「こんなボロボロでなんとかなるの……?」
「たぶん……?」
戦車道を履修するということで集められたはずなのに、そこにあったのはどう見ても倉庫の一角に“埋まった”ままのW号戦車が一輌だけ――さすがに素人目にも不安を覚えたらしい沙織だったが、それに応えるみほもどこか自信なさげだ。
「男と戦車は新しい方がいいと思うよ?」
「それを言うなら『女房と畳』では……?」
「同じようなもんよ」
「どこがじゃ。
あと、新品の戦車はオススメしないぞー。パーツが馴染むまで慣らし運転しようと思ったらどれだけ走らせることになるか……」
華のツッコミにもめげない沙織に応えるのは、W号の状態チェックを再開したジュンイチだ。
「それに、こいつだってあちこち劣化しちゃいるが手入れし直せば……っと、これは……」
やがてチェックは燃料タンクの辺りへ。コンコンと各部を叩きながら打音検査をしていたジュンイチが、燃料タンクの辺りで響きが悪いことに気づいて眉をひそめた。
深刻そうな顔で一同に向けて「しっしっ」と追い払うようなジェスチャー。その意味を察した杏が一同を下がらせるのを待ってから燃料油キャップに手をかける――が、ブシュッと中の空気がもれた瞬間「う゛っ」と顔をしかめてキャップを閉め直してしまった。
「な、何……?」
「ここまでものすごい臭いがしたんですけど……」
「たぶん……燃料タンクにガソリンが残ってたんじゃないかな……?」
ジュンイチの反応に首をかしげる沙織や自身の鼻をつまんでうめく華にはみほが答えた。
「だとすると、経年劣化でだいぶ腐ってるはずで……」
「だ、大丈夫なの!?」
「うん。そこは大丈夫。直すところはハッキリしてるから。
古い燃料を捨てて、タンクの中のサビを落として、燃料パイプを交換すれば……」
作業を見守るみほ達が話していると、チェックを終えたジュンイチが戻ってきた。
「どうだった?」
「ひどいところはとことんひどいけど、全部パーツ交換でなんとかなる。シャーシとか致命的な部分の破損はないね。
問題があるとすれば修理箇所の多さか……たぶん自動車部が担当するんだろうけど、こりゃ相当な無理をお願いすることになるぞ」
ジュンイチがみほに答えると、
「それよりさぁ……」
ふと口をはさんできたのは沙織で――
「そもそも一輌しかないのは大丈夫なの?」
『…………あ』
二人とも、目の前のW号の状態に注意が向いていて忘れていたらしい。
「何輌必要なんですか?」
「えっと、この人数だと……」
「公式戦に出るのに必要な最低数は五輌――つまりあと四輌。
人数的にも、それでちょうど全員に行き渡る感じだな」
ジュンイチがみほに代わって華に答えると、
「うーん、そうなんだよねー。戦車足りてないんだよねー」
そんな彼らに声をかけてきたのは杏だ。
「ま、そんなワケだからさ……」
「戦車、探そっか♪」
第2話
「ちょっと無茶をやろうと思います」
「戦車を……」
「探す……?」
また話がおかしな方向に向かい始めた気がする――周りの一年生グループの中から困惑の声が上がるのも無理はないが、そんな彼女らには桃が説明する。
「我が校はもう何年も前に戦車道は廃止になっている。
だが、当時使われていた戦車は今もこの学園艦のどこかにあるはず――いや、必ずある」
「つまり……それを探してこいと?」
「そゆことー♪」
聞き返すジュンイチには杏がうなずいた。
「明後日には戦車道の教官がお見えになる。
それまでに戦車を計五輌、使える形でそろえておかなければならない」
「して、それらはどこに?」
「わかんなーい♪」
「手がかりとかもないんですか?」
「何にもー♪」
歴女グループや一年生グループから上がる声にも、杏は無責任極まる答えを返してくる。
「ま、だからこそのメンバー総出の人海戦術ってことで。
知恵出し合って、何とか見つけてきてよ」
「そういうことだ。捜索開始!」
杏の話を桃が締めくくり、一同はそれぞれのグループ毎に分かれて行動を開始する。
「うぅ……何か思ってたのと違う〜」
当然、みほやジュンイチも動こうとするが、対して腰が重いのが沙織だ。
まぁ、ここまで準備不足の状態からのスタートになるとは誰だって思っていなかったに違いない。彼女の言い分もわからないでもないが――と、そんな沙織に杏が声をかける。
「戦車道やればモテるっていうから……」
「明後日カッコイイ教官が来るよ?」
「行ってきま〜す♪」
(……チョロい……)
そういえば、オリエンテーションの時もあっさり釣られていたっけ――杏の言葉に簡単に乗せられてしまう沙織の姿に、先行きに不安を覚えずにはいられないジュンイチであった。
◇
「……せっかくやる気出したのにぃ……どこにあるのよ戦車ぁーっ!」
「ま、駐車場にはないだろうな」
「あったら生徒会が見つけてるでしょうしね……」
試しに駐車場に来てみたが、当然そこに戦車などあるはずもなし――「ぅがーっ!」と癇癪を起こす沙織に、ジュンイチと華が冷静にツッコんだ。
「だって、一応は車じゃない……
じゃあ、裏山の林に行ってみよう! 何とかを隠すには林の中って言うしね!」
「それを言うなら『木を隠すなら森の中』です……」
そんな話をしながら、沙織と華は学校の裏へと向かう――ジュンイチもその後に続こうとするが、そんな彼の道着、その左肩の袖がくぃと軽く引っ張られた。
「あ、あの、柾木くん……」
みほだ。どこか不安げというか、何かしら困っているようで――その“何かしら”に心当たりのあったジュンイチはすぐに応じた。
「……さすがに、あれだけヘタだと気づくよね……」
「う、うん……」
おそらく、沙織達も会話に意識が向いていなければ気づいていたことだろう。そう確信させるほどに下手な尾行でついてきている女子がひとり――授業の始まりの際、杏達に使用戦車について質問していたはね髪の子だ。
「とりあえず……このまま尾行し続けてもらうのはナシかな。気まずくてしょうがねぇや」
言うと、ジュンイチはみほに手を放してもらって――みほの視界からその姿がかき消えた。
正確には、みほの目で追いきれないほどの初速で地を蹴ったのだ――最大速力、最小の動きで駐車場脇の木の陰に隠れている女子の背後へ。みほと同じくこちらを見失ったか、驚いて周囲をキョロキョロと見回しているそのえり首を捕まえる。
「え? あ? うぇえぇぇぇぇぇっ!?」
「今のオレの動きを見切れとは言わねぇけどさ、せめて気づかれてることくらいは気づこうぜ。
西住さんなんて露骨に態度に出てたろうに」
