる沙織にそう答え、ジュンイチは肩をすくめてみせる。
「ま、どうしても知りたきゃ、オレの家族にでもなるんだな」
「かっ、かかか、家族!?
 やだ、そんな、こんなところでそんな遠回しなプロポーz
「そのくらい重大な話だってことだよ」
「………………」
 盛り上がりかけたところをバッサリ一刀両断。ただの例え話だと釘を刺された沙織が沈黙する中、ジュンイチは改めてみほへと視線を戻し、
「で、そうやって骨を折ってくれた縁で、杏姉がオレの保護者って形に落ち着いたんだよ。
 まぁ、本来法的には未成年が誰かの保護者になるなんて不可能なんだけど……そこは基本みんな寮暮らしの学園艦ならでは、ってことで」
「まったく、あの時は本当に驚きましたよ。
 いきなり全校集会で柾木くんのことを話されて、『そういうふうにごまかしておいたから口裏合わせよろしく』なんて……」
「オレはむしろもその要請に対して誰も反発しなかったことの方が驚きだったけどな。
 なんたって女子校に男子ひとりブッ込もうってんだ。そのこと自体には反対してるヤツもいたし、絶対オレの記憶喪失がウソだってチクるヤツが出てくると思って警戒してたんだけどなぁ……まさかオレが動くまでもなく誰も密告しないとは思わなんだわ」
「なんだかんだで人望あるんだよねー、あの会長」
 ジュンイチの言葉に、その時のことを思い出した華が苦笑する。返すジュンイチやそこに加わる沙織のやり取りを聞いて、『あの会長のあの強引さは今に始まったことじゃなかったのか』と昼休みの一件を思い出すみほだったが、
「……と、まぁ、オレと杏姉の関係はそんなトコ。
 仮初とはいえ、“家族”が迷惑かけちゃったワケだし、ここは連帯責任でオレも頭下げとかなきゃダメかな、と」
 まるでみほの思考を見透かしたかのようなタイミングで、ジュンイチが話を本題に戻してきた。
「けど……さっきまでの様子を見た限り、その辺の事情を抜きにしても心配、かな。
 杏姉に戦車道を履修するように言われたの、そんなにイヤだったのか?」
「って、聞こえてたの……?」
「オレの耳の良さを甘く見てもらっちゃ困るね。
 防音加工もされてない壁一枚ごときじゃ、オレに会話を聞いてくださいってオープンにしてるようなもんさ」
 まさか聞かれていたとは――驚き、目を丸くするみほに、少しおどけた口調でジュンイチが答える。
「戦車道、って、アレですよね……?
 古くから伝わる、乙女の武道の……」
「う、うん……」
 と、今度は華が話に加わってきてた。尋ねる華にうなずくみほ、二人のやり取りを前に、ジュンイチは件の“戦車道”についての知識を記憶の中から引っ張り出していた。



    ◇



 戦車道。
 その名の通り戦車を“武具”として闘う“武道”である。
 現在こそ近代兵器の戦車を用いているがその歴史は古く、近代化の前は馬上なぎなたや馬で引く戦闘車両、いわゆるチャリオッツがその役目を担っていたという。
 そしてもうひとつ、この武道の大きな特徴と言えるのが、この武道が“女性向きの武道”とされている点である。
 なぜそんなことになっているのか?――それは、この世界における戦車の歴史にその原因があった。

 戦車道の歴史が長いことからもわかる通り、この世界において戦車という“兵器”は古くからこの世界の兵器史の中で一般的なものとして認知されてきた。
 だが――その、ジュンイチ達の世界に比べて著しく早かった兵器としての台頭が、逆に男子の間での戦車の普及に待ったをかける事態を招いてしまう。

 当時全盛を誇り、現代においても時折語られる「男子とはかくあるべき」という概念――すなわち武士道や騎士道。一対一の正々堂々とした戦いを重んじるその考え方の前には、複数人で運用する戦車は「ひとりでは戦えない惰弱の輩の使うもの」としか捉えられなかったのだ。
 結果、男性軍人から敬遠された戦車は当時から軍内でもそれなりに市民権を得ていた女性軍人達の部隊に流れていくことになる――そしてさらに、そうして配備された女性部隊の間で「腕力で劣る自分達に男子と肩を並べられるだけの力を与えてくれるもの」としてもてはやされたことがそうした傾向に拍車をかけた。

 こうして、戦車は女性が扱うべき兵器としての地位を確立していくこととなる。そして、戦争が近代化され一対一の正面対決よりも集団戦闘が重んじられるようになってからもそれは続いていった。
 一方で近代化に伴い多くの武術が人を殺す“術”から人として己を高める“道”へと姿を変えていった――そんな流れの中、同じように戦車の運用術から昇華された、戦車を用いた集団対戦型の武道、それが戦車道である。



 なお、そうして戦車道が生まれたのと同じように、男子の間でも戦車を助け、戦車に助けられ、戦車と共に戦う随伴歩兵の戦術が武道化した“歩兵道”が発達していくことになるのだが、それはまた別の話である。



