プロローグ
デスゲーム
「SAO事件……?」
とある喫茶店のテーブル席の一角――その名を聞かされ、ジュンイチはホットココアの注がれたマグカップを持つ手を止め、
「……そんな、今さら聞き返すほど知らない事件というワケじゃないだろう」
そんなジュンイチの態度に、神威和馬は軽くため息をついてそう返した。
「まぁ、確かに知らない事件じゃないけどさ――何せ、ウチのクラスのヤツらも何人か“捕まって”ますからねー。
つか、たとえ身内に被害者がいなかったとしても、あれだけ連日騒がれて、知らないワケないだろ」
答えて、ジュンイチは改めてホットココアをすす――ろうとしたが、熱かったらしく、ふうふうと息を吹きかけて冷ましにかかった。
SAO事件――略さず表記すると“ソードアート・オンライン事件”となる。
意識をスキャンし、完全に電脳世界へとダイブさせる“完全ダイブ”と呼ばれる技術を本格導入したハード“ナーヴギア”による初の本格VRMMORPG、“ソードアート・オンライン”の発売に端を発する大事件である。
当初からその話題性から注目を集めていたこのゲームは初回販売分一万本が即日完売。一大センセーションを巻き起こす――と思われていた。
しかし、その期待はサービス開始初日から絶望へと転じることになる。
サービス開始からある程度時間が経った頃、あるメッセージが全世界に向けて発信されたのだ。
曰く――
・本ゲームは自発的なログアウトはその一切を行うことができない。
・ムリにナーヴギアを停止させたり、使用者から外そうとすれば、ナーヴギアが使用者の脳に過負荷を与え、焼き切るようになっている。
・ゲーム内での死はリアルでの死に直結する。その際にはやはりナーヴギアが使用者の脳を破壊する。
・本ゲームからログアウトするには、ゲームをクリアする以外にない。
ナーヴギアと“ソードアート・オンライン”の開発者である茅場晶彦の名のもと、その他いくつかの条件や詳細情報と共に無差別に発信されたそれらのメッセージは、その非現実性から当初はタチの悪いイタズラと思われていた。
しかし、人々は思い知らされる。
発信者が本当に茅場本人であるかは別にして、そのメッセージ自体は、紛れもなく本物であるということを――
外部の人間、すなわち家族や友人達がメッセージを無視してナーヴギアの取り外しや強制停止を試みて――その結果、213名もの命が奪われた現実を前にして。
問題はそれだけではない。デスゲームへの罠は、ひとりでも多くの獲物を捕らえるべく、開始前から実に周到に張り巡らされていた。
「すべてのプレイヤーと開幕の時を迎えたい」という触れ込みの元、発売からサービス開始には通常よりも長く、十分な時間的余裕が設けられ、さらにサービス初日は休日が選ばれ、初日限定のイベントも数多く予定されていた。
休日、スケジュール調整を容易にできるだけの準備期間、そして誰でも参加できるが参加タイミングの限られたイベント――仕込みは十分すぎた。誘いに吸い寄せられ、初回出荷一万本を手にした一万人のユーザーは、多少の時間差こそあれ、そのほとんどがデスゲームへと取り込まれてしまうこととなった。
最終的に、ログイン前に事態を知り、難を逃れた者は実に1%、100人にも満たなかった。
9900人以上が取り込まれ、200人強が“ゲーム”開始前に死亡。そして、開始からの約一ヶ月でゲームオーバーによるものと思われる死者がさらに約2000人――
それが、“ソードアート・オンライン”というひとつの“世界”の、血塗られた始まりであった。
「……で、あの事件がどうかしたのかよ?」
ようやくココアに口をつけ、軽くすすってジュンイチが尋ねる――対し、和馬は息をつき、告げた。
「その事件の調査、解決を依頼された」
「って、対策本部がか?
