「みんなグッジョブ! ベリーナイス!」
勝ち残ったW号はそのまま、脱落した面々は回収班を務める自動車部に戦車を任せて徒歩で、それぞれグラウンドに戻る――整列した一同を前に、亜美はそう講評を始めた。
「初めてでこれだけガンガン動かせれば上出来よ!
特に、Aチーム!」
唐突に名指しされ、みほ達に注目が集まる――注目されて照れている彼女達を、全身泥だらけであることから列中に入るのを遠慮したジュンイチは少し離れたところから見守っていたが、
「それに、そっちの歩兵の子も」
「へ? オレ?」
「えぇ」
亜美は、そんなジュンイチにも唐突に話を振ってきた。
「まさか単騎で戦車を撃破しちゃうなんてね。
大したものだわ。プロでもあそこまで動ける人となると何人いるか」
「いやー、それほどでもー♪」
亜美の称賛に素直に照れるジュンイチだったが、
「でも、だからこそもったいないわね」
亜美の評価には続きがあった。
「単騎での戦車の撃破を狙いすぎよ。
いくら動けても、戦車と歩兵の間には絶対の戦力差があるわ――だからこそ、歩兵道選手が戦車道の試合に参加する際は分隊単位で、且つ戦車の援護に徹するのがセオリーとされているの。
悪いことは言わないわ。単騎のキミはムリに戦車の撃破を狙わず、偵察や工作のようなサポートに徹した方がいい。キミくらい動ければ、むしろその方ができることの広がって、チームに貢献できるはずよ」
「……へぇ」
亜美の言葉に、シンプル極まるリアクションが返る――が、そんな適当な返事に反し、その表情からは特に気分を害した様子は見られない。
むしろ、何かを楽しみにしているかのように笑みを浮かべていて――
「後は日々走行訓練と砲撃訓練に励むように。
今日わかったと思うけど、“走って撃つ”が基本よ。
その他わからないことがあったら、いつでもメールしてね」
亜美は気づいているのかいないのか、ジュンイチへの指導はそこまでとして、改めて全員にそう告げる。
「さーて、締めはまた礼よ。
最初に言ったでしょ? 『戦車道は礼に始まり礼に終わる』って。
それじゃあ……一同、礼っ!」
『ありがとうございましたっ!』
第4話
「相当ヤベぇぞ」
「柾木」
亜美が10式に乗って帰っていってすぐ、ジュンイチに声をかけてきたのは桃だった。
「んー? 何?」
「『何?』じゃない。
貴様、そんな泥だらけの格好で校舎に戻るつもりか?」
返すジュンイチに答え、桃が指さすのは模擬戦のラストでぬかるみに落ちたせいで泥だらけになったジュンイチの道着だ。
「教員用の男湯と男子ランドリー室を開けてもらっている。校舎に戻る前に汚れを落としていけ。
普段はもっと後に開けるのを無理を言って開けてもらったんだ。使う際には礼を忘れるなよ」
「うい、りょーかい」
「他の者も、合宿所の大浴場とランドリー室を押さえた!
戻る前に汗を流しに行くぞ!」
桃の言葉に、一同の間で歓声が上がる。身だしなみに気を使う女子の気持ちはわかるが本人の自由だとバッサリ脳内で斬り捨て、ジュンイチは一足先に男子浴場に向かおうとして――
「じゃ、これを機会にみんなで親睦深めようか。
ジュンイっちゃ〜ん、寂しかったら一緒に来るー?」
「行くかぁぁぁぁぁっ!」
どうせこの後風呂で洗い落とすのだ。ためらう理由など何ひとつない――迷うことなく安全ピンを引き抜き、杏目がけてペイント手榴弾を投げつけた。
◇
カポーンッ。
桶をいじっているワケではない。ただ湯船につかっているだけ。なのにそんな音が聞こえてくるような気がするのはアニメや漫画の影響か。
そんなことをボンヤリ考えながら、ジュンイチは誰もいない男子浴場でのんびりと湯船につかっていた。
一応、風呂場に向かう前に解散、ホームルームへの出席は免除という形になっているため、ここからの行動は自由だ。とはいえ、今後のためには早めに上がって風呂上がりのみほ達と合流し、いろいろ忘れない内に反省会のひとつもやっておくべきなのだろう。
それは理解しているのだが――
「……この快楽には抗いがたいよね〜……」
個人的には少々長風呂を堪能していきたいところだ。気の抜けた声でつぶやき、改めて、顎が水面に届くほど湯につかると、
ピピピッ。
「……あん?」
傍らに置かれた腕時計型端末、ブレイカーブレスが通信の着信を告げた。
“こちら”でブレイカーブレスに連絡してくるような人間は限られている。緊急の連絡用にと予備のブレスを渡してあるのは――
「西住さん……はないな。杏姉か」
今頃は彼女達も入浴中のはずだ。みほの性格上水音ひとつでも恥ずかしがりそうだからないだろうと判断。湯船から身を乗り出してブレイカーブレスを手にとって――しっかりとこちらからの映像送信をOFFに。自らの貞操の安全を確保した上で応答する。
ウィンドウが展開し、「SOUND ONLY」と表示された画面が表示され――
「ぶっ!?」
――なかった。映像が映し出されたこと、そしてその映像の“内容”に驚き、こちらからの映像送信はカットしてあることも忘れて湯船に飛び込んでしまった。
ジュンイチがそこまでうろたえた理由――背を向けた状態で浮上し、
〈んー? あれー? 何で映像来てないのー?〉
「むしろそっちはどーして映像切ってないんだよ!? つか切らないにしても前隠せ前!」
背を向けたジュンイチからはもう見えていないが、展開されたウィンドウには、浴場のド真ん中でバスタオルも巻かず、生まれたままの姿で仁王立ちしている杏の姿。
しかも、映像は杏の全身がしっかり入るロング撮影。どう考えても狙ってやっている。
〈気にしない気にしない。
私はお姉ちゃんみたいなものなんでしょ? 今さら姉の裸のひとつや二つ〉
「『みたいなもの』であって結局は他人だろうがっ!」
〈それに、どーせ映ってるのは貧相な私だけだし〉
〈か、会長!? まさか柾木と話してるんですか!?〉
〈きゃっ!? やだっ! それ映像も送れるんですよね!?〉
「……今、桃姉と柚姉の悲鳴が聞こえたんだが」
〈“おかげであわてて逃げてったよ”〉
返ってきた杏の答えにピンときた。
「……なるほど。
あえて映像送信切らなかった理由はそれか」
〈おかげで、他の子達が近寄らないように必死こいてバリケードになってくれるだろうね。
いいアイデアでしょ?〉
「どこがじゃ。後で桃姉柚姉とどんな顔して会えばいいってんだよ?」
〈笑えばいいと思うよ〉
「エヴァやめい。
で? ンな微妙極まる方法で人払いして、オレにどんな話があるのさ?」
〈んー……じゃあ、まずはあんまり人払いのいらなかった話から〉
ジュンイチに答え、杏はそう前置きした上で本題に入った。
〈さっきの、蝶野教官の講評に対する反応がちょっと気になってね〉
「講評……?」
〈ダメ出しされた割には反応おとなしかったなー、って。
いつものジュンイっちゃんなら、ダメ出しに対して心の中で腹立てて、完膚なきまでに論破しに行くところだよね?〉
「楽しみを後に回しただけだよ」
あっさりとジュンイチはそう答えた。
「蝶野教官の言ってたことは正しいよ。間違ってない。
けど、それは“並の歩兵道選手なら”っていう前提での話――つまり、蝶野教官はオレをあくまで“並の歩兵”って枠組みの中に入れてるってことだ。
その枠ぶっ壊して、驚かせてやろうってんだ。だったらその舞台はもっとでっかい場じゃないとねー♪」
〈なるほど。相変わらず性格悪いねぇ。
じゃあ次――人払いの必要のあった質問〉
ジュンイチの答えに苦笑すると、杏はいよいよ本命の問いに移った。
〈ジュンイっちゃん――さっきの模擬戦、本気出してなかったでしょ?〉
「失礼な。ちゃんと本気で……あ」
杏に反論しかけて――ジュンイチは彼女の言いたいことに気づいた。
「ひょっとして、異能使わなかったこと言ってる?」
〈そ。
『ルールブックに男子禁制の規定がないから』って戦車道に首突っ込んできたジュンイっちゃんにしては、ずいぶんと品行方正なんじゃない?〉
「理由はいくつかあるんだけどねー」
背を向けたまま、人さし指をピッと立てて続ける。
「ひとつ目。別のルールに引っかかるんだよ。
オレの火力なら、確かに戦車をブッ壊すのは可能だ――プラズマ級の熱エネルギーを操れるのは伊達じゃねぇんだ。
けど、オレの異能で戦車ブッ壊そうと思ったら、どうしても完全破壊のリスクが付きまとう――戦車道も歩兵道も、安全面からの理由で戦車の完全破壊を禁止しているのは知ってるだろ?」
〈なるほど。
強力すぎて、かえってうかつには使いづらいと〉
「続けて二つ目」
人さし指に続けて中指を立て、カウントの「2」を示す。
「確かに、ルールブック上は『異能NG』の条項はねぇよ。
けど、それは結局のところ、異能者が存在しない、もしくは存在していても世間の目に触れない形で隠遁している……そんな、この世界のあり方が大前提だ。
その“大前提”を突き崩しかねない異能の運用は、確実に審議案件だろうね」
〈なるほど〉
「でもって三つ目」
薬指を立て、右手で示すカウントは「3」に。そして――
「どーも、杏姉が本気だったみたいだからさ」
〈って、え……?〉
ジュンイチのその言葉に、杏の動きが止まった。
「嫌がる西住さんを無理矢理引き込んだくらいだ。本気でのし上がるつもりなんだろ? 戦車道でさ。
けどそうなると、オレの異能の存在は先に挙げた二つの理由で完全に足枷になる。
審議対象になる程度ならまだしも、大事な試合や大会で反則負けや出場停止、なんてことになったら目もあてられないだろ。杏姉が本気で戦車道やろうってのに、そんなところで足引っ張ってられるか。
と、ゆーワケで、以上三つの理由で、オレは戦車道で大っぴらに異能を使うつもりはねぇよ。
せいぜい身体能力のブーストとか、“再構成”で工作用の資材作ったりとか、そういうバレない範囲で使っていくことになるだろうね――って、どしたい? 急に黙り込んじゃって」
〈あー、えっと……〉
ジュンイチの問いに、杏は何やら言い淀んでいたが、
〈……つまり……ジュンイっちゃんが異能を使わなかったのって……私のため?〉
「当たり前だろうが、そんなの。
自分で言ってたろうが――『自分はオレの姉みたいなもんだ』って。
それに、オレからすれば恩人でもあるワケだしな。大切な人が本気で取り組もうとしてることをジャマするほど、オレは仁義を捨てちゃいないんだよ」
〈………………〉
急に沈黙したかと思ったら、パチャンと水音――恐る恐る振り向くと、杏は顔を赤くして肩まで湯船につかっていた。
「やっと身体隠してくれたか……何? 身体冷えた?」
〈……ジュンイっちゃん〉
尋ねるジュンイチだったが、杏は答えることなく、逆に問いかけてきた。
〈ジュンイっちゃんにとって……私は、大切な人ってこと?〉
「………………?
