「あぁ、秋山さん」
「…………?
柾木殿……?」
ある日の昼休み、廊下の一角で、優花里はジュンイチから声をかけられていた。
「どうしたんですか?」
「いや……ちょっとな」
優花里に返すと、ジュンイチは「ついて来い」と軽くジェスチャー。意図を汲み取り、優花里は彼と共に人気のないところへ移動する。
「それで……何なんですか?
これが武部殿なら『まさか愛の告白!?』なんて色めきたつところなんでしょうけど、柾木殿のことですから違いますよね?」
「そのとーり。
いや何……お前さん、次の試合の偵察行くつもりなのかなー?と」
「次、ですか……?
そうですね……聖グロが勝った場合は、まぁアンツィオと違って普通にバレて捕まるでしょうからナシですね。
関国商が勝ち上がれば、そりゃあ調べておく価値はあるでしょうけど、正直あの聖グロ相手では……」
「行くな」
「……って、へ?」
自分の言葉に被せて放たれた一言に、優花里は思わず首をかしげた。
「『行くな』……って、関国商への偵察に、ですか?」
「あぁ」
「で、ですが、西住殿のためなら、この秋山優花里、たとえ火の中水のなk
「それでもだっ」
強く言い放ち、ジュンイチが優花里に詰め寄った。反論を封じるように、優花里の背後の壁を強く叩いて威嚇する。
「絶対に、行くな」
「え、えっと……」
「い・い・な?」
「は、はい……」
さらに顔を近づけてプレッシャーをかける。真剣な眼差しに射抜かれ、優花里はたまらずコクコクとうなずいた。
「ん。よろしい。
じゃ、約束したからな。絶対行くなよー」
それを受けて、機嫌を直したジュンイチは優花里から離れた。そう改めて言い残すと、用は済んだとさっさと去っていき――
「……ということがあったんですよ」
「壁ドンじゃないソレっ!?」
後日、沙織からツッコまれた。
第19話
「やられたな」
「壁ドン……でありますか?」
「どう聞いてもそうじゃない!
人気のない廊下! 男子に壁まで詰め寄られて、しかも壁にドンと一撃!
これが壁ドンじゃなくて何なのよ!?」
思わず聞き返す優花里に対し、沙織は力いっぱいそう答える。
二人がいるのは本土、大洗のショッピングモールだ。華や麻子も一緒で、さらに――
「ね、ウサギさんチームのみんなもそう思うよね!?」
『異議なーし』
ウサギさんチームの面々もいる。いつも無口の紗希を除く五人が声をそろえて沙織に同意する。
お互いショッピングモールに来ていたところにバッタリ遭遇。せっかくだから一緒に昼食をとることにして、現在イートインに向けて移動中。
そんな道中、優花里が「そういえば」と冒頭のやり取りを思い出して――現在に至る。
だが……
「あー、えっと……
…………壁ドンって何でありますか?」
「って、そこから!?」
そもそも根本からしてわかっていない優花里であった。
「もう、しょうがないなー、ゆかりんは。
いい? 壁ドンっていうのはねぇ」
「冷泉殿、壁ドンって何でありますか?」
「ちょっと!?」
しれっと優花里にスルーされた沙織が悲鳴を上げる――いつもスルーされているお返しだとほくそ笑む優花里だったが、
「一般的に言われている意味は二つある。
ひとつはアパートなどの集合住宅で、となりの部屋がうるさかったりした時に壁を叩いて抗議を伝える行為。
そしてもうひとつ。秋山さんがされたのはこちらだが、煮え切らない相手を壁際に追い詰めた上で壁を叩いて威嚇することで、決断を促す行為だが――」
「恋愛モノの物語などでは、積極的な方が相手に迫る際のシチュエーションとして定番のネタになっている」
「れん……っ!?」
こっちはこっちでド直球。聞く相手を間違えたとちょっぴり後悔。
そして同時に理解する――沙織達が、どうして自分の話にここまで盛り上がっていたのか。
まさか自分が恋愛モノの定番シチュエーションに当てはまる行為をされていたとは――これにはさすがの優花里も真っ赤に赤面する。
「たっ、たたたっ、武部殿!?
いや、アレはどー考えてもそういう話ではなくてっ!」
「そうだぞ、沙織。
日頃の、柾木の秋山さんに対するネタキャラ扱いを考えれば」
「冷泉殿、援護はありがたいんですけど根拠がそれっていうのもひどすぎませんか!?」
「ノンノン、甘いなー、二人とも」
微妙なフォローに優花里が悲鳴を上げるが、沙織は笑ってそう返してくる。
「今の話を考えてみてよ! どう聞いてもゆかりんが心配だから引き止めたんでしょ、柾木くんは!
相手はあの柾木くん! 素直に迫ってくると思ったら大間違いだよっ! ゆかりんへの日頃の態度が、好きな子についついイジワルしちゃう男の子特有のツンデレだと考えれば、何もかも辻褄があっちゃうじゃない!」
「なるほどっ!」
「さすが先輩! 名推理っ!」
拳を握って力説する沙織を桂利奈やあゆみがはやし立て、
「大変だよ、梓!
意外なところからライバル出現だよっ!」
「これはもう、取られちゃう前にアタックあるのみだよっ!」
「だから! 私と柾木先輩はそんなんじゃないってーっ!」
『誰も柾木先輩って言ってないんだけどね〜♪』
「いっ、いやっ! 話の流れからしてどう考えてもそうだと思うじゃない! ね? ね!?」
そして速攻で梓がいぢられた。
「わっ、私だって!
柾木殿とは別に何でもない、ただのチームメイト同士ですからっ!」
「そ、そう……?
ん〜……いいと思うんだけどなぁ……」
「そういう武部殿は、人よりも先に自分の心配をした方がいいと思いますっ!」
「はぅっ!?」
「あぁっ! 武部先輩がショックで真っ白にっ!?」
「秋山先輩、それ禁句っ!」
「知りませんっ」
反撃を受けて崩れ落ちる沙織をあやがあわてて支える。一方の優花里はあゆみに返してそっぽを向いてしまう。
さすがに今回は温厚な優花里も頭に来たか――そう思って優花里の様子を伺った麻子だったが、
「………………っ」
(…………?)
それにしては当の優花里の様子がおかしいことに気づいた。
怒っているふうではなく、まるで何をかみしめているかのような……
(まさか……沙織の一言がヤブヘビになってないか、これ?)