瘴魔大戦も終わって半年――何にもすることないから押しつけられたのかよ? 瘴魔対策本部の次は、SAO事件対策本部ってワケ?」
「………………」
「……オレが悪かった」
図星だったらしい。
「まぁ、とにかく……そういう話で呼び出したってことは……」
「あぁ」
つぶやくジュンイチに対し、和馬はうなずき、
「お前に……このゲームのデータを解析してほしい」
「あー、やっぱりか」
「――って、ずいぶんとリアクションが薄いな。
クラスメートも取り込まれてるんだろう? 貴様の性格上、むしろやる気満々で引き受けると思っていたんだが」
「あのねぇ……」
首をかしげる和馬の問いに、ジュンイチは軽くため息をつき、
「確かに、オレのクラスメートの何人かが今回の事件の被害にあってる――知ってるヤツが巻き込まれてるって意味じゃ、オレも無関係ってワケじゃない」
「あぁ」
「でもね、和馬兄。ひとつ忘れてない?
オレだって、そこそこ名の売れた、ディープなゲーマーを自負してるんですけどねぇ?」
「………………あ」
そこで、ようやく和馬はジュンイチの言いたいことに気がついた。間の抜けた声を上げる和馬に対し、ジュンイチはうなずき、告げた。
「そーゆーこと。
幸い、“難を逃れた約1%の購入者”のひとりになることができたんでね――」
「とっくに、ジーナと鈴香さんに解析してもらってるよ。
オレの買ったナーヴギアとソフトを……ね」
◇
「あぁ、ジュンイチさん、おかえりなさ――って、和馬さん、いらっしゃい」
「すまない、ジャマするぞ」
っそく、ジュンイチは和馬を連れて帰宅――出迎えたジーナに対し、和馬は軽くあいさつする。
「ジーナ、解析の方、どうなってる?」
「ついさっき、私の方が終わったところです。
先に終わってた鈴香さんの解析結果と合わせて、これから提出用の報告書にまとめようって段階ですね」
「で、その前に一息入れようとしてたところに、オレ達が帰宅……と」
「えぇ、まぁ、そんなところです」
声をかけるジュンイチにジーナが答える――その言葉に、和馬は首をかしげた。
「報告書……?
どこに出すつもりだ? お前の提唱する“Bネット”はまだ構想段階だろうに」
「ンなの、この事件扱ってる当局に決まってるでしょ――まさか、瘴魔対策本部が受け持つことになってるとは思ってなかったけどね」
「おや、珍しい。“身内よければすべてよし”のお前が、自ら率先して当局へ情報提供か」
「だからだよ。
自分達だけ助かって、顔も名前も知らないヤツらは放置――とか、オレは平気でもみんなは平気じゃないでしょ?
身内にヤな思いさせないためには、ここは全員きっちり助けに動くところでしょ」
あくまで「身内のために助ける」と“身内至上主義”を強調するジュンイチに、和馬とジーナは顔を見合わせ、同時に肩をすくめる。
「それはともかく……ジュンイチさん、まだまとめてないから口頭での説明になりますけど、解析結果、知りたいですか?」
「あぁ、頼むよ。
そのために和馬兄を連れてきたんだからな」
気を取り直し、尋ねるジーナにジュンイチが答え、三人は柾木家の地下へと移動する。
そこには、ジュンイチの両親が(ご近所には内緒で)築き上げた地下空間“柾木家地下帝国”が広がっている――迷うことなく、その一角、データリングルームへと向かう。
「あぁ、ジュンイチくん、おかえりなさい」
「和馬さん……?」
「こんにちはー!」
そこには先客がいた――端末を操作する手を止めて鈴香が声をかけ、和馬の姿に鈴香の作業を見ていたライカとファイがそれぞれにリアクションを見せる。
「和馬さん、どうしてここに?」
「例の事件だよ。
和馬兄達が対応することになったらしい」
ライカにそう答えると、ジュンイチは鈴香へと視線を向け、
「そんなワケだから……まずは鈴香さん、和馬兄に説明してもらえるかな?」
「あぁ、はい」
うなずくと、鈴香はさっそく傍らのモニタに自分の解析結果を表示した。
「まず……ナーヴギアなんですけど、こちらについては、これ単体では特に危険性はありません」
「何だと……?
