2003年12月3日 第二階層・始めの森――



「おーい、キリト」
 第二階層に入ってしばし――ダンジョンを抜けた先に広がっていた森を歩いていたキリトに、背後から声がかけられた。
「なんだ、さっさと先に進んだかと思ってたら、まだこんなところをウロウロしてやがったのか」
「ジュンイチ……」
 そう。ジュンイチだ。キリトに続いて第二階層に上がってきた彼が追いついてきたのだ。
「……別に。
 ベータテストの時と違いがないか、見てただけだから……もう行く」
「って、おい……」
 だが、そんな彼の登場はキリトにとって心地よいものではなかったようだ。気まずそうにそう言うと、ジュンイチが止めるのも聞かずに背を向け、歩き出す。
「お、おい、キリト!」
「……もう、アンタとはパーティーでも何でもないんだ。
 別にアンタと一緒にいる理由はない」
 淡々と言い放ち、キリトはさらに先に進む――半ば無視された形になり、ジュンイチは軽くため息をつき、
「……なるほど、ね……
 そっちが、そういうつもりなら……」



「………………」

 ……すたすたすた……
 ……すたすたすた……

「………………」

 …………ぴたっ。
 …………ぴたっ。

「………………っ」

 ……タッタッタッ……
 ……タッタッタッ……

「…………はぁ……」
 ふとため息をつき、キリトは足を止めた。
 その理由は背後に――振り向くこともなく、声をかける。
「……いつまでついてくるつもりだ?」
「『ついてくる』? 冗談言うなよ」
 対し、そこにいたジュンイチは軽く肩をすくめてそう答える。
「“たまたま”だよ、“たまたま”――向かってる先が“たまたま”同じだけだよ」
「……だったら、オレはここで少し休んでくから、先に行けばいいだろ」
「いやー、“たまたま”ちょっと景色が見たくなったなー」
 いけしゃーしゃーと言い切ってくれた。
「……少し、稼いでいくか」
「あー、そうだ。景色を楽しむついでにレベル上げすっかなー。モンスターどこかなー?」
「………………」
「………………フッ」
 あくまで行動を共にするつもりのようだ。こめかみを引きつらせるキリトに対し、ジュンイチは不敵な笑みを浮かべ――



「あーっ! いたいた!」



 新たな声が、二人に向けてかけられた。
「まったく……二人とももうこんなところまで……何? 競争でもしてた?」
「アスナ……なんだ、お前も追いかけてきたのか」
 言いながら、アスナまでもが追いついてきた。迎えるジュンイチをよそに、キリトはますますバツが悪くなって視線をそらしてしまう。
「…………?
 キリトくん、どうかした?」
「んー、どうもオレ達と行動するのが気まずくてしょうがないらしい」
「呆れた。
 今さら気まずい思いするくらいなら、最初から“ビーター”なんて名乗って悪役を引き受けるとかしなきゃいいのに」
「うぐっ……」
 ジュンイチの説明を聞き、納得したアスナの言葉がナイフとなってキリトに突き刺さった。正直イルファングの攻撃より効いた気がする。
 ダメだ。この二人には全部見透かされてる――気まずさが最高潮に達し、キリトはもっとも単純な対抗策に打って出た。
 すなわち――



「………………っ!」
「あ! 逃げた!」
「追いかけるよ、ジュンイチくん!」



 逃走である。

 

 


 

Quest.3

初見殺し

 


 

 

第二階層・ミートタウン入り口――



「…………ぜぇっ、ぜぇっ……
 ど、どこまで、ついて来る気だよ……」
 仮想空間であるこのSAOの中では、どれだけ走ろうが疲れることはない……はずなのだが、生物の本能のなせる業か、それとも疲労感という隠しパラメータでもあるのか、走ればそれなりに疲れを感じたりする。
 なので、第二階層最初の街、《出迎えの街ミートタウン》まで全力疾走したキリトはもはや一歩も動けない、といったレベルまで疲れ果てていて――
「……はぁっ、はぁ……っ……
 キリトくんが、あきらめるまでに……決まってる、でしょ……」
 それはアスナも同様だった。その場にへたり込み、どう見ても今キリトに逃げられたら追いかけられないくらいまで疲れ果てている。
 そして――
「まったく、情けないなー、お前ら。
 別に全力疾走してHPが削られるワケでもなし。何へたばってんだよ?」
『お前(あなた)が異常なの(なんだよ)っ!』
 同じようにここまで走ってきたにも関わらず、ひとりだけ平然としているジュンイチに対し、二人は声をそろえてツッコミを入れた。