そう言ったでしょうが」
〈……そっか〉
姉ポジションだし、恩人だし……うん、大切だよな――とジュンイチがひとり納得しているのをよそに、杏も杏で「大切な人」と言われて照れている。
実質的な関係はどうあれ、異性から「大切」と言われれば女の子としては嬉しいものだ。
嬉しいものだが――
「だ、か、ら、こ、そっ、日頃の暴走を身内として許すワケにはいかねぇな。
卒業までの残り約一年、きっちり更生してもらうぞ」
〈えー? そーゆージュンイっちゃんだって大概じゃん〉
「そのオレですら鎮圧に動かにゃならんほどやらかしてるって自覚はねぇのかっ!?
どーして風紀委員が自力鎮圧あきらめてオレに依頼持ってくんだよ。その時点で異常事態だと気づけっ!」
結局最後にモノを言うのは日頃の行いであった。
◇
「…………ん?」
結局長風呂してしまった。さすがにみんな帰っているだろうと思っていたジュンイチだったが、合宿所の入り口にみほ達の姿を見つけて眉をひそめた。
「なんだ、お前ら、まだ帰ってなかったのか?」
「柾木くんを待ってたに決まってるでしょ。チームメイトなんだから」
「ハァ!? オレ待ってたのか!?
バカ! それなら連絡してくれれば早く上がったのに! 湯ざめしたらどーすんだ!?
連絡手段西住さんに持たせてあったろ! 西住さんならともかく、お前らなら入浴中の男子に連絡ためらうような性格してないだろ!」
「……何だろう。今、気遣いの裏に私達への認識について小一時間問い詰めたくなるような評価が混じってたような気がするんだけど」
驚くジュンイチに沙織がジト目でツッコんで――
「って、れれ……?」
ジュンイチが、ふと気づいて首をかしげた。
「チームメイト? オレが?
確かに今日は成り行きでチームを組んだけど、本来オレは生徒会チームだろ?」
尋ねるジュンイチだったが、対する沙織はフフンと自信たっぷりに笑い、
「ところが、そうでもないのよねー♪」
「実は、会長さんから言われまして、今後は柾木くんもわたくし達のチームに所属するように、と」
「杏姉……さっきはンなこと一言も言ってなかったのに……」
沙織と華の言葉にため息をつき――ジュンイチはみほ達四人の後ろにもうひとりいることに気づいた。
それは――
「なんだ、冷泉さんも一緒だったのか」
「えっと、それなんだけど……」
「私も、このチームに参加することになった」
答えようとしたみほに先んじて、一歩前に出た麻子がジュンイチにそう告げた。
「お前と西住さんには借りがあったからな――操縦手として協力を請われたこともあって、借りを返すいい機会だと思っt
「ん。そっか。単位足りてないもんな、お前さん。
ここで三倍単位や遅刻見逃しの特典ゲットしとかないと進級ヤバいもんな」
ジュンイチにはあっという間にだいたいの事情を看破されていた。
「フフンッ、新体制はそれだけではないのですよ〜♪」
と、続けて自信タップリに胸を張って告げるのは優花里で――
「あぁ、西住さんが車長とチームリーダーに就任したんだろ?」
「なんでわかるんですかーっ!?」
「新体制がらみで西住さん信奉者のお前がンなドヤ顔するような話とくれば、そのくらいしかないだろ」
またまたジュンイチにはあっさり看破されてしまった。
「あと思いつくのは、コミュ力の強い武部さんが通信手ってところか……」
「……正解」
「ちなみに私は装填手です!」
続くジュンイチの推理には沙織が苦笑。となりで優花里が手を挙げて名乗りを上げて――その言葉に、ジュンイチは思わず眉をひそめた。
「え、ちょっと待ったのしばし待てい。
操縦手は、腕を買われたってさっき言ってた冷泉さんだよな? で、車長が西住さんで、通信手が武部さん、装填手が秋山さん……
……それじゃあまさか……五十鈴さんが砲手ぅ〜っ!?」
「えっと……ダメでしょうか……?」
「ダメってワケじゃねぇけど……まぁ、正直意外ではあったな」
「そうですか……?
さっきの模擬戦での砲撃の、あの衝撃が忘れられなくて……もっとアクティブなことがしたくて戦車道を始めたわたくしには、ピッタリだと思うんですけど……」
「いや、意外だったのは五十鈴さんじゃなくて……」
こちらのリアクションが大仰だったせいか、不安げに華が尋ねる――答えて、ジュンイチは“そちら”に視線を向け、
「今日の模擬戦であれだけ撃ちたがっていた秋山さんが、よく砲手の席を譲ったな、と」
「失礼な。人をトリガーハッピーみたいに言わないでくださいよ」
「え………………!?」
「なんでそんなに驚かれるんですかーっ!?」
たまらず目を見開き、一歩後ずさり。驚愕のリアクションを見せるジュンイチに優花里が抗議の声を上げて――
「で、そんなことよりさ」
「『そんなこと』ぉ!?」
自分の扱いに関する話をあっさり「そんなこと」扱いされ、再び優花里の悲鳴が上がる――が、まったくかまうことなく、沙織は一同を見回し、告げた。
「こうしてチームも正式に役割決まったんだし、やっぱ“あそこ”行かない?」
『「あそこ」……?』
◇
「で……なんでホームセンター?」
「てっきり戦車ショップに行くのかと……」
「だって、もうちょっと乗り心地良くしたいじゃない」
純粋に疑問なジュンイチと予想外の目的地にガッカリしている優花里、二人に答えて、沙織は買い物カートを押していく。
そう、翌日の放課後、戦車道の練習が休みなのをいいことに沙織が一同を伴ってやってきたのは、艦上学園都市の一角にあるホームセンター。すでに目的が定まっているのか、カートを押してどんどん先に進んでいく。
そして――
「……クッションコーナー?」
たどり着いた目的地を前に、ジュンイチがポツリとつぶやき――すぐに彼女の目的に気づいた。
「あー、武部さんや。
ひょっとして、戦車のシートにクッション敷こうとか思ってやしないかね?」
「だって、乗ってるとお尻痛くなっちゃうんだもん」
「え、えぇぇぇぇぇっ!?」
ジュンイチに答えた沙織の言葉に、驚きの声を上げたのはみほである。
「? ダメなの?」
「え、え〜っと……ダメじゃない、けど……
でも、戦車にクッション持ち込んだ選手、見たことないから……」
「ま、敵と出会っちまえば乗り心地云々どころじゃなくなっちまうからなー」
沙織に彼女に答えるみほに告げ、ジュンイチは商品棚から黒色のクッションを手に取り、
「でも、元々戦車乗りじゃないヤツらに戦車に親しみを持ってもらうにはいいかもな。
紅茶を飲みたいばっかりに、車内にエンジン熱利用した給湯設備まで作っちまったイギリス戦車に比べればこのくらい」
「そ、それは、まぁ……」
ジュンイチの言い分にみほが説得されかけている一方で、沙織はすでに目当てのクッションをカートに放り込んで次の買い物へと移行している。
「あとは100円ショップの方が安いかな? でもスリッパとか、こっちで買う方が出来はいいのよね〜」
「おいコラそこ。
なんかいろいろ、さすがに聞き捨てならんフレーズが聞こえたんだが、スリッパが何で出てくる?」
「いや、戦車の中土禁にしない? 汚れちゃうじゃない」
「ダメに決まってんだろ。さすがに土禁はやりすぎだ。
お前や外に出っぱなしになるだろうオレはともかく、揺れる車内で動き回る装填手やペダルワークのある操縦手には文字通りの足枷にしかならねぇよ」
「えー?」
ジュンイチに止められて不満げな声を上げる沙織だったが、アイデアはまだまだ残されていたようで――
「じゃあさ、色とか塗り替えちゃおっか?