いきなり捕獲されて大慌ての女子に答えると、ジュンイチは彼女をみほや、こちらに気づいて戻ってきた沙織達の元へと連行する。観念したのか、女子は首根っこをつかまれたまま、文字通り捕まった猫のようにおとなしいものだ。
「柾木くん、どうしたの、その子?」
「おぅ、オレ達の輪に入りたくても声かけられずに悶々としていたシャイガールのお届けだ」
「はうぅ〜……」
沙織に答えたジュンイチの言葉は一語一句図星だったらしい。ジュンイチに捕まったまま、女子が真っ赤になった顔を両手で隠す。
と――
「えっと……」
今もなお捕まったままの女子に声をかけてきたのはみほであった。
「一緒に……探したいの?」
「は、はいっ!」
みほの問いに、女子の表情がパッと明るくなる。ジュンイチに捕まったまま、器用にモジモジと身体をくねらせ、
「あ、あの……普通U科、二年C組の秋山優花里といいます。
不束者ですが、よろしくお願いしますっ!」
名乗り、頭を下げ――ようとしたが、ジュンイチにえり首をつかまれたままではそれもままならなかった。視線で訴えられ、ようやくジュンイチは彼女を解放する。
「こちらこそお願いします。五十鈴華です」
「武部沙織!」
「柾木ジュンイチだ」
「あ、あの、私は……」
「存じ上げております! 西住みほ殿ですよね!」
「え……あ、はい……」
友人一同に続いて名乗ろうとしたら自分にだけ先手を打たれた。名前を言い当てられ、どうして知っているのかと困惑するみほに気づいていないのか、由佳里は笑顔で敬礼し、
「では、よろしくお願いします!」
「はい、よろしゅー」
「っていきなり扱い軽くないですか!?」
自分を放すなり携帯電話をいじり始めていたジュンイチからサラリとあしらわれ、優花里からツッコミの声が上がる。
と、沙織が気づいた――ジュンイチはメモに書かれた電話番号にダイヤルしているようだ。登録していない誰かが相手ということか。
「誰にかけてるんですか?」
「一年生ズが図書館で過去の記録を調べてみるっつってたからさ。定時連絡用に番号教えてもらってたんだよ」
華に答えて、ジュンイチが発信。待つこと数秒――応答があった。
「もしもし、柾木だけど……澤ちゃん?」
〈柾木先輩ですか?〉
「調べ物の方はどう?」
〈あ、ちょっと待ってください〉
一年生組のリーダー格らしい澤梓が応えると、周囲の雑音が少し大きく聞こえるようになった。どうやら携帯をスピーカーモードに切り替えたようだ。
〈みんな、戦車の記録見つかった?〉
〈戦車の『せ』の字もないよ〉
〈この学校が戦車道をやめた年からサッパリ〉
「かんばしくないようですね……」
こちらもスピーカーモードに切り替えたので、みほ達も話を聞いている――電話の向こうでのやり取りに華がつぶやくと、
〈でも、どうして急にやめちゃったんだろうねー、戦車道〉
〈やる人いなくなっちゃったんじゃないの? 古臭いし〉
〈そっかー〉
「……古臭い……」
「まぁまぁ」
どうやら秋山優花里という少女は好きなものが絡むと沸点が下がるタイプのようだ――そんなことを考えながら、沙織は一年生組の「古臭い」発言に機嫌を損ねた優花里をなだめて――
「……柾木くん?」
みほが、ジュンイチが何やら難しい顔で考え込んでいるのに気づいた。が、彼女が改めて問うよりも早く、一年生組に尋ねる。
「なぁ……今の話だと、戦車道をやめた後の記録が一切残ってないんだな?」
〈え? あ、はい……〉
「逆に、やめる前の記録は残ってるのか?」
〈はい。試合とか、整備の記録とかいろいろ……〉
「ふむ……」
答えたのは梓だ。その答えに、ジュンイチはしばし考えて、
「……よし。
お疲れ様。そういうことなら、もう記録の方はあきらめて、探索に移ってくれ」
〈え? でも、まだ調べ始めたばかりですけど……〉
「やめる前の記録が出てきたってことは、お前らの調べた場所に間違いはないんだろう。
でも、六人がかりでその辺一帯の棚をあさっても、やめた後の記録については一切残ってなかった。そこまで落差がハッキリ出てたら、そこにやめた後の記録はない……というか、別の場所にしまい込まれてると思った方がいいだろう。
けどそうなると考えられるのは閲覧制限のかかった書庫とかになってくる。わざわざ手続きとってその辺探しに行くより、杏姉の言うところの人海戦術に人手を回した方がよほど効率がいい」
まだ探した方がいいんじゃ、と主張する梓に対し、ジュンイチはそう説明する。
「歴女チームと元バレー部が昔使ってた演習場の方に向かったし、オレ達は裏山に行くから、みんなは校舎周りを頼めるかな? W号みたいに、どこかにしまい込まれてるかもしれない」
〈はぁ……わかりました……〉
電話越しに梓がうなずいたのを察し、ジュンイチはもう一度労って通話を終え、
「……ずいぶんと、浮かない顔ですね?」
「どーして連絡先交換してたと思ってんだよ?
けっこう当てにしてたんだけどなぁ……」
落胆が顔に出ていたらしい。声をかけてくる華に答えるとジュンイチは頬をパンパンと叩いて気合を入れ直し、
「さて、そんじゃ改めて、裏山に行こうぜ」
「それはいいんだけど……」
ジュンイチに応えて、沙織は彼の顔を指さして、
「大丈夫? 今ので顔、真っ赤になっちゃってるけど」
「ほっとけ」
少し、頬を強く張りすぎたようだった。
◇
「しっかし……何だな」
「どうかしたの?」
「いや、すっかり自生してるなー、と……」
その後、一行は沙織の提案通りに学校の裏山に移動――みほに答えて、ジュンイチは山道沿いに生えていた木の根っこを軽く蹴る。
「船の上……100%人工の造成地だったはずなのに、完全に自然の森と化してる……いやはや、歴史を感じるねぇ」
「何を今さら。
そんなの、もうどこの学園艦でも同じでしょう?」
「ドッグに入れば艦体の方はいじれますけど、それでも艦上の学園都市はほとんどいじらない……というかいじれないじゃないですか」
感心するジュンイチだったが、沙織や優花里は不思議そうにそう返してくる。
“こっち”に来てから学園艦というものを知ったジュンイチと違い、彼女達にとって学園艦は生まれた時から当たり前に存在していたものだ。ジュンイチにとって珍しいものでも、彼女達にとってはごくごくありふれた、“当たり前”のものにすぎないのだろう。
「柾木くんって、学園艦のことになるとたまーに世間知らずなところがあるよね。
まるで、学園艦のことについてあまり知らないみたいな……」
「そ、そうか?