   ◇



「じゃあ……お前も、“ビーター”を名乗ってきたっていうのか?」
「あぁ」
 とりあえず、息を整えようということで、この街のNPC経営の食堂へ――ドリンクを飲み干してようやく一息つき、自分がボスの部屋を去った後の顛末を聞いたキリトの問いに、ジュンイチはあっさりとうなずいた。
「もっとも、オレは“ベータのチーター”じゃなくて“ビギナーのチーター”で“ビーター”だけどな」
「なんでそんなマネを……
 お前のレベルで孤立なんかしてたら、命がいくつあっても足りないだろ」
「だからお前を見捨てろって? 冗談じゃない」
 うめくキリトに、ジュンイチは不機嫌そうに唇を尖らせた。
「暫定とはいえパーティーメンバーはパーティーメンバーだ。
 その仲間に、ひとりだけ荷物を背負わせられるかよ」
「でもな……」
「それに、だ」
 反論しかけたキリトの言葉を、ジュンイチはさえぎり、付け加えた。
「お前のあの方法じゃ、ベータテスター達が救われたかどうか、少し微妙だったんでな。
 お前の意志を汲むなら、フォローは必要だと判断したまでだ」
「え…………?」
「お前がビーターを名乗ったことで、『お前がベータテスターよりはるかにズルイ立場にいる』という認識は与えられただろう。あの場でベータテスター達に向きかけていた対立意識をすべて自分に向けることには成功していたはずだ。
 けど……所詮はその場しのぎだ。ベータテスターが非ベータテスター達に比べて経験、情報的に有利な立場にいるという大前提が覆ったかどうか……お前、自信を持って『覆った』って言えるか?」
「………………っ」
 ジュンイチの指摘に、キリトは思わず口ごもる――それが、ジュンイチの問いに対する回答を何よりも雄弁に物語っていた。
「お前は、ベータテスター達よりもあの場の非ベータテスター達の方がはるかにマシだったとうそぶいていたけど、実際のところ、ベータテスター達に非ベータテスター達が一方的に出し抜かれていたのは、紛れもない事実なんだろう?
 そのことを思い出せば、アイツらはお前に言われたことを忘れてまた『ベータテスターはズルイ』って言い出すだろう。ベータテスターへのやっかみが再燃するのは、時間の問題だったんじゃないか?」
「そ、それは……」
「本当の意味であの場を収めるには、ベータテスターが持っていた優位性がもう何の意味も成さないことをハッキリと認識させる必要があった。
 そしてそのために、オレはディアベルの死を利用した……あの男もまたベータテスターであったことを明かして、もうベータテスターであろうが非ベータテスターであろうが、生き残れないヤツは生き残れないと見せつけた。
 自分達を導いたディアベルがベータテスターであったこと、そのディアベルが第一階層であっさり脱落したこと――目の前で起きた現実をハッキリ突きつけてやった方が、ベータテスターの優位性の消滅をあいつらの心にしっかりと刻みつけられるとオレは踏んだ。
 ま、当然そんなマネをすればあいつらからは怒りを買うわな――だから、ついでにオレもビーターを名乗ってあいつらの恨みつらみを引き受けることにしたワケだ」
 そこまで語って――ジュンイチは、キリトとアスナがポカンと間の抜けた顔をしてこちらを見ているのに気づいた。
「……どうした?」
「……い、いや……
 よくもまぁ、あの状況下でそこまで考えられたなー、と……」
「頭の回転がいいとか悪いとか、そういう問題じゃないわよ……
 ひょっとして、あぁいう修羅場に慣れてたりする?」
「修羅場どころか、生命タマ張ってのガチバトルすら慣れっこだよー。
 この手の悪知恵も、むしろ得意分野だったりするしな」
 二人の言葉――特にアスナに答える形でそう返す。
「まぁ、オレのことはいいよ。
 とにかく、ベータテスター達の優位性がもはや存在しないも同然なのは事実なんだ。
 キリトのようにベータテスト参加者として当選したのが千人。仮にその全員がこのデスゲームに取り込まれたと仮定して……そんなヤツらが千人もいてもなお、第一階層攻略に一ヶ月もかかった。すでにベータテストで踏破された階層であるにもかかわらず、だ。
 それどころか、オレが一昨日ログインするまでに、ベータテスト参加者の名簿と名前が一致した死亡者が約200人……同姓同名の別人が混じっていたりしない限り、すでに五分の一、2割のベータテスターが亡くなってる計算になるんだ」
「そんなに……」
「茅場晶彦も、ベータテスターだからって安易に生き残っていけるような余地は、残しておいてはくれなかったってことさ。
 さすがに、こんなデスゲームを考えるだけのことはある。やることなすことえげつないぜ」
 うめくアスナに答え、ジュンイチは手元のカップに注がれたホットココアをすすり――ちょうど話題転換に使えそうな話を思いついた。重い話を続けるつもりはないので、これを幸いにと話を振る。
「そういえば……ここって仮想の世界のはずなのに、食欲とか睡眠欲とかは普通に起きるのな」
「あー、それか。
 まぁ、オレ達の脳――理性はともかく本能的な部分は、ここが仮想世界だなんて認識してないだろうからな。そりゃ本能的な欲求は消せないだろ」
「……確かに」
 キリトの言葉に納得する――フリをする。元々わかっている上で話を振ったのだからそこは当然だ。
 あらゆる物質が、それこそ今口にしている食べ物、飲み物はもちろん、自分達の肉体に至るまですべてがデータの集合にすぎないこの世界では、“そういう情報”を読み込まない限りそういった生理現象は起きない。少なくとも、肉体的には。
 だが、その仮想の肉体を動かしているのは、紛れもなく現実の、生身の肉体の脳なのだ。脳が休息を必要とすれば眠気は生じるし、現実の肉体が空腹になったりすれば、脳がその空腹感を“こちら側”にフィードバックすることだって十分にあり得るのだ。
 現実で物を食べていなくても“こちら側”で物を食べれば空腹感が消えることも、決して説明ができないワケではない――よくかんで食べると大した量を食べていなくても満腹感が得られる、アレと同じだと思えばいい。「食べた」と脳が認識すれば空腹感はそれなりに解消されるものなのだ。
 少なくとも、ジュンイチ的にはその辺の原理を一から十まで説明することもできる――自らの特殊な出自によって、そういった人体の構造についてはそこらの学者顔負けの知識があるためだ――のだが、話したところでキリトやアスナがついてこれるとも思えなかったのでやめておく。
「ねぇ……リアルの私達の身体って、食事とかどうなってるの?」
「やっぱり、栄養注射とか流動食とか……」
「あぁ……そうだな。
 というか、どうしてもそうなっちまうよ――このデスゲームに取り込まれたのが約一万人。脱落者を除いてもなお八千人もいるんだ。
 全員一ヶ所に集められているワケじゃないけど、それにしたってある程度の集中管理はされることになる。介護スタッフの許容量を考えると、そうせざるを得ないだろ」
 やはり現実での自分達の様子が気になるのだろう。尋ねるアスナやキリトに、軽くそう説明する。
 とりあえず、食事する以上当然発生する“もうひとつの問題”については言及を避けたいところだが――
「…………となると、その……排泄の方とか、どうなってるんだろうな……?」
「は…………っ!?
 し、食事中にそんな話しないでよ、バカ――――ッ!」
「そこに関する説明をきれいサッパリ回避した気遣いを察しろ、アホ――――ッ!」
 どうやら、キリトは少々空気を読めない子だったらしい。



