2004年2月3日 第15階層・カセンガンド――
「諸君。今日は私の呼びかけに応じてくれて、本当にありがとう」
居並ぶプレイヤー達を前に、ひとりの男がそう礼の言葉を口にした。
彼が、ジュンイチ達の流した攻略フラグ成立の情報を受けて今回の攻略パーティーを召集した――
「初めて参加する者もいるだろうから、初めに自己紹介させてもらおう。
私の名はヒースクリフ――今回の攻略も、私が指揮を執らせてもらうことになった」
そんな、いつも繰り返している初参加者への配慮を含めたあいさつから始めた攻略パーティーの発起人は、場に集まったプレイヤー達を見渡し、
「さて……この第15層のボス部屋にボスの姿がない、という情報はすでにここにいるプレイヤー達の間には広まっていることだろう。
その件が解決したからこそ諸君に召集をかけたワケだが……ジュンイチくん」
そちらを見ながらのヒースクリフの言葉に、場のプレイヤー達の注目がジュンイチに注目する――そんな彼のとなりに立ち、キリトは表情にこそ出さないもののその胸中でため息をついた。
それは、“この後”が容易に想像できるからこそのため息で――
「……おい、アイツ……」
「あぁ……“ビーター”の片割れだ」
「またおいしいところを持ってくつもりかよ……」
「ボスの撃破率、攻略組の中でもダントツなんだろ……?」
「自分達だけいい思いしやがって……」
ジュンイチの登場に対し、まったく好意的に聞こえないささやきがそこかしこから聞こえてくる。
と言っても、古参の攻略プレイヤー達からはそれなりに付き合いがあるためか“ビーター”に対する悪いイメージは払拭されつつある。こうした陰口を叩くのは、もっぱら最近攻略に加わった、“ビーター”としての自分達を一般に流れている悪評だけで見ている新参の面々だ。
それにしても、自分達に話が向いただけでこれだ。いったい自分達は巷でどれほど悪評を流されているのか――ため息もつきたくなるというものだ。
チラリ、ととなりに視線を向ける。
覚悟の上で“ビーター”を名乗った自分達と違い、覚悟どころかビーターでも何でもない“彼女”はこういった事態をよく思ってはいなくて――
(あぁ、やっぱり……)
案の定、アスナは見るからに機嫌を損ねていた。表情にこそ出さないものの、こめかみにはわかりやすい血管マークが浮かんでいる。
が、これでもまだ落ち着いていられるようになった方なのだ。最初の頃などは“ビーター=卑怯者”という図式で陰口を叩く他のプレイヤー達に対し、当事者であるジュンイチやキリトを差し置いてブチキレていた。そうなる度に、ジュンイチやキリトは自分達が怒るどころではなくなり、彼女をなだめるのに四苦八苦したものだ。
自分達のために怒ってくれる彼女の優しさは正直ありがたいのだが……と、思考が脱線しかけているのに気づいたキリトはジュンイチへと視線を戻した。
「彼が、ボスを引きずり出すためのキーアイテムの入手に成功した。
そのアイテムを借り受け、偵察隊を編成し、派遣――結果、ボスモンスターの姿を確認した」
ヒースクリフの言葉に、場がざわつく――そんな中、ヒースクリフは傍らにウィンドウを大画面で展開。ボスモンスターの姿を映し出した。
昆虫型のモンスター。より正確には――
「ボスの名前は《The Sutan Bee》。見ての通り、ハチ型の大型飛行モンスターだ。
ただ、姿を現すようになっただけで、攻撃行動はなかった、とのことだ。これについては――」
言いながら、ヒースクリフの視線が再びジュンイチへと向けられる――その意図を察し、ジュンイチはため息をつきながら口を開いた。
「おそらく、オレ達の受けているクエストと連動しているんだろう。
あのボスモンスターのせいであの部屋にある祭壇からこぼれ落ちたキーアイテムを、元通り祭壇へ……って内容なんだが、このフロアのボスモンスターがクエストボスも兼ねてると考えれば、アイテムを持ち込んだだけじゃ襲ってこなかったことにも説明がつく」
「つまり、クエスト受注者であるキミ達が行くか、祭壇にアイテムを納めようとすると襲ってくる……ということかね?」
「偵察隊の前に姿見せたんだろう? だったら前者の可能性はないさ。そっちが正解だとすれば、いくらキーアイテムを持っていたとしても、受注者でもない偵察隊が入っていったところで姿を見せる理由がない。
間違いなく、アイテムだけに反応した……後者の、『祭壇に持っていこうとすると襲ってくる』に一票投じるね、オレは」
「ふむ……やはりそう考えるか。私も同意見だ」
ジュンイチの言葉に、ヒースクリフは淡々とそう返しながらうなずき、
「では、誰かがアイテムを祭壇へ。それを阻止しようとするボスモンスターを他のメンバーで迎撃する……という形になるか。
やはり、アイテムを運ぶ役はジュンイチくん……キミ達のパーティーから選出すべきかな?」
「ま、ウチが受けてるクエストだしな、そこはオレ達が請け負うのが筋だろ。
だから……オレが行く」
ジュンイチのその言葉に、再び場がざわつく。
だがそれは「ボス撃破ジャンキーのアイツがボス撃破に参加しないだと……?」という単純な驚きよりも「何か企んでるんじゃないか?」「クエストクリアのボーナス狙いかよ」などという、新参組から“ビーター”である彼への疑念や妬みの声の方が大半であった。アスナではないが、キリトも目の前の光景には正直頭に来るが、そこはなんとか自制する。
「ふむ……
ならば、我々はキミを援護しつつボスモンスターの迎撃、でいいかね?」
「あぁ。それで頼む。
オレに獲物を取られずに済む貴重な機会なんだ。攻略に参加して日が浅いヤツらはきっちり稼ぐいいチャンスだよー」
とはいえ、ジュンイチもそういった新参組に対していちいち挑発じみた物言いをするのはやめてもらいたい。嫌われ役であることを選んだとはいえ、自分から嫌われに行く趣味はないのだ。
「では、基本方針はそれでいくとして……問題はボスの攻撃方法だな。
何しろ、フロアボスとしては初めての飛行モンスターだ。フィールドボスにも飛行型が現れたそうだが……ジュンイチくん、その時のことを説明してもらえるかな?」
「バンディットクロウのことか?