    ◇



「でも、戦車道はウチの学校ではやってないはずでは……」
「今年度から復活するって……」
 ジュンイチがそんなことを思い返している間にも、みほ達の話は続いている。首をかしげる華に、みほは顔の下半分まで布団に潜ったままそう答える。
「でも、なんでみほに戦車道やれって?」
「えっと、それは……」
「何かの嫌がらせ?
 ……あ、わかった! 生徒会の誰かと三角関係? 恋愛のもつrあたっ!?」
 またもや色恋方面に思考がすっ飛びかけた沙織の言葉が途切れる――ジュンイチのツッコミの手刀が彼女の頭を軽くはたいたからだ。
「ちょっ、乙女の頭をそんな簡単に!?」
「されるようなことしてるからだ。
 ったく、何かにつけて色恋沙汰に結びつけやがって……」
 口をとがらせる沙織に答え、ジュンイチはため息をつき、
「是非戦車道を選択するよう乞われるなんて……もしかしてみほさん、数々の歴戦をくぐり抜けてきた戦の達人なのでしょうか?
 タイマン張ったり、暴走したり、カツアゲしたrはうっ」
「おのれはおのれで、『戦の達人』にどーゆーイメージ持っとんじゃ」
 今度は華にジュンイチの飛ばした指弾(消しゴム)が炸裂した。かわいらしく額を抱える華をよそに、ジュンイチはみほへと向き直り、
「……オレから話そうか?」
「え……?」
「オレの“地元”には戦車道なんてものはなくてな……興味を持って、その歴史から近況まで軽く調べたことがある。
 その時に見かけた名前に、今この時すげぇ心当たりがあってさ……オレの考えてる通りなら、“そういうこと”なんだろ?」
「う、うん……でも、大丈夫。
 私から話すよ……心配してくれてありがとう」
 ジュンイチにそう答え――しかしそれでもしばし言い淀んでいたみほだったが、やがて意を決して語り始めた。
「実は……私の家は代々戦車乗りの家系で……」
「まぁ」
「へぇ」
「でも、あまりいい思い出がなくて……私、戦車を避けてこの学校に来たワケで……」
 話していていたたまれなくなってきたのか、みほは布団を頭からかぶって――
「だったらムリにやらなくていいじゃん」
「え……?」
 沙織のその言葉に、思わず布団から顔を出した。
「だって、今時戦車道なんてさ……女子高生がやることじゃないよ」
「生徒会にお断りになるなら、わたくし達も付き合いますから」
 沙織と華の言葉に、幾分気が楽になったのだろう。みほの表情が和らいだように見えて安堵の息をつくジュンイチだったが、この空気の中にいて巻き込まれないはずもないワケで――
「当然、柾木くんも行くよね?」
「おいおい、杏姉の身内のオレに、あの人の敵に回れって?
 ……と言いたいところだけど、さすがに今回はあの人が悪いわ。西住さんの意思を無視しすぎだ」
 ジュンイチの言葉に、心強い味方を得たと顔を見合わせる沙織と華だったが、
「けど残念。オレは保留ってことで」
「えぇっ!? 何で!?」
「やっぱり気になるんだよ、杏姉のあの強引さが。
 まだ半年程度の付き合いだけどさ……勢いこそ強引でも、本当に相手の嫌がることをやる人じゃないってのはオレにもわかる――『なんだかんだで人望ある』って言ってた武部さん達だってそこは同意だろう? 何しろオレよりも半年長くあの人のことを見てるんだし」
「そ、それは……」
「だからこその様子見。
 杏姉の真意を見極めたい……あ、もちろん状況の動きがそれを待ってくれないようなら助けに入るからさ」
 心当たりがあったらしい。眉をひそめる沙織にジュンイチが答えると、そこで授業の終了を告げるチャイムが聞こえてきた。
「授業、終わってしまいましたね……
 せっかくくつろいでましたのに……」
「いやくつろぐなよ。曲がりなりにも病気ってことでここに来てんだろお前ら」
 華のつぶやきにジュンイチがツッコむと、そこでふと沙織が気づいた。
「そういう柾木くんは何て言って抜け出してきたの? トイレ?」
「ん? 何も言わずにこっそり抜け出してきたけど?」
「いや、それこそ問題じゃないかな!?」
「大丈夫だろ、そもそも気づかれずに出てきたし」
「……柾木くんの席って、確か窓際の真ん中辺りだよね……?」
「柾木くん、忍者か何かですか……?」
 平然と答えてのけるジュンイチに沙織と華が呆れ半分にツッコんで――と、そこで校内放送を知らせるブザーが鳴り響いた。
 そして聞こえてきたのは、生徒会広報、河嶋桃の声だ。曰く――



〈全校生徒に告ぐ。
 体育館に集合せよ。体育館に集合せよ――〉



    ◇



 いざ体育館にやってきてみると、そこはすでに先にやってきていた生徒達でごった返していた。
 とりあえずクラスごとに整列する必要はなさそうなので、空いているところを見つけて適当に腰を下ろすことにした。並びは左から華、ジュンイチ、みほ、沙織の順だ。
「えっと……いったい何が……?」
「さぁ……何だろうね」
「ウチの生徒会のやることですから……」
「……みんな慣れっこなんだ……」
「残酷なことにな」
 沙織や華の答えに苦笑するみほにジュンイチが答える――ふと前方に視線を向けると、前の方、ステージのすぐ目の前の辺りは人もまばらだ。「やっぱり前の方にはみんな出たがらないか……」などとどうでもいいところで納得していると、壇上に生徒会の三役が上ってくるのが見えた。
「静かに!
 それでは今から今年の必修選択科目の内、新たに加わった戦車道についてのオリエンテーションを行う!」
 桃の一声によって場が静まり返り、照明が落とされる――そして映写機によってスクリーンに映し出された、多少古めかしいフィルム映像と共に、生徒会副会長、小山柚子がナレーションを読み上げる。

〈戦車道……それは伝統的な文化であり、古来より世界中で、女子のたしなみとして受け継がれてきました。
 礼節のある、しとやかで凛々しい婦女子の育成を目指す、武芸なのです!〉


 映像の中で、軍服を着た女性軍人達が戦車に乗り込み、走り出していく――そんな映像から、みほはずっと視線を逸らしていた。
 転校までして戦車道から離れようとした彼女にとって、このオリエンテーションはどうしてもイヤな記憶を思い出させる。あのまま保健室で休んでいればよかったかと少しばかり後悔する。
 と――そんな彼女の右腕が軽く小突かれた。顔を上げると、ヒジで彼女を小突いたジュンイチが何かを差し出してきた。
 指先くらいの大きさの、柔らかな塊が二つ――ゴム製の耳栓だ。
 この状況でこれを差し出されるということ、その意味を推し量るのは簡単だった。
(聞きたくないなら着けてろ……ってことだよね、これ……)
 きっと気持ちが顔に出ていたのだろう。それで気を遣ってくれたのだろうが――正直「そこまでやるか」という気持ちの方が先に立った。そもそもどうしてそんなものを持ち歩いてるのかという疑問を押し殺しつつ、手で押し返すようなジェスチャーで丁重にお断りし、それを受けて引き下がったジュンイチは耳栓を懐にしまい込む。

〈戦車道を学ぶことは、女子としての道を極めることでもあります
 鉄のように熱く強く、それでいて無限軌道のようにカタカタと愛らしく、そして大砲のように情熱的で、必殺必中!〉