   ◇



「……さて、“今まで”についての話はこのくらいにして、だ」
 おバカをさらしたキリトをアスナと二人で糾弾すること数分――燃え尽き、テーブルに突っ伏したキリトを尻目に、ジュンイチはそう切り出した。
「ここからは、“この先”についての話をしようか。
 アスナ。お前はこのメンバーで……少なくとも、キリトと行動を共にするつもりと思っていいんだな?」
「えぇ」
「もちろん、オレもだ。
 つまり、今後のオレ達は……いかにしてキリトを逃がさないか、そこにすべてがかかってくるワケだな」
「そうね」
「最重要ポイントがそこっておかしくないか!?」
 ガバッ!と顔を上げ、復活したキリトがツッコんできた。
「いくらオレでも、この期に及んで逃げたりしないって!」
「さっきオレらに追いつかれるなり逃げ出したヤツが何を言うか」
「その一件で逃げられないと悟ったからな、おかげさまでっ!」
 冷静に返すジュンイチに、キリトは再度ツッコミを入れる。
「まぁ、逃げる・逃がさんはさておき、当面はこの三人の暫定パーティーを継続っていうのは、今確認した通りだ。
 となると……情報の共有って、大事だと思わないか?」
「……なるほどね」
 気にせず続けるジュンイチの言葉に、アスナも何を言いたいか気づいたようだ。二人の視線が、自然にキリトへと集まった。
 さすがに、キリトも今の会話の流れでこちらの言いたいことがわからないほど愚鈍ではなかったようだ。ため息をつき、二人に応えた。
「……わかったよ。
 お前らに教えればいいんだろ……ベータテストで覚えた、アレコレをさ」



   ◇



「……で、なんで真っ先に立ち寄るのが装備ショップ?」
 訪れた店の看板を見上げ、ジュンイチはポツリとつぶやく――看板の表記も、システム上の街のマップデータも、目の前の店が武具店、つまり装備を扱う店であることを示していた。
「……それ、本気で聞いてる?」
 対し、そんなジュンイチに応えたのはキリトではなく、アスナだった。ジュンイチの姿をつま先から順に見上げていき、
「完全に初期装備のままじゃない。
 それに、剣だってボス戦で折られて……武器装備欄、空欄のままなんじゃない?」
「あー、そういえば」
「まったく、そんな装備でよくボス攻略に参加しようだなんて思えたわね」
「攻略に参加するつもりであの攻略会議に出たワケじゃなかったって、何度言えば記憶してくれるのかな?
 とにかく情報が欲しくて、装備を整える時間もレベル上げの時間も惜しんで最前線に追いつくのを最優先したからなぁ……」
 ため息をつくアスナに対し、ジュンイチは軽く頭をかきながらそう答える。
「けど、まぁ……とりあえず、ここに来た理由は理解できた。
 まずはオレの装備を整えようってことか――迷宮区の攻略でそれなりに金も入ったし、ちょうどいいと言えばちょうどいいしな」
「そういうこと。
 ジュンイチの場合、折れた剣も新調しなきゃならないし……」
 納得するジュンイチに言いながら、キリトは彼らの先に立って店へと入り――ふと思い立って尋ねた。
「それか、武道家スタイルに転向するか?
 ボス相手にも素手で十分通用していたし……」
「だったら、最初から武道家を初期スタイルに設定してログインするっつーの。
 剣も使うし拳も使う――だから剣士でログインしたんだよ。武道家の装備見たら、剣の同時装備は不可になってたからな」
「あぁ、そういえばそうだったな」
「だろ?
 茅場晶彦め、『武道家なら武器はいらんだろ』とか考えたんじゃねぇか? いらんところで徹底しやがって……」
「じゃあ、剣と体術の両立ってことで……剣闘士が妥当か」
「最初から選びたかったところだけど、初期ログイン時の選択可能スタイルの中に、剣闘士ってなかったからなぁ……」
「仕方ないさ。
 初心者がログインしやすいように、初期設定で選べるスタイルは絞ってたみたいだし……」
「そういえば、初期スタイル選択画面の補足説明にもそんなこと書いてあったわね。
 『他のスタイルに転向したかったらゲーム中で装備をそろえて……』とか何とか」
 三人で口々に話しながら、装備を見繕うことしばし――
「……まぁ、今の予算内じゃこんなものかな」
 納得して、キリトがうなずいてみせる――装備の購入を終え、身に着けたジュンイチの服装はさっきまでとは完全に別デザインのものとなっていた。
 動きやすいジャケットに最低限のプロテクター。そして両手にはガントレットを装着し、腰には新調した剣を差している。
 ちなみに、余った端数分の予算(補助アイテム購入費除く)で装備のカラーコーディネートが頼めたので、自分のパーソナルカラーとも言える黒系一色に統一している。《コートオブミッドナイト》を装備したキリトとは同じ黒系統でおそろいになってしまった(もちろんアスナにツッコまれた)が、こればかりは譲るつもりはない。
「剣闘士は剣士以上にモンスターと近い距離で戦う。装備のランク的にはもうちょっと防御力が上のものを選びたかったけど……」
「しょうがないじゃない。予算的にこれ以上のものは望めないんだから」
 金さえあればもっと納得のいく装備にできた、とボヤくキリトにアスナが答えるが、
「いや、十分だよ。
 むしろ、“ここまでの防御力はいらないくらい”だし」
 対するジュンイチはあっさりとそう答えた。
「元々防御力に頼った戦い方じゃないしなー、オレ。
 剣に十分な強度があれば――イルファング戦みたいに叩き折られることがない、くらいの強度の剣が一本あれば、防御については事足りる」
「全部剣で防ぐっていうのか?
 剣闘士の間合いで、そんなの……」
「ムチャよ。できっこないわ」
「んー、そこは実際に見て判断してもらうしかないかな。言ってどうなるもんでもなし」
 現実的ではない、と眉をひそめるキリトとアスナだったが、対するジュンイチは頭をかきながらそう答える。
「ま、とりあえずフィールドに出ようぜ。
 レベリングは当然として、ソードスキルがどういうものかも、ちょっと試してみたいし」
「そうだな」
「えぇ」
 いずれにせよ、今のところ装備はこれでいいだろう――提案するジュンイチに、キリトとアスナが改めてうなずいた。



