日も、場所も改まり、東京、日戦連本部ビル――
「――失礼しました」
 部屋を出て、中に向けて一礼――扉をしめると、ジュンイチはフゥと息をついた。
 気を取り直し、きびすを返して――
『柾木(くん/殿)!』
「ぅおっとぉ!?」
 廊下で待っていた、みほ達あんこうチームの面々に詰め寄られた。
「どうなったんですか!?」
「まさか、出場停止とか!?」
「現状、お前に抜けられると困るんだが」
「そうですよ!
 関国商に対抗するには、柾木殿の力が絶対に必要なんですから!」
「え、えっと……」
 上から華、沙織、麻子、優花里――勢いに押され、みほに視線で助けを求めるが、
(……あ、こらあかん)
 そのみほも、出遅れて質問の流れに乗り損ねたにすぎなかったようだ。むしろ視線で答えを求めてくる彼女の姿に内心でため息をもらして――
「大丈夫よ」
 そう答えたのは、ジュンイチに続いて部屋から出てきた――
「蝶野教官……」
「試合に乱入した行為は、確かにほめられたものではないわ」
 その名を口にした沙織に答える形でそう告げると、蝶野亜美は息をつき、
「でも、試合の展開上これ以上は危険だと判断して、試合を止めてでも聖グロのみんなを守ろうとしたことも、忘れてはならないわ。
 結論として、柾木くんの処分は厳重注意で落ち着いたわ」
 亜美の言葉に、一同はホッと胸を撫で下ろし――
「……ただ、ね……」
 亜美の話には続きがあった。周囲を見回し、自分達以外に人気がないことを確認した上で続ける。
「今回の処分の話、関国商の方から持ちかけられたらしいのよ。
 柾木くんの行動を人命救助の面から評価して、『どうか寛大な処置を』って……」
「人命救助を評価、って……っ!」
「自分達がさんざん反則しておいて、どの口で……っ!」
 苦々しげに、優花里や華がうめく――関国商のアレコレについては彼女も思うところがあるのか、華が反則について口にしても、亜美は咎めることはしなかった。
 それよりも気になるのは――
「西住隊長……」
「うん……」
 亜美と同じ事を考えていた人物は他にもいた。麻子に声をかけられ、みほはうなずいた。
「お姉ちゃんの、言ってた通りだ……」



    ◇



「大丈夫……って、どういうことですか?」
「ここまでやってくる連中だ。
 本当にその気になれば、試合前に徹底的に聖グロの主力選手をつぶして、試合そのものができないような状態に追い込む、ぐらいのことはやってきてもおかしくない」
 それは、聖グロリアーナと関国商の二回戦の終盤――ジュンイチの乱入で騒然となる観客席の一角、尋ねる梓にまほはそう語り始めた。
「だが、関国商はダージリンを出場できなくした以外は今まで通りの裏工作に徹し、そこまではしようとはしなかった」
「つまり……こういうことだね?
 連中は聖グロの戦力を、わざと完全にはつぶさなかった……戦力は削ぎつつ、それでも試合は放棄せず、出てこられるだけのダメージに留めた」
 杏にうなずき返すと、まほは一同へと視線を戻し、
「おそらく、関国商は試合そのものは行いたいんだ。
 試合が中止されてはむしろ困る。試合は行われ、その上で勝つことを必要としているのだとしたら……」
「目的はアピール……自分達の存在を世間に見せつけること。
 そこに利益があるとすれば、それは何か……ってことだね?」
 まほの話に、杏はそう返して考え込み、
「まぁ、一番考えられるのは、入学希望者の増加……
 関国商って私立だよね? 入学者を増やすことで、利益を得ようとしている……?」
「あるいは、試合の場で強豪校を蹴散らすことで、戦車道界での発言力を得ようというのか……」
「それはいいんだが……」
 と、まほと杏のやり取りに口を挟んだのはカエサルだ。
「それと、柾木や我々が失格にならないかもしれない……という話と、どうつながるんだ?」
「……ま、当事者のアンタ達は自覚は薄いかもしれないけどね」
 そうカエサルに答えたのはエリカだった。
「アンタ達の存在って、今高校戦車道界じゃちょっとした注目株なのよ。
 新参、寄せ集めの戦車隊ってだけなら関国商とそう変わらないけど、一回戦で優勝候補のサンダースを前代未聞の試合内容で降した上に、男子であるジュンイチの存在……
 その注目度は、連中からするとそうとう目障りでしょうね……ある意味、私達黒森峰以上に」
「なるほど……
 私達を試合で倒すことができれば、集まる注目は計り知れない……」
「関国商にとって、私達は絶対に“試合で”倒したい相手……
 ここで反則負けで消えてしまうのは、向こうにとっても都合が悪いということですね……」
 優花里や典子が納得する一方で、華はオーロラビジョンに映る董卓へと視線を向けた。
「ここまでやっても、聖グロはあくまで前菜……
 メインディッシュは、わたくし達ということですか……」



    ◇



「そっか……
 西住まほがそんなことを……」
 みほから事の顛末を聞かされて、ジュンイチは軽く息をついた。
「日戦連の方では、何かつかめていないんですか?」
「残念ながら……ね」
 尋ねる沙織だが、亜美はそう答えるとため息まじりに首を振った。
「第三者委員会も立ち上げて調べているけど、相手も一筋縄じゃいかないわ。
 調査のために戦車や砲弾を調べようともしたけれど、平然とダミーを持ち出してきたわ」
「その様子じゃ、立ち入り調査もできてないみたいっスね」
「えぇ。
 今回の件で殺到してるマスコミ対策のために学園艦のセキュリティを強化したから、調査といえど外部の人間の受け入れは難しい、ってね……」
「大会が終わるまで逃げ切るつもりか」
 ジュンイチに答える亜美の言葉に、相手の意図を察した麻子がつぶやく。
 と――
「あ、あの……」
 ためらいがちに口を開いたのはみほだった。なおも何か言いよどんでいたが、意を決して尋ねた。
「お母さんは、何て……?」
「……家元は、動いていないわ」
 どこかでみほの事情を聞いていたのか、亜美は初対面の時とは打って変わって気遣わしげに答えた。
「というより、動けないのよ。
 マスコミが殺到しているのは日戦連も同じでね――その対応に追われているのと、今回のことで身内にも関国商に通じている人間がいることがわかって、うかつな行動がとれずにいるの」
「お役所仕事の弊害だなぁ」
「返す言葉もないわね」
 ため息をつくジュンイチの言葉に、亜美も苦笑して肩をすくめる。
「というか、そもそも大会はこのまま続行なんですか?
 聖グロのみんな、何人もケガしてるんだから、普通大会進行止まると思うんですけど……」
「一応、そういう話も出たんだけどね……」
 首をかしげる沙織だったが、そんな彼女にも亜美は苦笑を返した。
「一部の人達が大会続行で押し切っちゃったのよ。
 関国商のやり方にそりゃあもうご立腹で、『大洗でもプラウダでも黒森峰でも、どこでもいいからあの学校を試合で堂々と叩きのめせ』って……」
「理由が理由なだけに、大会を止められたら困る関国商の仕込んだサクラか、ガチで腹立ててそんなことを言い出してるのか、判別できないってことか……まためんどくさい」
 うめくジュンイチにうなずいて――亜美は表情を引き締め、
「そういうことだから、日戦連の方はあてにできない。うかつには動けないし、動けたとしても、たぶん……大会が終わるまでには間に合わない。
 だから――これは日戦連の公認審判員としてじゃない。一戦車乗りとしての私の言葉」
 そう前置きして、亜美は一同を見渡した。
「残念ながら、私達はあなた達を助けてあげられない。
 それどころか、情けないことに今はあなた達だけが頼りなの。
 だから……お願い。絶対に負けないで」
 その言葉と共に下げられた頭に、彼女の本気を感じた。顔を上げる亜美に、ジュンイチだけではない。その場の一同が一様にうなずいて――
「……ん?」
 みほが、ポケットの中で震える携帯電話に気づいた。
 メールの着信のようだ。取り出して、内容を確認して――
「…………え?」
「西住さん……?」
 固まった。そんなみほの反応に、ジュンイチが首をかしげる。
「どうかしたのか、西住さん?」
「うん……
 ダージリンさんからなんだけど……」
「あの人まだ入院中だろ。
 病室でケータイなんか使ってていいのか? これだからセレブは……」
「茶化さないの」
 ツッコむジュンイチが沙織からたしなめられた。
「それで……ダージリンさん、何だって、みぽりん?」
「う、うん……」



