「……ヒマだな」
「みほさん達についていった方がよかったですか?」
「ジョーダン」
その頃、外の駐車場では、啓二と鈴香が車の番をしながらヒマを持て余していた。
「どっかで時間つぶしてくるか?」
「最初の目的地だったコンビニとここ以外に何もないですよ、この辺り」
提案する啓二だが、それは鈴香によって却下されて――
「……あら?」
先に気づいたのは鈴香であった。
「どうした?」
「あれ……あの子」
答えて、鈴香が指さした先には、急いだ様子でミュージアムの中に駆け込んでいく少女の姿があった。
「何だ? あの子……」
「急いでたみたいですけど……」
「このミュージアムに来るためにか?
そんなに、あのボコってキャラが好きだって? 今時の子が、そんな……」
「いないとは限らないんじゃないですか?
そもそも、みほさんが大好きだったから私達もここにいるワケですし」
「世の中、探せば変わり者はいるもんなんだなぁ……」
しれっとみほを“変わり者”呼ばわりする啓二の言葉に、後でみほに言いつけてやろうと軽く決意する鈴香であった。
第58話
「霞澄ちゃんって呼んで♪」
その頃、待機所の旧職員室改め臨時生徒会室では、不在の杏に代わって桃と柚子が生徒会や各種当番の生徒達からの報告や陳情を受け付けていた。
「保健班です。
虫さされのクスリがなくなりました!」
「今朝届いたものがもう保健室に運ばれているはずだ。
管理簿に持ち出し数を記入するのを忘れるなよ」
「糧食班です。
給食用のお米、持ち込んだ分の備蓄が残りわずかです」
「備蓄倉庫まで取りに行ってもらえるか? 車は自動車部か風紀委員に出してもらっt
「その風紀委員の園さん、後藤さん、金春さんが海岸沿いのコンビニで地元中学生とケンカしてるって報せが……」
「一気にすさんだなぁ、アイツら……
わかった。柾木……は不在だったな。カバさんチームに鎮圧を依頼しておく。
糧食班、すまないが車は自動車部に依頼してくれ」
「バレーやりたい子集めてもらえますか?」
「どさくさに紛れるな磯辺!」
次々に入ってくる陳情をさばいていく桃の姿に、柚子がクスリと笑みをもらした。
「…………?
どうした、柚子ちゃん?」
「桃ちゃん、がんばってるなぁ、って。
もっと泣き叫ぶかと思った」
「そっ、そんなことはないぞ!?
あと桃ちゃんって言うな!」
柚子の答えに、桃は思わず立ち上がり、顔を真っ赤にして反論してきた。
そんな桃のリアクションに、居合わせた他の生徒達からも笑い声が上がる。ますます顔を赤くして、桃はすごすごと自分の席に座り直した。
「私だって、泣き叫んでどうにかなるならそうしてる。
それに会長も不在なんだ。私が踏ん張るしかないだろう」
「うん、そうだね」
桃の言葉にうなずき、柚子は手元の書類に視線を落とした。
「廃校のことはきっと会長や柾木くんが何とかしてくれる。
私達は私達で、できることをがんばろう」
「あぁ。
さぁ、陳情どんどん持ってこい!」
「桃ちゃん先輩! バレーがしたいです!」
「だから便乗してくるな元バレー部! あと桃ちゃん言うなーっ!」
◇
ショーの会場は、古ぼけたベンチが並んでいるだけの簡素な作りになっていた。一応掃除は行き届いているが、それでもみすぼらしい印象はぬぐえない。
「誰もいませんねぇ」
「いや今ひとり分埋まったぞ」
がらんとした客席を見ての華のつぶやきにジュンイチが返す――見れば、いつの間に自分達のそばを離れたのか、すでにみほがド真ん中の席に陣取っている。近すぎて見上げなければならなくなる最前列に安易に陣取らないその姿に「心得てるなぁ」とジュンイチが内心で苦笑する。
仕方がないので、ジュンイチ達もその周囲の席に座る――退屈してきたのか麻子はすでに半分夢見心地で、それをすでにいろいろとあきらめた様子の沙織が支えてやる。
他の三人は反対にワクワクしている。明や華は今までの展示物がいろいろギリギリだったことで逆に興味を持ったようだが――
(秋山さんは単に西住さんとの共通の話題が欲しいだけなんだろうなー)
みほのとなりに座るジュンイチによって、みほをはさんだ反対側に座る優花里の思惑が見抜かれていた。
と――
(…………ん?)
