一面、真っ赤だった。
 絶え間なく流れていた。
 果ての見えない血の池の中で、彼は静かに佇んでいた。
 全身に返り血を浴びて――
 その中で一際異彩を放つ――

 涙を流して。

 

「――――――っ!」
 恐怖でも、焦りでもなく――
 よくわからない衝動に突き動かされ、アリサは布団から飛び起きた。
 脳裏によみがえるのは先日の戦い――その中で見せた、今までとは明らかに違うジュンイチの姿だった。
 確かに恐ろしかった。
 残虐とも言える戦いぶりだった。
 だが、それ以上に――
「……何が、悲しかったってのよ……」
 あの時ジュンイチが見せた、涙が気になった。
 手向かう者だけでなく、逃げ出そうとした者までも容赦なく斬り刻む、惨劇と呼ぶに相応しい戦い――だが、それを引き起こした本人は、命を奪いながら泣いていた。
 その姿はとても凄惨で、哀しくて――あの惨劇の恐怖すら、覆い隠していた。
 実際、今見た夢も恐怖はあまり感じなかった。あの涙があまりにも印象が強すぎて――哀しさばかりが強く感じられた。
「ワケが、わからないわよ……」
 布団の上でヒザを抱え、アリサは考える。
 矛盾している――あまりにも落差の大きすぎる矛盾を、ジュンイチは抱えている。
 元傭兵だから、自分の及び知らない体験をしていても不思議じゃないとは思うが――そうだとすると新たな矛盾が浮上する。
 傭兵というのは、当然のことだが戦闘に参加し、命を奪う仕事だ。言い方は悪いが、『殺し慣れている』人間達の集団だと言える。
 そんな人間が、ひとりも逃がさず皆殺し、なんて残虐なマネをしながら涙など流すだろうか――映画などでは殺しすぎて精神が破綻し、殺しそのものを楽しむ殺人鬼のようなキャラクターを見ることがある。そういった類のものなのかもしれない、とも考えたが、そういう精神崩壊の類ともどこか違った。
 それほどまでに強烈な感情の爆発だった。少なくともそういった“壊れた”後の人間の姿とは思えない。
 だが、そんなことよりも――
「何で、何も話してくれないのよ……!」
 それが何よりも気に入らなかった。

 

 


 

第20話
「仲間を信じて……」

 


 

 

 ジュンイチの様子がおかしい――
 それは、誰の目にも明らかな変化だった。
 いつも何か考え込んでいて、よく見せていた明るさやハイテンションぶりがすっかりなりを潜めている。
 なのは達が事情を聞こうとしても『何でもない』、『やることはちゃんとやる』の一点張り。
 聞けばジーナ達にとってもあんなジュンイチは初めて見るらしく――彼女達の困惑は堂々巡りを繰り返すばかり。

 しかも――異変はそれだけに留まらなかった。
 ジュンイチの変化だけでも厄介な状況だというのに、そのジュンイチに対してアリサまでよそよそしくなり始めたのだ。
 最初の頃はそれでもなんとかジュンイチに対してアクションを起こそうとしていたものの、うまく本題を切り出せずに戦略的撤退を繰り返すばかり。その日の内に、ジュンイチとの距離はすっかり開いてしまっていた。
 少なくとも、その原因もまたジュンイチの変化にあることだけはわかるが――やはり、彼女に尋ねても『何でもない』という答えが返ってくるだけだった。

 すでに、事態はなのは達の手に負える次元を超えてしまっている。
 そんな状況下でできることはただひとつ。
 時間が解決してくれるのを、待つしかなかった。

〈……と、いうワケで……登校日の前日ギリギリまで、そっちに帰るのを遅らせようと思うんだけど……〉
「そうか……
 わかった。気をつけて」
 連絡してきたなのはに答え、恭也が受話器を置くと傍らからレンが尋ねた。
「なのちゃん、どないしたんですか?」
「いや……何かあったのは、どうもジュンイチの方らしい。
 何があったのかは知らないが、ずいぶんとふさぎ込んでいるらしくてな……そのせいで、アリサまで様子がおかしくなってきているらしい」
「ジュンイチさんが!?」
 その言葉に、クロノは思わず驚きの声を上げていた。
 乱暴、且つ失礼な言い方になるが、彼の神経の図太さはクロノの常識で計れる範囲を超えていると思う――幾多の死線を潜り抜けた者だけが持てる、絶対的な胆力の強さを、ジュンイチはあの年齢ですでに持っている。
 そのジュンイチがふさぎ込むような事態――正直な話、クロノには想像もつかなかった。

「……やっぱり、何もないか……」
 崩壊した廃墟の中を見回し、ジュンイチはひとりつぶやいた。
 先日の戦い――その中でリヴァイアサンの言っていた『何か変な施設』とやらを調べに来たのだ。
 “柾木家地下帝国アンダーグラウンド”で様々な角度から調べて場所を特定。すぐさま駆けつけたのだが――見事なまでに何もない。
 何もかもが破壊されているのなら、まだわかるが――本当に何もないのだ。残骸も含め、あらゆる機材が持ち去られている。
 しかし――それもまた、ジュンイチにとっては予想の内だった。
「ま、いつものことだけどな」
 いつもこうだ――手がかりを得て駆けつけても、一足違いで逃げられてしまう。今回などはリヴァイアサンの襲撃から日数が経っていることもあり、完全にダメモトの調査だった。
 だが、まったく収穫がないワケでもなかった。
 リヴァイアサンの攻撃ですっかり崩壊しているが、施設の建物はまだ新しいものだった。砕かれたコンクリートの破片――その断面の腐食のなさから考えると、少なくともここ数ヶ月の間に建てられたものである。
 と、いうことは――
「狙いは瘴魔やオレ達、か……」
 おそらくそういうことだろう――ラヴァモスにそっくりだったことから考えても、あの生物兵器達は自分達ブレイカーズと瘴魔との戦いのデータを元に作られたものだと考えていい。制作者達がここにその研究施設を作ったのも、ブレイカーズと瘴魔の戦いが府中を――ひいては東京を中心に展開されているから、ここがもっともデータを得やすいと考えたためだろう。
「オレ達を狙ってる――本来なら願ったり叶ったりなんだが……」
 つぶやき――ジュンイチの表情がくもった。
 確かに、“ヤツら”を追っている自分にしてみれば、自分が追っていることを知らないまま“ヤツら”が寄って来てくれるのは正直ありがたい。
 だが、タイミングが最悪だ――今この時ではジーナ達はもちろん、なのは達まで巻き込んでしまう可能性が高い。それだけはなんとしても避けなければ――
 その、もっとも確実な手段は――
「なのは達との別行動も、考えなきゃな……」