 そこで、映像の中の戦車が発砲。轟音が響く――突然のことに体育館のあちこちで驚きの気配がふくれ上がるのを、ジュンイチは感じ取っていた。
 このオリエンテーションに対する周囲のリアクションが気になり、気配を探っていたのだ――故に、気づいた。

〈戦車道を学べば、必ずや良き妻、良き母、良き職業婦人になれることでしょう。
 健康的で優しくたくましいあなたは、多くの女性に好意を持って迎えられるはずです!〉


 ――ピクッ。
 柚子のナレーションに、沙織が明らかに反応したことに。

〈さぁ、みなさんもぜひ、戦車道を学び、心身ともに健やかで美しい女性になりましょう!〉

「………………」
 先ほどの砲撃のシーンからずっと、華がスクリーンの映像に熱っぽい視線を向けていることに。
 映像が終わり、照明が灯る――明るくなってようやく友人二人の変化に気づいたみほが戸惑っている一方で、壇上には再び生徒会の三役が上っていた。
「数年後、戦車道の世界大会がこの日本で開催されることになった。
 そして、それに備えた人材育成の観点から、戦車道に力を入れるよう、文科省から全国の学校に通達があった」
「と、ゆーワケで、ウチでも戦車道復活させたから、ヨロシクー」
 桃の説明に続き、杏があっけらかんと話をまとめる。
「もちろん、タダでとは言わないよ。
 しばらくやってなかったところにいきなり『力入れろ』なんて言われても困るしねー。だから、受けてくれた子にはいろいろ特典あげちゃうよ――副会長」
「成績優秀者には食堂の食券100枚、遅刻見逃し200日、さらに、通常の三倍の単位をあげちゃいます!」
 杏に話を振られた柚子の言葉にどよめきが広がる――当然だ。こんな条件、破格にもほどがある。
 当然、ジュンイチも眉をひそめる――が、
「いい女になれる……モテモテ……♪」
「力強くて……いいですわね……♪」
「えっと、えっと……」
「………………」
 とりあえず、オロオロしているみほをよそにトリップしたままの沙織と華、この二人を現実に連れ戻すところから始める必要がありそうだ――ツッコミチョップをお見舞いすべく、ジュンイチは無言で両の手刀を振り上げた。



    ◇



「私、やる!」
 オリエンテーションが終わり、生徒達は皆体育館を後にする――ジュンイチのツッコミチョップの余韻で脳天からプスプスと煙を上げつつ、沙織は共に歩くジュンイチ達に宣言した。
「え、え……?」
「最近の男の子は、強くて頼れる女の子が好きなんだって!
 それに、戦車道をやっていればモテモテなんでしょ!?」
 「今時戦車道なんて」とか言っていたのは誰だったのか――オリエンテーションの映像にすっかり釣られてしまっている沙織の勢いに押されるみほだが、今の彼女がそんなみほの困惑に気づくはずもない。
「みほもやろうよ! 家元でしょ!?」
「……私は……やっぱり……」
「そうですよね。
 わたくし、西住さんの気持ち、よくわかります」
 挙句の果てに、嫌がっていたのも忘れてみほまで誘い始めたところにフォローを入れてくれたのは、沙織と同じくツッコミチョップの余韻で脳天からプスプスと煙を上げている華だ。
「ウチも、華道の家元なので……」
「そうなんだ……」
 彼女もまた家の伝統を継ぐべき身の上だったのかと、「気持ちはわかる」と言ってもらえた安堵も手伝って、みほの表情が明るくなり――
「……でも、戦車道って素晴らしいじゃありませんか」
「………………え?」
 またもや話がおかしな方向に転がり始めた。
「わたくし、実はずっと、華道よりもアクティブなことがやりたかったんです」
 そんな、戸惑うみほにそう告げると、華は立ち止り、改めてみほへと向き直り、
「わたくしも戦車道、やります!」
「えぇっ!?」
「西住さんもやりましょうよ。
 いろいろご指導ください」
「あ、えっと……」
「みほがやれば、ぶっちぎりでトップの成績取れるよ!」
 華までもが戦車道をやると言い出し、さらに沙織もそれに便乗。二人に誘われ、みほは困り果てて視線をさまよわせて――