不意に、ジュンイチが新たな気配を察知した――振り向くことなく気配だけで探ってみると、誰か、新たにひとり、このショーの会場にやってきたようだ。
どうやら急いで来たらしい疲れ特有の息遣いの粗さ、その呼吸音の出どころ、床からの高さから考えて背は低めで体力も少なめ――中学生くらいか。
その息遣いが突然途切れた――息を呑んだようだ。
同時、こちらに向けられる視線――
(……自分以外がいると思ってなかったか、もしくはオレ達があの子の座りたかった席を横取りしちまったか……ってなところか)
ジュンイチがそんな分析をしている間に、気配の主はジュンイチ達から少し距離を取った中段の席に座る。
ギリギリでジュンイチの視界に入る位置だ――女の子。年は先ほどの見立ての通り中学生くらい。高く見積もっても中一か中二ぐらいだろう。
まるで『不思議の国のアリス』のアリスのようなフリル多めの私服に、銀色の髪をツインテールにまとめている。
ジュンイチは知る由もないが、それは先ほど、外で待つ啓二達が見かけた、急いでボコミュージアムに駆け込んでいったあの少女だった。どうやら彼女はこのショーに間に合わせようと急いでいたようだ。
と、今日ここに来てからさんざん聞いたテーマソングが流れた。どうやら開幕のようだとジュンイチが見当をつけた通り、ステージの緞帳が左右に開いていく。
舞台の右側から姿を見せるクマのキャラクターこそボコだ。対し、反対側からは――
(……またやべーのが……)
灰色の猫と茶色のネズミ、そして青色の猫のキャラクターが姿を見せた。
ともあれ、ボコ、そして他のキャラクターの一団はステージの中央まで来るとそのまますれ違って――ボコの肩がネズミとぶつかった。
「おい! 今ぶつかっただろ! 気をつけろ!」
「ん? 何だ、お前!」
文句を言うボコに対し、ネズミはもちろん、灰猫、青猫もボコにガンを飛ばす。
「生意気だ! やっちまえ!」
「おもしれぇ、返り討ちだ!」
リーダーらしき青猫が命じるのを聞いて、ボコが腕まくり――ただし袖はない。腕まくりをする素振りだけだ――して迎え撃ち、
こけっ。
ぼこぼこぼこっ。
げしげしげしっ。
「や〜ら〜れ〜た〜」
((えええええ))
足払いで転がされたところに三匹がかりで殴る・蹴るのリンチが展開された。あっという間にやられてしまったボコの姿に、沙織達は呆れて内心でうめくしかない。
「口ほどにもないヤツだ!」
「おらおらおらおら!」
「どららららぁっ!」
「くっ、くそぉ……」
さらに青猫達のリンチは続く。抵抗するボコだったが、もはや起き上がることもできない。
「みんな、オイラに力を分けてくれーっ!」
と、ここでヒーローショーのお約束、ボコによる観客席への呼びかけだ。
もちろん、大ファンであるみほがこれに乗らないはずがない。が――
「が、がんばれー……」
しかしそこで引っ込み思案な彼女の性格が災いした。恥ずかしさが先行して思いきり応援することができない。
「もっと力を!」
「がっ、がんばれっ」
「もっとだ、もっと!」
そこへボコからの催促。先ほどよりは声が出たみほだが、それでもボコから再度の催促が来る。
「ま、こーゆーのはテンション上げるために何度も催促するのが定番だからなー」とジュンイチが考えていると、
「がんばれ、ボコ―っ!」
突然の大声は自分達の横から――開演直前に駆け込んできたあの少女だ。ようやく彼女に気づいたみほ達にかまわず、ボコに向けて懸命に声援を送る。
「ボコ! がんばれーっ!」
「ボコさん、がんばって!」
「ボコ、いっけーっ!」
「ボコ殿、ファイトです!」
「あきらめちゃダメだよ、ボコ!」
そんな少女につられてみほも大声でボコを応援。さらにその熱は周りの沙織達にも伝わった。華、沙織、優花里、明が次々に声援を送り――
「がんばれー」
「zzzzz……」
ジュンイチと麻子はあくまでも平常運転であった。
「来た来た来たぁ〜っ!」
が、そんなやる気ゼロな二名が混じった応援でも一応は効果があった(ことにしてもらえた)らしい。倒れたままのボコから上がった雄叫びに、青猫達がビクリと驚いて距離を取る。
「みんなの応援がおいらのパワーになったぜ! ありがとよ!」
観客席に向けて礼を言うと、ボコは後ずさりする猫達へと向き直り、
「お前ら、まとめてやってやらぁっ!」
「――――っ」
猫達に向けて突撃した左フック――を見て、それまで興味なさげにしていたジュンイチがピクリと反応した、次の瞬間、
「あ」
白猫にスウェーバックでかわされた。みほが声を上げる中、バランスを崩したボコはきれいに一回転してひっくり返ってしまった。
「今だ! やっちまえ!」
「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄!」
「ポラポラポラポラポラポラポラポラ!」
「アリアリアリアリアリアリアリアリ!」
そして、先ほどと同じように、取り囲まれてボコボコにされてしまう。
「何コレ」
「結局ボコボコにされるんですか」
「それがボコだから」
呆れる沙織や優花里にみほが答える――見れば、今のやり取りが聞こえたのか、先ほどの少女もうんうんとうなずいている。
「また、負けた……」
気が済んだのか、猫達は攻撃をやめて解散、暗転したステージ上で、倒れ伏すボコだけが照らし出される。
何とも言えない微妙な沈黙の中、突然ボコがガバッ、と起き上がり、
