廃校の準備のために動いているのは生徒会だけではない。
何しろ突然の廃校の決定と退艦の指示である。エキシビジョンマッチの観戦やその運営への協力、その他私用などで艦を離れていたせいで退艦に出遅れた生徒もまだまだ数多くいる。
そうした生徒達のため、一度は廉太達によって封鎖された校門は解放され、学校に残してあった部活用の品などの私物の回収や片づけのために多くの生徒が学校へと足を運んでいた。
その中にはウサギさんチームの姿もあったのだが、彼女達は自分達の私物の回収を済ませるとそのまま帰宅せず、生物部の管理する生き物小屋へとやってきていた。
多くの動物達が農業科や生物部に引き取られていく中、ウサギ達は彼女達が引き取ることになったからだ。
それもまた、戦車によって導かれた奇縁によるもの――何しろ、彼女達の使うM3はここのウサギ小屋で、ウサギ達のアスレチックになっていたところを発見されたのだから。
ウサギさんチームというコールサインもそれに由来している。そうした縁から、ここのウサギ達の世話を生物部から半ば奪い取るような形で引き受けていた手前、今後の世話もウサギさんチームに任せるのが、ウサギ達にとっても新生活のストレスを和らげられる最良の選択だろう――という判断だ。
「ほら、入って」
梓が子ウサギを一羽、抱きかかえてケージの前に運んでやる。彼女の意図を察したのか、子ウサギは素直にケージの中に入ってくれた。
しかし、その一方で大きく育ったウサギ達はどっしりと構えてその場を動こうとしない。
「ここから出たくないのかな?」
「ウサギってけっこう賢いから……気づいちゃってるのかもね。
ここから連れ出されたら、もう帰ってこれないかもしれないって……」
首をかしげる桂利奈のつぶやきにあゆみが答えると、
「そんなことにはならないよ」
そう答えたのは、大人のウサギを一羽、ケージに入れようと抱きかかえた梓だった。
「きっと、柾木先輩達が何とかしてくれるよ!
……ううん、『きっと』じゃない。『絶対に』!」
「うんうん、相変わらず柾木先輩への信頼が振り切れてるねー」
優季にツッコまれて赤面と共に口ごもる――が、すぐに気を取り直して作業に戻る。
と――
「みんなーっ!」
「あー、あずさちゃん!」
「Wあずさがそろったね!」
そこへやってきたのはあずさだ。あやとあゆみが声を上げるが、
(…………あ)
もう一方の“あずさ”――梓が気づいた。
飼育小屋の、二重扉になっている出入口――その内側の扉を閉め忘れている。
「ち、ちょっと待って、あずさちゃん!」
このまま入口の扉が開かれたら――あわてて制止の声を上げるが、
「手伝うよーっ!」
間に合わなかった。あずさが無造作にウサギ小屋の扉を開けてしまった。
それに気づいて、まだケージに入れられていなかったウサギ達が一斉に走り出した――あずさが開け放った、ウサギ小屋の出口へ。
つまり――
「逃げたーっ!?」
「あずさちゃん、何してるのーっ!?」
「ごっ、ごめんなさーいっ!」
「とにかく追いかけなくちゃ!」
「あいーっ!」
「はーい。
ほら、紗希ちゃん、行くよー」
「…………(こくり)」
追いかけっこのスタートである。
第56話
「裏以外のところから首を突っ込むのよ」
一方、校門では風紀委員の三人が学校の銘板をみがいていた。
「毎朝毎朝、ここで学校のために遅刻を取り締まってたのに……」
にじみ出る無力感と共に、校門を見てつぶやくそど子こ声に、バケツで雑巾を洗い、しぼっていたゴモヨもまた校門へと視線を向ける。
と――
「あれ? そど子さん達?」
「そど子じゃなくて園みどり子!
…………って……」
かけられた声に反射的にツッコみ、その後ようやく我に返る――振り向くと、そこには不思議そうにこちらを見ている崇徳の姿があった。
「あれ? 橋下くん?」
「知波単の人達と一緒だったんじゃ……?」
「いやいや、知波単と組むのはエキシビジョンマッチまでで、それが終わったら戻ってくるって話になってたでしょーが」
尋ねるゴモヨやパゾ美に答えると、崇徳は周囲を見回し、
「それより、どーなってんの、これ?