ピンクとか、スワロフスキーとかでデコったりとか、かわいいと思うんだ〜」
「だ、ダメです! 絶対に!」
今度は優花里が沙織に待ったをかけた。
「戦車はあの質実剛健な迷彩色がいいんですから!」
「まぁコイツの趣味嗜好はどーでもいいとして」
「なんだか私の扱いひどすぎませんかみんなして!?」
「気のせいだ。
とにかく、実用性の面から色の塗り替えは却下だ」
優花里の抗議を一蹴し、ジュンイチは改めて沙織に告げた。
「戦車のあの塗装には、相手に見つかりにくくする狙いがある――ちゃんと意味があるんだよ。
ステルス塗装で夜間迷彩に、とかならまだしも、かわいさ優先なんて試合に使う戦車で認めてたまるか。
そんなことをすれば、相手から見つかりやすくなるだけ――模擬戦の時みたいに四方八方から追いかけ回されたいか?」
「う゛っ……そ、そうだね。じゃあ塗り替えはナシで」
「それが懸命だ。
どうしてもかわいく塗りたいなら、戦車のプラモでも買ってきてそっちでやってくれ。組み立てなら秋山さんに頼めば二つ返事だろうよ」
「私にファンシー戦車を作る手助けをしろと!?」
「プラモくらいは許容してやれよ。プラモは自由だぜ?」
ジュンイチの言葉に模擬戦で危うく袋叩きにされるところだったのを思い出したのか、沙織はあっさり色の塗り替えの却下を受け入れた――その後のジュンイチと優花里のやり取りは、まぁご愛敬ということで。
「となると、いじるのはやっぱり中か……」
「じゃあ、芳香剤とか置きません? お花の香りの」
と、手をポンと叩いて新たな提案をしてくるのは華だ。
「それくらいは大丈夫ですよね、柾木くん?」
「まぁ大丈夫だけど……あまり香りの強いものはやめておけよ。ほぼ密閉空間なんだから。
そんなワケで、芳香剤よりも香り付きの消臭剤くらいの方がいいかもな……あとは、ひっくり返ったら大変だから、固定用に両面テープも欲しいところか」
「鏡とかも欲しいよね〜。外に出る時、髪とか身だしなみとか、パパッと直すのに!」
「落として割りたくないなら小さめの手鏡の持ち込みでガマンしとけ。保護用のクッション忘れんなよ」
とりあえず、実用性に問題を生じさせない範囲内であれば、ジュンイチもリフォームに異論はない。華や沙織にアドバイスしていると、不意に道着の袖がくいと引かれた。
「ねぇ、柾木くん……」
みほだ。何やら不安げな様子で声をかけてくる。
「大丈夫、かな……?」
「んー、大丈夫だろ。こうしてちゃんと手綱を握っててやれば」
「ううん、そうじゃなくて……」
答えるジュンイチだったが、みほはふるふると首を左右に振って、
「他のチームの子達」
「………………」
みほの言いたいことを察して、ジュンイチの頬が引きつった。
そうだ――もし、他のチームの面々も、今の沙織のように戦車に手を入れることを考えていたとしたら。
この場はまだ自分達がストッパーになっているが、もし、他のチームが何の予備知識もないままに同じようなノリで“暴走”を始めていたとしたら――
「…………すんげぇヤな予感」
◇
「……遅かった」
結論から言うと、“イヤな予感”は的中した。
急いで買い物を切り上げ、校舎に、戦車を収めたガレージへと戻ってきた一同が目にしたのは、他のチームの戦車であった。
まず、元バレー部チーム――これはまだいい。横にでっかく白ペンキで「バレー部復活!」とか書かれているが、本体のカラーリング自体は元のままだからまだ許せる範疇だろう。
問題は他の三チーム――甲斐の武田・真田を気取ったか、赤色を基調にした派手なカラーに塗られた上にゴテゴテとノボリを取り付けられたV突。
続いて、ショッキングピンクに染め抜かれたM3ときて、トドメに38(t)が――
「き、金ぴか!?」
「どこの百式だよ……対ビームコーティングでも施してんのか……」
みほとジュンイチが驚いた通り、ガレージの照明をキラキラ弾くほどの勢いで金色に塗られていた。
「あぁぁぁぁぁっ! V突が! M3が! 38(t)が! なんか別のモノにぃぃぃぃぃっ!?」
「だから言ったじゃない! 色塗り替えようって!」
「だからダメだと柾木が言っていただろう……しかも正当な理由つきで」
あまりの惨状に頭を抱える優花里をよそに、自分もやりたかったのにと抗議の声を上げた沙織を麻子がため息まじりにたしなめる。
「おぉ! Aチームも来たのか! どうだ! 会長の乗る戦車に相応しいだろう!」
「いや、相応しいとかそういうことじゃなくてだな……」
そんな、呆然とする一同の姿を見つけ、金色の塗料を手に声をかけてくるのは桃だ。そんな彼女に答えかけたジュンイチだったが、いつも桃を引きつれている人物がこの場にいないことに気づいた。
「あれ? 杏姉はいないのか?
生徒会の仕事……じゃないか。それなら桃姉も連れてってるはずだし」
そう、杏がいないのだ。周囲を見回すジュンイチだったが、
「会長なら、練習試合を申し込みに行ったぞ」
「はぁ?」
「まったく、そういったことは我々が手配すると言ったのだが……」
「いやいや! ツッコむトコそこじゃねぇだろ!」
ため息をつく桃に、ジュンイチはあわてて待ったをかけた。
「練習試合って何だよ!? 聞いてねぇぞ!」
「何だ、お前は反対か?
『経験に優る知識なし』とはお前が我々に引用して聞かせた言葉だろうに」
「『今やるのは』反対だっつってんだよ。
まだこいつらは模擬戦を一回やっただけなんだぞ。まだ安全運転すらおぼつかないような状態なのに、練習試合とはいえ対外試合なんて早すぎる。
これが実戦なら、本人にいくら恨まれようが、叩きのめして病院に放り込んででも後方に引っ込んでてもらうところだ――それくらいにヒヨッコだらけなんだぞ」
「そうは言っても、もう会長が交渉に行ってしまったしなぁ……」
ジュンイチの言い分にも一理あるとは思っていたらしく、桃が困ったようにつぶやいて――
「あ、会長ならさっき戻ってきたの見ましたよ」
通りすがりに二人のやり取りを聞きつけ、声をかけてきたのは一年生チームの大野あやで――
「なんか、嬉しそうにスキップしてましたけど」
「………………げ」
続く言葉に、ジュンイチの頬が引きつった。
「え、ちょっ、柾木先輩?」
「柾木くん……?
会長が嬉しそうにしてたら、何かマズイの?」
「……お前ら」
ジュンイチの反応に不穏なものを感じ、あやとみほが尋ねる――対し、ジュンイチは冷や汗すら流しつつ答えた。
「覚悟しとけ。
明日あたり発表になると思うけど、オレらの対外デビュー戦の相手――」
「相当ヤベぇぞ」
◇
翌日――ジュンイチの言葉があやを通じてみんなにも伝わったのか、どこか不安げな空気を漂わせたまま、戦車道の訓練が行われた。
そして――
「これにて、本日の訓練を終了する!」
特に何もないまま訓練が終了。終始ずっと緊張にさらされ、必要以上に疲れ切った一同を前に桃が訓練の終了を告げた。
ようやく終わったという解放感が訪れるが、結局練習試合についての話はされないままだ。安堵と共に「またこの空気に明日一日さらされるのか」という不安感が一同の間に流れて――
「さて、解散の前に、みんなにひとつ、告知がある!」
((来たァ――ッ!))
