「言ってくれるわね。
 でも、状況をわかっているのかしら?」
 乱入するなりベルウォールを圧倒していた西グロの勢いを完全にシャットアウトしてみせたジュンイチだったが、キリマンジァロの余裕も崩れない。
「そちらのフラッグ車は履隊も切れて立ち往生。
 いくらあなたでも、この状況でフラッグ車を守りながら逆襲なんてできるのかしら?」
「するつもりですが何か?」
 しかしジュンイチも余裕だ。あっさりと答えて、重心を落としたかまえをとる。これは――
(……“砲弾返し”を狙うつもりね……)
 ジュンイチの狙いをそう読んで、キリマンジァロは眉をひそめた。
(だとすると、ティーガーTの装甲でまだ耐えられるマチルダ相手には使ってこないでしょうね……
 ブラックプリンスのような高火力の戦車の攻撃に対して使ってくると考える方が可能性が高い……)
 つまり、ジュンイチはこちらの砲撃の中でも、特に自軍フラッグ車であるティーガーTを撃破し得る攻撃に対するカウンターに集中してくるだろう。
 ならば――
「チャーチル! そちらからも攻撃に参加なさい!」
 こちらも、“ティーガーTを撃破できる攻撃”の手数を増やすまでだ。
 あの“砲弾返し”の仕組み上、多方向からの立て続けの攻撃には対応できまい。自分達とチャーチルが共にティーガーTを狙えば――
「させるかよっ!」
 しかし、ベルウォール側も黙ってはいない。チャーチルがティーガーTに砲塔を向けようとしているのを察し、音子がヤークトパンターをさらに押し込ませた。ヤークトパンターの馬力に押され、チャーチルの動きが鈍り――
「音子姉、下がって!」
「――っ! 後退!」
 ジュンイチの声に音子が後退を指示――ヤークトパンターが下がったことであらわになったチャーチルの側面、駆動部の真ん中にジュンイチの投げた苦無手榴弾が飛び込んだ。
 直後、爆発――足回りを完全に破壊されたチャーチルが擱坐、白旗が揚がる。
「く……っ、やるわね。
 でもっ!」
 チャーチルは失ったが、ジュンイチのカウンターのかまえが崩れた。今の内にティーガーTを狙おうとするキリマンジァロだったが、
「エレファント!
 今上がった煙の左側! 茂みぶち抜いて!」
〈了解〉
 それにはエミが対応した。彼女の指示で照準を合わせたのは高台のエレファント――放たれた砲撃はブラインドとなっていた木々を貫いてブラックプリンスの足元の地面を粉砕してその照準を乱す。
「音子姉! こっち来て! 早く!」
「お、おうっ!」
 ブラックプリンスの動きを止めたところで、ジュンイチからの呼びかけ――すぐに応えて、音子はヤークトパンターをジュンイチやエミ達のもとへと合流させる。
「フンッ、ヤークトパンターを盾にしようって腹かしら?
 そんなもの、ただの一時しのぎにしか――」
「なぁに勝手に決めつけちゃってくれてるかなぁ?」
 そんなジュンイチの行動を鼻で笑うキリマンジァロだったが、思念通話はまだつながったままだった。あっさりとジュンイチはキリマンジァロの言葉を否定する。
「だぁれがンな何の意味もないジリ貧作戦なんかするかよ。
 とはいえ、この状況じゃやりづらくってしょうがねぇ」
 言って、ジュンイチは深くため息をついた。うつむく形になったことで、その表情がキリマンジァロの視界から隠れて――
「な・の・で♪」
 勢いよく顔を上げたジュンイチは、満面の笑顔であった。
「この場は“おいとま”して、仕切り直させてもらうわ」
「それこそ何を言い出すのかしら?
 履帯の切れたフラッグ車がどうやって逃げるというのかしら?
 まさか、ヤークトパンターで引っ張ろうとでも? させるワケがないでしょう」
「誰もそんな方法でおいとましようなんて思っちゃいないよ」
 言って――ジュンイチは足元の小石をひとつ、ヒョイと拾い上げた。
「そんな小石が、いったい何なのかしら?」
「予想通りのリアクションありがと。
 いやー、見事なまでの無警戒。まさに“お里が知れる”ってヤツだね」
 答え、ジュンイチは手の中のその小石をもてあそび――キリマンジァロは気づいた。
 ジュンイチが小石を軽く放る度、周りで何か動いているような――
「――糸!?」
「よーやく気づきやがったか」
 そう。それは件の石に結びつけられた多数の“糸”だった。声を上げたキリマンジァロに、ジュンイチはニヤリと笑みを浮かべた。
「お高くとまった“富豪の娘”サマは、路傍の石なんぞ目もくれませんか。
 コイツが、オレが小細工した上で持ち込んだものとも気づかないなんてな」
「気づくワケがないでしょう、そんな小石ひとつ!」
「少なくとも、オレがわざわざ拾い上げた時点で小細工の存在を疑えよ。
 投石でもすると思ったか?」
 言い返してくるキリマンジァロに、ジュンイチはしてやったりと満足げな笑みでそう返し、
「こっちを侮って油断しまくってるから、そーやって恥かくハメになるんだ――よっと!」
 そんなセリフと共に頭上に放ったのは、その小石――ではなく、反対の左手にこっそり用意していた多数の苦無手榴弾。小石をこれみよがしに扱って見せたのは苦無手榴弾を隠し持った左手に気づかせないよう、注意を逸らすためでもあったのだ。
 今度はそんな苦無手榴弾にキリマンジァロの注意が向いた。彼女達が一斉に頭上を見上げたその隙に、小石を、そこに結びつけてあった“糸”を引き――その“糸”が伸びる先、エミ達の追い込まれた崖っぷちのやや下、岩壁の中ほどにセットしておいた手榴弾の安全ピンが引き抜かれた。
 直後、ジュンイチの、エミ達のティーガーTやヤークトパンターを含むベルウォールチームの周りに、先ほど頭上へ放り投げた苦無手榴弾が降ってきて――炸裂。
 足元の崖、そして周囲で同時に巻き起こった爆発、その衝撃は周囲の地面に亀裂を走らせ――



 地面が“切り取られた”