「はぁ……」
 もう何度目になるだろうか――ため息をつき、公園のベンチに腰掛けたアリサは憎らしいほどにさわやかな青空を見上げた。
 柾木家にいても気まずいばかりで、たまりかねて散歩に出たが――正直なところ、何の解決にもなってないのは誰の目にも明らかだった。
「……あー、やめやめ!
 いくら考えたって、わかんないものはわかんないんだし!」
 だが、それは彼女自身が一番わかっていた。頬をパンッ! と叩いてベンチから立ち上がる。
「やっぱり、ジュンイチさんに直接聞いてみよう!
 話してくれないようなら引っぱたいてでも!」
 決意を固め、アリサが宣言し――
「うーん、それでアイツが話すかなぁ……?」
「ひゃあっ!?」
 突然となりで告げられた声に驚き、アリサは思わずその場で飛び上がった。ドキドキする胸を抑え、声の主に抗議する。
「ら、ライカさん!?
 脅かさないでくださいよ!」
「アハハ、ゴメンゴメン」
 まったく反省のない口調でそう告げると、ライカはアリサに向けてカラカラと笑ってみせた。

「じゃあ、ライカさんも今回のことは心当たりないんですか?」
「まーね」
 再びベンチに座り、尋ねるアリサにライカは肩をすくめてそう答える。
「元々、アイツって自分のことは必要がない限り、それも最小限しか話さないからねー……こっちから聞いたってノラリクラリとかわすだけだし。
 だから、今回のこともアイツの過去がカギだとしたら、あたし達にはどうしようもない――何しろ判断するための材料がないんだから」
「だけど……!」
 ライカのその言葉に、アリサは思わず視線を落とした。
「ライカさんは……ジュンイチさんが心配じゃないんですか?」
「心配よ」
 あっさりと答えは返ってきた。
「あたしだって心配してるわよ。一応ブレイカーズウチのリーダーの問題なんだし。
 けどね……本人の手でケリをつけなくちゃいけない問題、っていうのは、結局のところ誰にでもある、誰でも出くわすものだと思うのよね」
「ジュンイチさんのそれが……今回のコトだって言うんですか?」
「少なくとも、あたしは――多分そうなんじゃないか、って思ってる。
 そして――そーゆーのは本人が白旗を揚げない限り、横から口出しすべき問題じゃないって、少なくともあたしは思うワケよ」
 アリサに答え、ライカは空を見上げた。
「だから、あたしはジュンイチが答えを出すまで、アイツの代わりにがんばろうと思う。
 あたしだってコマンダー・ランクだもの。あいつが出し切れない分の力、くらいは持ってる自負はあるからね。
 けど――」
 そう言って、ライカは不意にアリサの額をつついて告げた。
「だからって、アリサちゃんまでそうすることはないわよ。
 アリサちゃんは、アリサちゃんがジュンイチのためになるって思ったことをすればいいの」
「わたしが……ジュンイチさんのために……?」
「そう。
 だって、アリサちゃんが一番、今回のジュンイチの変化に近いところにいるんでしょ?
 なら、一番有効な手を考えつけるのも――たぶんアリサちゃんよ」
 その言葉に、アリサは思わず言葉に詰まった。
 ライカの言うとおり、確かに今回の件で一番ジュンイチに近いところにいるのは自分だろう――ジュンイチの悩みの原因が、間違いなく先日のリヴァイアサンが繰り出した生体兵器にある以上は。
 次の句がつなげず、黙り込むアリサに対し、ライカは思わず肩をすくめ――

 ――――――

「――――――っ!?」
 その気配を感じ、唐突に顔を上げた。
「ライカさん?」
「どうも、話は後にした方が良いっぽいわね……」
 尋ねるアリサにそう答え、ライカは虚空をにらみつける。
「いったい、何が――」
 そう言いかけ――アリサは気づいた。
「……まさか、ジュエルシードですか!?」
「そういうこと!」
 そう。アリサに答えるライカだったが――突然、その瞳が驚愕で見開かれた。
 ある気配を感じ取ったからだ。
「ちょっと……
 なんで“アイツ”がここで出てくるのよ!?」