別にそんな意識はないんだけどなー……」
首をかしげる沙織の言葉は、ジュンイチにとっては非常に痛いところを突いていた。自分が学園艦についての知識に乏しいのを知られれば、そこから芋づる式に疑われ、自分の身の上にも疑問を抱かれることにもなりかねない。
そうした展開は個人的に面倒臭いので避けたいところだ。無自覚なフリでごまかすことにしt
「…………ん?」
「あら?」
――ごまかすことにしようとしたところで何かに気づいた。振り向くジュンイチのとなりで、華もジュンイチと同じ方向へと視線を向ける。
「どうしたの?」
「あっちからにおいが……」
「何だ、五十鈴さんも気づいてたのか」
「においでわかるんですか?」
「花の香りに混じって、ほんのりと鉄と油の臭いが……」
「華道やってるとそんなこともわかるの?」
「華道やってなくても気づいてる野郎がここにいるぞ。
あと臭いにサビの臭いも足しとけー」
優花里に答える華の言葉に沙織が驚く――そんな彼女達にツッコみつつ、ジュンイチは頭上の、手頃な太さの枝にぶら下がるように飛びついた。
鉄棒の演技の要領で別の枝の上に飛び移る。「猿かアンタわ」と沙織が呆れるが、気にせず臭いのしてきた方を確認し、
「……ビンゴ」
少し進んだその先に、黒い金属の塊を発見した。
「この道をまっすぐ。距離は……そうだな、50メートルほどってところか」
「了解であります!」
ジュンイチの言葉に、眼下の優花里が敬礼をもって答え、
「では行きましょう! パンツァー・フォー!」
「『パンツのアホー』っ!?」
「……『パンツァー・フォー』。ドイツ語で『戦車前進』って意味ね」
優花里の言葉をものの見事に聞き違えた沙織に、みほが苦笑まじりに訂正した。
◇
「……38(t)……」
「何か、さっきの戦車よりちっちゃい……」
近くまで行ってみると、それは道から外れ、脇の下り坂で擱坐しかけたまま放置されていた。一目で車種を言い当てるみほのとなりで、沙織が率直な感想をもらす。
「ビスだらけで、なんかボツボツしてるし……」
「そう言ってやんなよ。
これがまたメカニカルな感じでメカ好きの魂を刺激するってヤツもいるんだ。
たとえば……」
沙織に答えたジュンイチの視線をみほ達も追いかけて――
「38(t)といえば、ロンメル将軍の第8装甲師団の元、初期のドイツ電撃戦を支えた隠れた名車なんですよ〜♪」
うっとりとした様子で、自身が汚れるのもかまわず優花里が頬ずりしていた。呆気にとられるみほ達だったが、そんな彼女達の困惑もおかまいなしにガバッ!と顔を上げ、
「あ、38(t)のtはチェコ・スロバキア製って意味で、重さの単位のことじゃないんですよ――あ」
「今……活き活きしてたよ……」
「す、すみません……」
テンションMAXでまくし立てていた優花里が不意に我に返る――沙織にツッコまれてシュンとしょげ返ってしまうが、
「謝んな謝んな。
好きなモノの話なんだ。むしろそのくらいのテンションの方がちょうどいい」
そんな優花里に答えたのはジュンイチだ。
「実際問題、それほど悪い戦車じゃないしな。
確かに火力は少し心もとないところはあるけど、さっき秋山さんの言った通り電撃作戦に使われていたシロモノだからそこはしょうがない。『その分速いんだからいーじゃん』と割り切るべきところさ。
他の班の成果次第になるけど、火力のある戦車が確保できれば、敵陣の引っかき回し役として十分活躍できるだろうな」
ジュンイチの評価は概ね良好だ。良好だが――
「あの……柾木くん?」
「? どったの、五十鈴さん?」
「いえ……好評な割には何だか浮かない顔をしているものですから……」
「え? 何か問題でもあるの?」
「いや、問題っつーか……あれ」
華や会話に参加してきた沙織に答え、ジュンイチは38(t)の一角、砲塔部分を指さした。
よく見ると、砲塔の乗降ハッチが開いたままになっていて――
「ハッチ……開いてるよな?」
「えぇ……」
「開いてるね」
「ここはどこだ?」
「学校の裏山ですね」
「それがどうかしたの?」
華と沙織の反応に、ジュンイチは息をつき――告げた。
「屋外に、上ブタ開けたまま……20年間雨ざらしだぞ?」
『…………あ゛』
みほや優花里も含めた全員がその意味を理解した。
「確かに、あれじゃ雨の度に降り込んでしまいますね……」
「中に雨水溜まってるってこと?」
「いえ、そこはちゃんと排水口ついてますから……」
「あんな傾いたままで、排水口とやらが果たしてまともに機能してるかねぇ?」
「そ、それは……」
華と沙織に答える優花里だが、ジュンイチに返され口ごもる――ジュンイチ達がそんなことを話していると、
「…………っ」
いち早く動き出したのはみほだった。慣れた動きで砲塔に登ると中をのぞき込み――カビ臭さに軽く顔をしかめた。
「大丈夫か?」
「あ、うん……大丈夫。
それより……」
後に続いたジュンイチも声をかけながら中をのぞき込む――懸念していた、雨水による操縦室下部の水没という最悪の事態は免れているようだが、それでも小さな水たまりはそこかしこのくぼみに確認できるし、長年降り込んでくる雨にさらされていたであろう車内はかなり汚れている。シートのクッションも風雨で腐食が進んでボロボロな有様だ。
「……無線その他の電気系統は壊滅状態、かな?」
「うん……さすがにこれだけ雨ざらしじゃね……
後は車内の水抜きの後でサビ取りもしないと……
古い塗装もはがして、グリスアップもしなきゃ……」
答えながら顔を上げ――そこでようやくみほは、ジュンイチの顔がすぐ目の前にあることに気づいた。
他のハッチは生い茂る雑草に飲み込まれており、現状車内をのぞき込める場所がここしかない以上、共にのぞき込もうとすれば額を突き合わせることになるのは仕方のない話なのだが、それと目の前の不意打ちに対して平静を保てるかどうかは別問題だ。
増してや、それが知り合ってからこっち何度も助けてくれた恩人。トドメに戦車の状態を何だかんだ言いながらもしっかりチェックした上で整備計画まで立てている、その真剣な横顔とくれば、そりゃあ意識のひとつもするというものだ。
「…………? どうした?」
「あ、ううん、何でも……」
「…………?
……まぁ、いいや。とにかく見つけたワケだし、杏姉に連絡しなきゃな」
しかし、例によってそういった異性への意識を向けられることについては鈍いにもほどがあるジュンイチは、そんなみほからの視線についても早々に棚上げしてしまった。追求が来ないことに喜べばいいのか物足りなく思えばいいのかと複雑な思いのみほにかまわず、左手の腕時計型端末、ブレイカーブレスで杏へと連絡を入れるのだった。
◇
見つけた戦車の運搬は自動車部に依頼したということで、ジュンイチ達は他の、まだ戦車を見つけていないチームのフォローに回ることにした。
その結果、さらにいくつかの戦車を発掘――そう、“発掘”。まさしくそうとしか言いようがないようほどひどい有様で放置されていた戦車を複数発見。
そして翌日、自動車部によって回収されたそれらが、W号の保管(?)されていたガレージの前に勢ぞろいしていた。
「八九式中戦車乙型。
38(t)軽戦車。
M3中戦車リー。
V号突撃砲F型。
それからW号中戦車D型……どう振り分けますか?」
「見つけた者が見つけた戦車に乗ればいいんじゃない?」
「そんなことでいいんですか……?」
見つけてきた五台の戦車、どれを誰に任せようかと尋ねた桃だったが、杏の答えは適当極まるものだった。柚子が不安になるのも無理はない。
「柾木、お前はどう思う?」
「そうさねぇ……
とりあえず、戦車探しのチーム分けをそのまま試合のチーム分けにスライドさせるつもりなら、M3リーは一年生ズで確定だな」
「理由は?」
「だって、六人収まるのM3だけだし」
「そんなことでいいの……?」
桃に振られたジュンイチの答えもたいがいアレだった。やっぱり柚子に不安がられたので、次はマジメに考えることにする。
「V突は歴女チームだな。威力はデカいが砲塔が回らないから普通の戦車のようには扱えない。現役当時の運用を知ってるエルヴィンの存在は大きい。
八九式は……うん、コメントに困るな。対歩兵戦用の側面の強い戦車だから、対戦車戦では心もとない。戦車道で使うなら38(t)と同じ使い方、つまり撹乱や偵察、他には無線が使えない状況下での伝令なんかが主な役割になるだろう。
そこを考えると、とっさの判断力と周囲への注意力を重視して選びたい」
「その二点を重視するなら元バレー部チームだね。よろしくー」
ジュンイチの挙げた要点を元に杏が鶴の一声。ジュンイチも異論はなかったので決定として、これで残るは二輌だが――
「さて、一番の難物が残ったワケだが」
「難物……?
何か問題でも?」
「“問題がないから問題”なんだよ」
首をかしげる桃に、ジュンイチはため息混じりにそう答えた。
「残るは38(t)とW号、生徒会と西住さん達、なワケだけど……ぶっちゃけた話、どっちがどっちを使ったとしてもあまり変わらんというのがオレの見立てだ。
西住さんは言うに及ばず、秋山さんも戦車に詳しいし、生徒会チームは杏姉がいれば心配はないだろ?
