断罪 一
「悪魔降臨」

 


 

 

「いい加減にしろ!」
 その日、とあるラーメン屋で怒号が響いていた。
「何でお前はそうなんだよ!
 そんなやり方、誰が教えたんだよ! いつもいつも、変なことして!」
「別に、変なことなんて……」
「してんだよ! 思いっきり!」
 弁明しようとした青年を、店長は思い切り怒鳴りつけた。
「しかもいくら言っても表情ひとつ変えねぇし……
 お前、本当は反省してないんじゃないのか!?」
「いえ、反省してます……」
「してねぇだろ! してるように見えねぇよ!」
 強く叱られ、青年は弱々しい声でそう答える――だが、その表情は淡々としたものだ。
 そう――本当に淡々としたものだ。反省どころか、トラブルに対し困惑しているのか、それとも店長の剣幕に反感を覚えているのか、その表情からうかがい知ることができないのだ。
「勝手なことするわ、手際は悪いわ、同じ失敗何回も繰り返すわ、オマケに何考えてるかわかんねぇ!
 ハッキリ言って異常だぞ、お前!」
「………………」
 怒りを隠そうともせずに言い放つ店長だが、青年の表情はやはり変わらない。
 だが――そんな青年の態度に、店長はひとつの確信を得ていた。
「……ハッ、あぁ、そうかよ。
 ここまで言われて何も思わないとか……やっぱり“そう”なんだろうな。
 よくもだましてくれたな――この障害者がっ!」
 そう言い放つ店長の言葉からは、明確な敵意が見て取れた。
 仕事ができないとか、人間的に気に入らないとか、そんなレベルではない。もっと根本的なところで、相手のすべてを否定せんばかりの嫌悪感――しかし、それほどの敵意を向けられても、青年の表情に変化はない。
 まるでこの敵意を前にしても何とも思っていないかのようだ。もしくは――そもそも一切気づいていないのか。
「くそっ、人手不足だから多少仕事ができなくても大目に見ようと思ってたけど、まさか障害者を雇ってたなんて、とんだ迷惑だぜ!
 お前らみたいな社会のゴミを雇ってたなんて話が広まったら、ウチの店の評判が下がるだろうが! どうしてくれるんだよ!」
 だが、店長はもう、そんな青年の態度とやかく言うつもりはなかった。
 “昨今の世間の風潮”を考えれば、相手が障害者だとわかった以上、することなどひとつしかないのだから。
 すなわち――











「――出てけっ!」



   ◇



「………………」
 仕事を失った帰り道――すっかり陽も沈んだ夜の街を、青年、家須信長はとぼとぼと自宅への帰路を歩いていた。
「…………“また”、ダメだったか……」
 その口から、力なくつぶやきがもれる――だが、そこに込められた感情は解雇された絶望感ではなかった。
「ま……当たり前の結果なんだけどな……」
 すなわち――“諦め”。
(あぁ、そうさ……
 どうせ、今のご時世、オレ達みたいな障害者を受け入れてくれるところなんて……
 それに……“特にオレは”……)
「…………所詮、オレには居場所なんかないってか……」
 ため息をつき、信長は改めて自宅への道を歩き始めて――

〈――と、いうワケで、今回提出された“障害者特別保護法”なんですが……〉

 不意に聞こえてきた声に顔を上げる――スクランブル交差点の大型街頭モニターで、今日のニュースが放映されている。
〈障害者を集め、専用の居住区に住まわせるというのは、障害者の住む場所を選ぶ権利を侵害している、障害者を隔離しようとしている差別法案だという声もありますが、そのあたりはどうなんでしょうか?〉
〈確かに、現状の案ではそう取られても仕方のないところはありますね〉
 アナウンサーから話を振られて、いかにも弁護士然としたという感じの解説者が答えている――テロップで示されたところによると、大学に籍を置く法律の専門家のようだ。
〈しかし、そういった差別的な運用がされないような予防線は、これからの協議で詰めていけばいいでしょう。
 大事なのは、この法案が“差別”ではなく、あくまで障害者の保護――障害者と健常者の“区別”を目的として提出されたものだということです。
 あの“奪われた三年間”からまだたったの五年。お互いの間には未だに対立感情が根強く残っています。特に、減少傾向にあるとはいえ“健常派”の中の過激な一派による“障害者狩り”が未だなくならないことを考えれば、彼ら障害者をこのまま健常者と同一の社会に住まわせておくことの方が彼らを危険にさらす、彼らを見捨てることになる。そうした意見も少なくありません。
 もう少し――お互いがお互いのことをもっと客観的に見られるようになるまで、生活圏を別にするというのは、決して悪いことではないと思います〉
「………………っ」
 解説者の言葉に、信長の肩がかすかに震えた。
 あれだけ店長から悪意を向けられても少しも動じることのなかった彼が、解説者の話の中にあったある単語に、確かな反応を見せていた。
 その単語とは――
(……“奪われた三年間”……)




