大乱闘の末の、ベルウォール戦車道チーム再始動から数日――
「私、南陽子!
推しは中国戦車! 夜露死苦!」
『合格』
元気にあいさつする小柄な少女に対し、音子と千冬が即答し――声がハモったことで「マネすんな」とにらみ合う。
ちなみに、何が「合格」なのかというと――
「オファー組も入ってきて、これで19名。
だいぶ頭数そろってきたわね」
音子と千冬の合格宣告に、エミは安堵の息をつく――エミやジュンイチ以外にも瞳がほうぼうに出していたオファーに応じてくれた連中が集まってきたので、音子と千冬にそれらの面々をチームに迎え入れるか否か、面接してもらったのだ。
こちらから出したオファーに応じて来てもらったのだから、本来ならば無条件に受け入れるのが筋なのだろうが、何しろここはチームの気風が気風だ。ヤンキーぞろいのこのチームでやっていけるような気質の持ち主かどうか、慎重を期すべきだとジュンイチが進言したのである。
「売りに出されていた戦車も二輌回収できたし、順調だね!」
「T-44とU号か……
悪い戦車とは言わないけど……」
はしゃぐ瞳の言葉に、ジュンイチは背後の戦車倉庫、そこに停められた、先日レストアの終わった一輌の戦車へと視線を向けた。
「ティーガーTとじゃ、戦力面での落差がなぁ……」
そう、レストアしていた戦車は黒森峰でもまほが使っていたティーガーT。取り戻した戦車も、U号はもちろんドイツ製として、ロシア戦車であるT-44も戦時中一時的にドイツに奪われていた工廠で生産されていたというドイツとの縁がある。どうやらベルウォールの戦車道チームは元々ドイツ製やドイツと縁のある戦車で編成を組んでいたようだ。
だが、今はそんなことよりも戦力としてこの構成がどうかという話の方が重要なワケで――
「別に気にする必要ないんじゃない?
大洗でも、大した戦車・大したことない戦車がピンキリの編成で全国優勝したんでしょ?」
「だからこそ、戦力的に落差も不安もない安定したチームもたまには仕切ってみたいと思うのはいけないことですかねぇ?」
返してくる椛子の言葉に、「自分だっていろいろ経験してみたいんだよ」と答え、ジュンイチは軽くため息をもらす。
そして、問題はもうひとつ――
「でも……まだ三輌。
試合に出るためには最低でもあと二輌……」
そう――瞳のつぶやいた通り、戦車の数はまだまだ足りていないのだ。
「でも、買い戻そうにももう予算が……」
「タンカスロンに乗り込んで、向こうでアピールしてカンパでも募るか?
参加のツテならあるぞ。楯無とかサンダースとかアンツィオとかBC自由とか」
困っている瞳にジュンイチが提案すると、
「その必要はないわ」
そう答えたのはエミだった。
「忘れた?
私達には、こういう時のあてになる協力者がいるでしょうが」
「協力者……?」
「そんな人達いたっけ……?」
エミの話に、ジュンイチと瞳は顔を見合わせ――
『…………あ』
同時に、気づいた。
◇
「はぁ……
この前は散々だったわ」
「この柏葉姉妹をコケにして……」
『ほんと、戦車なんて大キライ!』
所変わって、こちらは自動車部のガレージ――不機嫌もあらわに柏葉金子とその妹、剣子は双子ならではの絶妙なコンビネーションで不満をぶちまけた。
「もう何もかもあの忌々しい赤髪女のせいよ!」
「今度会ったらギッタンギッタンのぺちゃんこにしてやるわ!」
なおも二人の文句は止まらない。このまま延々と愚痴を垂れ流す――と思われたが、
「あのー……」
そんな二人の愚痴を聞いて、ふと気づいた自動車部員が口をはさんだ。
『何っ!?』
「い、いえ……あの……
何か聞いてると、あの赤髪の転入生にばっかり文句言ってますけど……」
「二人をレースで負かしたの、助っ人の男子ですよね?」
『………………』
その指摘に、柏葉姉妹の動きが止まった。たっぷり十秒は静止して――
「……あ、アイツはいいのよ、うん」
「赤髪女と違って、ちゃんと私達のすごいところ認めてくれたし、うん」
少し早口気味に、まくし立てるように答える――予想外のリアクションに部員達が目を丸くしているのに気づき、剣子がコホンと咳払いしてごまかす。
「と、とにかく!
私達の敵はあの赤髪ゴリラただひとーりっ!」
「今度こそ、私達のすごさを思い知らせてやるっ!
『ごめんなさい』と言わせて、オシオキにオシリペンペンしてやるわ!」
気を取り直して、柏葉姉妹がエミへの愚痴をぶちまけて――
「ふーん。
それは楽しそうねぇ」
『…………え?』
かけられた声に、二人の動きが止まった。
この場で聞くはずのない声だ。なぜなら――
「実は、ちょっとお願いがあって来たんだけど……
も・ち・ろ・ん、聞いてくれるわよね?」
『あ』
今まさに陰口を叩いていた相手――エミの声だったから。
第44話
「ただじゃおかないわよ」
そして――
「ぅわぁ♪」
搬入された“それ”を見て、瞳が目を輝かせる――他の面々も、予想外の代物の登場に、目を丸くしたりあんぐりと口を開けたりして呆気にとられる者、瞳と同様に興奮してはしゃぐ者とそれぞれにリアクションを見せている。
だが、それも無理はない。何しろエミが柏葉姉妹を脅しt……もとい、先の「自動車部が勝負に負けたら戦車道チームの再建に協力する」という約束に基づいてスポンサーになってもらい、彼女らの金で購入してきたのは――
「や、ヤークトパンターに、エレファント……
確かに、T-44やU号じゃ力不足だとは言ったけど……」
「また高そうなものを……
いくら約束だからって、ここぞとばかりにえげつない……」
「陰口叩いてくれた迷惑料も込みよ」
また気合の入った買い物をしたものだと苦笑するジュンイチの背後で、エミは頬を引きつらせる椛子に迷うことなく即答する。
「ともかく、これで人員も戦車も数はそろえられた。
次は――」
「質、だろ?」
「えぇ」
口をはさんでくるジュンイチに、エミはうなずいた。
「何はなくとも実戦経験。
今度の練習試合、絶対勝つ!」
「あぁ、なんか申し込まれたんだって?
音子姉や千冬姉は、毎年やってる恒例行事だって言ってたけど」
「らしいわね。
まぁ、元々知り合いだったあの二人のところに直接申し込みがあった案件だから、まだ詳しい話は聞けてないんだけど……」
ジュンイチに答えて、エミは二人から聞いた話を思い出す。
「えっと……相手、何て名前だったっけ……あ、そうそう」
「『せいぐろ』とか言ってたわね」
「………………は?