 崖の岩壁の爆発、そしてジュンイチ達の周りでの爆発――その二つによって地中へと走った亀裂が地中でつながった。その結果、ジュンイチ達の立っていた崖っぷちの地面がその場から切り離される形になったのだ。
 爆風や衝撃によって少し空中へ投げ出されたその足場はそのまま崖のやや下、斜面になっている辺りに落下、その勢いに乗って斜面をすべり落ちていく。
 当然、その足場の上にいたジュンイチ達は――
「ひとまずバイなら、また後で〜♪」
 足場に運ばれる形で崖下へと去っていく。その姿はさながらエスカレータで下っていくかのよう。
「っ、なんてデタラメな方法で……っ!」
 こんな方法で逃げられるなど、いったい誰が想像できただろうか――まんまとベルウォール側に逃げられて歯がみするキリマンジァロだったが、
「……いえ、まだね」
 すぐに、まだ自分達の有利が消えてなくなったワケではないことを思い出した。深呼吸を数回繰り返し、自らを落ちつかせる。
「この場を逃げられたとはいえ、ティーガーの足回りがアレではロクに動けないはず。
 彼女達のすべり落ちていった先で改めて叩けばいいだけのことよ」
「高台のエレファントはどうしますか?」
「放っておきましょう。
 あの位置からでは追ってきたとしても間に合わないわ――逆落としでもかければ話は別だけど、山守さんならともかく冷静沈着な土居さんがそんな無謀なマネをするとも思えないし」
 モカに答えて、キリマンジァロは紅茶を一口。
「全車発進!
 崖下に回り込んで、フラッグ車を叩きます――今度こそ、ベルウォールに墓標を立ててやるのよ」
<<了解!>>

 

 


 

第46話
「これが、私の本音です」

 


 

 

「……ふぅ……
 みんな、大丈夫?」
「う、うん、大丈夫……」
 一方、崖下に、ほとんど滑落と言っても過言ではない方法で逃れたベルウォールチーム――尋ねるエミに、身を起こした瞳が答える。
 見れば、椛子や優も無事なようだ。エミが安堵の息をつくと、
「……ぷはぁっ!」
「あ、ゴメン」
 エミの腕の中、彼女に抱きしめられ、その胸に顔をうずめる形になっていた渚がなんとか息継ぎに成功――すでに一度頭を打っていた渚がまたどこかにぶつけたら大変だととっさに守ったのだが、どうやら強く抱きしめすぎていたようだ。
 と――
「おーい、無事かー?」
「えぇ、おかげさまでね……っ!」
 キューポラのハッチが開き、ジュンイチがのぞき込んできた。
 外に顔を出してみると、音子達のヤークトパンターも健在だ。足場となった、切り取られた岩盤は滑落で削れたのか、ここへ来て限界を超えてバラバラに砕けている。
「まったく、なんつー助け方するのよ?」
「キリマンジァロに同意するワケじゃねぇが、アイツの言う通りあの状況でティーガーを連れて逃げるのは無理難題もいいところだったんでな。
 だからこそ、あの方法さ――これなら動けないティーガーも一緒に逃げられる」
「じゃなくて。
 あんな方法で地面を切り取るなんて……失敗したら、足場をうまく割れなかったらどうするつもりだったのよ?」
「失敗しないように狙ってあの形に割ったんだよ、ちゃんとね」
 抗議するエミだが、ジュンイチはあっさりと答える――返す抗議も何のそのだ。
「爆破系・落石系のトラップは使い道無限大だからな。さんざん勉強したし、さんざん使ってきた。
 今や、ビルの爆破解体のシミュレーションも脳内即興でやってのけられるレベルさ――その経験をもってすれば、岩盤を爆破で思い通りの形に切り取ることなんて造作もないよ」
「実際それで助けられた手前、ツッコミ入れづれーなぁ……」
 ジュンイチの解説に対する音子のコメントに、思わず内心同意するエミであった。
「とにかく、これで時は稼げた。
 今の内に立て直すぞ」
「立て直すって言われても……ティーガーの履帯は完全に切れちゃってるのよ。
 直せないとは言わないけど、『アイツらが来るまでに』って時間制限付だと……」
「ん」
 ジュンイチの提案に対し、現実的に難しいと返すエミだったが、ジュンイチは傍らを目で指した。
 そこにいたのは――
「フンッ、上でひどい目にあったみたいね!」
「私達を置いてきぼりにした天罰よ!」
 先ほど吹っ飛ばされて、そのまま先の戦場に置き去りにしたU号戦車だ。その車上で仁王立ちしてみせる柏葉姉妹の姿に、エミが驚きの声を上げ――
「生きてたのか?」
『生きてるわよ!
 ガチの意味でも試合的な意味でも!』
 音子に真顔で返され、柏葉姉妹が声をそろえてツッコんだ。
「単に吹っ飛ばされただけよ。白旗までは揚がってないの、見ればわかるでしょ」
「まったく、ごあいさつね。
 ジュンイチが『この辺で待ってろ』って言うから、その通りに待っててあげたってのに」
「え…………?」
 だが、その後の言葉にはさすがに驚きを隠せなかった――柏葉姉妹の話の意味するところに気づき、エミは目を見開き、ジュンイチへと振り向いた。
 柏葉姉妹に、この近辺で待つよう指示していたということは――
「ジュンイチ……アンタ、まさか読んでたの?
 こうなること……というか、私達がやらかすこと」
「『読んでた』んじゃないよ。
 正確には『気づいた』だ――それも、手遅れになった後のことさ」
 「事前に気づいてたらその前に止めとる」と付け加え、エミに答えたジュンイチは軽くため息をつく。
「『手遅れになってから』って……
 ひょっとして、私達が団子状態から脱出して、この山に逃げたあの時?」
 聞き返す瞳に、ジュンイチはうなずいて肯定した。
「お前らも味わった通り、あの道は路面が悪かったからな。
 そのクセ、あそこに逃げ込んだところから反撃に出ようとした場合、追ってくるヤツらと一戦交えられそうなスペースはお前らが実際やり合ったあの広場ぐらいしかない。
 そして何より……あのまま逃げて山脱出するような性格してないだろ、お前ら。
 そこまで前提条件の“おさらい”が済めば、その後のシミュレーションはそんなに難しい話じゃなかったさ。
 だが、気づいた時にはお前らはこの山にトンズラした後――シミュレーション通りの事態になる可能性は高い。
 となれば――」
「シミュレーション結果の実現阻止はあきらめて、そこからのリカバリに力を振り向けたワケね……
 でも、アンタなんであの辺の路面が悪いって知ってたのよ?」
「なんでも何も……ここをどこだと思ってるんだ?
 日戦連公認の、公式戦フィールドだぞ」
 エミに答えて、ジュンイチは右足の爪先で地面を軽く叩いてみせる。
「全国大会の試合場として、ここで大洗が戦う可能性もあったワケだからな――ここに限らず、試合で使われるフィールドは全部、大会前に立ち入りチェックさせてもらった。その時に把握してたんだよ」
「ぜ、全部……?」
「『事前の立ち入りOKだったところは』だけどな。
 さすがに決勝で暴れた富士演習場はムリだったわー。あそこは本来は自衛隊の施設だから。
 でも逆に、入れるところは他校貸出のところなんかも含めて全部回ったぞ――たとえば準決勝でプラウダとやり合った雪原フィールドとか。あそこ普段はプラウダの本土演習場だぜ?」
「あの準決勝での神がかった先読みっぷりはそれが下地かアンタわ」
 目を丸くする瞳に答えたジュンイチの言葉にエミが呆れながら返して――
「こらーっ! そこーっ!」
 そんな彼らに声がかけられた。
「何してるのよ!?
 無駄話なんかしてないで手伝いなさいよ!」
「アンタ達の戦車の修理をしてるんだからね!」
 柏葉姉妹だ――見れば、彼女達やU号に同乗していた手下(自動車部員)の近衛を中心に、ティーガーTの周囲で何やら作業している。
 いや、『何やら』ではない。彼女達の言う通り――
「直してくれるの……?」
「だって、あなた達がやられちゃったら、この試合負けなんでしょ?」
「いや、そうだけど……」
 声をかけると、剣子からあっさりと答えが返ってくる――そんな様子に眉をひそめ、エミが見たのはジュンイチだ。
「これもアンタの指示?」
「いや、これはオレも意外。
 狙い自体はまさにコレだけど、ここで待つよう言っただけで、修理まではまだ頼んでなかったんだが……」
 しかしエミの予想は外れていた。彼女の問いに対し、ジュンイチはもまた「まさか自発的に動いてくれるとは思わなかった」と首をかしげる。
 と――
「アンタが言ったことでしょうが。
 『自分達の長所を活かせ』って」
 そんな二人に答える形で、ジュンイチに告げたのは金子だった。
「私達の一番の特技、っていったらやっぱりコレだからね」
「三年だから部長なんじゃない。
 整備も運転も一番上手いから部長なのよ、私は」
 剣子と共に告げて、金子は自分の胸を誇らしげにドンと叩いてみせる。
 そして、改めてティーガーTの修理作業に戻る――運よく自分達と一緒にすべり落ちていたティーガーTの履帯は音子達力自慢チームに運ばせ、自分達はティーガーTの駆動系の修理に取りかかる。
「今にして思えば、あんな小さな戦車に乗せたのも納得だわ。
 あの小さな戦車なら取り回しは車に近い――私達の運転技術を活かせる戦車で、生存率を上げるためでしょ? 撹乱要員にもなるし」
「さらに、素早さ抜群なのを活かして傷ついた子をすぐ治すために駆けつけられる、現地メンテナンス要員も兼ねてるってところかしら?」
「おーい、履帯の破片持ってきたぞー」
「そこ置いといて!」
 金子と共にジュンイチ相手に“答え合わせ”をしていた剣子が、口を挟んできた音子に答える――音子達も今のところ素直に従っているようだ。音子にしてはおとなしい対応だとも思うが、キリマンジァロへの怒り、転じて「この試合に勝つ」という点で利害の一致を見たということか。
 一方、柏葉姉妹の修理の手際はジュンイチの目から見ても見事なものだ。転輪も駆動輪も、次々に、みるみる内に修理されていく。
「す、すごい……」
「まぁ、本職だからねー」
 思わず感嘆の声を上げるエミに答えたのは、自動車部の近衛だ。
「ウチの自動車部、全国でもかなりの強豪なんだから。
 そしてあの二人はそこのツートップなのよ」
「うそ……そんなにすごかったの、アイツら!?」
「自動車部の整備力なめんなーっ!」
 正直そこまですごい連中だとは思ってなかった――目を丸くするエミに、作業しながらの金子の声が答える。
「私らだって、他校のトンデモ連中と日夜しのぎを削ってるんだ!
 この程度のこと、アレに比べればヘでもないわ!」
「ウソ……アンタ達みたいなのがよそにもいるの!?」
「いるわよー。
 すごいトコだと『陸の工場で修行してたその腕前はもうプロ級、部品は材料で注文して自分達で手作り』なんて域に達してるし」
「………………」
 エミと柏葉姉妹のやり取りに、ジュンイチは思わず天を仰いだ。
 なぜなら――
(ごめん……
 それ、たぶんウチの身内……)
 見た通りの腕前な上に自尊心の強い柏葉姉妹が認めるほどの実力と今挙げられた行いの内容――心当たりがありすぎたから。
「でも、このスピードなら……っ!」
 ともあれ、(正直戦力外だと思っていた)U号戦車の合流によって、意外な活路が見えてきた。まだやれると確信し、エミの表情に自信がよみがえってきた。
「よぅし、人海戦術よ!
 さっさと直してキリマンジァロ達を迎え撃つわy
「ストップ」
 言って、修理作業に加わろうとしたエミだったが、それを止めたのは――
「瞳……?」
 ジュンイチかと思いきや意外な人物に止められた。怪訝な顔で振り向くエミに、瞳は笑顔で告げた。
「エミちゃんがやらなきゃいけないことは、他にあるでしょ?」
「…………?」