   ◇



第二階層・始めの森付近の草原フィールド――



 ――ダンッ!
 踏み込んで、一閃――ジュンイチが手にした剣から繰り出した一撃は、突っ込んできた青いイノシシを的確に捉えた。レッドゾーンに突入していた残りHPをすべて削り取り、イノシシは青いポリゴンの塊に姿を変え、四散する。
 《フレンジーボア》。第一階層をうろついていたザコモンスターだ。階層が上がったこともあってレベルは高めに設定されているようだが、それでもイルファング戦で一気にレベルを上げた現在のジュンイチよりは低い。遅れを取る理由はない。
 ――が、
「……あー、ダメだったか……」
 この結果は、決してジュンイチが望んだものではなかった。ため息まじりに、手にした剣に視線を落とす。
「けっこう難しいもんだな、ソードスキルの発動って」
「んー、ジュンイチの場合、少し事情が特殊な気がするけどな」
 そう。ジュンイチの今の戦闘の目的はレベル上げではなくソードスキルの練習。だが、そのソードスキルの発動に成功することなく、目の前の敵を粉砕してしまったワケだ――ため息をつくジュンイチに、キリトは思わず苦笑した。
「攻撃にムダが“なさすぎる”――普通の攻撃ならまさに理想的なんだけど、ソードスキルの発動を狙ってる場合はむしろそれじゃダメなんだ。
 かまえてから攻撃を放つまでの時間が短すぎる。そのせいで、システムが技の発動モーションを拾ってないんだよ」
「ふむふむ。なるほど……」
 目の前の敵が消滅し、再湧出リポップするまでの間の時間を利用して、キリトが説明してくれる。
「どう言えばいいのかな……ジュンイチはかまえたらそのまま斬りに行ってるだろ? というか、かまえる動きと攻撃行動がそのままワンセットになってる感じかな、傍から見てると。
 そうじゃなくて、かまえた状態でほんの少しタメを入れて、スキルが立ち上がるのを感じたら、改めてズパーンッ、と……」
「ズパーンッ、ねぇ……」
 キリトの言葉に、ジュンイチがかまえた姿勢で少し動きを止めてみる――と、視界の片隅に光があふれ、フレンジーボアがリポップしてきたのが見えた。
「今度こそ決めちゃいなさいよ」
「はいはい」
 実際戦う分には先輩なのに、システム云々の話じゃすっかり後輩だな――アスナの言葉にそんなことを考え、ジュンイチは苦笑まじりにフレンジーボアへと向き直った。
 こちらをターゲッティングしたか、突撃してくる青いイノシシに対し、剣をかまえる――身体に染みついた習慣がそのまま斬りに行こうとするのをグッとこらえ、キリトに言われた通り一瞬のタメを入れる。
 と――何か、背中を押される感じがした。その感覚に逆らうことなく剣を振り――地を蹴り、一直線に飛び込んだジュンイチの剣が、フレンジーボアの身体を捉えていた。
 一撃でHPを全損し、フレンジーボアの身体が四散する――意図しないタイミングで勢いを失った身体に思わずたたらを踏みながら、ジュンイチはそれを見送る。
「……ようやく成功だな。おめでとう」
「あ、あぁ……」
 笑いながら祝辞を贈るキリトに答えて、ジュンイチは眉をひそめる。今のソードスキルの感覚に、少しばかり違和感を感じたからだ。
「……今、なんか攻撃が誘導された感覚があったんだけど」
「まぁ、そうだな。
 ソードスキルは、相手を射程に捉えた状態で発動すれば後はオートで命中させてくれる。
 もちろん相手にガードされることはあるけど、少なくとも外す心配はないってことだ」
「なるほど、オートね……」
 キリトの言葉に、ジュンイチはもう一度自分の手の剣へと視線を落とした。
「いいことばかり、ってワケでも、なさそうだな……
 今、脇の急所を狙ったのに、狙いをズラされてドテっ腹に入れさせられちまったよ」
「けど、その分威力は高いでしょう?
 実際、急所に入らなかったのに一撃で倒せたワケだし」
「そりゃ、そうなんだけどな……やっぱ急所を狙い辛いのは個人的にはマイナスかな」
 アスナに答えて、ジュンイチは手の中で剣をお手玉のようにもてあそんでみせる。
「それに、発動前のタメも、発動後の硬直も、正直言って気に入らない。あんなの、高速戦闘の上ではむしろスキでしかない。
 オレ個人の印象としては、使い勝手がいいとは言えないな」
「でも、必要な力だわ。
 ソードスキルなしじゃ、とてもじゃないけどボスには対抗できないもの」
「……ついさっき、ソードスキルなしでボスを半殺しにしてきた人間に向けてそのセリフを吐いてることに気づいてる?」
 反論するアスナだったが、ジュンイチには通じない。
「もちろん、オレだって『いらない』とは思ってないさ。お前の言っている通り、コイツの威力は確かに魅力的だ。
 ただ、オレのスタイルとはかみ合わない――どうしたって、使いどころは限られちまう。
 めったに使わないものを、主力としてあてにするワケにはいかないだろ」
 あくまでソードスキルに対して否定的なジュンイチに対し、アスナはなおも何か言いたそうにしている。