『せいぐろ』って……まさか、あの聖グロか?」
思いもよらないところから出てきた、自分のよく知る名前に、ジュンイチは思わず声を上げ――
「…………ん?」
気づいた。
自分達を見ている者がいる――だが、敵意や悪意は感じない。
むしろ、困惑の色の強い気配だ。後は――怯え。
そして、この手の気配に、ジュンイチは覚えがあった。
(あー……これ、初対面の相手を前にした西住さんだわ)
話しかけるべきだと理解はしているが、その結果相手の気分を害してしまわないか、それで怒られてしまったりしないかとビクビクしている、戦車道における“相棒”のことを思い出す。
チラリと視線を向けると、気配の主は倉庫の大扉の陰からこちらを伺っていた。ジュンイチに見られていると気づくと、あわてて扉の向こうに引っ込んでしまう。
だが、知っている顔であることは確認できた――オファー組のひとりだ。
自分が案内したから覚えている。最初は気弱そうで大丈夫かと思ったが、却ってその小動物っぽさが音子達よりもむしろ周りにウケて合格となっていた。
名前は――
(……白鳥、渚……)
◇
「じゃあ……まず、伝統の一戦ってことで練習試合があるワケだけど……」
従来のメンバーとオファーの新入り組との顔合わせも済ませ、いよいよ新体制でチーム始動――さっそくみんなを集めたその前で、マネージャーとして司会進行を押しつけられたエミが口を開いた。
「調べてみたけど……聖グロってかなりの強豪じゃない。
過去のスコア見たら勝ってる試合もあるけど……え、何? アンタ達、そんなに強かったの?」
「別に」
尋ねるエミだったが、音子はあっさりとそう答えた。
「勝ったのを自慢できるほど、大したトコじゃねぇだろ」
「去年も勝ったしね」
(…………?)
音子の後に続く千冬の言葉に、聞いていたジュンイチは眉をひそめた。
なので、彼女達に気づかけないよう気配を消してその場を離れる――そんなジュンイチをよそにミーティングは続く。
「それより、去年いただろ。
いちいち紅茶をこれ見よがしに飲んでたヤツ……アイツが今はキャプテンなんだろ?」
「顔合わせるのがめんどうね」
「まぁ、いいわ」
音子と千冬の会話に、エミは「スコアが間違ってないならいい」と話をまとめにかかった。
「アンタ達が勝つ気マンマンならいいのよ。
私としては、今後のための景気づけになればそれでよし、だし」
「今後の……?」
「アレのことよ、アレ」
聞き返す瞳に答え、エミが指さしたのは、壁に貼り出してある、公式・非公式双方ひっくるめた大会のスケジュール表だ。
「まずは第一の目標。
一番近い公式大会――全国戦車道大会優勝記念杯に参加して、優勝するわよ」
「ほぉ、大きく出たじゃねぇか」
「記念杯って言ったら大きな大会じゃない。優勝できるの?」
「やるからにはてっぺんよ」
音子と千冬に対しキッパリと答えるエミだったが、
「それに……」
「『それに』?」
「あぁ、そこはいいわ。私用だから」
(……あ……)
一転、続く言葉に食いついた椛子には言葉を濁す――そんなエミの姿に、瞳は気づいた。
エミの言う“私用”、それはおそらく――
(この大会は、毎年全国大会の優勝校の地元で開かれる大会。
つまり今年は……)
(茨城県、大洗町……!)
自分の戦車道を見つけたらまた会おう――そう約束した仲だが、だからと言って、エミとしてはみほと会えるかもしれないチャンスをみすみす逃すつもりもない。
約束にタイムリミットができただけだと思えばいい――みほとの、大洗女子との対戦までに、自分の戦車道を見つければいいだけの話だ。
だがそのためには、大会を勝ち進むことが絶対の必須条件なワケで――
「……で、あなた達」
それには、目の前にいる新しい仲間達の協力が必要不可欠だ。
「まさかとは思うけど……ビビっちゃいないわよね?」
「おいおい……」
「舐められたものね」
エミの問いにため息をついたのは、もちろん音子と千冬である。
「誰にモノ言ってんだ?
優勝してやらぁっ!」
『オォォォォォッ!』
「わかってるならいいのよ」
音子の音頭で盛り上がる一同に対し、エミは心配いらなかったかと安堵の息をもらす。
「よし。
話がまとまったし、さっそく練習よ! 戦車出して!」
『おぅっ!』
気を取り直し、エミが一同に号令。それぞれに動き出す中、自身も瞳に合流する。
「ヤンキーの扱い慣れてきたね」
「まぁね」
瞳のコメントに苦笑して――エミは気づいた。
「あれ……?
瞳、ジュンイチは?」
「え……?
そういえば……ミーティングの途中から姿見てないね?」
◇
時はほんのちょっとだけ――瞳の言う『ミーティングの途中』のところまでさかのぼる。
「あ、もしもーし?」
ミーティングから抜け出して、ジュンイチは戦車倉庫の裏で携帯電話を使い連絡をとっていた。
「おぅ、久しぶりー。
で、用件なんだけど……」
前置きはそこそこに、ジュンイチはさっそく用件を説明して――
「……なぬ?」
返ってきた答えに眉をひそめた。
「おい、ちょっと待ったのしばし待てい。そりゃいったいどーゆーことだ?
……あぁ、こっちではそーゆー話になってるんだけど」
そして、電話の相手とさらに情報を交換して――
「……あー、なーるへそ。
そーゆーことか」
納得できる結論に到達したようだ。満足げにうなずいた。
「OK、理解したわ。
“宣戦布告のつもりで電話したのに”、そっちじゃ無駄足になっちまったが……代わりに面白そうな話も聞けたし、それでよしとしとくよ。
じゃ、そろそろ練習始まる頃合いだからこの辺で。
情報サンキュな――」
「ダージリン」
◇
そして、電話を終えたジュンイチが戦車倉庫に戻ってくると、
「遅い」
出迎えたのは、仏頂面のエミであった。
「どこ行ってたのよ?
もう練習始めるわよ――アンタも燃料弾薬積み込むの手伝いなさいよ」
「オレ教官として演習場まで乗せてってもらうだけで、お前らの戦車動かすワケじゃねぇんだが」
「同乗するんでしょうが。乗ってくんでしょうが。
働かざる者乗るべからずっ!」
「へぇへぇ……って蹴るなっ!」
ぎゃあぎゃあとそんなやり取りを交わしながら、ジュンイチとエミはエミらのチームに割り当てられた戦車――すなわちティーガーTの元へとやってくる。
そこにはすでにチームメイトがせいぞろい。すなわち――
「おー、やっと来たね、御両人!」
通信手、喜多椛子。
「………………」
操縦手、鷹見優。
「エミちゃん、ヤンキーだけじゃなくて柾木くんの扱いも慣れてきちゃったねー……」
装填手、柚本瞳。
まだ砲手が決まっていないが、それは今後オファー組の中から目星をつけて誘う予定になっていて――
「…………ん?」
ふと、エミが気づいた――視線の先には、あわただしく動き回る面々の中、オロオロしている少女の姿がある。
あれは――
「白鳥渚……」
「知り合い?」
「んにゃ。
オファー組だよ――だから把握してる。そんだけ」
「ふーん……」
ジュンイチの話に納得して、エミは渚へと視線を戻す。
当の渚は何をすればいいのかわかっていないのか、先ほどからオロオロしっぱなしだ。そして、周りもそんな渚に声をかける様子はない。
「あー、ありゃあぶれたな。
小学校で『他の人とペアを作ってください』って言われた時、出遅れてひとりだけポツンと余っちまうアレ」
「あー、あるある」
「……まったく、仕方ないわね」
ジュンイチと椛子のやり取りをよそに、エミはため息まじりに渚の元へと向かう。
(自分からは動かないタイプ……
こーゆー子は苦手なんだけど……)
「ねぇ」
「えっ、あっ、ハイッ」
エミに声をかけられ、渚は驚きよりも怯えの方が強い反応を見せた。
「名前は?」
「し……白鳥、渚……
あ、いっ、一年、です……」
「もっとハッキリ!」
「ひっ!?」
「ちょっ、エミちゃん!?」
コミュニケーションの取っ掛かりになればと名前を聞くところから始めたが、思った以上におどおどした様子の渚がじれったくて、つい声が荒くなる――却って渚を怖がらせてしまうエミの剣幕に、瞳があわてて待ったをかけた。
「こ……怖い……」
「あぁ、大丈夫大丈夫。
気にしないでね――これ、エミちゃんの病気だから」
「病気!?」
もっとも――瞳も瞳でエミに対して失礼ではあったが。
「エミちゃんも。
オファー組同士、もっと仲良くしなきゃ」
「わ、わかってるわよ……」
瞳にたしなめられ、エミがしぶしぶうなずくと、
「おーい、マネージャー」
そんなエミ達に向け、頭上から声がかけられた。
「何やってんだ?