桃の言葉に、一同の心の中で悲鳴が上がった。
「すでに一部の者によって話が広まっているようだが……あぁ、大野も西住も、別に広めたことを責めるつもりはないからそんなにおびえるな。
とにかく、今週の週末、つまり明後日の日曜日に練習試合を行うことになった!」
「ずいぶんと急だな」
「杏姉が試合組むとだいたい“こんな”だよ」
つぶやく麻子にジュンイチは心なしか痛くなってきたこめかみを押さえてうめく。が――
「相手は、聖グロリアーナ女学院!」
爆弾発表にはまだ続きがあった。桃の言葉にみほや優花里がハッと息を呑んだ。
「……? どうしたの? 知ってるの?」
「聖グロリアーナは、全国大会で準優勝したこともある強豪校です」
「無茶じゃんっ!」
「杏姉が試合組むとだいたい“こんな”だよ……っ」
「柾木くんが『相当ヤバい』って言ってたの、こういうことだったんだね……」
優花里と沙織のやり取りに、頭痛を訴え始めた額を右手で押さえるジュンイチの姿に、みほが冷や汗まじりに納得する。
だが、彼女達はまだ気づいていない。
「と、いうワケで、明日の土曜は一日、休養日とする。全員しっかりと疲れを抜いて試合に備えるように。
日曜は学校へ――」
「朝六時に集合だ!」
「…………え゛」
桃の投下した“第三の爆弾”によって、麻子が真っ青に青ざめていたことに――
◇
「やめる」
桃によって解散が告げられ、他のチームは三々五々に散っていく――そんな中、ようやく再起動したものの、麻子は開口一番そう言い放った。
「やっぱり、戦車道やめる」
「ど、どうしてですか、冷泉殿!?」
「朝の六時なんて、私には無理だ」
「え…………」
「麻子、朝弱いんだよ……それもものすごく」
いきなり戦車道をやめると言い出され、理由を聞いてみればそれは「朝起きられないから」――思わず絶句する優花里には沙織が補足した。
「短い間だったが、世話になった」
「まっ、待ってください、冷泉さん!」
「無理なものは無理だ」
「で、では、私がモーニングコールを入れさせていただきます!」
「家までお迎えにあがりますから!」
みほに答える麻子に優花里や華が追いすがるが、
「六時だぞ。
人間が、朝の六時に……起きられるか!」
「いや、六時に集合“完了”なので、実際には朝五時くらいには起きないと……」
「言いたいことはわかるが追い討ちかけんな馬鹿っ!」
うっかり地雷を踏み抜いた優花里にジュンイチのツッコミチョップが炸裂した。
「人にはできることとできないことがある。あきらめてくれ」
そんな一同に改めて告げ、麻子は再び背を向けて歩き出し――
「じゃあ単位はいらないの!?」
――ピタリっ。
沙織の放った一言で、その足は一歩目にして止められた。
「戦車道の特典の遅刻見逃し200日と三倍単位がないとヤバいんでしょ!? このままじゃ進級できないよ!?
私達のこと『先輩』って呼ぶことになっちゃうから! 私のこと『沙織先輩』って言ってみ!?」
「……さ、さお……せん……っ」
沙織に痛いところを突かれ、それでも「先輩」呼びくらいできるとでも言わんばかりに挑戦。抵抗を試みる麻子だったが、
「それにさぁ……ちゃんと卒業できないと、おばあちゃんメチャクチャ怒るよ?」
「――――っ!? おば……っ!?」
沙織の追撃に、今度こそ麻子が凍りついた。
「……わかった。やる」
結局、麻子が折れた。しぶしぶうなずいたその姿に、一同は安堵のため息をついて――
「西住」
と、そこに桃が声をかけてきた。
「これからチームリーダーでミーティングをする。生徒会室までついて来い。
柾木、お前も来い。会長がお前の意見もご所望だ」
「あ、はい」
「へーい」
桃の言葉にうなずき、みほとジュンイチは沙織達と別れて生徒会室へと向かうのだった。
◇
「いいか、相手の聖グロリアーナは、強固な装甲と巧みな連携を活かした、浸透強襲戦術を得意としている。
とにかく相手の装甲は硬い。主力のマチルダUに対して、こちらの砲は100メートル以内でないと通用しないと思え」
生徒会室に到着するとすでに自分達以外はそろっており、さっそく作戦会議が始まった。ホワイトボードに貼り出した敵戦車の情報を示しながら桃が告げる。
「そこでこちらは、一輌を囮にして敵をキルゾーンに誘い込み、高低差を利用してこれを一気に叩く!」
桃の告げる作戦はとりあえず理にかなっている。典子やカエサル、梓などは「おー」と感嘆の声を上げているが、
「ムリだな」
それをバッサリ斬り捨てたのはジュンイチだった。
「とりあえず、方向性は間違ってない。こっちの火力じゃ至近でないと勝負にならない以上、相手を誘い出すのは悪い方法じゃない。
けど桃姉の提示した囮作戦じゃ、あまりにも定番そのまますぎる。当然、聖グロリアーナ側もそんな作戦、仕掛けられ慣れてるだろうな。
となれば、当然対処法もお手の物だろう。囮が最初から相手にされないか、待ち伏せ要員が真っ向から火力差に圧倒されるか……いずれにせよ、確実に何かしらの形で対応されるのがオチだよ」
「えぇい、うるさいっ!
私の立てた作戦に口をはさむな! そんなことを言うならお前が隊長をやれ!」
「オレが?
冗談。基本単独行動の遊撃屋に全体見なきゃならん総隊長なんてやらせんなよ」
「だったら――」
「それに」
なおも反論しかけた桃に、ジュンイチはさらに言葉を重ねた。
「総隊長なら、オレや桃姉よりもよっぽど相応しい人がいるだろうが」
「会長か?」
「じゃなくて」
迷わず聞き返してくる桃に答えて、ジュンイチは“そちら”に視線を向けた。
すぐにその場の、当事者を除く全員が『あぁ』と納得する――そんな一同に注目されたのは、
「わ、私……!?」
みほだった。
「で、でも、私……」
「当然の人選だろう? ウチの人間で、一番戦車道について知ってるのはお前さんなんだからな。
ハイ、異論のない人は拍手〜」
言って、ジュンイチがパチパチと拍手。それに杏が続き、やがて典子、カエサル、梓が拍手に加わる――当人を除く、チームリーダー全員による満場一致である。
「がんばってよー。
勝ったら素晴らしい賞品あげるからさ」
今なお戸惑っているみほに対し、やる気を出させようとでもいうのか、杏がそんなことを言い出して――ジュンイチがポツリと一言。
「ンなこと言って、干し芋三日分とか言わないよな?」
「後は任せた」
「言い当てて悪かったから、すねて会長の職務に戻ろうとすんなEチームリーダー!」
生徒会長のデスクに戻って書類の山に立ち向かおうとする杏をジュンイチが会議の輪の中に連れ戻してきた。
「あの……もし負けたら……?」
(ナイスだ磯部さん!)
内容はいささか不穏ではあったが、話題を切り替えてくれるのはありがたい。話に割り込んできた典子に内心感謝するジュンイチだったが――
「ちょうど大洗あんこう祭りと日程が重なってることだし、あんこう踊りでも踊ってもらおうかな―?」
ピシリッ。
杏のその言葉に、場の空気が音を立てて(幻聴)凍りついた。
◇
「……あんこう、踊り……!?」
凍りついたのは会議に参加した面々だけではなかった。事情を聞いた沙織が、持っていた缶ジュースを取り落とすほどに動揺する。
見れば、優花里や華も顔面蒼白だ――会議を終えて教室に戻ってみれば、三人が待っていてくれた(麻子は先に帰ったらしい。これからの時間をフルに使って“寝だめ”するそうな)。
そして、一緒に下校するその途中、みほが会議でのことを話した結果が“コレ”である。
「恥ずかしすぎる!
あんなの踊っちゃったら、もうお嫁にいけないよぉっ!」
「絶対ネットにアップされて、全国的な晒し者になってしまいます……」
「一生言われますよね……」
「……そんなにあんまりな踊りなの……?」
上から沙織、優花里、華――三人が三人とも心底イヤそうなリアクションを見せるその光景に、みほも頬を引きつらせる。いったいどれだけすさまじい踊りなのか……
「勝てばいーじゃん」
ポツリ、と――しかしハッキリと宣言されたその一言に、全員の視線が件の発言を放ったジュンイチへと集まった。
「勝てば、あんこう踊りのペナルティはないんだ。だったら勝てばいいだけの話だろう?」
だが、そう告げるジュンイチはみほ達を見ていない。ずっと、生徒会室でプリントアウトさせてもらった紙面に目を通している。
「それは?」
「聖グロのデータ。
もーちょいで読み終わるから、そしたらそっち回すわ」
「いいの? 改めて見返したりとか……」
「帰ったら試合の映像記録の方を片っ端から見まくるつもりだからなー。見返す時間なんかねぇよ」
「あー、そっか……」
みほと言葉を交わすジュンイチは負けることなど少しも考えていないように、勝つのが前提のように見える。
が、沙織はすぐにそれは違うんじゃないかと思い至った。確認のために、軽くカマをかけてみる。
「ずいぶんと、勝ちに行こうと必死だね。
やっぱり柾木くんもあんこう踊りはイヤ?」
「それ以前に、負けるのがイヤなんだよ。負けず嫌いなんでな。
……いや、まぁ、あんこう踊りもそりゃイヤだけどさ」
やはりそういうことか――ジュンイチは負けると思っていないワケではない。
むしろ何の手も打たなければ負けると思っている――その上で、負けたくないと思っているのだ。だからこそ、記録に目を通し、データを集め、勝ちへの糸口を見つけ出そうとしている。
そして、それができれば勝てると信じている。あんこう踊りに対する動揺が見られない理由もきっとそこだ。
なら、チームメイトである自分達は――
「……うん、そうだね!