とりあえず、オレが対戦した時は体当たりとくちばしや両足の爪による引き裂き攻撃……あと、羽を手裏剣みたく飛ばしてきたけど、今回はハチがモチーフだって言うし、これはないと思っていいだろう。
それから……ウチのアスナが空中にかっさらわれた。あのままだったら高高度で放されて、地面に叩きつけられていただろうな」
「なるほど、その攻撃の可能性は高いな……そのためにボス部屋の天井が高く作られているとすると納得がいく」
「他に考えられるのはハチならではの攻撃……典型的ではあるが、尻尾の針だな。マンガとかでよくある、撃ち出してくるタイプの攻撃もあると思う。
あと、お約束通りなら毒持ちだろ。解毒アイテムはたっぷり用意しておいた方がいいな」
ジュンイチとヒースクリフが意見を交わす形で、予想されるボスの攻撃方法とその対処法が吟味され、それが終わるとその日の攻略会議は終了となった。
Quest.6
響け、安らぎの笛
2004年2月26日 第15階層・迷宮区・最上階――
「…………ジュンイチ」
必要アイテムの準備のため丸々一日の時間を空け、ついに始まったボス攻略。
順調に迷宮区を突破し、ついにボス部屋の前へ――戦いの前に参加者が回復アイテムを使用、万全のコンディションで挑もうと準備している中、キリトがジュンイチに声をかけた。
「んー、何?」
「本当に、オレ達が援護につかなくてもいいのか?
それに、解毒結晶どころか、解毒ポーションも持っていかないなんて……一応、共通ストレージには入れておくけど……」
「お前らの戦力を考えたら、オレの護衛なんかよりも対ボス戦闘に集中してもらいたいからな。
ビーターだろうがその影に隠れてイマイチ目立てていなかろうが、自分達が攻略の要のひとりなんだってことをもう少し自覚しろ」
そう答えるジュンイチに、キリトとアスナは思わず顔を見合わせてため息をつき――
「ん? 何だ、ジュンイチ。解毒アイテムがないのか?」
そんなやり取りに気づき、声をかけてきたのは第一階層の攻略以来の顔なじみ、エギルだ。
「何なら格安で売ってやろうか?」
「んー、悪いけどパス。
売るほど手持ちがあるなら、オレじゃなくてキリトやアスナに売ってやってくれよ」
最近商人への転向を検討しているらしいエギルから解毒アイテムの売買を持ちかけられるが、ジュンイチはあくまでも拒否の姿勢を崩さない。
「それに、解毒アイテムを持たないのには一応オレなりの理由があるんだよ」
「お前なりの、理由……?」
「あぁ。
とりあえず攻撃については全力で避けさせてもらうし……それに、万一毒をくらったところで、それで即死するワケじゃない。解毒してるヒマがあったら一気に駆け抜けて、《安らぎの笛》を祭壇に納めたいんだ。
要するに、オレ自身が緊急で使うような事態は、今回はとりあえずない――だったら、オレ専用のアイテムストレージに置いとく理由はないさ。キリト達も使えるように、パーティー共用のストレージに入れておくのが最善だ」
「毒をくらっても平然と動ける点にまずツッコみたいわよ、私は……普通はその時点で動きが鈍るものなのに」
「まぁ、そこはゲームの中ならではってことなんだろうけど……」
エギルに答えるジュンイチの言葉に、アスナやキリトがため息まじりにツッコミを入れる。
「まぁ、とにかく、だ……解毒については心配いらないから。お前らはボスの相手に集中してくれ」
気を取り直して告げるジュンイチの言葉に、キリトやアスナはやはりもう一度説得しようと口を開きかけ――
「安心したまえ」
そんな二人にはヒースクリフが告げた。
「私が彼の直衛につこう。
万一毒を受けても、私が解毒すれば問題はないだろう」
「ヒースクリフ……アンタが?」
「私なら装備が前衛壁役向きだ。足手まといにはならんし、攻撃が飛んできても防ぎきる自信はある」
「まぁ……確かに、盾のないキリトやアスナに頼むよりは、“援護役の”危険はないけどさぁ……」
キリトに答えるヒースクリフの言葉にジュンイチがうめくと、そんな彼の言葉にヒースクリフは小さく笑みをもらした。
「……何だよ?」
「いや、キミを守る役目の話をしているのに、キミ自身は自分より盾役の心配をするのだな、とね」
訝しげに尋ねるジュンイチに、ヒースクリフはそう答えると彼を見返し、
「解毒アイテムを共有ストレージに留めておくのも、用意した分をひとつでも多く二人に振り分けるためだろう?