先行ってるからなー」
ヤークトパンターに乗る音子だ――エミに声をかけると、舎弟である操縦手の神原に戦車を発進させる。
ちなみに、今日は買い戻した戦車や柏葉姉妹に買わせたヤークトパンター、エレファントの慣らし運転の意味もあり、各車毎の自主訓練ということになっている。
「すぐ行くわよ……」
そんな音子の介入で落ちつきを取り戻し、エミはため息まじりに答えて――
「…………ん?」
気づいた。
「ヤークトパンターだ……!」
先ほどまでおどおどしていた渚が、目をキラキラと輝かせて去っていくヤークトパンターを見送っていることに。
おかげで――
「…………習うより慣れろ……か」
渚をその気にさせる方法を、思いついた。
◇
と、いうワケで――
「わぁぁぁぁぁっ♪」
数分後、渚の姿は演習場へと繰り出したティーガーTの車上にあった。砲手、装填手用の乗降ハッチから顔を出し、荒野を爆走するティーガーTの姿に興奮して声を上げる。
「野生児か」
「いいじゃない。楽しそうだよ。
エミちゃんも、楽しんでもらおうと思って渚ちゃんを乗せたんでしょ?」
「〜〜〜〜〜〜っ」
が――エミのボヤきと返す瞳の言葉に我に返ったようだ。自分がいかにはしゃいでいたかを自覚し、渚は顔を真っ赤にして車内に引っ込んできてしまった。
「おもしろいね、キミ!
私は喜多! 通信手ね!」
「操縦手、鷹見……よろしく」
「よっ、よろしくお願いします……」
だが、そんな渚の姿は車内の面々には好感触だった。笑いながら椛子が名乗り、優もそれに便乗。二人からの自己紹介に、渚はぺこりと頭を下げる。
「いやー、ちょうどひとり空いてて助かったよー」
「え? でも……」
だが、その後に続く瞳の安堵のつぶやきには首をかしげた。不思議そうに渚が見つめるのは、空きスペースに器用に腰かけているジュンイチだ。
「オレは、そもそもこのチームのメンバーじゃないからな」
なので、ジュンイチは自ら渚の誤解を訂正した。
「オレはヘルプで呼ばれた他校の人間だよ。
練習試合に首突っ込む程度ならともかく、公式戦にはさすがに出られねぇ。
っつーワケで、オレは最初からチームメンバーとしてはカウント外なんだよ。OK?」
「な、なるほど……」
ジュンイチの言葉に、渚は納得してうなずく――が、その態度は少し残念そうで――
「でも――私なんかよりずっとうまくできそうなのに……」
「まー、“さっき聞いた話”の通りなら、そりゃな」
もったいないと嘆く渚に、ジュンイチが苦笑。『さっき聞いた話』とは――
「でもまさか、オファー組なのに戦車乗るの初めてとはねぇ」
そう、椛子の言う通り、渚は戦車の運用はまったくの初心者だったのだ。
「ま、理由はいろいろあるだろ。
前の学校にチームがなかったとか、こないだの全国大会で初めて興味を持ったクチで前からガッツリやってたヤツらの中に入っていけなかったとかさ。
そーゆー連中には、今回のオファーはまさに渡りの船だ。そりゃ素人もやって来るさ」
そしてそんな椛子に説明するのはジュンイチだが、
(あと、考えられるのは……)
続く“仮説”は口に出さず心の中に留める。
彼女の“経歴”を考えれば一番あり得そうな――そして、一番目の前の光景に亀裂を走らせ得るものだったから。
「ま、何でもいいわよ」
そんなジュンイチをよそに、エミはあっさりと言い放った。
「転校してまでウチのチームに来たんだもの。オファー組全員、それなりの事情はあるでしょ。
大事なのは、今はウチのチームの一員ってことと……しごきがいがありそうってこと」
「ひっ」
エミの言葉に「しごかれるの!?」と怯える渚だったが、エミもエミで容赦するつもりはない。
「ほら、次は主砲撃ってみなさい」
「し、主砲!?」
「そりゃそうでしょ。
通信手、操縦手、装填手に戦車長と埋まってるんだから、後残ってるのは砲手だけなんだもの」
なので、迷うことなく渚に最初の課題をブン上げる――驚く渚に、当然のように言い放つ。
「あ、あの……でも……
そんな、やったこともないのに……絶対外しちゃう……」
案の定、渚は自信を持てないままうつむいてしまって――
「馬鹿ね」
そんな渚に対し、エミは頭をなでてやりながら、安心させるかのように優しげな笑みを見せた。
「初心者にそんなこと求めてないわよ。
教えてあげるから、顔上げなさい」
「え……」
「あと」
こちらを見返す渚に対し、エミはそう付け加えた。
「戦車に乗るなら堂々としなさい。
楽しく戦車道ができるコツよ」
◇
「そう、距離を計算して……よく狙って」
車内でのやり取りを経て、エミ達は射撃場へとやってきた――どうやら音子達は走行訓練の方に行ったらしく、ここにいるのはエミ達のティーガーTだけだ。
そんな中、渚はエミの指導で、ティーガーTの主砲の照準を慎重に合わせていく。
そして――
「撃て!」
エミの号令で引き金を引いた。放たれた砲弾は一直線に標的へと飛んでいき――外した。
「あぅ……」
「気にしなくてもいいわよ。
言ったでしょ?――最初からいきなり結果なんて求めてないわよ」
外してしまい、シュンとしょげ返る渚に対し、エミはその頭をなでてやりながら答えて――
「鷹見さん」
口を開いたのはジュンイチだった。
「戦車、前に出して」
「え……?」
「いいから」
優に答えて――ジュンイチは自分を見つめてくるエミに気づいた。
「何か考えがあるワケ?」
「だから提案してんの」
「OK。そーゆーことなら」
即答するジュンイチに、エミはあっさりとうなずいた。
「んじゃ、見せてもらいましょうか。
大洗仕込みの、選手の育成メソッドってヤツを」
「メソッドなんて大したモノじゃないけど……見せてみろって言うならお安い御用だよ」
「柾木……このくらいでいい?」
「んにゃ、もっと前ー」
エミに答えたジュンイチに、戦車を少し前進させた優から確認の問いかけ――だが、ジュンイチとしてはまだ前進が足りなかったようだ。
「はい、もっと前ー。
もっと前ー。
んー、まだまだ前出て〜」
そんな具合に、ひたすらに優へと前進を指示して――
「はーい、こんなもんでいいよ〜」
「って……」
ようやくジュンイチが停止を指示したのを前に、エミは思わず眉をひそめた。
だがエミのリアクションも無理はない。なぜなら――
「いくら何でも、この子をバカにしてない?