   ◇



 今から八年前――日本はそれまでに経験したことのない、まったく新しい種類の困難に直面した。
 ある事件をきっかけに始まった障害者へのバッシングは、当局の対応の失敗がその背を押してしまう形となってしまったこともあって悪化の一途をたどり、それはやがて迫害へとエスカレートしていった。
 さらに、そうした動きに一部の障害者とその支援者らが“同様の方法で”反発してしまったことで迫害は一気に激化。事態は障害者の派閥“障害派”と健常者の派閥“健常派”に別れての、前代未聞の、そして戦後日本始まって以来の、最低にして最悪の対立構造へと発展する。
 情勢はすぐに、数においても身体能力においても優る健常派の側へと傾いた――本来自分達が守るべき立場にある障害派を迫害する健常派のその姿は国際社会から批判を浴び、結果日本の国際的影響力は大きく低下。外交力は失われ、経済的にも大きな損失をこうむることになった。
 三年が過ぎ、発端となった事件の中心人物の死亡が発表され、それをきっかけにようやく対立は終息の兆しを見せるが、その頃にはすでに数百億もの国富が国外に流出し恐慌クラスの不景気に突入。人的被害も直接的な被害者のみでも数万人、間接的被害者も含めればその数十倍は数えるという未曾有の大惨事となっていた。
 日本という国を大きく後退させたその対立は、いつしかこう呼ばれることになる。
 日本の繁栄を奪った三年間の対立。すなわち――



 ――“奪われた三年間”と。



 そして――







 終息から五年が過ぎた今でも、その火種は未だくすぶり続けている。



   ◇



 信長が歩いている区域から少し離れた、繁華街の別の区画――あるビルの屋上に、ひとりの少女の姿があった。
 腰まで届きそうな長い金髪をポニーテールにまとめており、どこにでもいる女の子のようなごくありふれたカジュアルな服装ながらその佇まいには神秘的な何かを感じる。街を歩けば多くの男性が振り向くであろうほどの美少女だ。
 そんな少女の視線は、眼下の繁華街、そのネオンの輝きに向けられていて――
「……きれいな街……
 でも……何だろう……こんなにきれいなのに……どうして心に響いてこないんだろう……」
 繁華街ならではのきらびやかなネオンに一瞬心を奪われる――しかし、少女はすぐにそれが“きれいなだけでしかない”ことに気づいていた。
 客の目を引くため、ただそれだけのためにきれいに飾られたネオン――生きるため、日々の糧を得るのに必死で、何の心も込められていない光を、とても物悲しく感じる。
「これが……今の“人間の世界”……」
 静かにつぶやくと、少女はきびすを返し、無機質な輝きに背を向けた。
「それでも……そこに生きる人がいるなら、守らなきゃ……
 そのために……探さなくちゃ……」



「絶望と、希望を持つ人を……」



   ◇



「ひどいものね……」
 見渡す限り赤、赤、赤……文字通りの“血の海”を前にして、紀律きりつまことはこみ上げてくる吐き気をこらえながらつぶやいた。
 現場はどこにでもある路地裏の一角――そこが壁も地面も血によって真っ赤に染め上げられている。
 人間“だった肉塊”も散乱していたが、そちらはすでに回収され、司法解剖に回されている――もっとも、“解剖できる場所が残っているとも思えなかったが”
「被害者は?」
「遺留品の中に、これが」
 尋ねるまことに対し、同僚の刑事が見せたのは近くの会社のIDだった。血で真っ赤に染まり、きわめて読みづらいが、なんとかその内容を読み取ることができる。
「……なるほど。
 この辺は会社から駅への通り道……帰る途中に襲われたのね。
 ご家族は?」
「奥さんと、先ほど連絡が取れました……」
 『奥さん』。その一言にまことが一瞬口をつぐむ。
「……本人確認、辛いことになりそうね……」
「細切れになった旦那さんとご対面、ですからね……」
「発狂しなきゃいいんだけど……」
 うなずく同僚に同意すると、まことはしばし考え、口を開いた。
「……被害者の傷口、“前の三件と同じ”だったのよね?」
「鑑識の話によると、そうですね」
「……“まるで強靭な糸で締め千切ったような傷”か……」
 つまり、人間の身体を強靭な糸のようなもので締めつけ、その圧力で切断したということらしい。
 前の事件の被害者の解剖結果からもその所見は正しかったことが証明され、一時は軍用の対人殺傷用のワイヤーが凶器と考えられたが、その仮説は早々に否定された。
 まず、いくら相手の殺傷を目的としたワイヤーでも、現行のものでは相手の骨までもを切断するのは容易ではない。むしろ相手の肉体を深々と斬り裂くことで、出血多量による死亡を狙うための武器なのだ。
 「もっと切断力の高いものがどこかで極秘開発されたのでは」などという憶測も出たが、否定要素はもうひとつ――むしろこちらの方が問題だった。
 被害者を締めつけた糸が、“ワイヤーよりもはるかに太かった”ことが確認されたのだ。
 くだんのワイヤーはきわめて細い科学繊維によってできている。加える圧力をより限られた範囲に集中させ、人間の腕力でもより容易に相手の肉体を傷つけることができるようにするためだ。
 だが、一連の事件の被害者達の傷口は、もっと太い繊維によって、すさまじい力で締めつけられていたらしい。
 明らかに人間の腕力では不可能な芸当だ。かと言って、何かしらの機材を運び込み、その力で切断しようにもこの路地裏では狭すぎる。
 そして何より……出血量から考えて、“被害者は生きたまま切断された可能性が高い”ということ。
 薬か何かで眠らされ、その間に殺されたのかとも思われたが、遺体から薬物反応はなかったらしいし、切断時に眠っていたような痕跡も確認されなかった。
 つまり被害者は意識を保ったまま切断された――にも関わらず、悲鳴を聞いたりした者は誰ひとりとしていないと言う。
 自分の身体をバラバラにされて、悲鳴ひとつ上げない人間などいるのだろうか――新たな事実が判明するたびに矛盾が増えていく犯行状況に、まことのみならず同僚の、この事件に関わる刑事達は誰もが首をかしげている状態だ。
 だが――まことは考えていた。
(もし……)
 ありえないことだが――その“ありえない”ただひとつの条件が覆っただけで、この状況にはすべてすんなり筋が通ってしまうと。
(悲鳴ひとつ上げるヒマもないほどの短時間で……それこそ、一瞬で、人間の五体を締めつけ、バラバラにできるほどの……)







(それだけの腕力を持つ存在がいたとしたら……?)