勝てば問題ないんだもんね!」
「負けても大丈夫ですよ、西住殿!
その時は私もあんこう踊りを踊ります! 西住殿ひとりに恥は欠かせません!
だからあまり気負わないでください! 西住殿はひとりじゃないんですから!」
「わたくし達みんなで、勝ちましょう!」
「その意気その意気。
やっぱ、やるからには勝ちにいかないとね」
そう、せめて気持ちぐらいは負けないように――次々上がる決意表明を前に、ジュンイチはうんうんと満足げにうなずいてみせる。
「前に読んだ漫画に、こんなセリフがあった。
『努力した者すべてが成功するとは限らん。だが、成功した者はすべからく努力しておる』ってな。
さて、この言葉、今のこの状況にあてはめて改変すると?」
ジュンイチに話を振られ、沙織達は顔を見合わせ、
「えっと……『勝つ気で挑んだ者すべてが勝てるとは限らない』」
「『だが、勝った者はすべからく勝つ気で挑んでいる』……でありますか?」
「なるほど、確かに今のわたくし達にピッタリの言葉ですね」
沙織と優花里の出した答えに、華がポンと手を叩いて納得して、
「ま、実は『すべからく』の部分は文法的に誤用だったりするらしいんだけどね」
「って、なんでそこで自分からオチをつけにいっちゃうかな……?」
付け加えるジュンイチやそれにツッコむみほの言葉に、一同の間に笑いがこぼれて――
「……私はそれより、麻子がちゃんと起きてこられるかの方が心配だよ……」
『う゛っ…………』
本当のオチは、その後に待っていた。
◇
――コォォォォォ……ッ、と、静かに息を吐き、ゆっくりとかまえる。
目の前にあるのは、このためだけにしつらえた固定台によってしっかりと立てられた金属板。
戦車の装甲板だ。厚みは152mm。聖グロリアーナの現総隊長車、チャーチルの最大装甲厚に合わせたそれを前に、ジュンイチはかまえたまま微動だにしない。
そのまま静寂が一秒、二秒……
――ガォオンッ!
一閃、そして衝撃――叩き込んだ拳が、装甲板を震わせた。
装甲板に変化は――なし。打ち破るどころか、凹ませることすらできていない。
装甲板の向こう側に置いておいたピンポン玉が転げ落ちたのが、床に落ちた音でわかる。打撃の風圧が届くような置き方はしていないから、打撃の衝撃は装甲板の向こうに伝搬したと思っていいだろうが――
(……やっぱ、炎なしじゃこんなもんか……)
しかし、それも予想していたこと。特に気にすることもなく、ジュンイチは拳を引いた。
もちろん、身体能力のブーストはかけていた。しかし、逆に言えば「それだけ」だ。いつもの戦力から炎にまつわる異能を差し引いただけで“この体たらく”だ。
「素手じゃチャーチルもブチ抜けねぇ、か……
ぶった斬るのは、問題ないんだけどなぁ……」
独りつぶやき、となりの固定台へと視線を向ける――真っ二つに両断された、同じく厚さ152mmの装甲板……のなれの果てと、その足元にぞんざいに放り出されたククリナイフが、そこで数分前に何があったのかを如実に語っていた。
一晩中聖グロリアーナのスカウティングを続け、気づけば翌日、土曜の昼前。
少しどころではなく遅い朝食をたいらげ、食後の腹ごなしと一晩中のスカウティングでこり固まった身体をほぐすのを兼ねて、いろいろと試してみることにしたのだ。
すなわち、戦車道のルールに引っかからない範囲内まで異能の運用をしぼった状態で、戦車を相手にどこまで戦えるか――しかし、その成果はあまり芳しくはなかった。
(素手じゃ装甲は抜けねぇ。蹴りでもさほど変わらねぇ。
斬れるだけじゃダメだ。装甲破れる攻撃が“斬る”しかないとバレればあっという間に対策される。そうなりゃたかだか一戦二戦でオレはたちまち戦力外だ。
何か……他に二、三、生身・異能なしでも戦車を撃破できる何かが欲しいところなんだけどなぁ……)
「戦車道のルールがなぁ……」
結局のところ、問題はそこに巡り戻ってくるワケで。
いくらジュンイチが“地元”において、異能に目覚める以前からSSSランク傭兵として絶大な非異能戦闘能力を有してきたと言っても、それはあくまで実戦、実際の戦場で一切の制限なく暴れ回ることが大前提。
対し、戦車道は戦車を使うと言ってもあくまで武道、スポーツなのだ。戦場では乗員におかまいなしに破壊できた戦車も、戦車道では乗員にケガをさせるような壊し方をしてはたちまち反則を取られてしまう。
増してやジュンイチの場合、現在の主力である異能の力の運用自体が反則スレスレときた。二重の意味で全力を封じられ、戦車対策は思った以上に難航していた。
それに、問題はそれだけではない。
(こっちは素人ぞろいの上戦車の性能でも圧倒的不利……
それに桃姉の作戦だって、おそらく聖グロには通じない。
ただでさえ不安要素が山盛りなんだ。その分オレが踏ん張らないと……
けど、それはそれでアイツらが経験を積む機会を奪っちまう。どう転んでも何かを失うのは避けられないか……)
まだ新人にすぎない大洗チームの面々に実戦経験を積ませる、という今回の試合の目的を考えれば、自分が出しゃばらず仲間達の好きにやらせるべきだろう……特に戦車をハデな色に塗り替えるという大悪手をやらかしたC、D、Eチームは一回くらい痛い目を見た方がいいというのがジュンイチ個人の率直な感想だ。
しかしそうなるとこちらの敗色は濃厚。そしてもし負ければ待っているのはあんこう踊りの罰ゲームだ。さすがのジュンイチも“アレ”は何としても避けたいところだ。
現状、あんこう踊りを回避できる希望の芽があるとすれば、総隊長となったみほの手腕に期待するか、自分がなりふりかまわず暴れ回るか、くらいになってくるが、実はそれもそれで不安が残る。
仮にみほなり自分なりががんばって勝利したとしても、それはみほ、もしくは自分によるワンマンゲームだ。メンバーの経験にならない、程度ですめばまだいい方。下手をすればこちらに頼りきりになってしまい、彼女達の成長の芽をつぶす結果にもなりかねない。
あんこう踊り回避を取るか、チームの将来性を取るか……ある意味究極と言ってもいい二択にジュンイチが頭を悩ませていると、
ピンポーンッ。
来客を報せる呼び鈴が鳴った。
◇
そして、明けて翌日――日曜日。試合当日の朝が来た。
「はい、もしもし?」
試合に向け、登校しようと身支度していると、携帯電話が着信を知らせてきた――確認してみると沙織からだったので、とりあえず応答してみる。
〈あ、もしもし、みほ!?
今麻子んちなんだけど!〉
「……もしかして、冷泉さん、起きられないの?」
〈起きないどころの騒ぎじゃないよ!〉
一番ありそうな話を振ってみるが、沙織の答えはそんなみほの予想の斜め上を行っていた。
〈麻子がどこにもいないの!〉
「えぇっ!?」
〈それどころか、布団を使ったような形跡もなくて……〉
〈まさか、わたくし達に起こされるのがイヤで、昨夜は別の場所に泊まったんでしょうか……?〉
〈西住殿、何か聞いてませんか!?〉
沙織だけでなく、華や優花里も割り込んでくる。どうやら三人がかりで麻子のことを起こしに行っていたようだ。
「わ、私は何も……」
一方、優花里から心当たりを聞かれたみほだが、彼女にとってもこの事態は寝耳に水だ。心当たりなどあろうはずが――
「あ、でも、柾木くんなら知ってるかも!」
いや、あった――そうだ。自分が初めて麻子と出逢った時のやり取りから考えればジュンイチが以前から彼女と知り合いだったのは明らかだ。
幼なじみである沙織ほどではないにせよ、自分より付き合いの長い彼なら何か聞いているかもしれないし、仮に何も聞いてないとしても、彼のいろいろとトンデモなスキルの数々なら、麻子のことを探し出せるかもしれない。
〈そっか、なら聞いてみるよ――〉
「あ、待って! 切らないで!