「マヂかよ……!
 なんで、このタイミングでてめぇが出てきやがる!」
 目の前に佇む“彼”に対し、ジュンイチは思わず声を張り上げた。
 ジュエルシードの発動を感じ取り、急ぎなのは達と合流すべく急行したジュンイチだったが――突如、その前に立ちふさがった者がいた。
「納得のいく説明をしてもらうぞ――」
 言いながら、爆天剣の切っ先を“彼”に突きつけ――その名を呼ぶ。
「答えやがれ――イクト!」
 だが、その問いにイクトと呼ばれた彼は動じることなく冷静に答えた。
「簡単な話だ。
 この先にいる、何かに取り付いているエネルギー体――我々としても貴重なエネルギー源だ」
「お前ら瘴魔もジュエルシードに狙いを定めたってワケか……」
 イクトの言葉にうめき、ジュンイチは爆天剣をかまえたままなのは達の気配を探る。
(暴走体の力はそう大したことはなさそうだな……任せても問題ないか。
 リヴァイアサンの気配もなし――ま、こないだ半殺しにしてやったばかりだ。そうそう復活できるもんでもないか)
 となれば、自分のやることは――
(目の前のコイツを――イクトを抑える!)
 だが、そんなジュンイチを前にして、イクトは告げた。
「ここでオレと戦うつもりか……
 やめておけ。今のお前では話にならん」
「何!?」
「そうやって、“挟撃にも気づけないでいる内はな”」
「――――――っ!?」
 その言葉にとっさに身をひねり――ジュンイチはすんでのところで背後から迫った斬撃をかわす。
 すぐにその場を離れ――ジュンイチは新たな襲撃者と対峙した。
 タカをベースにした瘴魔獣だ。両手には今ジュンイチを襲った獲物――大型のバトルアックスが握られている。
「武器使い、か……
 ホント、イクトんトコの瘴魔獣は武闘派だことで」
「いかにも。
 ガルホークと申す。以後お見知りおきを」
 ジュンイチにそう答え――ガルホークと名乗った瘴魔獣は大きく羽ばたき、ジュンイチに向けて飛翔した。

「そんなにヤバい相手なんですか!?」
「『ヤバい』なんてレベルじゃないわよ!」
 尋ねるアリサの問いに、彼女を背負って飛んでいるライカがそう答える。
「“炎”の瘴魔神将・炎滅のイクト――あたし達と戦ってる神将クラスの中でも文句なしの最強株。
 その上――基礎能力じゃ、あのジュンイチよりも上なのよ」
「ジュンイチさんよりも!?」
「いつもだったら、ジュンイチがあのノリで翻弄するおかげでなんとかなるんだけど……」
 ライカの言いたいことはわかった――アリサは思わずその懸念を口に出した。
「今のジュンイチさんは……そんなことができるテンションじゃない……!」

「ぐぅ………………っ!」
 十分な踏ん張りが間に合わなかった――イクトの斬撃を受け止めたものの、その衝撃に押されてジュンイチは大きく後退し――
「――――――っ!」
 そのスキを狙ったガルホークのバトルアックスを、ジュンイチはその体制から上体をそらし紙一重でかわす。
 すぐさま身をひるがえし、カウンターの炎を放つが、
「甘い!」
 それにはイクトが反応した。炎の防壁を作り出し、ジュンイチの炎を受け止める。
「どうした? 柾木。
 動きにいつものキレがないぞ」
「やかましい!
 こっちだって、いろいろ忙しい身の上なんだよ!」
 言い返し、ジュンイチはイクトに向けてより強力な炎を放つ。
 だが――通じない。イクトもまた防壁を強化してそれを受け止め、
「否定はしない、か……
 強がらないあたりは、いつもの貴様か」
 まき散らされる炎の中を突っ込んできたジュンイチの斬撃を、愛刀・凱竜剣で受け止める。
「だが――やはり鈍りが見える」
 告げると同時――
「はぁぁぁぁぁっ!」
 動きの止まったジュンイチをガルホークが襲った。急旋回からの斬撃はとっさに反応したジュンイチによって流されるが、次いで放った蹴りが彼の脇腹を捉えた。
 踏ん張りの利かない空中――だが、飛翔能力を持つ者の場合、踏ん張りの代わりに飛翔能力の応用で蹴りに加速を与えられる。増してや“人”よりもはるかに優れた身体能力を持つ者の蹴りだ。負けないだけの能力を持っていても、本調子でないジュンイチの耐えられるものではなかった。まともにくらったジュンイチは一直線に大地に叩きつけられる。
 大地が砕け、もうもうと土煙が舞い上がる中、ジュンイチはなんとか身を起こして自身の状態を確かめる。
(アバラ3本――治癒まで、今のレベルだと5分、か……!)
 だが――そんな時間を敵が与えてくれるワケがない。急降下してきたイクトの斬撃をかわし、ジュンイチは上空へと舞い上がり――
「もらった!」
「――――――っ!?」
 その声に振り向くと、ガルホークがかざしたバトルアックスを振り下ろすところだった。
(探知が遅れた――!?
 かわせ――ない!)
 回避不能を悟ったジュンイチに向け、バトルアックスの刃が迫り――