   ◇



「…………んぁ……」
 喪失感の中で眠り、目覚めるのにもすっかり慣れてしまった――もう一月以上も干していないせんべい布団の上で、信長はいつものように目を覚ました。
 身を起こすと、いつもの習慣でカレンダーへと視線を向ける――仕事のシフトで埋まっていたはずの予定がすべて横線で消されているのを見て、昨日の出来事を思い出す。
「……あー……そっか。
 クビになったんだっけ……」
 誰に言うでもなくつぶやくと、これまたいつものように周囲を見回す。
 彼の住まいは古い借家――そこそこ広いが昨今の賃貸住宅事情から考えると快適な住まいとは言いがたく、耐震基準も満たしていなさそうなみすぼらしい平屋建て。
 もっとも、その分家賃は低水準――仕事が安定せず、生活保護によってなんとか食いつないでいる信長がこの近辺で住処を持てる、ギリギリのレベルである。
 ここに移り住んだ当初こそ何かと不自由していたものの、「住めば都」とはよく言ったもの。「ホームレスよりはマシ」とここで暮らすうちにすっかり慣れてしまい、今や何の不自由も感じなくなっていた――仮に収入が安定したとしても、『ここから出ていく』方がよほど面倒に感じられるくらいに。
「……次のバイト、探さないとな……」
 とはいえ、昨今の世論は受給者に対して厳しいものがあるし、信長にだってそれなりに張りたい意地はある。いつまでも生活保護に頼った生活を送りたいワケではないのだ。
 仕事を失ってしまった今、早く次の仕事を見つけなければならない――布団から抜け出し、座卓を前に腰を下ろすと、昨夜、帰りに寄ったスーパーで回収してきたアルバイト情報のフリーペーパーを手に取り、目ぼしい仕事をピックアップしていくが、

『お前みたいなヤツと仲良く仕事なんかできるか!』

 ふと、脳裏をよぎった一言にその手が止まった。
「………………っ」
 だが、すぐに気を取り直し、チェックを再開する――だが、自分の記憶のすみに引っかかっていた、かつて仕事先で実際に突きつけられたその一言は、信長の心に改めて突き刺さっていた。
(……言われなくたって、わかってんだよ……
 オレみたいなヤツが、お前らと仲良くやってけるワケがない……仲良くやっていきたくても、お前らがそれを許さない……)
 働き始めた、出会った当初は友好的だった同僚が、自分に呆れ、嫌悪し、拒絶していく――そんなことは働くようになる前から、まだ学生だった、まだ子供だった頃から数限りなく経験してきた。
 それでも、この性格は治らなかった。治そうとする努力はことごとく失敗に終わった。治そうと協力してくれた人達もみんなさじを投げ、他の人達同様に自分を嫌い、離れていった。
 どうすることもできないまま社会に出て、拒絶されることを繰り返し――彼が「自分と他人は相容れない」という結論に達するまで、大した時間はかからなかった。
 そして、トドメとなったのがあの“奪われた三年間”。あの三年間の間に、自分の身に起きたことを考えれば――
(あぁ、そうさ……
 オレはみんなの中には入れない。みんな、オレを嫌って、オレを排除しようとする……
 味方なんかいやしない……みんな……)







(オレの、“敵”なんだ……)



   ◇



 とりあえず目星をつけた募集先に連絡を入れ、数日後の面接のアポを取りつけた。
 履歴書も悪戦苦闘したもののなんとか書き上げ、後は面接当日を待つばかり――手の空いた信長は、現在街をブラついていた。
 特に用事があるワケではない。あのまま自宅にいてもやれテレビだ、やれ空調だと何かと電気を無駄使いしてしまいがちだ。どうせやらなければならないこともないのだし、払わなくていい電気代を払うくらいなら、あてもなくぶらついていた方がまだマシというのが信長の言い分である。
 とはいえ、ただ歩き回るのも今度は体力の無駄使いだ。図書館にでも行ってヒマをつぶそうかと考えていた信長の横を、小さな男の子がすれ違い、駆けていく。
 やれやれ、お先真っ暗な自分と違って元気なことだと内心でイヤミをもらして――

 パ――――――ッ!

 大きく、耳障りな音が響く――車のクラクションだ。
 何事かと振り向いて――信長は見た。
 先ほどすれ違った男の子が、道路へと飛び出していて――そこに、一台のトラックが突っ込んでいく光景を。
 トラックはすでに急ブレーキをかけているが――おそらく間に合うまい。数秒後には、男の子はトラックにはねられ、無残な姿に変わり果てることだろう。
 そんな未来予想図が脳裏をよぎって――







「――――危ねぇっ!」







 気がついたら、飛び出していた。
 全速力で男の子のもとへと走り、駆け抜けざまに抱え上げ、そのままトラックの前から離れる――とっさに道路へと飛び出した信長は、間一髪で男の子をトラックの進路上から逃がすことに成功していた。
 数メートル先でトラックは停車。こちらに怪我がないのを見て取ったのか、窓を開けて一言怒鳴りつけただけで走り去っていった。
 そんなトラックを、反対車線の歩道まで一気に駆け抜けた信長は男の子を抱えたまま見送って――
「たかし!?」
 声が聞こえたのは、先ほど信長がいた場所からすぐそばにあるコンビニ――その店内から出てきた女性が、こちらを見て驚いている。
 おそらく彼女がこの子の母親で、たかしというのはこの子のことだろう――そうあたりをつける信長だったが、