ここ以外、街のほとんどが寝静まったみたいに静かなんだけど」
「あぁ、実は……」
崇徳の問いに答える形で、そど子が廃校のことや、今後の退艦のことについて説明する。
「結局廃校……しかも繰り上げときたか……」
「柾木くんから連絡行かなかったの?」
「いや、ぜんぜん」
「どうせ戻ってくるんだし、その時に説明すればいいや、くらいに思ってたのかな?」
そど子に答える崇徳の言葉にパゾ美が首をかしげて仮説を口にするが、
「いや、そうじゃないと思う」
崇徳の考えは違っていた。
「オレひとりだけ聞いてなかったっていうなら、パゾ美さんの言う通りだと思うけど……ジーナやライカ、それに鷲悟も動いてない」
そう答える崇徳は、すでにジーナとライカがまだ潮騒の湯にいること、鷲悟がまほ達と共に観戦からの帰路についている(なお空路。おそらく黒森峰のヘリだろう)ことを、“力”の探知で捉えていた。
「あの三人は帰ってくる予定はないからパゾ美さんの仮説は通用しない。一方で、“関係者”でもあるから普通に考えれば連絡はまず行く。
そして、あの三人のことだから連絡が行けば、確実にみんなのことを心配して戻ってくるはずだ。
でも現状はそうじゃない。つまり……」
「学校を離れてる子達には、誰にも伝えてない……?」
「それも意図的に、だ。
何か考えがあって、わざと教えてない……どの道どっかしらのルートから情報が入るだろうが、少なくとも“自分達から知らせる”ってルートで知らせることは避けてると見るべきだろうな」
「またロクでもないこと考えてるか、きな臭いところに踏み込ませないようにしてるんだろうな」とため息まじりに崇徳が考えて――
「――――ん」
動いた。突然そど子の目の前を横切るように左手を差し出し――ボンッ、と、弾力を感じさせる音を立てて、何かがそんな崇徳の左手に命中した。
崇徳が守らなければそど子の顔面に命中していたであろう、地面を転がるそれは――
「バレーボール……?」
「ということは……」
その“正体”に気づいたことで、ほとんどの事情に察しがついた。そど子と崇徳がバレーボールの飛んできた方を見て――
「すみませーん」
「やっぱり……!」
予想通り、やってきたのはアヒルさんチーム、元バレー部の面々だった。まったく悪びれる様子のない典子の謝罪に、そど子のこめかみに血管が浮くのに気づいた崇徳は迷わず一歩下がって安全圏に退避。
「あなた達!
こんな時にいったい何してるの!」
「えー? こんな時だからですよー」
「学園艦を離れる前に、バレー部としての活動納めです!」
「いつも心にバレーボール!」
「廃部になったバレー部に活動納めなんてないでしょ!
第一、あったとしてもこんな人の往来のあるところでやっちゃダメ!」
案の定風紀委員モードに移行するそど子だが、元バレー部側も引き下がることはない。しれっと答える妙子、あけび、忍の三人にそど子も負けじと反論する。
そのまま両者の議論が本格開戦――かと思われたが、そこに思わぬ横槍が入った。
「あ〜ん、待って〜」
突然聞こえてきた、聞き覚えのある妙に間延びした声――だが、その場に乱入してきたのは声の主ではなく多数のウサギ達。
あずさが不手際で逃がしてしまったウサギ達だ。見れば、その後ろから声の主たる優季を始め、ウサギさんチーム+あずさが追いかけてくる。
「あ! そど子せんぱ〜いっ!」
「その子達捕まえてくださ〜いっ!」
「あーっ、もうっ! 何やってるのよ!
あと園先輩って呼びなさい!」
あゆみや梓に返して――ついでにいつものツッコミも付け加えて、そど子はウサギ追跡に参加する。
ゴモヨやパゾ美も参加するのを見て、典子は今の内にバレーボールを回収しようと動く――が、
「あ! そっちに一匹行ったよ!」
「『一匹』じゃなくて『一羽』!
ウサギの単位は『羽』!」
あやの叫びとそど子のツッコミが聞こえたと思った瞬間、典子の伸ばした先にあったはずのボールが消えた。
「え?」
見ると、おそらくあやの言っていた一羽だろう。ウサギが転がるバレーボールを追いかけるように、同じ方向に駆けていく。どうやらあの一羽がボールにぶつかってしまったようだ。
しかも、ボールを弾いたウサギはそれが気に入ったのか、転がるボールに追いつくと自らの頭突きで、まるでサッカーのドリブルでもするかのようにボールを転がしていく。
なので――
『待て〜〜っ!』
ボールを取り戻すため、アヒルさんチームもまたウサギ達の追跡に加わることになった。
◇
街の灯りが消え、街灯だけが灯る艦上学園都市の外周道路を、二台の車が走っていた。
一台は白の2ドアクーペ。もう一台は青のアルトワークス。どちらもかなりの手が加えられているが、それも当然。