オレの存在を抜きにして考えたとしても、どっちのチームも、どっちの戦車を任されてもそつなくこなすだろう――だからどっちがどっちでも問題ない。選ぶ上での決め手がないんだよ」
「ふむ」
ジュンイチの言葉に、桃は軽くうなずいて、
「そういうことなら38(t)は我々生徒会がもらう。
西住達はW号を使え」
「え? あ、はい……」
「ずいぶん即決だね。何か理由でも?」
いきなり話を振られて戸惑うみほをよそにジュンイチが尋ねると、桃が答えて曰く――
「車内が狭ければ会長の世話をする時にもすぐに手が届くからな」
「この甘やかしが」
迷いのないダメ発言にツッコむと、ジュンイチはすでに戦車を割り振られた他のチームへと視線を向けた。
「なんだかガッチリしてますねー」
「いいアタック打てそー……」
何だかんだで会話がバレーボールに帰結しているのは二年の磯部典子を中心に、一年の河西忍、佐々木あけび、近藤妙子の四名で構成される元バレー部チーム。
「大砲が二つあるよ?」
「何か強そう!」
微笑ましく見えてくるレベルで率直この上ない感想がもれているのは、澤梓、山郷あゆみ、丸山紗希、阪口桂利奈、宇津木優希、大野あや――新入生、一年生の仲良し六人組だ。
そして今日も元気に独自色を貫く歴女四人――互いを好きな歴史分野になぞらえた“ソウルネーム”で呼び合う彼女達も、V突を前に思い思いのコメントを交わしている。
「砲塔が回らないな」
「何か象みたいぜよ」
「ぱおーん」
ローマ史歴女“カエサル”や幕末史歴女“おりょう”の感想に戦国史歴女“左衛門佐”が茶化していると、
「馬鹿者!」
そんな三人を一喝したのは第二次大戦史歴女の“エルヴィン”である。
「V突はかつての冬戦争でロシアの猛攻を押し返したすごい戦車なんだぞ!
フィンランド人に謝りなさい!」
『すみませんでした!』
エルヴィンの指さした方へと他三人が頭を下げて――
「そっちは南だ」
ジュンイチが冷静にツッコんだ。
◇
こうして、無事に各自の戦車の割り振りが完了――と言っても、まだレストアも済んでいない戦車では戦車道もやりようがない。結局自動車部に修理に出すためにきれいに洗車しただけでその日の戦車道の授業はお開きとなった。
が、問題が――決して大きくはないが、当事者達にとっては寝耳に水な問題がひとつ――
「まったく、生徒会ってとことんズルイよね!
保護者の立場乱用して、柾木くん自分のチームに引き抜いちゃうなんて!
しかもアレ、絶対戦車洗うための人手が欲しかっただけだよ――私達だって手伝ってもらって楽できると思ってたのに!」
「おーい、本音もれてる本音もれてる」
帰り道、一休みがてらみんなで立ち寄った海沿いの公園で、不満もあらわに拳を握って力説する沙織に、ジュンイチがため息混じりにツッコミを入れる――そう。いざ洗車しようという段階になり、それまでの流れからみほ達を手伝おうとしたジュンイチだったが、それに待ったをかけたのは杏だった。
「ジュンイっちゃんは私の弟分なんだから私を手伝うのが当然だよねー♪」と主張する杏によってあれよあれよという間にジュンイチは強制連行。38(t)の洗車を手伝うハメになったのみならず、戦車道の編成の上でも杏達のチームに組み込まれてしまったのである。
今回の洗車についても、そして今後の戦車道の上でもジュンイチの男手を当てにしていた沙織はそれが不満なのだが――
「まぁ、安心しろ。試合の方はどこのチームでもあんまり関係ないと思うから。
だって、オレほとんど戦車の運用に関わらないだろうし」
「そうなの?
ってゆーか……結局柾木くんの扱いってどうなるの? 男子も参加可能って言っても、戦車は女の子が乗るものなんでしょ?」
「一応、選手登録の上ではみんなと同じ戦車の乗員ってことになる――あくまでもやるのは戦車道だからな」
沙織に答え、ジュンイチは「そーいやその辺説明してなかったっけなー」とどこか他人事のように思い出す。
「当然、戦車の乗員である以上はそのまま戦車に乗ってドンパチに参加してもOK。
まぁ、オレはもっぱら戦車から離れての歩兵戦や各種工作をメインにしていくつもりだけどな。そこらへんは状況に応じて、ってことで。
つか、成果出せるかどうかはともかく、車外活動はお前らだってOKなんだぞ?」
「そうなの?」
「う、うん……
偵察とか、戦車から降りて生身でした方が良い行動っていうのは、戦車だけで戦う場合でもないワケじゃないから……」
ジュンイチの言葉に首をかしげ、尋ねてくる沙織に、みほは突然話を振られて戸惑いながらもそう答える。
「柾木くんがやろうとしてる歩兵戦も、ルール上はそういう車外活動の延長でしかないの」
「まぁ、もっとも、普通は偵察や工作はともかく、戦車道の試合で歩兵戦までやろうって人はまずいないんですけどね」
「え? なんで?」
「単純な話さ。
生身で戦車を相手にする上で十分な人数を確保できないからだよ」
割り込んできた優花里に聞き返す沙織には再びジュンイチが答えた。
「“戦車の乗員”と“歩兵要員”を完全に別として選手登録できるのは、戦車道と歩兵道の正式な合同試合の場合だけ。それ以外の場合は、戦車の乗員の中から歩兵を捻出しなきゃならない。
理由は、もう言うまでもないよな?」
「行われるのは、あくまで戦車道だから……ですね?」
「そゆコト」
答えたのは華だった――うなずき、ジュンイチが続ける。
「当然、乗員が歩兵戦のために抜ければ、そいつの務めるはずだった役目のしわ寄せは残った他の乗員に向くことになる。
予備人員として登録するにも限界あるしな――試合開始の時には歩兵要員も車内に乗ってなきゃならないから、物理的にそんなに増やせない。せいぜい戦車の定員にプラスひとりか二人が限界だろう。
そんなワケだから、歩兵に出せる人員はどうしても最小限になる。そうだな……戦車一輌につきひとりとして計算すると、公式全国大会の前段でどうにか小規模の分隊を二つ、後段でようやくまともな規模の二分隊を組めて、決勝戦で三分隊……ってところだ。
しかも、常識レベルの選手のみの編成なら、そこまでそろえてようやく戦車一輌をまともに相手できるかどうか、ってところだ。わざわざ負担増やしてまでそんな編成を用意するくらいなら、少しでも戦車の戦力を充実させた方がよほど効率的だ。
一般的な戦車道オンリールールの試合で歩兵がまったく活用されない理由はそんなトコ。Do you understand?」
「えっと……要するに、『柾木くんみたいなトンデモ人間でもない限りはとても戦車の相手なんてまともに務まらないから、普通はやらない』ってことね?」
「頭出してそこに直れ」
「やめてよゲンコツは!?」
拳を握りしめるジュンイチに対し、沙織が頭を抱えて距離をとる――が、ジュンイチも沙織も本気ではない。気を許した者同士だからこその冗談の掛け合いだ。
しかし、だからこそ優花里は首をかしげた。少し遠慮がちに尋ねる。
「あの……ぶしつけかもしれませんけど……」
「ん? どったい」
「いえ、お二人の……というか、武部殿のノリがちょっと気になって……」
「え? 私?」
思わず自分を指さす沙織に、優花里がうなずいた。
「ほら、武部殿って、一年の時から恋に恋する、って感じで有名だったじゃないですか」
「そうなの?」
「はい。
『モテモテになるんだーっ!』って女子力の向上に余念なし。
ついには相手もいない内からゼクシィにまで手を出してしまったために、ついたあだ名が“婚活戦士ゼクシィ武部”……」
「ちょっ!? 何よ! 備えは早い方がいいじゃない!」
「その前に彼氏作る段階挟めよ……」
突っかかる沙織にはジュンイチがツッコむ――そんなジュンイチと沙織を交互に見ながら、優花里は改めて続けた
「と、とにかく、そこまでやるほど恋愛に興味津々の武部殿が、異性である柾木殿に対して普通に接しているのが、正直以外というか……」
『……あー……』
