ピンポーンッ。
 ボタンを押し、聞こえるのはおなじみの呼び出し音――玄関の呼び鈴を鳴らし、ブレスは家主の登場を待つ。

 ………………

「………………?」
 しかし、少し待ってみても家主からの反応はない。試しにもう一度呼び鈴を鳴らしてみるが、やはり反応はない。
 ひょっとしたら出かけているのか――そう思い、気配を探ってみる。意識を広げ、周囲の“命”を感じ取る。
 ――家の中に反応がひとつ。やはり在宅で間違いはなさそうだ。
 ではなぜ鳴らした呼び鈴に反応しないのか。昼寝でもしているのかと一瞬考えるが、この家主の場合もっとあり得そうな可能性がもうひとつ。
「まさか、居留守……?」
 もしそうなら決して愉快な話ではない。ぷぅと可愛らしく頬をふくらませると、ブレスは自らの身体を“故郷”でのそれに変換。この世界の物理法則から解き放たれたその身体で、玄関のガラス戸をすり抜ける。
「信長さーん……?」
 また強引に入ってきたことを咎められるだろうが、こっちだって引き下がるワケにはいかない。家主の名を呼びながら、ブレスは居間をのぞき込んで――
「……って、どうしたんですか? 深刻そうな顔して」
「帰れ」
 その家の家主たる信長は、何やら余裕のまったく感じられない真剣な表情で机の上に広げた誌面をにらみつけていた。
「こっちはお前の相手をしてる場合じゃないんだ。
 わかったらとっとと消えろ」
「………………?」
 本当に相手をしてる場合じゃないのか、拒絶は言葉だけのもので、先日のように追い出しにかかることすらしてこない。不思議に思って、ブレスは信長の見ている誌面をのぞき込む。
 信長が見ていたもの、それは――
「仕事の面接落ちたから、次探さなきゃならねぇんだよ、こっちは」
 無料のアルバイト情報誌だった。

 

 


 

断罪 三
「悪魔の職探し」

 


 

 

「えっと……
 確かに私達は“天使”を名乗っていますし、この世界を古くから見守り続けてきましたけど、実際にはただ単純に“そういう種族”というだけで、この世界の人達が宗教の中でイメージしているような神様の遣いなんかじゃないんです」
 根をつめていても焦りで集中を乱すだけ――そう主張するブレスによってアルバイト情報誌を取り上げられ、半ば無理矢理設けられた休憩の席。
 「ちょうどいいから、私の話をさせてもらいますね」と前置きして、ブレスは自分達について信長に説明を始めていた。
「だから、『見守っている』というのも本当に見守っているだけで……宗教の教えの中で語られているような奇跡の力があるワケでもありません。
 信長さん達から見て超常の力に見えるような力も、私達が生態として持っているもの……鳥が空を飛べる、魚が水中で呼吸ができる、そういったものと同じようなものなんです。ただ、信長さん達地上の人間より、ほんの少しだけできることが多いだけなんです。
 だから、できないことだってたくさんあります。正真正銘の天変地異を前に、救えず、取りこぼしてきた命もたくさんあります……それでも、私達はこの地上の人達を隣人として想い、力になるためにできる限りのことをしてきました」
「へぇ……そりゃ大したもんだ」
 そんなブレスに対し、信長は興味を示し――てはいなかった。スキ有りと手を伸ばすが、ブレスはそんな信長の手から情報誌をヒョイと退避させる。
 もうこれで五度目の攻防だ。さすがに(この場は)あきらめたのか、憮然とした表情で頬杖をつき直す信長の姿に、ブレスは軽くため息をつき、続ける。
「ですが……言い伝え通りの部分もあります。
 ただし、不名誉な部分で……すなわち、私達の中から悪の道に走り、地上、つまりこの世界へと“堕天”してくる者達がいる、ということ……
 みなさんの言うところの、“悪魔”にあたる者達のことです」
 言って、ブレスは机の上にギルティドライバーを置き、
「この“ギルティシステム”は、そうした悪魔に対抗するために作られたんです。
 悪魔を封印したデモンズタリスマンからその悪魔の力を引き出し、他の悪魔と戦うための力に変える――“毒を以て毒を制す”システム……
 信長さんが最初に変身した時、暴走してしまったのは、その悪魔の持つ邪悪な側面に……力と一緒に流れ出し、信長さんに流し込まれてしまった悪魔達の邪悪な衝動に引きずられてしまったからなんです」
 ブレスの話にその時のことを思い出したのか、信長は軽く顔をしかめて――何か気づいたらしく、ブレスへと視線を戻し、
「おい、だったら二回目の時には何ともなかったのは何だったんだ?」
「それは、信長さんがあのクライマーに対して、強い悪意を抱いていたからです」
 今まで散々こちらを邪険にしてきた信長にしてはずいぶんと積極的な反応だ。自分の身に関わることなだけに、突っ張るばかりではダメだと判断したのだろう――そんなことを思いながら、ブレスはそう答えた。
「今お話ししたように、ギルティシステムは悪魔の力を行使するものです。
 そして、悪魔の力であることから、その力は使うものの悪意に強く働きかけてしまうんです。
 その影響から逃れるには、悪魔の力がもたらす破壊衝動をはねのけるほどの強い意志が必要となるんですけど……ギルティシステムはその『強い意志』について、悪意によって成すことを想定しているんです」
「悪意を……?
 でも、悪魔の力の干渉を受けるんじゃ……?」
「えぇ、その通りです」
 それはきっと、信長でなくとも誰もが抱くだろう疑問――故に、最初から信長のその問い返しを想定していたブレスはあわてることもなくそう答えた。
「しかしそれでも、ギルティシステムは使用者の悪意によって悪魔の干渉をはねのけることを前提としています。
 その理由は、私よりも信長さんの方が、実感として理解しているはずですけど」
「オレの方が……?」
「はい。
 もちろん、正しき心で悪魔の誘惑を打ち破れるような人が見つかってくれれば、それに越したことはありませんし、ギルティシステムはそうした方による運用もまた並行して想定されています。
 ですが……信長さん、想像してみてください。
 悪魔の誘惑に惑わされないほどの正しい心の持ち主と、悪魔の誘惑なんて簡単に振り切れるほどの悪意を持った人――“今のこの国で、どちらがより見つけやすいか”と」
「圧倒的に後者だな。考えるまでもねぇよ」
 一切の迷いのない即答であった。
「だからこそ、ギルティシステムは悪意による運用を想定しています。
 悪魔のそれすら上回る悪意によって悪魔の誘惑をはねのけ、己が悪意に巻き込み、飲み込んでしまう――それができたからこそ、先日の戦いで信長さんは暴走することなくスパイダークライマーと戦うことができたんです」
 ブレスの説明に、信長は先日の戦いのことを思い出した。
 あの時、とにかく戦え、とにかく破壊しろという誘惑を自分ははねのけた――そんなことよりも、ただただあのスパイダークライマーを殺したくてしょうがなかったから。
 なるほど、ブレスやギルティシステムを作った連中が求めていたのはアレかと、実体験によって理解する。すなわち、悪意の域に達するほどの悪に対する憎しみによって、ギルティシステムの力の矛先を悪へと向ける――そんな“結果論の正義”を彼女達は求めていたのだろう。
 だが――
「わからねぇな」
「え? 今の説明わからなかったですか?
 えっと、じゃあなんて説明すれば……」
「そこじゃねぇよ」
 自分のつぶやきにあわてるブレスにあっさりと告げ、続ける。
「あの時、オレがギルティの力であのクモ野郎と戦ったのは、あの場にいたヤツらの中でアイツが一番憎かったから……なんだろ?
 けどよ……もしあそこに、クモ野郎よりも憎いヤツがいたらどうなってた?」
「え…………?
 そ、それは……」
「断言したっていい。もしそうなっていたら、オレは間違いなく、クモ野郎じゃなくてそいつにギルティの力を使ってた」
 信長の言葉に、ブレスの表情が曇る――こちらの言いたいことを察したのだろう。
 そう。結果論はあくまで結果ありきのものだ。ものあの時の結果が彼女達の望むものと違っていたとしたら……
「お前らの言っていることはギャンブルと同じだ。ヤツらと戦う時、オレがヤツらを一番憎んでいたり、悪魔どもの誘惑とやらを無視できるほどヤツらを憎んでるって保証はどこにもねぇ。
 システム、仕組みとして見るなら、不安定もいいところだ――だからこそわからねぇ。
 そんな、あてになるかどうかもわからねぇシロモノでも戦力として引っ張り出さなきゃならねぇ、お前らにそこまでさせる理由は何だ?」
「……案外、見てるところは見てるんですね。
 警察署でさんざん“頭のおかしい人”扱いされていたから、てっきりその辺りについても説明しなきゃいけないのかと思っていたのに、まさか信長さんの方からツッコんでくるなんて……」
「“頭がおかしい”のと“頭が悪い”のとは似てるようで違うんだよ」
 割と気にしているポイントだったらしい。ブレスの言葉に、信長は心外だとばかりにムッとして答える。
 改めて話してみると今まで見られなかった信長の一面が次々に出てきて、何だか楽しくなってきたブレスだったが、そんなブレスに信長が改めて尋ねる。
「で? 理由は何だよ?
 今の口ぶりだと、説明する気は最初からあったんだろ?」
「はい。
 何しろ、それこそが私が地上に派遣されてきた理由そのものなんですから」
 そう答え、ブレスは息をつき、気を引き締め直した上で続けた。
「今……この地上において、各地の悪魔達が手を結びつつあります。
 それぞれの欲望によって地上に堕天し、それぞれの欲望に基づいて活動していた彼らが、ここに来て互いに合流してコミュニティを拡大し、ひとつの勢力としてまとまり始めたんです。
 彼らは我々に対して地上での活動を宣言。そのための力の誇示として、クライマーを生み出して破壊発動をさせると言ってきました」
「あのクモ野郎は、その悪魔どもの作った兵隊のひとりだった……ってワケか」
「そうです。
 彼らが最終的に何を目的としているのかはわかりません。おそらく、力を見せつけた上で、優位な立場で交渉するつもりなんだと私達の“上”は考えてますけど……
 ただ、彼らは自分達のコミュニティのことをこう名乗っていました」