「諸葛さんが、来てるって……」

 

 


 

第21話
「30分だ」

 


 

 

「本っ当っ、にっ! ごめんなさいっ!」
 ダージリンからの報せに、手配してくれた聖グロ所有のヘリで聖グロの学園艦へ――病院に直行、病室へと駆けつけたみほ達を出迎えたのは、こちらに気づいた明からの全力の謝罪だった。
「……えっと……」
「ずっとこの調子なのよ……」
 リアクションに困るみほに、ため息まじりにダージリンが答えた。
「彼女もチームを追い出された被害者の側だというのに、『自分のいたチームの起こした問題だから』って……」
「だって、私が辞めさせられる前に手を打てていれば、こんなことにはならなかったかもしれないのに……」
 ダージリンの言葉に、明はそう返して肩を落として――
「できてたワケねぇだろ」
 そう答えたのはジュンイチだった。
「柾木くん……?」
「どーやら自分の立場がわかってねぇみたいだな」
 顔を上げる明に対し、ジュンイチはため息をつき、
「お前さんが“そんな”だから、追い出されたんだよ」
「それって、つまり……」
「反則の根回しに気づきかねない、気づいたら何らかの動きをとりかねないから、事前に追い出してカヤの外にしようとした……?」
 ジュンイチの指摘に、沙織や華がその意図を察してつぶやく。
「おそらく、諸葛さんがスカウトされたのは……言い方は悪いが、“ただの間に合わせ”だろう。
 オフィシャルの抱き込みが終わるまでは細々とした妨害工作と相手の主力選手の闇討ちがせいぜいだった。
 だが、工作はともかく闇討ちは相手の戦力調整が難しい――『自分達以下に弱体化してほしい』けど『試合をあきらめるほどにはなってほしくない』関国商としては、どうしてもある程度の余力は残しておかなければならないからだ」
「だから諸葛さんをスカウトした……思うように戦力を削れない中で勝つために、諸葛さんの力を必要とした……」
「しかし、根回しが終わったことでその必要もなくなった。
 こうなると諸葛さんは用済み。それどころか自分達の行いを明るみに出しかねない爆弾でしかない。
 だから、知られる前に排除した……まったく、イヤな話ね」
 ジュンイチの話に、みほやダージリンがそれぞれに結論へと至る。と――
「……あのー」
 と、彼女にしては珍しく遠慮がちに手を挙げたのは華だった。
「ひとつ、わからないことがあるんですけど」
「何かしら?」
「関国商がここまでやる理由が、今ひとつわからないんですけど」
「え? それだったら会長が言ってたじゃない。
 自分達をアピールすることで、入学希望者を増やすとか、戦車道関係での発言力が欲しいとか……」
 ダージリンに答える華には沙織が口をはさむが――
「実現しそうですか? 今のこの状況で」
「…………あ」
 返された言葉に、華の言いたいことに気づいた。
「そういえば、蝶野殿も言ってましたね。
 今回のことで、日戦連も関国商もマスコミが殺到してるって……」
「事ここに至っては、むしろ悪評しか広まらないな。
 そんな状況では、入学者も発言力も……」
 同様に優花里や麻子もそれぞれにつぶやくが、二人にしても気づいただけだ。それが何を意味するのか、まではまだわからないでいる。
「関国商の計画が失敗した……ってことでいいのかな?」
「だとすると、少しは気も晴れるんですけどね……」
 沙織と華が話している一方で、浮かない顔なのはジュンイチだ。
(失敗……確かに、今の状況はそう見える。
 でも、それは『入学希望者を増やす』『戦車道界での発言力を強める』という目的に対して、だ。
 もし、それらが目的だっていうオレ達の仮説が間違っていたら?
 もし――)



(今みたいに悪評が広まることも、アイツらの計画のひとつだったとしたら……?)



    ◇



「……それで」
 と、そう沙織が口を開いたのは、ダージリン以外の、アッサム達先日の試合での負傷者の面々のもとにも、面会時間いっぱいまで見舞いに回り、病院を出たその場でのことだった。
 なお、一番の重傷者であったアッサムは未だ意識が戻らない。ローズヒップも意識こそ戻ったらしいが隔離病棟にいるという――と言っても、ローズヒップの場合は本来なら一般病棟でも大丈夫だったはずなのに、絶対安静を言い渡されたのを受けてもう大丈夫だとさんざんごねて大騒ぎしたため隔離された、というのが真相だったりするのだが。
 それはともかく、今注目すべきなのは口を開いた沙織の方で――
「あきりんはこれからどうするの?」
「あ、あき……?」
 いきなりニックネームを命名され、目を白黒させる明だったが、質問の意味を理解するとその表情がくもった。
「どう、って言われても……
 今の私は、関国商の生徒だから……」
「うん、そうだね。
 でも……」
 しかし、沙織はそんな明の反応は予想の内だった。うつむく明の手を取って、
「あきりん自身はどうしたいの?
 まだあそこに……関国商に帰りたいの?」
「……私、は……」
 改めての沙織の問いに、明はうつむいて、
「子供の頃から戦車道の試合を見るのが大好きで……いつか自分も、戦車に乗って試合に出たいと思ってた……」
「うん」
「でも、私鈍くさくて、入ったジュニアチームでも使ってもらえなくて……
 それでもあきらめられなくて、せめて作戦とかで役に立ちたくて、勉強して……」
「うん」
「だから、その知識を評価してくれて、スカウトされたのが、すごくうれしかった……」
「うん」
 己の胸の内を吐露していく明の言葉に、沙織はただ相槌を打つばかりで彼女の思うままに任せている。
「……なのに、関国商がこんなことをしてたなんて……
 悪いウワサが立ってるのは知ってたけど、何かの間違いだって……信じてたのに……っ!」
 しかし、限界だった。明の頬を伝い、足元に雫が落ちる。
「あんな戦車道……したくない……見たくない……
 でも、そこに私が関わってたなんて……っ!
 辛いよ……っ、苦しいよ……っ!」
「…………うん」
 ボロボロと涙を流す明を、沙織は優しく抱きしめてやる。
「……柾木くん」
「お前の部屋満室だろうが」
 そして、顔を上げた沙織がジュンイチに声をかける――が、その意図を予見していたジュンイチは「その前に解決しなきゃならない問題があるだろう」とあっさり一蹴する。
「え? え?
 何の話……?」
「わたくし達、今対関国商の警備の関係で、柾木くんの家……会社? とにかく彼のところにお世話になっているんです」
 いきなりの話題転換についていけない。涙をぬぐうことも忘れて呆ける明には華が答えた。
「そこなら安全ですよ。
 “関国商の追跡だってへっちゃらですから”」
「え……?
 それって……」
「関国商に帰るの、辛いんでしょ?」
 華の言葉、その意味を悟った明に沙織が返す。
「だったら、ウチにおいでよ。
 そんなに辛いなら、もう帰る必要なんてないよ」
「そうですよ!
 もういっそ、大洗に転校しちゃいましょう!」
「歓迎する」
 まったく異論のない優花里や麻子が沙織に続く。そして彼女達の視線は最も許可が必要であろう“家主”へと向けられて――
「今必要なのはオレの許可じゃねぇだろ」
 しかし、ジュンイチの意見は違った。
「お前らの部屋満員だっつったろ。
 その上空き部屋なんてもうないんだ――匿うのも転校も大いに賛成だけど、その一点でつまずいたままだろ。無計画もいい加減にしろよ、お前ら」
「大丈夫です!
 私は慣れてますから、寝袋使って廊下で寝ますから!」
「ますます諸葛さんがいたたまれなくなるような行為を宣言すんじゃねぇ」