「うちの子を放しなさいよ!」



 そんな罵声が、“信長に向けて”放たれていた。
「うちの子をどうするつもり!?」
 突然の罵声に顔をしかめる信長だったが、母親はかまいはしない。ずかずかと歩み寄ってくると、信長の腕の中の子供を半ば力ずくで自分の元へと引き寄せる。
「もう大丈夫だからね。
 怖かったでしょう?」
「うん……」
 母親の言葉に、男の子は目に涙を浮かべながらうなずく――男の子にしてみれば「トラックにひかれかかったこと」を言っているのだろうが、その辺りのことを知らない母親は「信長に連れ去られそうになったこと」を言っているのだと信じて疑わなかった。
「もしもし! 警察ですか!?」
 で、あるからこそ、この対応はむしろ自然な流れで――こちらに背を向け、携帯電話で警察へと通報する母親の姿に、信長は心からのため息をもらした。



   ◇



「……今の人……」
 そんな騒ぎを天下の往来でやっていれば、当然誰かの目に触れることは避けられない――信長が巻き込まれた騒動、その一部始終を見ていた者がいた。
 先日、ビルの屋上から夜景を見つめていたあの少女である。
 子供を助けて、しかしその親からは感謝どころか汚名を着せられ――しかし、信長は何ら弁明の声は上げなかった。
 それどころか、まるで何かをあきらめているかのような力のない視線を母親に向けただけで、誤解を解くこともしないままだ。
 まるで――
(拒絶されることを、最初から受け入れていたみたいな……)
 とっさに子供を助けるほどに優しいのに、それでも相手からの感謝を期待できない――そんな信長の人物像の縮図を、少女は垣間見たような気がした。
 そしてそれは――



「ひょっとして、あの人なら……」



 まさに、彼女が探し求めていたものだった。



   ◇



「とうとうやらかしたな、お前」
 母親の通報で駆けつけた警察によって連れてこられた警察署――取調室にて、刑事は開口一番、勝ち誇った顔で信長に向けてそう告げた。
「あの子供を誘拐して、身代金でもふんだくろうとか思ったんだろうが、そんなのうまくいくワケないだろうが」
「………………」
 いったい何がどうなってそういう結論になっているのか、ぜひ聞き返したいところだが、信長はその言葉を発することなく呑み込んだ。
 相手はこちらを“そういう”前提でしか見ていない。聞き返したところで口答えとしか見ないだろう。ただ相手の機嫌を損ねて事態が悪化するだけだ。
 それに――
「いい歳して定職にもつかずフラフラして、仕事を見つけたと思ったら問題を起こしてばかり。
 金のあてと言えば生活保護くらい。家があるだけであとは浮浪者同然。あげくの果てに“障害者ときた”」
(そら来た)
 聞いてもいないのに、相手の方から(見当違いの)推理の根拠をベラベラとしゃべってくれた。
「ゴミの中のゴミのお前だ。いつか金に困って何かやらかすだろうと見てたオレの目に狂いはなかったな」
 まぁ、相手がそう思うのも無理はないとも思うが――単に彼らが障害者をさげすむ“健常派”だからというだけの話ではない。実際に彼らの言う『問題』によって信長が警察ここの厄介になったのは一度や二度ではきかないのだから。
(結局、こうなるんだよな……)
 誰かを助けても、手助けしてあげても、結局最後は自分が拒絶されて終わる。
 いや、それで終わればまだいい方。今回のように警察沙汰にまで事態が悪化したことも決して少なくない――今までにも何度も経験してきた流れに内心でため息をもらす。
(ったく、こうなるのがわかってるのに、なんで……
 いったい何度同じ目にあえばわかるんだろうね、オレは)
 そして、愚痴の矛先は何度も経験している“トラブル”をまたしても繰り返してしまった自分へと向いた――それで何度ひどい目にあわされたかわからないというのに、少しも学んでいない自分の学習能力のなさがイヤになる。
 もちろん、あそこで子供を見捨てた方がよかったなどとは思っていない。思っていないが――それで助けた自分が誘拐(未遂)犯に仕立て上げられていてはたまったものではない。
 どうするのがあの場での最善だったのか、いくら考えても信長には何も思いつかなくて――
「おい、聞いてるのか!?」
 そんなふうに自分の思考にふけっていたのが気に障ったのか、刑事は若干苛立ちの混じった声で信長の胸倉をつかんできた。
「どうせまた今回もうまく言い逃れようって魂胆だろうが、そうはいかないぞ。
 今度こそ刑務所にぶち込んでやるからな。お前みたいなクズが、いつまでもお天道様の下で大手を振っていられると思ったら大間違いだぞ」
「はぁ」
「『はぁ』……?
 何だお前、その態度は!」
 とりあえず相槌を打ってみたが、それは相手の神経を逆なでするだけの結果に終わったようだ。
 あぁ、これはまた罵倒の嵐が始まるな……“予想”ではなく今までの経験に基づく“予測”によってこの先の展開を確信する信長だったが、