 ――ぐわしっ。

 突然、沙織と華、二人の頭が後ろから鷲づかみにされた。
「お、ま、え、らー? ちょっといいかなー?」
 二人の背後に回り込んだ、満面の笑みを浮かべたジュンイチの仕業だ――が、それが感情を押し殺しているが故の笑みであることはみほにもすぐにわかった。
 と言うか、ぶっちゃけ怖い――恐い、ではない。怖い。ホラー映画などのあの恐さではない。子供の頃、はしゃぎすぎてちょっと“やんちゃ”をしてしまって母から怒られた時の、強烈なプレッシャーにさらされている時特有のあの怖さだ。
「お前ら……午後の授業リタイアした西住さんに付き添ったよなー?」
「う、うん……そうね」
「で、その時にある程度の事情も聞いたよねー?」
「そ、そうですね……」
「だ、っ、た、ら」
 二人の答えに、ジュンイチのこめかみに血管マークが浮かび、
「どーしてっ、嫌がってる西住さんを勢い任せに戦車道に引っ張り込もうとしてるのかなーっ!?」
『いたたたたっ!?』
 放つ言葉と共に両の手の力を増した。背後からのアイアンクローによって、鷲づかみにされた二人の頭蓋がミシミシとイヤな音を立てる。
「そ、そうでしたね! わたくしったら、つい……っ!」
「うん、そうだね! ごめんね、みほ!
 と、ゆーワケで柾木くんっ! この両手の力を緩めてくれたら、私達、お互いにとっても幸せになれると思うんだけどなーっ!?」
「ん」
 華と沙織の言葉に、ジュンイチはパッ、と二人を放した。後頭部へのアイアンクローから解放された二人がストンッ、と着地する――いつの間にか持ち上げられもしていたらしい。
「うう……ツッコミのチョップといい、女の子になんてマネを……まぁ、どっちも私達が悪いのはわかってるからあまり強く言える立場じゃない自覚はあるけどね。
 でも、もうちょっとオシオキの方法は考えた方がいいと思うよ?」
「そうか?
 そっか、今ので普通の子はやりすぎなのか……ゴメンな。つい杏姉達にやるのと同じ感覚でやっちまった」
「…………え……?」
 沙織に指摘され、素直に謝るジュンイチだったが、その言葉の中にいろんな意味で聞き逃せない部分があるのをみほは聞き逃さなかった。
「会長達にもやってるの? 今の……」
「ここまでやらなきゃ止まらねぇんだよ、あの人達。
 それに、その場は止められても反省自体は少しもしねぇし」
 尋ねるみほに、ジュンイチはため息混じりに肩をすくめた。
「なんつっても、あの三人だけだと止める人間がいないからさぁ。左右の二人がイエスマンすぎるんだよ。
 それでも生徒会の仕事とかだとまだ職務倫理が働いてるみたいなんだけど、プライベートで何か始めると完全にタガが外れてブレーキ知らずの暴走特急と化すからなぁ。
 おかげで、この半年で“発案・杏姉⇒決行・桃姉⇒煽動・柚姉⇒鎮圧・オレ”の流れがすっかりテンプレ化しちまった」
「え、えっと……苦労してるんだね……」
「西住さんこそ。
 戦車道やりたくなくて大洗に来たってのに、転入早々戦車道が復活した上、無理矢理やらされそうになってるんだからさ」
 ジュンイチにあっさりと話題を本題にへと引き戻され、みほの苦笑が凍りついて――
「ま、気にすんなよ」
 そんな一言と共に、みほの頭にポンッ、とジュンイチの手が置かれる――数秒の間をおいて、撫でてくれている、落ち着かせようとしてくれているのだと気づく。
「やりたくないなら断ればいいよ。
 杏姉達のことなら気にすんな――保健室で言ったろ? 本当に静観してられないくらいの状況になったら、ちゃんと手助けしてやっからさ」
「で、でも……」
「何? 杏姉の身内のオレは疑わしい? それとも杏姉に盾つくことになるオレを気遣ってくれてる? はたまた経験を買ってくれた生徒会に申し訳ないとか?
 まー、そこは別にどうでもいいよ。どんな理由にせよ、やりたいと思えばやればいいし、やりたくないならやらなくていい。
 どんな思惑がどれだけ絡んでいようが、結局はそれだけの話だよ」
「う、うん……」
 ジュンイチの言っているのは無条件の味方宣言ではない。あくまでもみほ自身が決めることが大前提であり、ジュンイチはそれを支持するのみ。そういうことだ。
 だが、その「みほ自身が決める」というのがまた難題なのだ。果たして自分に決められるのだろうかと、みほは自信なさげに視線を伏せるが、
「ま、だからといって全部丸投げは少しばかり薄情か。
 だから――アドバイスをひとつだけ」
 そんなみほの心情も、目の前のこの男にはお見通しだったようだ。頭を撫でてくれていた右手で、ジュンイチはみほの鼻っ柱に人さし指を突きつけ、告げる。
「保健室で言ってたよな――『戦車道にはあまりいい思い出がなくて……』って」
「う、うん……」
「そう――『あまり』だ。
 『まったくなかった』とは、西住さんは言わなかった」
「…………あ……」
 ジュンイチの指摘に、みほの目が大きく見開かれた――無自覚の上でのことだったのだろうというジュンイチの直感はどうやら正解だったようだ。
 だから――たたみかける。
「今のやり取りだってそうだ。
 オレが武部さんと五十鈴さんを止めた時点で、西住さんが戦車道を避けるのを阻むものはなくなっていたはずだ――もちろん、最初から断ることが前提だった生徒会の言い分は論外だ。
 けど……オレに決断を促された時、西住さんは即決できなかった。『戦車道をやらない』って選択肢を選ぶことにためらいがあった」
 そして、ジュンイチは一呼吸、自分の言っていることをみほが理解するのを待って続けた。
「西住さんに自覚がないだけで……まだ残ってるんだよ。
 戦車道にまつわる、楽しかった思い出や、その思い出をくれた戦車道を否定したくないって想いが」
「だから……戦車道をやれって?」
「まさか。
 それを言ったら、さっきまでの話と矛盾しちゃうでしょうが。
 言ったろ? 『やりたくないならやらなくていい』って」
 不安げに聞き返すみほに答えて、ジュンイチは笑いながら肩をすくめて――そこから一転。真剣な表情で告げる。
「けど……そういう『戦車道は楽しい』って想いと、今西住さんの中で大半を占めてる『戦車道をやめたい』って想い、この二つを天秤にかける――これだけは、絶対にやらなくちゃダメだ。
 どっちを選ぶにしても、それをやらずにその場の勢いで短絡的に決めたりしたら……後々絶対後悔する。
 オレ達に対しても強く出られない西住さんの性格から察するに――やってないだろ?
 何が原因かはこの際置いておくとして……『やめたい』と思わせる出来事があって、その想いに背中を押されるまま大洗に来た――違う?」
 ジュンイチの言葉に、みほは反論することができなかった。
 彼の言う通り――あったから。戦車に乗っていたからこその思い出が。
 彼の言う通り――去年の“あの出来事”から、いたたまれなくなって、逃げるように戦車道のなかったこの大洗に転校してきたのだから。
「だから今、改めてもう一度、考えてみることをことをオススメするよ。
 考えてみて――楽しかった思い出をかなぐり捨ててでも戦車道をやめたいって言うなら、誰が何言おうがやめればいいし、オレだって何も言わないし、言わせない」
 逆にまた戦車道がやりたくなったなら、全力でそれを支えてやる――そうも考えていたが、そちらについては言葉にしない。この流れでそれを言ってしまうのは、みほに戦車道をやれというプレッシャーに受け止められかねないからだ。
 決めるのはあくまでみほでなければならないのだから、ここで余計なプレッシャーはかけるべきではない。背中を押すのは、道を決めた彼女がその道を往く、その手助けをする時だ――と、そこまで考え、ジュンイチははたと気づいた。
(そういえば……もし西住さんが戦車道に復帰するにしたとして……)
 その時、自分が彼女の背中を押そうとした時、確実に問題になりそうなことがひとつ。
 それは――



(……男でも、戦車道の公式戦って出られるのかね?)