「“悪魔の国の住人”――デモニアン、と」



    ◇



 信長が、ブレスからギルティシステムについて説明を受けていたのとほぼ同時刻。
「がぁあぁぁぁぁぁっ!?」
 先の“奪われた三年間”の混乱によって荒れ果て、その後何のフォローもないまま打ち捨てられた廃ビル。
 その一室にて、男の悲鳴が響いた。
 悲鳴はすぐに途切れ、静寂が戻り――
「ウフフ……ごちそうさま♪」
 静まり返ったその部屋で、気楽な声色で告げながら立ち上がる女性の姿があった。
 身につけている衣服は乱暴にはだけられ、ほとんど脱げてしまっているも同然の状態だ。
 そして股間から内股を垂れていく白い粘液――彼女が足元で事切れている男と“そういう行為”に及んでいたことは明らかだった。
「貴方の精気、ボリュームたっぷりだったのはほめてあげるわ♪
 けど、味はイマイチだったのよね……やっぱり40代入っちゃうとダメね。あー、口直しが欲しいわー」
 最早男に自分の声は届かない。しかし別にかまわない。そもそもどうでもいいのだから――はしたなくげっぷなどしながら、しかしそれでも物足りなさげに女がつぶやくと、
「……集合場所で何をやってんだ?」
 新たにビルの奥、闇の中から聞こえた声が女に告げるのと同時――男の身体がひとりでに発火した。
「相変わらず、下卑た食事だなぁオイ」
「あら、色欲を司る悪魔にそれを言う?」
 声に対して応じるのと同時、女の身体が彼女の姿を視認できなくなるほどの勢いで渦巻く竜巻に覆われた。
 そして、竜巻が晴れた時、女の姿は一変していた。肩で切りそろえられた黒髪は髪形をそのままに赤く染まり、服装も乱暴にはだけられたOL風のスーツから妖艶なボディラインがハッキリと出るレオタード風のアンダースーツに部分鎧を装着したものへと変わる。
 一見するとただのコスプレに見えないこともないが、着替え方が着替え方だ。つまり彼女達は――
「このリリス様に対して『男を食うな』なんていい度胸してるわね、ベルフェゴール」
「フンッ、知ったことかよ」
 リリスと名乗った女悪魔に答えて闇の中から現れたのは、鎧と見間違えそうな真っ赤な甲殻に身を包んだ大柄な悪魔だった。
 そう。“鎧”ではなく“甲殻”。人間とほとんど変わらない見た目のリリスと違い、全身が頑強そうな甲殻に覆われた怪人型の悪魔なのだ。
「そもそもオレは貴様ら淫魔自体気に入らねぇんだよ。
 精気が欲しいなら適当に人間どもをさらって吸い尽くしてしまえばいいだろうが――それすらできず色仕掛けに逃げた惰弱の輩なんて、オレ達悪魔の面汚しでしかねぇよ」
「あら、『逃げた』だなんて失礼ね。
 同じ精気をいただくなら、気持ちいい方がいいじゃない♪」
 不満を隠そうともしないベルフェゴールに対し、リリスは両の頬に手をあてて「イヤンイヤン♪」と身悶えしてみせる――
「というか、その色仕掛けすら思いつきそうにない脳筋の分際で言ってくれるじゃない」
 ――かと思えばその雰囲気が一転。可愛らしさが瞬時に吹っ飛び、底冷えするような冷たい視線がベルフェゴールを射抜いた。もっとも、当のベルフェゴールは平然としたものだが。
 と――
「そこまでだ、二人とも」
 そんな二人に告げ、闇の中から新たな悪魔が姿を現した。
 ベルフェゴールと同じ怪人型。しかし大柄で頑強なベルフェゴールと違い、小柄でスマートな印象を受ける。甲殻の色は全身黒ずんだ鋼色だ。
「ケンカをするためにここに集まったワケではあるまい。
 わかったら二人とも、その殺気を引っ込めろ」
「アシュタロス。だがな……」
「どいててよ、アシュタロス。
 今コイツと、悪魔としてのプライドをかけた話をしてるんだから」
 割り込んできた三人目の悪魔の言葉に、しかしベルフェゴールもリリスも引き下がるつもりはないようだ。
 そんな二人に対し、アシュタロスと呼ばれた三人目はため息をつき、



「…………やめろ」



『…………っ』
 止まった。
 アシュタロスの放った強烈なプレッシャーを受け、リリスとベルフェゴールはどちらも息を呑み、黙り込む。
 と――
「アシュタロス、あなたも少し脅かしすぎですよ」
 新たな声がアシュタロスに告げる――その言葉に、アシュタロスは殺気を収めてため息をつき、
「そもそも、貴方がしっかり二人を御してくれれば、私がこうまでして抑える必要もなくなるんですがね。
 曲がりなりにも我らの盟主なのですから、しっかりしてください――メフィスト様」
「『盟主』ですか……よく言いますね」
 アシュタロスに答え、新たな声の主が暗闇から姿を現した。
 スーツをピシッと着こなした、ビジネスマン風の優男――しかし、一瞬彼の姿が光に包まれたかと思うと、まるでファンタジー小説に登場する僧侶か神官かといった様式の服装へと変化する。しかし、一般的な神職の服装がおごそかな白系の配色であるのに対し、男のそれはまるで漆黒の谷底をのぞき込むような黒系の配色である。
「私がどうして盟主になったのか、忘れたんですか?
 私よりもあなた達三人の方が首領に推されていたのに、そろって辞退してくれたものだから私に繰り下がってきたんじゃないですか」
「仕方がないでしょう。皆そろいもそろって、戦闘力だけでしか選んでいなかったのですから。
 首領に必要なのは皆をまとめる統治能力――そこで言えば、我々よりも貴方の方がよほど優れていますから」
「……三人とも、単に首領の役目を引き受けるのが面倒だっただけでしょうに」
『………………』
「こらそこの三人。そろって視線外してないでこっち向きなさい」
 さっきまでいがみ合っていたのがウソのように同時にそっぽを向いた三人の悪魔にツッコむと、メフィストと呼ばれた男は話を進めることにした。
「まぁ、いいでしょう。
 それよりも今回の用件の方が問題です」
「そうだな。
 聞いたぞ。クライマーがひとり、ぶち殺されたらしいな」
「あー、ナニ? 招集ってその話?
 私、単に殺りすぎたコをメフィスト様かアシュタロス辺りが粛清したのが変に伝わっただけだと思ってたんだけど」
「その程度の話だったら招集の必要はあるまい。
 私もメフィスト様も手は下していない――正真正銘、我らデモニアン以外の者の手によるものだ」
 すぐに頭を切り替えたベルフェゴールとリリスが返し、アシュタロスがそれに答える。
「では誰がやったというんだ?
 人間どもの武器では、軍隊でも出してこない限りクライマーの相手など務まるまい……まさか、天使どもの仕業か?」
「それこそないでしょ。
 天界から、クライマーを倒せるクラスの天使が降臨してきたっていうなら、その時点でこっちの警戒網に引っかかってるはずだもの」
 ベルフェゴールに答えるリリスの言う通りだ――わざわざ宣戦布告までしたのだ。当然その時点から天界の動きには注目している。
 だが、今のところ天界に目立った動きはない。下位層とはいえサタン級の悪魔に匹敵する力を持つクライマーに対抗できるのは大天使以上の高位天使に限られようが、そのクラスの天使が地上に降りた形跡はない。クライマーを倒したという何者かが天使である可能性は薄いだろう。
 だからこそわからない。いったい何者がクライマーを倒したというのか――
「幸い、倒されたのは“造って”数日のまだ力のない個体だったからよかったものの、それでもクライマーを倒すことのできる力を持った者がいるというのは、我々にとってちょっとした脅威です」
「ハッ、何ビビってんだよ、メフィスト」
 メフィストの話に口をはさんできたのはベルフェゴールだ。
「クライマーを倒されたからって、オレ達まで危ないってのか?
 バカ言ってんじゃねぇよ。サタン級上位のオレ達を倒せるヤツなんて地上にいるもんかよ」
「ベルフェゴールと同じ……ってのは気に入らないけど、私も同意見ね。
 生まれたてを一体つぶされたからって、一々気にしすぎなのよ」
 どうやら、リリスもベルフェゴールと同じ「相手は恐れるに足らず」派のようだ。
「アシュタロス、あなたの意見は?」
「情報が足りない内から安易な判断は下すべきではないかと」
 残るひとりにメフィストが話を振ると、すぐに返事は返ってきた。
「問題の起きた地点の周辺に、またクライマーを放ちましょう。
 倒されたというクライマーと同程度の強さのヤツを……そいつも倒されたなら、それはクライマーを倒せるだけの力を持つ者がその近辺に存在する証左となりますし、そいつを捕捉するチャンスもありましょう」
「ふむ……それもそうですね。
 では、ベルフェゴール」
「ハァ? オレが動くのかよ?
 そこは言い出しっぺのアシュタロスにやらせろよ」
「いや、あなたの造るクライマーは活きがいいですからね。
 今回の作戦はクライマーを目立たせてナンボですから、あなたの配下のクライマーが適任なんですよ」
 いきなり指名されて不満げなベルフェゴールだが、メフィストもちゃんと理由があってのことだと説明する。
「まぁ、そういうことならいいけどよ。
 けど、その代わり……」
 そしてその説明でベルフェゴールは納得したらしい。引き受ける旨を伝えつつも、ニヤリと笑って付け加えた。
「クライマーを倒したっつー“誰かさん”が、オレのクライマーに殺されても文句言うなよ?」