私ならこのままでも連絡できるから!」
こちらの言葉に、さっそく自ら連絡を取ろうとした沙織を止めると、みほはポケットからそれを取り出した。
以前ジュンイチから緊急連絡用にと渡された、予備のブレイカーブレスだ。教わった使い方を思い出しながら、おっかなびっくり操作、発信して――すぐに応答があった。
〈はいは〜い、こちらジュンイチ。
どったの、西住さん?〉
「あ、うん……」
とたん、空中に立体映像のように平面スクリーンが現れ、ジュンイチの姿が映し出される――「そういえばこれを初めて見せられた時は本当にビックリしたなー」とつい先日の出来事が思い出されるが、みほは気を取り直して本題に入った。
「実は、沙織さん達が冷泉さんの家に行ったみたいなんだけど……」
〈冷泉さん……?……あ〉
みほの話の切り出しに軽く首をかしげ――そのジュンイチの表情が固まった。なぜか気まずそうな顔でみほに尋ねる――まるで耳打ちするかのようなジュンイチの動きに合わせたか、ちょっとだけウィンドウが寄ってくる。
〈もしかして……家に行ったけどいなかった、とか?〉
「う、うん……」
〈…………っ、のっ、バカ……っ!〉
「何か知ってるの?」
〈うん、知ってる。
とりあえず、冷泉さんちに行ったメンツには気にせず登校するように伝えてくれよ。このままじゃアイツらの方が遅刻しちまう〉
「あ、うん」
〈あとお前もな。もう寮の前で待ってんだけど〉
「早く言ってよ!?」
ジュンイチにツッコんで、あわてて沙織達に伝言を伝え、自身の身支度に戻ろうとして――
「……『寮の前』?」
ふとその一言が引っかかった。
なぜなら――
(その割には、映像……柾木くんの後ろ、屋内っぽかったような……?)
◇
結果として、そのみほの疑問はすぐに晴れた。
「おー、ようやくか」
「って、車!?」
寮の前に横付けされた業務用ワゴン車、その運転席から声をかけてくるジュンイチの姿を見たことで。
と言っても、ジュンイチが車を運転していること、それ自体はそれほど問題ではない。艦上学園都市は学園の敷地内という扱いである、すなわちその道路はすべて私道扱いであるため、公道での運転のためのものである運転免許がなくても運転することが許されているからだ。
問題は、いつも徒歩通学であるジュンイチがなぜ今日に限って車を持ち出してきたのか、そして、そもそもこの車はどこから調達してきたのか――
「柾木くん、この車は……?」
「あぁ、ウチの社用車」
「社用車……?」
首をかしげ、車体を見ると、社名と思われる名前が連絡先の電話番号と共に書かれていて――
「……『Masaki Total Guard Service』……『よろず厄介事解決します』……?」
「要するに何でも屋だよ――某ジャンプ漫画風に言うなら“よろず屋ジュンちゃん”ってところか」
「………………?」
「いや、別にツッコミは期待してなかったよ……うん、期待してなかった」
『銀○』ネタが通じず首をかしげるみほに返しながら、助手席を軽く指さす――意図を察し、みほはドアを開けて乗り込んだ。
「オレの身の上は前に話したろ?
要するに天涯孤独の身の上ってことだからな、食ってくためには働かんと」
「そうなんだ……
でも、今日はどうして車で?」
「仕事も兼ねてるからだよ――後ろ見てみ」
答え、後ろを指さすジュンイチに従い、みほは後ろをのぞき込んで――
「れ、冷泉さん!?」
後部座席をたたんで作ったスペースに布団を敷き、掛け布団にくるまって眠る麻子の姿がそこにあった。
「昨日、いきなり押しかけてきやがってな――しかもクライアントとしてだ」
「クライアント……依頼人?」
「そ。
依頼内容は、『今日確実に起きられないだろう自分を集合場所まで運ぶこと』」
「それって……」
「冷泉さんなりに、考えたんだろうな。
朝の弱い自分が、どうすれば集合に間に合うことができるか」
つぶやくみほに、ジュンイチはワゴン車を発進させ、運転しながら答える。
「まず、自分で起きるってのは却下だ――何せ、それができなかったから今の冷泉さんの遅刻の山があるワケだしな。
なので、選択肢は自然と『他の誰かに起こしてもらう』に落ちつくワケだけど……武部さんに押し切られる形だったとはいえ自分で『やる』って言っちまった手前、この上武部さん達に起こされてさらに手間をかけさせちまうのは申し訳ないし、何よりそれで自分が起きられなかった場合、武部さん達まで遅刻に巻き込んじまう――ってのが、冷泉さんの言い分」
そのジュンイチの話に、みほにはピンと来るものがあった。
「……『遅刻に巻き込む』……って、柾木くん、それって……」
「あぁ……たぶん、お前さんと冷泉さんが初めて会った、あの戦車道の授業初日の朝のことだろうな。
あの時、オレが本気出さなきゃ三人そろって遅刻してた……元々知り合いだったオレはともかく、初対面の西住さんを巻き込みかけたことで、何か思うところがあったのかもしれないな」
みほに答えて、ジュンイチは軽く肩をすくめて、
「ともかく、そんなワケでオレへの依頼だ。
仕事って形ならオレにはそれを履行する責任があるからな。確実に登校できるし、義理人情でオレに何かしら思う必要もないし、何より武部さん達を巻き込まないで済む」
「……その割には、みんな冷泉さんちに行って入れ違いになっちゃったみたいなんだけど」
「それについては耳が痛い」
単なる話題振りのつもりなのだろう、からかうようにツッコんでくるみほに、ジュンイチはため息をつき、
「ウチに泊まっていくなら入れ違いにならないように武部さんに連絡入れておくように言っといたんだけど……あ」
うっかりもらしてしまった失言に気づくがもう遅い。視線を前に向けたまま様子をうかがってみれば、みほは彼女にしては珍しく不満げに頬をふくらませていて――
「……冷泉さんはいいんだ。
私が家に誘った時はさんざん渋ってたのに……」
「一応言っとくけどちゃんと止めたからな!?
あとツッコむトコそこでいいのか!?」
やはり、以前みほの家で食事会をやった時のことを引き合いに出された。自分の時と扱いが違うと不満をもらすみほにジュンイチがツッコむ。
「でも、同じ部屋に泊まったんだよね……?」
「あー、それ違う」
なおも不満を隠さないみほに訂正して、ジュンイチは足元を指さした。それが意味するのは――
「……え、車中泊!? お客様として泊まっていったんだよね!?」
「本人の希望。
車に運び込まれる時に起こされたくない、だとさ」
驚くみほに答え、ジュンイチは軽く肩をすくめ、
「というか……マジで西住さんは何が不満なのさ?
自分と扱いが違うっつーけど、何? あの時泊まっていってほしかったの? それともウチに泊まりたいの?――今回の冷泉さんと比べるってことはそのくらいの話ってことだろ」
「………………え?」
そのジュンイチの問いに、みほの動きが止まる――質問の内容に赤くなっているワケではない。本当に虚を突かれたようで、困惑もあらわに目を白黒させている。
「そういえば……何でだろう?」
「理由もわからずぶーたれてたのかよ……」
呆れてつぶやくジュンイチだったが、そうしている間もみほはやはり自分がなぜ機嫌を損ねたのか理解できず、しきりに首をかしげていた。
◇
「……んぁ……?」
「おや、ようやく起きたか」
麻子が目を覚ますと、彼女は大洗の制服に着替え、W号戦車の通信手席に座らされていた。顔を上げる彼女の姿に、操縦手席のジュンイチが声をかけてくる。
「ここは……?」
「見ての通り、W号の車内。
現在試合会場に向かうべく、車両乗降リフトにて学園艦の入港待ち――お前さんが起きないから、オレの運転でな」
ジュンイチの答えを聞きながら、麻子は自分の身体を見下ろし、大洗の制服姿であることを把握。ジュンイチへと視線を戻し、
「…………えっち」
「オレが着替えさせたんだと思ってるんだろーが、それやったのはオレじゃなくて……」
「あ、麻子起きた?」
「……この人だから」
話し声を聞きつけたのか、車内をのぞき込んできた沙織を指さして、ジュンイチは麻子にそう答える。
「おはよう、沙織」
「『おはよう』じゃないよ、もう……
麻子んち行っても麻子いないし、柾木くんが大丈夫だっていうから学校に来てみれば、柾木くんの車の中で布団にくるまってぜんぜん起きないし」
「柾木殿が代返してくれなかったら、河嶋殿のカミナリが落ちていたところでしたね」
「柾木が代返……? 私の……?」
話に加わってきた優花里の言葉に、麻子は「大丈夫だったのか」と言わんばかりに疑わしげな視線をジュンイチに向けるが、
「西住さん、ご感想をドウゾ」
「え? 私?