 バギィンッ!――という甲高い金属音と共に、その刃は弾かれ、ジュンイチのすぐ脇を駆け抜けた。
 飛来した光の弾丸によって、その軌道をそらされて。
「何者っ!?」
 明確な妨害――ガルホークはその正体を確かめるべく振り向き――
「たぁぁぁぁぁっ!」
 だが、振り向いた瞬間、放たれた蹴りをその腹に受け、先のジュンイチのように大地に叩きつけられた。
 そして――
「まったく……本調子でもないのに、何イクトと張り合ってんのよ」
 ジュンイチのとなりに舞い降り、アリサを背負ったライカはため息まじりにそう告げる。
「ら、ライカ……それに、アリサも……!?
 どうしてここに!? ジュエルシードの方には行かなかったのか!?」
「あのねぇ! アンタとイクトがドンパチやってるのに、ほっとけるワケないでしょうが!」
 思わず声を上げるジュンイチに答え、ライカがアリサに離れてもらうと、
「何をごちゃごちゃ、やっている!」
 地上から怒りの声が上がり――ガルホークが土煙を吹き飛ばしてその姿を現す!
 その手に生み出されているのは――
(竜巻――!?)
「アイツ――“風”属性!?」
「みたいだな!」
 ライカの言葉にジュンイチが答え、彼らはガルホークの放った竜巻をかわす。
「アリサちゃんは下がってて!
 “風”属性なら、あたしがスピード勝負で――」
 言いながら、ライカはカイザーブロウニングをかまえ――
「なめんな!」
「って、ちょっと!?」
 そのすぐ脇をガルホークに向けて突っ込んでいくジュンイチに、ライカは思わず声を上げる。
 だが――ジュンイチはかまわない。その後を追ったイクトや迎え撃とうと飛び立ったガルホークと、空中で幾度となく斬り結ぶ。
 元々ジュンイチはどんな状況でもその状況に則した戦いを信条としている。この場合で言えば、“風”属性であり機動性に優れているガルホークに対してはフェザーファンネルや誘導系の攻撃で動きを封じ、着実に追い込むのが彼本来の流儀のはず――追い込んでもスピードで逃げ切られるこの状況で近接機動戦闘など、間違っても選ぶようなタイプではないのに――
 そんな、明らかにいつもの平静さを失っているジュンイチの様子は、後方に下がったアリサも見ていた。確信と共につぶやく。
「やっぱり……
 ジュンイチさん、いつものペースを完全に見失ってる……!」

「この……っ!」
 振り下ろされたバトルアックスを爆天剣で受け止め――折られた脇腹に激痛が走った。踏ん張りが利かず、力ずくで押し切られてしまう。
 追撃を狙うイクトを炎で牽制し、ジュンイチは体勢を立て直し――
「ちょっと、落ち着きなさいよ、ジュンイチ!」
 そんな彼を制したのはライカだった。ジュンイチの前に飛び込み、彼を抑えつける。
「何らしくもなく頭ごちゃごちゃにしてんのよ!
 もっと冷静にならなくちゃ!」
「冷静だよ、オレは!」
「ぜんぜん冷静じゃないじゃない!」
 言い返すライカだが、ジュンイチはかまわずイクト達に向けて爆天剣をかまえる。
「だから、待ちなさいって!」
 そんなジュンイチをライカが制し――ジュンイチは告げた。
「この程度で……退いてられないんだ……!」
「え………………?」
「こんなところで退くようなザマで、この先戦っていけるか!
 オレには……倒さなきゃならないヤツらがいるんだ!」
 そう告げるジュンイチの表情には、文字通りの鬼気が宿っている――それがジュンイチの“過去”に関係するものであろうことは、ライカにも察しがついていた。

 前々から思っていた――ジュンイチは、ブレイカーとしての戦いの他にも何かを抱えている。本来はその“抱えているモノ”と戦わなくてはならなかったところを、自分達が半ばムリヤリブレイカーとしての戦いに引きずり込んでしまったのだろうと。
 だが、おそらく本人は知る由もなかったのだろうが――リヴァイアサンは偶然にもジュンイチの“過去”の一端に触れてしまった。ジュンイチに“今している戦い”と“本来の彼の戦い”を同時に突きつけてしまった――そのことが、彼に悩みを、混乱を与えてしまった。

 アリサもまた気づいていた。
 リヴァイアサンが持ち出した、あのラヴァモスそっくりの生体兵器――あれこそが間違いなく、ジュンイチの“過去”に関わるものだったのだろうと。
 だからこそ、自分の過去に触れられたくないジュンイチは悩んでいる――リヴァイアサンがその手がかりに手を出してしまった以上、このまま今の戦いに自分の“過去”が関わらないでいられる可能性は決して高くはない――今の戦いに自分の“過去”が重なることを、仲間達を自分の“過去”に関わらせてしまうことを、ジュンイチは極端なまでに恐れている。
 すべてを抱え込み、すべてを自分で何とかしようと苦しみ、もがいている――アリサにはそう見えた。

 だからこそ――二人はジュエルシードをなのは達に任せ、この場に現れたのだ。

「あのねぇ……!」
 そして、ジュンイチがそんな思考の悪循環に陥っているからこそ――ライカはうめくように低い声で、強く、確実にジュンイチに告げた。
「アンタはいっぺん……」
 カイザーショットを振り上げ――
「頭、冷やしなさい!」
 渾身の力で、ジュンイチを大地に叩き落す!
 そして、イクトとガルホークへと向き直り、告げる。
「悪いわね。
 少しばかり、ジュンイチには抜けてもらうわ」
「素直に立ち直るのを待つとでも思っているのか?」
「思ってないわよ。
 だから――」
 できるかどうかはともかく――やらなければならない。
「私が相手よ」