 迷わず手を挙げて名乗り出る優花里に、ジュンイチは「違う、そうじゃない」とため息をひとつ。
「もっと簡単な方法があるだろ。
 目の前に、元々住んでた特権でひとりで一部屋占拠してるのがいるんだから、そいつにまず場所開けてもらうよう交渉するのが筋だろ」
「え? 柾木くんの部屋に泊めるの?」
「………………」
「ゴメンちゃんとわかってるから! ジョーダンだからっ! マイケルだからっ!
 だから右手グーパーしてアイアンクローをスタンバるのやめて! ホントにアレ痛いんだからっ!」
 こめかみに血管マークを浮かべながら右手を握り、開くジュンイチの姿に、沙織が頭を守りながら悲鳴を上げる。
「えっと……」
 と、ジュンイチが本来示していたもうひとりの該当者が動いた。明の前に進み出ると、みほは彼女の手を取って、
「私の部屋ならスペースが空いてるから……大丈夫。
 だから……ね?」
「……いいの?」
 聞き返す明だが、反対意見は上がらない。全員が笑顔でうなずいてみせる。
 そんな、あんこうチームの一同に対し、明はうつむいて、
「……そ、それじゃあ……」
 よろしく、おねがいします……」
 モジモジしながら、みほ達に向けて頭を下げた。



    ◇



「えっと……諸葛、明、です……」
 大洗の学園艦に戻ると、閉店間際のホームセンターに駆け込んで明の滞在に必要な荷物を買いそろえて帰宅。
 出迎えた一同を前に、明はおずおずと頭を下げて――
『ようこそ、明さん!』
 そんな明を息ピッタリのリアクションで歓迎するのはウサギさんチームだ。
「話は聞いている。
 関国商に利用されていたようだな」
「でも、もう大丈夫だからね!」
「ルール違反なんて許せないわ!
 あなたのことは、私達風紀委員が責任を持って保護するから!」
 他の面々も概ね好意的だ。カエサルや典子、そど子が口々に声を上げる。
「え? あの……」
「『関国商の人間だから、今回のことで何か言われるんじゃないか』――そう思ってたって顔だね」
 そんな歓迎振りに戸惑う明に対し、その困惑の原因をズバリ言い当ててみせるのは杏だ。
「でも、おあいにくさま。
 ウチの子達は、その程度で憎まれ口を叩くようなヤワな教育は受けてないから♪
 というか……」
 そこまで告げて――不意に杏の目が死んだ。遠い目で明後日の方向へと視線を向けて、
「ジュンイっちゃんのシゴキ受けたら、そんな程度のことなんてどーでもよくなるレベルで根性叩き直されるからねー」
「え、えっと……?」
 ちょっぴり「避難先を間違えたかなー?」と疑問を覚える明であった。
 と――
「心にもないコト言ってんじゃねぇ」
「あたっ」
 言って、杏の頭を小突くのはジュンイチだ。
「ちっとも叩き直ってねぇクセしてよく言うぜ」
「アハハ、バレター」
「これだよ……」
 あっけらかんといつもの調子に戻った杏に、ジュンイチは軽くため息をつく。
「じゃあ、諸葛さん。
 部屋はこっちだから……ちょっと、片づけなきゃいけないけど」
「あぁ、うん。
 武部さんから聞いてるよ。ぬいぐるみだらけなんだってね?」
「沙織さん!?」
 そこへみほが声をかけてくるが、明の返しに悲鳴が上がる――沙織を交えてワイワイと盛り上がりながら、みほと明を中心にした一同は居室区画の方へと消えていった。
 と――
「ジュンイっちゃん」
 少し声のトーンを下げて、今の一団について行かなかった杏が声をかけてきた。
「今、ひとりだけ戻ってくるのが少し遅れたね?
 やっぱり……」
「ん。“掃除”」
 それだけで意味は通じた。
「さっそく来たワケだ。
 クビにしたクセにここまで連れ戻すのに躍起になってるってことは……」
「たぶん、杏姉の考えてる通り。
 諸葛さんがスパイで、あの態度が潜入のための演技……って線は、ほぼ消えたと思っていいだろうね」
 言って、ジュンイチは自分の右の頬を指さす――何だろうと視線を向けて、杏はギョッと目を見開いた。
 なぜなら、そこにはうっすらと刃物で斬られたかすり傷があったのだから。
 まさか、かすり傷とはいえガチの戦いでジュンイチに手傷を負わせたというのか――
「見ての通り、演技のために使い捨てるにはもったいないぐらいの超一流を送り込んできやがったよ。
 事前に準備してたクチじゃない。間違いなく大慌てで送り込んできてる――準備の間に合わない分を腕で補おうとしたんだろう。
 明らかに、連中は諸葛さんがオレ達と合流することを嫌がってる……情報がもれないか、警戒してるのかね?」
「裏工作から締め出してたクセに?」
「乗り手の技量とかの情報は伝わるだろ」
「あ、なるほど」
 ジュンイチの指摘に納得すると、杏は改めてジュンイチの顔を見上げ、
「守り切れそう?」
「あの子が、誰にも言わずこっそりこの家を出る……なんてバカなマネしない限りはね」
 杏に答え、ジュンイチが思い出すのは、心の奥底の本音をさらけ出した明の姿――