大洗戦車道チーム、そしてジュンイチの仲間・ブレイカーズ、それぞれが誇る変態職人集団(ジュンイチ談)が手塩にかけてチューンしてきた逸品なのだから――鈴香がジュンイチに頼まれた“下準備”を総出ですぐに終わらせると、彼女達は退艦前にひとっ走りしようと外周道路へとくり出していた。
「この道路を走るのも最後になるかもなのか……」
白のクーペに乗り込む自動車部の四人の中、助手席のナカジマが学園都市の街並みを眺めながらつぶやく。
「しんみりするな、飛ばすぞ!」
「お、いいね。走り納めか」
そんなナカジマに発破をかけるのは後部座席のホシノだ。となりのスズキがうんうんとうなずく一方、運転席のツチヤも嬉々としてそれに乗った。
「どうせ最後だ。思いっきりドリフトしてやる!」
「思う存分やんな」
ノリノリなツチヤにナカジマもGOサイン。と――
「だったらさぁ」
となりに追いついてきた青のアルトワークスから声がかけられた。
「走り納めついでに、勝負納めといくかい?」
こちらに乗るのは、ブレイカーズのメカニックコンビ――いつぞやのジュンイチのハチロクと同様に“地元”から転送で取り寄せた愛車。その助手席に鈴香を乗せた啓二が自動車部に挑戦状――もちろん例によって思念通話を併用しているので、カスタマイズされたエンジンの爆音の中でも啓二の声はクリアにナカジマ達に届いている。
「いいですね! 乗った!」
「そんじゃ、さっそく!」
ナカジマが同意するなり、啓二がアルトワークスを加速。自動車部のクーペもその後を追う。
エンジン性能ではクーペの方が上。あっさりとアルトワークスを追い抜くが、
「なんのっ!」
コーナーリングではアルトワークス――否、啓二の腕に分があった。コーナーでのドリフト合戦でクーペをアウト側から抜き返す。
「相変わらず、腕は上か!」
「柾木くん以上は伊達じゃないね!」
「とーぜんだ! 年季が違うわっ!」
より大回りなアウト側から抜かれた。それはすなわちコーナーでの速度は啓二達の方が上。自分達よりもコーナー突入時の減速を少なく抑えたということだ――舌を巻くツチヤとナカジマのボヤきを思念通話でしっかり拾い、啓二が言い返す。
「まだまだ、負けませんよ!」
「かかってこいや!」
ナカジマに啓二が言い返し、両者の(そうするつもりはさらさらないが一応の表面上は)最後の勝負はますます白熱していくのだった。
◇
「これで全部、と……」
元々転校してきて半年も経っていない身の上。私物も少なく、荷造りはすぐに済んだ――ボコられグマのボコのぬいぐるみを段ボールにしまってテープで封をすると、みほは軽く息をついた。
転校間もないだけではない。ここに移り住む前も食事は学食とコンビニに依存していたので調理器具も少ないし、物入りな趣味もないので私物も増えにくい。
ここに住むようになってからはサブカルチャーの類もそこそこ嗜むようになったが、それらは基本家主の私物や同好の士の持ち込んだもの。なのでみほ個人の所有物は本当に少ない。生活必需品と勉強道具、あとはお気に入りのキャラクターであるボコのグッズくらいである。
なので――
「……柾木くん、手伝おっかな……?」
自分とは反対に、すでに職を持つ身の経済力をフル活用して趣味の私物を買いあさっている家主の様子が気になった。居室区画の最上階、ジュンイチのプライベートエリアに向かう。
ジュンイチがいる間は(主に対杏用の)進入者撃退トラップは作動しない。何の障害もなく足を踏み入れ、ジュンイチの姿を探す。
「柾木くーん」
「んー? どしたー?」
名を呼んだらすぐに返事が返ってきた。声のしてきた部屋、高度工作室に向かう。
専門性が高く安全上の問題から慎重な扱いの求められる工具を使う時専用の部屋だ。そうした事情からジュンイチの監督なしに使用できないよう、プライベートエリア内に作られたその部屋をのぞき込み、
「片づけ手伝おうk――って、え……?」
声をかけようとしたその言葉は途中から困惑の声に変わった。
「ん? どーした?」
「あ、うん。
手伝おうと思ったんだけど……必要なかったね」
なぜなら、とっくに片づいていたから――みほからすれば何に使うのか皆目見当もつかないような機材や作業台が所狭しと並んでいたはずの部屋ががらんとしているのを見回して、みほはフローリング用モップで拭き掃除をしていたジュンイチに答えて苦笑してみせた。
「んー、ま、見ての通り。
オレの方ももうほとんど片づいて、掃除だけって状態」
「あんなにいっぱい物があったのに……」
「チッチッ、甘いなー、西住さん。
オレ達ブレイカーには、転送術式っつー便利なものがあるんだよ」
「じゃあ、全部転送しちゃったの?