    ◇



「彼らの狙いがわからないため、天界としてもうかつに戦力を動かすことができません。
 ですが、相手が示威行為に出てくる以上、手をこまねいていてはそれだけ犠牲者を出すことになります。
 動かなければならない、しかしうかつには動けない。そんな板挟みに陥った天界に打てる手は限られていました。
 つまり、現地――地上の人間を戦士に任じて、その人に自分達に代わって事態に対処してもらうこと……
 そして、現状でそれを可能にできるのは、封印した上位の悪魔の力の利用法としての研究の一環で、すでに試作機の完成していたギルティシステムだけだったんです……」
 気づけば長い話となっていた――手の中のコップに注がれた、すっかり冷めてしまったコーヒーの水面を見つめながら、ブレスはそこで一旦息をついた。
「信長さんが他の人と関わることを嫌っているのはよくわかりました。
 でも、信長さんしかギルティシステムを使いこなせる人間が見つかっていない以上、今は信長さんに頼るしかないんです。
 お願いします――私達に力を貸してください!」
 そう信長に訴え、ブレスが顔を上げ――
「――――って!?」
 当の信長はすでに興味を失っていた。ブレスが説明に集中し始めたスキをついて取り返したアルバイト情報誌のチェックに勤しみ、ブレスの方を見てすらいなかった。
「私の話、聞いてなかったんですか!?」
「聞いてたぞ。
 お前らが動けないから、オレ達の中で動ける人間を見つけて、代わりをやってもらおうってことだろ?」
「ま、まぁ、結論だけ言えばそうですけど……」
「用語とそこだけわかってれば十分だろ」
「けっこう細かいところまで事情説明したんですけど!?」
「うっせぇな、それよりも仕事だ、仕事」
 あの長い説明は無駄だったのかと悲鳴を上げるブレスだが、信長はかまうことなく情報誌のチェックを再開する。
「あの……一応信長さんの世界にとっても大きな問題なんですから、少しは危機感とか持った方が……」
「世界なんぞ知るか」
 ブレスの説得はバッサリと一刀両断された。
「世界が守られたってオレの生活が守られてなきゃ何の意味もねぇんだよ。
 オレは世界のために自分を犠牲にするつもりなんかねぇし、明日の平和を守るためとか、明日来るピンチに備えるとかのために今日飢え死にするつもりもねぇんだよ」
 あっさりとそう告げると、信長は手頃な求人を見つけたようだ。なおも何か言いたそうにしているブレスを無視して、問い合わせようと携帯電話へと手を伸ばすのだった。



    ◇



 そんなやり取りから数時間後――
「……何でお前までいるんだよ?」
 即日面接までこぎつけ、履歴書を作っていざ新たな仕事先と目をつけたスーパーへ――が、なぜかブレスまでついてきた。心底うっとうしそうに、信長は彼女をにらみつけた。
「だって、信長さんの家に残っていても何もすることないし……」
「そんなのついてきたって同じだろうが。
 と言うか、そもそもついて来なきゃ家に残るのが前提って時点で迷惑だ。居座る気かてめぇ。ジャマだからやめろ」
「め、迷惑とかジャマとか……もう少し言い方があると思いませんか?」
「思えねぇんだよ、残念ながらな」
 あっさりと答えると、信長は不機嫌ぶりを隠そうともしないでそっぽを向いてしまう――と、
「お待たせいたしました」
 待たされていた事務室に、店長と思われる男性がやってきた。
「うちのアルバイトに応募してくれて、ありがとうございます。
 では、さっそく履歴書の方から……」
 促され、信長は履歴書を手渡した。店長が目を通し――明らかに眉をひそめたのがわかった。
 だが無理もない。学歴、職歴欄がびっしりと職歴で埋め尽くされているのだから――しかも、学歴を最終学歴の卒業のみに絞ってもなおその有様なのだ。
 その上どの仕事も短期、辞めた理由もすべて解雇で退職は皆無。そんな経歴では雇う側として不安にならないはずがない。
 というか、そもそも履歴書で馬鹿正直に「解雇された」と書いている時点で十分に常識の枠から外れている。普通はクビにされた仕事でも退職と書く。どうせ確認されることなどないのだから。
 大丈夫なのかという疑念があからさまに込められた視線が向けられる。信長は慣れているのか平然としているが――他人事ながらそこは天使。心配になってきて、ブレスは思わず口をはさんだ。
「あの……ダメ、ですか……?」
「キミは……?」
「気にしないでください。
 勝手についてきt
「妹の家須いえすいのりです」
「って、おい!」
 答えかけたところを押しのけてきた挙句勝手に妹を名乗られ、信長が声を上げるが、
「…………ふむ」
 そんなブレスを見て、店長は少し考える素振りを見せた。
「……『勝手についてきた』と言ったね?」
『え……?』
 それほど食いつくような話だっただろうか。思わずそろって声をもらす信長とブレスだが、店長はかまうことなくブレスに――信長を完全に無視して――尋ねた。
「それは、お兄さんが心配だったってことかな?
 それとも――」



「キミも、ここで働きたいのかな?」



    ◇



 翌日――
「家須、祈です。
 今日からよろしくお願いします!」
「……家須信長です」
 共に配属された食品売り場で、店の制服に着替えた信長とブレスが先輩の店員達にそれぞれにあいさつする。
 そして、簡単に仕事の説明を受け、職場へ――仕事の内容は商品の陳列だ。
「よかったですね、採用してもらえて」
「どこがだよ」
 耳打ちするブレスだったが、信長は憮然とした顔で愚痴をこぼす。
「面接の時、お前が『オレと一緒なら』って言った途端に態度を変えたのを見てなかったのかよ?
 明らかにお前目当ての採用じゃねぇか」
 そう。あの面接の際、信長の経歴を見て渋い顔をしていた店長だったが、声をかけたブレスが「兄と一緒なら」と条件を出したとたんにコロリと手のひらを返してきた。
 後はトントン拍子に話は進み、こうして採用となったワケで――明らかにブレスを引き込むための“エサ”扱いだ。信長が機嫌を損ねるのもムリのない話であった。
「まぁまぁ。それでも採用にはなったんですから、いいじゃないですか」
 だが、ブレスはあくまでポジティブだ。憮然としている信長の背をポンと叩いて、
「向こうがオマケだって言うなら、自分はオマケじゃないってところを見せてあげればいいんですよ。
 だから、がんばりましょう!」
「へぇへぇ」
 ブレスの激励を受けても、信長のテンションは低いままだ。憮然としたまま仕事に取りかかり――