『……辛いよ……苦しいよ……っ!』

 ポロポロと涙を流す、本当に辛そうな明の泣き顔――
「……守ってやるさ」
 杏に告げたワケではない。それは自らへの宣言――口にして、ジュンイチは明がみほ達と共に消えていった居室区画の方へと視線を向けた。
 聖グロリアーナの面々を傷つけたこと。
 みほの友人である明を泣かせたこと。
 そして――大洗に対して手を出したこと。
 もはや、ジュンイチにとって手心を加えてやる理由など何ひとつとしてありはしなかった。むしろ、今すぐにでも乗り込んで叩きつぶしてやりたいぐらいだ。
 だが――
(それじゃダメだ。
 ヤツらの“背後”の性質上、ただブッ飛ばすだけじゃ確実に逆恨みしてくる。
 必要なのは、関国商のやり方の完全否定。
 そのためにも――)



(まずは、試合でアイツらを、反則もろとも叩きつぶす)



    ◇



 こうして、明の大洗での生活が始まった。
 と言っても、特別やること、できることがあるワケではない。言ってみれば家出中に近い状態の明は戦車道の練習に助言するどころか学校に通う資格すらない。増してや関国商の追っ手がバシバシかかっている状況では外出すらままならない。
 結果、彼女にできることと言えば共同スペースの掃除や帰宅したみほ達と戦車道がらみで意見を交わすことぐらいのものだ。
 少々退屈ではあったが、関国商では決して味わうことのできなかった穏やかな空気は、今回のことで深く傷ついた明の心を少しずつ癒していた。



 その一方で――
「はい、お帰りはあちら〜」
 軽いノリの宣告と共に“ボッシュート”――身ぐるみはいだ上、せめてもの救命措置のブイをくくりつけた工作員のみなさんを艦尾から海上へと投げ込むと、ジュンイチはフゥと息をついた。
 元々こうなった時点で予感はあったが、明の保護を境に、関国商の工作員の動きが明らかに変わった。
 こちらへの“攻撃”そっちのけで、明に狙いが集中するようになった。今の連中から取り上げた装備も睡眠薬に拘束用のバンドなど、拉致を前提にしたものが大半だ。
 よほど明を連れ戻したいようだ。当初から抱いていた「実は明はスパイで、今までのことは大洗潜入のための仕込み」という可能性も捨てたワケではなかったが――
(ま、連中もさすがに“背後”を直接探られるとは思わなかったろうな……)
 表立って対立している関国商の方で情報を押さえておけば自分達が直接探られるとは思っていなかったのだろう。直接乗り込んでみれば裏づけはあっさり取れた。
 そして、彼らがこの大会でここまで暴れ回ることの意味も――
「まったく……どこの世界でもやることは同じかよ。
 ガキどものスポーツの大会に、大人の政治を持ち込まないでもらいたいもんだね」
 それはかつて、関国商について調べたダージリンが抱いたのと同じ感想――しかしそんなことは露知らず、ジュンイチはため息まじりにごちると家に戻るべくきびすを返して地を蹴った。



    ◇



 それから数日――関国商からの工作はジュンイチによってことごとく防がれ、ついに大洗と関国商が激突する日がやってきた。
(…………ん……)
 試合への緊張からだろうか、いつもよりも浅かった眠りから目覚め、みほはうっすらと目を開けた。
(……あぁ、朝か……
 とうとう、今日なんだ……)
 時間を、状況を認識すると気が重くなる――そう、今日の試合はいつものそれではない。
 卑怯な手段で一敗地にまみれ、主要メンバーを何人も病院送りにされた聖グロリアーナの無念を、そして関国商チームの暴挙を何としても止めてくれと頭を下げてきた蝶野の願いを背負っての試合だ。
 こんな重い気分で戦車に乗るなんて、去年の全国大会の直後、周囲の非難を浴びながら惰性で戦車に乗っていたあの頃以来だ。
 そんなことを思い出しながら、ベッドの上に身を起こして――
「…………あれ?」
 となりのベッドがもぬけの空であることに気づいた。
 しかもただ無人なワケではない。まるでゆうべは誰も使わなかったかのようにきれいに整えられている。
 だが、そんなはずはない。ゆうべ、彼女は確かにこのベッドを使っていた――試しにマットに触れてみると、確かにぬくもりが残っている。
 それなのにこんな、まるで『立つ鳥跡を濁さず』と言わんばかりの――
「――まさか!?」



    ◇



「――どこ行くのよ?」
 早朝の住宅街、関国商の制服をまとって独り歩く明は、不意にかけられた声に顔を上げた。
 行く手の電柱に背を預けて腕組みしているのは――
「逸見、エリカさん……?」
「まったく、朝一番で何余計なことしてくれてるのよ?」
 そう明に返すと、エリカは電柱から離れて明の前に立ちはだかる。
「こっちは隊長からアンタ達を見ておくよう言われてるのよ。
 ジュンイチんちの方はチームの子達が見ててくれてるけど、あまり手間かけさせないでほしいわね」
「それって……」
 エリカの言葉に、明は眉をひそめて、
「……黒森峰総出でストーカー?」
「なんで大洗にはこうも天然ばっかりが集まるのかしらね」
 可愛らしく小首をかしげる明の言葉に、エリカはこめかみを引きつらせ、拳を握りしめてうめく。
「じゃなくて、問題なのはアンタの母校の方でしょうが。
 結局今日までジュンイチに阻止されまくって何も仕掛けられてないんだもの。今のこの時間、試合前がラストチャンスでしょうが」
「……うん……」
「で? アンタはそんな正念場にどこ行くつもりよ?」
「……私も、あなた達と同じ理由だよ……」
 改めて尋ねるエリカに、明は観念してそう答えた。
「私も、大洗のみんなを守りたいから……
 関国商は私のことを連れ戻したがってる。
 だから、私がひとりで出歩けば、向こうの目は私と西住さん達とで分散されることになる……」
「アンタ、それって……」
 明の言葉にエリカがうめいて――
「諸葛さん!」
 かけられた声は、エリカのものではなかった。振り向くと、パジャマ姿のみほがあわててこちらに駆けてくるところだった。
「西住さん!?」
「あなた……」
「――っ、エ……逸見、さん……?」
 エリカに気づき、みほがどうしてここにいるのかと驚く――わざわざ呼び方を改められたことには大いにツッコみたかったが、エリカとしても彼女の登場はありがたいので後回しだ。
「ちょうどよかったわ。
 この子、アンタ達を無事試合会場に行かせるための囮になろうとしてたみたいよ」
「やっぱり……」
 すでにみほの方でもその結論に至っていたようだ。エリカの言葉に、むしろ納得する様子を見せている。
「諸葛さん、どうしてこんな……」
「だって……私は、西住さん達に何も返せていないから……」
 一方、明は自分の身を省みない思惑を暴かれたことで気まずそうにしていたが、みほに理由を問われるとうつむいたままそう答えた。
「関国商に在籍したままの私は、みんなの力にはなれない……せいぜい相談に乗って、知恵を貸してあげるくらいで……」
「そんなこと……」
「あるよ……
 聖グロリアーナだけじゃない。今までいろんな学校を傷つけて、みんなにも迷惑をかけた……
 全部、私のいたチームのやったことで……気づけるところにいたはずの私は、ただ身内だからって疑わず、信じきって……何も知らずにのほほんと戦車道を楽しんでた。
 自分がちゃんとチームのことを見ていれば、もっと早く止められたかもしれないのに……私にも責任がある。何かしなくちゃ……」
「だからって、こんなやり方よくないよ」
 己の胸の内を吐露する明の手を、みほは優しく握った。
「大丈夫。明さんはちゃんと私達の力になれてるよ。
 明さん、すごく博識で、頭の回転も早くて……知恵を貸してくれるだけって言うけど、その一点だけでもすごく助かってる。
 だから……ひとりでなんて行かないで、みんなで一緒に止めよう、関国商を」
「西住さん……」
 みほの説得に、明の目頭が熱くなる。嗚咽をもらし始めた明を抱き寄せて、みほは「よしよし」とあやしてやる。
「話はまとまった?
 じゃあ、戻りましょ――こんなところにいて、襲われたら連れ戻しに来た意味ないでしょ?」
「う、うん……」
 声をかけてくるエリカにうなずいて――ふとみほは気づいた。
「そういえば、逸見さんはどうしてここに?」
「え゛?
 あー、えっと……」
 みほの問いに、エリカが固まった――果たして、「あなたの姉の命令であなた達の家を監視してました」などと正直に答えていいのやら。字面だけを見るなら先ほどの明ではないがストーカー同然だ。
 意外なところで降って沸いた問題にエリカが頭を悩ませていると、
「キミ達」
 不意に声がかけられた――見れば、警邏の途中通りかかったのか、少し先のT字路で停車したパトカーから降りてきたらしい警官がこちらに向けて歩いてくるところだった。
「あぁ、すみません。
 実は……」
 そんな警官に応対しようとみほが口を開――いたところで、エリカがその前に割り込んだ。
「逸見さん……?」
 みほが声をかけるが、エリカは彼女には答えず――警官に対し、尋ねた。
「アンタ……」