でもどこに……あ、“向こうの世界”の家に?」
「んにゃ。
“陸”のアジトの方に」
「アジt……」
ものすごく追求をためらわされる単語が出てきて軽く引くみほであった。
「ここ、元々どういう目的で杏姉から提供されてたか、まさか忘れちまったワケじゃあるまい?」
「え? あ、うん……
元々は柾木くんの“仕事”に絡んで、事務所的な建物が欲しかったからなんだよね?」
「そ。
一応、ここが“こっちの世界”のMTGSの本社ってことになるけど、学園艦の人ならともかく本土の依頼人にわざわざここまで来てもらうのも不便だからな。
そんなワケで、出張所的な場所は本土にどうしても必要だったのさ」
「なるほど……」
「そして当然あっちもフル要塞化済み」
「ぅわぁ」
余計な情報を付け加えられて改めてドン引きするみほであった。
「表向きの一般生徒としての退艦を装うためにある程度の生活必需品は引っ越し業者に任せるけど、仕事関係のものや、多すぎて引っ越し業者に任せるのが心苦しい趣味の品は、全部転送で送っといた――社外秘の書類とかもあるし、そうでなくても裏社会寄りの仕事なおかげで人に見られちゃヤバいものも多いから。
これでオレも後腐れなく退艦できる」
「…………っ」
だが、続くジュンイチの言葉に、みほは思わず視線を落とした。
「…………? どした?」
「……本当に、降りなきゃいけないんだね……」
「………………」
そんなみほの言葉に、ジュンイチは掃除の手を止めてみほへと振り向いた。
「全国大会に優勝すれば、学校を守れるって……そう信じて、みんながんばってきたのに……それなのに、こんな……
きっと、また取り戻せるって……柾木くん達なら、その道を見つけてくれるって、信じてるけど……それでも、悔しいよ……っ」
「……だな」
うつむき、泣くのをこらえているかのように肩を震わせているみほに答え、ジュンイチは彼女の頭をなでてやる。
「悔しいよな……ホント」
「柾木くんも……?」
「そりゃ悔しいさ。
全国大会での死に物狂いの成果を全否定されたってだけでもたいがいなのに、加えてオレの場合、こういう事態にならないように警戒してたのに、おもっくそ背後からブン殴られたワケだからな」
聞き返すみほに答え、肩をすくめてみせる。
「絶対にひっくり返すぞ。
このまま終わってたまるかよ」
「うん」
改めて告げるジュンイチにみほがうなずいて――
「……とはいえ……だ」
みほの頭から放した右手で頭をかきながら、ジュンイチは少し言いにくそうに続けた。
「柾木くん……?」
「いや、オレもなんだかんだで人の子なんだなー、と」
尋ねるみほへの答えも何やら要領を得ない――が、
(…………あ。
これって……)
みほは思い当たった――ジュンイチのこの反応、覚えがある。
年度の始め、ジュンイチと知り合い、友達認定した時に似たようなリアクションを見せていた。
これは――
「一時的に、とはいえ、“お別れ”なんだ。
これでも、少しは名残惜しいと思ってんだよ」
照れくさがっているのだ、ジュンイチは。
「……行くか、学校?」
「うん!」
◇
「…………ん?」
みほと二人で学校にやってきたところで、ジュンイチは気づいた。
「柾木くん……?」
「ん」
尋ねるみほには視線で“それ”を示した――そこでみほも気づく。
「学校の看板が……」
「銘板、な」
校門の銘板がなくなっているのだ。
「よかった。
名残惜しくなってるの、オレだけじゃなかったみたいだ」
苦笑まじりに言って、ジュンイチは校門をくぐり、
「……ほら、見ろよ」
言われてみほも視線をやると、戦車のガレージの方が明るい。ということは、ジュンイチの言うところの“自分だけじゃなかった、名残惜しかった面々”というのは――
「あ!
柾木先輩! みほさん!」
「やっぱり隊長達も来たんですね!」
「もうだいたいの人が来てますよ〜」
やはりそうだ。戦車道チームのみんなが集まってきている。真っ先に気づいた梓を皮切りに、あゆみや優季が声をかけてくる――が、
「……何で土まみれ?」
「あ、アハハ……いろいろありまして」
ウサギさんチームとあずさがなぜか土汚れにまみれている。首をかしげるみほに梓が苦笑する一方で、M3のとなりに並ぶペット用ケージを見つけたジュンイチは大まかな事情を察していた。
その他の面々も、それぞれが共に戦ってきた相棒の周りに集まっていて――
「あ、銘板」
「てっきり杏姉達かと思いきや」
校門から消えていた銘板はB1-bisに立てかけられていた。気づいたみほやジュンイチのつぶやきが聞こえたか、そど子がこちらを一瞬見るが、すぐに気まずそうに視線をそらす。
ともあれ、みほとジュンイチがW号のところに行ってみると、まだ来ていないのかあんこうチームの姿はない。
「みぽりん、柾木くん、いたーっ!」
だが、ウワサをすれば何とやら。みほのことをこのあだ名で呼ぶのはひとりしかいない――上がった声に振り向くと、沙織を始めあんこうチームの面々が明と共にやってきた。
「珍しいこともあるもんだな。
秋山さんが戦車に絡むことで出遅れるなんて」
「何言ってるの。
柾木くんが原因なんだからね、私達が出遅れたの」
「What's? 何故にWhy?」
「実は、ここに来る前に一度柾木くん達の家に寄ったんです」
戦車好きな優花里が他のメンバーよりも駆けつけるのが遅いというのは珍しい。首をかしげるジュンイチだったが、そんな彼には沙織が、華が答える。
「ひょっとして……入れ違いに?」
「はい。
お二人の家に行ったらいなかったので、ひょっとしたらもうこちらに来ているのでは、と」
察したみほに優花里が答える――疑問がひとつ解けたところで、みほが次に気にしたのは一緒にやってきた明だ。
「それで……明さんはどこでみんなと?」
「うん……私の入る予定だった寮がね……」
「私と同じところだったんだよ!」
答えようとした明に飛びつき、代わりに答えるのは沙織である。
「ビックリしたよー。
解散した後、いつまで経ってもあきりんと帰り道が分かれないから、ひょっとしたらと思って地図見せてもらったら私の寮なんだもん!」
「まぁ、荷ほどきもしてなかったから、荷物が問題なく届いているかどうかの確認だけで退去準備終わっちゃったんだけどね」
「あ…………」
少し自嘲気味に苦笑してみせる明の言葉に、みほの表情が曇った。
「ごめんなさい、明さん……
学校、守れなくて……」
「え、ちょっと!?
なんで西住さんが謝るの!? ちっとも悪くないじゃない」
「でも……」
「そーそー! みぽりんは気にしすぎ!」
明に答えようとしたみほだったが、それを止めたのは沙織だった。
「みぽりんは精一杯やってるよ!