    ◇



「………………」
 室内に入ってきて、席につくと、まことは思わず天井を仰いだ。
 息をつき、視線を戻す――顔のあちこちに絆創膏を貼った信長へと。
「……さて、と。
 どうせ細かい成り行きはどこまで覚えてるかも怪しい有様だろうから、こっちから確認するわね。
 “相手側”や目撃者の証言を要約すると……」

女性客 「あの……」
信長 「はい……?」
女性客 「実は……ゴニョゴニョ……なんですけど、どこに……?」
信長 「少々お待ちください。わかる者を呼びますので。
 すんませーんっ! 生理用品ってどこですかーっ!?」
女性客 「大声で聞かないでーっ!」

「……で、その悲鳴を聞きつけて飛んできた旦那さんに、商品棚をドミノ倒しするほどの勢いで殴りかかられた、と」
「あー、そうだったそうだった」
 あっさりとうなずいてみせる信長に、まことは軽く目まいを覚えた。
「『そうだった』じゃないわよ……
 おかげでせっかく決まった新しい仕事も即日クビでしょ? いつものこととはいえ、もう少し危機感を持った方がいいと思うんだけど」
「それができないってのも、できない理由も、とっくにご存知だろうが」
 あっさりとそう返され、まことは思わず返事に窮した。
 そうだ。自分は知っている。今のこの状況にあって、なぜ信長が平然としていられるのか、その理由を。
 しかし今の自分の態度はどうだ。その“理由”のことをすっかり忘れ、他の“普通の”人達と同じことを彼に求めてしまった。
 事情を知る自分ですら、時折忘れてしまうくらいなのだ。何も知らない一般の人々にとって、信長のこうした言動は果たしてどのように見えただろうか。
「……ま、まぁ、いいわ。
 ともかく、原因を作っちゃったとはいえ、今回のあなたはあくまで“被害者”。
 あなた自身の行動に違法性がない以上、これ以上あなたがここでどうこうされる心配はないはずよ」
「さて、どうだかな。
 何しろここはオレをブタ箱にぶち込みたくてしょうがない連中の巣窟だからな。きっと今頃無理矢理にでもオレをとっ捕まえるための口実を、ない知恵しぼって考えてんじゃねぇか?」
 茶化すように口をはさむ信長の言葉を、まことは努めて聞き流す――言えるはずがない。さっき捜査一課をのぞいたら、まさに信長の指摘通りの光景が繰り広げられていたなんて。
「連れのあの子……ブレスちゃんだっけ? あの子も聴取が済めばすぐに帰れるわ。
 何か企てられているって言うなら、あの子を連れて早く帰った方がいいわ。
 あの子をあなたの事情に巻き込むのは、あなたも本意じゃないでしょ?」
(どちらかといえば、こっちがあっちの事情に巻き込まれてるんだけどなー)
 そう信長が心の中でツッコんでいることなど露知らず、まことはブレスの方の事情聴取の様子を見てくると席を立った。



    ◇



「んっ、んー……っ…あ、信長さん」
 まことに連れられて修繕の進むエントランスを抜ける――警察署を出ると、すでにそこにはブレスが待っていた。背伸びしていたところで信長に気づき、パタパタと駆けてくる。
「大丈夫でしたか?」
「大丈夫じゃなくなる前に出てきた」
 尋ねるブレスに対し、信長は彼女の方を向くことなく、しかし追い払うようなことはせずにそう答える――その光景に、まことは思わず目を見張った。
 だがそれもムリはない。何しろ“あの”信長が、話しかけてきた相手に対してまともに受け答えをしたのだから。
 いつもの彼なら、ここは「ジャマだ」と突き放すか、もしくは無視を決め込むところだ。人と関わることを嫌い、就く先々の職場でも「同僚」以上の関係を築こうとしない、築こうとする相手には最悪敵意すら向けるのが家須信長という人間だ。
 そんな彼が、話しかけてきた相手にまともに応対した――ぶっきらぼうで友好的とは言いがたいが、それでも日頃の信長からすれば、これでも信じられないほどに“マシ”な対応なのだ。
「とにかく、大事なくて一安心です。
 さぁ、さっそく次の仕事を探しに行きましょう!」
「あん……?」
「当然でしょう? 働かないと生活できないんですから」
 一方、そんなまことに気づいていないブレスは信長を促して次の職探しに向かおうとしている。信長が怪訝な顔をするのもおかまいなしだ。
「大丈夫! 次は絶対うまくいきますよ!」
 自信タップリに告げるブレスに対し、信長はため息をつき、一言だけ告げた。
「どうなっても……知らねぇからな」



    ◇



ケース1:セルフガソリンスタンド

「すみません、ここはセルフスタンドなんで携行缶への給油はお断りさせていただいてまして……」
「はぁ? 何だよ、それ?
 車のガソリン入れに来たついでに入れた方が早いじゃねぇか、なんで携行缶だけ余所行って入れなきゃならねぇんだよ?」
「そう言われても、セルフのスタンドでは車のタンクへの給油しか許可されていませんので。
 スタッフが給油してくれるフルサービスのスタンドで入れてもらってください」
「フルサービスだと高いじゃねぇか! 何でセルフに来てると思ってるんだ!」
「高かろうが安かろうが、そういうルールですので」
「うるせぇ! しつこいんだよ!」

 ――バキィッ!



    ◇



ケース2:ファミリーレストラン

「お、かわいいねおたく、新人さん?」
「ちょっとこっちきて相手してくれよ。お話しようぜ〜♪」
「え、えっと……」
「お客様」
「信長さん?」
「うちはそういったサービスはしておりませんので」
「んだよ、別にいいじゃねぇか」
「そーそー。お客様は神様っつーじゃねぇか。
 神様にはサービスしてくれなきゃなー?」
「神様だろうが提供していないサービスを提供することはできません」
「うるせぇよ! オレ達の勝手だろうがっ!」

 ――ガシャーンッ!



    ◇



ケース3:コンビニ

「いらっしゃいませー」
「あ! お前!」
「………………?
 信長さん、あの人は?」
「知らん」
「知らんだぁ!? こっちはお前なんか雇ったせいでひどいめにあったんだぞ!」
「以前の雇い主だったみたいですけど」
「縁の切れた相手の顔なんていちいち覚えちゃいねぇよ」
「ふざけるな! お前がトラブル起こしまくってくれたせいでこっちは常連客まで離れて商売あがったりなんだ!
 それなのにお前はこんなのところでのんきに……っ!」
「別にのんきにしてるつもりはないんだが」
「やかましいっ! あの時の恨みだ!」

 ――バキィッ!



    ◇



ケース4:家電量販店

「いらっしゃいませー」
「近づくなっ!」

 ――バキィッ! ガシャーンッ! ボーンッ! ジリリリリィッ!