さすがにこの距離なら当たるでしょ」
的に対してほぼ接射、というぐらいのところまで接近させたのだから。
「これでいったい何になるの?」
「まー、少なくとも練習にはならんな」
「ちょっと!?」
「でも」
思わず声を上げたエミだが、ジュンイチは落ちついたものだ。
「オレの言いたいことを伝えるにはじゅーぶん役に立つ」
「言いたいこと……?」
「いーから、撃て撃て」
「は、はい……」
聞き返すエミにかまわず告げるジュンイチに、渚は困惑しながらも照準をのぞき込んだ。
「どう見ても、むしろ外す方が難しい距離だけど……さっき言った基本を忘れないようにね」
「は、はい。
距離を計算して……」
気を取り直してアドバイスするエミとそれを聞く渚、二人の姿を見守りながら、ジュンイチが思い返すのは古巣・大洗の――
(甘いぜ、中須賀さん。
世の中にはな――)
(これよりさらに近い距離で外したツワモノもいるんだぜ)
◇
「………………」
「ん? どうしたの、桃ちゃん?」
「何だか急に柾木のことを殴りたくなった。
あと桃ちゃんってゆーなっ!」
◇
さて、大洗で誰かが何かを受信していることなど知る由もなく――
「撃て!」
エミの号令で渚が発砲。放たれた砲弾は狙い違わず標的を撃ち砕いた。
「あ……当たった!」
「まぁ、これだけ近けりゃね」
目を輝かせる渚に対し、エミは思わず苦笑して――
「そう、当たったねー」
そこへ、ジュンイチが口を挟んできた。
「で? これで何が言いたかったワケ?」
「答えなら、とっくに示されてるよ」
そんなジュンイチに尋ねるエミだが、返ってきた答えは抽象的でイマイチ要領を得ない。
「今までの一連の行動とその結果、順を追って思い返してみ」
「え?
えっと……最初、エミちゃんの指示で渚ちゃんが撃って……でも外れて……」
「柾木の指示で、鷹見が戦車を近づけて……で、もう一度撃って、当てた」
「なるほどね……」
口に出して一連の行動をおさらいする瞳や椛子の言葉に、エミはため息まじりにうなずいてみせた。
「さっきの一撃――渚はさっきの位置から撃って外した。
なら、“どうすれば当てられるようになるか”……その答えがこれ?」
「あの距離で当てられないなら、当てられる距離まで近づいて撃てばいい……ってこと?」
「そゆコト。
まぁ、わかりやすくするために極端に近づいてもらったワケだけど」
エミに聞き返す椛子に口をはさむ形で、ジュンイチがそう告げてうなずいた。
「でも、それじゃ練習にならないんじゃ……」
「あぁ、そうだな。
でもいいんだよ――今伝えたかったのは技術云々の話じゃないから、これで腕が上がらなくても損はない」
首をかしげる瞳だったが、ジュンイチも肩をすくめてそう答える。
「今オレが伝えようとしたのは、考え方の方だ。
“できない”からって、“目的を果たせない”とは限らない。自分のできることの中に、使えるものがあるかもしれない。
『できない』と思った時、その次にどう考えるかが重要なんだ――『だからもうダメだ』と思ってたらそれこそダメになる。かと言って、『だからできるようになるまでこのまま繰り返す』じゃ同じことの繰り返し。
今みたいな練習の時はむしろ後者が正解だけど、模擬戦や試合の場でそんなことは言ってられない――そーゆー時は『じゃあどうすればできるか』っていうふうに考えなくちゃな。これはその実践さ」
「言いたいことはわかるけど……そこは別に後回しでもよくない? 試合の時にでも……」
「そいつぁ時と場合、人によるさ。
少なくとも、白鳥さんの場合は最優先でやっとかなきゃいけないケースだと判断した」
ため息まじりに告げるエミだったが、ジュンイチは迷わずそう答えた。
「白鳥さん、戦車乗るの初めてなんだろ?
そんな白鳥さんが今から練習試合までにモノになるかはわからないし、モノになったとしても経験値の不足ばかりはどーにもならん。
白鳥さんの力が及ばない、そんな状況になる可能性は極めて高い――そして実際そうなった時、さっきみたいに『自分にはできない、もうダメだ』なんてあきらめられたり、『できるまでやってやる!』なんて同じ失敗繰り返されても困るだろうが」
「そ、それはそうだけど……」
「そうならないために、技術を磨く前に心を鍛えなきゃならないんだよ」
反論できず、口ごもるエミに答えつつ、ジュンイチは渚へと視線を向ける――恐縮する渚が身を縮こまらせるが、ジュンイチは心配いらないとその頭をなでてやる。
「当てられなかろうが別にいいんだよ。気にすんな。
その代わり、その時その時に、自分にできることで役に立ってくれればそれでいい」
「私に、できること……」
「そう。
だから――知れ。そして考えろ。
自分に何ができるのかを知って、それをどう活かせるのかを考えろ。
考えるのをやめちまったら、それこそ人間終わりだぜ」
「は、はい……
やって……みます……」
「ん、よろしい♪」
弱々しいながらもうなずいてみせた渚に、ジュンイチは満足げにうなずき、
「さて、そうとわかれば、さっそく“知る”ことを始めようか」
「え……?」
「鷹見さん、一メートルぐらい下がってー」
顔を上げる渚にかまわず、優に後退を指示した。
「あ、あのー……柾木さん……?
今度は何を……?」
「『知る』ことから始める――そう言ったろ?」
尋ねる渚だが、ジュンイチは笑いながらそう答えた。
「さっきの位置から撃った第一射は外した。
今の位置から撃ったら当たった。
つまり、お前さんが攻撃を正確に当てられる範囲、外し始める範囲の境目はその間にあるってことだ」
「いや、そりゃまぁ、当たり前でしょ」
「じゃあ聞くけどさ」
口をはさんでくるエミだが、今度はそんなエミへとジュンイチが尋ねる。
「お前さん――自分の砲撃正確に当てられる限界距離、把握してる?」
「え?
あー、えっと……」
「まぁ、車長のお前は非常時の交代要員としての最低限の訓練しかしてないってのもあるだろうけどさ。
けど……本職の砲手でも、命中率ばかりに目が行って、自分が当てられる間合いを正確に把握できてないって輩は割と多いんだよ」
思わず答えに詰まるエミに対し、ジュンイチがため息をついて告げる。
「だからコレだ。
現時点の白鳥さんがどこまでの距離なら正確に当てられて、どこから命中率が危うくなるか、その境界線を見極める。
遠回りに見えるだろうが、実戦でドンパチやる上では重要な情報だ」
「あ、そっか。
正確に当てられる距離がわかっていれば……」
「近づいて戦わなきゃならないような時でも、接近をギリギリまで抑えられるのか」
「はい、柚本さん喜多さん正解」
こちらの言いたいことを察してくれた瞳と椛子に、ジュンイチが拍手で絶賛する。
「とーぜん、交代要員も含めてチーム全員、順次やってもらう予定だけど……いい機会だ。砲撃教えるついでに先行で白鳥さんの分を済ませちまおう、と。
……あと、ここでお前らに測定の手順教えとけばみんなでやる時お前らを助教として動員できるし」
「絶対後半の理由が本命の動機でしょ」
しれっと余計なことを付け加えるジュンイチにため息まじりにツッコんで――ふとエミは気づいた。
「ひょっとして……大洗でもそこまでやってたの?」
「とーぜん」
あっさりとそう答える――エミの考えていることは容易に想像がついたので、教えてやる。
「西住さん、そこそこ成績よかったぞ――それ以上のバケモノどもがいたから霞んじまったけどな」
「そうなんだー。
みほちゃんもがんばってるね、エミちゃん」
「べっ、別にっ! 私はみほのことなんか気にしてないわよ!