相変わらず、お優しいことじゃないか。どうしてわざわざ“ビーター”などと名乗って嫌われ役になろうとするのか、正直理解に苦しむよ」
「………………」
ヒースクリフの指摘が図星だったのか、ジュンイチは少なからず顔を赤くしてそっぽを向いてしまう。
そんな彼の姿に、キリトとアスナはため息をつくとヒースクリフへと向き直り、
「なら……ジュンイチのことはよろしく頼みます。
コイツ、自分のことは二の次にしてとにかく突っ走っちゃうんで」
「特に誰かが危なくなったら気をつけてください。
ジュンイチくん、自分の危険なんか全力で無視して動いちゃいますから」
「お前ら……攻略終わったら覚えてろ」
二人の言葉に、ジュンイチはますます顔を赤くしてうめく。そんな三人のやり取りにヒースクリフが笑みをもらし――全員の回復が終わったらしい。プレイヤーのひとりがヒースクリフを呼びに来た。
「ふむ……では行くか。
これからボスに挑む! 全員気を抜くな!」
表情を引き締め、告げるヒースクリフの言葉にジュンイチが、キリトやアスナが、他のパーティー参加メンバー達がうなずく――そして、タンクの面々が先頭に立ち、扉を開けて室内に侵入する。
そんな彼らに反応し、室内の灯りが灯され、一気に明るくなる――同時、ブゥゥゥゥゥン……という昆虫特有の羽音が室内に響く。
その音に全員が頭上を見上げ――そこに“ソイツ”はいた。
派手すぎてむしろグロテスクにも見える、黄色と黒に染め抜かれたハチ型モンスター。
その頭上にはハッキリと《The Sutan Bee》の文字が浮かんでいる。まさに“魔王のハチ”にふさわしい迫力だ。
「…………ジュンイチくん」
「あぁ……わかってる」
その視線は、攻略パーティーの中でもハッキリとジュンイチだけに向けられている――声をかけてくるヒースクリフに答え、ジュンイチは腰を落とし、
「そんじゃ……いくぜっ!」
言うと同時、全力で飛び出す――サタンビーが反応し、急降下してくるのを受け、ヒースクリフが宣言した。
「戦闘、開始!」
「はぁぁぁぁぁっ!」
ジュンイチの後に続き、飛び出したのはアスナだった。手にした細剣で突進系のソードスキルを放ち、ジュンイチに襲いかかろうとしたサタンビーを狙う。
対し、サタンビーも直前で気づいて後退。アスナのソードスキルの射程外に出ることで逃げ切ると、逆にアスナへと襲いかかった。尻尾の針でアスナを狙うが、
「アスナ!」
キリトがフォローに入った。薙ぎ払うように放ったソードスキルでサタンビーの針を叩き、攻撃を弾く。
「ジュンイチ、いけ!」
「わかってる!」
キリトに答え、ジュンイチは再び走り出す。
目指す祭壇は次の階層への扉のすぐ脇。そこまで一気に駆け抜け――るかと思われたが、ジュンイチは唐突に足を止めた。どうしたのかという声が上がるよりも早くバックステップで後退。その眼前を何かが駆け抜けた。
サタンビーが小型化したような、しかしそれでも人の身の丈ほどの大きさがあるハチ型モンスターだ。
「取り巻きのご登場ってか……
またずいぶんと厳重な警戒態勢だことでっ!」
愚痴をこぼしながら、ジュンイチは襲いかかってきた小型ビーを手にした剣で叩き落とす。再び飛び立とうとしたところを、ジュンイチの後に続くヒースクリフが踏みつけ、手にした剣で刺し貫いて撃破する。
だが、取り巻きの小型ビーの登場はジュンイチの突撃スピードを明らかに鈍らせた。キリト達も懸命に援護するが、サタンビーもまた執拗にジュンイチを狙ってくる。
やはり、相手が空中ということが不利に働いている。包囲しようにも空中に逃げられては地上のキリト達にはどうすることもできない。どうしても主導権を取り戻されてしまうのだ。
と、そのサタンビーの動きが変わった。突然より上空へと上昇。ジュンイチを狙うでもなく部屋の上の方で旋回を始める。
「何? アイツ……」
突然の行動パターンの変化に、アスナが小型ビーを叩き落としながらつぶやいて――キリトは気づいた。
上空を旋回しているのが、もしこちらの動きを観察するための予備動作だとしたら――
「――気をつけろ!