イヤな予感がする――主に「人間関係がややこしいことになりそう」的な意味で。
かと言って、確かめるのもマズイ気がする。目の前の連中の耳に入れば話が(ムダに)大きくなることは避けられないだろうし、図星ならまだしも「カン違いだったけど自分の指摘がそれこそヤブヘビに」なんてことになれば目も当てられない。
――結論。
(よし、ほっとこう)
触らぬ神に祟りなし。麻子は迷わず問題を棚上げすることにした。
まぁ、相手はあのジュンイチだ。みほにしろ優花里にしろ梓にしろ……そして沙織にしろ、誰と付き合うことになったところでそうそうおかしなことにはなるまい――
「……あれ?」
と、立ち直った沙織が何かに気づいた。
その視線を追ってみると、自分達に気づかないままこちらに向かってくる、あんこうチームの面々には見覚えのある人物がひとり――
『逸見エリカ(さん/殿)!?』
「…………?
――ぅげ、あ、あなた達、副隊ち……元、副隊長の……っ」
そう。黒森峰の現副隊長、逸見エリカだ――やはり今の今までこちらに気づいていなかったようだが、あんこうチームの上げた声でようやくこちらを認識。次いでこちらが何者なのかを理解するなり眉をひそめた。
「いつみえりか……どっかで聞いたような……」
「ほら、前に武部先輩が盛大にぶーたれてた」
「あぁ、組み合わせ抽選会の帰りに西住隊長に絡んできたっていう?」
一方で、エリカのことはどっかの誰かのせいで大洗のチーム全体に知れ渡っていたようだ。首をかしげる桂利奈に優季やあゆみが返したのをきっかけにウサギさんチームからも剣呑な視線を向けられる――「何をベラベラしゃべってるの」と“どっかの誰か”をにらみつけるエリカだったが、当の本人は視線をそらしてピーピーとヘタクソな口笛でごまかしてくれる。
「それで……今日はどんな御用でしょうか?」
経緯が経緯だ。沙織の口笛程度で場の剣呑な空気が和らぐはずもなし――尋ねる優花里の声が多少トゲトゲしくなってしまうのも無理はないが、
「別に、ケンカ売りに来たワケじゃないわよ。
ただ……まぁ、ちょうど良かったわ」
そんな優花里に答えると、エリカは麻子の前へと進み出て、
「はい、これ」
手にした、紙袋に入った包みを差し出した。
「これは……?」
「こないだ、アンタを病院に連れてってあげたでしょう?
その件で、アンタのおばあさんが、家元にお礼の菓子折りを送ってきたのよ――これはその返礼。おばあさんの方にはもう届けてきたけど、家元がアンタにもって」
「おばあ、いつの間に……というか、どうして黒森峰に送ってもらったのを知ってるんだ……」
麻子は知らない。
先日の見舞い以来、久子が頻繁にジュンイチに連絡をとっていることを。
その中で、孫が黒森峰に送ってもらったと久子が知ったことを。
そして――ジュンイチによって麻子の日頃の生活態度が久子に筒抜けになっており、次回の見舞いの際にはお説教が確定していることを。
と――
「…………あれ?」
沙織が、エリカの手にまだもうひとつ、紙袋が残されていることに気づいた。
「ねぇ、まだひとつあるんだけど」
「あぁ、これ?
これはジュンイチに……っむぐっ」
うっかり素直に答えかけ、我に返って自ら口をふさぐ――が、もう遅い。
すでに、その場のほとんどのメンツからは先ほどとは別の意味で鋭い視線が向けられていて――
「え!? 何!?
それ、柾木くんへのプレゼント!?」
「いったいいつの間にそんな仲に!?」
「大変だよ、梓!
あの人、とうとうケンカしてる相手まで墜とし始めたよ!?」
「だからどーして私に振るのっ!?」
「そんなんじゃないわよっ!」
速攻でジュンイチとエリカのカップリングを成立させてぎゃあぎゃあと騒ぐウサギさんチームの面々に、エリカは怒りもあらわに言い返した。
「これも礼よ、礼っ!」
「お礼……ですか?」
「アイツにちょっとした借りがあってね……あぁ、詳しくは話さないわよ。私ひとりの話じゃないから」
聞き返す華に、エリカは面倒くさそうに頭をかきながらそう答えた。
「私としては、大会中に馴れ合いたくなかったから、終わってから来ようと思ってたんだけどね……
でも、事情を知った隊長が『むしろ早く済ませてスッキリしてこい』って言うから……って、何よ、アンタ達、その顔は」
続けて説明するエリカだったが、一年生の面々が微妙な苦笑を浮かべているのに気づいた。
「あー、いや、エリカさんがどうこうじゃなくて……」
「どっちかって言うと、柾木先輩の方で……」
対し、エリカに答えるのは梓と優季だ。他の面々も――
「アンツィオといいサンダースといい……相変わらず、どこに出かけても縁を作って帰ってくる人だなー、と……」
「まったく、梓という人がいるのにっ!」
「あい――っ!」
「だからそんなんじゃないってーっ!」
「……アイツは日頃からどんな目で見られてるのよ……」
「あー、うん……ホント、今見た通りな感じで」
「少なくとも“尊敬”ではないのは確かですね……」
呆れるエリカのコメントに、沙織や華もまた微妙な答えしか返せなかった。
◇
騒動も一息ついた……そしてついでにすっかり毒気も抜かれたところで、大洗には初めて来たというエリカのために連絡船乗り場まで案内してあげようという話になった。
「……ところで」
その途上、エリカが不意に思い立ち、口を開いた。
「アンタ達、“死神”と当たるかもしれないのよね?」
『“死神”……?』
「知らないの?