その優花里の指摘に、ジュンイチと沙織は二人そろってどこか気まずそうに声を上げた。いったいどうしたのかと首をかしげるみほと優花里には華が答えた。
「実は……秋山さんが気にしているようなことは、もう済んだ後ですから……」
「そうなの?」
「ん。まぁな。
どこぞの海王さん風に言うなら、『もうその場所は半年前に通過しているッ!』ってなところか」
みほに対して某漫画のネタを交えて答える――が、みほ達には通じなかったようで思いっきり首をかしげられた。コホンと咳払いしてごまかして、ジュンイチは続けた。
「コイツがそのテのイベントを放置するワケがないだろ。
半年前、オレが大洗に通うようになったその段階で、『これで自分にもカレシができるぜヒャッハーッ!』とばかりに速攻突撃してきやがったわ」
「けど、もうお二人ともわかってると思いますけど、柾木くんってすごく身持ちが固いですから……
すぐに『ただモテたいだけ』という沙織さんの思惑を見抜かれて、『もっと自分を大事にしろ』とこんこんとお説教されまして」
「うぅっ、正直今でも思い出したくないわ。あのお説教は……
まぁ、ともかく、そんなワケで柾木くんとの間でそのテの期待感はキレイサッパリ吹っ飛んじゃったのよね」
ジュンイチの、華の説明を沙織が締めくくる――どこか疲れたような沙織のその姿に、みほも優花里も苦笑するしかない。
「まぁ、あんなお説教モードは特殊例だと思っとけ。さすがのオレもすべてが万事“あぁ”じゃないから。
……あー、でも、今後はその“特殊例”が乱発することになるかもしれないのか」
「どういうこと?」
「戦車道だよ。
何しろ、重さ数十トンの金属の塊を動かすんだからな。いくら安全に配慮されてると言っても、戦車で事故ったりすれば大ケガじゃすまないことだってあり得るんだ。
それを防ぐためには何かと声を掛け合うことになるんだろうが、ンなもん女の子相手だからって遠慮していられるか。言うべきことはビシッと言ってかんと」
「うん、そうだね。そこはちゃんとしていかないと」
沙織に答えるジュンイチに、みほもまたうなずいて同意する。
「そっか……やっぱり安全も大事だもんね」
「というか、むしろ素人のわたくし達が一番気にしないといけないところですわね。
そんなことにも気づかないくらい、今のわたくし達は何もわからない状態だということですか……
やはり、戦車に関する知識がないのは大きいです。何をするにも、西住さんや柾木くんに聞いてみないと右も左もわからないのが正直なところですから……」
「んー、確かに、お前らに限った話じゃないが、昨日今日と見てて、初体験組の予備知識のなさはオレも気になってた。
しばらくの間は、その辺のフォローも考えて動かにゃならんということか……」
話し合う沙織や華の言葉に、ジュンイチもまた腕組みして考え込み、
「……ふーん」
「って、何? なんで考え込みながらこっちを見るの?」
「いやナニ、武部さんがどうこうって話じゃないから安心していいよ。
ただ単に、とりあえず手近なところから攻めていこうかな、と。
つーワケで秋山さんや」
「はい? 私ですか?」
いきなり話を振られ、優花里が先ほどの沙織のようなリアクションを返してくる――自らを指さすその仕草までそっくりなその姿に、「好きなジャンルが違う以外は似た者同士か」などとチラリと考えるがそれはさておき。
「お前さんなら知ってるんじゃないか?
こいつらに即興で戦車道……いや、戦車について教えてやれそうな場所とか、さ」
◇
結果として、ジュンイチのその読みは正しかった。
話を振られ、優花里は「それならちょうどいい店がある」と一同をとある店へと案内したのだ。
そのお店とは――
「なるほど……『せんしゃ倶楽部』と銘打つだけのことはあるみたいだね。
パーツショップかと思いきや、戦車道のファンショップか」
店内に入り、見回しながらジュンイチがつぶやく――優花里のオススメの戦車ショップらしく、入口からパッと見渡した限りでも関連書籍や模型はもちろん、パンツァージャケットはオーダーメイドも受けつけているようだし、転輪や砲身などある程度互換の利くものに限りつつも実車のパーツも取り扱っているようだ。
「これはすごいですね……」
「でも、私は戦車って全部同じに見える……」
「まさか! ぜんぜん違いますよぉ!」
感心する華のとなりで素人ならではの感想をもらした沙織に対し、優花里は思わず唇を尖らせた。
「どの子もみんな、個性的というか特徴があって……動かす人によっても変わりますし」
「華道と同じですね。
同じ花でも、活ける人によってまったく違う作品が出来上がりますし……」
「なるほど……」
優花里と華の言葉に、沙織はとりあえず納得したようだが……
「そうだね。女の子にもみんないろいろ良さがあるもんね。
目指せ、モテ道!」
「話がかみ合っているようなないような……」
「戦車の違いの話をするなら、ウチで発掘された五輌の話をした方が早かった気がするんだが……」
自分なりにわかりやすい分野で解釈したのだろうが、結果としてあらぬ方向に結論が着地した沙織に、苦笑せずにはいられないみほとジュンイチであった。
その後、優花里が戦車戦のレトロゲームで戦車の戦いの“実演”、沙織と華がそれを見物している一方で、ジュンイチは初心者組の教材になりそうな本を探していた。
「柾木くん、どう? いい本見つかった?」
「ん」
と、店内を見て回っていたみほが戻ってきた。成果を尋ねる彼女に、ジュンイチは傍らに積み上げられた本の山を視線で示した。
「こんなに……?」
「全部じゃねぇよ。八割方はオレが欲しくて選んだヤツだ」
「いや、そこじゃなくて……持って帰れるの……?」
「さすがに宅配だよ。お前らと一緒に動いてるのに、こんなかさばるもの持ち歩けるか」
「ひとりだと持って帰れたの……?」
「重さ的にはこの倍、サイズ的には1.5倍はまだいけるね」
そんなことを話していると、不意に店内のテレビのニュースが目に入った。
〈次は戦車道の話題です。
高校生大会で昨年MVPに選ばれて、国際強化選手となった、西住まほ選手にインタビューしてみました〉
「………………っ」
(『西住』……)
視線を向けなくても、みほが反応したのが気配でわかった――そしてその理由も、すでにジュンイチには見当がついていた。
〈戦車道の勝利の秘訣とは何でしょう?〉
〈あきらめないこと……そして、どんな状況でも逃げ出さないことですね〉
画面に映る“西住まほ”はカメラ目線でそう答える――否、
(カメラ目線に見えてカメラ目線にあらず、か……)
彼女はカメラに目線を向けている――が、それだけだ。彼女の意識はカメラに向けられてはいない。
見ているのはカメラのレンズのさらに向こう側。そのインタビューを見るかもしれない“誰か”――そんなことを確信させるほど、強く意志の込められた視線であった。
そして、その視線の向けられた先にも、ジュンイチには見当がついていた。というか――
「………………」
背後でその“誰か”と推察される人物があからさまにガチ凹みしている。見るからに表情のくもったみほの姿に、ジュンイチはため息をひとつ。フォローしようと口を開――
「そうだ!」
――くよりも早く、声を上げた者がいた。
「これから、みほの部屋に遊びに行っていい?」
「私も、ぜひお邪魔したいです」
沙織だ。さらに華も続くのを見て、ジュンイチは内心で口笛を吹いた。
おそらく二人も今のテレビ放送を、そしてそれを見たみほが元気をなくしたのを見ていたのだろう。迷うことなく彼女の気を紛らわそうと動いた二人の気遣いに感心するが――
「あのー……」
「秋山さんもどうですか?」
「――っ、ありがとうございますっ!」
「じゃ、男のオレはここまでだな。
後はお前ら女の子だけで、ガールズトークを楽しんでくれや」
男の自分までみほの部屋に上がり込むワケにはいくまい。優花里が同行を快諾される一方、そう告げて帰ろうとするジュンイチだったが、
「え……?