「――――――信長くんっ!」







 突然のドアが開く音と同時、彼の名が呼ばれた。
「よかった……
 まだ、キレさせてなかったみたいね」
 取調べの刑事が自分の登場に呆気に取られている――逆上していない姿を見て、思わず安堵のため息をつくその乱入者は――
「確認が取れたわ。
 あなたの証言の通り、あの男の子、トラックにひかれそうになったところをあなたが助けたそうね? ひきそうになったトラックを見つけて、証言が取れたそうよ」
「はぁ!?
 紀律、どういうことだ!?」
「彼は無実。疑いは晴れた――そう言ってるんです。
 彼を釈放します――文句はないですね?」
 彼にとって予想だにしなかったその展開は、今度こそ信長を刑務所行きにできるとほくそ笑んでいた刑事にとっては不本意極まるものだった――思わず声を荒らげるが、そんな彼に対し、まことは釘を刺すかのように強い口調でそう告げた。



   ◇



 一方、信長の姿に何かを見出したあの少女はというと……
「あ、あれ……?」
 思いっきり、信長を見失っていた。
 信長がパトカーで連行されるのを走って追いかけたのだが、そこは所詮生身の足。車に追いつけるはずもなく、あっけなくその行方を見失っていた。
 とはいえ、パトカーが走り去っていった方向はわかっていた。その方向へと進み続けていた甲斐もあって、警察署の近くまでは来れていた。実は通りを二本ほど隔てた、その程度しか離れていない位置にいるのだが――その二本の通りが、この街の地理に詳しくない彼女には致命的だった。
 周囲は住宅街と市街地の境目、といった感じだ。周りの街並みは住宅や小規模店舗、それほど高くないビルが入り混じっており、もう少し進めば、周りは完全にビルばかりになるだろう。
「せっかく、いい人を見つけたのに……
 あの人だったら、きっと……」
 つぶやき、少女は腰のポーチに手を触れる――そこに入っている“あるもの”の存在を確かめるように。
「絶対に、見つけなきゃ……」
 気を取り直し、そうつぶやいた少女は再び歩き出し――



「きゃ――」



「………………?」
 彼女の耳は確かに捉えた。
 一瞬、いや、『一瞬』にも満たなかったかもしれないわずかな刹那――しかし、確かに上がった悲鳴を。
 その正体を確かめるよりも早く、今度は液体をぶちまけるような音が――おそらく同じところから聞こえたとあたりをつけ、少女は音のした方へと振り向いた。
 見たところ人の姿はない。だが、少女は確信した。
 人はいる……いや、“いた”と。
 なぜなら、振り向いた先の、ビルとビルにはさまれた路地裏。その奥から――真っ赤な液体が流れ出てきているのだから。
「――――まさか!?」
 イヤな予感が彼女の中でふくれ上がる。とっさに駆け出し、赤い液体の出所へと走る。
 ビルに駆け寄り、路地裏を除き込んで――
「………………っ」
 一瞬にして強烈な吐き気をもよおした。胃の中身が逆流しそうになり、思わず口を押さえる。
 だが彼女がそんな反応をしてしまうのもムリはない――それほどまでに、それは凄惨な光景だった。
 路地裏一帯が返り血で真っ赤に染まり、かつて人間だったバラバラの肉片が無数に散らばっている。
 肉片それぞれからは未だ中に残る血がもれ出し続けている。ついさっきまで、“この肉片の元になった人物”が五体満足でいた証拠だ。
 それが一瞬にしてバラバラにされ、飛び散った鮮血が周囲を真っ赤に染め上げ、この惨状を描き出した――それはまさに警察が、まこと達が追っている連続殺人事件の現場そのものだった。
 だが――少女には確信があった。
 こんなことが可能な存在に、心当たりがあった。
 それは――
「……“クライマー”……」
 ポツリ、と少女がつぶやいて――



「ほぉ……」



 そんな彼女の頭上から声がした。驚き、少女が見上げて――



「お前……オレ達のこと知ってんのか」



 そこには、巨大なクモの巣の上に立つ、背中に四本二対の触腕を持った怪人の姿があった。



   ◇



「そう……災難だったわね……」
 まことの口ぞえによって、信長は無事取調べから解放された――警察署を後にして、近くの公園でベンチに腰かけ、(ものすごく渋っている)信長から改めて事情を聞き、まことは苦笑まじりにつぶやく。
「本当に、よく誤解されるわよね……
 何度も何度も、いろんなところでいろんなトラブルを起こしたり巻き込まれたり……」
「好きでやってるワケじゃねぇよ……」
 まことの言葉に、信長は視線を合わせることもなく、うつむいたままそう答えた。
「オレは何もやってねぇのに、周りが勝手に人を犯罪者だの変質者だのに仕立て上げるんだろうが……
 いくらオレがアタマのネジのすっ飛んだタイプの障害者だからって、イコール犯罪者扱いだ。たまったもんじゃねぇ」
「それは、キミの行動が怪しく見えるからなんじゃないの?
 もっと普通に、他の人と同じようにしていれば、そんなこともないと思うんだけど」
「それができりゃ苦労しねぇよ」
 機嫌を損ねたのか、信長の声のトーンがわずかに下がった。
「オレは普通にしてるさ……少なくとも、『普通じゃない』と思うようなことは一切やっちゃいない。
 なのに『普通だ』って言われない。これ以上、いったいどうすれば“普通”になるのか、オレにはもう皆目見当もつかねぇよ」
 まことをにらみつけ、そう告げると、信長は足元へと視線を落とし、
「今さら、オレがアンタらの言うところの“普通”にはなれねぇよ。
 あんたも知ってるだろ……オレが“こんな”なせいで、“何が起きたのか”」
「………………っ」
 信長の言葉に、まことは反論しようと口を開きかけ――しかし、言うべき言葉が見つからず、そこから先につながらない。
 仕事柄、根性の捻じ曲がった人間には何人もお目にかかってきた。人を傷つけても何とも思わず、ただ自分の欲望のままに振る舞う者達――
 しかし、信長はそんな彼らとは明らかに違った。一切の悪意もなく、欲望に流されるワケでもなく……にも関わらず、周りからは疎まれ、拒絶され、否定されている。
 そして、信長はそんな自分を自覚している。自分の異常性を認識しながら、打開策を見出せず、どうすることもできず……結果何も改善できず、同じようなトラブルを繰り返してはその度に傷つき続けている。
 今回子供を助けたように、本来は誰かのために動くことのできる、優しい心の持ち主だというのに……そんな優しい人間が、どうしてこうなってしまうのか、まことには理解できなかった。
「……話は終わりか?
 なら行くぜ。別に忙しいワケじゃないけど……誰かと話してるってのは、オレにとってメチャクチャ負担なんだよ」
「ち、ちょっと!」
 自分がどう答えたらいいか困っているのを、彼は「話が終わった」と解釈したらしい。立ち上がる信長に対して、まことが声を上げて――