    ◇



「………………さて。
 次はどこにするか決まったか?」
「……わかってて言ってますよね……?」
「ごめん、ブレスちゃん。たぶん彼わかってない」
 スーパーでの一件から一週間――そう、一週間である。
 その一週間で採用⇒トラブル⇒通報・解雇のサイクルを四回もやらかしてくれたにもかかわらず、目の前のこの男は平然としたものだ。さすがに疑惑の目を信長に向けるブレスだったが、まことが残酷な現実を突きつけてくれる。
 電気屋の騒ぎで警察に連れて行かれ、事情聴取の末解放された帰り道――夕飯時ということで立ち寄った喫茶店でのことである。
「どうして毎回毎回、お客さんにケンカ売るようなことしちゃうんですか……」
「コンビニと電気屋の時は一方的にケンカふっかけられたんだが」
「その前の二件ですよっ!」
「相手が悪い」
「いや、確かに、元々の発端はお店のルールを守らなかったお客さんですけど……
 でもそれにしたってもっと穏便に……」
「あの手の相手に弱気は禁物だぞ。際限なく調子に乗って要求がエスカレートするだけだ。
 あそこはケンカしてでもNOと言うべき状況だ」
「信長さんは強気でいきすぎなんですよ! どう見てもホントにケンカすること前提だったじゃないですか!
 もっとほどよい妥協点を選ぶことはできないんですか!?」
「できるワケないだろ、ンな高等技術」
 迷うことなく即答されて、ブレスは思わずテーブルに突っ伏した。助けを求めるようにまことへと視線を向けるが、彼女はすでに諦めの境地のようで、沈痛な面持ちこそしているが、力なく首を左右に振るばかり。これでは助け舟は期待できそうにない。
「まさかここまで問題だらけだなんて……
 これはもう、信長さんのこのノリを何とかしないと仕事見つけてもまた同じことの繰り返しになるだけ……いや、でも改善してる間の生活支えることを考えるとそれでもやっぱり働かないと……でも信長さんの性格何とかしないとまたクビに……
 あああああ、もう完全に『ニワトリが先か卵が先か』じゃないですか……」
 仕方なく自分だけで何とかできないかと考え始めるが、考えれば考えるほど状況は堂々巡りだと実感させられるばかりだ。いよいよ頭を抱えるブレスだったが、そこでふと、まことが自分のことを何やら楽しそうに見つめていることに気がついた。
「えっと……まことさん……?」
「あ、ごめんね。
 信長くんのためにがんばってくれてるんだなって、そういう子がまだいてくれたんだって思ったら、何だか嬉しくって。
 何しろ今まで私だけが孤軍奮闘状態だったから……」
「は、はぁ……」
 本当に嬉しいのだろう、ニコニコしているまことの言葉に「今までそうとう苦労してきたんだろうな」と苦笑せずにはいられないブレスだったが、
「……けど、だからこそ気になるのよね」
 一転、突如まことの目が真剣なものに変わった。
「ブレスちゃん……」
「な、何でしょうか……?」
 思わず気圧されるブレスに対し、まことは静かに息を吐き――



「信長くんとは、どういう関係なの?」



「………………はい?」
「だって、気になるじゃない」
 予想の斜め上をいく問いに、ブレスの目がテンになる――そんな彼女に、まことは先ほどまでの真剣な表情はどこへやら。再び楽しそうな笑顔に戻って言葉を重ねる。
 その目は、まるで子供のようにキラキラしている。故に悟る。これは単なる興味本位からの質問だと。
「それまで信長くんには女っ気のおの字もなかったのに、あの怪物の件を境にブレスちゃんがべったりじゃない。
 やっぱり、あの怪物の件がきっかけよね? あの一件で助けられたのが縁で?」
「あー、えっと……
 実は私、信長さんのいm
「ごまかしてもムダだぞ」
 アルバイトの時の応用で妹を装おうとしたブレスだったが、そんな彼女に信長の声が待ったをかけた。
「そいつ、オレのことけっこう深くまで知ってる」
「そうなんですか……?」
「忘れたか? オレのこと再三しょっぴいてる警察の人間だぞソイツ」
「しょっぴいてるのは私じゃないんだけどなー……」
 苦笑まじりにまことがうめくが、ブレスにとっては身分をごまかせないというのは少々厄介だ。
 まさか自分の素姓をすべて正直に話すワケにもいくまい。かと言って改めてごまかそうとしても相手は自分以上に信長のことを知っているようだ。どこでボロが出るかわからない。一度信長にごまかそうとしたところを止められていることもあるし、下手なごまかしはかえって自分の首をしめることになるだろう。
 正直には話せない。しかしごまかすこともできない。ならば――
「……そうですね。信長さんとは、あの怪物の件で……
 それで、助けてもらった恩返しに何かできないかと……」
 正直に話す――ただし、話しても問題のない部分だけを。
 スパイダークライマーの件で出会ったのは確かだし、助けてもらったことに恩義を感じているのも、その恩を返すために何かしてあげたいと思っているのも本当のことだ。
「ただ、女の私が信長さんの家に出入りするのも、何かとおかしなウワサが立ちそうなので……」
「あぁ、それで対外的には妹を名乗ることにしたのね」
 実際その“おかしなウワサ”のせいで信長が誤認逮捕されているだけにその話には説得力があった。あっさりと信じて、まことはうんうんとうなずいて納得する。
「では、改めて。
 私はブレスといいます。対外的には“家須祈”と名乗ってますから、外では……」
「OK。そっちで呼べばいいのね。
 私は紀律まこと。よろしくね……あ、連絡先わかるように名刺渡しておくわね」
 気を取り直して名乗るブレスに応え、まことが懐から取り出した名刺をブレスに手渡して――
「…………あの……?」
「ん? 何?」
「名前、“紀律誠”ってなってるのを、名前の部分だけ手書きで平仮名の“まこと”に訂正されてるんですけど」
「だって、『誠』って男の子っぽくてイヤなんだもの」
 しれっと返ってきた答えに、ブレスは思わず苦笑して――
「……で、信長くんはさっきから何してるのかしら?」
「職探し」
 先のブレスへの忠告で自分の役目は果たしたとばかりに二人を無視し、アルバイト情報誌に目を通していた信長があっさりとまことに答えた。
「まったく、相変わらず他人の動向に注意を向けないんだから……
 で? 私達を無視してまでチェック入れてたんだから、それなりの“収穫”はあったんでしょうね?」
「あったらチェック続けてねぇよ」
 まことの問いに、信長は憮然とした様子で答える。どうやら思うような成果は得られていないらしい。
「そんなに見つからないものなんですか?
 自分に甘い条件とか、何か言い訳作ってあきらめたりとかしてませんか?」
「一緒に働いて四回も失敗事例見といてそれ聞くか?」
「……あー……」
 信長の答えに、理解した。してしまった。
 確かにこの一週間で、わずか一週間で四件も即日解雇の憂き目にあっているのだ。以前からこの調子だったとするなら、採用され、クビになった仕事の数はそうとうなものになるはずだ。
 当然、それらの仕事に再度申し込んでも結果は見えている。情報誌に載っていても除外せざるを得ない――その結果、選択肢がかなり絞られてしまうのだろう。
「えっと……これも『×』印ついてるけどダメなんですか?
 工場のラインならお客さんとモメることはないでしょう?」
「先輩方に嫌われてな。休憩時間に大リンチ大会まで発展して警察沙汰」
「……じゃあ、こっちのティッシュ配りはどうして?」
「面接でハネられた」
「ティッシュ配りのどこに断られる要素が!?
 じ、じゃあ、こっちの家庭教師は!? もう人付き合いがどうのって言ってる場合じゃ……」
「条件見てからモノ言えよ。
 『要・大卒資格』……オレにンな学があるように見えるか?」
「こっちの運送業!」
「『要・普通免許』。バイクの免許しか持ってねぇぞオレ」
「このピザ屋の配達!」
「断られた」
「これは!? カラオケボックス!」
「客に殴られて警察沙汰」



(中略)