    ◇



 海の上を行く学園艦と言えど、何かしらの行事で遠出でもしない限りは本籍地の近海に行動範囲が限定されているのが実情であるため、気候などは基本的に本土のそれと大して変わらない。
 なので、季節は普通に春先相当。桜が散り、次に待つのは初夏か梅雨かといった風情だ――まだ少し寒さを覚える空気と、確かに日々暖かさを増している日差しが同居した朝の住宅街。
 あれやこれやあった一日から日は改まり、今日もまた学校に行く時間がやってきた。昨日のことを引きずっているのか、浮かない顔でみほは自分の暮らす寮から出てきて――
「よっ」
「え…………?」
 突然声をかけられた。うつむいていた顔を上げてみれば、そこにいたのは――
「まるで世界の終わりみたいな顔してんな。
 念のため待ちかまえてて正解だったか」
「柾木くん……?」
「ひでぇ顔してんぞ。
 学校行く前に、どっかで顔洗った方がいいな――確か途中にコンビニがあったな。あそこでいいか」
 意外な相手の登場に戸惑うみほをよそに、ジュンイチはひとりで話を進める――そんなジュンイチの姿に、みほは少し遅れて気づいた。自分を心配して、登校前に立ち寄ってくれたのだと。
「それとも、今すぐ回れ右して自分の部屋で――」
「あ、あのっ」
「――って、ん?」
「えっと……ごめんなさい。心配かけちゃって……」
「気にすんな。オレなりのアフターフォローってヤツだ。
 一部ハッパかけたのはオレだからな。手ェ出してもかまわん範囲でフォローすんのは、ケツ引っぱたいた張本人の責任だよ」
 自分のためにと思うと申し訳なく、シュンと肩を落とすみほに答えると、ジュンイチは改めて彼女へと視線を戻し、
「で……その『ひどい顔』の原因が、オレに言われたことをちゃんと考えてきたからだと思うのは、オレのうぬぼれかな?」
「ううん……大丈夫。
 ちゃんと、考えてきたから……」
 答え自体はしっかりと返ってきた。その上でその浮かない顔――彼女の出した“答え”を察するには十分すぎた。
「……ん、そっか。
 西住さんが自分で決めたことなら、オレはそれを支えてやるまでだ」
 だが――彼女が通すべき筋については言及しておく。
「じゃ、武部さん五十鈴さんへの説明はがんばれな」
「う……やっぱり、そこはそうだよね……」
「当然だろ?
 オレは支えるだけ――口火を切るのは西住さんの役目だよ」
 そう答えると、ジュンイチは改めてみほに部屋に戻って顔を洗ってくるように促した。



    ◇



 ……と、いうワケで、みほはジュンイチに指摘されたことを踏まえて、もう一度よく考えてきた。
 その“答え”とは――
「……ごめん、二人とも……
 私……どうしても戦車道をやりたくなくて、大洗ここまで来たの……」
 香道の欄に○印がつけられた希望調査票だった。誘ってくれた沙織や華に申し訳なくて、視線を合わせられないまま告げるみほに対して、二人は顔を見合わせ、
「……みほさんが決めたことでしたら、仕方ありませんわ」
「ごめんね、迷わせちゃって」
 そう言うと、二人ともおもむろに自分の希望調査票を取り出した。何をするつもりなのかと見守るみほの目の前で、戦車道の欄に書かれた○印を訂正。香道の欄に改めて○印をつける。
「わたくし達も、みほさんと同じものにしますね」
「そんな! 二人は気にせず戦車道やって!」
「やっぱり友達と一緒がいいじゃない」
 華の宣言にあわてるみほだが、そんな彼女を沙織がなだめる。
「それに、わたくし達が戦車道をやると、西住さんに思い出したくないことまで思い出させてしまうかもしれませんし……」
「私、好きになった相手の趣味に合わせる主義だから大丈夫!」
「いや、それもそれで理由としてどうなのさ……」
「……柾木くんがそれを言う?」
 ツッコんでくるジュンイチにそう返して、沙織は自分の席に座る彼の方を見て、
「自分の分の希望調査書くのすっかり忘れてて、今頃になって仙道と忍者道どっちにするかでウンウン悩んでるクセに」
「ぐっ……
 し、仕方ないだろ。昨日はちょっと調べ物してたのが思いの外時間かかっちまったんだから」
「それは、調べ物を始める前に記入を済ませておけばよかったのでは……?」
「そうそう、自業自得だよねー」
「うぅっ、何ひとつ言い返せねー……」
 華と沙織に言い返され、ジュンイチは反撃もままならず机に突っ伏すのだった。



    ◇



 午前の授業も終わり、昼休み――みほ達は、今日もまた学食で昼食をとることにした。
 昨日からの流れで誘われ、ジュンイチも同席している――ちなみに選択科目はエンピツ転がしにすべてを託した結果仙道に落ちついたらしい。
 それはそれとして、今日は食堂がやけに騒がしい。人の入り具合は昨日とさほど変わらないから、原因は人数ではなく各自の会話の勢いだろう。
 このタイミングでそこまで話題をさらうネタがあるとすれば――とジュンイチが聞き耳を立ててみれば、やはりと言うか話の大半は戦車道についてだった。
 その大部分が“あまりの破格の見返りを怪しんで履修を見送った”系の意見で占められている。後ろの一年生グループなどは履修することにしたと言っているが、他にそうした声はほとんど聞かれない。
 みほに声をかけてきた件と併せて考えれば杏は本気で戦車道に人を集めたくてあんな破格の報酬を用意したのだろうが、残念ながらあまり効果は見られなかったようだ。
 一方、周りが戦車道の話題で持ち切りなせいでみほの表情は重い。そんな彼女を沙織や華が何とか元気づけようと関係ない話題を振っていて――
〈普通T科、2年A組、西住みほ。
 至急生徒会室まで出頭せよ。繰り返す――〉
 そんな沙織達の努力を木っ端みじんにしてくれたのは、桃の声で響いた校内放送による呼び出しであった。
「……やっぱり来たか。
 杏姉、本気で西住さんに戦車道をやらせたいらしいな」
「ど、どうしよう……!?」
「だ、大丈夫だよ、みほ!」
「わたくし達も一緒に行ってあげますから」
 そのタイミングでの呼び出しとなれば、用件は明らかだ。不安がるみほに沙織と華が同行を申し出て――
「じゃ、そっちは頼むわ」
 言って、自分の食べた定食のトレイを手に立ち上がったのはジュンイチだ。
「ちょっ、柾木くんは行かないの?」
「もちろん行くよ。
 約束したろ? 『状況が様子見を許してくれないならちゃんと手助けする』って。まさに今の状況がそれだろ」
 沙織にそう答えるが、そこで息をつき、真剣な顔で続ける。
「ただ、相手が口が達者な杏姉ってことを忘れちゃいけない。何の手もなく行っても押し切られるだけだ。
 だから……通用するかどうかはわからないけど、せめて一手は打っておきたい。
 すぐ追いつくから、三人はそれまでなんとか持ちこたえて」
「それはわかりましたけど……手を打つって、どこへ……?」
 今度は華が聞き返してくる――対して、ジュンイチはあっさりと答えた。
「職員室だ」