    ◇



 瞳によってあれよあれよという間にティーガーTの車内に押し戻されて、エミは渚の頭のケガを手当てしていた。包帯を巻き終えたものの、素人仕事なので「巻き方はこれで合っていたか」「キツく締めつけていないか」といろいろ不安だ。
「えっと……痛くない?」
「時間おいたら少し痛みが出ましたけど……今は大丈夫です」
 なので思わず尋ねるエミだったが、瞳は問題ないと笑顔で答える。
(まったく、瞳ってば気を遣いすぎなのよ……)
 そんな渚に安堵すると、エミが思うのはこの状況を作った“仕掛け人”のこと。
 曰く、

『渚ちゃんに取って、今一番そばにいてほしいのはエミちゃんだから』

 とのこと――要するに、自分は渚のメンタルケアを任されたということだ。
 だが、自分しか適任な人物がいないのも事実だ。キャプテン(候補)の二人は二人ともこういう気遣いのできる性格してないし……とエミが考えていると、
「あ……あの」
 渚の方から、エミに声をかけてきた。
「修理の方、どうですか……?」
「何とかなりそうよ。
 さっきの攻防で相手の数も減ったし、これで数の上では並んだ――ここから反撃よ」
 答えるエミだったが、渚はその答えに何か思うところがあったのか、うつむいて黙り込んでしまった。
 そんな反応にエミが首をかしげ、どうしたのか問おうと口を開き――
「……どうやったら、そんなふうになれるんですか……?」
 エミが声を発するよりも早く、渚の方から問いかけてきた。
「こんな状況でも落ちついてて、自信にあふれてて……
 私なんて、今日はまだ一発の砲弾もまともに撃ててないです。
 みなさんのために撃たないととは思うんですけど……それでもやっぱり、姉様に悔いのないよう、ダージリン様と戦わせてあげたいとも思うし……」
 言って、うつむいた渚に対し、エミは軽くため息をついて――
「……昔……姉様に尋ねたことがあるんです」
 渚の話には続きがあった。
「『戦車のどこが好きなのか』って……
 姉様、言ってました……『自分とまっすぐに向き合えること』、『そうしたら戦車が応えてくれる』って……」
「戦車好きの言いそうなことね」
「お嫌いですか?」
「まさか、逆よ。
 私も戦車好きのクチだもの――むしろ気持ちがわかる側だわ」
 渚に答え、エミは肩をすくめてみせる――そんなエミにクスリと笑う渚だったが、
「でも……」
 すぐに、その笑顔はくもってしまった。
「姉様と違って、継ぐべき跡目のない私は戦車道をやめなくてもいい……
 あんなに戦車道が好きだった姉様を差し置いて、自分だけ好きな戦車道を続けられるのが……私、後ろめたいんです」
(……なるほど、ね……)
 渚の話を聞いて、エミは内心でため息をついた。
 これで、妹に手まで上げたキリマンジァロの厳しい態度の謎が解けた。
 あれはきっと――
(……ま、それはそれとして)
 この仮説は今考えてもしょうがないことだとあっさり放置。エミは渚に向けて口を開いた。
「あなたの気持ちはわかったけどさ……
 それ、さっさと言っちゃえばいいと思うの私だけ?」
「え……?」
「だって、それがあるから苦しいんでしょ?」
 思わず顔を上げた渚に、エミはたたみかけるように続ける。
「いい? 渚。
 一人前の戦車乗りっていうのは、みんなハートにウソや建前がないのよ」
「ハートに……」
「そう。
 でもなきゃ……」