「次は負けないぞ!」
そんな宣言と同時、勢いよく緞帳が閉じた。
徹頭徹尾ツッコみどころにまみれた寸劇に呆然とする一同の中、みほと少女の拍手がやけに大きく聞こえて――
(………………)
そんな中、唯ひとり、ジュンイチだけは真剣な表情で緞帳の閉じた舞台を見つめていた。
◇
「あー、楽しかった!」
すっかり上機嫌のみほを先頭にボコショー会場を出る。入る時には気づかなかったが、ショー会場の正面は売店になってた。
棚にはボコグッズが並んでいるが、そのほとんどは色あせていて、ほとんど買われていないことがわかる。
さすがにお菓子のような食べ物関係は入れ替えられているようだが、結果として真新しい食品関係と色あせたグッズとでコメントに困るコントラストが生まれてしまっている。
試しに、華が先ほどジュンイチがボコのオブジェに対してやったように指で軽くなぞってみるが、指先が汚れることはなかった。
「一応、掃除はちゃんとやってるみたいですね……」
「でも、こう商品が古いんじゃ……」
「見てくださいよ、これ、消費税表示がないですよ」
華や明、優花里が微妙な顔で話す一方、みほはショーの興奮さめやらぬ様子で売店を見て回っている。
「すごくがんばってたね、ボコ!」
「そう?」
となりの沙織に声をかけるが、その沙織は反対側、会場を出る時に一度起きたものの再び眠りかけている麻子の介抱に気を取られていて半分くらい生返事だ。
と――
「あぁっ!」
唐突にみほが声を上げる――その視線の先には、棚にひとつだけ置かれた小さなボコのマスコットだ。
その前に貼られたポップには、「ミュージアム限定ボコ! 残りひとつ!」と書かれている。
「あ! 残りひとつだって!」
「そういう販売戦略なのでは……?」
「でも、可愛いのでここはあえて乗ります!」
華からツッコミが入るが、みほはそれでも自分から釣られに行った。駆け寄り、限定ボコへと手を伸ばし――
『え……?』
その声はみほと、もうひとりから――みほの伸ばした手が、横から伸びてきたもう一本の手と重なったのだ。
見れば、その手の主は先ほど一緒にボコショーを見たあの少女だ。だが、彼女はみほと目が合って、驚いたように手を引っ込めてしまった。
だから――
「あ、いいのいいの」
みほは迷わず少女に譲った。限定ボコを手に取ると少女の前にひざまずき、その手に握らせてあげる。
「私はまた来るから」
そんなみほに対し、少女は何か言いたそうにしていたが、顔を真っ赤にしてレジの方へと走って行ってしまった。
「せっかく西住殿が譲ってあげたのに、お礼も言わないなんて」
「言おうとはしてたみたいですよ。
きっと、恥ずかしかったんじゃないですか?」
口をとがらせる優花里に華が答える中、みほは仲間ができてうれしいのか、会計を済ませて走り去っていく少女をニコニコと笑いながら見送って――
「……あれ? そういえば……」
ふと気づいたのは沙織だった。キョロキョロと周囲を見回して、
「……あ、いた」
そんな声が向けられたのは、一同の後方に待機していたジュンイチであった。
「何だよ?」
「いや、ずっと静かだったから。てっきりどこかではぐれたのかと」
「ショーの会場のすぐ目の前のここに来るまでに、どーやってはぐれるってんだよ?
ただの考え事だよ。か・ん・が・え・ご・と」
「考え事……?
何か気になることでも?」
ジュンイチの答えに華が聞き返し、
「わかった!
さっきの子の可愛さに見惚れt
「あ゛ん゛?」
「ごめんなさい冗談ですのでアイアンクローはかんべんしてください」
恋愛脳に走った沙織がジュンイチの気迫に黙らされた。
「オレが気にしてたのは、さっきのショーのボコだよ」
「ボコ……ですか?」
「そ。
あのボコの中のひt
「ボコに中の人なんていませんっ!」
「……あのボコなんだけどな」
みほに力いっぱい力説されて、ジュンイチは苦笑まじりに訂正した。
「アイツ、けっこうな使い手だったぞ」
「そうなんですか?」
「あぁ。
他のヤツらもそれなりだったけど、その中でもあのボコが頭ひとつ飛び抜けてた。
台本のしばりさえなきゃ、あの舞台で勝ってたのはあのボコだったろうな」
聞き返してくる優花里に答えて、ジュンイチはショーの会場へと視線を向けた。
「それに、あの最後の右フック……ありゃボクシングの打ち方じゃない。
身体のすぐ前に詰められても余裕で当てられるぐらいのコンパクトな振りはクロスレンジで輝くボクシングの打ち方とは明らかに違う。
ありゃ空手……いや、自衛隊の徒手格闘の打ち方だ」
「自衛隊の……?」
「元自衛官の方、ですか?」
「んにゃ。
他の動きのキレからしてかなり若い人だよ。年くってても20代前半ってところだろうな。
でも、それに反してあの徒手格闘の体裁きは妙に年季が入ってた。自衛隊学校から学んでたとしても、そこからの経験年数であれだけこなれた動きは身につかねぇよ。
もっとガキの頃から学んでないと、あの動きは説明がつかない。その矛盾が気になってたんだけど……」
沙織や華にジュンイチが答えると、
「あるよ」
突然そう口を開いたのは明だった。
「あるって……あきりん、どういうこと?」
「自衛隊以外で、もっと若い内から……それこそ子供の内から、自衛隊仕込みの徒手格闘を教えてもらえるところ」
沙織に答えて、明が視線を向けたのはジュンイチだ。
「え? なんでそこでオレを見るんだy……あ」