    ◇



「これはどういうことだ?」
 生徒会室にやってくるなり、桃によって突き出されたのは、香道の選択されたみほの選択科目の希望調査票――やはり、呼び出しの用件は予想通りのようだ。
「なんで選択しないかなぁ」
「我が校、他に戦車経験者は皆無です」
「終わりです、我が校は終了です……」
「勝手なこと言わないでよ!」
 好き勝手なことを話す生徒会の三人に真っ先にかみついたのは沙織だった。
「そうです。
 やりたくないと言っているのに、無理にやらせようと言うのですか?」
「みほは戦車やらないから!」
「西住さんのことはあきらめてください」
 華も加わって二人でみほをかばうが、杏も退くつもりはないようで、サラリと一言。
「そんなこと言ってると、アンタ達、学校にいられなくなっちゃうよ?」
「な――っ!?」
「脅すなんて卑怯です!」
「脅しではない。会長はいつだって本気だ」
「今の内に謝っちゃった方がいいと思うよ? ね?」
 言い放つ桃子のとなりで柚子が沙織や華をなだめようとしているが、彼女にしても話を穏便に済ませようとしているにすぎない。「謝った方がいい」と言動はあくまで生徒会寄りだ。
「ひどい!」
「横暴です!」
「横暴は生徒会に与えられた特権だ。
 人の上に立つ者には、時として個人の意思を踏みにじってでも全体のために動かなければならない責任がある――そのための権利だ」
「みほに無理矢理戦車道やらせることが、どうして全体のためになるっていうの!?」
「学園のためなら、西住さんがどれだけ苦しんでもかまわないというのですか!?」
 桃が冷淡に言い放ち、沙織や華も毅然と言い返す。両者は互いにヒートアップの一途を辿り――
「まーまー、どっちもそうエキサイトしないで。
 ひとまず茶でも飲んで落ちつこうぜ、な?」
「今それどころじゃないでしょ!?」
「そうです! 西住さんの今後がかかってるんですよ!?」
「こちらとしても退けるものか! お前は黙って……」
 沙織、華、桃の順に言い返して――桃の番で言葉が止まった。三人が、そして杏や柚子、みほも含めたその場の全員が“そちら”へと視線を向けて――
「ハァイ♪」
 注目を浴びても動じることなく、ジュンイチは人数分の湯呑みを乗せたお盆を左手一本で支え、右手を軽く挙げてあいさつする。
「柾木くん!?」
「柾木!? お前、どうして――!?」
「まーまー、落ちつこうか、って言ったでしょー?
 あ、五十鈴さん、パス」
「え? あ、はい?」
 驚く沙織や桃にかまわず、お盆を華に預けたジュンイチは懐を探りながら杏の座る会長席へと向かい、
「はい、コレ」
 軽い物言いとは裏腹に、バンッ!と力強くそれを杏のデスクに叩きつけた。
「ん? 何?」
「先生に確認をとった。
 まだ今日中なら変更できるみたいだね――希望が変わったから再提出」
 ジュンイチの答えに、杏はそれをジュンイチから受け取った。
 選択科目の希望調査票だ――“戦車道の欄に○印がつけられた”。
「西住さんの代わりに……オレがやる」
『えぇっ!?』
「西住さんを欲しがったのは、要するに戦力が欲しかったんだろ? 経験者である、西住さんの力が。
 そういうことなら、望んだ形とは違うだろうけど、オレは十分に代役を果たせる――西住さん達には話してないけど、杏姉達は知ってるだろ? オレの“経歴”」
「ちっ、ちょっと待て!
 お前、男だろ! 男が戦車道なんて――」
 驚く一同の中、いち早く復活、反論してきた桃に手帳サイズの小冊子が投げ渡された。
「ルールブック。
 よく読めよ――『男が参加しちゃダメ』なんて規定はないぜ」
 桃に告げると、ジュンイチは今度は杏へと向き直り、
「もちろん、公式戦だって同じだ。
 誰もやらないってだけで、男の参加も公式に認められてる――実際、近代戦車道黎明期にはかの古豪・黒森峰ですら男子高等部との合同の男女混成チームを組んでいた記録が残ってる。
 ゆうべ、日付が変わるまで何度も確認したからな――間違いないぜ」
「え――――?」
 その言葉に、みほは朝のジュンイチの言葉を思い出した。

『昨日はちょっと調べ物してたのが思いの外時間かかっちまったんだから』

(柾木くん、このために……)
 ジュンイチは読んでいたのだ。生徒会が自分のことをあきらめないだろうと。
 だから、そうなった時のために、抜け道を見つけ出していたのだ――すなわち、自分が身代りに戦車道に参加するという抜け道を。
(でも、それじゃあ柾木くんが……)
 だが、それはジュンイチがみほのために自分の希望を棚上げし、撤回したことを意味している。そしてさらに、そのことが彼よりも先に自らの希望を撤回した二人のことを思い出させる。
(沙織さん……華さん……
 二人も、本当は戦車道をやりたかったのに、私に合わせてくれて、私を、かばってくれて……その上柾木くんまで、私のために……っ!)
 自分がどうするべきか――どうすれば三人を守ることができるのか。そのために自分にできることは何か――頭の中では、とうに答えは出ていた。
 だが、その手段を選ぶことはどうしてもためらわれた。なぜなら、その方法は――
(私、どうしたら……!?)