だから自信持って! もっと胸張って!」
「う、うん……」
「そーだぞー。
さっき、家でも言ったろ――風穴なら必ず開けてやる。
まだ終わってないんだ。結論出てないことで西住さんが責任感じる理由ないぞ」
沙織だけでなく、ジュンイチからも励まされ、みほがうなずいて――
「――――ん?」
「……柾木くん?」
そのジュンイチが何かに気づいた。顔を上げた彼の姿にみほが首をかしげて――
「話は終わったか?
なら私は寝る」
「いや、だからって麻子は平常運転すぎない!?」
一方でマイペースなのが幼なじみコンビ。枕を抱えてW号の上によじ登る麻子に沙織がツッコんだ。
「って、麻子、ここで寝る気?」
「あぁ。
明日で一旦お別れなんだからな……一旦」
尋ねる沙織に麻子が答える。「一旦」を強調するあたりに彼女の本心を垣間見た沙織がクスリと笑い――
「……あー、冷泉さん、ストップ」
それを止めたのはジュンイチだった。
「すまんが……もう時間切れみたいだ」
「え? それって……」
さっき反応していた“何か”に関係しているのはタイミング的に間違いないが、自分にはそもそもその“何か”の正体がわからない。いったい何なのか――問おうとしたみほだったが、ちょうどそこで気づいた。
低く響く、大型車輛独特の走行音。それが多数、こちらに近づいてきている。
「……まさか!?」
「たぶん、そのまさか」
その音の正体にいち早く気づいたのは優花里だった。声を上げる彼女にジュンイチがうなずき、優花里があわてて外に出ていく。
「柾木くん……
時間切れ、それに優花里さんのあの反応……」
「そーゆーこと」
そんな優花里の行動が、他の面々にとってのヒントになった。続いて察した華に、ジュンイチがうなずく。
「本気で来いって言ったからな……その“リクエスト”に、辻さんがさっそく応えてくれたってことだよ」
言って歩き出すジュンイチに続く形で、みほ達もガレージを出る――と、そこでは一足先に外に出ていた優花里が物音の主を出迎えているところであった。
「あれって……」
「戦車の運搬車だな」
“音の主”は彼女達も見慣れたものだった。つぶやくおりょうに答えるエルヴィンの言う通り、自分達も試合の度にお世話になっていた戦車の運搬トレーラーだ。
それが次々に乗り入れてきている。そして――
「大洗女子、戦車道チームの皆さんですね?」
先頭のトレーラーから降りてきたのは、廉太のようにスーツに七三分けといったいでたちの男であった。
「そうですけど……あなた達は?」
「文科省の者ですよ」
「あぁ、辻さんの部下の?」
「いえ。
戦車道管理局――わかりやすく言えば、文科省内での戦車道関連の仕事を取り仕切っている部署になります」
一歩前に出て応対したのはジュンイチだ。ていねいに応じるジュンイチに対し、男は自らの素性を説明する。
「なので、学園艦教育局の辻局長とは別の部署になります。
……とはいえ、彼の要請でこうしてここにお邪魔させていただいているので、彼が無関係というワケでもないんですがね」
「というと?」
「大洗女子学園が廃校となり、学園艦は学園艦教育局の預かりとなりました。
しかし、戦車については戦車道関係を統括する我々の預かりとなります。
なので――」
「さっそく、戦車を引き渡してもらいに来たんですよ」
『えぇっ!?』
その役人の言葉に、ジュンイチの背後で驚きの声が上がる――ので、ジュンイチは先手を打って後ろに向けて左手をかざしてみせた。
「待った」と読み取れるそのハンドサインに一同が騒ぐのを思い留まる中、ジュンイチは役人への対応を続ける。
「ずいぶんと早いね。
オレ達が退艦した後でもよくない?」
「そうでもありませんよ。
明日の朝一番でこの学園艦は大洗の港を離れます。そうなると、学園艦ドッグに運ばれるまで戦車を下ろす機会はなくなりますから。
それまでこちらの仕事が宙に浮くのは好ましくありません――そうなると、学園艦が大洗を離れる前に戦車を回収する必要があり、そのためにはもう今の内から動いておく必要があります」
尋ねるジュンイチに役人が答えると、
「だからって来るなら来るで一報ほしかったんですけどねー」
突然の声に一同が振り向くと、そこには桃や柚子を伴った杏の姿があった。
「引き渡しに必要な書類とか、いろいろ準備があるんですよ。
明日の学園艦引き渡しの時にと思って作業してたから、引き取りのトレーラーが来たのを見つけた時は焦りましたよー」
「これは失礼しました」
杏の指摘に、役人はまったく悪びれることなくそう答えた。
「まぁ、何とか間に合わせましたけどね。
と、ゆーワケで、どうぞ」
「確認させていただきます」
言って、杏の差し出してきた書類を受け取った役人は、その内容に目を通し、
「……不備はないようですね。
では、戦車の現物の方も確認をさせてもらいたいのですが」
「はい、どーぞどーぞ」
役人からの提案にあっさりと同意、杏が戦車のガレージへと案内する――それを黙って見送っていたジュンイチだったが、
「……柾木くん」
そんなジュンイチに耳打ちしてきたのはみほだった。
「会長達、大丈夫かな?」
「杏姉達は半端な仕事はしねぇよ。
あぁして書類を持ってきたってことは、あの引き渡しの書類は完璧に仕上げてきたってことさ」
ジュンイチがそう答えて――
「やはり何か企んでいたか」
いきなり背後から声がかけられた。驚いたみほが振り向くと、そこにいたのはカエサルだ。
「かっ、カエサルさん。
これは、えっと……」
「やっぱり気づいてやがったか」
「え?」
「まぁな」
「えぇっ!?」
自分とジュンイチの内緒話を聞かれていたのか――あわてて弁明しようとするみほだったが、まるでカエサルの行動を見透かしていたかのようなジュンイチの反応にビックリ。さらに、蚊帳の外扱いに怒る様子もないカエサルに二度ビックリ。
「具体的な内容までは見抜いちゃいないだろうが、『オレが学校を守るために何か企んでる』程度にはみんな勘付いてるとは察していたからな」
「そうなの、柾木くん?」
「でなきゃ、“あの場”にいなかったメンツの内何人か、とうに泣きついてきとる。
個人的に可能性大と踏んでたのはウサギさんチームの大野さん宇津木さんあたりか――最近、前にも増して人をドラえもん扱いしてやがったからな、あの二人」
「あー……」
思わず納得してしまい、苦笑するしかないみほであった。
「柾木のことだ。我々に情報を回さないのも、何か理由があるんだろう?