大洗の訓練内容が気になっただけでっ!」
同じく意図を見抜いたらしい瞳からも話を振られ、エミは顔を真っ赤にして言い返してきて――しかし、そんなエミの姿に、ジュンイチは思わず眉をひそめた。
今の光景に既視感を感じたからだ。
(このツンデレめいた反応、どこかで……あ)
(“アイツ”だ)
◇
「………………」
「ん? どうした、エリカ?」
「いえ……
何だか急に、ジュンイチのヤツをブン殴りたくなりまして……
……というワケで鷲悟、殴っていい?」
「いいワケあるかっ!」
◇
「遅くなっちゃったわねー」
「私達だけじゃなくて、他のみんなも久々の練習で熱中してたみたいだしね」
練習も終わり、戦車を片づけて解散――夕暮れの帰り道を歩きながら、エミのつぶやきに瞳が笑いながら答える。
「それにしても、白鳥すごいねー」
そんな二人の一方で、渚に声をかけるのは椛子だ。
「コツつかんだら、あっという間に砲撃上達したじゃん。
最後の方、もう私達以上にうまくなってたし。こりゃ正式に砲手就任じゃない?」
「そうそう!
元の距離に戻って以降の砲撃が15発中12的中!
限界距離も私達の中で一番長かったし、才能あるよ!」
「そ、そんなことないです……」
今回の練習だけで目覚ましい上達を見せたことを絶賛してくる椛子や瞳に、渚は恐縮して縮こまってしまう。
「わ、私よりも、エミさんの教え方がよかったから……」
「そ、そんなことないわy
「そんなことありますよっ」
自分に褒め殺しの矛先を逸らそうとする渚にエミが返――そうとするが、そんなエミの言葉に、渚は食い気味に言葉を被せてきた。
「エミさんが教えてくれなかったら、きっとあそこまでできませんでした!
エミさんは強くてカッコイイです!」
テンションが上がってきたか、渚は鼻息も荒くそう力説して、
「そ、それで、その……
もっ、もしよかったら、私の師匠になっていただけませんか!?」
そのまま勢いに乗ってエミへと弟子入りまで志願した。
「ちょっ、し、師匠って、そんな……」
「いーじゃん、中須賀。
なんかベタ惚れみたいだし」
「どの道教えるつもりだったんだし、やるコトぁ一緒だろ」
いきなり師匠と言われて困惑するエミだが、周りはむしろ渚の味方だった。椛子やジュンイチも渚を推してくるのを前に、エミは観念してため息をついた。
「……わかったわよ。
一人前になるまで面倒見てあげる」
「本当ですか!?」
「その代わり、やるからにはビジバシいくから、覚悟しなさい」
「はいっ!」
告げるエミに元気にうなずいて――そんな渚の身体が不意に持ち上げられた。
優だ――持ち上げた渚を、そのまま自分の上に肩車してやる。
「鷹見も祝ってくれてるね」
「優ちゃんってば」
優の意図を読み取った椛子の言葉に瞳が笑みをもらし――
「…………あ」
不意にジュンイチが顔を上げた。というのも、
「んじゃ、オレぁこっちだから」
この面々の中で唯一教員寮住まいのジュンイチはここで帰り道が別れるからだ。
「えー?
帰っちゃうの?」
だが、今日は少しばかり勝手が違った。帰ろうとするジュンイチに対し、瞳が不満の声を上げた。
「渚ちゃんの歓迎会したいと思ってたのに……」
「お、いーねいーね! やろうやろう!
柾木も、とーぜん参加ね!」
「えー?」
瞳の提案に乗っかった椛子から誘われるが、ジュンイチは何やら気が進まないようで――なので、そんなジュンイチの態度に、エミは不思議そうに首をかしげた。
「意外ね。
アンタって基本ノリがいい性格してるから、こーゆーの好きそうなものだけど」
「そりゃ、どんちゃん騒ぎ自体は嫌いじゃないけどさ……」
尋ねるエミに対して返ってきたのは、答えと共にもらされた盛大なため息だった。
「けど、このメンツでそーゆー会を今からやろうと思ったら、とーぜん会場はどっかのファミレスなり喫茶店なりで、そこでの夕食会って形になるだろ」
「そうね」
男子もいる中で自分達の内の誰かの部屋というワケにもいかないし、と納得して――
「それが不満なんだよ」
まさにそこがジュンイチの気乗りしない点であった。
「ぶっちゃけ、そこらの店に料理の腕で負けてるつもりはないんでな。
何が悲しくて、歓迎会なんていうもてなしの席を、オレが作るよりも味で劣る店でやらにゃならんのだ。
どーせやるなら本格的に、だ。オファー組全員をもてなす形で、チーム全体でやるぞ。
学校でどっか部屋借りてやる――その形なら、調理室借りて本格的に料理用意できるし」
「何その“もてなし”に対する飽くなきこだわり」
力説するジュンイチにエミが呆れて――
「いやいや、もっといいテがあるよ〜」
二人のやり取りを聞きつけたか、ニヤニヤと楽しそうに笑いながらやってきたのは椛子だ。
「もっといい手……?」
怪訝な顔で聞き返すエミだが、椛子はすぐには答えない。もったいつけた様子で“溜め”を作り、
「ズバリ――」
「柾木んちでやr「却下」
ジュンイチに光の速度で却下された。
「えー?」
「いや、『えー?』じゃないだろうが」
提案をあえなくつぶされ、不満の声を上げる椛子に、ジュンイチはため息まじりにツッコんだ。
「そうよ! 何か考えてるの!?
コイツ男よ! オトコ! おーとーこーっ!」
ジュンイチだけではない。エミもまた、異性の部屋に上がり込もうなど何を言っているのかと食ってかかる。
「それでもし間違いがあったらどーするのよっ!?」
「んー? 間違いって?」
「そっ!?
それは、その……言わせないでよ!」
が、そんなエミに椛子からの反撃――答えづらいところを突かれ、エミは顔を真っ赤にして答えに詰まる。
なので、椛子の矛先は、反対したもうひとりへと向けられるワケで――
「じゃー、柾木ー。
……間違い、起こす?」
「お前、ぜってーわかって聞いてるよな!?
誰が間違うか! 安心安全この上ないわ!」
「私だって起こされるつもりないわよっ!」
ジュンイチとエミ、二人が力いっぱい言い返し――
「じゃあ安心だねー♪」
『…………あれ?』
それを聞いた椛子は「言質取ったり」とニンマリ。
「よーし、問題なくなったワケだし、決まりだね!
柾木ご自慢の料理の腕、存分に見せてもらおうじゃないのさ! いやー、楽しみだなー♪」
「それが目的か、てめぇ……っ!」
すでに歓迎会の会場はジュンイチの部屋に決まりとばかりにはしゃぐ椛子に、ジュンイチがうめいて――と、突然その場に携帯の着メロが流れた。
「あ……」
渚だ。あわてて自分の携帯電話を取り出して――その画面を見た瞬間、彼女の顔色が変わった。
「あ、あの……すみません。
今日は、やっぱり……」
「え、そうなの?」
「すみません、それじゃ!」
聞き返す瞳に答えると、渚は一同に深々と一礼してパタパタと走り去っていってしまった。
いきなりの豹変、その原因がかかってきた電話にあるのは、話の流れからも明らかで――
「親からかな?」
「門限決められてるのかもね。
せっかく親元離れて寮生活してるんだから、気にしなくてもいいと思うけどなー」
瞳や椛子が話すのを尻目に、ジュンイチは渚の走っていった方へと視線を向け、
「…………ふむ」
興味深げに、その目を細めた。
◇
翌日――
「ん?」
「あ」
学校の正門前で、登校してきたエミがジュンイチの姿を見つけた。
「今日は朝から来たんだ」
「昨日、初の本格練習だったろ?