そんなことがあるか。実際にコイツによって人が殺されているんだぞ」
「そう言われても……ちゃんと正規に流通させられただけあって、ナーヴギア自体はちゃんと安全基準をクリアしてるんですよ」
眉をひそめた和馬に鈴香が答えると、
「要するに、使いようってことでしょ?」
そう答えたのはジュンイチだった。
「ハサミだって、使いようで人を殺せるだろ? それと同じだよ。
ナーヴギア、それ自体に危険性はない。問題は……“ソードアート・オンライン”、そのソフトの方。
コイツと組み合わせることで、ナーヴギアは凶悪な死刑執行具へとその存在を変える……だろ? ジーナ」
「えぇ」
話を振ってくるジュンイチに、ジーナは深刻な表情でうなずいた。
「ゲームのプログラムソース上に、ナーヴギアのセーフティ解除ルーチンが巧妙に紛れ込ませてありました。
ナーヴギアを装着、動作させた状態でこのプログラムが走ると、ナーヴギアの信号送受信に使われているマイクロウェーブの出力リミッターが解除されて、過剰なマイクロウェーブが装着者の脳を焼く……要するに、電子レンジと同じ仕組みです。
間違いなく、これが“ソードアート・オンライン”におけるデスペナルティ・プログラム……もちろん、ベータ版にはこんなプログラムは入ってません」
「ベータ版……?
なんだ、ジュンイチ。お前ベータテストやってたのか?」
「残念無念、大ハズレ。
抽選にもれてね、ベータテストはやってないよ」
「ならなんでベータ版のプログラムを持ってるんだ?」
「製品版との比較のために、オフィシャルから回収した。
事態が事態だ。事件解決のためなんだから、文句言わないでよ」
あっさり暴露すると、ジュンイチは視線でジーナに続きを促した。
「それから、自発的にログアウトできない件ですけど……ログアウト用のプログラムが、サーバーからの自動アップデートによって完全に削除されるようになっています。
プログラムのリンクを切られていただけなら、何かしらの方法でプログラムを走らせることができればまだ救出の余地はあったんですけど……これじゃあどうしようもないです」
「他に、プレイヤーをログアウトさせる方法はないのか?」
「……たぶん、ないです。
というか……外部からの干渉自体、やらない方がいいです」
和馬に答えると、ジーナはモニタ画面を切り替え、何かのデジタルデータの羅列を表示した。
リアルタイムで更新されているのか、表示されている数値は刻々と変化している
「……すまない。プログラムのことはわからないから、こんなものを見せられてもわからないんだが」
「でも、データがリアルタイムで更新されているのはわかりますよね?
これは“ソードアート・オンライン”の運営サーバ内の、自動セーブデータです。
各プレイヤーの行動やパラメータの変化が、こうして数値化されて今まさに記録され続けているんです」
「運営サーバの?
まさか、ハッキングして見ているのか?」
「いえ、そうじゃないんです。
実は……事件発覚後から、サーバ内のデータがすべて公開状態になってるんです。
つまり、ハッキングなんてしなくても、アクセスさえできれば誰でも見られる……」
「何だと?」
「たぶん、茅場晶彦ご本人の仕業だろうな。
外部からの干渉で取り込まれたプレイヤーを救出することは不可能――そう証明するために」
和馬のとなりでジュンイチがつぶやく。そして、その言葉にジーナは深刻な表情でうなずいた。
「えぇ。
フリーになっているのはデータの閲覧のみ。書き換えや外部操作といった、データへの干渉行為については徹底的なプロテクトがかけられています」
「そのプロテクトは、突破できないのか?」
「それなんですけど……さっき『外部からの干渉はやらない方がいい』って言いましたよね?