あの動き……たぶん、“狙いを定めてる”!」
その言葉に、意味するところを察した何人かのプレイヤーの顔色が変わり――次の瞬間、彼らの予感通りの攻撃が飛んできた。
旋回する動きのまま、サタンビーが尻尾の針を撃ち出してきたのだ。
しかも、マシンガンの如き連射速度で、広範囲に――その攻撃はキリト達攻略パーティーへと降り注ぎ、突然の攻撃に反応できなかった何人かが被弾してしまう。
攻撃を受けた面々がその場にヒザをつき、苦しみ始める――情報視認状態で確認すると、彼らのHPバーには一様に同じ状態異常アイコンが点滅している。
(やっぱり、毒か……!)
「早く解毒しろ!」
「周りのヤツはカバーに入れ!」
他のプレイヤー達の指示が飛び交う中、キリトは内心舌打ちしながら剣を振るう――小型ビーを叩き落とし、サタンビーの針を斬り払いながら視線で確認するが、ジュンイチは何度も足を止められながらも、そのどちらにもちゃんと対応し、着実に祭壇に向けて進んでいる。
しかも自身の視線は一度も相手の攻撃にあわせていない。完全に気配だけで対応している――相変わらず化け物じみたカンの鋭さだと苦笑する。
だが、あれなら心配はいるまいと自分を狙う攻撃に意識を集中させ――
視界の左上、パーティーメンバーのHPバー表示欄に、毒“と麻痺”を示すアイコンが表示された。
◇
「くそっ、ジャマだぁっ!」
文句を言いながら、正面から突っ込んできた小型ビーを斬り捨てる――直後にサイドステップ。背後から突っ込んできていた別の小型ビーをかわし、さらに前方に跳んで上空のサタンビーから放たれた針をかわす。
(このザコどもさえいなきゃ、今頃祭壇に到着してるはずなのに!)
一匹一匹は大したことはない。これなら突破は容易だと思っていたが、問題はその数だった。
相手もこちらにクエストを達成させまいと必死なのか、祭壇に向かうほどに小型ビーの強襲が激しさを増してくる。おかげで回避や迎撃に時間を取られ、かなりのペースダウンを余儀なくされていた。
決して取り巻きの出現を予想していなかったワケではない――だが、ここまで容赦なく立て続けに出てくるとは思っていなかった。相手が数で攻めてナンボの昆虫系であったことを失念していた自分を殴り飛ばしたくなってくるが、それについては後回しだ。
後ろでヒースクリフがサタンビーの針を斬り払っているのだろう、キンキンという金属音を聞きながら、前方から突っ込んでくる小型ビーを一刀両断に切り捨てて――
――――トスッ、と音を立て、脇腹にそれが突き刺さった。
(――――――っ!?)
まったく殺気を感じなかったところに不意打ちの一撃――視線を落とすと、サタンビーの針が一本、右の脇腹に突き刺さっている。
飛来したと思われる方向に視線を向ければ、そこにはいつもの機械的とも言える無表情とは対照的に驚愕の表情を浮かべたヒースクリフ――それだけで、何が起きたか容易に推測できた。
(そうか……ヒースクリフの弾いたヤツが……っ!)
それなら自分が知覚できなかったのもうなずける。自分に向けられた攻撃ではない――他の相手に向けられた攻撃、しかも弾かれ、狙いを外した後のものでは殺気など感じようがない。
現実の戦場でも“殺気の伴わない攻撃”としてもっとも警戒される流れ弾――当たっても「運が悪かった」としか言いようのないそれに当たってしまった不運に内心舌打ちするが、ジュンイチにとっての不幸はそれだけではなかった。
ガクンッ、とヒザが落ち、“その場に崩れ落ちる”。同時にHPバーが点滅し、減少を始める。
(毒状態……だけじゃない……っ!?)
そう。その場に崩れ落ち、動けない――身体が動かないことに、発生した状態異常が毒だけではないとすぐに気づく。
多くのRPGがそうであるように、毒による異常だけなら、“システム的な意味では”動きに支障は生じない――リアルが売りのSAOにおいても自分のように痛覚保護を解除していない限りは、せいぜいダメージ判定からくる嫌悪感が問題になるぐらいだ。良くも悪くも現実で“毒慣れ”している自分なら苦もなく動くことができるということは、“すでに一度試して”確認済みだ。
そんな自分が動けない。考えられるのは――
(毒と麻痺の、同時異常だと……!?)