「……まさかの全滅ですか……」
 眼下には、すべての募集記事に赤字の「×」が記されたアルバイト情報誌――成す術なく完敗を喫し、ブレスはテーブルに突っ伏した。
 ブレスとしてはちょっとでも自らに甘い裁定でダメ出しした仕事があれば容赦なくそこに応募してやろうと首を突っ込んだのだが、やれ「すでに採用されてクビになった後」、やれ「面接でハネられた後」、やれ「資格要件を満たしていない」、という具合に記載されていた記事のすべてが反論の余地なくつぶされてしまった。まさかここまでひどいとは……
 一方、当事者たる信長はといえば、情報誌のチェックが終わってやることがなくなったのか、まことが頼んでおいてくれたカレーライスを平らげにかかっている。仕事先が見つからなかったのも、まるで気にしていないかのようだ。
「信長さん……そんなことしてて大丈夫なんですか?
 仕事、早く見つけなきゃいけないんじゃ……」
「どうやってだよ?」
 あっさりと信長はそう返してきた。
「持ってきた情報誌は全滅だ。もう手元に情報は残ってねぇ。
 次の号は来週まで出ねぇし、その間できることと言ったら帰ってパソコンで情報サイトをのぞくくらいだ。
 つまり、外出中の今この時点でできることは何もねぇよ」
「そんなことないですよ。きっと何か……
 ……そ、そうだ! まことさん、仕事を斡旋してくれるようなお役所とかないんですか?」
「ハローワークのこと?」
「そう! それですよ! 今からでもそこに行ってみまs
「ムリよ。その子出入り禁止だから」
「職業斡旋所を出禁にされるって何したんですか!?」
「面接先でなぜかことごとく相手を怒らせた」
「……要するに、あまりにも的を外し“すぎた”答えを面接で連発して、『ふざけてるのか』って先方を怒らせちゃったのよ」
 信長の説明があまりにも簡潔だったのを見かねて、まことが助け舟を出してくれた。
「で、『なんておかしなヤツをよこしてくれたんだ』とか『こんなヤツをよこすようなら求人出すのやめるぞ』とか苦情が殺到してね……求人を減らされたら職安としても死活問題だから、信長君を出禁にすることで火消しを図ったのよ」
「そんな……っ!」
「言いたいことはわかるわよ。
 職安は公的に開かれた場所。みんなに等しく就職の機会を与えるべきもの……のはず。こんなの、信長くんの職業選択の自由の侵害だもの」
 声を上げそうになったブレスを手で制し、まことがそう答える。
「けど……だからと言って信長くんの利用を黙認すれば求人が減らされてしまう……そうなれば信長くんだけじゃない、その他の仕事を探している人達すべてがその権利を侵害されてしまう。
 信長くんひとりで終わらせるか、それとも周りにまで被害を拡大させるか……となれば、職安としては信長くんを切り捨てるしかないわ。信長くんひとりのために地域の就職環境を壊滅させるワケにはいかないもの。
 まったく、お役所仕事の辛いところね」
 ブレスにそう語りながら、信長へと視線を向ける――自分についての話、それもかつて受けた不当な扱いについての話をしているというのに、まるで気にする様子が見られない。もぐもぐと口の中にかき込んだカレーを咀嚼しているその表情は見事なまでに無関心。
 と言っても、さすがに彼も現状の問題は承知しているはずだ。この態度が真に示しているのは――
(“自分の抱えている問題”じゃなくて、“私達がその問題について話していること”に対して興味がわかないんでしょうね……)
 繰り返すが、信長とて自身の問題は承知の上のはずだ。そして、何とかしなければとも思っているだろうし、そのための手段が目の前にあれば迷わず実行に移すだろう。
 先の警察署での戦いを思い出してもらえればわかるだろう。一度『やる』と決め、実行に移したなら、過剰、もしくは病的とすら言えるほどに徹底的にやる男なのだ。家須信長という男は。
 しかし、それはあくまで「彼ひとりで動くなら」という条件つき――それが対人関係や他人と組んでの行動となるとその積極性が完全に沈黙してしまう。自分から関わりに行こうとしないのはもちろん、他人が自分に関わろうとすることにも激しい拒絶反応を示す。ひどい時には手すら上げる。例え相手が女子供であろうと、だ。
 そして、自分に直接振りかかる流れでもなければ、他人が自分のことをどう思っていようが、どう話していようが知ったことではない。
 そう、ちょうど今の彼のように――もしこれでまこと達の話していることが彼の悪口だったとしても、ただ自分達の間で言い合っているだけの内は信長がその重い腰を上げることはないだろう。
 そして、まことは信長が“そんな”である理由を知っている――信長がどうして他人という要素を自分の中から頑なに排除したがるのか。
 それだけに、信長の態度を咎めるのも気が引ける。しかし何とかしなければならないのもまた事実。
 どうしたものかと、もう何度目になるかわからない悩みにまことが頭を悩ませている一方で、ブレスは信長に再度の説得を試みている。
「じゃあ、どうするっていうんですか?
 働いてお金稼がないと生活できないんでしょう?」
「逆に聞くぞ。今何ができる?
 情報誌は全滅。ハローワークは出禁だし、そもそも利用できたとしてもこの時間じゃもう閉まってる。
 ネットでの職探しも論外だ。携帯サイトはパケ代が足枷で基本料で手いっぱいのオレには使えねぇ。さっきも言った通り帰ってパソコンを使うしかねぇんだよ。
 さぁ、改めて聞かせてもらおうか。今、ここで、オレに何ができる?」
「そ、それは……」
 信長に返され、ブレスが答えに困り――
「まぁ、いいじゃない。
 信長くんも『探さない』とは言ってないんだから」
 そんなブレスをなだめる形で仲裁に入るのはまことだ。
「ただ、今ここでできることはない、っていうだけ――そう目くじら立てなくても……」
「だとしても、危機感がなさすぎだと思うんですけど……
 まことさん、少し信長さんに甘くないですか?」
 不満げに返すが、それでもまことの言う通りだとは理解できたらしい。しぶしぶといった様子だが、ひとまずブレスは矛を収めることにしたようだ。
「はぁ……こうなったら、行く先々のお店の店頭で求人ポスター探すしかないんでしょうか……?」
「けどそうなるとほとんど接客業になっちゃうじゃない。
 信長くんの対人スキルを考えるとねぇ……」
 ブレスに答え、まことは軽くため息をつき、
「せめて、レストランのキッチンスタッフみたいな、人との接触が限定できる仕事じゃないと……」
「でも、そこまで絞っちゃうとそうそう簡単に見つかる……ワケ……が……」
 答えかけたブレスの言葉が尻切れトンボに途切れていく。どうしたのかとまことが彼女の視線を追うと、そこには一枚の貼り紙が。



〔キッチンスタッフ急募!〕



『………………これだっ!』



    ◇



 ――トントントンッ。
 ――チャッチャッチャッ。
 ――ジャーッ……


 切り、かきまぜ、炒める――以前ラーメン屋にいたという信長の経歴を聞き、試しに作ってみろと言われたチャーハンを、信長は手際よく仕上げていく。
「……へぇ」
 そんな信長の姿に、この喫茶店のマスターである青年は思わず感嘆の声を上げた。
「なかなかやるじゃないか。
 他にはどのくらいできるんだ?」
「レシピ通りに作るなら基本何でも……まぁ、覚えられないからレシピ見ながらになるけど」
 青年に答えると、信長はチャーハンを器に盛りつけ、青年――と味見に便乗したブレス、まことの前に差し出す。
「……なら」
 そして、青年がチャーハンを一口。ブレスやまこともそれに倣い――
『おいしいっ!』
 三人の感想が唱和した。
「うまい! ホントにおいしいぞコレ!」
「味付けもちょうどいいし、水分も残りすぎず飛ばしすぎず……」
「さすが、食費を少しでも安くしようと日頃からいろいろ工夫してるだけあるわね……」
 口々に感想を述べながら、三人はあっという間にチャーハンを完食。
「いや、大したもんだ。
 正直オレが作るよりも美味かったよ」
 本当に大絶賛だ。なおもほめちぎりながら、青年は器を脇にどけて、
「アンタをクビにしたヤツも見る目がないな。こんな腕のいいヤツを切るなんてどうかしてるぜ。
 ホント、何考えてたんだか」
 青年からすれば、それは信長への賛辞の延長でしかなかったろう――が、その言葉に信長の肩が震えた。
 そのことに気づいた青年がふと視線を動かすと、まことも「あ〜ぁ、やっちゃった」的な渋い顔。何か触れたらまずい話題に触れただろうかと少し考えて――
「……なるほど。障害者か」
『――――っ!?』
 その一言で、信長とまことの動揺は決定的なものとなった。
「ど、どうしてそう思うのかしら……?」
「このご時世、腕がいいのにクビになる。それも気まずい理由でとなったら、まず思いつくのがそれだろ」
 まことに答えると、青年は軽く息をつき、
「……ま、別にそれでもいいけどさ」
『…………え?』
「障害者だろうが、オレは別に気にしないって言ってるんだよ」
 予想に反した答えに虚を突かれた二人に、青年は改めて告げる。
「だってそうだろ? 人を雇う上で必要なのは、そいつが障害者かどうかじゃなくて、そいつが使えるかどうかじゃないか。
 その点、お前は合格だよ。少なくともオレより料理の腕がいいってのは確かだしな」
「じゃあ……っ!
 よかったじゃないですか、信長さん! 雇ってもらえそうですよ!」
 青年の言葉にブレスが喜びながら信長の方を見て――
「……って、あれ?」
 信長はあまり嬉しくなさそうだ。眉間にしわを寄せて青年をにらみつけている。
 しかも、リアクションが微妙なのは信長だけではなかった。まこともまた、何やら難しい顔をしている。
「どうか、したんですか……?
 信長さんはともかく、まことさんまで……」
「うん、ちょっとね……」
 ブレスに答えると、まことは改めて青年に声をかける。
「私達にとっては、雇ってもらえるのはありがたいことだけど……あなたはそれで大丈夫なの?
 このご時世、知らなかったならともかく、障害者とわかった上で雇ったなんて話が広まったら……」
 心配そうに告げるまことだけではない。信長もまた、先ほど眉をひそめたそのままの表情で青年を見つめている。
 まことはともかく、他人に踏み込ませず、踏み込むことも嫌う信長にしては珍しい反応だ。彼らが気にしているのはそれほどまでに重要な問題なのだろうかとブレスが首をかしげるが、当人達はよほど重く受け止めているのか、そんなブレスに気づくことはない。
 ともあれ、答えを待つ二人を前に、青年は軽く息をつき、
「んー……まぁ、確かにその辺がバレたら大変だろうけどさ……でも、だからと言ってこの腕を手放すのは惜しいと思うんだよなぁ……」
「つまり、障害者を雇ったと知られるリスクより、信長くんの料理の腕によるメリットを選んだ、と?」
 聞き返すまことに、青年がうなずく――それを受けて、ようやくまことは息をついた。
「……そういうことなら、大丈夫そうね」
「え? どういうことですか?」
「警察官としては余り言いたくないんだけど、残念ながら今のこのご時世、純粋なボランティア精神で障害者のことを助けようとする人はほとんどいないの」
 話が見えず、尋ねるブレスにまことはそう答える。
「みんな、自分が障害者差別の嵐に巻き込まれるのがイヤで口をつぐみ、手を引っ込めちゃう。
 彼らに手を差しのべるのは同じ障害者かその身内か、つまり同じ苦しみを分かち合う人達だけ……哀しいことだけど、それが今のこの国の現状なの」
 言いながら、まことは青年を見て、
「その点、彼はうまく立ち回ってると言えるわ。
 純粋に信長くんの料理の腕に商売としての価値を見出した――利害の収支計算の上でのことだからこそ、それが崩れない限りは信用できる」
「……えっと……?」
「別に、今の言われようを気にしちゃいないから、安心していいよ」
 よりにもよって警察官のまこと自身が相手の善意を真っ向否定。機嫌を損ねたのではないかと気が気でないブレスだが、青年は笑いながらそう答える。
「このご時世、そのくらい善意と利害を切り離して考えなくちゃやっていけないからな……お互い当然の反応ってヤツだよ」
「そういうこと。
 信長くんも問題ないわね?」
 確認するまことに対し、信長はプイとそっぽを向いてしまう――が、ダメならダメで空気も“読めずに”ハッキリ言ってしまうのが信長だ。それを知るまことはこれが信長なりのOKの意思表示だと判断した。
「……OKだそうよ」
「なるほど、そいつはよかった。
 じゃあ、改めて」
 まことの言葉に青年も信長がそういった、自ら意思表示をしないタイプの人間なのだと理解したらしい。コホンと咳払いしてその場を仕切り直し、
「オレは御堂龍馬。この店のマスターだ。
 ようこそ、喫茶『DB』へ!」