『楽しかった思い出をかなぐり捨ててでも戦車道をやめたいって言うなら、誰が何言おうがやめればいいし……』

(――――っ!)
 瞬間、ジュンイチに言われたその言葉が脳裏によみがえった。
 そうだ。ジュンイチは言っていた。「やりたい」という想いと「やりたくない」という想いを比べて、より強い想いを取ればいいと。
 なら、自分は今どう思っているのか。
 今、自分の中で大きくなっているのはどちらの想いか。
 自分の「戦車道をやりたくない」という想いを支持してくれたために、今三人の友達が非常に立場を悪くしている――友達をこんな苦境に追いやってまで、自分は戦車道を回避したいのか。
 今自分は、それでも戦車道をやりたくないと思っているのか、それとも――

「――あ、あのっ、私っ!」

 気づけば、声に出ていた――突然話に割り込まれ、一同から注目を浴びることになって一瞬口ごもるが、それでも懸命に自分を奮い立たせ、杏達を正面から見返し、告げる。
「私――」







「戦車道、やります!」



    ◇



「本当によかったんですの……?」
「ムリすることないんだからね?」
「うぅん、大丈夫」
 気遣い、声をかける華と沙織に、みほは今朝よりも幾分スッキリした様子でそう答える――帰り道、立ち寄ったアイスクリームショップでのことである。
「私……嬉しかった。
 三人が私のために一生懸命……私、そんなの初めてだった……
 ……まぁ、柾木くんは、守り切れたかどうかわからないけど……ごめんね、結局戦車道やることになっちゃって」
「気にすんな。
 これはこれでメリットはある――食堂の食券100枚、ありがたく使わせてもらうさ」
 本当に申し訳なさそうに謝るみほに、ジュンイチが自分のアイスをつつきながら答える――そう。結局あの再提出はそのまま認められることになり、ジュンイチもまたみほ達と同じく戦車道を受講することになっていた。
「それに……約束しただろ? フォローしてやるって。
 こーなったら乗りかかった船だ。この一年、しっかりつるんでやろうじゃねぇか」
「……それはいいんだけどさぁ……」
 付け加えるジュンイチに対し、沙織がため息混じりに声をかけ、
「……そんなに距離とってないで、となり来たら?」
「オレとの関係についておかしなウワサが立ってもいいならな」
「気遣いはありがたいけど、話しにくいのよ」
「あ、あの、私は気にしないから……」
 みほがかまわないというので、ジュンイチは彼女達の背後のテーブル席から、彼女達の座る窓際の席に移動してきた。
「というかさぁ……オレとしては、話せば話すほど西住さんの交友観が心配になってくるんだが。
 名前で呼び合うだけではしゃいだり、自分の味方をしてもらえたらまたはしゃぎ……ンなもん“友達”だったら当然のことだろ。
 にも関わらずのあのリアクションだ。大洗に来るまでの交友関係薄すぎでしょ」
「あ、えっと……」
「思うに、西住さんは戦車乗りの本職の家系ということで、かしこまった扱いをされることの方が多かったのではないでしょうか……?」
 ジュンイチのツッコミに対してみほのフォローに回るのは華だ――そして、彼女の予測は正しかったらしく、みほはうなずき、続ける。
「う、うん……
 ずっとみんな、“家元の娘”としての私ばっかり見てて、私自身の気持ちなんて誰も考えてくれなくて……
 お母さんもお姉ちゃんも、家元だから戦車に乗るのは当然みたいな感じで……まぁ、あの二人は才能あるからいいんだけど……
 でも……ダメな私は……」
 きっとそれは、彼女の中で決して小さくないコンプレックスなのだろう。視線を伏せてしまったみほに対し、沙織と華はフォローしようと口を開――
「あぁ、ダメダメだな」
 ――くよりも早く、ジュンイチがキッパリと言い放った。
「って、柾木くん!?」
「追い込むようなこと言ってどうするのよ!?」
「そりゃ、追い込みたくもなるってもんだろうがよ」
 非難の声を上げる沙織達だが、ジュンイチは平然とそう答えた。
「だって、西住さん、オレ達が何の取り柄もないダメ人間を助けたと思ってんだぜ。
 自分をそんな無価値な人間だとでも思ってんのかね、コイツ。オレ達の人を見る目をバカにするなっつーんだ」
『え…………?』
「知り合って、話すようになってからこっち、西住さんはずっとオレ達のためを想って、オレ達のことを気遣ってくれた。
 そんな優しい西住さんだからこそ、オレは西住さんのことを助けたいと思ったんだ。武部さん達もそうだろう?」
 一転した話の流れに呆気にとられる女性陣をよそに、ジュンイチはみほへと向き直り、
「確かに、これといって明確な何かを成し遂げたワケじゃないかもしれない。
 けど、西住さんの小さな行動、優しさの積み重ねは、確かに人を動かした。
 それは、他の誰でもない、西住さんの持っている力だ」
「私の、力……?」
 つぶやくみほに、ジュンイチは自信に満ちた笑みでうなずく――まるで、その自信をみほに分けてあげようとしているかのように。
「才能のあるなしなんて些細な事さ。
 Aさんの持っている才能をBさんも持ってるとは限らないように、Bさんが持ってる才能をAさんも持ってるとは限らない――西住さんとお姉さん、お母さんもそれと同じさ。
 西住さんには西住さんの才能がある。それを見つけて、活かしていけばいいだけの話だろ」
「私の……才能……」
 ジュンイチの言葉に、みほはただそう繰り返すことしかできなかった。
 他に、何も言葉が思いつかなかったから――それほどまでに、ジュンイチの言葉が彼女にとって衝撃的だったから。
 “あの事件”以降、誰もがみほを責めた。みほのやったことを否定した。
 みほはただ、助けてあげたかっただけなのに、その先に待っていたのは、そんな想いも、彼女の優しさそのものすら蹂躙する厳しい現実だった。
 その重圧に耐えきれず、みほはかつての居場所から逃げ出した。戦車道に関わることすら苦痛で、戦車道が復活する前の大洗へとやってきた。
 しかし、ジュンイチはそんなみほの優しさを肯定した。
 みほの持つ力だと、強みだと言ってくれた。
 「こうあるべきだ」という考えを押しつけず、今の自分を認めてくれた。
 それは、前いた場所では決して望めなかったことで――
「みっ、みほ!?」
「え――?」
 沙織の上げた声に、ようやく気づく――自分の頬を流れる、涙の筋に。
「え!? ちょっ!? 西住さん!?
 なんで泣いてんのさ!? オレ、何かマズイこと言っちゃった!?」
「あ、ううん、違うの……
 ……あれ、おかしいな、悲しくなんて、ないはずなのに……?」
 いきなり目の前でみほに泣かれて、さすがのジュンイチも大あわて――しかし、彼には悪いがこの涙はしばらく止まりそうになかった。
 かつての自分を認めてもらえたその嬉しさが、あまりにも大きすぎたから。
 嬉し涙にして発散しなければ、とても受け止められないくらい、嬉しかったから――