思わず聞き返し――かけたところでジュンイチも気づいた。うなずき、明は答えた。
「そう、柾木くんと同じ……」
「歩兵道やってる人達だよ」
◇
「お疲れ様っしたー」
本日のショーは先ほどの回がラスト。あいさつして更衣室を後にすると、青年はミュージアムの裏口から外に出た。
と――
「あ…………」
そこには、先ほどみほに限定ボコを譲ってもらった少女がいた。青年を見つけ、トテトテと駆け寄ってきた。
「待っててくれたんですか?」
「ひとりで帰らないで、送ってもらえって、お母様が」
敬語で少女に声をかけた青年に対し、少女はそう答える。
「オレが送ってくと、またあの三人が発狂するんだろうなー……
……まぁ、いいか。じゃあ、寮まで送りますね――」
「隊長」
◇
日本戦車道連盟会館、理事長室。
そこには現在、大洗土産のシベリアと人数分の茶が置かれたテーブルを中心に三人の人間がいた。
大洗女子学園生徒会長、角谷杏。
日本戦車道連盟理事長、児玉七郎。
そして――陸上自衛隊富士学校富士教導団戦車教導隊所属、兼、日本戦車道連盟公認審判員、兼、日本プロ戦車道設立強化委員、蝶野亜美。
席についているのは杏と亜美の二人。七郎はひとり窓の前に立ち、二人の視線をその背に受けながら外を眺めている――というか、明らかに二人の視線から逃げていた。
が、それもそろそろ耐えがたくなってきた。冷や汗をぬぐいながら、七郎は口を開いた。
「戦車道と学校の存続は別問題だ。
である以上、我々に大洗女子学園の廃校に口を出す権利はないのではないかと思うのだが……」
「学校の存続の判断材料は戦車道の成績だけじゃない。
本音はどうあれ、“総合的に判断して廃校相当と判断された”という建前になっている以上、戦車道の都合だけで廃校を撤回されては文科省のメンツが立たない……ということですか」
「そういうことになるかなぁ……」
すかさず切り返す杏に七郎が答えると、今度は亜美が口を出す。
「しかし、だからと言って全国大会に優勝するほどのチームがこんな形で解散させられては、今度は我々日戦連のメンツが立ちません。
先ほど、理事長はおっしゃいましたね? 『別問題だ』と。
そう、別なんです。日戦連と文科省は――ですが、今回の文科省の強引なやり方を黙認することになれば、『日戦連は文科省の下部組織である』というような、誤った認識を世間に与えかねません」
「しかし、学生の戦車道は文科省の協力があってことできるワケだし……」
「たとえそうだとしても、へりくだった態度は取るべきではないと言っているんです」
明らかにこの件への関与を嫌がっている、穏便に済ませたがっている七郎に対し、亜美はぴしゃりと言い放った。
「今回の廃校の件、明らかに非は文科省側にあります。
ここでその文科省の側に立つような態度は世間によくないイメージを与えることになるかと」
「うーん……」
亜美に正論をぶつけられ、うなる七郎に対し、杏は立ち上がり、正対して告げる。
「私達は、優勝すれば廃校が撤回になると信じて戦ったんです。
それが、すべてが終わった後で『やっぱナシ』なんてことにされたら、もう文科省を信じることはできません。
今後文科省と協力してやっていくつもりなら、そんなハシゴ外しは許さないという毅然とした態度を示すべきなのではありませんか?」
「しかしなぁ……私が動いたところで、文科省が首を縦にするかは、正直なところ微妙だぞ」
杏の強い決意に満ちた宣言にも、なお七郎の反応は鈍かった。
「文科省は現在、世界大会に向けての選手育成に関して、日戦連に対する干渉を強めてきている。
学生の内から選手を育成するのであれば、それは学業を統括する自分達が主導すべきだ……とね」
「なるほど……
そういうことですか」
「角谷さん?」
「あ、いえ……
文科省の狙いが見えてきたな、って」
七郎の話に反応したのは杏だ。聞き返す亜美にも答え、続ける。
「さっき、蝶野さんが言ってたじゃないですか。『このままじゃ日戦連が文科省の下部組織みたいに見られるようになるかも』って。
文科省は、まさにそれを狙ってるんじゃないですか?
たとえば、高体連とか中体連とか……あの辺って、独立した公益財団法人ではあるけれど、学校の体育関係を取り仕切るのがお仕事な関係でどうしても文科省に主導権握られてるじゃないですか。
でも……」
「そうか……
日戦連は学生戦車道だけじゃなく、社会人リーグまで包括的に扱ってる。
学生の間だけじゃない、その先まで手を広げてるから、学業を取り仕切る文科省は影響力を振るいにくい……」
「つまり……大洗は文科省の権力を見せつけるための“見せしめ”ってこと?
全国優勝するようなチームのいる学校だろうが、自分達がその気になったら簡単につぶせるんだぞって?
でも、日戦連を掌握下に置きたいからって、そこまでやるかしら……?」
気づいた七郎に対し、亜美は今ひとつ実感がわかないようだが、
「それ“だけ”なら……そうですね」
杏の語る推測には続きがあった。
「でも、他にも理由があったとしたら?
他にも理由があって、その結果“そこまでやる”必要が生まれたとしたら……?」
「理由?」
「亜美さん。
亜美さんって、こうして日戦連に出入りしてますけど、元々はどこの人でしたっけ?」
「え?
どこ、って……そりゃ、自衛隊の……あ」
聞き返す杏に答え、そこで亜美も気づいた。
「防衛省!