これが、その理由なんです」
和馬に答え、ジーナは画面に視線を戻して、
「プロテクト自体はさほど強力なものじゃありません。私達と同レベル……ウィザード級のハッカーであれば十分に突破できるレベルです。
ですが……だからこそ、ウィザード級の私達にはわかるんです」
「わかる、って、何が……」
「例のデスペナルティ……ナーヴギアのセーフティ解除ルーチンが、ここにも組み込まれてることが」
イヤな予感と共に尋ねる和馬に、ジーナは静かにそう答えた。
「もし、外部からゲームデータに干渉した場合……もっと言うと、ゲームのプレイデータの反映を始め、ゲーム内から以外のルートからゲームデータが干渉を受けた場合、このルーチンが無差別に発動するように仕込まれています。
つまり、私達ゲームの“外”にいる人間がこのデータに手を出した瞬間……」
「すべてのプレイヤーに、デスペナルティが執行されることになります」
「な………………!?」
今度こそ、和馬は完全に絶句した。ジュンイチもさすがにこれは予想していなかったのか、眉間にしわを寄せている。
「要するに、プレイヤー全員の命を人質に、外部からの干渉をさせないようにしてるんです。
徹底的に救出の手を封じてくれてますよ……これじゃあ救出やゲームクリアの手助けどころか、連絡を取ることすらできません。
事実上、ゲームの“外”にいる私達にはどうすることもできません」
「……ジュンイチ……」
「…………ジーナの言う通りだな」
視線を向ける和馬に振り向くこともせず、ジュンイチは手元の端末に表示したプログラムソースを見ながら淡々と答えた。
「外部からゲームに手を出す……それ自体が皆殺しフラグとはやってくれるぜ。
干渉自体がアウトなんじゃ、どれだけプログラム技術が高かろうが関係ない……もちろん、オレの“情報体侵入能力”も
、こういう状況じゃまったくの無力だ。
この一ヶ月、誰も外部から救出の方法を見出せなかったはずだよ。まさか、手出しを封じるためにこういう手で来るとは、茅場晶彦もなかなかの策士だよ」
「何をのん気な……」
ジュンイチの言葉にうめいて――ライカは気づいた。
どこか他人事のようなその口調とは裏腹に、ジュンイチの表情は真剣だ。手元の画面を見る視線もせわしなく動き続けている。
「……何か気づいたの?」
「気づいた、っつーか……」
ライカに答えると、ジュンイチはジーナへと向き直り、
「なぁ、ジーナ。
外部からの干渉はその一切が認められてないんだよな?」
「はい」
「パスワードとかの認証手段も、なしか?」
「そうなんです。
公開されているために見ること自体はできるんですけど、手出しは一切できません。
もし手出ししようとして、プロテクトを突破したりすれば、その時点でデスペナルティの無差別執行です」
「なるほど……」
ジーナの言葉に、ジュンイチはしばし考え込み、
「とりあえず……方向性は見えたな」
「……って、え?」
あっさりと続けるジュンイチに、ライカは思わず間の抜けた声を上げた。
「何? 解決方法、わかったの?」
「あぁ」
ライカよりも早く尋ねるファイに、ジュンイチは迷うことなくうなずいた。
「簡単な話だ。
“外”からの干渉がアウトなんだろ? だったら、“内”から干渉してやればいい」
「って、ジュンイチくん!?」
「ジュンイチお兄ちゃん、まさか……」
意図に気づいた鈴香やファイが声を上げるが――ジュンイチはかまうことなく、傍らに置かれたヘルメットのようなものを手に取った。
これこそが件のナーヴギア。最新のバーチャル体験を可能とする魔法の道具にして、約2000人を殺害、今もなお8000人近くの人間を捕らえている禁断の拘束具だ。
「いやー、せっかく小遣いはたいて買ったナーヴギアとソフトが、ムダにならなくてよかったよ。
茅場晶彦の思惑に乗る形になって、少しばかりしゃくだけど……」
「要するに、ゲームをクリアしちまえば万事解決、なんだろ?」
(初版:2012/08/30)