みんなもガンガン戦車乗り回しただろうし……放課後の練習までに調子、見とかないとな」
教員枠での滞在のため授業に出る必要のないジュンイチは、戦車をいじるにせよ放課後の練習に合わせて姿を現すにしろ、登校はもう少し遅い時間だったはずだ。
それがこんな朝からと首をかしげるエミに、ジュンイチは肩をすくめてそう答えて、
「あ、エミちゃーん、柾木くーん」
そんな二人に気づいて、登校してきた瞳が声をかけてきた。
「あぁ、瞳」
「おはよーさん」
エミとジュンイチがあいさつを返すが、瞳は何やらニコニコと上機嫌に笑いながら、二人のところにやってきた。
「何かいいことでもあったのか?」
「んー、あったというか“これから起こす”というか……
エミちゃん、ちょっと」
「え、私?」
ジュンイチに答える形で話を振ってくる瞳に、エミは首をかしげながら彼女のもとへ。
「何なのよ?」
「それはね……えいっ」
そんなエミに対し、瞳は彼女に向けて手を伸ばした。驚くエミの前髪を手に取り、そこに着けたのは――
「じゃーん! 私の作った髪留め!
エミちゃん、前髪かかってたから」
「あ……」
瞳が着けてくれた髪留めで、少し視界が開けた気がした。声をもらして、エミは右手で髪留めを軽くなでて――
「…………柚本さん」
「ほえ?」
気づけば、ジュンイチが瞳の目の前に――首をかしげる瞳の手を取って、
「その器用さ、整備班で活かしてみる気ない?」
「ウチの装填手を引き抜こうとするなっ!」
エミが、ツッコミと共にジュンイチを張り倒した。
「いきなり何言い出してんのよ、アンタは!?」
「だってさぁ……
これから放課後の練習までの間に、戦車五輌をひとりで見なきゃならん身の上としては、とにかく人手が欲しいワケで」
エミに答えて、ジュンイチは殴られた後頭部をさすりながら身を起こし、
「でも、実際問題、本格的な整備ができる人材がいないってのは深刻だぞ?
できても通常のメンテナンスが精一杯って子しかいないんじゃ、いざ大ダメージとなった時にその戦車を直せるヤツがいない。
そもそも外様のオレが戦車の維持管理を一手に引き受けてるっつー現状がそもそも異常なんだからさ」
「わ、わかってるわよ。
早めに何かしら考えなくちゃね」
ジュンイチの指摘にエミは渋い顔でそう答えて――
「…………あれ?」
二人のやり取りから置いてきぼりを食らっていた瞳が何かに気づいた。
「どうしたの?」
「アレ……」
尋ねるエミに返し、瞳が空を指さす――その先に見えるのは、こちらに向かって飛んでくる黒い影。
「飛行機……?」
「ただの飛行機じゃねぇな、ありゃ。
積載量優先の超ずんぐりむっくり体型の機体形状……輸送機だ」
つぶやく瞳にジュンイチが付け加えた、まさにその時、件の輸送機から何かが投下された。
(あ、デジャビュ)
ジュンイチにはこの光景に覚えがあった――なので、エミと瞳の手を取って道路脇へと退避する。
「え? 柾木くん?」
「どうしたのよ、ジュンイチ?」
そんなジュンイチに戸惑う瞳とエミだったが、そんな二人の疑問に対しては“答え”の方が先にやってきた――輸送機から投下されたそれが地面に到達、そのまま惰性で校門を薙ぎ倒しながら地をすべり、自分達の目の前を駆け抜けていく。
ジュンイチに退避させられていなかったら、自分達はまともに巻き込まれていただろう――地をすべっていった“それ”によって削られた地面を前にゾッとするエミをよそに、ジュンイチは“それ”を見た。
一輌のイギリス製重戦車。車種は――
「ブラックプリンス……」
全国大会の時のアレコレのせいで、あまりいい印象のない戦車だった――ジュンイチがその名をつぶやくと、キューポラのハッチが開いた。
「無事着陸ね」
こっちはぜんぜん無事じゃねぇんだがな――と路面を見ながら内心ツッコむジュンイチをよそに、ブラックプリンスから降りてきた、声の主、車長らしき少女は悠々と周囲を見回している。
「な、何よ、アレ……」
一方、目の前の事態に未だ思考が追いついていないエミが、ようやくブラックプリンスに気づいた。
「ブラックプリンス……!?」
「あら。
これがブラックプリンスだとわかるなんて……ひょっとしてあなた、戦車道チームの方かしら?」
そんなエミの上げた声に気づき、ブラックプリンスの車長の少女はこちらへとやってきた。
金髪をギブソンタックにまとめ、濃紺のブレザーが特徴的な制服に身を包んだその少女は――
「まさか、あなた……
聖グロリアーナの、ダージr
「そう!」
その姿に声を上げるエミに対し、少女は言葉を被せるようにうなずいて、
「このわたくしが、ダージリン――
「――様ファンクラブ、プラチナ会員!
西呉王子グローナ学園、戦車道チームの隊長、キリマンジァロよ!」
………………
…………
……
「…………は?」
少女のその名乗りに、エミの目がテンになった。
「西……呉王子? グローナ?
キリマンジァロ? え?」
「ま、そーゆーこった」
困惑するエミに答えたのはジュンイチだ。
「『西呉王子』『グローナ』。
ハイ、略してみ」
「略して、って……
西呉王子グローナ、だから……西……グロ……」
“西グロ”⇒“西グロ”=“聖グロ”
「…………詐欺じゃない!」
「テメーのカン違いを人のせいにすんな」
ようやく自分の誤解に気づき、顔を真っ赤にして声を上げたエミに対し、ジュンイチは冷静にツッコんだ。
「ジュンイチ……アンタ知ってたわね……!
それも、私がカン違いしてたことも込みで」
「まーな」
「教えてくれてもよかったじゃない!」
「何言ってんのさ。
いつ気づくか楽しみに見守ってたってのに、なんでわざわざこっちからネタバラシしてやらなきゃならないのさ?」
「確信犯!?」
「…………?