    ◇



 それから数日が過ぎ、提出された希望調査を元に選択科目が正式に決定。ついにその授業初日がやってきた。
「ひのふのみぃの……18人。杏姉達のことだから言いだしっぺとして参加するだろうから、プラス3人で計21人、オレを入れて22人か。
 さて経験者さんや。この人数、多いの? 少ないの?」
「えっと……」
「遠慮はいらんぞ。言葉のオブラートは不要の方向で」
「う、うん……少ない、かな?
 いくらしばらくやってなかったって言っても、これは……」
「大々的に募集をかけたのがかえって裏目に出た形だな。
 ウワサを聞く限りでも、あの豪華特典にむしろドン引きしてるヤツの方が多かったし」
 指定された集合場所である、かつて戦車道が行われていた頃にはガレージとして使われていた資材倉庫の前で、自分達を含めた参加者達を数えたジュンイチは、みほとそんな会話を交わしながら改めて参加者ひとりひとりに視線を向けた。

 まず、早くも固まってグループを形成している一年生の六人組――どこか見覚えがあると思ったが、すぐに食堂で談笑しているのを何度か見かけた顔ぶれだと気づいた。
 そういえば先日も戦車道を受講することにしたと食堂で話していたっけ、と思い出す。元から仲良し六人組だったということか。

 次に、バレー部のユニフォーム姿の四人組――その内ひとりは同じ二年生として見覚えがあったが、残りは一年だろうか。
 というか、確かバレー部は今年度の頭に部員不足で廃部になったはずだが……

 だがそんな疑問すらたやすく吹き飛ばす強印象を放っているのがその次のグループだ。
 具体的には制服に加えての+αぶりが独特にも程がある――羽織を羽織っている者はまだいいとして、真田六文銭の額あてに弓道の胸当てをつけている者、旧ドイツ軍の軍服を羽織り、同じく旧ドイツ軍の軍帽をかぶっている者。
 残りひとりは赤いスカーフを巻いているだけだが、他の面々の傾向を考えるとアレは――
(……古代ローマ史か)
 とりあえず、一目で歴女の集まりだと看破するジュンイチであった。

 と、校舎の方からチャイムが鳴るのが聞こえてきた――授業開始5分前の予鈴だ。
「いよいよ始まりますわね」
「さらにモテモテになっちゃったらどうしよう〜♪」
「『さらに』っつーけど、今現在はどうなのさ?」
「………………」
「……スマン。オレが悪かったからしゃがんで地面に『の』の字をリピート書きするのやめてくんない?」
 痛いところを突かれたか、いじけ始めた沙織をジュンイチがなぐさめていると、
「全員そろっているな」
 聞き慣れた声に振り向くと、桃が杏、柚子と共に現れたところだった。
「ではこれより、戦車道の授業を開始する」
「あ、あのっ!」
 と、桃に対して手を挙げたのは先ほど見回した面々とは別のところにぽつんと孤立していた最後のひとり。おそらくそういうくせっ毛なのだろう。全体的に髪がはね気味な女の子だった。
「戦車はティーガーですか? それとも……」
「んー、何だったかなー?」
(…………?)
 返す杏の言葉に、ジュンイチが眉をひそめる――そんなジュンイチをよそにガレージの扉が開かれた。一同がその中に案内されて――



「……何コレ……」



 一年生の誰かが発したつぶやきは、まさに全員の気持ちを代弁したものだった。
「ボロボロ……」
「ありえない……」
 そう、さらに上った声の通り、そこにはボロボロの戦車が放置されているのみ。それも一両しかない。
(どういうこった……?
 完全に生徒会が仕切ってる辺り授業を見てくれる先生もいないみたいだし、戦車も数がそろってない上に唯一の戦車は整備もされていないスクラップ同然。
 トドメに杏姉はこのスクラップについてすらほとんど知らないときた……正式に授業として復活したにしてはあまりにも準備不足過ぎる……?)
「わびさびでよろしいんじゃありませんか?」
「あれはただの鉄サビ」
 さらに眉をひそめるジュンイチの脇で、華や沙織が話していると、困惑する一同の中から進み出てきたのは――
(西住さん……?)
 どうやら戦車の状態を確かめるつもりのようだ。ジュンイチも疑問の追求はとりあえず後回しにしてその後に続くことにした。
「旧ドイツ軍のW号か……でもこんな砲身短かったっけ……?」
「んー……柾木くんの言ってるの、ひょってしてF型から先のモデルじゃないかな?
 このモデルは、もっと前のD型」
 そんなことを話しながら、二人で戦車を調べて、
「……うん、装甲も転輪も大丈夫そう」
「履帯は完全に総取っ換えだな……
 ……あ、けど、転輪以外の駆動系も大丈夫そうだな……グリスがガチガチに固まってるけど、こんだけ放置してれば当然の状態だし、許容範囲内か。
 確かに、これならいけそうだ」
 みほとジュンイチの言葉に、一同の表情に光が差す――活気づく彼女達の気配を背中越しに感じ取りながら、ジュンイチは改めてW号戦車の砲塔を見上げた。
 杏が何を思ってみほを無理矢理戦車道に引き戻したのかはわからない。
 だが、みほは戦車道をやることを選んだ。ならば、自分は約束を守るだけだ。
 彼女の選んだ道を、支えてやるという約束を――


次回、ガールズ+ブレイカー&パンツァー

第2話「ちょっと無茶をやろうと思います」


 

(初版:2018/01/01)