「『戦車が応えてくれる』なんてくっそ臭いセリフ、シラフで吐けるワケないでしょ」
「問答無用の説得力!?」

 いろいろと台無しであった。



「まぁ、そんなワケだからさ」
 ともかく、気を取り直したエミは右の人さし指で渚の胸をトンとつつき、
「アンタも、“ここ”につっかえてるモノ、弾丸に乗せてぶつけてみなさい。
 もしかしたら、本当に戦車が応えてくれるかもしれないわよ」
 言って、エミは軽く肩をすくめてみせて――
「ま、何にしても一度はお前のねーちゃんをブッ飛ばす必要があるワケだ」
 そんな言葉と共にティーガーTに乗り込んできたのはジュンイチであった。
「修理は?」
「履帯をはかせる前に動作確認したいんだとさ」
 エミに答えて、ジュンイチは操縦席に座るとエンジンを始動させ、
「気にすることないぞ、白鳥さん」
 その一方で、渚に向けて声をかけた。
「公私の板挟みで悩むことなんて、人として当たり前の思考だよ。
 まっとうな価値観持ってる証拠だ。大いに誇って大いに悩め」
「いや、『悩め』って……
 そりゃ話が話だし、簡単にポンポン答え出すのもどうかと思うけど……」
「でしょ?」
 渚の悩みに対し、アドバイスを贈るでもなくそのまま本人に丸投げする言動に呆れるエミだが、ジュンイチも気にしない。
 なぜなら――
「あのしほさんまほさんすら悩みに悩んだ話だ。
 そう簡単に答えなんて出てたまるかってんだ」
『え……?』
 ジュンイチは、同じように板挟みになった人の“先例”を知っていたから。
「最近の日本の戦車道に疎い中須賀さんはともかく、白鳥さんは知ってるんじゃね?
 去年の全国大会決勝戦――そこで何があったのか」
「え? は、はい……
 最後、黒森峰のフラッグ車が急に動きを止めて……
 それで撃たれて、負けちゃって……」
「その『動きを止めたフラッグ車』の車長をしてたの、西住さん……じゃこの話の流れじゃわかりにくいか。
 みほだよ」
「みほが?」
 驚くエミに、ジュンイチはうなずいた。
「その直前、随伴の戦車が川に落ちてな……
 それで、西住さん、迷わずその戦車のレスキューに行っちゃったんだよ――そのスキを突かれたってワケだ」
「あの子らしいわね」
「そう。西住さんらしいよ。
 けど……周りはそうは見なかった」
「………………?」
 ため息まじりに答えるジュンイチの、その話の微妙なニュアンスに、エミは首をかしげた。
「当時、黒森峰は前人未到の十連覇がかかった状況でな。
 そんな中で、特定個人が原因に大きく関わる形で負けて、十連覇がフイになったんだ――かかっていた期待が大きかった分、その反動は最悪の形で表れた」
「まさか……」
 うめくエミに対し、ジュンイチはうなずき、続ける。
「黒森峰、そしてそのバックに控える西住流……当時の西住さんにとって世界のすべてと言ってもよかったそのコミュニティのほぼすべてが、西住さんの敵に回った。
 猛烈なバッシングでメンタルへし折られて、西住さんは逃げるように大洗へと転校してきた……まぁ実際には裏で家元様の西住さんへのひねくれた思いやりも絡んでたんだが、傍目からすれば実質追い出されたようなもの、事実上の追放だ」
「へぇ……」
「怒るな怒るな。
 そこは当事者同士でとっくに和解しとる――その騒動に関しては100%“外様”のお前が口出しできる段階はとっくに過ぎてんだよ」
 話を聞いて機嫌が急降下したエミに対し、ジュンイチはため息まじりにツッコミを入れる。
「……とまぁ、ここまでが背景事情。
 ここからが本題になるんだけど」
「あぁ、そーいえば。
 アンタが例に挙げたのはみほじゃなくてまほさん達だったわね」
「そう。ここからはまほさんしほさんサイドの話。
 さっき、『ほぼすべてが西住さんの敵に回った』って話したろ?
 そう、“ほぼすべて”だ――100%、余すことなく全員が敵に回ったワケじゃない。
 助けられた本人達やまほさん、しほさんは西住さんのそんな状況をなんとかしたかった……けど、できなかった。助けられた子達の声だけじゃ周りの圧倒的大多数の、西住さんを責める声にはとても敵わなかった。数の暴力ってヤツだな。
 頼みの綱のしほさんまほさんは西住流の家元とその後継候補筆頭って立場が足かせになった。二人の立場で西住さんを擁護しようものなら、西住さんへの避難一色だった西住流や黒森峰チームに、空中分解を招きかねないぐらいの混乱を招いていただろうからな」
「なるほど……それが“公私の板挟み”……」
 ジュンイチの話にエミが納得するが、
「悪いがこの後追撃が来るぞ」
「まだあるの!?」
 話にはまだ続きがあった。
「そんな経緯があったからな……大洗で西住さんが新しく友達作って戦車道を再開したの、表には出せなくても内心は嬉しかっただろうな、二人とも。
 けど、黒森峰での騒動から西住さんを責める声は下火にこそなってもなくなったワケじゃない。しっかり再燃してくれた。『一度は逃げ出したクセに何いけしゃーしゃーとまた戦車道やってんだ』ってな。
 しかも、大洗にも問題はあった。文科省の方で廃校が検討されていたんだ。
 学校を廃校にさせないために、全国大会で優勝して、廃校するには惜しい“実績”を作る――それが、大洗が戦車道を再開させた本当の理由だったんだ」
「そんなことが……
 ……ん? でも、それって……」
「そう――全国大会の優勝が絶対条件。それはつまり、高確率でトーナメントのどこかで当たることになるだろう黒森峰の打倒は避けては通れないってことだ。
 当然、まほさんにとっては新しい悩みの種になった――十連覇を逃した後の再出発っていう、黒森峰にとっても大事な大会だけど、そのために大洗を倒せば、西住さんの新しい居場所を奪うハメになる」
「それで……まほさんはどうしたんですか?」
「白鳥さんは試合見てるんだろ?
 戦ったよ――全力、本気でね」
 渚に答えて、ジュンイチは外の柏葉姉妹の様子を操縦手用の覗き穴からうかがう。
 GOサインが出たので、アクセルを踏み込む――駆動音に異常なし。外の柏葉姉妹も満足そうなので修理は問題なさそうだ。だから――続ける。話の方を。
「まほさん曰く『大洗を守りたいなら、戦って勝ち取れ』だそうな。
 オレも同感だ――だから戦って、勝ち取った」
「あぁ……
 なるほど、“そういうこと”」
「ま、さすがにここまで話せば、オレの言いたいことに察しはつくか」
 ため息まじりのエミの言葉に、ジュンイチは軽く笑って席を立った。また外の作業に戻るつもりなのだろう。
「キリマンジァロの件もそれと同じさ。
 アイツがダージリンと戦いたい。そのためにはオレ達に勝つ必要がある――だったら、それはアイツらが戦って勝ち取らないといけない話だ。
 だから……な」
 言って、ジュンイチはエミから渚へと視線を移し、
「試合の勝敗は関係ない。それ以前の話として、だ……アイツのためを思うなら、白鳥さんがやらなくちゃいけないのは、アイツに忖度して試合で手を抜くことじゃない。
 アイツの覚悟を受け止めて、その試金石になってやることだ」
「覚悟を……受け止める……」
「そうね。
 アイツに対して、ムカつくことはムカつくけど……それを抜きにしても、ひとりの戦車乗りとして対峙する以上、全力で戦うのは戦車乗りとしての礼儀だわ」
 ジュンイチの言葉をかみしめる渚の肩をポンと叩いて告げるのはエミだ――ったが、
「ま、もっとも……
 アイツの覚悟を“実際に”受け止めることになるのは私達じゃないんだけど」
『…………?』
 付け加えられたエミの言葉に、ジュンイチと渚は思わず顔を見合わせた。