えっと……うん、一瞬、本当に冷泉さんが起きてきて返事したのかと……」
対するジュンイチはあっさり車長席のみほに丸投げした。いきなり話を振られて戸惑いながらも「そっくりだった」とみほが評するのを聞いて、麻子はジュンイチへと視線を戻した。
そんな麻子の視線に、ジュンイチはフンとドヤ顔で鼻を鳴らし、
「セキュリティシステムの声紋認証すらごまかせるオレの七色の声帯模写をなめるなよ?」
「相変わらず、いろいろトンデモナイ技術をしょーもないことに使うことに関しては全力よねー」
沙織が呆れてつぶやくと、学園艦全体に汽笛が鳴り響く――入港し、接岸作業に入った合図だ。
「久しぶりの陸だー♪
アウトレットでお買いものしたいなー♪」
「試合が終わってからですね」
「えー?」
久方ぶりの上陸で気分がノってきたのだろうか、試合のことも忘れてはしゃぎ始めた沙織が華にたしなめられた。
「ぶーっ、せっかくの上陸なのにーっ。
昔は全部の学校が陸の上にあったんでしょ? 私その時代に生まれたかったなー。そうすれば好きな時にショッピングとかできたのにー」
「私は今の方がいいですね。
海の上は気持ちいいですし、星もきれいですし」
なおも不満をもらす沙織に優花里が答える――珍しい組み合わせだがジュンイチはツッコむのを自重した。沙織の言う“すべての学校が陸にある状態”を知る者として、うかつなコメントを返して墓穴を掘るつもりはない。
「西住さんは大洗の街は初めてですか?」
「う、うん……」
「では、試合が終わったら案内しますね」
「うん、ありがとう」
一方ではみほと華がそんな会話をしていて――と、そこでふと麻子と目が合い、
「…………えっち」
「流れでムリに会話する必要はないし、それでさっきのネタほじくり返す必要はもっとないぞ」
すかさず麻子にツッコんで――不意に、そんなジュンイチの、操縦手席から見える視界に影が落ちた。
何事かと頭上のハッチを開けて顔を出してみれば、みほを始め他の面々は何かに圧倒されるように上を見上げていて――
「あれは……学園艦、か……?」
ジュンイチも見上げてみたその先に、それは圧倒的な威圧感と共に存在していた。
彼の見立てた通り、それは学園艦だ――ただし、とてつもなく巨大な。
その巨体たるや、となりの桟橋に入港しているはずなのに、まるですぐそばに隣接しているかのようにこちらに影を届かせているほど――つまり、全高だけで見てもそれほどの差があるということだ。
そして、それほどの高さがあるということは、それを支える艦の全幅もそれ相応のはずで――
「……単純な諸元の比較でも全高、全幅、全長全部が大洗の倍以上……単純計算でサイズ比八倍かよ。
これが聖グロの学園艦……いやはや、金持ってるヤツはやっぱ住むところからして違うのかねー?」
「まったく、柾木くんは何をひがんで――あら?」
ブレイカーブレスを介してその場でネットに接続。相手の学園艦のデータに目を通して口をとがらせるジュンイチの姿に呆れる華だったが、不意に何かに気づいたかのように声を上げた。
「どしたの、華?」
「いえ、あそこ……」
沙織に答え、華が指さした先――あちらの学園艦の、自分達から見てさらに数階層上に、複数の戦車の姿が見えた。
おそらく――
「あれが、聖グロリアーナの戦車……試合に出る人達でしょうか?」
「今このタイミングで持ち出してきてるってことは、たぶん……」
尋ねる優花里にみほが答えて――
「ふーん……」
相手の戦車の姿を確認したジュンイチは、なぜか何やらおもしろくなさそうに鼻を鳴らした。
「……五輌だけ、ね……」
◇
今回の練習試合は大洗側の、本土の演習場だけでなく、大洗の市街地の一部をフィールドとして行われる。
すなわち、大洗の市民から見て目と鼻の先で試合が行われることになる。
久々の地元での試合ということで、地元市街地の商工会議所はこの試合を町おこしの絶好の機会と捉えていた。駅前や商店街には出店が立ち並び、いつもは市民の憩いの場となっているアウトレットモールの芝生広場にはオーロラビジョンが設置され見学席に指定されている。
そんな感じで地元が大いに盛り上がる中、選手の待機所に設けられた天幕、そのひとつの中にジュンイチの姿があった。
道着の裏に仕込んだポケットに武器の数々をしまい、右手のリストバンド、左手のブレイカーブレスの位置を直す。
一旦脱いでいた合金芯入れのブーツをはき直し、額のバンダナも一度外し、位置を直してつけ直す。
身支度のためにと用意された天幕の中で、ジュンイチは改めて装備の最終点検中。常在戦場を心がけ、常日頃から万全に装備を整えているジュンイチだが、せっかくこうして試合前に改めて準備を整える場を設けてくれたのだ。活用しないのは損というものだろう。
最後に手にするのは愛用の霊木刀“紅夜叉丸”――と、その時、天幕の外がにわかに騒がしくなった。
“紅夜叉丸”を腰に差し、天幕を出てみると、ちょうど対戦相手、聖グロリアーナの戦車隊が待機場所に姿を見せたところであった。
内訳はチャーチルが一輌にマチルダが四輌――やはり、艦上で見た通りこちらと同じ五輌。先に見かけた時と同様に眉をひそめつつ、ジュンイチは騒ぎの“本当の原因”へと視線を向けた。
聖グロリアーナの一般生徒達だ。彼女達が聖グロリアーナの戦車隊の到着に歓声を上げたのが、先ほどの騒ぎの原因だったのだ。
今もまだ続く――いや、むしろさらにヒートアップの一途をたどる黄色い歓声に辟易しながら、W号の前にいたみほ達と合流する。
「一応、事前情報としては知ってたけど、聞きしに勝る人気っぷりだな……」
「あ、柾木くん。
うん、私も、最初に見た時はビックリしたよ……」
声をかけたこちらに気づき、みほが返してくる――他のチームメイトが首をかしげているので、説明する。
「聖グロリアーナは、元々イギリス文化に強く影響を受けた校風の学校でな。紳士淑女の国と言われるイギリスらしく、戦車道のもうひとつの側面、女性らしさの教育にも力を入れている。
実力だけじゃレギュラーは取れねぇ。戦車戦の最中でも英国淑女としてのたしなみを貫けて、初めてレギュラーに名を連ねることを許される――だからこそ、レギュラーの面々は他の生徒達の尊敬を一身に集める存在となる」
「はぁ……そうなのでありますか……」
「お前……本当に戦車以外どーでもいいのな」
沙織達と一緒になって納得する優花里の姿に、ジュンイチは改めて彼女の戦車好きっぷりを見せつけられた気がしてため息をひとつ。
ただ、そのため息が示す呆れの感情、それが向けられる相手は優花里だけではなくて――
「……まぁ、英国文化特有の紅茶狂いっぷりまで一緒に取り込んでるのと、今話した風潮が一部度を越して、学園全体が多少百合百合しくなってんのが玉に瑕だけどな」
付け加えられた説明にみほ達が苦笑すると、歓声が一際大きくなった――見れば、聖グロリアーナの戦車隊が停車、中から乗員が出てくるところだった。
「ダージリン様ぁーっ!」
「アッサム様!」
「見て、オレンジペコ様よ!」
「……ダージリンとかアッサムとかって、紅茶の名前だよね?」
「オレンジペコもな」
首をかしげる沙織にジュンイチが答える――華や麻子もわかってなさそうな顔をしているので、またまたジュンイチによる説明タイムである。
「さっき、『イギリス特有の紅茶好きも取り入れられてる』って言ったろ?