アンタ達と次に当たるかもしれない相手の話でしょうが」
「次……って」
「聖グロじゃないのー?」
「正しくは『聖グロVS関国商戦の勝った方』ですね」
首をかしげる桂利奈と優季には優花里がフォローする。
「でも、聖グロでしょ?」
「ダージリンさん達なら楽勝だって!」
「……どうやら、本当に知らないみたいね」
その実力を肌で感じ、また友人でもある聖グロの面々の勝利を疑わないあゆみ、あやのコメントに、エリカはため息をついてそれを取り出し、差し出してきた。
全国の学園艦に対して発行されている、学生向きの新聞――数多くの出版社が発行しているその中のひとつ、部活関係を扱ったスポーツ誌だ。
「読んでみろ」ということなのだろう。代表して受け取り、優花里が声に出して読み上げる――
〔関国商、またも疑惑の勝利〕
戦車道全国大会において、私立関西国際商業高校(以下「関国商」)はギルバート高校を破り、二回戦へと駒を進めた。
試合は当初ギルバート高校優勢で進んでいたが、中盤でギルバート高校側にマシントラブルが続発、そのスキをついて猛反撃に出た関国商が逆転勝利を収めた。
関国商チームは今年度から戦車道を始めた新興チームだが、大会前の練習試合から対戦相手のチームにエース選手の負傷や試合本番でのマシントラブルに助けられての勝利が続いており、凱旋門学院、エアーズ高校が練習試合のダメージから立ち直ることができず全国大会出場を断念。非出場高校の中でも損害を受けたチームが多数確認されており――
「……逸見殿、これ……っ!?」
「まー、そう思うわよね」
読み進めるほどに優花里の顔から血の気が引いていく――顔を上げた彼女に、エリカはため息まじりにそう返した。
「えっと……これってまさか……」
「妨害工作……か?」
「あの諸葛さんが、ですか……?」
沙織達も、思わぬ形で浮上してきた疑惑に思わず顔を見合わせる――そのものズバリを口にした麻子に、華が眉をひそめる。
だが、華の気持ちもわかる。あの人懐っこく快活な明が、妨害工作を仕掛けているなどと言われて、いったい誰が信じるだろうか。
「諸葛さん……って、関国商の諸葛明?
何、アンタ達知り合いなの?」
「はい……」
眉をひそめるエリカに華がうなずく――友人に降りかかった疑惑に不安な様子のあんこうチームの面々に対し、エリカはため息をつき、
「……日戦連の調査では、今のところ何も出てないわよ」
「本当!?」
「え、えぇ……
あまり口外しないでよ。まだ非公開の話なんだから」
食いついてきた沙織の勢いに少し気圧されながらも、エリカは釘を刺しながらもうなずいてみせた。
「でも逆に言えば、シロとも言い切れないわ――『何も出てきてない』って言ったでしょ?」
「無実を示す証拠も出てきてない……グレーということですか」
聞き返す華に、エリカは改めてうなずくが、
「ちなみにその記事書いた記者、三日前から連絡つかなくなってるそうよ」
「状況証拠ドブラックじゃないですか!?」
優花里が全力でツッコんだ。
「あなた達も、夜道には十分気をつけることね。
記事にあるエースがやられた件、学園艦で被害にあったケースもあるから」
そう告げるエリカだったが――
「逸見さん」
口を開いたのは麻子だった。
「忠告には感謝する。
感謝するが――」
「少し、遅かったようだ」
「え…………?」
思わず声を上げ、エリカが振り向くと、麻子だけではない。他の面々も一様に周りへ目を配っている。
「なんていうか……バレバレですね。
戦車探しの時、私の尾行に気づいていた柾木殿も、こんな気持ちだったんでしょうか……?」
「っていうか、こんなのわかるようになっちゃって……
こんなの絶対モテ女の条件じゃないよぉ……」
「アクティブでいいじゃありませんか」
「そりゃ、華にとってはいいことかもしれないけど……」
「え? ちょっ、何なのよ?」
口々にコメントをもらすあんこうチームにエリカが詰め寄る――が、沙織達がその問いに答えるまでもなかった。
それよりも先に、“相手”の方から姿を現したからだ――行く手、そして後ろの物陰から、チンピラ風の男達が次々に出てきた。
「なっ、何よ、アンタ達!?」
「それが関国商の差し金かどうかはさておき、少なくとも汚い手段で選手をつぶしている連中がいるのはこれで確定――そういうことだ」
威嚇するエリカの傍らで、麻子が答える――確かに、現れた男達は皆こちらに用があるようだが、身にまとう空気はどう擁護めに見ても友好的とは言えそうにない。
「ひのふの……十人と少し、ですか……」
「少し離れたところにもう少し点在してますね……見張りでしょうか?」
「だから絶対こんなのモテ女のやることじゃないよぉ」
「ちょっと、何をのん気な!?」
しかし、大洗の面々は平然としたものだ。華や優花里、沙織のやり取りにエリカがツッコむと、まるでそれを合図にしたかのように、男達がこちらに向かってきて――
◇
「……えっと……」
「………………」
目の前で「ずぅぅぅぅぅん……」なんて擬音がこの上なく似合いそうな感じで沈んでいる少女を前に、かける言葉が見つからない――
大洗本土の喫茶店、その一角で、みほは落ち込む明を前にどうしたものかと困り果てていた。
先日の電話で知った、友人の窮状――放っておけずにこうして会ってみたのだが、いざ落ち込んでいる彼女を前にすると、何と声をかければいいのか……
「え、えっと……諸葛さん」
「…………っ」
その上、明がものすごく気弱になってしまっている。声をかける度にビクリと身をすくませてしまうので、話がなかなか進まない。
「……チームを辞めさせられたって、どういうことなの……?」
「……私にも、わからないの……」
しかし、詳しく話してもらえなければ乗れる相談にも乗れない。意を決して尋ねるみほに、明は力なくそう答えた。
「あの日、いきなり監督に呼ばれて……
行ってみたら、『私には辞めてもらう』って……」
「理由は? 何か聞いてるの?」
「聞いては、みたんだけど……
『私がいなくても勝てる算段がついたから、私はもういらない』って……」
「勝てる算段……
新しい、強力な戦車を手に入れた、とか?」
「そんな動きはなかったはずだけど……
それに、西住さんならわかるよね? 戦車道は、戦車が強力なら勝てるってものじゃない……
きっと監督の言ってた『算段』っていうのは、もっと別の何か……でも、そんな、どんな試合にも確実に勝てるようになるような要素なんて……」
なんとか説明はしてもらえたものの、彼女にとっても寝耳に水だったようで、わからない部分の方が多い有様だ。
「なんで、こんなことになっちゃったんだろう……
私、スカウトされて今の学校に来たのに……なのに、戦車道やめさせられたら、私あの学校でどうしたらいいか……
元々海外資本のインターナショナルスクールで、日本人の私は肩身がせまかったのに……」
「そうなんだ……
……って、『スカウトされて』……?」
「うん……
『今年から戦車道に参入するから、優秀な軍師を探してる』って……」
聞き返すみほに答え、明は再びうつむいてしまうが――
(どういうこと……?)