    ◇



「連中が滑落していったポイントまでもうすぐね……」
 一方、トンデモな方法で離脱したベルウォールチームを追うキリマンジァロ達――地図で現在地と目標地点を把握し、キリマンジァロがつぶやく。
 と――
〈キリマンジァロ様!〉
「――――っ!?」
 随伴車からの連絡の意味は彼女もすぐにわかった。
 行く手の崖下、曲がり角の向こうから、煙がモクモクと流れてきたからだ。
 これは――
(スモーク……?
 結局逃げられず、煙幕でこちらの狙いをごまかそうというつもり……?)
「無駄なあがきを……」
 ベルウォール側の行動の意味を予想し、キリマンジャロはその口元に笑みを浮かべた。
「全車装填、攻撃準備。
 ティーガーの姿を捉えたら報せなさい――あなた達はヤークトパンターの迎撃に備えて砲撃は控えなさい。ティーガーは私が仕留めます」
<<了解!>>
 部下達の返事を聞きながら、自身も覗き穴からティーガーTの姿を探して――
〈――いました!
 煙の向こう! ティーガーの影が見えます!〉
 入った報告にキリマンジァロも見れば、そこには煙の中に浮かび上がる影が見える。
 車体と砲塔が一体化したヤークトパンターの影ではない。オーソドックスな戦車のシルエットはティーガーTに違いないと確信する。
「撃て!」
 だから、迷うことなく命じた。ブラックプリンスの主砲が火を吹き――命中。
 数秒後、シュポンッ、と音を立てて白旗が揚がったのがシルエットから確認できた。
 つまり――
「……フッ、私達の勝ちね。
 せっかく延命できたのに、最後は無様なものだったわね!」
 自分達の勝ちで試合終了ということだ。エミ達のことを嘲笑い、キリマンジァロが勝ち誇り――
「――っ!
 キリマンジァロ様!」
 気づいたモカが、キリマンジァロの高笑いに待ったをかけた。
「どうしたの?」
「アレを見てください!」
 尋ねるキリマンジァロに返し、モカが指さした先で煙幕が晴れてきて――
「ティーガーじゃありません!」
 そう。そこにいたのはティーガーTではなかった。
 オーソドックスなシルエットではあるが、ティーガーTよりもずっと小さい。
 そう、アレは――
「U号、戦車……!?
 そんな!? そっき見えた影はもっと大きかったはず!」
 驚き、キリマンジァロが声を上げ――気づいた。
 U号の前に転がる多数の筒――これはわかる。中身を使い果たした発煙筒。先の煙幕の出所だろう。
 問題は、その発煙筒とはU号を挟んだ反対側。そこに置かれているのは――
(ライト……?
 戦車から外した、外付けの車載ライトのようだけど、あんなところからU号を照らして、いったい何のために――)
「――あぁっ!」
 そこまで気づいたところで、キリマンジァロの思考は一気に疑問からその答えへと駆け抜けていた。
(やられた……!
 実物よりも大きな影、ライト、煙!
 これは――)
「ブロッケンの怪物!」



ブロッケンの怪物
 深い霧の中で物体に光を当てた時、霧がスクリーンの役割を果たして影が大きく映し出される。
 ドイツはハルツ山地、ブロッケン山でよく見られたこの現象は、霧に拡大されて映し出された自らの影を怪物と誤認する登山家が続出、地名にちなんで“ブロッケンの怪物”と呼ばれるようになる。



 エミ達はこの現象を利用したのだ。
 シルエットの似ているU号戦車と敵の予想出現地点との間に煙幕を張り、取り外した車載ライトを使い影絵の要領で煙幕に投影、拡大された影をティーガーTに見せかけていたのだ。
「じゃあ、ティーガーはどこに……!?」
 トリックはわかったが、それだけだ。本命の獲物はどこに行ったのかとキリマンジァロが捜索を命じ――ようとするよりも早く、彼女達のブラックプリンスを衝撃が襲った。
「あ、当たりました!」
「やったね、渚ちゃん!」
 ブラックプリンスの側面の茂みに伏せていたティーガーTだ――命中をエミに報告した渚の言葉に瞳が歓声を上げる。
「あんなところに!
 後退よ、後退!」
 幸い撃破には至らなかった。あわててキリマンジァロが指示して――
「ダージリンなら、そこは前進で次弾をかわすところだぜ」
 ジュンイチがU号戦車の影から飛び出してきた。ブラックプリンスの脇を駆け抜けざまにククリナイフを一閃、ブラックプリンスの履帯を切断して足を止める。
「り、履帯をやられました! 後退できません!」
「マチルダをティーガーの前に! 守りを!」
 操縦手からの報告にすぐさま次の手を打つが、
「お見通しなんだよ!」
 音子のヤークトパンターがマチルダにぶちかましをかけ、ブラックプリンスの前から押しのけてしまう。
 それでも別のマチルダが改めてブラックプリンスの盾になろうとするが、
「あら、ごめんあそばせっ!」
 そのマチルダをぶちかましで押しのけたのは――
「エレファント!?」
 その正体に気づいたキリマンジァロが声を上げる。
 そう、二度目のぶちかましをかけたのは千冬達の駆るエレファントだ。
 だが、あの高台からどうやってこの場に駆けつけることができたのか――いや、その答えは一目瞭然だ。
 しかし、キリマンジァロはそれを信じられなかった。
 なぜなら――
(まさか――この崖を下ってきた!? 逆落とし!?
 土居さん、あなたそんな無茶をするタイプじゃないでしょう!?)
 自分が「ない」と断じた手段によるものだったから。
〔――わかってねぇな〕
 と、そんなキリマンジァロの頭の中に届く声――先ほど駆け抜けたジュンイチだ。戻ってくるとブラックプリンスに向けて跳躍、真上から襲いかかる。
〔『やるような性格してない』ヤツだからこそ、やらせるんだろうが〕
 そして――飛び込んだ落下の勢いを活かした斬撃でブラックプリンスの主砲、その砲身を斬り落とす。
「次弾装填!」
「どぞっ!」
 ジュンイチによってブラックプリンスからは攻撃する力も、逃げる足も奪われた――その間に、ティーガーTもトドメの一撃をスタンバイ。エミの指示が飛び、瞳が素早く砲弾を装填する。
「渚、落ちついて」
「はいっ」
 そして、その一撃を放つ引き金は彼女の手に。エミの助言に、渚は照準をのぞき込んだままうなずいた。
(姉様……)
 エミに言われた、もうひとつの助言を思い出す。その引き金にかけた指に込めるのは姉への想い。
(私の気持ちを、すべて込めます……この一撃に!)
 深く息を吸い、吐いて――