「キャアァァァァァッ!」







『――――――っ!?』
 悲鳴が響いた。
 信長が驚いて顔を上げ、まことの顔が刑事としてのそれに切り替わる。反射と使命感、それぞれの理由から二人は同時に悲鳴の上がった方へと振り向いて――
「――ぐぅっ!?」
 放物線を描いて飛ばされてきたひとりの少女が、信長に衝突した。
 振り向いたところに正面から飛び込まれ、図らずも真っ向から受け止める形になった信長が、勢いに負けて後ろにひっくり返る――少女を受け止めた関係から両手で頭を守ることもできず、後頭部を地面にしたたかにぶつけてしまう。
「だ、大丈夫!?」
「あ、あぁ……」
 あわてて駆け寄ってくるまことに答えて、信長は自分の腕の中の少女を見て、
「あちこちすりむいてるけど、大きなケガはねぇよ……見た感じだけど」
(……“頭を打ったキミが”『大丈夫か』って聞いたんだけどね……)
 「自分が心配されている」という可能性を根こそぎすっ飛ばし、ノータイムで「少女の方を心配している」と解釈した信長の姿に、まことは内心で苦笑する。
「けど、いったい何が……」
 しかし、まことはすぐに刑事として状況把握へと思考をめぐらせる――いくら女の子と言っても、人ひとりが放物線を描いて飛ばされてくるなど、並大抵の力によるものとは思えない。
 車にはねられたにしても、ここは公園。周りの物音はよくわかる――エンジン音も、ブレーキ音も、少女がはねられたような衝撃音もしなかった。
 そして何より、車にはねられてここまで飛ばされてきたにしては、少女にケガがなすぎる。
 本当に、少女の身にいったい何があったのか――



「あーあ、また目撃者かよ」



 と、そんな信長達に向けられた新たな声――振り向く信長とまことだったが、そこにいた存在を目の当たりにして言葉を失った。
 “体格だけを見るなら”人間だ――しかし、“それ”は明らかに人間ではなかった。
 全身が真っ黒な外骨格のようなもので覆われ、その顔には左右に開閉する牙をそなえた口、目もまるで昆虫の複眼のように見える。
 そして、背中には四本二対の触腕――両の手足を含めれば、八本の手足とも解釈できる。
 そう、それはまるで……
「クモの……怪物……!?」
 信長が呆然とつぶやき――怪物が“笑った”ような気がした。
 その怪物が、こちらに向けて一歩を踏み出す――その動きに、まことが我に返った。異様な存在を前に迷うことなく拳銃を抜き、かまえる。
「止まりなさい!
 あなた……いったい何者!? その格好は何!?」
「『格好』……?
 ……あぁ、この“身体”か。けっこうイカすだろう?」
 拳銃をかまえて威嚇するまことだが、怪物は銃口を向けられてもなお平然としている。
「それに便利でもあるしな。
 おかげで楽しくやらせてもらってるよ……こんな風にな!」
 告げると同時、怪物が差し出した右手から何かが放たれる――それが糸のようなものだと認識するよりも早く、まことはその場から飛びのいていた。
 しかも、ただ飛びのいただけではない。糸に対する楯にするように、とっさに歩道中央の立ち木の影に飛び込むように転がりながら――結果、糸は真っ先に立ち木へと巻きつき、さらにその先へと飛んだ糸が、行く手にあった公園の外灯に巻きつく。
 ちょうど、外灯と怪物の間に張られた糸に立ち木が絡め取られた格好だ――と、怪物が思い切り糸を引っぱった。自身に巻きつく糸にしめつけられ、立ち木は一瞬にしてバラバラに粉砕された。
 そう――“糸のようなものにしめつけられて”
「これは……!?
 まさか、最近の連続殺人はあなたが!?」
「あぁ、なんだ……拳銃なんか持ってたから、ひょっとしたらとは思ってたけど、アンタやっぱり警察のヤツかよ!?」
 まことに答えて、怪物が突っ込んでくる――力任せに振り下ろされた拳をまことがかわし、拳は地面に深々とめり込む。
「ちょうどいいぜ……
 何しろ、オレは“お前らのせいで死んだ”んだからな……仕返し、させてもらうぜ!」
「え…………!?」
 怪物の言葉に、思わず動きが止まる――そこへ怪物が襲いかかり、我に返ったまことはなんとか紙一重で怪物の攻撃をかわすが、
「逃がすかよ!」
 怪物は背中から伸びる触腕、その内の一本でまことを跳ね飛ばした。外灯に激突し、気を失ったまことがその場に崩れ落ちる。
「とどめだ……っ!」
 そんなまことの姿に明らかに悦楽を感じさせる声色で宣告。怪物が倒れ伏す彼女へと駆け出して――
「ダメぇっ!」
 そんな怪物の背後に飛びつき、制止を試みた者がいた。
 先ほど吹っ飛ばされてきて、信長に受け止められたあの少女だ。
「てめぇっ!?
 まだ生きてやがったのか!?」
 そんな彼女の登場に驚き、しかし怪物はすぐに彼女を振り払いにかかった。振りほどかれ、たたらを踏む少女を裏拳の一発で吹っ飛ばす。
「きゃあっ!?」
「お、おいっ!?」
 そして、吹っ飛ばされた少女は、事態についていけず、一歩も動けずにいた信長の足元へと転がってくる――さすがに我に返り、少女に駆け寄る信長だったが、
「どいてろ、野次馬!」
 そんな信長に言い放ち、怪物が突っ込んでくる――少女にトドメを刺すつもりなのだろう。
 四本の触腕、そのすべてに備えられた爪で少女を狙い――