 反論したいけど、個人的な感覚の問題を出されてはどう反論したらいいかわからない、といったところか――傍で見ていたキリトがそんなことを考えていると、
「まぁ……言葉の説明だけじゃよくわからんよな。
 と、いうワケで――キリト」
「ん?」
 突然、ジュンイチがそんなキリトに話を振ってきた。
「悪いけど、ちょっとこの場で決闘してデュエってもらえるか?
 実際にオレのスタイルってのを見せてやった方がいいと思うんだ」
「オレがやるのか?
 普通こういう話って、当事者に直接体験してもらうのがお約束じゃ……」
「アスナが実際受けるんじゃ、展開しだいで体感どころじゃなくなっちまうかも、だからな。
 ここは体験する前に、一歩退いたところで、落ち着いた状態で見てみる段階から始めるべきだ。一度外野として見せて、それで実感がわかなきゃ体験――この場はそういう流れが正解だと思うんだ」
「まぁ、かまわないけど……」
 言って、キリトはメニューを操作して、デュエルの申請メニューを立ち上げる。
 正直なところを告白すると、キリトにとってジュンイチのこの誘いは渡りに舟的なところが大きかった。
 彼もまた、先のボス戦におけるジュンイチの戦いぶりに驚愕を禁じえなかったひとりだからだ。
 キリトはベータテスターとして、早くからこのデスゲームを生き抜く、ある種のコツのようなものを熟知していた。
 そのひとつが、“戦闘はある程度システムのサポートに乗っかるのがいい”というものだ。
 脳からの命令信号をナーヴギアが拾い、アバターのコントロール信号に変換するこのSAOの操作システム上、回避や防御はプレイヤー自身の運動神経によるところが確かに大きい。いくらスピードや防御力のパラメータが高くても、プレイヤーがうまく動けず、うまく防げなければ何の意味もないからだ。
 だが唯一、攻撃だけはその限りではない。同じ攻撃力値、同じ片手上段斬りでも、ソードスキルとして発動した場合と単純にプレイヤーの操作で斬りにいった場合とでは、威力が段違いに変わってくる。ソードスキルならオートで命中させてくれるというのも重要だ。
 だから、SAOでの戦闘ではシステムのサポートを素直に享受するのが、勝利への一番のセオリーとなる……はずだったのだ。つい数時間前までは。
 しかし、そのセオリーを、ジュンイチは真っ向から粉砕した。
 ソードスキルを一切使うことなく、急所攻撃に部位破壊、あらゆるダメージボーナスを駆使してフロアボスを圧倒した。途中危ない場面もあったが、戦闘能力という意味では完全にボスを上回っていた――たった3しかないレベルで。
 それが意味するところは明白だ。ジュンイチは自分の戦闘技術だけで、ボスとの絶望的なパラメータ差をひっくり返してみせたのだ。
 デスゲームが始まってからの一ヶ月間、ただひたすらにレベル上げに勤しみ、パラメータを高め、今の力を手にしたキリトやアスナとはまったく別口のアプローチ――興味を抱かないはずがなかった。
 そこへ降ってわいた、ジュンイチからのデュエルの誘い――キリトにとっても、まさに望むところだった。
 ジュンイチの強さを直に味わってみたい。自分とどちらが強いか確かめてみたい――まったく、こんなデスゲームの中にあってのん気なことだと内心苦笑する。
 メニューを操作して、ジュンイチにデュエル申請のメッセージを送る――すぐに返事は返ってきた。
 デュエルのルールは挑まれた側、この場合はジュンイチに決定権がある。彼が選んだルールは《初撃決着モード》。勝利条件は先に強攻撃をヒットさせるか、HPを半減させるか――あとは武器破壊。この三つだ。
 キリトの受諾メッセージ受信と共に、デュエル開始へのカウントダウンが視界に表示される。
「うげ、開始まで60秒もあるのかよ」
「待ちきれない、って顔だな」
「もちろん」
 あっさりとジュンイチからの答えが返ってくる――その気持ちはよくわかる、とキリトは内心のみで賛同しておく。
 剣を下段にゆるくかまえる。威力よりも速度を重視し、一気に懐に飛び込むために。
 対するジュンイチのかまえは――まったくの自然体だった。
 全身の力が見るからに抜けており、拳も握られていない。肩がまるで息切れでもしているかのように大きく上下しているが、それは深呼吸のためだ。肩の上下運動は大きいだけでゆったりしたものだし、呼吸自体も恐ろしく静かで、穏やかだ――もちろんSAOの中で生きる上で呼吸は必要ないが、これもまたリアルの感覚がフィードバックされた影響ということだろう。
 意識を集中し、キリトの五感から余計な情報がシャットアウトされる。もはや目の前のジュンイチしか見えていない。二人の間、すぐそばの木の木陰に退がり、立ち会っているアスナの存在も、今となっては完全に意識の外だ。
 そして、カウントが一桁になり、すぐにゼロを刻んだ。フライングになるかならないか、ギリギリのタイミングで地を蹴――