「本物の警官かしら?」



    ◇



 カタタタタ……と独特の音を立て、男の手にしたスタンガンが迫る――が、
「――――――っ」
 ジュンイチにそんなものが通じるはずもない。あっさりとスタンガンを握る手を払いのけ、カウンターの裏拳が男の鼻を殴りつぶす。
「ったく、キリがねぇなぁ……
 ラストチャンスだからって、死にもの狂いすぎるだろ、お前ら」
 うめいて、ジュンイチは周囲を取り囲む男達を見回す――もうすでに十人以上を叩き伏せているのに、まだまだやる気のようだ。
「ったく、しゃーねぇ。
 みんなの朝メシ作ってやんなきゃなんねぇからな……一気に片づけるか」
 ため息まじりにつぶやくと、フィニッシュ宣言にたじろぐ男達に向けてかまえ――

 ――――――

「――――っ!?」
 “それ”を感じ取った。
「――西住さん!?」
 みほの“力”が大きく乱れ、しぼんでいく――彼女の身に何かが起きた証拠だ
 しかもその場の気配はみほだけではなくて――
「諸葛さん……エリカまで!?
 ったく、諸葛さんはともかくなんでエリカまでいるんだよ!? こっそり見てたんじゃないんかいアイツらっ!」
 異変を感じ取り、ジュンイチの動きが止まる。それをチャンスと見たか、男達が一斉にジュンイチへと襲いかかり――











「――いたっ!」
 三分後、ジュンイチの姿は住宅街の別の一角にあった。
 相手をしていた男達を一蹴、乱れて以降感じ取ることも難しいほどに小さくなった気配をなんとか追跡しながら、屋根伝いに住宅街を駆け抜けることしばし――住宅街の外れ、甲板の外周沿いの臨海道路を走るホロ付きのトラックを発見した。
 みほ達三人の気配はその荷台から――間違いない。
「そこまでやるかよ――関国商!」
 咆哮し、ジュンイチがトラックを追って地を蹴り――







 叩き落とされた。







 背後に現れた気配を認識した瞬間、衝撃――強烈な一撃に受身もままならず、ジュンイチが道路上に叩きつけられた。
「が…………っ!?」
 さすがのジュンイチも、肺から空気が叩き出されて動きが止まる――が、それでもなんとか身をひねり、追撃とばかりに落下――否、急襲してきた影の踏みつけをかわして距離を取る。
 舞い上がった土煙が晴れ、相手の姿が現れる。その身にまとうのは――
(迷彩服……本物だな。変装目的の安物じゃない。
 つかあの迷彩パターンって……)
 しかし、ジュンイチが思考を巡らせていられたのはそこまでだった。襲撃者が地を蹴り、ジュンイチへと殴りかかる。
 一刻も早くみほを追いかけたいところだが、相手の方が速い。ジュンイチはやむなく迎撃、男の拳を受け流す。
 男の攻撃はこちらの急所を、鋭く、着実に狙ってきている。これは――
(軍隊式格闘術――それに、この練度!)
「ついに直接お出ましかよ――“本職”!」
 舌打ちまじりに身を沈めて右フックを回避し、相手の脇腹へ掌底。ひるんだ相手を蹴り飛ばす。
「西住さん!」
 ともかく、今は男の相手よりみほ達の救出だ。男との距離が開いたそのスキに、トラックを追おうときびすを返して地を蹴る。
 が――そんな彼の身体に何かが巻きついた。ロープの両端に重りをつけた、“ボーラ”と呼ばれる捕獲武器だと気づいた時には、バランスを崩し、失速したその身体は大地に叩きつけられていた。
 すぐにロープを斬って脱出――が、起き上がるよりも早く相手からの追撃が来た。ガードした両腕の上からジュンイチを思い切り踏みつける。
 さらにそのままマウントポジションでジュンイチを殴り続ける。ただひたすらに。
 やがて、ジュンイチの両腕が真っ赤にはれ上がったところで、男は拳を止めた。
 だがそれは攻撃をやめたワケではなかった。腰のホルスターから抜き放った拳銃をジュンイチの額に向k







「そいつを待ってた」







 つかまれた。
 ジュンイチの、真っ赤にはれたその腕で。
 とっさに引き金が引かれるが、狙いの乱れた拳銃から放たれた銃弾はジュンイチが軽く首をかたむけただけで外れ、アスファルトに突き刺さった――拳銃をひねり、男の手からむしり取る。
 拳銃を奪われ、男は当然それで自分を狙ってくると警戒する――が、ジュンイチには“もっといいもの”がある。迷うことなく“力”を解放。巻き起こる熱風にたまらず離れた相手を素早く立ち上がり追撃。その拳で顔面を思い切り殴りつけて――
「――――っ!?」
 顔をしかめたのは相手ではなく、ジュンイチの方だった。
 男の拳をガードし続けた腕にダメージがあったから――だけではない。
 殴った時の手応えが異様に硬かったからだ。
 骨を殴った感触じゃない。まるで“金属の塊を殴ったような”――
「……てめぇ……っ!」
「……そうか」
 一方、相手もジュンイチの放った熱の残る迷彩服を軽く払い、納得したようにジュンイチを見返した。
「お前も、なのか……道理で戦闘能力が人間離れしているワケだ。
 こんな平和ボケした劣等国家にも、そんな技術があったとはな」
「一緒にすんじゃねぇ。今ブッ放したのは天然モノじゃ」
 男に言い返すジュンイチだったが、その表情は硬い。
「ったく、冗談キツいぜ。
 何が悲しくて、“こっち”でまでてめぇらみたいなのを相手しなきゃならねぇんだ――よっ!」
 言い放つと同時、地を蹴る――男との距離を詰め、拳を繰り出す。
 対し、男も冷静にそれをさばいて反撃に出t