 地面に突き立てた。



 突然、その場から少女の姿が消えたのだ――結果、標的を見失った爪はすべて、少女が倒れていたその場の地面へと突き刺さる。
「………………」
 もっとも、そんなものは怪物には何のトラブルにもなりはしない――あっさりと爪を引き抜き、尋ねる。
「………………おい。
 オレ……お前に『どいてろ』って言ったよな?」
「あぁ……言ったな」
 尋ねる怪物に対し、信長は淡々と答えた。
 “その手に、間一髪で救い出した少女を抱きかかえて”
「だから、どいてやったじゃねぇかよ。
 まぁ……“ちょいとばかり、オマケもかっさらっていったけどな”
「へぇ……言うじゃねぇか」
 そう。信長は怪物に言われた通り素直にどいたのだ――ただし、少女を彼(?)の爪から救い出した上で。
「何でそいつを助けるんだよ?
 てめぇ、そいつの知り合いか何かか?」
「んにゃ。
 別に知り合いでも何でもねぇし、どこでどうなろうが知ったことじゃ……」
 あっさりと怪物に答え――信長は動きを止めた。
 時間にして数秒、軽く首をかしげて考え込み、怪物へと視線を戻して――
「……そういえば、ホント、マジで、なんでオレ、コイツ助けたんだ?」
「知るかっ!」
 尋ねた質問は一蹴された。
「だよなぁ……
 あぁ……ホント、どうしてわざわざ助けたりしてんだ、オレ……
 おかげでどう考えても厄介なことになってるし……これだから他人に関わるのはイヤなんだっ!」
 延々と愚痴をこぼしながら――ただし、少女を突き放したりしないまま、なぜ自分が少女を助けたのか本気で理解できない信長が頭を抱えるが、
(やっぱり、そうだ……)
 そんな信長の反応は、少女の中である“期待”を確かなものへと変えていた。
(この人……今どうして私を助けてくれたのか……本当にわかってない。
 あの子供を助けた時と同じだ……頭で考えるまでもなく、自然に誰かを助けるために走れる人なんだ……)
 そんな彼の本質と、あのコンビニの前で見た彼を取り巻く“現状”が、彼女にある確信をもたらす。
(周りから拒絶されて、誰も信じられなくなっていて……けど、それでも誰かのために動くことができる人……
 この人なら……っ!)
「あ、あのっ!」
 そして、確信を得たからこそ――少女は信長に声をかけた。
「あの、私……ブレスっていいます……
 そしてアイツは、“クライマー”と呼ばれる魔物です」
「“クライマー”……?
 それに、魔物って……」
「はい」
 彼女の言葉を反芻する信長にうなずき、ブレスと名乗った少女は改めて怪物を――クライマーをにらみつけた。
「あれはスパイダークライマー。つまり、クモを媒介にしたクライマーで……」
「ンなことがわかっても、何の気休めにもならないけどな。
 アイツのことがわかっても、アイツを何とかできなきゃ二人とも……いや、まことちゃんも含めて三人か。オレ達みんな、アイツに殺されて終わりだろ」
 ブレスの説明に、ため息まじりに信長が答えるが――
「いえ……」



「アイツを……倒せます」



 そんな信長に、ブレスはハッキリと言い切った。
「クライマーを倒すことができるものを……私、持ってるんです」
「だったらそれで!」
「けど……私には使えないんです」
「意味ないじゃねぇか!」
「えぇ。
 だから……」