「撃て!」

 エミの号令と共に――渚の砲撃が、プラックプリンスに突き刺さった。



 側面から真芯に砲撃を受け、ブラックプリンスの車体が大きく揺れた。砲撃を受けた側が大きく跳ね上がり、失速して地に戻り――音を立て、ブラックプリンスの白旗が揚がった。
 つまり――
〈西呉王子グローナ学園フラッグ車、行動不能。
 ベルウォール学園の勝利!〉
 ジュンイチの、エミ達の――ベルウォール学園がこの試合を制した、ということだ。
「おっしゃあっ!」
「ま、当然の結果ね」
 もちろんベルウォールチームは大喜び。ガッツポーズの音子に対し落ちついた様子の千冬だが、その口元は明らかに緩んでいて嬉しさを隠し切れていないのが明白だ。
「やったじゃない!」
「勝ったーっ!」
 勝利を決める一撃を放った渚を擁するティーガーTの面々は特にだ。大喜びのエミや瞳にはさまれ、恐縮している渚だったが、
「…………あ」
 気づいた。
 煙を上げる、白旗の揚がったブラックプリンスの上に佇むキリマンジァロの姿。
「…………っ」
 彼女は――
「……終わった……!」
 泣いていた。



    ◇



「お互いに、礼!」
『ありがとうございました!』
 審判の号令により、整列した両チームの主要メンバーが一礼――あいさつをすませると、エミはチームメイトの所へ戻っていく。
 キリマンジァロ達もだ。敗戦に打ちひしがれる仲間達のもとへと戻ろうときびすを返すと、
「霧姉様」
 そんなキリマンジァロに、渚が声をかけた。
 だが、キリマンジァロは答えない。渚に背を向け、そのまま立ち去ろうと歩き出し――
「あ、あの……っ!」
 それでも、渚はキリマンジァロの背中に向けて声を投げかける。
「私――」



「霧姉様には……戦車道、続けてほしいです!」



「――――っ」
 その言葉に、初めてキリマンジァロが反応した。足を止めた彼女に対し、渚は続ける。
「これが、私の本音です。
 今までうまく言えなくて、ごめんなさい……
 でも、姉様の言う通り、戦車と向き合ったらわかったよ! 戦車が応えてくれた!」
 言いたいことを一気に言い切り、肩で息をしている渚に対し、キリマンジァロは深く息をつき、
「渚。
 あなたはいい珈琲に出逢えたようね」
「え……?」
「だって、目が醒めるくらいの、良い出逢いをしたんでしょう」
 それは、キリマンジァロではなく、渚の姉、白鳥霧としての言葉――
 告げる間、霧はあくまで渚に背を向けたまま――しかし、傍らに立つエミは霧の本音に気づいていた。
 彼女の位置からは見えていたから――霧が、満足そうに微笑んでいるのが。
「次に会えるのは、優勝記念杯の後かしらね……
 覚悟しておきなさい。戦車で一から鍛え直してあげるわ」
「…………っ、ありがとうございます!」
 姉からの言葉に、渚が嬉し泣きと共に頭を下げて――







「その前に、ベルウォールにリベンジしなくていーの?」







『………………は?』
 ジュンイチの突然の発言に、その場の全員が止まった。
「え……いや、ちょっと待って。
 ジュンイチ、アンタ何言ってるワケ?」
「え? 何をも何も……」
 代表して尋ねるエミだが、ジュンイチは心底不思議そうに首をかしげた。
「キリマンジァロが家を継ぐのは卒業後だろ?
 でもって、このタイミングで指揮執ってたってことは、記念杯も出てくる気マンマンだろ?
 今回はエントリー数次第で地方予選復活するかもだけど、幸いお前ら予選ブロック同じなんだし、記念杯で再戦できる可能性はまだ残ってるだろ」
「いやいやいや! ちょっと待って!
 アンタ、この試合の意味わかってる!?」
「『負けたら出場辞退』って話のこと?
 わかってるに決まってんだろ。お前に説明したのオレだぞ?」
「それがわかってて何言ってんの!?」
「いや、『何言ってんの』はこっちのセリフなんだけど。
 オレは確かに『昔の先輩方がそういう約束した』って話はしたけどさ――」