 瞬間、男の眼前で爆発を巻き起こった。


 ジュンイチがどさくさに紛れて放り投げていた手榴弾、それもスタンではなく実弾――もちろんジュンイチは打撃をさばかれた段階で迷うことなく離脱済みである。
 普通ならこれで決着。しかも相手の死亡で――しかし、
「……貴様……っ!」
「やっぱしのぐか……」
 うめいて、煙の中から姿を現した男に対し、ジュンイチがため息をつくが、
「だけどさ……どうする?
 いくら住宅街の外れっつっても、今の爆発でパンピーに気づかれたと思うけど」
「なるほど、それが目的か……」
 続くジュンイチの言葉に男がうめく――そう、ジュンイチの手榴弾は男へのダメージだけを狙ったものではなかった。
 仕留められればそれでよし。そうでなくても、爆音で近所の住人達に事件を報せることができる。
 行いが行いなだけに人目につきたくないであろう彼らにとって、これは相当マズイはず――
「…………フンッ」
 しかし、男はジュンイチの指摘を鼻で笑い飛ばした。
「悪くない手だが――少し遅かったな」
「何――って!?」
 言われて、ようやく気づいた。
 男に集中して、気づくのが遅れた――みほ達の“力”の位置が学園艦上にない。
 その気配は海上、しかも学園艦から離れ始めている。つまり――
(船か!)
 気配のする方を見れば、今まさに学園艦から離れていく揚陸艇の後ろ姿。
 間違いない。みほ達の気配はあの中だ。逃げられt
「――まだだ!」
 しかし、ジュンイチには飛行手段がある。まだ追いかけることはできる。人に見られかねないのもおかまいなしに、ジュンイチが“力”を解放し――
「追わせると思ったか?」
 しかし、当然相手もそれを許しはしない。言って、男がジュンイチの前に立ちふさがってくる。
「どけぇっ!」
 もはや手加減する理由など一片たりともありはしない。咆哮と共に拳を放つが、男はそんなジュンイチの拳を受け止め――
「――がっ!?」
 衝撃が身体を突き抜けたのは、ジュンイチの方だった。
 男に動きはなかった。ただ拳を受け止めただけ――それだけで、叩きつけた拳からしびれを伴った衝撃が突き抜けたのだ。
(電撃――っ!? “仕込んで”やがったか!)
 しびれで一瞬動きが鈍り――殴り飛ばされた。道路の上を数度、バウンドしながら転がる。
 さらに、倒れたジュンイチに追撃。仰向けに倒れたジュンイチの顔面を思い切り踏みつける。
 衝撃でアスファルトが砕け、ジュンイチの頭が地面にめり込む――しかし、止まらない。なおもジュンイチの頭を何度も、徹底的に踏みつけ続ける。
「……くっ、そっ、が――っ!」
 それでも、ジュンイチは反撃しようと男に向けて手を伸ばし――しかし無情にもその手は男によって払われた。
 そして、まだあきらめる様子のないジュンイチに向け、男がその顔面に拳を打ち落として――











 ジュンイチの意識はそこで途切れた。



    ◇



「……ん……」
「あ、気がついた!
 柾木くん、大丈夫!?」
 意識が再起動し、目を開く――最初に視界に入ったのは、心配そうにこちらをのぞき込む沙織の姿だった。
「……ここは……?」
「試合会場だよ」
 しかし、そこは自分のよく知る自宅ではなく、どこかの天幕の中だった。沙織の答えに、ようやくそこが試合会場、自分達の待機場所なのだと理解して――
「ジュンイっちゃん」
 声をかけてきたのは杏だった。
 しかし、その表情はいつものひょうひょうとした明るさの一切が抜け落ちた真剣なもので――
「西住ちゃんと諸葛ちゃんがいなくなった。
 その上で、ジュンイっちゃんのその状態……“そういうこと”だと思っていいのかな?」
「…………あぁ」
 杏の言葉に、ジュンイチは悔しさを隠し切れずに歯噛みした。
「……二人と、一緒にいたエリカが、さらわれた」
 改めて口にしたその事実に、場が騒然となる。
「おそらく、関国商の仕業だ。
 状況から考えて、諸葛さんを狙ったところに偶然居合わせた西住さんとエリカが巻き込まれた……そんなところだろう」
「エリカさんは、どうしてそんなところに?」
「気づいてなかったのか?
 諸葛さん保護したのをどっかで聞きつけたんだろうな――諸葛さんが来て三日後からアイツの指揮下の護衛チームがうちの周りうろついてたぞ」
 聞き返す梓に、ジュンイチはまだ少しクラクラする頭を押さえながら答える――覚醒が遅い。意識が途切れた後もそうとう念入りに殴られたようだ。
「そして柾木は、西住隊長達を救出しようとして返り討ちにあった、か……」
「柾木くんがやられるなんて……」
「それについては弁明のしようもないな」
 カエサルや典子の言葉に、ジュンイチはそう返して頭に巻かれた包帯に手を添えた。
「完全にオレの失態だ。
 連中の“本気”を見誤ってた……まさか“本職”が出てくるなんてな……」
「本職……?」
 うめくジュンイチに梓が聞き返すと、



「本物の軍人よ」



 そう答えたのは、ジュンイチではなかった――その場の全員がその声に驚き、声のした方へと振り向いて――
『ダージリン(さん/殿)!?』
 そう。告げて現れたのは、未だ足のギプスが取れず、車イスに乗って現れたダージリンであった。
 しかも――
「それもただの軍人ではない。
 汚れ役専門の、非正規部隊イリーガルだ」
 その車イスを押して現したのはまほだ。さらなるビッグネームの登場に、一同は驚きの余り声も出ない。
「フフフ、驚いてるみたいね。
 あなた達を激励しようと来てみたら、そこでまほさんと会ったのよ」
「なるほどね。
 で、さっきの話の流れ……一通りのことは聞いてるみたいだね」
「あぁ。
 そして――それはダージリンだけじゃない」
 杏に答え、まほは天幕の入り口を目で指して――
「ハァイ♪」
 そこにいたのはケイだ。さらに彼女のとなりのエクレールが一同に対し一礼する。
「まほさん……
 すまない。オレの力不足のせいで西住さんとエリカが……」
「いや、お前は十分にやってくれたさ。
 お前がいなかったら、もっと早くにこうなっていた」
 まほの前に進み出て頭を下げるジュンイチだったが、まほは「気にすることはない」と逆に励ましの言葉と共に彼の頭をなでてやる。
「それよりも今は、みほ達三人の救出だ。
 今、四校合同で救出チームを編成中だ」
「四校……って、まさか……!?」
 だが、続くまほの言葉に虚を突かれた。ジュンイチに視線で問われ、ダージリンはもちろん、ケイやエクレールもうなずいてみせる。
「私達にとっても、みほさんは大切な友人ですもの。
 その危機ともなれば、動くのは当然でしょう?」
 三人を代表して、ダージリンがそう告げて――