あれもその一環でな――幹部クラスや将来有望と見込まれたその候補生には、紅茶の名を冠したソウルネームが与えられているんだ」
「ソウルネーム……Cチームの、エルヴィンとかカエサルとかみたいな?」
「そうそう」
聞き返す沙織にジュンイチがうなずいていると、聖グロリアーナの戦車乗員達の中からひとりの女子が進み出てきた。
金髪を三つ編みにした上で後頭部でまとめた、エメラルドグリーンの瞳をした少女だ。
(髪型はギブソンタック、金髪碧眼……なるほど、あの人が隊長のダージリンか)
ジュンイチが少女の正体に見当をつけている一方で、桃がそのダージリンへと声をかける。
「本日は急な申し込みにもかかわらず試合を受けていただき、感謝する」
「かまいませんことよ。
それにしても……」
桃に答え、ダージリンは大洗の戦車、特にショッキングピンクのM3、真っ赤なV突、そして金ピカの38(t)を順に見渡し、
「ずいぶんと、個性的な戦車ですわね」
「………………っ」
「ですが」
その一言には、こちらへの嘲笑の意があからさまに含まれていた。笑いをこらえているかのようなダージリンの言葉に桃が反応するが、彼女が口を開くよりも早く、ダージリンが言葉を重ねてきた。
「我が聖グロリアーナはどんな相手にも全力を尽くしますの。サンダースやプラウダのような下品な戦い方はいたしませんわ。
騎士道精神でお互い正々堂々がんばりましょう」
「ぐ…………っ」
一方的な舌戦。どちらが勝ったのは誰の目にも明らかだった。一言の反論もできないままの桃を尻目に、ダージリンは優雅にきびすを返し――
「それが正々堂々全力尽くそうってヤツの態度かよ?」
そんな彼女の背に、新たな声が投げかけられた。
「何やってんのぉ――っ!?」
ついさっきまで傍らにいたと思ったら、いつの間に、そして何をやらかしてくれているのか――桃の背後に立ち、挑発的な言葉でダージリンを呼び止めたジュンイチの姿に、沙織が思わず声を上げる。
しかしもう遅い。ジュンイチの言葉にダージリンは優雅さを失わないまま、しかし明らかに怪訝そうに振り向いてきた。
「……それはどういう意味かしら?」
「どうもこうも、アンタらその数の戦車で試合する気かよ?」
言って、ジュンイチが指さしたのは聖グロリアーナ側の五輌の戦車だった。
「今回のルールは殲滅戦。確かにフラッグ戦に比べて戦車の数が優劣に直結しやすいせいで、戦車の数にはフラッグ戦以上の制約があるけど、それでも戦力差は六割まで認められてる。
つまり、こっちの五輌に対してそちらさんはその1.6倍、八輌まで出せるってことだ――残り三輌どこ行った?」
「それはもちろん、正々ど
「『正々堂々戦うために数合わせた』か? それこそざけんな」
答えようとしたダージリンだったが、ジュンイチも間髪入れずにそれを抑え込んできた。
「出せる戦力も出さず、相手に合わせてレベル落として――そんな手ェ抜くようなマネしておいて、何が『全力で戦う』だ。なめられたもんだな、オレ達も。
『正々堂々』だの『全力』だのと謳うなら、全力で向かってくる相手には正真正銘の“全ての力”で応じてやるのが礼儀ってもんじゃねぇのかよ?」
「……そ、それは、“正々堂々”という概念に対する解釈の違いというヤツね」
「おっと、そうくるか」
主導権を取り戻そうとするダージリンだったが、ジュンイチも平然とそう返し、
「じゃあ、解釈の違いもへったくれもない話をひとつ。
アンタ、さっき自分が何つったか覚えてるか?」
「え…………?」
「何? 覚えてない? なら教えてあげるよ。
『サンダースやプラウダみたいな下品な戦い方はしない』っつったろうがよ。
当人達がいないからってずいぶん好き勝手言うじゃないのさ。本人がいないところで悪口並べ立ててこき下ろすのがお前さん達の“ノブリス・オブリージュ”かよ? 英国淑女が聞いて呆れるな」
「わ、わたくし達は……っ」
「おっと、そろそろスタート地点に移動の時間だな。
そういうワケだからさ――ダージリンさん、続きは態度で示してくれや。
今日の試合、楽しみにさせてもらうよ――“いろいろと”ね」
なおも抵抗を試みるダージリンだったが、ジュンイチはそれをあっさり一蹴。それどころかさらに一言突き刺した上で、みほ達のところに戻ってきた――ものすごく晴れ晴れとした笑顔で。
「ん。勝った」
「試合で勝たなくてどーすんのよぉぉぉぉぉっ!」
そしてその笑顔に、沙織が渾身のハリセン一閃。
「……ツッコミに物理が伴うようになったとは、成長したな、武部さん。
つかそれ、オレが『予備の装備に』ってW号に積んでたヤツじゃん」
「うん、そうだね! こんなの『装備』って持ち込んでどう使うつもりなのかすっごく気になるけどねっ!
って、そうじゃなくてっ! 何わざわざ相手を挑発しに行っちゃうかな!?」
「そうですよ!
せっかくあちらが油断してくれていたんですよ! 戦力で劣る我々には、その油断につけ込むことこそ唯一の勝機だったというのに!」
「通用しないよ」
「……って、へ?」
沙織に乗っかってきた優花里だったが、ジュンイチにあっさりと返されてその目がテンになる。
「あー、一応言っとくと、秋山さんの言う『相手の油断につけ込む』っていう作戦そのものは悪くない。
ただ今回は相手が悪い――聖グロはその手の作戦にめっぽう強いから通じないだろう、ってこと」
「どういうこと?」
「相手の油断につけ込む、ってのは、要するに油断した相手の意表をつく奇襲作戦ってことだろ?
けどこの手の作戦は、基本的に短期決戦前提の電撃作戦だ――相手が驚いて、動揺している間に一気に決めちまわないと、後に待っているのは立ち直った相手からの一方的なボコ殴りだ」
そう沙織に答えると、ジュンイチは優花里へと向き直り、
「ところで秋山さん。
聖グロリアーナの戦車隊の得意戦術って何だっけ?」
「浸透強襲戦術ですね」
「具体的には?」
「相手の攻撃に耐えつつ、ジワジワと攻め込んで――あ」
「気づいたみたいだな」
目を丸くして動きを止めた優花里に、ジュンイチはそう告げてうなずいて、
「そう、聖グロは持ってんだよ――動揺から立ち直って、反撃に出る、それまで持ちこたえられるだけの防御力をな。
だから、秋山さんの言う、相手の油断につけ込んでそのスキをつく作戦は今回はリスクが大きすぎて使えたもんじゃないんだよ」
「ならどうするっていうんですか!?」
「あんこう踊りはイヤぁーっ!」
「だから挑発したんだよ」
詰め寄ってくる優花里や頭を抱える沙織に、ジュンイチはあっさりとそう告げた。
「油断から来るスキをつくって作戦は使えない――けどそれは、『スキはつけるけど耐えられる』って意味で、だ。
そう。スキはつけるんだ――油断そのものは、秋山さんの言う通り確かにしていた。それはさっきの、こっちを小馬鹿にした言動から考えて間違いない。これ自体は利用しない手はないだろ。
だから、『相手の油断につけ入る』っていう作戦の根本部分はそのままに、“つけ入り方を変える”のさ」
「つけ入り方を……?」
と、そう口をはさんでくるのは、ジュンイチに詰め寄っていた二人に気圧されて今まで傍観に甘んじていたみほだ。
「油断してる――それは言い方を変えると、『こちらを格下として見下してる』ってことだ。
見下してる相手からあぁもコテンパンに言い負かされれば、心中穏やかじゃいられないだろ」
「そうか……油断してるところに襲いかかっても、動揺はほんの一時的、驚いてる間だけのことだけど……」
「悔しさや怒りは、驚きよりも長続きする……相手の冷静さを奪うことを優先させたからこその、あの挑発ですか……」
みほだけではない。華もそのとなりで納得していると、
「……と、ゆーのが、“戦車道選手としての”理由」
『…………へ?』
しれっと付け加えられた一言に、みほ達の目がテンになった。
「えっと、柾木くん……?」
「他にも理由が……?」
「んー? あるよー。“オレ個人としての”理由がね」
尋ねる沙織と優花里に答え、ジュンイチはスタート地点への移動を始めた聖グロリアーナの戦車隊を見送って――
「まがりなりにも、オレだってこのチームの一員だからね」
「………………っ!?」
「これが初陣の急造チームだろうが、バカにされたらやり返したくもなるだろ」
うとうとしていた麻子がその殺気に寒気を覚えて跳び起きるほど、ジュンイチは怒っていた。
◇
その後は大洗側も各自スタート地点へと移動。現在はスタートの合図待ちの状態である。
ジュンイチも車長席の右どなり、装填手席の後ろに身体を押し込めて(一応乗員扱いのため、公式戦の場合は席が足りていなかろうが開始時点では戦車内に乗り込んでいなければならない)開始の時を待っていた。
と――
「……柾木くん」
そんなジュンイチに、みほが小声で声をかけてきた。
「柾木くんは、その……失敗すると思ってるんだよね? 囮作戦」
「あぁ」
即答であった。
「何? 桃姉に逆らって、独自の作戦でいこうって話?」
「あ、ううん、そうじゃなくて……」
答えて、みほは狭い車内で器用に身体を寄せてきたジュンイチに自分の“考え”を話して――
「……なるほどね。
悪くない話だ。OK。乗ったぜ」
「うん、お願い。
そこ以外では、柾木くんの判断で自由に動いてくれていいから」
ジュンイチにそう告げて――みほは、ジュンイチがまだ何か言いたそうにニヤニヤしているのに気づいた。
「えっと……何?」
「いやー、打診された時は自信なさそうにしてたクセに、いざやってみれば、なかなかどうして、ちゃんと“指揮官”できてるじゃねぇか」
「え? いや、これは……」
「二人とも、漫才はそこまで。もう始まるよ」
「へーい」
「え? 漫才? ひょっとして私からかわれてた?」
沙織からの注意にあっさりと“みほいじり”の手を止めるジュンイチに、みほはついていけずに目を白黒させて――
〈試合、開始!〉
大洗女子戦車道チーム、その初陣となる試合が、始まった。
次回、ガールズ+ブレイカー&パンツァー
第5話「オレ達を、なめるなよ」
(初版:2018/02/19)