「ってぇ……!」
 油断していたところにまともに喰らった――殴られた頭をさすり、ジュンイチは身を起こした。
「ライカのヤツ、ムチャクチャやりやがって……!」
 うめき、再び戦場に戻るべく立ち上がり――
「ジュンイチさん!」
 そんな彼を、舞い降りてきたアリサが頭上から呼び止めた。
「何だよ、話なら後にしてくれ」
 だが、かまわない――あっさりと言って、ジュンイチは翼を広げ――アリサが動いた。
「ジュンイチさんの……」
 思い切り“ブレインウェブ”の端末を振り上げ、
「バカぁっ!」
 渾身の力で、ジュンイチの頭に叩きつける!
「〜〜〜〜〜〜っ!」
 しかも角がヒットした。言葉に――声にすらならない悲鳴を上げてのたうち回るジュンイチをビシッ! と指さし、アリサは一気にまくし立てる。
「何よ何よ! 何なのよ!?
 この間の戦いからずっとムスッとしちゃって!
 元気ないのバレバレじゃない! 悩んでるの見え見えじゃないの!」
「そ、それは……!」
「問答無用ぉっ!」
 反論を封じるかのように、再び角で第2撃――ガラス状のモニターが割れ、破片がジュンイチの脳天にグッサリと突き刺さるがかまいはしない。
「どうして話してくれないのよ! 何で相談してくれないのよ!?
 あたし達は、そんなに信用ないワケ!? あてにならないワケ!?」
「ンなワケ……!」
 反論しようと顔を上げ――ジュンイチは言葉を失った。
「あたし達が、どれだけ心配してると思ってんのよ……!
 あれ以来ぜんぜん、あたし達のこと見ようとしてないじゃない……!」
 そう告げるアリサの頬を伝う――涙の筋を目にして。
「そりゃ、わたし達はジュンイチさんより弱いわよ。できることだって限られてる……
 ……けど、わたし達にだってできることはあるのよ!
 仲間なんだもん……信じてくれてもいいじゃない!」
 前髪に隠れて、アリサの表情は見えない――だが、その言葉はジュンイチに真っ向から突き刺さっていた。
「それでも……まだ、この期に及んで、わたし達をほっとこうっていうの!? どうなの!?
 答えなさい! 柾木ジュンイチ!」

「く……っ!」
 一撃でカイザーショットを両断された――舌打ちし、ライカはガルホークから距離を取るが、
「逃がすか!」
 そこへイクトが襲いかかった。とっさにかまえたサーベル型精霊器“光天刃”で、振り下ろされた凱竜剣を受け止める。
「砲手の分際で接近戦など、身の程を知れ!」
「失礼な……!
 あたしだって、近接戦のスキルは持ってんだからね……!」
 力で押し切ろうとするイクトに対し、なんとか踏ん張りながら答えるライカだが――気づいた。
 完全に動きを止められた。すなわち――
「――しまった!」
 声を上げるが、もう遅い――イクトに抑えられた彼女の脇をすり抜けたガルホークは、一直線にジュンイチやアリサに向けて急降下していく――

 すでにアリサは何も言わない。無言でジュンイチをにらみつけている。
 その鋭い視線を前に、ジュンイチはうつむき――口を開いた。
「……せぇよ……」
「え………………?」
「うるせぇって言ったんだ」
 アリサに答え、ジュンイチは立ち上がる。
「な、何よ、その言い方!
 こっちはあなたを心配して言ってるのに!」
「それが余計な事だって言ってるんだ」
 思わず声を上げたアリサに、ジュンイチは静かに答える。
「仲間を信じろとか、頼ってくれとか……」
 めんどくさそうに頭をかく――揺れる前髪が遮り、先のアリサのようにその表情は見えない。
「言いたい放題言いやがったおかげで――」
 そんな、アリサに向けて告げるジュンイチへとガルホークがバトルアックスを振り下ろし――

 

「お前らを守らずには、いられなくなっちまっただろうが!」

 

咆哮と同時――ガルホークの戦斧は真っ二つに斬り裂かれていた。

刀身が炎に包まれた、ジュンイチの爆天剣によって。

 

「え……? え………………!?」
 突然の復活――事態についていけず、思わずその場にへたり込んでアリサが声を上げると、
「……アリサ」
 そんなアリサに、ジュンイチは静かに声をかけた。
「お前……オレのこと呼び捨てで呼んだろ」
「あ………………」
 必死だったから忘れていた――思わず口を押さえるアリサだったが、
「しかも思いっきりブッ叩いてくれたな」
 そう告げるジュンイチの表情は、その言葉の内容とはまったく正反対のものだった。
「その上デカい口まで叩いたからには――」
 久しぶりに見る、その表情――
「ヘタなアシストなんかしたら、蹴り飛ばすからな」
 ジュンイチは――笑っていた。

「ジュンイチ!」
 その光景は、上空の面々も見ていた――復活したジュンイチの姿に、ライカは思わず声を上げた。
 対して、イクトはそんなジュンイチを冷静に値踏みし、
「……潮時だな」
 言うなり、静かにその場から上昇する。
「あれ、帰るの?」
「ヤツが復活した以上、ガルホークでは役不足だからな――退路を断たれる前に失礼するぞ」
 尋ねるライカにそう答え、イクトはその場から飛び去っていく。
 ライカは追わない――元々ジュンイチでさえ本調子でなければ持て余す相手なのだ。追ったところで返り討ちにあうだけだ。
 それよりも、イクトの今回の行動が気になった。
 突如ジュンイチを襲ったのはまだいい。だが、今回ジュンイチは不調で一気に倒してしまうチャンスだったはずだ。なのにそれをせず、ダラダラと戦いを長引かせ、結果としてアリサによるジュンイチの復活を許した。
 冷静沈着なイクトにしてはあまりにも非合理的な行動だ。考えられるのは――
「……ジュンイチライバルへのハッパ、ね……
 まったく、男ってヤツはたまーにこういうことやりたがるのよねー……」