何を騒いでいるのかしら?」
ジュンイチとエミのやり取りにキリマンジァロが首をかしげていると、
「……あぁん?」
上がった声にジュンイチが(エミをあしらいながら)振り向くと、音子が千冬や舎弟達と共にやってきたところだった。めちゃくちゃにされた路面の舗装に、そしてキリマンジァロに気づくと不快そうに眉をひそめた。
「何だよ、西グロのキモいヤツじゃねぇか」
「失礼ですわね」
「何しに来たのよ?」
「何って……ただのあいさつですわよ」
音子に、千冬にそれぞれ答えると、キリマンジァロはフッと笑って、
「それと……ベルウォールは去年の世代交代以来空中分解、メンバーもずいぶんと様変わりしたとか。
ですから、この試合の意味を覚えていらっしゃるかと思って」
「意味?」
キリマンジァロの言葉に首をかしげるのは、もちろん新参であるエミだ。音子へと向き直り、尋ねる。
「どういうこと?」
「あぁ――」
「大会の出場権の話だろ」
………………
…………
……
「ちょっと!?」
想定外すぎる答えに、理解が数秒遅れた――我に返ると同時、エミは音子の胸倉をつかんで声を荒らげた。
「何ソレ!? 聞いてないわよ!?」
「悪い、忘れてた」
詰め寄るエミに音子がしれっと答えて――
「なるほど、そーゆーことか」
頭をかきながら口を開いたのはジュンイチであった。
「ジュンイチ……?」
「オレは中須賀さんと違って西グロのことカン違いしてなかったから、ちゃんと二つの学校の成績比較してたんだけどさ」
ちなみに、「カン違いしなかった」というよりも「早々にダージリンに確認を取った結果先方からカン違いを解消してもらえた」という方が正しいのは内緒である。
「そしたらおもしろいことがわかったんだ。
ベルウォールと西グロ……この二校が同じ大会に出場したことは、この十数年一度もない。
予選の有無に関わらず、ずっと――ね」
「どういうこと……?」
「それともうひとつ――ベルウォールと西グロの“伝統の試合”ってヤツだ」
聞き返すエミに対し、ジュンイチはそう次の話題を振った。
「その“伝統の試合”とやらは、基本的に大きな大会の開幕前、予選がある場合は予選開始前に行われる。
そして――」
「その試合の敗者側は、直後の大会にエントリーしていない」
「……それって……!」
ジュンイチの言いたいことに思い至ったエミが声を上げる――うなずき、ジュンイチはキリマンジァロへと視線を向けた。
「調べる過程で知ったんだけど、ベルウォールと西グロってずいぶんお互いをライバル視してるみたいじゃないか。
それと今挙げた事実――これらを総合して見れば、答えはすぐに出たよ。
その“ライバル視”がこじれにこじれた結果が、“コレ”なワケだ」
「そのようね。
予選にしろ本選にしろ、大会形式は原則抽選で振り分けられてのトーナメント戦。
大会で白黒つけようにも、組み合わせ上ぶつかれなければ意味がない」
「ま、そういうことだろうな」
キリマンジァロにうなずき、ジュンイチが思い出すのはダージリン達“聖グロ”の面々のこと。
みほとダージリンの交わした「公式戦で再戦を」という約束は未だ果たされないまま。そして秋から始まる秋・冬季大会を前に現三年生が引退するのが多くの学校の慣例だ。
つまり、優勝記念杯は現三年生にとって花道と言える大会であり――
(オレ達にとっても、優勝記念杯はダージリン体制の聖グロにリベンジするラストチャンスってワケだ……)
そこまで考えて、ジュンイチは思考を眼前のやり取りへと切り替える――そうだ。今は大洗と聖グロの約束よりもベルウォールと西グロの因縁の方が重大だ。
「まぁ、お互い勝ち上がれば問題はないのだろうけど……諸先輩方はそれも好ましくないと考えたようね。
どうせぶつかるならトーナメントを勝ち上がって消耗した状態ではなく、万全の状態で、言い訳の余地も許さない完璧な決着を先人達は望んだらしいわ」
「えっと……つまり、こういうこと?
大会で戦えるか、戦えたとしても万全の状態で戦えるかわからないから……」
「確実に万全の状態で戦うために、大会の場という華々しい舞台を捨ててまで、大会前にケリをつけることを選んだ。
そして、あくまで“大会での対戦の代替”としての試合だから、負けた方は大会敗退扱いでエントリーそのものを辞退する……そんなところなんだろうな」
話をまとめようとするエミに返し、「徹底していらっしゃることで」とジュンイチは軽くため息をついた。
「そんな大事な話を、なんで黙ってたのよ!?」
「だから、忘れてたって謝ったろ。
別にいいじゃねぇか。勝てば同じだろ」
「フフフ、チームワークはガタガタみたいね」
「恥ずかしながらね」
音子とエミのやり取りに笑いながらのキリマンジァロにはジュンイチが答え、
「ま、しゃーねーよ。空中分解状態が解消されてまだ日が浅いし、それだって半ばなし崩しだったんだから」
(なし崩しに空中分解解消にもつれ込む原因作った主犯がそれを言う……?)
続く言葉にベルウォール側の全員の心がひとつになった。
が、ジュンイチはそんなことは気にしない。そもそも気づいているのかいないのか――ともかく、軽く肩をすくめると逆にキリマンジァロへと声をかけた。
「それで……キリマンさんや。
“本命の御用件”の方を、うかがいましょうかね?」
「何の話かしら?」
「とぼけんな。
チームが様変わりしたっつっても、古参がいなくなったワケじゃねぇ。実際音子姉も、伝え忘れただけで“伝統の試合”の取り決め自体はしっかり覚えてたワケだしな。
取り決めを忘れてないかの確認、ってのはただの方便。本命の用事は別にある――違う?」
ジュンイチのその答えに、キリマンジァロは満足げにうなずいてみせた。
「ご明察。
もうひとつの目的は、あなたと、もうひとり」
「もうひとり……?」
(チーム再編の話を聞いてきたってことは、用があるのは古参組じゃない。
つまりオファー組の誰か、その中のひとり……コイツとの個人的な因縁とかでなければ、他のヤツらと違うオンリーワン要素のあるヤツ……)
キリマンジァロの言葉に推理を巡らせて――該当者、一名。
「……中須賀さんか?」
「え? 私?」
唯一の海外からのオファー組の名前を挙げたジュンイチに本人が反応――そんなエミに、キリマンジァロは目を細めた。
「そう、あなたが……
何やらドイツからすごい選手がいらっしゃると聞いて、どんな方かと思って見に来たの。
それに……柾木ジュンイチさん、あなたのことも」
「あー、そーいやオレにも用がある的なこと言ってたっけな」
エミに告げ、キリマンジァロが視線を戻してくる――対し、ジュンイチは納得と共に肩をすくめてみせたが、
「かの大洗を優勝に導いた、西住みほさんと双璧を成すもうひとり……
メディアではもっぱらあなたの方が出てきていたから、それなりに人となりは承知していたけど……“どうやら、大げさな話にすぎなかったようね”」
「…………ほぉ?」
キリマンジァロの言葉に、今度はジュンイチが目を細める番だった。
「ドイツ帰りの方と二人がかりでも、この程度のチームすらまとめられないなんて……ねぇ?」
その言葉はジュンイチだけではない、エミにも向けられたものであった――エミにも話を振りながら、キリマンジァロは実に楽しげに微笑んで見せる。
「話を聞いた時には、警戒した方がいいかもと思ったんだけど……どうやらその情報は間違ってたみたいね」
そう告げるキリマンジァロの視線はエミの、さらにある一点へと向けられていて――
「ダサい髪留めなんか着けて、ずいぶんと田舎臭い娘だこと」
その一言で――エミの動きが止まった。
「…………今、何見て何て言った?」
「『何を見て』……?
何? その貧相な髪飾り、そんなに大切なものだったの? そんな安物が?」
尋ねるエミに対し、キリマンジァロが心底意外というふうに言い放つ――最初の一言がどうだったかはわからないが、その後の返しが、エミが先の言葉に腹を立てたのに気づいた上での、意図的な挑発であることは誰の目にも明らかであった。
だが――
「…………あんたは今、私の中で超えちゃならない一線を踏み越えた――」
「ただじゃおかないわよ」
たとえ挑発だとわかっていても、それをエミが流せるかどうかは話が別だ。
再会した幼なじみ、大切な親友から贈られた手造りの髪飾り――それを無遠慮に侮辱され、エミの怒りは一気に臨界点を飛び越えていた。
「あらあら、怖い怖い」
そんなエミの怒りを前にしても、狙ってあおった張本人ともなれば落ちついたものだ。エミからの宣戦布告にも、キリマンジァロの余裕は揺るがない。
だが、彼女の余裕も当然だ。なぜなら――
「でも、果たしてあなた達の思い通りにいくかしら?