柾木くん、来ないの?」
「あ、あのー、みほー?」
「頼むから、異性関係についてもーちっと危機感持ってくれ……」
どうしてジュンイチが帰ろうとしているのか、そんな根本のところからわかっていない様子のみほに、沙織と二人でツッコミを入れるジュンイチであった。
◇
「……柾木くんってさー……肝心な時に知り合いに対して強く出られないよね。尻に敷かれるタイプ?」
「一応自己弁護しておくと、緊急時はちゃんと突っぱねるからな」
「どーしてそれを日頃からできないの……?」
「自分でも時たまわからなくなるよ」
沙織と交わしたジュンイチの言葉通り、結局ジュンイチの離脱は叶わなかった――断ろうとする度に寂しそうな反応を見せるみほに対して強く出ることもできないまま、ジュンイチは結局みほの暮らす寮まで連れて来られてしまっていた。
「だ、大丈夫だよ、柾木くん。
いつも毎朝迎えに来てくれるじゃない……その延長だと思えば……うん、大丈夫」
「そのセリフ、オレよりも自分自身に言い聞かせてるように聞こえるのは気のせいか?
寂しがるか恥ずかしがるか、どっちかにしてくれ」
「だ、ダメだよ!
柾木くん、『できれば恥ずかしがる方向で。そうすれば帰る口実にできるから』とか思ってるんでしょ?
せっかく友達みんなで遊びに来てくれたのに、男だからって柾木くんだけのけ者にはできないよ……」
「お前のその友達がらみのイベントに対する執着心は何なんだ……」
一方、ここに至るまでの説得で“異性を部屋に招く”ということの意味をしっかり説明されたみほの顔も赤い。が、それでも『ジュンイチを仲間外れにするワケには……』という想いの方が勝っているようで――
「って、ちょっと待ったぁーっ!」
今のやり取りの中に聞き捨てならないものがあったことに沙織が気づいた。
「え!? ちょっと!? 今みほ何て言った!?
柾木くん、毎朝迎えに来てるの!?」
「え? う、うん……」
「ほら、こないだの、西住さんが戦車道やる・やらないで悩んでた時。
あの時、心配で朝一様子を見に来てな……ここがオレんちから通り道なのもあって、以来何となく習慣化」
沙織に詰め寄られ、うなずくみほのとなりでジュンイチも気まずそうに説明する――当然、それを聞いた沙織の眉が不機嫌そうにひそめられるワケで。
「柾木くん……そうやってみほを甘やかすからこういうことになってるって自覚ある?」
「返す言葉もございません……」
「と、とにかく、もうここまで来ちゃったんだし、上がって。ね?」
沙織に責められ、肩を落とすジュンイチをみほがフォローする――が、やっぱりその言い回しはジュンイチも上がっていくこと前提だ。完全に退路を断たれたことを理解し、ジュンイチはため息混じりにみほの後に続くのだった。
そんなこんなで、結局みほの部屋に連れ込まれる羽目になったジュンイチだったが――
「ぅわぁ……♪」
散々渋っていたのがウソのように瞳を輝かせていた。
その視線の先にあるのは、みほの部屋に飾られたクマのぬいぐるみだ。
シリーズものらしく、デザインラインは共通なのだが、そういうテーマなのかそのすべてがどこかしらに包帯による手当ての演出が施されている。
「に、西住さんや……この可愛らしいクマさん達はいったい……?」
「あ、それ? 昔テレビでやってた『ボコられグマ』ってアニメの、ボコって子なの。可愛いでしょ?」
「おぅっ!」
「おぉ、ここ最近で一番のイイ返事……」
「柾木くんってこういうのがツボなんですね……」
みほにぬいぐるみについて教えてもらい、力強くうなずくジュンイチの姿に、沙織と華が思わず苦笑する。
「ま、それはともかく、さっそく作ろうか。
華はジャガイモの皮むいてくれる?」
「あ、はい……」
実は来る途中、みほの部屋でみんなで晩御飯を作って食べていこうという話になり、すでにスーパーで買い物も済ませてきている――気を取り直し、沙織は華に頼んでジャガイモを渡す。
「私、ご飯炊きます!」
続いて名乗りを上げたのは優花里だ。背中のリュックを下ろし、何やらゴソゴソと漁った末に取り出したのは――
「何で飯ごう……? しかも食器まで完備って……
いつも持ち歩いてるの……?」
「はい! いつでもどこでも野営できるように!」
「どういう状況を想定してるんだ、お前は……」
ツッコむ沙織にうなずく優花里にジュンイチがさらにツッコむが、
「ひゃあっ!?」
「五十鈴さん!?」
「今度は何!?」
今度はキッチンから華の悲鳴――何かと思えば、どうやら包丁で指を切ってしまったらしい。
「すみません……花しか切ったことがないもので……」
「わわわっ、待ってて。
えっと、絆創膏、どこにしまったかな……?」
「……みんな、意外と使えない……」
思いの外家事能力に欠けていたりずれていたりといった様子の一同の姿に、沙織はコンタクトレンズを外して眼鏡に代える。
「よしっ、ここは私が……」
いわゆる“本気モード”である。気合を入れ直した沙織がキッチンに向かおうとして――
「ったく、しゃーねぇな」
そんな彼女の脇を抜け、一足先にキッチンに向かったのはジュンイチだった。
「はい、五十鈴さん」
「え……?」
まずは華に、懐から取り出した小さなパッケージを手渡した。それは――
「オレの仲間特製の傷薬。痕残したくないなら塗っとけ」
「あ、はい……」
華に説明しながら、額のバンダナを外す。一振りで鉢巻き上に巻いてあったそれをほどくと三角巾のように頭に巻き直す。
さらに懐から取り出したのは自前のエプロンだ。慣れた手つきで手早く身につけるその姿に、ようやくジュンイチが何をするつもりか悟ったみほが声をかけた。
「え? あの……柾木くん?
料理、できるの……?」
「フッ、待ってな。
翌朝の体重計が怖くなる、それでも止められないほど箸が進む逸品を食わせてやるぜ」
「ちっ、ちょっと待ってよ!
私もやるわよ! ってゆーか私のアピールポイント取らないでよーっ!」
自信タップリに答えるジュンイチの言葉に、見せ場を取られてたまるかと沙織もあわててキッチンへと向かうのだった。
◇
「ヘイ、お待ちっ!」
『ぅわぁ……』
最後の一皿を並べ、準備完了を告げるジュンイチの言葉に、居間で待たされていた一同の口から感嘆の声が上がる。
肉じゃがや唐揚げ、刺身に澄まし汁――色とりどりの料理がみほの部屋の座卓に並べられている――なお、五人全員が座るには手狭だったため、ジュンイチは自分の分だけ別に盛りつけてみほの勉強机でいただく形だ。
「じゃあ食べよっか」
『いただきます!』
ジュンイチと共にこれらの料理を用意した沙織の言葉に全員が合掌。まずみほが肉じゃがに手をつけ、
「……おいしいっ!」
「えへへ……男を落とすにはやっぱ肉じゃがだからねー♪」
「落としたことあるんですか?」
「なっ、何事も練習でしょ!?」
「それ以前に、落としたいと思える相手に出逢えたことあるのか?」
「こっ、これからよ! これから!」
みほの賛辞に肉じゃがを作った沙織が照れるが、そんな彼女には華とジュンイチから辛辣なツッコミが飛ぶ。
「というか、男子って本当に肉じゃが好きなんですかね?」
「都市伝説なんじゃないですか?」
「そんなことないもんっ! ちゃんと雑誌のアンケートにも書いてあったしっ!」
さらに優花里からもツッコミが。またもや華が乗っかってくるのに対し沙織が答えるのを聞きながら、みほはこの話題についてある種の答えをくれそうな人物へと視線を向けた。
一方の相手もそんなみほの視線に気づいていた。唐揚げを一口で平らげると、ジュンイチはみほへと視線を返し、
「オレには、オレの個人的私見しか言えないぞ?」
「う、うん……」
そのやり取りに、沙織達もみほの意図に気づいたようだ。注目を浴び、ジュンイチは軽くため息をつき、
「オレは別に、肉じゃが、それ自体がどうこうってのはねぇな。
ただ、肉じゃがは代表的な家庭料理なのと同時に、味加減やら火の通し方やらに作り手の技量がモロに出る“煮物”の一種でもある――だからこそ、女の子の料理スキルを測るのにちょうどいいんだろうな」
「なるほど……『肉じゃがが好き』なんじゃなくて、『肉じゃがが作れるくらい料理のできる女の子が好き』ということですか……料理そのものではなく、それを作る腕の問題と」
「前置きした通り、オレの私見だからな。
本当に肉じゃがが好きなヤツもいれば、カケラもかすりもしないヤツだっているだろう――結局アンケートなんぞ参考程度の役にしか立たんということだ。
――わかったかな? アンケートを鵜呑みにして律儀に肉じゃがの腕を磨いてきた武部さん?」
「どうせ私に振ってくるだろうと思ってたわよ!」
華に答えたジュンイチにツッコまれ、沙織が声を上げ、
「だ、大丈夫ですよ!