みほはその話に改めて違和感を感じていた。
明の実力がどれほどのものかはまだ断片的にしか知らないが、少なくともわざわざ目をつけ、スカウトしたからにはそれ相応の実力者ということなのだろう。
にもかかわらず、あっさりと手放すなんて割が合わないのではないか。
増してや、聖グロリアーナという強敵との対戦を控えている現状で、となればなおさらだ。
考えられるのは――
(やっぱり、諸葛さんが外れても、それでもこの先の試合全部に勝てる“何か”を手に入れたとしか……
でも、諸葛さんが言う通り、そんなものが存在するとも思えない……
それに、そんなものがあったとしても、だからってそれだけじゃ諸葛さんを辞めさせる理由にはつながらない……)
「いったい……関国商で何が起きてるの……?」
◇
「…………ふむ」
みほ達の入った喫茶店から見て道路をはさんだ反対側。
その路地裏で、ジュンイチは店内の様子を伺っていた。
「あの様子なら、諸葛明はシロっぽいね……」
つぶやき――足元に動きがあったので、改めて踏みつける。踏みつぶす、とまではいかずとも、何かを踏み割る音と共に“それ”はしばしの痙攣とともに今度こそ動きを止めて、
「なるほど……
それで、この数か」
チラリ、と路地裏の奥へと視線を向けると、そこには――
死なない程度に程よく全身黒こげに焼かれた者。
コンクリートのビルの外壁に顔面から叩きつけられ、壁に血痕を残して崩れ落ちている者。
四肢を貫く苦無によって地面に、壁に磔になっている者。
そして、今ジュンイチに顔面を踏みつぶされて沈黙した者――
ジュンイチによって排除された、いかにも「エージェントです」といった風体の男達が、見るも無残な姿で転がっていた。
「諸葛明が西住さんと接触するっていうから、動くだろうとは思っていたけど……またずいぶんと鉄砲玉を大盤振る舞いしてくれたね。
それだけ、この接触を止めたかった、か――シャレにならないレベルでやましいことをやってます、って自白してるようなものだぜ」
告げるジュンイチだが、答える者は誰もいなくて――と、ジュンイチのポケットの携帯電話が震えた。
発信者を確認する――“胃袋”。
「あ、もしもし、五十鈴さん?」
◇
「あぁ、柾木くんですか?
今、ちょっと街に出てたんですけど……っと」
ゴキンッ。
「×□☆△○※〜っ!?」
ちょっと力を入れただけで、何かが外れる音と共に言葉にならない悲鳴が上がる――それだけで、電話の向こうのジュンイチは何が起きたか察したようだ。
〈……あー……そっちにも出たか〉
「柾木くんのところにも?」
〈オレっつーより西住さんと諸葛明が目当ての連中がわんさと。
そっちは大丈夫?〉
「えぇ。
“幸い、ウサギさんチームが一緒でしたから”」
〈あー……そりゃ“相手もかわいそうに”〉
ジュンイチのコメントにうなずいて、華が“そちら”を見て――
「ぅりゃぁ〜っ!」
「がはぁっ!?」
つかみかかってくる相手の手を身を沈めてかわし、そこから全身のバネを使って跳び上がる――桂利奈のアッパーカットが、男のアゴ、どころか男そのものを宙へと打ち上げていた。
「えぇいっ!」
一方あやが別の男を一本背負い――ただしその先にはすでに優季にノされたもうひとり。十字に交差、ちょうど交差点になるところに腰がくるように投げ落とされ、男の腰からゴキンッ、と鳴っちゃいけない音が鳴る。
さらにあゆみの蹴りが目の前の男のアゴを蹴り上げる――崩れ落ちた男の「白……」という断末魔(?)に、真っ赤な顔で頭を踏みつけトドメを刺す。何の色だったのかは推して知るべし。
「えいっ!」
そして梓も、つかみかかってきた男の手を取り、“ジュンイチ直伝の”逮捕術で取り押さえる――そう、ウサギさんチームによって作り出されたこの惨状、元を辿ればジュンイチの仕業である。
いつかの“新人研修”でしっかり叩き込まれた近接戦闘スキルを、ウサギさんチームはこの場で遺憾なく発揮していた。おかげで襲ってきた男達は彼女達に傷ひとつつけられず、それどころか手も足も出ないままさんざんに叩きのめされている。
「……え、えーっと……」
そんな状況の中、完全に置いてきぼりになっているのがエリカだ。男達にすごんでみせた勢いはどこへやら。というか出る幕の一切ないまま終わってしまいそうな感じだ。
とりあえず、ノされた連中を警察に引き渡す用意でもしておこうかと、足元に転がるひとりを捕まえて――
「……っ、何だよ……
楽で楽しめる仕事だって話だったじゃねぇか……こんなバケモノどもだなんて聞いてねぇぞ……っ!」
「バ……っ」
うめいた男の言葉にこめかみに浮かぶ血管マーク――が、制裁はかろうじて自重する。
それよりも、聞いておかなければならないことができたから――
「どういうことかしら?
誰か、私達を襲うようアンタ達に指示したヤツがいるってこと!? どこのドイツよ!?」
「しっ、知らねぇよっ!
金だけポンと出して『大洗のヤツらを痛い目にあわせてこい』って!
ついでに“楽しんで”もいいって話だったから、うまい話だと思ったのに!」
「………………」
どうやら金で雇われただけのチンピラのようだが、ずいぶんと下卑たことを考えて襲ってきてくれたようだ――不快感にエリカが顔をしかめ、
「なのに何だよ、アイツらのあの強さ!
殴られるわ蹴られるわ踏まれるわっ!
おかげで目覚めちまったじゃねぇか踏んでくださいお願いしまs
「シネ!」
迷うことなく顔面にトドメの拳を叩き込んだ。
「なっ、何なんだ、コイツら!?」
「メチャクチャ強いじゃねぇか!」
「ホントに女子高生かよコイツら!?」
「はうっ!?」
一方、その他の男達は大洗メンバーのあまりの強さに大混乱。もらしたコメントに沙織が大ダメージを受けているが、正直それどころではない。
「おい、どーすんだよ!?」
「どうするって……今さら引っ込みつかないだろ!」
もはや戦意喪失した者も出始めた。うめく仲間に別のひとりが反論するも、そう言う本人も完全に腰が引けている。
しかし、大の男のプライドか、女子高生相手に引き下がるという選択肢はないようだ。せめて一矢と逆襲の糸口を探して周囲を見回して――
「………………」
『………………あ』
気づいた――この騒ぎの中、いつものようにボーッとしている紗希と、めんどうくさがってその傍らに退避している麻子に。
「アイツらなら!」
「せめてひとりぐらいは!」
だが、気づかれてしまってはただの獲物にしか見えない。口々に声を上げ、生き残っていた男達が一斉に紗希と麻子へと殺到する。
「アイツら!」
気づいたのは男達だけではない。エリカもまた、二人に迫る男達に気づき、二人を守ろうと走り出して――
「ダメ!」
その光景に声を上げたのは梓だった。
「危ないから――」
「その二人に手を出しちゃダメ!」
(――――――え?)