    ◇



「がぁっ!?」
「ひ……っ!?」
 断末魔と共にグシャグシャにつぶれてはね飛ばされたのは、“一瞬前まで恋人だったモノ”――恐怖に顔を引きつらせ、少女は恐怖で腰を抜かし、その場にへたり込んだ。
 どうしてこんなことになったのか。自分達はただ、いつもよりもちょっと遅い時間までデートを楽しみ、帰る途中でしかなかったというのに。
 そうだ、これは夢だ。ただ怖い夢を見ているだけだ。本当は彼は死んでいないし、自分も自宅のベッドの中に――
「……夢だと思うか?」
 しかし、そんな彼女の現実逃避は、他ならぬ恋人を殺した張本人によって打ち砕かれた。恋人の血を頭からかぶり、血まみれになった顔で相手の姿を見上げる。
 街灯の光が逆光になっていてよくわからないが、少なくとも人間の形をした、別の“ナニカ”であることだけは理解できて――
「運が悪かったとあきらめな」
 その一言と同時――少女の視界が真っ赤に染まり、暗転した。



    ◇



 紆余曲折を経て喫茶『DB』にキッチン担当として雇われて、数日が過ぎた。
 細かいトラブルは多々あったものの、一発でクビになるような大きなトラブルもなく、信長はなんとか働き続けることができていた。
 「心配だから」と龍馬に頼み込み(またしても妹・祈を名乗り)ウェイトレスとして雇ってもらったブレスや、昼休みになると昼食ついでに様子を見に来るまことのフォローもあったが、何よりも龍馬がこちらに歩み寄りの姿勢を見せてくれたのが大きかった。
 信長のクセの強さを知って「使いこなしがいがある」と逆に奮起したらしく、メニュー等店のシステムの一部を信長に合わせる形で大きく変更してくれたのだ。
 そのひとつが――
「祈ちゃーんっ! イタリアンひとつーっ!」
「私は中華をひとつお願いします」
「はーい!
 イタリアンひとつ、中華ひとつお願いします!」
 これだ。メニューから品名を全撤廃。料理のジャンルだけで指定するという大胆な形にしたのだ。
 信長はこのジャンル指定に対し、食材の在庫から作れるものを好きに作るという形だ。信長の頭ではオーダーのひとつひとつを覚えきれず、いちいち伝票を確認しに戻って来なければならないため効率的に動けないとわかり、可能な限り大雑把に、という配慮から始めたのだが、これが 「何が出てくるかわからないドキドキ感がいい」「シェフの気まぐれメニューみたい」と常連客からはなかなかに好評を得ている。
 だが、これではオーダーごとに食材の消費がまちまちになって採算が取れないのではないだろうか。一時はそう心配したブレスだったが、龍馬は「元々採算度外視でやってた店だから問題はない」と笑い飛ばした。
 元々は祖父がやっていた店を「つぶすのは忍びない」というだけの理由で任されていただけなので、もうけは「出ればラッキー」くらいにしか見ていないのだという。そんな店ならバイトを募集する必要はなかったのではとも思ったが、さすがに人手は欲しかったらしい。
「はい、イタリアンと中華です」
 閑話休題。出来上がった料理をブレスがお客の元へと運んでいく――ちなみにイタリアンがリゾットで、中華はマーボー丼だ。
「来た来た! 待ってました!」
「今日はマーボーですか……」
 ブレスの運んできた料理を前に歓喜の声を上げたのは常連客の少女、しぐれほむらと速瀬はやせ麻海あさみ。ほむらがテーブルの上に広げていたマンガの原稿を二人で片づけ、ブレスから料理を受け取る。
「今日も漫画のお仕事ですか?
 漫画家さんも大変ですね」
「いやいや、漫画家なんて大層なモンじゃないって。
 私はただの同人描き。自分で本作って売るしかないアマチュアなんだから」
 今日は他に客もいないので、料理を運んでしまった後は多少の時間の余裕がある。トレイを胸に抱き、ほむらのカバンからはみ出ている原稿を見ながらのブレスの言葉に、ほむらは笑いながらそう答え、
「『大層なモンじゃない』ねぇ……
 その同人で、税金払うどころか生活賄えるほど稼いでるのは誰よ?」
 そんなほむらに、冷静にツッコむのは麻海だ。
「そのクセ、描くばっかりで印刷の手配にイベントの申し込み、SNSでの宣伝、果ては税金の計算や申告手続きまで全部私任せのクセに」
「いやいや、麻海には感謝してるって。
 だからここの支払いもいつも私持ちじゃん。
 それに、麻海だって事務の経験詰めていいじゃない。いよっ、未来の税理士さん!」
「確か私が最初に引き受けたの、税金関係だけだったはずなんだけど……」
「あれ? そうだっけ?
 おっかしいなー、最初から今みたいな感じだったような……」
 ――カチッ。
〈麻海ー、私の同人の売り上げの税金申告やってくんない? 税金関係だけでいいからさー♪〉
「…………何か言うことは?」
「ゴメンナサイ」
 ご丁寧に録音まで残していた麻海に完全敗北。土下座して謝罪するほむらであった。
 そんなほむらを尻目に、麻海はマーボー丼をレンゲですくって一口。
「…………うん、今日もおいしい」
「ホント?
 ……うん! こっちもバッチリ!」
 麻海の感想に、ほむらも席に戻ると自分のリゾットを食べてみて舌鼓を打つ。
「いや、ホントうまいわー。
 新しいバイトの人が入って、料理のレベルが上がったわよね――おかげでキッチンに居場所なくなって、カウンターでコップ磨きくらいしかやることなくなった誰かさんとは大違いだわ」
「うっせ。ちゃんとコーヒーは今でもオレ作だっつーの」
 ほむらに話を振られてムッとしながら返すのは、彼女の言う通りカウンターの中でガラスコップを磨いている龍馬である。
「祈ちゃーん、龍馬にセクハラされたら遠慮なく言いなさいね。
 幼馴染として、責任持ってきっちり成敗してあげるから」
「え、えっと……」
「するワケないだろ。人聞きの悪いこと言うなよ」
「なんと!?」
 ブレスに告げるほむらの軽口に龍馬がツッコむが、対するほむらはその言葉に驚くとブレスの背後に回り込み、
「えいっ」
「ひゃあっ!?」
 後ろから、ブレスの豊満な胸を思い切り鷲づかみ。
「見なさいよ、このボリューム! 触り心地! 揺れ具合!
 この見事な双丘を前に、男として黙ってられるっていうの!?」
「ちょっ、ほむらさんっ!? その、胸っ、あんっ」
「いや、その前にお前こそセクハラしてんじゃねぇよ。
 麻海、お前も止めろよ」
「止めて聞く子じゃないっていうのは昔からじゃない」
 ため息まじりに告げる龍馬だが、麻海も肩をすくめてそう答えるばかりだ。
「ホント、すっかり魂までオッサン化してるんだから。
 不祥事起こさずに女子大卒業できたのが今でも不思議でしょうがないわ」
「ちょっとちょっとー。そこの二人、共通の幼馴染に冷たくない?」
「ほむらさん、いいから放してーっ!」