見れば、自分のHPバーには確かに毒アイコンとは別に麻痺を示す状態異常アイコンが点滅している。
毒を受けてもそのまま駆け抜ければいいと思っていたが、まさか麻痺まで同時に発動するとは――さすがにこれは想定していなかった上に、本当にシャレになっていない。
何しろ、麻痺状態のため身体が動かないのだ。解毒アイテムはパーティーメンバー共通のアイテムストレージに入っているから、その気になれば解毒できるのだが、それも“状態異常が毒だけなら”の話だ。麻痺で身体が動かない現在の状態では、自身では解毒のしようがないのだ。
こうなると直衛についているヒースクリフに解毒してもらうしかないが――
「ジュンイチくん――ぐぅっ!?」
そのヒースクリフも、こちらに気を取られたがために小型ビーの体当たりを受け、吹っ飛ばされてしまう――幸いあちらは毒を受けることはなかったようだが、自分と距離が開いてしまった。彼の手による解毒も難しそうだ。
(どうする……!?
毒はともかく、麻痺は時間経過で解ける。毒ダメージによるHPの減少具合から逆算しても、HP全損前に麻痺は解けるけど……っ!)
試しに四肢に力を込めてみる――かろうじて動く。決して動けないワケではないが、それでも再び立ち上がって走り出すことはできそうにない。
かろうじて、メニュー操作くらいはできそうだ。一刻も早く解毒しないと、と一瞬考えるが、
(……いや、そっちは後だ……っ!
解毒も麻痺解除も後回しでOK――少なくとも、“クエストを達成する分には”……っ!)
迷うことなく、自身の解毒よりも事態の打開を優先した。決断をすぐに実行に移す――右手を振り、メニューを呼び出すと《安らぎの笛》を選択し、
「受け取れ――“アスナ”!」
パーティーメンバーとの共通アイテムストレージを開き、“Asuna”のタブに放り込む。これで、《安らぎの笛》の所有は自分からアスナへと移ったはずだ。
「ジュンイチくん!?」
「バトンタッチだ……っ!
ウチ最速のお前に、後は任せる……ぅわっ!?」
気づき、驚くアスナに答えたところで、小型ビーの強襲を受ける。幸い攻撃自体は外れたものの、小型ビーの足に引っかけられ、引き倒される。
「ジュンイチくん!」
「行け!」
思わずジュンイチを助けに走ろうとするが、それをジュンイチ自身が止める。
「それさえ何とかすりゃ、状況は拓ける!
オレの解毒はそれからでも間に合う! いいから行け!」
「う、うんっ!」
ジュンイチに答え、アスナは祭壇に向けて走り出す――が、すぐに小型ビーが多数飛来し、その進路を阻む。
「くっ、アスナ!」
とっさにキリトがフォローに入った。ソードスキルを叩き込み、数体まとめて叩き斬るが、いかんせん数が多い。先日のレイダークロウ戦と同じく、これではジリ貧だ。
と言うか、明らかに小型ビーを倒すペースよりも連中が増えるペースの方が速い。ジュンイチを助けに向かおうにも、すでに彼との間にも多数の小型ビーが飛び回り、近づくのは容易ではない。
(この笛さえ祭壇に納めれば、なんとかなるのに……っ!)
クエストを受けた際に聞いた説明の通りなら、この《安らぎの笛》を祭壇に納め、その音色を響かせることができれば、モンスター達の攻撃性をある程度鎮めることができるはずなのだ。この激しすぎる猛攻をなんとかするには、もはやその可能性に賭けるしかない。
だが、そのためには目の前の小型ビーによる防衛線を突破しなければならなくて――
(あー、もうっ! これじゃ『ニワトリが先か卵が先か』じゃないのよ!
何かないの!? 他にこの笛を鳴らす方法……)
内心でうめき、アスナは細剣をかまえ――
「………………“笛”?」
◇
「…………くっ!」
うめきながら、身を起こす――麻痺によってロクに動かない身体に鞭打って、ジュンイチは周囲を見回した。
周囲は小型ビーによって包囲されている。攻撃してこないのは、放っておいても毒でダメージを受け続けていることを知っているからだろうか。
先ほどから胸中で渦巻く、解毒したいという誘惑を懸命に抑える――麻痺した身体では解毒アイテム使用の動きにも相応の時間がかかるのだ。ザコとはいえこうも周りをしつこく飛び回られたら、解毒の気配を見せたとたんに袋叩きにされかねない。
ヒースクリフもキリト達も、この分厚い包囲網の外側だ。チラリとHPバーに視線を向ける――状態異常アイコンはなし。キリトもアスナも今のところ無事なようだ。
とはいえ、自分の危機は去っていない。今この瞬間、小型ビー達が一斉に襲いかかってきたら、自分などひとたまりもなくHPを全損してしまうだろう。
それがされないのは――
「一思いにぶち殺すよりも毒でジワジワなぶり殺しかよ……いいシュミしてやがるぜ……っ!」
愚痴をこぼすが、それで解毒できるワケでもない。それよりも現状で打てる手を模索するが、やはり麻痺でろくに動かない身体が最大のネックだ。
「やっぱ、麻痺が解けるのを待つしかないか……
けど、それまでヤツらがこのまま放置し続けてくれるかどうか……っ!」
うめき、周囲の小型ビーをにらみつける――と、その視線が気に入らなかったのか、小型ビーの一匹がジュンイチに向けて突っ込んでくる!