紗希と麻子……ではない。むしろ男達に向けられた警告にエリカが内心首をかしげ――そのエリカの脇を“それ”が駆け抜けた。
背後で上がった、肉のつぶれる音と悲鳴に、それが返り討ちにあい、吹っ飛ばされた男のひとりだと理解する。そんなエリカの目の前で――
ある者は投げ飛ばされ、ある者は崩れ落ち、ある者は踏みつけられ――全員が一瞬にして叩きつぶされた男達の中、平然と立つ紗希と麻子の姿があった。
「……遅かった……」
目の前の、予想外の上さらに予想外を重ねた光景に呆然としているエリカのとなりで、頭を抱えてうめくのは梓である。
「よりによって、あの二人に手を出すなんて……」
「え? どういうこと……?」
「どういうもこういうも……」
思わず聞き返すエリカに対し、梓は一瞬にして巻き起こった惨劇の中平然としている二人へと視線を向け、
「あの二人……」
「ウチの白兵戦ツートップです」
「…………は?」
「冷泉先輩が主席、紗希が次席――柾木先輩が企画した“新人研修”の、近接戦闘の席次です。
しかも、二人とも堂々の近接ランクS……戦車道チームどころか大洗全体で見ても、柾木先輩を除けば事実上最強の二人です」
「ランク……S?」
「柾木先輩によると『採点するのもバカらしくなってくるぐらいの天才』だそうで」
「マジ……?」
梓の答えに、エリカもまた麻子達へと視線を向ける――「類は友を呼ぶ。トンデモはトンデモを呼ぶ、か……」などと二人に対して割と失礼なことを考えながら。
と、そんな彼女達の耳が、こちらに向かってくるパトカーのサイレンを捉えた。どうやら誰かが騒ぎに気づいて通報してくれたようだ。
「やれやれ。これでこの場は収まりそうね」
ため息まじりにエリカがつぶやく――正当防衛とはいえ反撃した以上はこちらも乱闘の当事者、というかこの有様は下手をすれば過剰防衛だ。事情を聞かれることは避けられないだろうが、こちらは襲われた側だし、そう悪いことにはならないだろう――
◇
「――と、私も思ってたんだけどね……」
「じゃあ、何も聞かれずに解放されちゃったの……?」
聞き返すみほに沙織がうなずく――その晩、みほが本土から戻ってくると、麻子の持つ合鍵で一同が上がり込んでいた。
もちろんエリカも一緒だ。遅れて帰ってきたジュンイチが茶(ホットココア)を用意してくれている間に、今日の“事件”の話になったのだが――
「今度改めて話を……とか、そういうのも?」
「うん。正真正銘なーんにも」
「私達もそうしたことが必要だと思って、お話しようと思ったんですけど、『犯人達から直接聞くから必要ない』って……」
改めてのみほの問いにも、沙織は梓と共にそう答えて――
「やられたな」
そう告げたのは、ココアの用意を終えて――人数が多くて運びきれないのでカートに乗せて姿を現したジュンイチだ。
「『やられた』……って?」
「さっき、警察に問い合わせた。
お前らが言っているようなチンピラ連中は、誰ひとり、どこの署にも連行されていないそうだ。
それどころか、そんな通報自体なかった、って……」
聞き返すあゆみに、ホットココアのカップを手渡しながらそう答える――が、日常から離れに離れた話題であるが故、彼女達は気づくことができなかった。
いくら当事者の身内といっても、警察が事件の情報をもらすことなど普通は有り得ない。
ならジュンイチは今の情報をどうやって入手したのか――みほ達からすれば“知らぬが仏”というヤツであろうが。
だが、今問題なのはジュンイチの入手した情報の持つ“意味”の方で――
「ちょっと待ちなさいよ。
私達は確かに警察に……って、まさか!?」
「その“まさか”の可能性、無視できない程度には高いだろうね」
「えっと、つまり……?」
「あの警官達は……ニセモノ……!?」
口をはさんだもののその途中で気づいたエリカの言葉をジュンイチが肯定。二人のやり取りから同じく気づいた沙織や華も声を上げる。
「どういうことですかー?」
「お前らのところに駆けつけたっていう警官は、警官に化けたチンピラどものお仲間……ってことさ。
しくじった連中が本物の警察に捕まって、自分達のことをしゃべられたら困る――そんな依頼人が差し向けた回収班だったんだろうな」
「はーい、しつもーん」
優季に答えるジュンイチに対し、手を挙げたのはあやだったが、
「そんなニセ警官を用意するぐらいなら、そのまま事情を聞くフリして私達をさらうことだってできたんじゃ……」
「チンピラども十数人、プラスお前ら十人以上を、か?