ほら、この唐揚げだってとってもおいしいですし!」
「それオレが作ったヤツ」
「あれ〜っ!?」
フォローに回ろうとした優花里がお約束の墓穴で追い打ちをかましてくれた。
「え、えっと、えっと……
……そ、そうだ! 五十鈴さん、お花ありがとう!」
下手なフォローはかえって追撃になりかねない――図らずも優花里が証明してしまったので、みほは話題を根本から切り替えた方がいいと判断した。とっさに、座卓の中央に飾られた花について、それを活けてくれた華へと話を振った。
「ごめんなさい、こんなことくらいしかできなくて……」
「ううん、すごく素敵だよ!
お花があると部屋がすごく明るくなる!」
「……ありがとうございます」
料理で役に立てなかったことをまだ気にしていたらしい。少し申し訳なさそうな華にみほがフォローして――それを聞いた沙織がニヤリと笑みを浮かべた。
「フフンッ、さすがの柾木くんもこればっかりはマネできないでしょー?」
「センス問わなくていいなら活けるくらいできるぞ」
「ぅわーんっ!」
ようやく反撃なるかと思われたところにあっさりとカウンターをもらい、活けることすらできない沙織が自滅した。
◇
「それじゃあ、また明日!」
「おやすみなさい!」
「お休みなさーい!」
その後、みんなで料理を平らげた後、しばし談笑した後にお開きとなった。手を振る沙織や優花里、会釈する華にみほもまた手を振り返す。
ちなみにジュンイチはみほの側だ――最初は沙織達を送っていこうとしたのだが、帰り道がジュンイチだけ反対方向だと知った沙織達が「さすがにそこまでは……」と辞退。食い下がったジュンイチだったが、沙織から「三人バラけた後どうするの? 誰かひとりだけ優遇して送る?」と返され、「中途半端になるくらいなら平等に『送るのは全員なし』ということで」と華からも追い討ちを受けてしまった。
それがただの方便なのは明らかだったが、自分達を送っていくことでこちらの帰りが遅くなってしまうことを気にして、配慮してくれているのだということも伝わってきた。その厚意を無碍にするのもためらわれ、結局沙織達を送っていくのはなしということで落ち着いた。
が――
「……さて。
三人がバラけるまでは監視すっかね」
ジュンイチはちっともあきらめていなかった。
「結局ついてくんだ……」
「『送っていかなくてもいい』とは言われたけど、『見守るな』とは言われてないからな」
「ぅわぁ……」
「ジュンイチが素直に引き下がった時は何か抜け道を見つけた時だ」とみほが学習した瞬間であった。
「んじゃ、見失わない内に追いかけないとな」
そんなみほをよそに、ジュンイチは彼女に背を向けて歩き出す――が、すぐに足を止めた。振り向かないまま、みほに告げる。
「あのインタビューな」
「え……?」
一瞬、何のことかわからなかったが、すぐに夕方テレビで見たインタビューのことだと思い至った。
「言ってたな。『秘訣のひとつは絶対に逃げないことだ』って」
「うん……」
「オレは別に、逃げてもいいと思うぞ」
「いいの……?」
「状況によりけり、だよ。
事と次第によっては、逃げることが事態を打開するカギになることもあれば、変に意地を張って逃げずに立ち向かったことで、逆に事態を悪化させることもある――逃げないだけが強さじゃないよ。
それにな……」
みほに答えて、ジュンイチは少しだけ振り向いて、続けた。
「忘れてねぇか? それともそもそも気づいてねぇか?
お前な――」
「前のガッコから大洗に逃げてこなきゃ、武部さん達に会えなかったんだぞ」
「あ…………」
本当に気づいていなかったのか、みほの目が驚きで見開かれる――言いたいことは全部告げたとばかりに、ジュンイチはそれ以上は何も言わずに再び歩き出して――
「――柾木くん!」
そんなジュンイチの背に、みほの声がかけられた。
「私、大洗に転校してきてよかった!」
「……ん。そっか」
それだけ応え、ジュンイチはそのまま歩き続けて――
「沙織さん達に会えたから! それに――柾木くんにも会えたから!」
「ぶっ――!?」
続く言葉に思わず吹き出した。それだけでなく驚いた拍子にヒザから力が抜け、たまらずその場にズッコケた。
「お、おまっ、異性に対して『会えてよかった』とか、そんな誤解を招きかねないことを大声で……っ!」
「………………あ」
身を起こしたジュンイチの言葉に、ようやく自身の発言の持つ“危険性”に気づいたらしい。対するみほの頬に朱が散った。
「ご、ごめん! 私ってば、また……!」
「あー、もういいから。わかってくれたならさ。
とりあえず、友達のお宅訪問で上がったテンションなんとか落ちつけて今日はもう寝ろ。明日に響いても知らねぇぞ」
謝るみほに答えて、ジュンイチは今度こそ沙織達を追っていった。が、答えながら最後までこちらを向こうとはしなかったし、声は明らかに上ずっていた。つまりジュンイチも明らかに照れていたワケで――
(うぅ……っ、明日柾木くんとどんな顔して会えば……)
ジュンイチは『もう落ちついて休め』と言っていたが――しばらくは無理そうであった。
◇
明けて翌日――結論から言えば、「どんな顔をして会えば」というみほの心配はあっけなく払拭された。
というか――
「あわわ、遅刻、遅刻……っ!」
「ったく、言わんこっちゃない……」
ぶっちゃけ、朝っぱらからそれどころではなくなっていた。
「こうならないように早く寝ろって言ったろうが」
「あんな恥ずかしい別れ方した後で落ちついて寝られないよ!」
「……オレが悪かった」
「それに、柾木くんも外で待っててくれたなら起こしてくれればぁっ!」
「遅刻確定のデッドラインまでまだ五分あったからな」
「え? 間に合うの?」
「次の信号を赤信号につかまらないで駆け抜けられたらな。
わかったら走れ走れ〜」
「柾木くん、スパルタだよぉっ!」
ジョギングを日課としておりそれなりに体力のある方であるみほだが、こんな全力疾走は想定外もいいところで、すっかり息も絶え絶えな状態だ。もっとも、ジュンイチもそんなみほの体力も考慮に入れた上で、信号を無事抜けられれば大丈夫と計算しているのだが――
「……あれ?」
ふと、みほが行く手の“それ”に気づいた。
当面の目標の信号の手前、何やらふらふらしている少女がひとり。
みほと同じ制服だ。大洗女子の二年生だということはわかったが、どう見ても尋常な様子ではない。
そしてそんな様子を見て見ぬフリができるみほではなくて――
「大丈夫ですか……?」
気づけば足を止め、少女に声をかけていた。
が、対する少女からの返事はない。聞こえなかったのだろうかとみほが首をかしげ――時間差で反応が返ってきた。
「……辛い……」
「え…………?」
「……生きているのが、辛い……」
「ふぇえっ!?」
思ったよりも重いお言葉が返ってきた。
「これが夢の中なら、いいのに……」
「し、しっかりしてください!」
つぶやくように告げ、その場に崩れ落ちる少女をあわてて助け起こそうとすると、
「何しとんじゃおのれわ」
「ふぎゃん」
そんなみほよりも早く、ジュンイチが少女にツッコミチョップをお見舞いした。
「……柾木……相変わらず女の子の扱いがなってないぞ……」
「ちゃんとした“女の子”はこんなところで睡魔に敗北したりせんわっ」
「す、睡魔……?