動けないジュンイチに向けた尻尾の針がギラリと光り――
――――♪――♪♪――
響いてきた音色と共に、小型ビーの動きが乱れた。とっさに自ら身体を倒し、ジュンイチは体勢を崩したまま飛んできた小型ビーの身体をかわす。
せっかくしびれた身体でがんばって起き上がったのに――そんな考えが一瞬脳裏をよぎるが、すぐに現状の把握へと意識を切り替える。
自分の耳がイカレていなければ、響いているのは高く澄んだ音。木製の笛独特の音色だ。
この場でそんな音を響かせるものは、考えられる限りひとつしかない――間違いなく《安らぎの笛》の音色だろう。
だが、《安らぎの笛》を託したアスナは未だ祭壇までたどり着いていなかったはずだ。いったいどうやってこの音色を――
少しでも新たな情報を得ようと周囲を見回す。そんな彼の周りで、動きの乱れた小型ビーの包囲網が崩れ、視界が開けて――
(あぁ、なるほど……)
疑問のほとんどが、一気に氷解した気がした。
(うん、そうだよな……
アイテムっつっても、結局は《笛》なんだから……)
(吹けば、普通に鳴るわな……)
そこには、《安らぎの笛》を口にあて、見事な演奏を見せているアスナの姿があった。
ゲーム中では単なる一アイテムでしかない《安らぎの笛》を普通に吹けるかどうか――そんな疑問も浮かぶだろうが、そこはリアルさがウリのSAOだ。他にも何かしらのクエストアイテムが本来の道具としての使い方ができたという例はいくつか聞いたことがあるし、自分自身、キリトと二人してクエストアイテムだった食材アイテムを面白半分で試食してみたところ、意外に美味しくてうっかり完食してしまいアスナからこっぴどく叱られた経験がある。
だから、《安らぎの笛》もリアル同様普通に笛として吹くことができると考えても決しておかしくはないワケだが――
(それをこの土壇場でやるかよ……)
《安らぎの笛》を普通に吹けるかどうかは確認していなかった。それに、吹けたとしてもその音色がモンスター相手に効果を発揮するかどうかなどはさらに――にも関わらずぶっつけ本番で賭けに出て、しかもその賭けに勝ってみせたアスナの姿に、「いつもの慎重さはどうした」と思わず苦笑する。
だが、いずれにせよチャンスであることは違いない。小型ビー達はそれまでの細やかな機動が完全に乱れ、次々にプレイヤー達に叩き落とされており、サタンビーもたまらず墜落。プレイヤー達に何度も攻撃をくらいながらも空に逃れ、今は上空でしきりに頭を振っている。
だが――相手もそのままやられてばかりではいなかった。サタンビーが体勢を立て直し、ギンッ!と地上をにらみつける。
その視線の先にいるは――
「アスナ!」
そう。《安らぎの笛》を吹くアスナだ。キリトの上げた警告の声とほぼ同時、アスナに向けて急降下して襲いかかり――
「ずぁあぁっ!」
振り下ろされた戦斧が直撃――エギルの一撃が見事に命中し、サタンビーが大地に叩きつけられる。
「やはり動きは鈍ったままか!
総員攻撃! この機を逃すな!」
明らかに最初に比べて動きが悪い。確信を得たヒースクリフの言葉に、プレイヤー達が一斉にサタンビーに向けて攻撃を開始。ヒースクリフ自身は改めてジュンイチを解毒しようと彼の元に走り――
「――マズイ! 逃げられる!」
プレイヤーの誰かが上げた声と同時、サタンビーが上昇、空中に逃れ、急旋回する。
「あれは!?」
「毒針の乱射だ!」
「いかん! 総員防御!」
その予備動作は先ほども見た。エギルのとなりでキリトが声を上げ、それを受けたヒースクリフが指示を出し――そんな彼の脇を駆け抜ける影がひとつ。
「――――彼は!?」
驚くヒースクリフにかまわず、影は渾身の力で跳躍。毒針攻撃のために比較的低空にいたサタンビーの上に飛び乗り、
「とりあえず……ふっかぁぁぁぁぁっつっ!」
咆哮し、影がその右拳をサタンビーの背中に叩きつける!
「ジュンイチ!」
「麻痺が解けたのか!?」
突然のジュンイチの復活劇に、エギルとキリトが声を上げ――
「――って!?
ジュンイチ! 毒アイコンそのままっ! HP減りっぱなしぃっ!」
「麻痺は解けた! 問題ねぇ!」
「いや、むしろそっちが問題だろ!」
そう。ジュンイチは麻痺が解けただけで毒状態はそのままだった。ツッコむキリトの言葉にもかまわず、サタンビーへの対応を優先する。
「それよりもこいつだ!
空に上がられたら好き勝手、っつー状況をなんとかしねぇと勝ち目がねぇ! けど、こうしてしがみついていれば……っ!」
サタンビーの身体に捕まりながら、副武装のダガーで何度も背中を刺す――ダメージは微々たるものだろうが、それでも気には障ったらしい。サタンビーはジュンイチを振り落とそうと何度も身体を揺するが、それでもジュンイチが離れないと見るや勢いよく急上昇を始める。
「アイツ、何を……!?」
その行動にエギルがうめき――
「――――まさか!?」
キリトが、サタンビーの行動の意味に気づいた。
「アイツ、上空でなんとかジュンイチを振り落とす気だ!