「当時の当事者が誰ひとりいなくなった今、律儀に守り続ける必要あるワケ?」



『…………あ』
 平然と返された指摘に、またもやその場の全員の動きが止まった。
「正式なルールとして明文化された話じゃねぇ。先輩達が確実に決着つけたいばっかりに自発的に取り決めて自発的に守ってただけの、当事者だけの超個人的な話じゃん。
 なんで公式ルールでもない勝手な話に、後輩ってだけで何ひとつ約束に関わってないお前らが巻き込まれにゃならんの? 知ったこっちゃねぇだろ、そんなモン」
「あー……」
「言われてみれば……確かに私達、問題の約束には何も関係してないわね」
 続けるジュンイチの話に、音子と千冬が顔を見合わせる。
 そして、ジュンイチは改めてキリマンジァロへと向き直り、
「出てこいよ、記念杯。
 勝ち上がれば、ベルウォールへのリベンジだけじゃねぇ。念願のダージリン達との一戦のチャンスもあるかもしれねぇぞ?」
「いいの?
 また私達にチャンスをあげたりして……今度は、私達が勝つわよ?」
「ハッ、残念ながらまた返り討ちよ」
 返すキリマンジァロに対し、真っ先に受けて立ったのはエミだった。
「そーゆーこった。
 何度でもかかってきやがれってんだ」
「コーヒー党のクセして、ダージリンリスペクトの余りそれを曲げて紅茶派を気取るようなミーハーさんには、負ける気しないわね」
 音子や千冬もだ。不敵な笑みと共にキリマンジァロへと答える。
「ま、そーゆーこった。
 トップがそろって容認してんだ。ベルウォール側はいつでも再戦上等だぜ。
 あとはお前らだ――どうする? 顔も名前も知らない先輩方に義理立てして、あくまで辞退を貫くかい?」
 改めて尋ねるジュンイチに対し、キリマンジァロは深く息をつき、
「……ずるい言い方をするものね、あなた達も」
 挑発的な笑みと共に顔を上げた。
「『次にやってもまた自分達が勝つ』……そんな挑発をされて、それでもなお引き下がったとあっては、それこそ先輩方に顔向けできないじゃない。
 いいわ。その挑発、乗ってあげようじゃない」
「そうこなくっちゃな。
 オレも、記念杯でまたやれるの、楽しみにしてるぜ」
「あ、あのっ、姉様!」
 応じるジュンイチのとなりに出てきた渚が声をかけるが、キリマンジァロはそれを手で制し、
「渚。
 あなたはそのままベルウォールにいなさい」
「え…………?」
「忘れたの?
 私のブラックプリンスにトドメを刺したのが誰か」
 渚に答えて、キリマンジァロはクスリと笑い、
「あなたも、今やベルウォールの一員。再戦におけるリベンジの対象なのだから。
 ひとりの戦車乗りとして、次は本当の意味で正々堂々と戦いましょう」
「姉様……っ!
 はいっ! がんばります!」
 渚の答えに満足げにうなずくと、キリマンジァロは今度こそ颯爽と立ち去っていった。
 そんなキリマンジァロを見送る渚だったが――
「……やれやれ。
 結局、これもアンタの思惑通りってワケ?――ジュンイチ」
「え……?」
 ため息まじりのエミの言葉に、思わず首をかしげた。
「エミさん、それって……?」
 渚が尋ねるが、エミはかまわずジュンイチへと続ける。
「ジュンイチ……アンタ、どっちが勝とうが負けようが、おかまいなしにどっちも記念杯に出場するよう仕向けるつもりだったんでしょ?」
「まぁね」
 あっさりとジュンイチは認めた。
「オレの目的についちゃ中須賀さんの言う通りさ。
 ベルウォールと西グロの因縁を知った時から考えてたことだ――何代前かもわかんねぇ先輩どもが勝手に交わした取り決めに、いつまで馬鹿正直に振り回されてやらなきゃなんねぇのさ?」
「確かに、その通りね……」
「『ずっとそうだった』って話だったから、ぜんぜん深く考えずに『そーゆーモン』で片づけてたな……」
「そーゆーこと。
 ルールに従うこと自体は大事だけど、『何でこういうルールがあるのかな?』って疑問は小まめに心がけておいた方がいいぞ。
 でないと、ルールを自分達に都合よく使うヤツらにいいように利用されるハメになるからな――これ、戦車道に限らず日常生活全般に言えることな」
 顔を見合わせる音子と千冬の言葉に、ジュンイチはため息まじりにワンポイントアドバイス。
「あと、理由はもうひとつ――この試合が“伝統の試合”の取り決めを順守しようとした場合でも正当なものとは言えないってこと」
「どういうこと?」
「ん」
 聞き返すエミに対し、ジュンイチは迷わず自分自身を指さしてみせた。
「オレ、一時的にここにいるだけで正式なベルウォール生じゃないだろ」
「あー……なるほど。
 他校の柾木くんが首突っ込んでるから、『純粋なベルウォールと西グロの対決だったワケじゃない』と」
 具体的に口にしたジュンイチの説明に納得したのは瞳だ。
「つまり、お前的には優勝記念杯で改めてきっちり決着つけろ、と?」
「そゆこと。
 そんなワケで、この試合、オレとしては勝とうが負けようが『どっちも優勝記念杯には出る』って方向に話を持っていくつもりだったんだよ。
 ま、話が話なだけに、負けた時にはかなり負け惜しみや言い訳がましさがマシマシになっちまうところだったんだけどなー。いやはや、勝ててよかったよホント」
「た、確かに……」
 音子に答える形で語られた『if』の光景を想像してしまい、苦笑するしかない瞳だったのだが、
「ま、試合の勝敗とか優勝記念杯への出場権とか、今回の試合の“お題目”そのものとは別の思惑を抱えてこの試合に臨んでいたのは、キリマンジァロも同じみたいだけどね」
「あー、確かにそれは私も思った」
 ジュンイチの話は続きがあった――そしてそれは、エミもまた同様のことを考えていたようだ。
「アイツも、お前みたいに何か別のメリットを考えてたってのか?
 あっちは別に、こっちみたいなややこしい事情もないし、あのチームは別に大会への出場権以外にかけてるモンなかったんじゃ……?」
「何か、私達の知らない事情があったってことね?」
「音子姉も千冬姉も正解。
 千冬姉の言う通り、キリマンジァロにはお前らに知らされてない事情があった。
 けど、音子姉の言う通り、『西グロチームには』特別な事情はない――だから、二人とも正解」
 音子と千冬に答え、ジュンイチは軽く肩をすくめて、
「アイツの抱えていた事情ってのは、“チームの隊長・キリマンジァロ”としてのものじゃない。“一個人・白鳥霧”としてのものさ。
 で、このメンツの中で“白鳥霧”として関係があるのは――」
 言って、ジュンイチが視線を向けたのは――
「え…………?」
 いきなり話を振られて驚く渚であった。
「私……ですか?」
「そ。
 キリマンジァロは、白鳥さんのためにオレ達を……ベルウォールを利用したのさ。
 突き放して、自分のもとから引き離す――自分に引け目を感じている白鳥さんに、その“引け目”とは無関係な場所に行かせるために」
「あ…………」
 ジュンイチの言葉に、渚は試合中、エミに語った“引け目”のことを思い出した。
 というか、あの時戦車の中には自分とエミしかいなかったはず。まさか……
「聞こえてたんですか……?」
「オレの耳のよさを舐めるなよ? 外で作業していても、ハッチ開いてりゃそれなりに聞こえるさ。
 で、本題だけど……白鳥さんに独り立ちしてほしかったんだろうな、キリマンジァロは。
 自分のことなんて気にせず、自分のために戦車道を楽しんでほしくて……と、動機として思い当たるのはそんなところか」
「そのための受け入れ先に、ベルウォールは最適だったワケね。
 ここなら、“伝統の一戦”でどうあっても対立することになるから、渚をスパイとして送り込むことも、送り込んだ上で切り捨てることも、“冷徹な指揮官”を演じることで自然に演出させられる。
 そうして、渚が独り立ち“せざるを得ない”状況を作り出せる……」
「ついでに言うと、キリマンジァロ自身もこの構図のせいで、チームでの立場上白鳥さんに甘い態度を取るワケにはいかない。自分自身に対しても甘さを出さないように予防線を張ってるワケだ。
 ちょうど、まほさんの決勝戦の時の立場に近い感じだな――あの人が自然とそーゆー状況に陥ったのに対して、キリマンジァロ自身が意図的にそーゆー状況に自らを叩き落としたって違いはあるけど」
「そこまでして、渚ちゃんを独り立ちさせたかったってこと?
 話を聞いてるとずいぶんと急いでるみたいだけど……なんでそこまでして?」
「状況と言動からの推測の域を出ないけど……たぶん、原因は白鳥さんの感じてた負い目だったんじゃね?」
 首をかしげる瞳に、ジュンイチは頭をかきながら答えた。
「戦車道を辞めなくちゃならない姉と、続けていける自分……その違いに、白鳥さんは負い目を感じてた。
 だからキリマンジァロは……いや、白鳥渚の姉、白鳥霧は心配したんじゃないかな。
 『妹が、自分に遠慮するあまり自分の後を追って戦車道を辞めてしまうんじゃないか』ってさ」
「なるほど。
 それを避けるために、渚を独り立ちさせようとしていたのね……自分と渚は違う。自分に遠慮して戦車道を辞める必要はない。そんな想いを込めて……
 そう考えると、こんな回りくどい手を使ってまで話を急いだのも説明がつくわ。キリマンジァロにとっては優勝記念杯を最後に戦車道から引退することになるから、いろんな意味でラストチャンスだったのね」
 ジュンイチの説明に、腕組みしてうなずきながら続けるのはエミだ。
「要するに、オレらに勝って優勝記念杯に乗り込むだけじゃなく、ついでに妹の問題もどーにかしようと、アイツぁそう企んだワケだ」
「まったく、欲張りなことね」
「だよねー。
 もっと目の前の試合に集中しろってんだ」
「アンタには言う資格ないと思うわよ、私は」
 試合の勝利だけでなく“伝統の試合”の取り決めの撤廃にキリマンジァロの試合前の“ごあいさつ”への仕返し――自分だって副次的な目的を抱えていたんだからその発言はブーメランだろう、と、エミは音子や千冬に同意するジュンイチへとツッコんだ。
 そんな一同をよそに、渚は去っていく戦車隊の後ろ姿へと視線を向けた。
(姉様……
 私、がんばってみます。
 この学校で出逢えた、みなさんと一緒に……)