ただでさえ人数多すぎて目立ちまくってるのに、これ以上のムチャはできんわな」
「……なるほど」
ジュンイチからはあっけなく否定された。
「でも……確か警官に変装するのってその時点でもう犯罪なんじゃ……」
「おぅ、犯罪だぞー」
梓に答えると、ジュンイチは壁に背を預け、
「つまりこの一件、そんなことを気にも留めないような荒っぽい、しかも、まだ対戦するかどうかも定かじゃない大洗まで狙ってくるほど見境のない連中が絡んでるってことだ。
……逸見エリカ」
「わかってるわ」
声をかけてくるジュンイチに、エリカがうなずく――さすがに状況が状況だ。ジュンイチに対する複雑な心境は棚上げにすることにしたようだ。
「今日は巻き込まれたクチだけど、ファイナリスト常連の黒森峰は真っ先に狙われてるでしょうからね。
一応もう警戒は始めてたけど……ここまでやってくる連中だとは思わなかったわ。隊長や家元にも話して、警戒レベルを引き上げてもらうようにするわ」
「………………っ」
西住まほや母に話題が及んだことで、みほの表情に陰が差す――そのことには気づいていたが、ジュンイチもエリカも、あえて気づかないフリをしてやりすごした。
◇
明けて翌日。
「……もしもし、みほさん?」
ここは聖グロリアーナの学園艦――放課後、ダージリンはみほに連絡をとっていた。
「連絡を入れてくれていたみたいだけど……ごめんなさいね、電話に出られなくて」
放課後、戦車道の練習を終えて携帯電話の電源を入れてみると、みほからの着信が何度も入っていた。
こうも繰り返し電話してきたということは何か急ぎの案件かと折り返してみた――のだが、実のところ、ダージリンは“用件”に心当たりがあった。
「ひょっとして……関西国際商業のことかしら?」
〈……はい……〉
やっぱり、と軽くため息をつく。心優しいみほのことだ。関国商にまつわる黒いウワサを知れば、次に戦うことになる聖グロリアーナを、自分達のことを心配してくれるだろうとは思っていたが――
〈そっちは大丈夫ですか……?〉
「心配はいらないわ。
元々聖グロリアーナは注目されることが多かったから……間諜に入られることも多かった分、対策のノウハウは万全よ」
みほの問いに笑いながら答える――が、それ以上のことは言わない。関国商との対戦が決まったのを境に、間諜の捕捉件数が10倍以上に激増していることを知れば、みほはきっと心を乱してしまうだろうから。
「大丈夫。私達は負けないわ。
あなたの友人でもある諸葛さんには悪いけど、大洗との対戦の約束を果たすのは、私達聖グロリアーナよ」
〈あ、あの、その諸葛さんなんですけど……〉
「あぁ、ごめんなさい、みほさん。
迎えの車が来たわ。話はまた後で」
〈は、はい……〉
みほに謝罪し、通話を終える――校舎の前に横付けされた送迎のリムジンに乗り込み、動き始めた車内から流れていく外の風景へと視線を向ける。
自分を慕ってくれているみほの手前柔らかな物言いに終始したが、実のところ関国商の“黒さ”は想像以上というのがダージリンの正直な感想だ。
戦車道に限った話ではない。関国商という学校そのものが――
「……まったく……たかだか女子高生のスクールライフにまで、“政治”を持ち込まないでほしいのだけど……」
◇
さらに明けて、その翌日――
「よーし、そろそろ練習始めっぞ。
戦車の準備急げー」
『はーい』
授業も終わり、戦車道の練習の時間――ジュンイチの呼びかけに一同から返事の声が上がる。
と――
「…………ん?」
梓が気づいた――マナーモードで懐にしまっていた携帯電話が震えている。
メールではなく通話だ。相手は――
「オレンジペコさん……?」
「合同合宿以来仲いいよねー」
相手を確認した梓に声をかけてきたのは優季だったが――
「もう、ダメだよ、梓。
いくら柾木先輩が振り向いてくれないからって、“そっち”に走っちゃー」
「え!? 梓とオレンジペコさんってそーゆー関係!?」
「大丈夫だよ、梓!
優季はあぁ言ってるけど、私は応援するからね!」
「………………(コクリ)」
「ちっ、違うよっ!?
私とオレンジペコさんは“そんなん”じゃないからっ!」
いろんな意味で平常運転だった。何の迷いもなく梓とオレンジペコのカップリングを仕立て上げたチームメイト達に反論する梓だったが、
「柾木先輩のことは否定しないんだ〜?」
『へぇ〜?(ニヤニヤ)』
「ぐっ……
……も、もうっ、知らないっ!」
ダメだ。この話題じゃ勝てない――優季を皮切りにあっけなく逆襲され、プイとそっぽを向いて戦略的撤退。
というか、オレンジペコをいつまでも待たせておけない。早く応答しなければ――
「もしもし、ペコさん?
こんな時間に珍しいね? いつもは夜なのに」
『へぇ〜?(ニヤニヤニヤニヤ)』
何か言いたげなチームメイト達はとりあえず無視。オレンジペコの返事を待って――
「………………」
「…………………………え?」
もたらされた報せに、梓の顔から血の気が引いて――取り落とした携帯が地面に落ちる音が、ガレージに響いた。
◇
「ダージリンさん!」
血相を変え、みほを先頭にあんこうチームの面々が駆け込んだその部屋で、
「もう、みほさん。
病室でそんなに騒ぐものではなくてよ?」
そんなみほを、出迎えたダージリンがやわらかくたしなめた。
そう。ここは病院だ――聖グロリアーナの学園艦、艦上学園都市にある、学生用の病院である。
そして、今回担ぎ込まれたのは目の前のベッドに横たわるダージリンだ。右足をガチガチに固めたギプスが痛々しい。
「それで、今日は何の用……っと、この場でその質問は無意味よね」
「は、はい……
ダージリンさんが事故にあったって聞いて……」
「まったく、オレンジペコったら、おしゃべりね……」
みほの答えに、だいたいのことを察したダージリンが苦笑する――ちなみに当のオレンジペコの姿はここにはない。
廊下でこちらの到着を待っていてくれたのだが、こちらの姿を見とめたところでいろいろと“糸”が切れてしまったようだ。泣き崩れてしまった彼女を、梓を始めとしたウサギさんチームがなだめてくれている。
「私との電話の後……ですよね……」
「えぇ。
まったく……あなたに『大丈夫だ』と言った矢先にこれじゃ、格好がつかないわね」
「じゃあ……」
「はい」
口をはさんだジュンイチに、アッサムがダージリンに代わってうなずいて――
「何かわかったのか、アリナミンさん?」
「アッサムですっ!」
合同合宿の時の名前ネタが尾を引いていた。
「……っ、コホンッ。
今朝、警察とうちの整備部、双方から報告が上がってきました。
警察の現場検証によると、現場にブレーキをかけた形跡はなく、整備部によればダージリンの送迎車にはブレーキに細工がされ、ある程度走ったところでブレーキが利かなくなるようになっていたそうです」
「それで止まれなくなって、事故に至った、か……」
「あの、それでケガの具合は……?」
「少なくとも、次の関国商戦はムリね……」
アッサムと話すジュンイチをよそに、改めて尋ねる優花里に、ダージリンは少し残念そうにそう答えた。
「でも、幸い単純骨折だったから、その先の試合なら、一試合だけ無理がきくそうよ。
だから……」
言って、ダージリンは手を伸ばすと気遣わしげなみほの頭をなでてやる。
「私はその一試合を、大洗との試合にするつもりよ。
大丈夫。私はちゃんとケガを治すし、試合だって負けるつもりはない……約束はまだ途切れていない。あなたがそんなに気にすることはないわ」
「ダージリンさん……っ」
自分の方がよほど大変なのに、むしろこちらを心配してくれるダージリンの気遣いに、みほの目頭が熱くなる――そんな彼女が落ち着くまで、ダージリンはその頭を優しくなで続けてあげるのだった。
◇
「もう間違いないよ!