火力自慢のティーガーや、ヤークトパンターにエレファント……全部、このブラックプリンスなら貫けるわ」
そんな怒りなどものともしないだけの“力”を、彼女達は有しているのだから。
「せいぜい、残りの時間、無駄な作戦を考えることね。
もっとも――通用するかどうかはわからないけど」
だからこそ、自分達が“上”だと確信している。自信タップリに言い放ち――
「よくもまぁ、そこまで吠えられるもんだね――」
「ダージリンのパチモンふぜいが」
その“自信”を、真っ向から踏みつける者がいた。
「…………何ですって?」
そして、その“踏みつけ”は、キリマンジァロにとって決して無視できないものであった。
「ごめんなさい。
よく聞こえなかったのだけど……今何て言ったのかしら?」
「ありゃ、聞こえてなかったかー。
ダージリン“ごとき”のサルマネふぜいが、よくもまぁそんな堂々としてられるもんだって、そう言ったんだよ。
いやはや、もはや尊敬にすら値するよ――その天然記念物級の厚顔無恥にはな。ツラの皮の厚さ、そのブラックプリンスの装甲より厚いんじゃない?」
先のキリマンジァロと同様だ。狙ってあおっている以上、今さらキリマンジァロの怒りなどヘとも思わない――険しい顔で聞き返してくるキリマンジァロに対し、ジュンイチは先の発言をオマケも付け加えてくり返してやる。
「ブラックプリンスならティーガーもエレファントもヤークトも怖くねぇってか? 甘く見られたもんだな。
戦車の性能だけで戦車道の勝敗が決まるって言うなら、オレ達大洗が全国大会で優勝できる道理が何ひとつ存在しないことになっちまうんだけど?」
ジュンイチの言葉に、キリマンジァロは反論できなくて――
「やれやれ。そーゆーところまで、ダージリンのパチモンだったりするとは、本当にアイツのサルマネが徹底してるんだな」
「何ですって?
あの聡明なダージリン様が、そんな愚策を……」
「その様子だと、ダージリンのファンっつっても公式戦ばっかり追いかけて、練習試合は『木っ端相手の試合なんて』とか見くびってノーチェックだったクチみたいだな。
ところがどっこい、残念ながら……ってヤツだ。お前の見てなかった試合で、おもっくそやらかしてんのさ、アイツもな」
しかし、ジュンイチにとっての本命はそこからだった。聞き捨てならず、声を上げるキリマンジァロに対し、ダージリンのかつての“やらかしを”(当人に無断で)遠慮なく暴露する。
「大洗の対外デビュー戦の練習試合……あの時、あのバカは大洗の戦車がぶっちぎりで性能負けしてるのを見て、心底舐めてかかってきてな。
仕方がないから、しっかり痛い目にあってもらったよ――試合自体は向こうの勝ちだったけど、ダージリンをオレに個人撃破された挙句、泥仕合の末の紙一重っつーさんざんな有様でな」
「で、デタラメを……
ダージリン様が、そんな無様な……」
「ウソだと思うなら、日戦連のサイトでもチェックしてみたら? ちゃ〜んと公式記録に残ってるからさ」
動揺するキリマンジァロに答え、ジュンイチは挑発的な笑みを浮かべた。
「ダージリンですらそーゆー目にあってんだ。
てめぇら劣化コピー軍団ごときが、そんなオレが首突っ込んでるチームに勝てると思ってんのか?」
「劣化、ですって……!?」
「まー、すぐに思い知ることになるさ。
ちょうど今度のオタクらとの試合は、新生ベルウォールの対外デビュー戦――大洗と聖グロの試合とほぼ同じ条件だ。
あの時の大洗と今のベルウォールを比べられる、ちょうどいい実験dゲフンゲフンッ、踏みdゲフンゲフンッ、比較対象になるだろうよ」
「こちらを見下している本音が隠せてませんわよ……っ!」
度重なる訂正をはさんだジュンイチの言葉に頬が引きつる――それでも何とか平静を保ち、キリマンジァロはコホンと咳払い。
「安っぽい挑発ですわね。
でも……いいでしょう。その挑発、あえて乗って差し上げますわ」
「上等じゃ。
後でほえ面かくんじゃねぇぞ」
「さぁ、それはどちらになるかしら?
それでは、当日、試合会場で」
ジュンイチに答え、すっかり元の調子を取り戻したキリマンジァロは引き上げるべくブラックプリンスの上に上がり――
『わぁぁぁぁぁっ!?』
突然の悲鳴が割って入った。
「何よ、コレ!?
道がグチャグチャじゃない!」
「これじゃ車が走れないじゃない!」
柏葉姉妹だ。ブラックプリンスの降下によってグチャグチャになってしまった道路を前に悲鳴を上げていて――
「あら、ごめんなさい」
そんな彼女達に向けて、キリマンジァロが投げ渡したのは一枚のカード。それは――
「そのマネーカードは道路の修理にお使いになって」
電子マネーのカードだ。それもチャージ上限なしのセレブ仕様。キリマンジァロの言葉を信じるなら、相当な額がチャージされていると思っていいだろう。
「あぁ、お釣りはいらないわよ。
わたくし、お金持ちなの――こんな学校にしか通えないような庶民と違ってね」
しかも、そんなものを渡しておいて、余っても返さなくてもいいときた――上流階級を気取り、財力を見せつけるキリマンジァロの物言いに、“庶民”呼ばわりされた柏葉姉妹のこめかみに血管マークが浮かぶのを、ジュンイチはしっかりと目撃していた。
「それじゃ、改めてご機嫌よう」
そんな柏葉姉妹にかまうことなく、キリマンジァロはブラックプリンスに乗り込んで去っていく――「恥部を勝手にバラしたこと、後でダージリンに詫びの電話入れとかんとなー」とジュンイチが内心で考えていると、
「……どうやら、去年までのデータは捨てた方がよさそうね」
「そ、そうだね……」
口を開いたのはエミだった――いきなりの発言に若干驚きながらも瞳がうなずく。
「それにしても、何しに来たんだろうね……?」
しかし、先ほどのエミの怒りが気にかかる。彼女の爆発を招かないよう、極力言葉を選びながら、エミの気を逸らそうと試みるが、
「そんなの、決まってるわよ」
返ってきたドスの利いた声に、話題選びを間違った――逸らすどころか怒りの原因ド真ん中にストレートを投げ込んでしまったと気づいた。
そう――
「先制パンチでしょ」
『異議なし』
「ぅわぁ」
音子や千冬、柏葉姉妹も含めて怒りに燃える面々の先頭に立ってブチキレているエミを前にして。
「ベルウォールで敵にしたくない人全員怒らせてる……」
「だけじゃねぇぞ」
瞳にそう答えるのはジュンイチだ――見れば、彼の言う通り、怒っているのはエミ達だけではない。音子や千冬の舎弟達も、自分達を歯牙にもかけていなかったキリマンジァロの態度に憤慨している。
「なめやがって……!」
「このまま黙っていられるかよ!」
「明日、私らも向こうに乗り込んでやろうぜ!」
「お、いいな!」
「お礼参りだーっ!」
「やめとけバカども」
なので――ジュンイチは物騒なことを言い出した連中に待ったをかけた。
「ンだよ。何で止めるのさ?」
「その“殺る気”は、試合への“やる気”としてとっておけって言ってんだよ」
「ジュンイチの言う通りよ」
音子の舎弟である矢野が不満の声を上げるが、ジュンイチだけでなくエミもまたそう答えた。
「これはケンカじゃない。戦車道よ。
戦車道の借りは戦車道で返す――だから、試合で正々堂々叩きましょう」
エミの言葉に、一同が互いに顔を見合わせる――うなずき、エミは締めとばかりに宣言する。
「記念杯の出場権もかかってるとわかって、気軽に挑めなくなったけど……関係ないわ。
ぶっつぶすわよ」
『おぅっ!』
――しかし、エミは気づいていなかった。
エミの先の発言にビクリと肩を震わせた人物がいたことに。
そして――
(……『正々堂々』ね……)
ただひとり、ジュンイチだけがその人物の反応に気づいていたことに――
次回、ガールズ+ブレイカー&パンツァー
第45話「力押しでいいのか?」
(初版:2020/05/25)
(第2版:2020/05/26)(誤字修正)