    ◇



 西グロとの試合から数日が過ぎ――
「……よし」
 手荷物の入ったカバンを手に、ジュンイチは宿舎を出た。
 居室の鍵は当直室に返納した。後は朝一番の連絡船で本土に戻り、そこから大洗に戻るだけだ。
 そう――大洗に戻る。今日はジュンイチのベルウォールでの滞在期間が終わり、大洗に帰る当日だ。
 駐輪場に向かい、乗艦以来乗る機会に恵まれず停めっぱなしになっていた愛車、ゲイルを引っ張り出して――
「ずいぶんと早いわね」
 その背中に、声がかけられた。
「みんなに顔も出さずに、大洗に帰るつもり?」
「中須賀さん……?」
 そう、エミだ――振り向くジュンイチに対し、駐輪場の入り口で軽くため息をつく。
「アンタにしちゃ、ずいぶんと水臭いわね」
「そんなんじゃねぇよ。
 単純に物理的な話さ――今のこの学園艦の位置からじゃ、朝一番の連絡船に乗らなきゃ大洗側の今日最後の連絡船に間に合わねぇんだよ」
 エミに答えて、ジュンイチは朝日の光に照らされる空を見上げた。
「つーか……お前、人のこと気にかけてる場合か?
 オレが帰った後は、あの荒くれどもの面倒見るのは事実上お前なんだぞ?」
「う゛……な、何とかするわよ。
 って、そうじゃなくて……」
 痛いところを突かれて一瞬口ごもるが、エミはすぐに気を取り直すとジュンイチに向けて右手を差し出した。
「だったらだったで、事前に早く出ることは言っときなさいよ。
 危うくお礼を言いそびれるところだったわ」
「お礼、ねぇ……」
「アンタの思惑はどうあれ、助けられたことは事実だからね」
 答えて、エミは差し出した右手を軽く前に突き出す――応えて、ジュンイチは彼女と握手を交わす。
「一応念押ししとくけど、私と瞳のこと、みほに話すんじゃないわよ」
「信用ねぇなぁ」
「さんざん本音を隠して水面下で暗躍したりこっちの斜め上の方向に話の流れを向けたりしておいて何を今さら」
 ジト目で返してくるエミの言葉にジュンイチは思わず苦笑して――
「何だ、マネージャーのヤツ、ホントに先に来てやがった」
「柚本さんの言ってた通りね」
「えへへ〜。
 エミちゃんのことは私が一番わかってますから」
 いきなり声がかけられた。振り向くとそこにいたのは――
「音子姉、千冬姉……」
「瞳……それに渚や、みんなも……?」
 エミ以外の、ベルウォール戦車道チームの面々だった。
「……どうやら、私以外にもアンタの行動バレバレだったみたいよ?」
「みたいだねー。
 見送りとか、音子姉達に関しては正直想像つかなかったんだが」
「バッカ。ヤンキーってのはメンツが大事なんだよ。
 恩を受けといて礼も言わずに帰したんじゃカッコつかねぇんだよ」
「ま、そういうことよ」
 エミに言われて肩をすくめるジュンイチに音子が「心外だ」と答える――軽く話に乗っかるだけの千冬に「意見語るの面倒くさがったな」と確信するが、エミはツッコミの言葉を自重した。
 と――
「あっ、あのっ」
 ジュンイチの前へと進み出てきたのは渚だった。手にした包みをジュンイチへと差し出し、
「これ……うちの実家で扱ってる珈琲豆です。
 大洗に帰ったら、向こうのみなさんと一緒にどうぞ」
「うん、ありがとうな、白鳥さん」
 素直に受け取り、ジュンイチは渚の頭をなでてやると一同を見渡し、
「まぁ……何だ。
 音子姉は義理を通すために来たみたいだけど、こっちだってオレの思惑やらこっちでの生活やらで世話になった形だ。お互い様ってことで手打ちにしとこうや。
 優勝記念杯に余計な遠慮を持ち込むのは、お前らだって本意じゃないだろ?」
 告げられた言葉に、彼の言う“遠慮”の意味を察したエミ達は不敵な笑みをもって応えてくる。
「大会で大洗とぶつかっても遠慮はすんな。全力でかかってこい。
 こっちも――大洗も、全力で迎撃してやらぁ」
「上等よ。
 私達に負けてもほえ面かくんじゃないわよ」
 ジュンイチの言葉にエミが答え――二人のハイタッチがパァンッ!と小気味よい音を立てた。


次回、ガールズ+ブレイカー&パンツァー

第47話「またモノスゴイのを考えつくね」


 

(初版:2020/06/08)