諸葛さん辞めさせるし、ダージリンさんまで……やったの絶対関国商だよっ!」
その後、今回の事態に関する手持ちの情報を交換し合った上で、病院を後にした――ダージリンが手配してくれた、大洗の学園艦への連絡船の中、沙織は憤慨してそう声を荒らげた。
「抗議しましょう!」
「そうです! こんなの見過ごせません!」
沙織だけではない。華や優花里も怒りを隠しきれなくて――
「ムリだよ」
そう冷や水を浴びせてきたのはジュンイチだった。どこかに電話していたのか、携帯電話を懐にしまいながらみほ達のもとへと戻ってくる。
「工作された証拠はあっても、その犯人が関国商だって証拠は何もないんだ。
今逸見エリカや蝶野さんに確認をとったけど、西住流も日戦連も、そのせいでアクションが起こせないでいるらしい。
大御所やオフィシャルですら動けない状況で発言力で劣るオレ達が動いても聞き入れてもらえるとは思えないだろ。
それに、オレ達は連中が聖グロ相手に勝ち上がった場合、その先の対戦相手となる立場だ。『対戦して負けるのを恐れたオレ達が言いがかりで自分達を追い落とそうとしてる』なんて関国商側から反論なんてされてみろ。最悪名誉毀損でペナルティくらうのはこっちの方だ」
「そんな……
……あ! そうだ! 柾木殿なら、関国商に潜入して証拠を集めるとか!」
ジュンイチの話に優花里が提案を返すが、
「もう行った」
あっさりとジュンイチはそう答えた。『え…………?』と固まる一同に対し、頭をかきながら優花里を見返し、
「秋山さん。
前に『関国商の偵察には絶対行くな』って話をしたの、覚えてるよな?」
「は、はい……」
「実はもうあの時点で、とっくに一度出向いてたんだよ、関国商にな」
「そ、それで……?」
「その上であの警告……って辺りから察してくんない?」
聞き返す沙織にジュンイチが答えて――その意味を察した一同の顔から血の気が引いた。
「まさか……返り討ちにあったんですか!? 柾木くんが!?」
「そーゆーこった。もうコテンパンのケチョンケチョンにな」
華の驚きの声に答えて、ジュンイチはため息をついた。
「殺傷力出し惜しみナシの警備システムに、実弾入りライフル持ちの警備が三分間隔で巡回、その他もろもろ……
ありゃもう“間諜を捕まえる”ことなんか考えてねぇ。“侵入者の抹殺”を前提とした警備体制だった」
「そ、そこまで……」
ジュンイチの語った関国商の警備内容に、優花里は「もし自分が行っていたら……」と思わず身震いする。
「おかげで、『侵入は不可能だ』ってわかっただけの結果に終わったよ。
まぁ、異能を使えばできないこともなかったろうけど、あんなん相手じゃ確実にバレるわ。
で、そんなことになれば……」
「当然、見逃してくれるはずはありませんよね……」
「今まで以上の勢いでつぶしに来るだろうね。
それも、“犯人”の可能性のある、対戦する可能性のある学校全部――事実上、他校を軒並み人質に取られてるようなもんだわ」
うめくように答える華に、ジュンイチが付け加えて――と、ジュンイチの左手のブレイカーブレスが通信の着信を告げた。
「はいは〜いっと。
どしたい、杏姉」
〈ジュンイっちゃん〉
みほがここにいる以上、考えられる相手はひとりしかいない――ウィンドウを展開したジュンイチの前に、いつになく真剣な表情の杏が映し出された。
〈さっきダージリンから連絡をもらったよ。
お見舞いのお礼と……そっちで話した内容の報告〉
「そっか」
〈だから……そっちで確認し合ったことも聞いてる〉
「………………」
杏の続けた一言で、ジュンイチは思わず眉をひそめた。
〈顔色が変わったね。
ジュンイっちゃんのことだ――こっちに残った子達には今回のことの“黒い”部分は可能な限り伏せて、いつも通りに生活するみんなを裏から守ってくれるつもりだったんでしょ?
みんなの日常を、可能な限り壊さないように――違う?〉
「……やっぱ、杏姉は“そう”考えるワケだ」
〈当然でしょう?
私は、この大洗の生徒会長なんだから――生徒を守る責任があるんだよ〉
あっさりと、迷いなく杏が答える――が、主題を省いた会話にみほ達はついていけないでいる。
〈でもね、ジュンイっちゃん。
会長とかそういうのを抜きにしても、私はみんなを守りたいんだ。
お願い、ジュンイっちゃん――私の友達を守るために、力を貸して〉
言って、ウィンドウの中で頭を下げる杏に対し、ジュンイチはため息をつき、
「……しゃーねぇな。
確かに、ここまでやられちゃ、もう日常だオレやみんなの世間体だと言ってられる場合じゃねぇか」
〈それは了解、と受け取っていいのかな?
じゃ、準備進めとくねー〉
「おぅ。
また後でな」
言って、通信を切り――ジュンイチはさっきよりも深いため息をひとつ。
「え、えっと……柾木くん?」
「お前ら……」
そんなジュンイチに恐る恐る声をかけるのはみほだ。対し、ジュンイチが応じ――ようとしたところで一旦口をつぐんだ。
「……いや、違うか。
武部さん、秋山さん、五十鈴さん……あと中で休んでるウサギさんチームにも伝えなきゃだけど……
全員、帰ったらすぐに荷物をまとめろ」
「え? 柾木くん……?
荷物をまとめろ、とは、いったい……?」
「それにどうして私達だけ?
みぽりんと麻子は……って、あれ?」
華と共に答えかけて――沙織は気づいた。
みほと麻子、対し自分達やウサギさんチーム――両者を分ける“線”の正体に。
そして、先ほどのジュンイチの言葉――
『もう日常だ“オレやみんなの世間体だと”――』
「柾木殿、まさか……」
「気づいたんなら話は早いな」
同じく気づいたらしい優花里に答えながら、ジュンイチは携帯電話でメールを作成。
一斉送信すると、みほ達の携帯電話にもメールが届いた。内容は――
戦車道受講者、及びルノーB1bis搭乗予定者、自動車部総員に伝達。
長期外泊準備の上、大至急学校に集合せよ。
「……これ……“そういうこと”だよね……」
「相手がここまでやってくれたんだ。こっちもそれ相応の守りを固めなくちゃな」
確認するみほに、ジュンイチは携帯電話を懐にしまいながらそう答えた。
「だから、みんなを大洗の学園艦の中でも一番安全な場所に匿おうってんだ――」
「オレんちにな」
◇
「一応、居室は全部解放した。
部屋割は特に指定しないから、お前らで自由に調整してくれ――特にウサギさんチーム、六人全員同室はあきらめろ。さすがに四人部屋に六人はちとキツいぞ」
学園艦に戻ると、学校に集まっていた一同に事情を説明――案の定「男子の家に泊まるなんて!」と騒ぎ立てるそど子をみんなで抑え、柾木家へと移動。一同を招き入れ、ジュンイチが告げる。
「あと、来たことある連中はもう知ってることだけど、オレのいない時にオレのプライベートエリアに入ろうとすんなよ。
トラップに引っかかって――」
――ドズンッ!