じゃあ、文科省は私達を目の上のタンコブに感じて、こんなことを始めたってこと!?」
「戦車を扱う以上、防衛省が戦車道に、日戦連に関わるのは当然だし、何より戦車の管理の上で必要なことだ。
当然、その影響力は学生の戦車道にも及ぶ……だがそれが、学生の活動を統括している文科省からすれば面白くないワケだ。自分達の縄張りに踏み込まれているワケだからな」
声を上げる亜美に答え、七郎は腕組みして深く息をついた。
「単に“日戦連を文科省の影響下に置きたい”というだけなら、確かに蝶野くんの言う通り、そこまでやる必要はない。もっと穏便に、反感を育てずじっくりと切り崩す方がいい。
だが……そこに競合する相手がいたら、話は大きく変わってくる。相手に負けないように、と考えたら、取る手段はどうしても過激化する」
「大洗の廃校は、日戦連だけじゃない、防衛省に対する“見せしめ”でもあった、ってことですか……」
続ける七郎の言葉に亜美が納得して――
(そう……
それがきっと、“文科省を釣った”エサ……
“黒幕さん”達の利害だけで動いてる話じゃなかった。文科省側としても利害の一致、折り合うところがあったってことか……)
杏の思考はさらに深部、二人には話せない部分に及んでいた。
廉太の話によれば、当初大洗の廃校に反対する声はなく、諸手続も順調に進んでいたのに、それがある日突然ひっくり返ったと言う。
そこまでの迅速な手の平返しも、今の仮説なら筋が通る。単純な圧力に従わされるのではなく、彼ら自身にとっても、副産物という不正とは関わらぬところで利益のある話だったからこそ、彼らは迷わずそのエサに食いつき、ジュンイチですら事前に察知できなかったほどの速さでの“大洗つぶし”が実現したのだろう。
今このタイミングというのも都合がよかった。関国商に絡んだ一連の騒動で、日戦連は癒着のあった有力者を軒並み一掃したばかりだ。多くの有力者を失い、発言力の低下した今の日戦連を一気に切り崩そうという思惑も働いているのだろう。
「だが、だとしたらますます厄介だぞ。
大洗の廃校が“目的”ではなく“手段”でしかないとしたら、本来の目的を果たさずしてそれを撤回するとは思えない。
増して、世界大会に向けてプロリーグ発足の話が進んでいる今の状況では……
プロリーグが発足すれば、おそらく今の社会人リーグはそちらに取り込まれることになるだろう。そうなれば、社会人戦車道はそれ単体の管理団体を発足させてそちらに管理を移すことになる。
文科省からすれば、事実上学生戦車道の管理団体と化す日戦連を影響下に取り込む絶好のチャンスだ。攻勢を弱める理由がない」
事はひとつの学校の廃校問題では留まらない。ただでさえ関国商の一件で体面の傷ついた日戦連の体制に追い打ちをかけかねない重大問題だ。口に出して懸念を整理する七郎だったが、
『――プロリーグ!』
口に出した“懸念”の中にあった単語に、亜美と杏が反応した。
「なっ、何だね?
プロリーグに何か……って、待て。まさか……」
そんな二人の反応に、七郎も遅れて気づいた。うめく彼にうなずき、亜美は告げる。
「そうです。
相手の狙いが日戦連そのもの、しかもプロリーグもそのダシに使われかねないとなれば……」
「あの人、絶対黙ってないと思いませんか?」
◇
明けて翌日。
みほとジュンイチは大洗を離れ、九州は熊本を訪れていた。
転校手続きに関係して、親の認印が必要になったからだ――なので、護衛を申し出たジュンイチを連れ、みほはまったくする予定のなかった帰省をすることになった。
――――が。
「いい加減、覚悟決めろやコラぁーっ!」
「だっ、だってぇっ!
やっぱり気まずいよーっ!」
九州入りした辺りから、みほの歩みが急激に鈍った。寄り道をしたがるようになり、やっぱり帰ろうとか言い出して――その挙句がこの状況。電柱にしがみつくみほをジュンイチが力ずくで引きはがそうとする、マンガでよくある光景の出来上がりである。
「去年の件に関することならもうわだかまり解けたんだから、気にすることねぇだろ!」
「代わりに別の問題があるでしょ!?
これからも大洗でがんばっていくって話になってたのに学校つぶれちゃって、転校のために帰ってきたなんて気まずさの極みだよ!」
「お前は何ひとつ悪くねぇんだからそこは開き直れ!」
「心臓に剛毛生やしてる柾木くんと一緒にしないでよぉっ!」
「誰が心臓タングステン製タワシじゃ!」
「そこまでは言ってないよ!?」
などと二人が田舎道でぎゃあぎゃあと騒いでいると、
「……何を騒いでいるんだ……」
そんな、呆れたような声が二人にかけられた。
振り向くと、そこにいたのは――
「お姉ちゃん……?」
「まほさん?」
「通報されても文句言えないぞ、お前達……」
散歩の途中だったのか、リードでつないだ愛犬を伴った、私服姿のまほだった。
◇
勝手口を開け、裏手から西住邸に入る。入ってすぐの犬小屋に愛犬をつなぐと、まほはみほから受け取った土産を手に、一行の先頭に立って廊下を歩く。
「……いいの?」
「ここはお前の家だ。戻ってくるのに何の遠慮がある」
今の自分達の状況は知っているはずだ。微妙な立場の自分を独断で上げてもいいのかと尋ねるみほだが、まほの答えに迷いはない。
そんな、迷うことなく自分の味方をしてくれる姉の態度が嬉しくて、みほは歩調を速めてまほへと追いついて――
「……まほ?」
「――――っ!?」
突然、行く手の室内から声がかけられた――驚き、みほは思わず自分の口をふさいだ。
対し、まほはすでに予想していたのか、冷静に答える。
「はい」
「お客様なの?」
すかさず返ってきた問いに、みほはあわあわしながらまほを見て――
「学校の友人です」
(え゛)
しれっと答えてのけたまほの姿に、みほは思わず出かかった驚きの声を何とか呑み込んだ。
◇
「……『友人』、ね」
一方、まほの答えを聞いて、応接室のしほは軽く息をついた。
「我が娘ながら、ウソが下手ね。
……あの子、学校に友達いないでしょうに」
「OK、しぽりん、そこでストップ」
向かいに座る面会相手からツッコまれた。
「別に嫌われてるとかそーゆーんじゃなくて、高嶺の花で畏れ多く思われてるからってことでしょ?