たとえば、我々が何も知らないまま動いた方が都合がいい、とかな――なら何も知らないでいるさ。何も知らないなりに、できることをさせてもらう」
「すみません……」
「西住隊長が謝ることはないさ。
どうせいつもの、柾木主導のロクでもない作戦なんだろう?」
「オレ主導はその通りだけど、『ロクでもない』って何だオイ」
「違うのか、西住隊長?」
「えっと……」
「ノーフォロー!?」
などとジュンイチ、みほ、カエサルの三人が話している間に、確認作業は済んだようだ。役人がカメさんチームの三人と共に出てきて、待機していたトレーラーのスタッフ達に戦車の運び出しを指示する。
「そんな……戦車が……」
「お別れもさせてもらえないなんて……」
戦車が運び出されるその光景を見ていることしかできず、優季やあやがつぶやく――そんな彼女達を複雑な表情で見守る梓だったが、
「心配すんな」
そんな梓に告げたのはジュンイチだ。
「ちゃんと取り戻してやるさ。戦車もな」
「本当ですか!?」
「ホントほんと」
振り向いてくる梓に、ジュンイチはカラカラと笑う――そんな彼の態度に、後ろからついてきていたみほはピンと来た。
「柾木くん……ひょっとして、さっきの鈴香さんへの“お願い”って、これを見越してたから……?」
「そゆコト。
辻さんに発破かけた時点で、早めに戦車を取り上げに来るだろうことは予想できてたからな」
「それって……やっぱり全国大会で優勝してるからですか?」
聞き返す梓に、ジュンイチはうなずいた。
「今回一蹴されたとはいえ、大洗の実績で現状一番デカいのが戦車道での全国優勝なのは紛れもない事実だ。
辻さんと話した時にも触れた通り、廃校を早めたのも大会への学校としての出場権を剥奪して実績の上塗りをさせないためだろうからな――戦車を取り上げて駄目押し、ってのは“徹底的に”って条件に気づいていればフツーに察しがつくさ。
だから、鈴香さんには青木ちゃんや自動車部と一緒に戦車を、引き渡しに支障の出ない程度にまで直しておいてもらったんだ――『エキシビジョンマッチでのダメージがひどいから
やっぱり回収は後日』なんてことになるとめんどくさいから」
「でも、そこまで読めていたんなら、まずは戦車を取り上げられないように手を打つこともできたんじゃ……」
「“そのために”連中のやりたい放題を見逃してんだよ」
横から尋ねるみほに、ジュンイチはしれっとそう答えた。
「現状、戦車は学校の所有物ってことになってるからな――その学校がなくなっちまう以上、戦車の所有権の移動はどうやったって避けられない。
だから、一旦アイツらにくれてやる――ルール通りヤツらに預けた上で、ルールに則って返してもらう。正当にオレ達自身の所有になったって錦の御旗を作るためにね。
ルールの横っ腹を突いてやる方が個人的には好みだけど、こっちの方が立場の弱いこの状況でそれを仕掛けるのは悪手でしかねぇからな」
「ルールに則って……って、どうやって?」
「そんなの決まってる」
聞き返すみほに対して、ジュンイチはニヤリと笑って答えた。
曰く――
「まっとうに、正規のルートでだよ」
◇
「大洗が?」
「はい」
所変わって、聖グロリアーナの学園艦。
大洗から戻って早々にアッサムから報告を受け、ダージリンは眉をひそめた。
「廃校は撤回になったのでは?」
「文科省上層部に、外部から圧力がかかったようです。
それで、撤回が取り消された、と……」
「具体的な動きはつかめて?」
「はい。
大洗港では、すでに学園都市の住民や生徒の大多数が退艦しているようです。
それから……戦車道管理局が動きました」
そのアッサムの言葉に、ティーカップを口元に運んでいたダージリンの手が止まった。
「ということは……みほさん達の戦車は?」
「すでに引き渡しが済み、搬出されたそうです」