 ――ろうとした時には、すでにジュンイチの顔が目の前にあった。



「な――――っ!?」
 ほんの一瞬、見失った――その一挙手一投足、全身のすべてに注意を払っていたはずのジュンイチの姿を。
 驚きながらも、とっさに剣を目の前に――直後に響いた甲高い音が、キリトの剣とジュンイチのガントレットがぶつかり合ったことを教えてくれる。
 が――
(――――いない!?)
 気づいた時には、すでにジュンイチの姿は視界になかった――すぐに気づいて横に跳ぶ。
 直後、ビッ!と風切り音を立ててジュンイチの拳が“背後から”キリトの頭のあった辺りを打ち抜いた。
「……驚いたな。
 ボス戦の時のスピードを見た限りじゃ、対応できると思ってたんだけど……見るのと味わうのとじゃ大違いだ」
「ま、実際あの時より動けてると思うぜ――さっきのソードスキルの練習分、また動きがこなれてるワケだし」
「『あの時より“速い”』とは言わないんだな」
AGI素早さのパラメータ、上がったレベル分しか伸びてないからなー」
 ジュンイチと軽口を叩き合い、キリトは剣をかまえ直した。
(つまり……ボス戦の時と同じ、先読みとムダを省くことによる体感速度の向上、か……)
 その一方で、今のジュンイチとのやり取りで得た情報を頭の中で整理する。本当に傍で見るのと味わうのとでは大違いだと舌を巻き――
「……『先読みとムダのない動きのせいで速く感じる』……とか考えてるだろ」
「………………正解」
 ジュンイチは、そんなキリトの思考をあっさりと言い当ててきた。別に隠す理由もないのであっさりと肯定しておくが、
「…………その考えじゃ、66点……ってところか」
「え………………?」
「あとひとつ、要素が欠けてる……だから3分の2で、100点満点中の66点」
 言って――再びジュンイチが地を蹴った。先ほどと同じように、一瞬で懐に飛び込んでくる。
 今度は一発ではない。左右のコンビネーションからの蹴り――そのすべてに対応、剣で弾き、受け止めるが、
(――――また!?)
 再びジュンイチの姿が視界から消えた。とっさに、安全の確定している方向へ――すなわち、視界に捉えている前方へと跳ぶ。
 素早くターンし、背後を確認。しかし、そこにジュンイチの姿はない。
「え――――?」
 また背後から来ると思っていたのだが――当てが外れ、思わず疑問の声をもらした、その直後だった。
「えいっ」
 気の抜けた声と同時――スパンッ!とキリトの足が払われた。
 視界の“下”にいた、かがみ込んでいたジュンイチの足払いだ。背中を地面に打ちつけるが、すぐに転がって距離を取り、立ち上がる。
(まただ……
 どうなってる!? 索敵スキルを全開にしてるのに!?)
 ソロプレイにおいて、不意打ちを防ぐ意味で索敵スキルは重要な要素のひとつだ。それゆえに念入りにスキルレベルを上げていた自身の索敵が通じず、キリトは懸命に動揺を押し殺す。
 対し、ジュンイチはあくまで余裕の表情だ。深く息をつき、呼吸を整えながら立ち上がると相変わらずの自然体でキリトへと向き直る。
(……攻めさせちゃダメだ。また捉えられなくなる!)
 相手の攻めのカラクリが見えない以上、このまま好き勝手やらせていてはマズイ――意識を切り替え、キリトはジュンイチに向けて地を蹴った。
 振るった剣をジュンイチは受けず、身をかたむけてかわす――返す刃はスウェーバックで。
 そこに素早く突きを放つ――が、ジュンイチの回避はスウェーバックではなかったと気づく。
 そう。上体をそらすスウェーバックではない。その後の突きまでもを読み切った、バック転だったのだ。のけぞった頭の上、すなわち地面に手をつき、振り上げたジュンイチの足がキリトの剣を蹴り上げる。
 強烈な衝撃に剣を跳ね上げられ、姿勢も崩れる――幸いだったのがバック転という大きな動作のせいでジュンイチもまた追撃のチャンスを逃したことだった。両者の間合いが再び開く。
 だが――先手を許せば不利だというキリトの判断は変わらない。再び最大速力で突っ込み、斬りかかる。
 胴を薙ぐように、低めの軌道で水平斬りを放つ。この軌道なら上体の動きだけではかわせない。その読みの通り、ジュンイチは回避をあきらめたのかガントレットで防御した。
(しめた!)
 そして、その衝撃に耐えるために踏んばり、足が止まる――好機と捉え、そのまま刃を返し、斬り続ける。
 どんどん加速していくキリトのラッシュを、ジュンイチもそのことごとくを防いでいく――が、それでもダメージが多少なりとも通っている感覚がキリトの手には伝わってきていた。実際、ジュンイチのHPバーは少しずつ減少し始めている。
(――そこっ!)
 一際大きな一撃を受け止め、ジュンイチがよりガードを固めた一瞬、その一瞬に大技を狙う――片手突進系のソードスキル《ソニックリープ》。
 かまえたキリトの発動モーションをシステムが拾い、刃がソードスキル発動時特有の輝きに包まれる。
 迷うことなくスキルを発動。放たれた刃が一直線にジュンイチへと迫り――



 空を薙いだ。



(え――――?)
 極度の集中によって擬似的な加速の中にあったキリトの目はハッキリと捉えていた。
 ジュンイチが素早く身を沈め、左手で自分を狙った刃を真上に弾くのを。
 弾かれた=刃に触れられたのをシステムはヒットと判断したらしい。それ以上の追尾をすることなく、刃が虚しく虚空を貫く中、ジュンイチがこちらの懐に飛び込んでくる。
(ヤ)
 ソードスキルの発動直後のシステム上の硬直に囚われ、動けないキリトの顔面をジュンイチの右手がつかむ。
(バ)
 そのまま顔面、いや、頭が後方に思いきり押される。
(イ)
 自らの姿勢が崩れるのをハッキリと知覚して――
(!)
 思考が警告の一言を発し終えた時には、後頭部から地面に叩きつけられていた。
 後頭部の強打――これも立派な急所攻撃ボーナスがつく。HPバーは一気に減少し、75%ほどまで減って――
「せいっ」
 気の抜けた声、しかし決して抜けているとは思えない鋭い打撃がキリトの胸を襲った。
 心臓への打撃だ。さらに急所攻撃ボーナスのかかった大ダメージが、キリトのHPバーを今度こそ半分以下にまで削りとってみせた。
 HPの半減――すなわち、キリトの敗北である。