「今さら、何を!」
 一方、イクトに置き去りにされたことなどカケラも気づかず、ガルホークはジュンイチに向けて突っ込む。
 ジュンイチに両断されたものの、バトルアックスの刃はまだ柄側の下半分が残っている――重さよりも軽さによって凄まじい勢いを得た戦斧がジュンイチへと迫り――
「――――――っ!?」
 とっさに気づいて離脱。一瞬前までいた空間が無数の閃光によって貫かれ、
「さーて、そんじゃ、いってみようかぁっ!」
 ジュンイチが告げると同時、すでに生成されていた無数のフェザーファンネルが一斉にガルホークへと襲いかかる。
 しかし、敵もさるもの。細かい機動でフェザーファンネルを翻弄、巻き起こした竜巻でフェザーファンネルを薙ぎ払う。
「くそっ、チョコマカと!
 それじゃタカっつーよりハヤブサじゃねぇか!」
「猛禽系の身としては、最上級のほめ言葉だな!」
「そいつぁ――どうも!」
 律儀に答えてくるガルホークに言い返し、ジュンイチは放たれた反撃の竜巻をかわし――
「もらった!」
 竜巻の強烈な風のそばでの回避は、予想以上にジュンイチの動きを鈍らせた。ガルホークは容易にその背後へと回り込み――ジュンイチが反応するや否や、さらにその視界から消える!
 スピードを活かし、ジュンイチの周囲を飛び回り、死角から攻めるつもりなのだ。

「ジュンイチ……!」
 周囲を飛び回るガルホークによって動きを封じられたジュンイチを、アリサは後方で見守っていた。
 が――すぐに頬を叩き、気合を入れる。
(そうだ……!
 ジュンイチも言ってた――『ヘタなアシストをするな』って……)
 すなわち『アシスト自体はしてもいい』ということ――彼は、この場において自分にアシストを任せてくれたのだ。
 ならば――やることはひとつしかない。先ほどジュンイチを殴った際に壊してしまったひとつを除く残り二つでガルホークの動きを懸命に追う。
(すずかの“サウザンドアイ”ほどじゃなくても――わたしの“ブレインウェブ”だって、分析作業はできるんだから!)
 すぐにその機動パターンは読めた。
 ガルホークはそのスピードが災いし、細かい機動を行う際は一定毎に一度減速、再加速している。となれば、その減速の瞬間を狙えばいい。
 そして、次に減速するのは、今の軌道から考えて――
《ジュンイチ、下!》
「了解っ!」
 言葉で伝えるよりも念じた方が早い――念話で伝えるアリサの指示に従い、ジュンイチは真下で動きを鈍らせたガルホークに向けて火球を叩き込む!
「な………………っ!?」
 動きを読まれたことに驚愕し――それでもガルホークはすぐに動き、再びジュンイチの死角に飛び込むが、
《水平4時方向!》
 再びアリサがジュンイチにその位置を伝えた。すぐに反応し、ジュンイチは後ろ回し蹴りでガルホークの顔面を張り倒す。
「その調子だ――死角に回られたら頼むぜ!」
「OK!」
 告げるジュンイチに答え、アリサは吹っ飛ばされたガルホークの動きを追うが――
(あれ………………?)
 ガルホークの動きが変わった。ジュンイチから離れ――突然進路をこちらに向ける!
(わたし狙い――!?)
 アシストである自分を先に叩こうというのだろう――襲いくるガルホークを前にアリサは思わず目を閉じ――

(………………あれ?)
 だが、衝撃は来なかった。
 時間から考えれば、ガルホークの攻撃はすでに届いていなければならない。
 だが、未だ自分は無傷で――
(ってことは……)
 半ば確信に近い想いと共に、アリサは目を開き――
「忠告。
 最後までアシストしたかったら、ギリギリまで根性入れて目ェ開けとけ」
 ガルホークのハルバードを素手で――柄を狙って受け止め、ジュンイチはアリサに向けて告げ――次の瞬間には、ガルホークは視線すら合わせずに放たれたジュンイチの蹴りを的確にこめかみへと打ち込まれ、大きく吹き飛ばされていた。
「――――くっ!
 それなら!」
 死角に回り込むのはもはや不可能。司令塔のアリサを叩こうにも先回りされる――決め手を封じられ、ガルホークは戦法を変えた。ジュンイチから大きく距離を取り、翼を広げる。
「回避も、防御も許さない――反応しきれないほどの速さで、叩きつぶすまで!」
 咆哮するなり、正面からジュンイチへと一直線に襲いかかる!
「ジュンイチ!」
 思わずアリサが声を上げ、一本の巨大な矢と化したガルホークはジュンイチへと襲いかかり、バトルアックスの石突によって刺突を繰り出し――!