「ちょおっと待ったぁっ!」







 新たな声が乱入した。
「アンツィオ高校、参上!
 我々に声をかけないとは水臭いじゃないか!」
 アンチョビだ。ペパロニ、カルパッチョと共に姿を現して――



「問題は三人がどこに連れ去られたか、だけど……まほさん」
「役目が役目だからな。一応エリカには発信機を持たせておいた。
 これがその受信機だ」
「どれどれ……?
 ……どう、ジュンイっちゃん?」
「……こっちで捉えてるのと位置に誤差なし。まだ発信機は見つかってないみたいだな」
「実は気づいてて、こっちの追跡をハメるためにわざと放置してる……とかないかしら?」
「それは大丈夫だと思いますよ、ケイさん。
 今までの動きから考えて、彼らは目の前のことにはとにかく短絡的なところがあります。わたくし達の追跡に、発信機に気づいていたなら、その場で放り出しているはずですわ」



「ナーイスシカト」
 かまうことなく相談を続けるジュンイチ達の姿に、アンチョビがツッコミを入れた。
「お前ら、せっかく来てやったのにその歓迎はないだろう!」
「いたのかネタ要員ども」
「重ね重ねひどいっ!?」

「――と、まぁ、ノリで生きてるアンツィオのみなさんに乗っかるのはこのくらいにして」
「しかも確信犯か……」
 ジュンイチにあっさりとあしらわれ、アンチョビは軽くため息をひとつ。
「しかし、心配はいらなかったかな?
 いつもの調子に戻ってるじゃないか」
「いつまでも凹んでいられねぇよ。
 西住さん達のことは心配だけど、その心配を解決するために何をすればいいのか、その道筋は見えてんだ。
 なら、あとは突っ走るだけだ。相手のバックに国がいようが知ったことか」
「国……?
 柾木くん、それどういうこと?」
「『関西“国際”商業』の名の通り、関国商は主に留学生を対象としたインターナショナルスクールなの」
 アンチョビに答えたジュンイチの言葉に沙織が首をかしげるが、そんな彼女にはダージリンがそう説明の口を開いた。
「そして、近年そのスポンサーはある国の国営企業が占めているわ。
 結果、今の関国商はその国の意向の影響を強く受けるようになっているの――事実上の乗っ取りね」
「その国って……?」
「お前らの場合、ニュース見るとしたらケータイかパソコンでのネットニュースだろ?
 ならけっこうコメント欄にぎわせてるのを見かけないかな?――ほら、試合に勝つためなら選手どころか運営すらも総出で他国の選手を妨害する国があるだろ」
「…………あ」
 聞き返す沙織にジュンイチが答えたのを聞いて、声を上げたのは梓だった。
「澤ちゃんは気づいたみたいだな。
 近いところだと外から招いた少年野球チームが勝ち進んだら運営が『ウチの国の大会なんだからウチの国のチームが勝たなきゃダメ』とか言って強制不戦敗にした事件とか、無風でやんなきゃいけないバドミントンの試合で空調使って自国選手に追い風吹かせた神風バドミントン事件とか。
 天下のオリンピックでも負ければ審判にゴネて大会進行止めるなんて当たり前。自国開催の時なんて当たり前のように審判買収に走りやがったし」
「そんな国が、この大会に首を突っ込んでる……?」
「元々自国至上主義が強い上に、前の大戦で日本に迷惑かけ倒された歴史もあって、世論の対日感情最悪だからな、あの国。
 “やらかす”上で動機は十分どころか、そもそもためらう理由自体が存在すらしないワケだ」
 華に答えて、ジュンイチは肩をすくめてみせる。
「オフィシャルの買収が済んだとたんに諸葛さん切ったのもそういう意味では必然だったんだろうな。
 ヤツらにとって、日本人の力を借りなきゃならないってのはそうとうな屈辱だったろうからな」
「ち、ちょっと待って!」
 ジュンイチのその話に待ったをかけたのは、顔を真っ青にした沙織だった。
「そんな人達に連れ戻されたんじゃ、あきりん、そうとうヤバイんじゃないの!?」
「まー、ヤバイだろーな。
 つか、そもそもヤバくするために連れ戻そうと躍起になってたんだろうし」
「なら、一刻も早く救出しなければな!」
 ジュンイチの答えに、出遅れを取り戻さんばかりに音頭をとるのはアンチョビだ。
「居場所はわかっているんだろう!?
 ならばさっそく乗り込んでやろうじゃないかっ!」
 言って、アンチョビはきびすを返して走り出し――



「行ってらっしゃい」



「はぁ!?――ぶっ!?」
 あっさりとジュンイチに送り出され、驚いた拍子に天幕の柱に正面衝突。幸い柱が外れてしまうようなことはなかったが――
「なっ、何だと……!?
 柾木、お前は行かないのか、西住を助けに!?」
「あぁ、オレ?
 オレは知っての通り、これから試合だからさ♪」
 意外な言葉に驚くアンチョビだったが、ジュンイチはあっさりと答えると一同の間を抜け、天幕のすみに置かれた自分の装備を身につけ始める。
「し、試合って、出ても大丈夫なんですか?
 西住隊長が捕まってるんだし、出たりしたら隊長が……」
「試合を辞退して不戦敗しろとか八百長で自分達を勝たせろとか言うつもりなら、とうに要求してきてないと向こうだって困るだろ」
 思わず聞き返す梓に、ジュンイチは即答した。
「試合自体はやりたいんだよ、アイツらは――その上でこっちをつぶしたいのさ、聖グロの時みたいにな。
 ヤツらが欲しいのは『こっちを試合の場で真っ向からぶちのめした』って事実だ。だから棄権も八百長も申し入れてこないのさ」
「なるほどねー。聖グロの時と同じってことか。
 こっちの戦力は削っても、大会を棄権するほどにはしたくない、と……」
「それに、さすがに今回のような『選手の誘拐』なんて事件が公になれば、大会そのものが中止に追い込まれかねない……」
「表面上、“無名でありながら大会を勝ち抜き優勝した”というシナリオが欲しい関国商としては、それは避けたいところ、ということですか……」
 ジュンイチの話にケイが、エクレールが、ダージリンが納得して――
「いや、そうじゃなくて!」
 そこに割って入ったのは優花里だ。背を向けたままのジュンイチに詰め寄り、
「今は試合の話より西住殿達の方が重要でしょう!?」
「そうだよ!
 柾木くん、みぽりん達が心配じゃないの!?」
「わたくし達も助けに行きましょう!」
「まっ、待て、お前ら!
 西住達のことも重要だが、だからと言って試合を放り出すワケには……」
 優花里やその後に続く沙織や華に、桃が待ったをかける。
 しかし、彼女もみほ達が心配なのは同じだ。留まらせようとするその言葉に勢いはない。
「そうだ! 警察に!」
「でも、アイツら警官のニセモノ使ってるんだよ!?」
「そうだよ!
 もし通報しても来たのがニセ警官だったら!?」
 意見が錯綜しているのは彼女達だけではない。ウサギさんチームの間でも意見が割れていて――