そーゆーぼっち扱いみたいな言い方は良くないわよ、しぽりん」
「しぽりんはやめてください。
真面目な話をしに来たのでしょう?」
「つまり真面目な話をしていない時ならOKってことね。
了解、把握したわ」
「………………」
たしなめたつもりが逆に言質を取られた。軽くため息をつくと、しほは改めて相手へと向き直った。
「では、改めて要件を伺いましょうか」
「伺う必要ある?」
しかし、相手はあっさりとそう返してきた。
「今の状況で、私があなたを訪ねてくるなんて、用件はひとつしかないでしょ?」
「念のためです。
つまり、要件というのは大洗の廃校の件、ということでよろしいのですね?」
「霞澄さん」
「ノンノン。
霞澄ちゃんって呼んで♪」
「まじめな話をしている場だと言っているでしょう……っ!」
◇
「わ、私の部屋、こっちだから……」
「なぁに今さら緊張してんだか」
「先に行っていろ」とまほに促され、みほがやってきたのはみほ自身の部屋だった。緊張を一切隠せていない様子で案内するみほに、ジュンイチはため息まじりにそう答えた。
「今さら緊張もないだろ。
大洗で、勉強会開く度に一般教科全般『冷泉さんが教えてくれないから』って人を自分の部屋に呼びつけてたのは誰でしたっけねぇ?」
「で、でも、実家の部屋は初めてだし……」
「どーせ向こうの部屋と変わらないんだろ?」
「変わらないけど……」
などとジュンイチとみほが話していると、
「…………?
廊下で何を話しているんだ?」
追いついてきたまほが、そんな二人の様子に首をかしげた。
「みほ、書類は?」
「あ、うん」
まほに問われ、みほはあわててカバンの中からクリアファイルを取り出し、その中に綴じてあった書類をまほに渡す。
「机を借りるぞ」
それを受け取ると、まほは迷わずみほの部屋に足を踏み入れた。みほの部屋の机に向かうと、やはり迷うことなく署名欄に記入しポンと印まで押してしまった。
「ほら」
差し出された書類を見ると、そこには姉の字で書かれた母の名前。押された印鑑も母のものだ。
顔を上げるみほに対し、まほは「しーっ」と静かにするようジェスチャーしながら右手の判子を見せる――なるほど、先ほど少し離れたのはこれを取りに行っていたのかと理解する。
「今日はどうするんだ? ゆっくりして行けるのか?」
「いや、こんなコソコソ立ち入っておいてゆっくりも何もないでしょ。
それに、そんな時間的な猶予がなかったからこそ、それなのにぐずりだした西住さんと道中であんなにもめてたワケで」
「う、うん……
日帰りの予定で行動予定提出して来てるから、今日はこのまま帰らないと」
「そうか」
まほの問いにジュンイチが、続いてみほが答える――うなずき、まほは部屋の外へと歩を向け、一言。
「送ろう」
◇
「……そーいや、前に家にあるって言ってたな」
三人がやってきたのは、前回来た時は訪れることのなかった西住家のガレージだった。
明らかに公用・私用で使い分けているとわかる複数の車が並ぶそのすみに戦車の姿を見つけ、ジュンイチが苦笑する。
「U号の……F型か」
「さすが」
「勉強したから。
最初、ウチのW号見た時一目で型まで見抜けなかったからなー。アレは悔しかった」
一目で戦車の車種からモデルまで言い当てたことにみほが感心。それに返すと、ジュンイチはU号戦車に歩み寄り、その状態を確認する。
「……うん、よく手入れが行き届いてる。
いい腕してるよ、コレいじってる人」
「そうか。
そう言ってくれると、娘として鼻が高い」
「え?
じゃあ、これ、西住さん達のお父さんが?」
「うん」
まほに聞き返すジュンイチにはみほが答えた。
「お父さん、戦車道の戦車関係の装備開発とかしてるから……」
「ウチの親父と気が合いそうだなぁ」
「龍牙さんと?」
「西住さんには前に話したろ?