そうすれば、落下中に空中で攻撃し放題だし、そうでなくても高所落下ダメージがある。
特にこの部屋の天井は高い。あの高さから落ちれば、毒でHPの減ってるジュンイチは……っ!」
「………………っ!」
キリト言いたいことに気づき、エギルはジュンイチの身を案じて頭上を見上げる。
「なんの、これしき……っ!」
一方、ものすごいスピードで上昇していくサタンビーの飛行速度に、ジュンイチはもはや攻撃どころではなかった――しかし、それでも放してなるものかと懸命にその背中にしがみつく。
そんなジュンイチにムキになったか、サタンビーはさらに上昇するスピードを上げ――
「……大したもんだよ、このスピードは……っ!」
ジュンイチが、懸命にしがみつきながらもその口元に笑みを浮かべた。
「だがな……お前さん、ひとつ忘れちゃいないか?
“この先に、何があるのか”」
そう言って――ジュンイチはサタンビーにつかまっていた手を放した。
その身体がサタンビーの背中から離れて――
轟音と共に、サタンビーは“部屋の天井に激突していた”。
「何だ!?」
サタンビーが天井に激突した音は、地上のキリト達の耳にも届いた。思わずエギルが声を上げ――
「ボスが……天井に正面衝突したんだ」
そう答えたのは、索敵スキルを上げていたおかげで視力も向上、そのために天井で起きたことを目視できたキリトだった。
同時――ジュンイチが何をしたのかにも気づく。
「そうか……ジュンイチは、これを狙っていたんだ!」
「どういうことだ?」
「SAOでは、モンスターの行動にもある程度思考パターンを与えるために簡単なAIを組み込んでるけど……中でもボスモンスターは発狂モード用にある種の不快値、みたいなものが設定されてるらしい」
キリトの指摘は自身も薄々感じていたのか、エギルがうなずく。
「今、ジュンイチはそれを上げに上げたんだ。
背中に飛び乗って、大したことのない攻撃でチクチクと……その繰り返しで、頭にきたボスはジュンイチを振り落とそうと空中で暴れるけど、ジュンイチはそれでも離れなかった。
だから、今度はスピードに任せて振り落とそうとしたけど、こんな屋内じゃスピードに任せて飛ぶには……」
「そうか……それで急上昇!」
気づき、声を上げるエギルにキリトがうなずく。
「普通に飛んで激突しただけなら、単なる事故でダメージにはならない。
けど、アレはジュンイチを振り落とそうとした、れっきとした攻撃行動だ。
だから“攻撃失敗による自爆”とシステムが判断して、結果としてダメージになった……まさか、直接攻撃でもなく、こんな方法で攻撃するなんてな……
相変わらず、SAOのシステム相手に全力でケンカする戦い方するよな……」
つぶやき、頭上を見上げるキリトだったが、
「だが……危機は去っていない」
そう告げるのは、護衛するはずだったジュンイチに置き去りにされ、合流してきたヒースクリフだ。
「キミが先ほど危惧した通りの状況だ。
まだボスのHPは全損していない。空中でジュンイチくんを好きに攻撃でき、さらに高所落下ダメージ……」
「あぁ……」
頭上を見上げたまま、同意するキリトだったが――
「けど、さ……ジュンイチが、そんなことも考えないままこんなマネをするとも思えない。
必ず、何かある……っ!」
◇
「チッ、やっぱこの程度じゃ倒せねぇか……っ!」
サタンビーの背中から離れ、自由落下中――体勢を立て直し、こちらをにらみつけるサタンビーの姿に、ジュンイチは苦笑まじりにつぶやく。
チラリ、と情報視認モードで自身のHPを確認する。
すでにイエローゾーンに入っている――このまま地面に叩きつけられれば、それだけでHPを全損するだろう。
だが、相手もそれでは気がすまないようだ。こちらに一撃を見舞うべく、猛スピードで突っ込んでくる。
「へっ、殺る気マンマンってワケかい」
しかし、ジュンイチはそんなサタンビーを正面から見据えて、
「けどな――」
「甘い」
軽く身をひるがえしただけで、サタンビーの体当たりを回避した。
サタンビーはすぐさま反転して、もう一度攻撃――しかし、ジュンイチはそれもまた簡単にかわしてみせていた。
◇
「な、何だ、あの動きは……っ!?」
それは誰のつぶやきだったのか――プレイヤーの誰かがもらしたつぶやきに、キリトは全面的に同意したい気分だった。
何しろ、ロクに身動きもできない自由落下の中のはずなのに、ジュンイチはまるで意に介していないようにサタンビーの攻撃をあしらい続けているのだから。
「スカイダイビングのプロでも、空中であんな細やかな動きはできないぞ……!?」
エギルもまた、そんなジュンイチ動きに動揺を隠せず――
「…………まさか……」
そしてヒースクリフも、ジュンイチのその身のこなしを見てつぶやいた。
「彼は、まさか自由落下中での戦い方にまで精通しているというのか……!?」
◇
「悪いな、クソ蜂!