「早いですね……
文科省の動きもそうですけど、その情報がアッサムさんまで流れてくるのも」
「“当事者から連絡をもらいましたので”」
首をかしげるジーナに答え、アッサムは自分の携帯電話の画面を見せた。
表示されているのは一通のメールだ。差出人はジュンイチ。
そして本文は簡潔な一文。
『深入り無用』
「……この一文で通じると確信して送ってくるあたり、完全にアッサム様が廃校の情報までは自力で辿りついていると読まれてますね……」
「この後、パソコンの方に詳しい現状説明のレポートが届きましたから……間違いなく」
「『情報ならくれてやるから動くな』ということかしらね」
苦笑するオレンジペコだが、諜報チームの動きを根こそぎ読み切られたアッサムからすれば苦笑ですむ話ではない。心なしか鈍痛を訴えてきたこめかみを押さえてため息をつくアッサムの姿に、ダージリンは他人事のようにクスリと笑う。
「どう思うかしら、ジーナさん?」
「間違いなく、厄介な事情が絡んでますね」
一方、尋ねるダージリンに対して、ジーナはキッパリと即答した。
「裏事情……圧力のことですか?」
「はい。
問題は……その深刻さが、かなりのものだろう、ということです」
「アッサムに『深入りしないように』なんて注意のメールを送ってくるほどだものね」
聞き返すオレンジペコにジーナが答えた。付け加えてくるダージリンにうなずくが、それでも彼女には気になることがあった。
「ただ……『動くな』って言ってるのとは、少し違う気もします」
「どういうことですか?」
「私には何も言ってきてませんから」
アッサムに答えるジーナだが、傍らのオレンジペコは意図を計りかねて首をかしげる――そんな彼女にクスリと笑い、ダージリンが口を開く。
「彼の性格からして、本当に危険から遠ざける意図で関わらせまいとするなら、ハッキリ『関わるな』と釘をさしてくるか、そもそも事態に気づかれないようにあらゆる手を打つか……そのどちらかのはずよ」
「はい。
でも現状、ジュンイチさんはアッサムさんに『深入りするな』と言ってきただけで、その他については何も言ってきていません。
つまり……」
「それ以外については、首を突っ込んでくることに異論はないということ……
裏事情を探ることで、相手の矛先が私達に向く可能性を心配してくれているのね、きっと」
ジーナと共にオレンジペコに説明すると、ダージリンは少し考えて、
「アッサム。
彼が送ってきたっていう詳細な状況報告は?」
「プリントアウトしてきています――どうぞ」
答えて、アッサムが差し出してきた紙面にダージリンが目を通し、
「…………っ」
ある一点で目を止めた。
「ダージリンさん……?」
「大洗では制服の投げ売りが始まっているそうよ」
ジーナに答えると、ダージリンはアッサムへと指示を出した。
「大洗にGI6の子を送ってるわよね? その子に連絡して、投げ売りされている制服を買い集めさせて。
これは私の独断だから、代金の請求先はチームではなく私で」
「制服を、ですか……?」
「何のために?」
「彼の一連の行動からは、『事態の裏側への介入は避けてくれ』という意図が見えるわ。
だから……」
「裏以外のところから首を突っ込むのよ」
◇
「何だと!?」
そして、他の一部の学校にも、大洗廃校の報せは届き始めていた。
「大洗が廃校!?
それで、西住達は!?」
〈本土でしばらく待機。
で……その待機場所での生活のための諸々の準備の手伝い頼まれちゃってさ……
だから、そっち手伝いに行くの、一日延ばさせてほしいんだけど〉
「いやそれどころじゃないだろお前ら!?」
まぁ、当事者からの直接連絡なのだから、早々に情報が入って当然なのだが――崇徳からの帰艦遅延の連絡に、アンチョビは「違う、そうじゃない」とツッコんだ。
「こっちに戻ってきてる場合なのか!?