   ◇



「……とまぁ、こんな感じ。
 わかったかな、アスナくん?」
「…………まぁ、言いたいことは……ね」
 デュエルの勝利を示す、紫色のメッセージが表示される――ウィナー表示が消えるのも待たずに話を振ってくるジュンイチに、アスナは憮然とした顔でうなずいた。
「確かに、高速戦闘下での、ソードスキルによるスキが勝敗を分けたわ。
 発動後の、システム上決して避けられない硬直時間を狙われて、そこから一気にやられたワケだし……それ以前に、発動前の段階でも仕掛けられたのをわざと見逃したでしょ?」
「正解♪」
「え………………?」
 指摘するアスナとうなずくジュンイチ。二人のやり取りにキリトが身を起こし、声を上げる――ジュンイチに歩み寄ると、アスナは彼の左手を取り、キリトの目の前に差し出してくる。
 ……投擲とうてき用のピックが隠し持たれていた。確かに、これを投げられていたら、キリトのソニックリープは発動前につぶされていたはずだ。
「……ソードスキル、止めようと思えば止められたワケだ。
 わざと見逃したのは、発動前より大きな、発動後の硬直を狙う方が、ソードスキルの持ってるスキをハッキリ示せるから……ってところか?」
「ま、そんなところかな」
「やれやれ、そんなこと考える余裕まで残してたのか……
 というか、後頭部強打とか心臓打ちとか、リアルでやられたら命に関わるぞ。ここがゲームの中だったからいいけどさぁ……」
「まぁ、今のオレ達の身体アバターに脳とか心臓とかはないからな。
 けどな、キリト――“だからこそ”逆に遠慮なく急所攻撃をかませた、とは考えないのか?
 急所にいくら叩き込もうが、HPがゼロにならない限り死なれる心配はないだろう?」
「……ホントに、やれやれだ……」
 うなだれるキリトに、ジュンイチが苦笑しながら回復ポーションを投げ渡す――ご丁寧にストローまで一緒に放ってきた。こんなものなくても飲めるのだが……
 せっかくなのでそのストローを使って飲むことにした。ビンに差し込んだストローから回復効果のある液体をすする――HPバーが回復していくのを見ながら、キリトはふと気になったことを尋ねた。
「そういえば……最初の方、何度もオレの視界から消えたのは何だったんだよ?
 まったく動きが追えなかったんだけど」
「あ、それは私も疑問だった。
 すごくあっさりと見失ってるんだもの。絶対普通じゃありえないと思った」
「まぁ、見えなくても当然だな……“見えないように動いた”んだから」
 同意するアスナにそう言うと、ジュンイチは放り出されたままになっていたキリトの剣を拾った。剣の腹の部分を見せつけるかのように、キリトの眼前、その目のすぐ前にかざす。
 すぐにその剣を下ろすと、今度は平手でキリトの視界を覆う――そこでようやく、キリトは一連の攻防のカラクリに気づいた。
「わかったか?」
「あぁ……
 剣やオレの腕……それをブラインドにして、オレの視界の外に逃げてたのか……」
「正解。
 さっき『要素をひとつ見落としてる』って言ったよな? その“ひとつ”が、コレなワケだ」
「そんなことできるの?」
「まぁ……難しい技であることは確かだけど、原理自体はごく簡単なものだぜ。
 攻撃して、相手がその攻撃に意識を向けている間に動く――相手は自分じゃなくて攻撃の方に目が向いてるから、相手が防いでる間に視界の外に脱出するスピードがあれば、割と簡単にできる。
 手品のテクニックのひとつに、相手の意識を他に逸らす“ミスディレクション”って技があるんだけど、アレと同じ発想と考えてもらえればだいたい正解だ――システム云々じゃなくて相手の意識の、注意力の問題だから、パラメータに差があっても問題なく使えるしな」
「なるほど、種さえ聞けば、確かに難しいけど単純な手だ。
 けど、知らない内はパニックだ――まったく、とんだ初見殺しだな」
 アスナに答えたところに聞こえてくるキリトのつぶやきにはもう一度苦笑。ジュンイチは改めてアスナへと向き直り、
「ともかく、これでわかったろ。
 ソードスキルだって使いよう。使えない状況で使っても、お荷物にしかならないってことだよ」
「……悔しいけど、認めるしかないわね……」
「素直じゃないねぇ……ま、今までのスタイルを全否定されたようなものだし、仕方ない部分もあるけどさ。
 けど、カン違いしないでほしいのが、別にソードスキルを全否定してるワケじゃないってことだ――使えない状況で使っても役に立たない、っていうだけで、逆にここぞという時に使えばその効果は絶大だ。要するに、その“使いどころ”を見極める目を持て、ってことさ。
 そういう意味じゃ、ソードスキルをガンガン使っていくことを念頭に腕を磨いてるお前らは、むしろそのままの方向性で鍛えていっても何の問題もないワケで」
 憮然とした様子でうなずくアスナに答えると、ジュンイチはポンと手を叩き、
「とにかく……今の模擬戦を踏まえて、まとめてみようか。
 通常攻撃は、威力は低いけど自分の技量オンリーでコントロールできるから、正確な狙いができる。
 対するソードスキルは、威力は高いけど半ばオート化されていて、狙いはどうしても大雑把になる。
 急所を狙いやすい通常攻撃と、高威力による一撃必殺を狙うソードスキル、ってところか」
「んー、まぁ、その解釈で正解かな」
「繰り返しになるけど、高速連撃主体のオレのスタイルと発動の際のタメや発動後のスキがあるソードスキルは相性が悪い。使うとしたら最後のトドメ。文字通りの“必殺技”としてだな。
 つか、使っていく場合、個人的にはせめてソードスキルのオート追尾は解除したいんだけどなぁ……システム設定で変更できないのか?」
 ポーションを飲み干し、回復したキリトがうなずく傍らで、ジュンイチはメニューを開いてオプション設定画面を確認していき――ある項目で視線を止めた。
「……“痛覚保護設定”……?
 デフォルト設定はONになってるな……そうか、攻撃をくらっても痛みがないのはコイツのせいか」
「あぁ。
 けど、やっぱり脳が“攻撃をくらった”って認識するせいかな、どうしても擬似的な痛みというか、嫌悪感はあるんだけど」
幻肢痛ファントム・ペインみたいなものか……」
 いつの間にか、キリトの言葉につぶやくジュンイチの表情は、ソードスキルの話をしていた時とは比べ物にならないほど真剣なものになっていた。
 ひょっとしたら、先のボス戦よりも真剣になってるんじゃなかろうか――自分達を痛みから守ってくれている、むしろありがたい設定を前にジュンイチがどうしてそんなに真剣になっているのかが理解できず、キリトとアスナは思わず顔を見合わせる。
 と――なんとなく、“ある予感”が同時に二人の脳裏をよぎった。まさかそんな、と思いながら、二人はジュンイチへと視線を戻し、
「な、なぁ、ジュンイチ……」
「まさか……その痛覚設定、解除しようとか思って……」
「ん? 何?」
 聞こえていなかったのか、ジュンイチがこちらへ振り向く。
 その手元で、彼のメニュー画面、痛覚保護設定の欄が赤く染まっている――非推奨設定に切り替わっていることを示すサインだ。
 懸念的中。この男はほぼノータイムで、自分達を痛みから守ってくれている痛覚保護設定をあっさり「いらない」と断じたのだ。
「ち、ちょっと待ちなさいよ!
 何考えてるの!? 痛覚保護設定を解除するなんて!?」
「オレに言わせれば、こんなの使ってる方が『何考えてるの』なんだがな」
 詰め寄るアスナに、ジュンイチはため息まじりにそう答えた。
「痛みなんてものがどうしてあると思ってる?
 痛みっていうのはな、自分の身体の異常を知らせてくれる重要なサインなんだ。痛みがあるから、攻撃を受けたことがわかるし、どこを損壊したのか、見なくても理解できる。
 ゲームの中だろうがそれは同じだ。ちゃんとくらったところが“痛んでくれる”かどうかは、まぁ、くらってみないとわからないけど……そうでなかったとしても、痛みの強さでダメージの深さを測るくらいはできるだろ」
「で、でも、痛みを感じれば、その分動きは鈍る――それは、戦闘の敗北にもつながりかねない大問題よ。
 わかってるの? このゲームで死ねば、現実の私達も死ぬ……命がけの戦いをしてるのよ、私達は」
「だったらなおさらだ。
 命をかけて戦っているからこそ……痛みのわからない戦いはしたくない」
 そう答えるジュンイチは、声色までもが真剣そのものだ。その姿に得体の知れない“重み”を感じて、キリトとアスナは改めて顔を見合わせて――