「あなたが使ってください」











「………………え?」
 ブレスの言葉に、思わず目がテンになる――そんな信長に、ブレスは腰のポシェットからそれを取り出した。
 片手で何とか握れる、くらいの大きさの、何かの装飾品のようだが――迷わずそれを信長の腰に押し当てると、装飾品の右側面からベルトが伸びた。そのまま信長の腰に巻かれ、装飾品をバックルとしたベルトへと姿を変える。
 よく見ると、装飾品の真ん中には縦長のくぼみがある。まるで、そこに何かをはめ込むかのように……
「あと、これを左手に」
 続いて、少女は腕輪のような、腕時計のような……そんな新たな装飾品を取り出した。
 バックルが大きすぎて、まるで別の装飾品のように見えたベルトと同じだ。腕時計で言えば本体にあたる部分が一般的なそれよりも一回り、いや二回りほど大きく、細長いそれを信長の左手に取りつけ、
「そして……これを」
 今度は、懐から小さな、結晶のようなものでできた何かのプレートを取り出した。
 大きさは五百円硬貨と同じくらい。腕時計状の装飾品のフタを開き、それを内部に納めてフタを閉じて――
《ルシフェル!》
 腕の装飾品から音声が発せられた。発せられたが――
(……“ルシフェル”……?)
 それは、ファンタジー系の物語の中で時折聞く堕天使――悪魔の名だ。眉をひそめる信長をよそに、ブレスはプレートをセットした腕の装飾品、その本体をバンドから取り外し、
「これをベルトのバックルに……中央のくぼみにはめ込んでください!
 そうすればあなたは、“ギルティ”に変身できます!」
「ぎ、ギルティ? 変身?」
「いいから早くっ!」
 詳しく聞きたかったが、ブレスに急かされ、押し切られる――腕の装飾品の本体を手渡され、信長はスパイダークライマーの前へと押し出される。
「ほら、早く変身しないと殺されちゃいますよ!」
「あー、もうっ!
 こうなったらどうにでもなれだぁっ!」
 ブレスの言葉が最後の一押しとなった。半ばやけくそになって、信長が手に握る腕の装飾品をベルトのバックルに叩きつけるようにはめ込――



 ――――ガキッ!



 ――めなかった。
「…………あ、あれ?」
「え…………?」
 予想外の事態に、信長の、そしてブレスの目がテンになり――
「――って、向き! 向き!
 縦向きのくぼみに横向きに入れようとしてどうするんですか!」
「え?……あ、あれっ!?」
 気づいたブレスの指摘に、信長もようやく自分のミスに気づいた。あわてて正しい向きでセットしようとするが、
「させるかぁっ!」
「どわぁっ!?」
「きゃあっ!?」
 襲いかかってきたスパイダークライマーの爪を、二人はあわてて回避する。
「何するつもりなのかと思って見ていれば、結局くだらねぇコントかよ!?
 もういいや……お前ら全員殺してやるよ。そっちの方がおもしろそうだ」
「………………っ」
 標的を逃し、地面に突き刺さった爪を引き抜きながらスパイダークライマーが告げる――狂気に満ちた視線を向けられ、信長の背筋を怖気が走る。
(このままじゃ……殺される……っ!)
 ヘビににらまれたカエルとはまさにこのことか――捕食動物にロックオンされた被捕食者の気分を存分に味わい、信長は自分の“死”を確信する。
 そう。確信するが――
(……冗談じゃねぇ……っ!)
「冗談じゃねぇぞ……っ!」
 “確信する”のと、“それを受け入れる”のとは別問題だ。
 こんなところで殺されるなんて、納得できるワケがない――その一心で、信長はスパイダークライマーをにらみつけた。
「ふざけんな……
 殺されてたまるかよ……こんなところで、死んでたまるかよ……っ!」
 両足を大きく開いてしっかりと踏んばると、腕時計のような装飾品、その本体を握る右手を大きく後ろに振りかぶる――そして、叫ぶ。











「変身っ!」











 宣言と同時、右手の装飾品を今度こそベルトのバックルに、叩きつけるようにはめ込んだ。
 ベルト側の仕掛けによって、装飾品をはめ込んだバックルの中央部分が90度回転、装飾品が横向きになる形で完全にセットされる。
 そして――







 “力”が巻き起こった。







 ベルトから放たれた漆黒の光――否、“闇”が渦を巻き、信長の全身を包み込んでいく。
《ルゥゥゥゥゥ、シッ! フェエェェェェェゥルッ!》
 渦の中、信長のベルトからやたらとテンションの高い音声が発せられると、それに伴い、渦が内側から弾け飛ぶ。
 一連の流れに巻き込まれ、舞い上がっていた土煙が少しずつ晴れていく――その中から、“それ”はゆっくりと進み出てきた。
 漆黒のスキンスーツに、黒と赤を基本色に配色されたプロテクター。
 プロテクターのデザインは禍々しい曲線によって描き出されており、スキンスーツの漆黒に映える、白銀の縁取りがされている。
 頭をすっぽりと覆った仮面は口元に呼吸用のスリットを備え、ゴーグル部分は真ん中に仕切りが入って左右に分けられているが、視野自体は仮面の左右、上方までかなり広めに確保されている。このゴーグルも、まるで翼を広げたコウモリのように鋭角と曲線の組み合わさったデザインで、全身のプロテクターと合わせてかなり禍々しい印象を見る者に与えている。
 そう。ベルトや腕の装飾品が発した、『ルシフェル』というコールを象徴するかのように、その姿はまさしく“悪魔的”なそれであった。
 さらに、背中の部分、肩甲骨周辺を守るように配されていたプロテクターから翼が“生えた”。コウモリのそれのような、骨組みと翼膜によって構成された翼が、その姿の悪魔的印象をますます強くしている。
 まるでその存在を誇示するかのように一度だけ羽ばたき、周囲の土煙を吹き飛ばす――と、視界を晴らすためだけに出したのか、すぐに翼を収納する。翼が収納されたのを待っていたかのように、変身した信長はスパイダークライマーを指さした。
 そして――告げる。
「……覚悟を決めろ」











「断罪の時間だ」


次回予告

〔壊セ……奪エ……殺セ……!〕
「ガァァァァァッ!」
「そんな……暴走……っ!?」



「他人がどうなろうが知ったこっちゃねぇよ」



「オレは、オレのためにしか動かねぇ……そう、決めたんだ」



「私はブレス……天使、ブレスです」
「………………家須……信長だ」



断罪 二「断罪者ギルティ」



「覚悟を決めろ……断罪の時間だ」


 

(初版:2014/07/04)