ウチの父方は武器職人の家系だから……代々兵器の進歩に合わせて手を広げてったクチだから、とーぜん戦車もいじっとる。
しかも親父の研究テーマ、“周りを巻き込むことなく標的だけを、生かさず殺さずしばき倒す”だから、戦車道の安全管理にも通じるトコあるし」
ジュンイチとみほが話している間に、まほがU号の操縦席に乗り込んでエンジンをかける。エンジン音に気づいたみほとジュンイチも車内に乗り込み、みほが車長席に、ジュンイチが通信手席に座る。
「おや、いつもの場所じゃなくていいのか?」
「え?」
と、そんなジュンイチに声をかけてきたのはまほだった。振り向いて投げかけてきたその問いに、ジュンイチは意図が読めずに首をかしげた。
「いや、いつも戦車の外でみほのすぐそばに座っているだろう?」
「あぁ、アレね。
単に、いつもはW号の中の席が全部埋まってるから、あぶれて外に出てるだけだから。
スタートの時はルール上仕方ないけど、そーでもなきゃ席と席と壁の間なんてせまっくるしいところに収まり続けるなんてゴメンだね」
あっさりと答えるジュンイチの言葉に、まほは車長席のみほへと視線を向けた。
その視線が意味するのは――
(……みほ)
(………………うん、進展ナシです)
(何をやってるんだか……
同棲しているという大きなアドバンテージを活かさなくてどうする)
(お姉ちゃんまで同棲とか言わないで!)
姉妹ならではの、以心伝心なアイコンタクトであった。
◇
「……友達、ね」
まほがみほとジュンイチを送りに出て行った頃合いを見計らって、しほは書斎をのぞいてみた。
そこには、「友達からのお土産です」と書かれたまほのメモと共に件の“お土産”が置かれていた。
「……我が娘ながら、何と言うか、本当に……」
「あー、うん。
ホントにウソ苦手みたいだね」
脇からのぞき込んできた霞澄も思わず苦笑。そんな、二人を呆れさせた“お土産”とは――
ボコミュージアム限定・ボコまんじゅう
「どうして、あんなメモ一枚でこのお土産の贈り主をごまかせると思ったのかしら……」
「しぽりんの周りでコレをお土産に選ぶような子なんてひとりしかいないよねー」
ため息まじりのしほのつぶやきに、霞澄もカラカラと笑いながら同意する。
と――それまでの静寂を引き裂くような、けたたましいローター音が聞こえてきた。
「陸自のOH-1ね」
「ローター音だけでわかるんですか?」
「伊達にアームズスミスを旦那に持っちゃいないわよ。
しぽりんだってエンジン音だけで戦車の種類わかるでしょ? それと同じよ」
あっさり言い当てたのは霞澄だ。外を見れば、霞ヶ浦駐屯地のマークを付けたヘリが一機、敷地の外に着陸するのが見えた。
と、ふすまの向こうから使用人の菊代が声をかけてきた。
「家元。
蝶野様がお見えです」
「でしょうね。
あんな方法でやってくるのは彼女くらいのものよ」
ふすま越しに菊代に返すと、しほは霞澄へと振り向いた。
「さっきの話……確かにあなたの言う通りね。
来年の大会に大洗が出て来なければ……黒森峰が叩きつぶすことができなくなるわね」
「そういうこと。
ま、ウチの子達もたやすく譲るつもりはないだろうけどね」
そんなことを話しながら、二人が亜美を出迎えに行くと、
「あれ、霞澄ちゃん!?
何でここに!?」
亜美と共にいた杏が、霞澄を見つけて驚きの声を上げた。
◇
数時間後。
「………………」
文科省、学園艦教育局の応接スペースで、廉太はダラダラと冷汗をかいていた。
対面には先日面会した杏に加え、その両隣にしほと霞澄が、さらに両者の間の左右のソファには亜美と七郎が顔をそろえている。
「若手の育成なくして、プロ選手の育成は成しえません。
これだけ考えの隔たりがあっては、プロリーグ設置委員会の委員長を私が務めるのは難しいと言わざるを得ません」
「い、いや、それは……
今年中にプロリーグを設立することが、世界大会誘致の条件であることは先生も御存知でしょう?」
「世界大会のためにプロリーグの設立を適当にすることはできません。
プロリーグ設立を進めながら、その土台となる若手育成を蔑ろにする今回の文科省のやり方には賛同することはできないと言っているんです」
「いえ、別に蔑ろにするつもりは……」
「ならばなぜ大洗を廃校に?
事は大洗一校で済む問題ではありません。全国大会の優勝校の廃校は、目指すべき頂の喪失という、高校戦車道界全体における重大な損失を意味します」
しほの反論に対し、廉太は冷汗をぬぐいながら慎重に言葉を探る。
確かに全力での対立を装うという話だった以上、彼女達が頼れる伝手を総動員するのは当然の選択と言えるのだが、まさかこんな大物を引っ張り出してくるとは。
もしこのまま彼女がプロリーグの設置委員から外れるようなことになれば、事は学園艦教育局の中で済む話ではなくなってしまう。
それを回避するには――
(…………これしか、ないか……っ!)
思いついたのは博打に近い一手。腹を括るしかないと覚悟を決め、廉太は――
「じ、重大な問題と言われましても……」
「たかがまぐれで優勝した学校が消えたところで……」
自ら、地雷を踏み抜いた。
(あ)
杏が思わず心の中で声を上げたその一方で、しほの眉がつり上がった。出されていた茶をぐいと飲み干し、
「戦車道にまぐれなし。
そこにあるのは実力のみです」
そのコップをカンッ!とデーブルに叩きつけるように置き、廉太をにらみつけながら言い放つ。
(かかった!)