「なるほど……
 あれだけの加速が相手となると、オレの機動力じゃかわしきれない。ガードしようがその上からブチ抜かれる。まさに切り札だね」
 だが、ジュンイチは平然と告げていた。
 その言葉を受ける、ガルホークは――
「けど、おあいにく。
 オレが遅いのは『移動速度』だけの話でね」
 ジュンイチの放った拳を、真っ向から顔面に受けていた。
 ガルホークの繰り出した刺突はわずかにジュンイチの頬を裂いたのみ――完璧にカウンターが決まった形だ。
「制空圏内における反応速度って意味じゃ、“光”属性のライカやブリッツアクション全開のフェイトにだって追いつけるんだ。
 お前は知らないだろうが――オレはレールガンの弾をかわしたことだってあるんだ、ぜ!」
 言うと同時、ジュンイチは拳を引きつつそのままの流れで身を翻し――次の瞬間にはすでに蹴りの間合いへと移行していた。渾身の蹴りが、ガルホークを大地に叩き落とす!
「くっ……そぉっ!」
 それでも、ガルホークは倒れなかった。大地に叩きつけられる直前でなんとか体勢を立て直して着地。再び上空へと跳び上がる。
 だが――ジュンイチには向かわない。距離を取り、周囲に多数の竜巻を作り出し――それを各々に圧縮、強力な空気弾を作り出す。
「へぇ、接近戦はあきらめたか」
「悔しいが、貴様に一日の長があるようなのでな」
「なるほど、正しい選択だ」
 答えるガルホークに告げ――ジュンイチは続けた。
「けど――教科書どおりだ」
 その瞬間――ガルホークの動きが止まった。
 四肢を――そして翼を炎の鎖に絡め取られて。
 ジュンイチの得意とする拘束バインド系精霊術“炎鎖縛牢フレイム・プリズン”だ。
拘束術バインド、だと……!?」
 しかもこの強度は――
「要詠唱クラス……!?
 バカな、呪文を詠唱している気配などなかったはず!」
 うめくガルホークだったが――ジュンイチは淡々と答えた。
「精霊術において、呪文のその言葉、それ自体に意味はない。
 精霊術の呪文というのは、あくまで術者が術を行使する上で必要な“力”の構成――術式を編み上げるための精神集中の儀式にすぎない。呪文が節によって区切られているのも、手順を把握するための、言わばフローチャートでしかない。
 すなわち――呪文に頼らなくても、術式さえ編み上げることさえできればいいんだ。その条件さえ満たすことができれば、それこそ言葉として何の意味も持たない絶叫にさえ、呪文としての意味を与えることができる」
「――――まさか!?」
「ようやく気づきやがったか、このボケナスが」
 声を上げるガルホークに、ジュンイチは笑みを浮かべて告げた。
「そう――戦線復帰してからのオレの攻撃の掛け声や軽口――その辺全部に、呪文としての意味を持たせていたんだ」
「く………………っ!」
 ジュンイチの言葉にうめき、なんとか脱出しようとするガルホークだが――強力な拘束術バインドの前に、いくらもがいてもビクともしない。
「さて、一気に決めるとしましょーか!」
 そして、それはジュンイチにとって勝負を決める絶好のチャンスだった。言うと同時に爆天剣をかまえ――声をかけた。
「アリサ」
「え………………?」
「こないだリヴァイアサンと殺り合った時の、決めの一撃、覚えてるだろ」
 平然と尋ねるジュンイチに、アリサはコクコクとうなずき――そんな彼女にジュンイチは告げた。
「特別出血大サービスだ。
 見せてやるぜ――あの斬撃の、完全版!」

 ―― 全ての力を生み出すものよ
命燃やせし紅き炎よ
今こそ我らの盟約の元
我が敵を断つ刃となれ!

 ジュンイチの呪文に従い、彼のかまえた爆天剣の刃が巻き起こった炎の渦によって覆われる。
 そして、ジュンイチは爆天剣を振りかぶり――

 精霊剣術――竜皇牙斬!

 咆哮と同時――振り下ろした爆天剣から、先の戦いで見たものよりも幾分小ぶりな――だが、あの時よりもはるかに強い輝きを持った炎の刃が撃ち出される!
 それは一直線に動きを封じられたガルホークへと突っ込み――まるで紙でも裁つかのように易々と両断する!
 そして、その切り口に負のエネルギーを浄化する“封魔の印”が現れ――次の瞬間、ガルホークの身体は大爆発を起こし、消滅した。

《こっちは大丈夫です。
 ジュエルシード、無事に封印完了です!》
「そっか。ごくろーさん♪」
 こちらの戦闘終了から数分――ジュエルシードの封印を報告してきたなのはに、ジュンイチはいつもの調子でそう答える。
《それで……そっちは大丈夫なんですか?
 なんだか、すごく強い“力”をそっちから感じてたんですけど……》
「あぁ、イクトのことか。
 大丈夫だよ。こっちがザコを小突き回してる間に帰ってった」
《あー、そうなんですか……》
 すっかり元通りに復活したジュンイチの声色に、なのはも安心したようだ――呆れた口調ではあるが、彼女の声も少々弾んでいるのがわかる。
「っつーワケで、詳しい話は後でな」
《はい》
 なのはの答えを合図にジュンイチが念話を終えると、ライカは大きく背伸びして、
「じゃ、帰りますか。
 あたしも夕飯の支度があるし」
「おぅ。
 鈴香さん達によろしくな」
 言って、一足先に帰路につくライカをジュンイチは見送り――
「えっと……ジュンイチさん……」
「何今さら『さん』付けしてやがる。
 さっきまで呼び捨てにしてたんだ。今さら気を遣うな」
 声をかけるアリサに、ジュンイチは平然とそう告げる。
「う、うん……
 ジュンイチ……もう、大丈夫なのよね?」
「おかげさんでな。
 すまなかったな。いろいろ荒れたりグロいの見せたりして」
 そう答えると、ジュンイチはため息まじりに肩をすくめ、
「あの生体兵器を作ったと思われる連中は、ちょいと“仕事”がらみで因縁のある相手でな。
 個人的な恨みもあって――どうしても、オレの手でケリをつけたいんだ」
「………………」
 個人的な恨み――確かにそうだろう。でなければ、あの生体兵器を相手にした時の残虐性の説明がつかない。
 だから、『自分の手で決着をつけたい』という気持ちもわからないでもない。
 だが――それでも何かが腑に落ちない。
 何か、根本的な部分を彼は話していない――そんな確信がある。
 しかし、そんなアリサの心情などお見通しだったのか、ジュンイチは告げた。
「話さなかったのだって、ちゃんと理由はあるさ。
 ちょっとお前らは知らない方がいいようなドロドロの事情も絡んでる。知らない方が幸せでいられることってのもあるんだよ。
 それに……」
 わずかに――本当にわずかにジュンイチの声色が変化し、アリサは顔を上げ――
「ぶっちゃけ、未だに許してないからな。
 今でも話そうとするたびにハラワタ煮えくり返るんだ――お前、話の最中オレにいきなりブチキレられたいか?」
「ゴメンナサイ。もう聞きません」
 急転直下――明らかに機嫌が悪くなったジュンイチを前に、アリサはあっさりと白旗を揚げていた。