「30分だ」



 そんなやり取りをさえぎったのは、ジュンイチのその言葉だった。
「えっと……柾木先輩?」
「30分、とは……?」
「オレ達の試合が始まって、30分後……ぐらいだろうな。
 オレ達の“悪あがき”を見物するアイツらの気が緩む頃合は」
 梓やカエサルに答えて、ジュンイチは背を向けたまま息をつく――その後ろ姿を見て、麻子は気づいた。
「だから……オレ達は、ここに残らないといけないんだ……っ!
 アイツらに、救出作戦を悟らせないためにも……どうすることもできず、試合に出るしかなかったと思わせるためにも……っ!」
 ジュンイチの肩が……全身が震えている。
 そう――ジュンイチだって、みほ達のことが心配でないはずがない。
 むしろ、誰よりも率先して、今すぐにでも助けに行きたいはずだ。
 それを懸命にこらえている。自分達がここで踏んばることが、まほ達による救出作戦の確度を上げることにつながると理解しているから、必死にこの場に踏みとどまっている。
 頑なにこちらを振り向こうとしないのも、きっと――
「頼むぞ、みんな……
 アイツらを、絶対助け出してくれ……っ!」
「……あぁ」
 一足遅れ、麻子と同様に気づいた一同が押し黙る中、しぼり出したジュンイチの懇願の言葉に、まほは静かにうなずいた。
「言われるまでもない。
 みほも、エリカも……諸葛も、必ず助け出す」
 そう告げると、まほは軽くため息をつき、
「だから……お前はいつも通りでいろ。
 大洗はお前とみほでもっていた――その一方、みほが不在の今、大洗の中心はお前ひとりだ。
 そのお前が不安げにしていたら士気にも障る。そんなことでは、みほ達を助けるまでの30分すらもたないぞ」
「……わかってるよ」
 まほに言われて、ジュンイチは大きく息を吸い、吐いて――
「……ぅし、いくか!」
 こちらへと振り向いたジュンイチは、すっかりいつもの不敵な笑顔に戻っていた。
『――はいっ!』
 だから、仲間達も笑顔でそれに応える。
 わかっているのだ。今のジュンイチは表面を取り繕っているだけだと。
 自分達を不安にさせないように、自らの不安を押し殺しているだけだと。
 なら自分達がすべきことは何か――ジュンイチを安心させてあげるにはどうすればいいか。
 今できることを、全力でやる。ジュンイチの期待に、全力で応える。
 大洗の全員が決意を固める中、ジュンイチの前に進み出てきたのは桃だ。
「では、柾木。
 W号の車長と隊長の代理を頼めるか? お前の白兵戦をあてにできないのは辛いが、西住に代わり指揮を執れるのはお前しかいない」
 その桃の提案に、反対の声は上がらなくて――



「だが断る」



 否。当のジュンイチによって断られた。
「『西住さんの代わりはオレしかいない』? 決めつけんなよ。
 何が悲しくて、他に任せられる人材がいるのにわざわざ白兵戦力つぶしてまでオレが指揮執らにゃならんのよ?」
「他に任せられる人材が……?
 ――会長か?」
「違うって。
 つか前にもあったな、この手のやり取り……」
 桃のリアクションにため息をつき、ジュンイチはクルリと振り向き、
「お前の出番だぜ――」







「澤ちゃん」





「…………え?」
 間の抜けた声は、まさか自分が指名されるとは思っていなかったからか――ジュンイチの言葉に、梓は自らを指さしながら目を丸くする。
 対し、この後のことを予想したジュンイチは耳をふさいでカウントダウン。
(3、2、1)



『えぇぇぇぇぇっ!?』



 ジュンイチの予想通りに、予想通りのタイミングで、一同の驚きの声が上がった。



    ◇



「……なるほどねー。
 なかなか面倒なことになってるじゃない」
 試合会場、観客席の一角――手にした紙面に目を通し、赤毛の髪をツインテールにまとめ、ジージャンにジーンズといったラフな服装に身を包んだ少女はため息まじりにつぶやいた。
「“本国”との命令のやり取りも確認しました。
 今回の騒動の裏にあの国が絡んでいるのは、間違いありませんね」
「あと……“お兄ちゃん”が気づいてることも、ね」
「となると、警察はあてになりませんね……
 訴え出たところで、外交問題化を恐れた上から圧力がかかって止められるのがオチです」
「私達の時みたいに?」
 彼女の他にも、四人の少女達がいる――栗色の髪の少女、黒髪をポニーテールにまとめた少女が黒髪をストレートに流し先端で束ねた少女と意見を交わすと、金髪の、ひとりだけ小学生ぐらいの年頃の少女が口を挟んでくる。
「……アイツは、動けないわよね、この状況じゃ」
「はい……
 今回の試合、相手の前回が前回だったせいでいつも以上に注目を浴びている状態です。そんな中で試合に出なければ、救出に動いていると相手に教えているようなものです。
 となれば、彼は試合に出て相手の目を引き、他の人達に救出を託すしかありません」
「戦車道なんてやってるんですから、ある程度の軍事行動はこなせると思いますけど……」
「でも、それだってあくまで『武道』の枠内でしょ?
 本職の軍人、それも非正規部隊イリーガルが相手となると、悪いけど通用するとは思えないわね」
 自分に答える栗髪の少女や黒髪ストレートの少女に、赤毛の少女はそう返すと声を抑え、
「それに、アイツら……“いじってる”のがいるんでしょ?」
「はい……
 “こっち”の技術レベルがどれだけのものかはわかりませんけど……」
「でも、お兄ちゃんやられちゃったんでしょ?」
 答える栗髪の少女とポニーテールの少女に、赤毛の少女は腕組みをして考え込んで、
「やっぱ“こっち”の子達だけじゃ厳しいわね……
 ウチの男衆は?」
「向こうの鉄板ナポリタンの屋台で買い食いしてたよ」
「状況わかってるでしょうに、何やってるの、あのバカども……」
 金髪の少女からの情報に、赤毛の少女はため息をつき、
「呼んできて」
「行くんですか?」
「えー?
 せっかく試合見られると思ったのにー」
 赤毛の少女の指示に、二人の黒髪少女が声を上げる――かまわず、赤毛の少女は立ち上がり、
「試合ならまた見られるわよ――」
 言って、手にした紙面をクシャクシャに丸めると頭上に向けて放り投げた。
 宙を舞う紙くずを、右手で指さして――
「ジュンイチ達大洗が、無事に勝ち上がれば……ね」
 その指先から放たれた閃光が命中、紙くずを焼き尽くす。一瞬にして行われた証拠隠滅に、気づいた者はいなかった。


次回、ガールズ+ブレイカー&パンツァー

第22話「私には出来ない芸当だ」


 

(初版:2018/08/27)