「今の杏姉みたいになっても知らねぇぞ」
((いつものことなんだ……))
響いた衝撃音にも冷静に対応するジュンイチに、同居している関係からすでに把握しているみほと麻子以外の全員が確信した。
なお、杏は廊下いっぱいにふくらんだ招き猫のバルーンに押しつぶされているところを桃と柚子によって救出された。
最初こそ男子の家ということで初来訪組には緊張が見られたが、杏の犠牲(?)でその緊張もほぐれたようだ。解散するとすぐにそれぞれに部屋割を話し合い、荷物を持ち込み始めた。
やはり同じチームメイト同士が基本のようだ。さて、一室に入りきらないウサギさんチームはどうするつもりだろうか――とジュンイチが様子を見に行こうとしていると、
「いやー、ひどいめにあったよ」
「自業自得じゃ」
やってきた杏に、ジュンイチはため息まじりに即答した。
「荷解きはいいのかよ?」
「かーしまとこやまに任せてきた」
「つくづくおんぶに抱っこだな。
そんなことで卒業して進路別々になったらどうするんだ?」
「その心配はないね。
だって、私達は卒業してからもずっと一緒、そーゆー固ぁ〜い絆で結ばれているからね♪」
「カッコよくイイコト言ってるつもりなんだろうけど、それ『卒業してからも二人に寄生し続けます』っていうダメ人間宣言と同義だからな?」
自信満々に言い切る杏にジュンイチがツッコんで――
「ところで」
不意に、杏の声のトーンが下がった――マジメな話に切り替えてきた合図だ。
「ジュンイっちゃん……今回のこと、少し気にならない?」
「“犯人”のみなさんが、ここにきて急に攻撃的になってきてること?」
しかし、ジュンイチも杏の言いたいことは先刻承知の上だったようだ。あっさりと即答を返してくる。
「この状況、犯人の目的が目当てのチームの優勝だとして……ここまで大きく動く理由、ある?
優勝させたいなら、少なくとも決勝戦が始まるまでは妨害工作に気づかれるワケにはいかないよね? 途中でバレて失格、なんてことになったら目も当てられないもの」
「にもかかわらず、こんなトーナメントの途中で大きく動いてきた……
しかも、ダージリンの方はともかくウチの子達への襲撃は白昼堂々ときた――バレてもかまわないと思ってるとしか思えないけど、杏姉の言う通り、そんなことになれば困るのは自分達だ。
あまりにも、リスクとリターンの釣り合い、バランスが悪すぎる……」
杏に返して、ジュンイチは少し考え込む――実は、ジュンイチにはひとつ、この矛盾を解消できるかもしれない仮説に心当たりがあった。
だが、その仮説は――
「……できれば、“そこまで”だとは思いたくないんだけどなぁ……」
「ジュンイっちゃん?」
「ん? あぁ、こっちの話」
つぶやきを聞きつけた杏にジュンイチが返すと――
「あーっ! いたいた!」
そんな彼を見つけて声を上げたのは沙織だ。
「夕飯の支度するから、早くキッチンに来て!」
「へぇ?
『腕前見せつけるんだ』ってオレを台所に立たせたがらない武部さんが、今日はいったいどーゆー風の吹き回しで?」
「この人数の夕食を私ひとりでまかなえって!?
さすがにムリだから、料理できる人に声かけて回ってるの! 柾木くんも早く!」
「ったく、しゃーねぇなぁ」
沙織の言葉に、ジュンイチは軽くため息をついて――
「さーて、それじゃあみんなの様子でも見に行k
「逃がすかっ」
クルリときびすを返した杏の首根っこを捕まえた。
「あの様子じゃ本気で人手が足りないみたいだからな。
杏姉だって料理好きだろう? やんなきゃ食えないんだから手伝え〜」
「い、いや、でも、ジュンイっちゃん達の身長に合わせたキッチンじゃ私の体格に合わないしっ」
「オレが気がついてないとでも思ってんのか?
先々月に押しかけてきた時、キッチンの片隅にきっちりステップ隠していきやがったろうが」
何とか逃れようとする杏の主張はジュンイチによってあっけなくつぶされた。
「ちゃんと準備してんじゃん。料理したくないってワケじゃないんだろう?
なら思う存分料理するいい機会じゃん。何が不満なのさ?」
「……誰に食べさせるために準備してたと思ってるのさ……」
ボソッ、とつぶやくように不満をもらす杏だったが、ジュンイチの耳はそのつぶやきをしっかり拾っていて――
「え? それって……」
「一緒にくっついてくる桃姉柚姉のためなんじゃねぇの?」
「来たぞー」
「あ! やっと来t……って、どしたの、その頬」
「いや、オレにもさっぱり」
キッチンにやってきたジュンイチの頬には真っ赤な紅葉が咲いていた――尋ねる沙織に対し、ジュンイチは首をかしげてそう答え、
「――フンッ」
そんな彼のとなりを、少し機嫌を損ねた杏が通り過ぎていく――その様子に「あぁ、また何かやらかしたな」と沙織はだいたいの事情を看破していた。
「……柾木くん」
「ん?」
「とりあえず、柾木くんが100%悪いっていうのはわかったから、後で会長にちゃんと謝っておいてね」
「………………?
何だよ、武部さんまで……」
沙織に苦言を呈され、首をひねるジュンイチだったが、残念ながら彼自身にはまったく心当たりがない。
さらに怒らせるのも覚悟で、後で改めて本人から怒った理由を聞くしかないか――そんなことを考えながら、一足先に料理を始めている沙緒里達へと視線を向けた。
和気あいあいと料理を楽しんでいる彼女達の姿は、ジュンイチが守りたいと願う日常そのもので――だからこそ、“これからのこと”を思うと頭が痛い。
もし、自分の考えている懸念が事実なら――
(……荒れるかもな。
次の、聖グロVS関国商戦……)
次回、ガールズ+ブレイカー&パンツァー
第20話「こんなの戦車道じゃありませんっ!」
(初版:2018/08/13)