「………………ァッ」

「――――――っ!?」
 キリトの索敵スキルがその声を拾った。
「どうしたの……?」
「悲鳴だ」
 アスナに対し簡潔にそう答えて――その瞬間、視界からジュンイチの姿が消えた。
 ガサッ、と聞こえた音に見上げると、頭上の木の枝の上にジュンイチの姿が。一足飛びにそこまで飛び上がり、ジュンイチは周囲を見回す。
 人影は見えないが、少し離れたところにはこの第二階層に上がってきた際に通った始めの森が広がっている。悲鳴が上がったとすれば、おそらくそこからだろう。
「ジュンイチ!」
 声を上げるキリトに言葉で答える必要はなかった。地上に飛び降りると同時、ジュンイチは迷うことなく森に向かって走り出す。
 獣道同然の、かろうじて人が通れそうな小道を見つけ、飛び込む――そこに、悲鳴の主と思われる男が倒れていた。
 軽装の男性プレイヤーだ。近くに転がっている剣もそれほど上等なものではないし、少なくとも、攻略を念頭に武装を整えた部類のプレイヤーではないようだ。
 おそらくは職人系プレイヤーだ。自分達がボスを倒したことを知り、第二階層の最初の街を目指して上がってきたのだろう。
「おい、大丈夫か!? しっかりしろ!」
 とりあえず助け起こし、呼びかける――表示されたHPゲージはレッドゾーンに達しているが、幸い全損はしていない。
 だが、ゲージの周りに緑の枠がかかり、点滅している。これは――
「…………麻痺状態」
 追いついてきたキリトがポツリ、とつぶやく――うなずき、ジュンイチは自分のアイテムストレージから麻痺回復のポーションを実体化させ、男に与える。
 とたん、男の身体の硬直が解ける――だが、それで安心して気が抜けたのか、男はろくに話もしないまま意識を手放してしまった。
「……いったい、何があったの……?」
「確かに、ベータテストでも麻痺攻撃をしかけてくるモンスターは第2層が初だったけど、もっと迷宮区近くのフィールドだったはずだ……
 これも、製品版とベータテスト版の違いか……?」
 アスナやキリトが口々につぶやくが、ジュンイチの意見は違った。
「アレ、見てみ」
 言って、ジュンイチはすぐそばを指さす――深々と斬り裂かれた木のオブジェクトが、見る見るうちに修復されている。
「モンスターの攻撃の痕じゃない……刀傷、か……?」
「これがどうしたのよ?
 この人が、モンスターと戦った時に誤って木を斬っちゃったかもしれないでしょ?」
「それにしちゃ、傷が深すぎるんだよ」
 キリトのとなりで尋ねるアスナに、ジュンイチが答える。
「破壊可能オブジェクトであるフィールド上の木に誤って一撃。しかし完全破壊には至らず、現在自動修復中……っていうのが現状。
 ただな……悲鳴を聞いてからオレ達が駆けつけるまでのタイムラグや、見た限りの修復スピードから逆算すると、傷つけられた時にはもっと、ずっとこの傷は深かったはずなんだ。
 少なくとも、この人の剣でつけられるような傷じゃない……たぶん、この中で一番STR値の高いキリトの剣でも難しいくらいだ。
 おそらく得物は……エギルが使っていたような、バトルアックスだ」
「他にも、プレイヤーがいた……!?」
「あぁ。
 それも……」
 キリトに答えて、ジュンイチは周囲を――“さんざんに踏み荒らされた”周囲の地面を見回した。
「けっこうな人数が、だ。
 そんな人数がいた痕跡があるのに、駆けつけてみたら麻痺状態の男がひとり転がってるだけ……」
 ジュンイチの言いたいことを悟ったのだろう。キリトの表情が強張る――立ち上がるジュンイチに、緊張の面持ちで尋ねる。
「おい、ジュンイチ……
 それじゃあ、この人……」







「“オレンジプレイヤー”の集団に、身包みはがされたっていうのか……!?」


NEXT QUEST......

 

 オレンジプレイヤー。MMORPGの暗部、悪行プレイに走る者達。

 その暗部は、オレ達のいるSAOの中にも着実に根を張り始めていた。

 関わり、対峙することになり、その中であることを確信するジュンイチ。

 そして彼は、この世界の創造主、茅場晶彦へと自らの決意を宣言する。

 

次回、ソードアート・ブレイカー、
「神への挑戦状」


 

(初版:2012/09/28)