    ◇



「…………何やってんだか」
 フロアで繰り広げられている馬鹿騒ぎの声は、キッチンの信長のところにまで届いていた。洗い終わった食器類を棚に片づけながら、呆れまじりにため息をつく。
 次は冷蔵庫をのぞき込んで食材の在庫を確認。残り少なくなってきた食材がないかチェックする。
 ここで現在量がそれぞれに定められた定量を下回った食材があれば発注しておくのと同時、その食材を使う料理を避けるよう注意喚起用のチェックボードに記載しておく――のだが、幸い現状でそれらの対応が必要な食材はなかった。
 これなら次の注文も好き勝手できそうだと息をつき――
「………………?」
 ポケットの中に忍ばせていた“それ”が震えているのに気づいた。



    ◇



「……確かに、痴“漢”なんて言われてるだけあって、わいせつ行為に対する法の裁きは女性優位と言わざるを得ない部分はあるわ。女の子同士ともなればなおさらね。
 でもね……だからって何してもいいってワケじゃないのよ。わかる?」
「………………はい」
 床に正座させられ、頭にはゲンコツを落とされた跡のタンコブ――漫画などでよく見る典型的な“お説教される人”の姿を見事に再現しつつ、ほむらはまことに対しシュンと肩を落としてうなずいてみせる。
「た、助かりました、まことさん……」
「まったく、驚いたわよ。
 お昼食べに来たら、いきなり公然とセクハラが繰り広げられてるんだから。
 龍馬くんも店長なんだから止めてくれないと」
「いや、止めましたよ。幼なじみとはいえ一応客だし女の子だしで手を出せなかっただけで」
 解放され、礼を言うブレスに答えるまことに話を振られて、龍馬は肩をすくめてそう答える。
「アンタみたいに力ずくでOKだったらそうしてましたよ。つか実際そうでもしないと止まりませんし、止まらなかったでしょコイツ」
「ふーん……」
 龍馬の言葉に、まことはしばし考えて、
「……許可」
「了解」
「私見捨てられた!?」
 まことと龍馬の会話に、ほむらが思わず悲鳴を上げる――そんなフロアのやり取りを尻目に、ブレスはキッチンへと逃げてきた。
「もう、大変でしたよ、信長さん……」
 信長の性格上助けてくれたとは思えないからそのことについて今さら愚痴を言うつもりはない。むしろほむらの言う通り自分のこの胸が男の目を引くというのなら、この騒ぎをネタに信長と話すこともできるのではないか――そう考えてのことであったが、
「って、信長さん……?」
 キッチンに信長の姿はなかった。



    ◇



「……こっちか……」
 その信長は、店からそう遠くない裏路地にいた。
 右手、その手のひらに乗せた、変身に使うデモンズタリスマンに視線を落とす――それはまるで着信を受けた携帯電話のように細かく震え、しかもよく見ると一定の方向に動いていっているのがわかる。
 しかも、その方向に進めば進むほどに震えが強くなってくるオマケ付きだ。まるで持ち主である信長をその方向に導いているような……だから、信長はこの反応についてひとつの仮説を立てていた。
 すなわち――
(まさか……この先に例の化け物がいるんじゃ……)
 そんな予感の一方で、店を思わず飛び出してきてしまったことも今になって気になり始めていた。
 せめてブレスに声をかけて口裏合わせを頼んでおくべきだったかも、とも思うが、あんなセクハラ騒ぎの真っ只中ではそれが叶ったとも思えなくて――
「ぅわぁっ!?」
 と、信長の思考をいきなりの悲鳴が断ち切る――見れば、行く手の曲がり角からひとりの若者が転がり出てきたところだった。
(何だ、あのチャラ男……?)
 典型的な「今時の若者」の服装、信長によって瞬時にチャラ男に認定されたその若者がこちらに気づき――しかし、次のリアクションに移るよりも早く、若者の背後に何かが現れて――

 若者がつぶされた。

 のしかかってきた“それ”に突き倒されるように若者が転倒、“それ”によって背中を思い切り押しつぶされたのだ。
 骨が、それも一本や二本ではすまない数がへし折れる音が信長の耳にも届いた――そして、若者を押しつぶした“それ”がゆっくりと信長の方へと向き直った。
 それは――
「…………バイク?」
 第一印象が信長の口をついて出た――そう、一目で一般に市販されているものではないとわかるが、エンジンを備えた二輪車なのだからバイクなのだろう。
 だが、そのバイクにはだれも乗っていない。無人のままひとりでに動いていて――
「……次の獲物か」
 “バイクがしゃべった”。そしてひとりでにウィリーのように立ち上がり――形が変わった。
 変形、なんてレベルではない規模で形がつぶれ、作り変えられていく――そして出来上がったのは、エンジン部が右肩、両腕が前後のタイヤで構成された怪人であった。
 ただし――
(……日常生活大変そうだなー……)
 信長の抱く感想はその程度。他人に興味がないにも程がある。
「お前も運がなかったな。こんなところに出てきちまってよぉ」
 そして相手にとってもどうでもいいことだったようだ。信長に対して言い放ち、肩をほぐすようにコキコキと鳴らす。
「逃げたかったら逃げてもいいぜ。ま、逃がしゃしねぇがな。
 さぁ……てめぇの悲鳴を聞かせてくれや!」
 言って、バイクのクライマー、モータークライマーが信長へと襲いかかる――右手のタイヤをかわすと、信長は一旦距離を取り、左手にギルティコマンダーを装着する。
 ギルティコマンダーに“力”が通い、信長の脇の空間に穴が開く――迷うことなくその中にコマンダーを着けた左手を突っ込むと、その中からギルティドライバーを取り出し、腰に巻く。



《ルシフェル!》



 左手のギルティコマンダーにデモンズタリスマンをセット。左手から取り外したそれを手に大きく身をひねるようにかまえ、

「変身っ!」

《ルゥゥゥゥゥ、シッ! フェエェェェェェゥルッ!》
 腰のギルティドライバーに叩きつけるようにギルティコマンダーをセット。ギルティへと変身する。
「覚悟を決めろ……断罪の時間だ」
「るせぇっ! 何が断罪だ!」
 信長に言い返し、モータークライマーが再び殴りかかってくる――殴打をかわして反撃の蹴りを狙うが、
「――――っ」
 気づき、蹴り足を止める――防御のためにかまえた左腕のタイヤを高速回転させている。あのまま蹴りを放ってもタイヤに弾かれるだけ。最悪、スポークに足を巻き込まれてズタズタにされていたかもしれない。
「オラ、どうした! 最初の威勢はどこ行った!?」
「く……っ!」
 そんな信長の反応に気を良くしたか、モータークライマーがさらに攻め立ててくる――タイヤによる殴打をしのぎながら反撃のチャンスをうかがう信長だが、高速回転と共に襲い来るタイヤを警戒するあまり完全に攻めあぐねている。
「ぅわぁっ!?」
 そうこうしている内に、防戦にも限界が来た。すくい上げるように繰り出された右の一撃をもらい、信長が吹っ飛ばされる。
 ギルティの装甲に守られて直接の負傷こそなかったが、ハデに吹っ飛ばされた衝撃で動くこともままならない。
「さぁ、終わりだ!」
 そんな信長に対し、モータークライマーが迫る。右手のタイヤを大きく振りかぶり――


次回予告

「あぁ、まことさんから聞いてるからな、信長の障害の“症状”については」



「信長くんは……他人の気持ちが、わからないの」



「ずいぶんと、好き勝手やってくれたみたいだな、テメェ」



「追いかけるなら、これを使ってください!」



断罪 四「その名は仮面ライダー」



「人を突き放して生きるには、優しくなりすぎてしまったのよ……」


 

(初版:2017/03/13)
(第2版:2019/09/23)
(次回予告を追加)