 だが――正直な話、ここで引き下がるのも面白くない。
 彼の決意は固い。おそらく事情の説明は期待できないだろうが――こちらもさんざん心配させられたのだ。せめて一泡ふかせたい。
 さてどうしたものか、とアリサは考え込み――
「………………♪」
 あった。
 今のジュンイチに通じそうな、格好の切り札が。

 その晩――
「………………ダメだ」
 やってきたアリサを前にして、ジュンイチはそう告げた。
 だが――その顔は渋い。自分の不利を自覚している証拠だ。
 そして――それを見越しているアリサもまた退かない。
「だって……眠れないんだからしょうがないじゃない。
 夕べだって夢に見ちゃったワケだし――誰が血みどろの惨劇を見せたせいだと思ってるの? トラウマになったらどうするの?」
「う゛っ………………
 いや、確かにそれについては全面的にオレが悪いが……」
「オマケに、その中でアンナモノまで見せて……」
「………………?
 何か言ったか?」
「あ、ううん、何も」
 思わず最も気になっていたもの――あの時の涙についても口を滑らせてしまったが、幸いそちらは聞かれることはなかったようだ。尋ねるジュンイチに、アリサは手をパタパタと振って答える。
「とにかく! ジュンイチには責任を取ってわたしを安眠させる必要があると思うのですよ」
「だからって人んトコに添い寝しに来るな!」
「部屋になんて呼べないわよ!」
「元々オレんちの空き部屋だろうが!」
「今はわたしの部屋!」
「なのは達んトコ行け!」
「もう寝てるのに押しかけられるワケないでしょうが!」
「オレもオトコだ! 身の安全保障せんぞ!」
「何!? 襲うつもり!? あなたロリコン!?」
「断じて違うし襲うつもりもないっ!」
「じゃあ安全じゃないの!」
「それでもダメ!」

 ………………!
 …………!
 ……!

 

 

(議論が平行線をたどっております。しばらくお待ちください)

 

「なんか……うまくごまかされた気がするんだけど……」
「やかましい。
 オレとしてはこれが精一杯の妥協点だ」
 うめくアリサに対し、押入れから持ってきた布団を敷きながらジュンイチは憮然とした表情でそう答える。
 女の子と同じ布団ともなれば、たとえその気がなくても――いや、ないからこそ余計に神経をすり減らす。さすがのジュンイチもこの件については全力で拒否。対するアリサも言い出してしまった手前頑として譲らず――結局のところ、部屋は同じ、寝具は別々、ということでお互いが妥協する形となった。
「……っと、ほら、ベッド貸してやるんだから、さっさと寝ろ」
「ぶー」
 ジュンイチの言葉に頬をふくらませるアリサだったが、素直にベッドの中にもぐり込む。
(まぁ、十分困らせられたし、このくらいでいいか……)
 少なくとも『仕返し』という当初の目的は達成できた――納得することにしたアリサの眼下で、電気を消したジュンイチは床に敷いた布団の中へともぐり込み――
「ほらよ」
 唐突に――ジュンイチは布団の中から伸ばした手でアリサの手を握った。
「え゛………………」
「同衾はムリだが、手ぐらい握っててやる。
 お前はひとりじゃない――だから安心して寝やがれ」
 あっさりと告げるジュンイチだったが、完全に不意を突かれたアリサはそれどころではない。
 おそらく顔は耳まで真っ赤だろう――さっさとベッドに入り、しかも電気も消えていた幸運に、思わず神に感謝する。
「あ、オレは一度寝たらテコでも動かん。
 離さないまま寝つけたら朝まで握っててやれる――途中で手が抜けたりはしないから安心しろ」
「よ、余計な――」
 お世話よ――そう続くはずの言葉はアリサの口からは出てこなかった。
 代わりにジュンイチが感じたのは、自分が放すまいと強く握り返してくるアリサの手の感触――
 そして――言葉の続きが告げられた。
「――余計な心配は……いらないから……」
 アリサが感じるのは、ジュンイチの手から伝わる確かなぬくもり――
(あったかい……)
 このぬくもりが、そばにある限り――
「その心配は……もう、いらないから……」
 きっともう大丈夫――そんな安心感に身をゆだね、アリサはジュンイチの布団の中で安らぎに身を委ね――

 

(……“ジュンイチの布団”!?)

 ――られなかった。その事実を認識した瞬間、迫っていた眠気が一瞬にして吹き飛んだ。
(こ、ここで……ジュンイチはいつも寝てるのよね?)
 『いつも』ではないが一応そうだ。
(もしかして……すごくダイタンなことした? わたし)
 『もしかして』どころか『確実に』。それに『すごく』なんてレベルでもない。
 おまけに、そのベッドの主は自分の手を握ってくれたまま、早いものですでに寝息を立て始めている――彼の言うとおり、どうやら眠ったらホントにテコでも動かないらしい。特に強く握られているワケではないが、彼の手はガッチリと握った状態を維持し、しかも何かコツでもあったのか、抜こうとしてもビクともしないワケで。
(つまり、朝までこの体勢なのよね……)
 考えれば考えるほど、自分の頬が熱くなっていくのがわかる。
(えっと……だから、その……
 ……あ、ジュンイチの匂い……じゃなくて!)
 パニックにでもなったかのように思考がまとまらない。
(……そうよね……
 これも、立派にジュンイチのせいよね!)
 結局、自分にできるのは責任転嫁くらいのものだった。そう強引に結論づけると、アリサはしっかりと目をつぶり――

 

 翌朝、アリサはしっかり寝坊した。


 

(初版:2006/10/01)