そっちに残って、西住達の助けになってやった方がいいだろ!」
〈いや、いても出る幕ないですから。
大洗のみんなの顔ぶれ考えてみてくださいよ〉
「あー……」
崇徳の言葉に思わず納得するアンチョビだったが、
〈まぁ、そんなワケで、このまま大洗に残っててもしょうがないですから。
なので、一日延びますけど、そっちには“必ず戻りますから”〉
「………………っ」
続くセリフに、アンチョビは眉をひそめた。
「まぁ……事情はわかった。
具体的に着く時間がわかったら連絡しろ。宿舎の用意もあるし……連絡船乗り場までなら迎えに行ってやる」
〈いっ、いやっ、そこまではいいですよ〉
「気にするな気にするな。
お前も今や立派なウチの戦力なんだ――戦車でも屋台でも。厚待遇で迎えるのは当然だ。
じゃあ、またな」
恐縮する崇徳に答えると、アンチョビはそう締めくくって通話を終えた。
「ドゥーチェ……
タカちゃん達、どうしたんですか……?」
「大洗が廃校って、どういうことっスか!?」
「詳しくは橋本が戻ってからだ」
電話していたのは戦車道チームの隊長室。なので当然、本日大洗で展開した屋台の売り上げ計算や食材の発注などのために残っていたこの二人もいる――話を断片的にしか聞けなかったカルパッチョやペパロニが騒ぐのを、アンチョビはそう言って諫める。
だが――
(『大洗の顔ぶれを考えてみろ』……考えるまでもなく柾木と角谷だろう。だがアイツは二人の名を直接挙げるのは避けた。
『必ずこちらに戻る』と言い切った……自分が大洗を離れることを強調した)
詳しく話さずとも、崇徳はヒントを残していた。
(……“盗み聞き”を警戒したか。
つまり、警戒しなければならないようなきな臭い状況になっているってことだ……)
『必ずアンツィオに戻る』と言い切ったのも、“盗み聞き”――盗聴して連中がいるという前提で考えればその意図は見える。自分が離れることを強調することで、大洗は“きな臭い事情”に対し守りを固めるつもりがないと思わせる偽装工作だろう。
(まったく、入念にやってるな。
それだけ面倒な状況ということか……)
みほ達大洗の面々は自分やアンツィオの仲間達にとっても大切な友人達だ。何かしてやれることはないかとしばし考えて――
「……よし!
橋本の帰還の日程がわかり次第宴会の支度だ!」
「ドゥーチェ……?」
「いきなり何スか?」
「大洗で何かあれば、ウチの人間で真っ先に動くことになるのはアイツだ!
おいしいものをたくさん食べさせて、その時に備えて英気を養ってもらうんだ!」
「なるほど! さすがはドゥーチェ!」
「そうと決まれば窯を焚け! 湯をおこせ〜っ!」
「了解っス!」
「橋本くんが帰ってくるのはまだ先の話ですよ〜」
結局、アンツィオらしい結論に落ち着くのだった。
◇
昇ったばかりの朝日に照らし出される、大洗女子の学園艦――しかし、その艦上に人の姿はもはやない。
戦車道チームが最後の夜を過ごそうと集まったガレージもすでにもぬけの殻――その一角、片隅に置かれた、ミーティングで使われていた移動式の黒板には、何やら書かれ、消された跡が残っている。
完全に消されていないその文面は――“ありがとう! 戦車道チーム一同”。
寄せ書きを作ろうと用意されたものの、使われることなく片づけられたのだ――その原因は、提案したウサギさんチームに対するジュンイチの一言。
曰く――
「戻ってくるのに、お別れの寄せ書きなんているの?」
そんなジュンイチ以下戦車道チームもまた、すでに退艦を終え、今は学園艦の目の前の岸壁に集まり、別れの時の迫る学園艦を見上げている。
みんなが学園艦を見守る中、ジュンイチはそんな彼女達を見守るように後ろに下がっている――昨夜寄せ書きを拒んだのと同じく、「(前略)、見送りなんているの?」という理由でだ。
と――
「意地張らなきゃいけないのも大変だね」
「西住さん……?」
そんな彼に声をかけてきたのはみほだった。
「はて、何の話やら……」
「ゆうべ、『自分だって名残惜しいんだ』って学校に行こうって提案したクセに、寄せ書きといい今といいちっとも気にしてないふうにしていればわかるよ」
「………………」
ごまかそうとするジュンイチだったが、他ならぬ自分がヒントを与えていた。あっさりと根拠を指摘され、自らが掘っていた墓穴にようやく気づいてため息をひとつ。
だが――ジュンイチは知らない。
(それに……“あの時”と同じだもんね)
みほにはもうひとつ、本心を見抜くに足る“根拠”を握られていることに。心の中で付け加え、みほが思い出すのは、自分達の対外デビュー戦、聖グロとの練習試合が終わった、その日の晩のこと。
試合に負けてもあっけらかんとしていたジュンイチは、あの晩、自分達と別れた後、ひとり悔しさをかみしめていた。
初陣を勝利で飾ることができず、各々に思うところのあったみほ達にさらなる動揺を与えぬよう、彼はみんなの前では一貫して“平気なフリ”をやり通した。
あの時と同じだ。撤回されたはずの廃校がよりひどい形で実現してしまい、動揺しているみんなのために、「必ず取り戻すから名残惜しく思う必要はない」というスタンスを取り続けている。
そして、そのことに気づいているのは、今のところ自分だけのようだ。
だから――
「……私にぐらいは、いいんじゃないかな?」
「ん……?」
「柾木くんの本音に気づいてる私にくらいは……本音で愚痴をこぼしても、いいよ?」
「………………
……考えとく」
上目遣いでそう提案してくるみほに対し、ジュンイチは照れ臭さからみほを直視できず、プイと視線をそらしてそれだけ答えた。
と――ついに“その時”が来たようだ。学園艦が高らかに汽笛を鳴らした。
数秒の間をおいて、その巨体がゆっくりと動き出す――岸壁を離れ、沖へと出航していく。
自分達のもとを離れ、去っていく学園艦を、一同はそれぞれの想いを胸に見送った。
その姿が見えなくなるまで、ずっと――
次回、ガールズ+ブレイカー&パンツァー
第57話「経験者は語る、だね」
(初版:2020/11/30)