って、柾木くん、知り合い……?」
「オレじゃなくて武部さんの、な――幼なじみなんだとよ。名前は冷泉麻子」
思わずやり取りに口をはさんでくるみほに、ジュンイチはため息をつき、
「仕方ねぇなぁ。
武部さんには登校中お前さんを見かけたら何とかするよう言われてるし……」
「おぉ、運んでくれるのか……
じゃあ、高級ベッドのような寝心地で頼む」
「よーし。今の一言で穏便に運んで“やらない”こと決定な」
割と図々しいことを言い出した麻子に対し、ジュンイチはあっさりとそう即決した。彼女の肩をむんずと掴んで――
「よっと」
お姫様抱っこで抱き上げた。
「――――っ!?」
「ぅわっ……」
これにはさすがの麻子も一気に頭が沸騰。傍で見ていたみほも初めて生で見るお姫様抱っこに思わず顔を赤らめる。
が――彼女達は忘れていた。
ジュンイチは言った。『穏便に運んでやらない』と。つまり――
「よっと」
お姫様抱っこからさらに体勢を移行。麻子の身体を肩に担ぎ直した。
「…………おい」
「んー?」
「この体勢について、いろいろとツッコミを入れたいんだが」
「ワガママ言った罰だと思え」
あっさりとジュンイチは即答した。
「何も言わなきゃ背負う程度で済ませてやったものを、余計なこと言うからそうなるんだ」
「むぅ……」
「ところでこの担ぎ方、米俵担いでるみたいだよな。
というワケで、“お姫様抱っこ”と“米俵”で“お米様抱っこ”なんて呼び方はどうだろう?」
「知らん」
「不満そうだな。
あんまりグダグダ言ってると、“衆人環視の中お姫様抱っこで羞恥プレイの刑”に切り替えるぞ?
武部さんにオレとの関係について根掘り葉掘り聞かれたい?」
「それはむしろそっちのダメージの方が大きくないか……?」
「っと、それはそうと、バカなやり取りしてたら時間が危ないな」
麻子を適当にあしらうジュンイチだったが、今は遅刻する・しないの瀬戸際だ。気を取り直してみほへと向き直り、
「西住さん。残念ながら、このまま走っていっても、もう西住さんの足じゃタイムアップ確定です。
と、ゆーワケで、ちょっと無茶をやろうと思います」
「え? え……?」
なぜわざわざそんな言い回しを?――と、らしくもない敬語にイヤな予感を覚えるみほだったが、ジュンイチは空いている左手でそんな彼女の手を取って引き寄せると、そのまま腰に手を回して抱き寄せる。
「まっ、柾木くん!?」
いきなり抱き寄せられて、顔も真っ赤に動揺するみほだったが、対するジュンイチはあくまで真剣な顔で――
「二人とも……舌、かむなよ」
「え――」
それはどういうことか――尋ねようとするが、ジュンイチの真剣な表情に予感を覚え、彼の言う通り口をつぐんで歯をくいしばった瞬間、みほの身体を強烈なGが襲った。
ジュンイチが地を蹴り、走り出した――やっていること自体はただそれだけだが、その加速が尋常ではなかった。
少女とはいえ人を二人抱えているというのに、Gを感じるほどに強烈な加速――異能者であるジュンイチだからこそできる芸当だが、そんなジュンイチの事情を知らないみほはこれが本当に人間のできる走りなのかと目を白黒させるばかりだ。
とはいえ、ジュンイチもさすがにこの状態で悠長に説明している余裕はない。重さは問題なくてもバランスが悪い。説明に意識を割いてすっ転びたくはない。自分はともかくみほ達が危ない。
と、いうワケで、説明は迷わず保留。学校を目指し、ジュンイチは一路住宅街を爆走していくのだった。
◇
「よかったわね、冷泉さん。
連続遅刻記録は、“彼のおかげで”244回でストップよ――“彼のおかげで”ね」
「おぉ……それはめでたい」
「イヤミで言ってるのよ! 本当なら自分で止めるべきでしょ!?」
ジュンイチが本気を出したおかげでなんとか間に合った学校の正門前――相変わらず他人事のような麻子(下ろしてもらった)にツッコむのは遅刻や服装違反の取り締まりをしていた風紀委員長、三年生の園みどり子だ。
「いくら成績がいいからって、あまり遅刻ばかりしてると今度こそ留年しちゃうわよ」
「オレはむしろそんだけ遅刻して去年を乗り切ったことの方が驚きなんだが。
連続244回って、ほぼ入学当時から遅刻し続けてる計算だろうに」
麻子に言い聞かせるみどり子にジュンイチがツッコむと、今度はそんなジュンイチへとみどり子の視線が向いた。
「柾木くん、それから西住さん……だっけ?
今後は登校中に冷泉さんを見かけてもかまわず登校するように――今回は間に合ったからいいけど、下手に関わって二人まで遅刻してたら目も当てられないわ」
「ほほう? それはオレが冷泉さんかまってたら遅刻しかねないと?
上等だ。ますます間に合わせ甲斐が出てきたぜ」
「ハイそこ対抗意識燃やさないっ!」
むしろやる気になったジュンイチが怒られた。
「それに! そうやってかまってたら、冷泉さん、いつまでも自力で起きられないままになっちゃうじゃない。
いい? もう冷泉さんの手助けはしないこと! これは冷泉さんのためでもあるんだからね!」
みどり子が強く念を押すが、それでたまったものではないのが遅刻回避の希望を断たれたこの人――
「そど子……っ」
「何か言った?」
「……別に」
そう、当事者たる冷泉麻子その人だ――恨みがましげな視線を向けるが、すぐさま切り返されると意外にあっさり引き下がった。一応どちらに理があるのかはわかっているようだ。
が――今のやり取りに反応を示したのはジュンイチだ。
「『そど子』……? 園先輩のことか?
……あぁ、『“そ”の・み“ど”り“子”』で『そど子』か。また強引な略し方するなー」
「柾木くん、ストップ。
その呼び方は風紀委員で決めたコールサインのようなものだから」
「おっと、まさかの公式かよ」
「そう。公式のコールサインなの。
だから風紀委員でないあなた達がその呼び方を使うのはやめてほしいんだけど」
「わかりました! そど子先輩!」
「やめてって言ったわよね私!?」
「言われましたけど、検討の結果やめない方がリアクションが面白そうなので却下ァッ!」
「却下する理由ソレ!?」
「ソレですが何か?」
キーンコーンカーンコーン……
「おっと、予鈴だ。
それじゃそど子先輩、あでゅ〜♪」
「あ! こら、待ちなさい! まだ話は……」
「遅刻の取り締まりはこれからが本番っスよね。持ち場離れるんスか〜?」
「ぐ…………っ!
お、覚えてなさいよ〜っ!」
ジュンイチにツッコまれ、みどり子改めそど子は追跡を封じられてしまった。悔しげなそど子の咆哮を背に、ジュンイチはみほと麻子を連れ、すたこらさっさと校内へ急ぐ。
「やれやれ、まるで悪役のような捨てゼリフだったな……ん? 流れ的に捨て“られ”ゼリフっつった方がいいか?」
「どっちかと言うと、柾木くんの方が悪役だったような……」
満足げな様子のジュンイチにみほがため息まじりにツッコむと、
「……助かった……」
そんな二人にそう礼を述べるのは、後からついてきていた麻子だった。
「この借りは……いずれ返す……」
みほにそう告げると、麻子は彼女とジュンイチの間を抜け、校舎へと向かう――それをしばし見送ると、ジュンイチとみほは自分達も戦車のガレージへと向かうのだった。
次回、ガールズ+ブレイカー&パンツァー
第3話「とりあえず撃ってみます?」
(初版:2018/01/22)