しかし、そんなしほの怒りこそが廉太の狙い――プロリーグ設置委員から外れると言い出したしほを引き止めるために打った博打の一手。それは“設置委員から外れる程度では収まらないほど、徹底抗戦を選ばせるほどしほを怒らせる”こと。
これでしほは大洗の側で、この件に徹底して関わり続けてくれることだろう――その怒りを真っ向から浴びる自分はたまったものではないが、怒りの矛先が自分個人に向いた以上、彼女の設置委員離脱という最悪の事態は回避できるはずだ。
(さて、あとはいかにして話を先に進めるか……)
しほの怒りに気圧されながら、廉太は話をお互いの“着地点”を探る方向に持っていこうと言葉を探り――
「じゃあさ」
そんな怒気の渦巻く空間に、平然と言葉が投げ込まれた。
「大洗の優勝がまぐれじゃない、実力だと証明できればいいんじゃない?」
「霞澄さん?」
「ノンノン、か・す・み・ちゃ・ん♪」
そう、霞澄だ――亜美に対しTPOなど欠片も弁えない呼び方を要求すると、改めて廉太へと向き直った。
「大洗の優勝がまぐれでないなら……しほちゃんの言うところの“目指すべき頂としてのみんなのモチベーション源”だって証明できたなら、しほちゃんの言う通り、高校戦車道界の重大な損失となる大洗の廃校は認められなくなる。
反対に、大洗の優勝がただのまぐれ、本当は取るに足らない木っ端チームだと証明できたなら、そんなチームなくなろうと一向にかまわないってことになる。
いやぁ、わかりやすい状況になったじゃない」
「そ、そうですね……」
霞澄の言葉に、廉太はずり落ちかけた眼鏡を直しながらそう答える。
一方、先の廉太の言葉に激怒したしほも、霞澄の話に多少は怒りが収まったようだ。ふぅと軽く息をつくと、廉太へと口を開いた。
「いいでしょう。
どうすれば認めていただけますか?」
「そんなの、また試合やればいいんじゃないの?」
またもや霞澄があっさりと言い放った。
「『コイツらに勝てたなら文句なしに強いチームだろ』ってぐらいの、どう逆立ちしたってまぐれ勝ちなんて見込めないぐらいの強いチームをコテンパンにブッつぶしてやれば、どこの誰だろうがぐぅの音も出ないでしょ。
どう? 辻さん、どこかそーゆーゲツキヨなチームに心当たりない?」
「は、はぁ……
そこまで強いチームとなると……」
トントン拍子に話を進める霞澄のペースに、廉太はついて行くので精一杯だ。促されるまま少し考え、
「……やはり、大学選抜チームですか」
「………………っ」
廉太の挙げたチームの名にしほが反応したが、霞澄は気づいていないフリをして話の続きを促す。
「強いの?」
「はい。
最近では社会人チームを相手にも連戦連勝。事実上、全年代を通じて国内現役最強チームと言えるのはおそらくあそこでしょう」
「いいね、つぶし甲斐があるわ」
廉太の説明に、霞澄はうんうんとうなずき、
「じゃあ、そこに勝ったら廃校は今度こそ撤回ってことでいいわよね?」
「え?」
「だって、そこに勝つってことは、大洗はつぶすには惜しい価値を持った、正真正銘の強豪チームだと証明されるってことでしょ?」
思わず間の抜けた声を上げた廉太に対し、霞澄は当然のようにそう返す。
「あ、そうそう。
覚書、ちゃんと交わしとかないとね――ウワサじゃ、お役人の間じゃ口約束は証明できないから約束とは認められないらしいから」
言いながら、カバンから取り出した真っ白な紙を差し出す。廉太も思わずそれを受け取って――
(…………ん?)
気づいた。
紙に凹みが――ペンのように先の細い棒か何かで、あらかじめ紙の表面に凹みがつけられている。
まるで、この上にもう一枚置かれていた紙に文を書いた際の痕跡のように。
単純に考えれば、上の紙に書き込んだ、その痕跡であろうが――
(私へのメッセージ……?)
その“単純な発想”に反してそう考えた根拠は、手触りとわずかな影でなんとか読み取ったその内容。
曰く――
身辺にはくれぐれも気をつけて
(……なるほど、そういうことか)
おそらく、この“強豪チームとの廃校を賭けた試合をセッティングすること”こそが、この交渉で彼女達の狙った“着地点”。そして、覚書を交わす流れまで見越してこのメッセージをあらかじめ仕込んでいたのだろう。
つまり、自分はまんまと誘導されたということだ。どこまでが誘導でどこまでが素だったのか気になるところだが、今気にかけるべきはメッセージの内容だ。
こんな手の込んだメッセージをあらかじめ仕込んでいたということは――
(彼女達はこの先まで読んでいる、ということか……
つまり、ここまで状況を大きく動かす以上、“黒幕”が直接動く可能性が高いと……)
いったいどこまで読んでいるのか。まったく末恐ろしいことだ――そんなことを考えながら、廉太はメッセージに気づいていないフリを貫きつつ、覚書を交わすためにペンを手に取った。
次回、ガールズ+ブレイカー&パンツァー
第59話「誰だって臨戦態勢で待ってるぜ」
(初版:2020/12/14)