こちとら、リアルじゃ生身の空中戦もバチバチやってたんだ! お前程度の機動に、捕まってたまるかってんだ!」
結論から言えば、ヒースクリフの読みは当たっていた。
ジュンイチが現実で使用していた“装重甲”は飛行ユニットを有する“ウィング・オブ・ゴッド”――しかも、その飛行ユニット、ゴッドウィングは武器としても使えるが、その間は飛行能力を失うという特徴まで持っていた。
空中戦に移行し、その中でゴッドウィングを武器として使用し、結果自由落下の中での戦いを強いられたことも一度や二度ではない。その経験が今、この場で活きているのだ。
「それにな……この世界じゃ、“こういうこと”だってできるんだぜ!」
告げると同時、抜き放った剣を水平にかまえる。
片手、両手それぞれに存在する水平斬り、《ホリゾンタル》系列のソードスキルのかまえだ。かまえた刃にエフェクト光が宿る中、サタンビーの突撃をかわし――
「――ッ、ラァッ!」
ソードスキルを発動。“サタンビーを追いかけ”、その背中に一撃を叩き込む!
◇
『な…………っ!?』
その光景に、地上のプレイヤー達は一様に息を呑んだ。
「ウソだろ……今、飛ばなかったか……!?」
うめくエギルの言葉に、周囲のプレイヤーの何人かがうなずき――
「そうか……ソードスキルだ!」
気づいたキリトが声を上げた。周囲からの注目が集まる中、エギルへと説明する。
「ソードスキルは、一度発動させれば射程距離内にいる限り“相手を自動追尾する”。
ジュンイチはそれを利用したんだ――つまり、ボスを引きつけて、かわした瞬間にソードスキルを発動。自動追尾によってボスを追いかけて、背中に一撃入れた……」
「ソードスキルの自動追尾を、飛ぶために使ったってのかよ……!?」
周囲のプレイヤーの誰かがうめくが、上空のジュンイチはそんなことは知る由もない。今度は向かってくるサタンビーに対してカウンターの形でソードスキルを発動。迎え撃ち、斬りつける。
怒りに任せたか、サタンビーが再度突撃するが、再びソードスキルで迎撃し――
サタンビーの背中の羽が、粉砕された。
◇
「これでもう、お前も空中戦はできねぇな!」
相手の飛行の拠り所である羽を部位破壊で斬り落とした。これでもう自分達をさんざん苦しめた空戦機動は使えない――羽がポリゴンの塊となって砕け散る中、ジュンイチは身をひるがえし、ソードスキルで追撃。背中を斬りつけ、失速したところで頭を捕まえ、後頭部に両ヒザ蹴りを叩き込む!
「お前の失敗は二つ。
ひとつは、あのまま転落死させればよかったものを、ムキになって仕留めに来たこと!」
言って、ジュンイチはサタンビーから離れると剣をかまえる。
「そしてもうひとつ……
“ブレイカーズ空戦最強”のこのオレに、空中戦を挑んだことだ!」
もはやおなじみの、最上段に剣を掲げた上段斬りのかまえ――ソードスキルを発動、自動追尾によって一気にサタンビーとの間合いを詰め、
「《バーチカル・ディヴァイド》!」
振り下ろした一閃が、サタンビーの身体を一刀両断に叩き斬る!
決定打を受け、HPが全損――真っ赤に染まったサタンビーのHPバーがゼロに向けて減少していく中、ジュンイチはその場でクルリと背を向け、そろえた右の人さし指と中指で天を指し、
「Finish――completed.」
告げて、天を指した指を眼下の地上に向けて振り下ろす――同時、サタンビーの巨体は砕け散り、無数の青い輝きと化して散っていった。
◇
「や、やりやがった……っ!」
上空でボスを撃破したため、はるか頭上に表示される『Comglaturation』とのボス戦ウィナー表示――それを見上げ、プレイヤーの誰かが思わずつぶやく。
「ジュンイチくん……」
もはやボス戦は終わった。もう笛を奏で続ける必要もない。《安らぎの笛》を口から放し、アスナも頭上を見上げるが、
「いや……まだだ!」
気づいたエギルが声を上げた。
「あのままじゃ、ジュンイチのヤツ、地面に激突してお陀仏だぞ!」
そう。まだジュンイチははるか頭上。現在の高さからでも十分に高所落下ダメージでHPを全損してしまうだろう。
「くそっ、ジュンイチ!」
うめき、飛び出したのはもちろんキリトだ。ジュンイチを受け止めようと予想落下点を見極め、駆けつけ――
「キリトぉっ!」
頭上から彼を呼ぶ声――考えるまでもない。ジュンイチの声だ。
見上げると、予想通りこの場に向けて落下してくるジュンイチの姿が。
無事受け止められるか。ヘタをすればキャッチ失敗でジュンイチは地面に――そんな想像をしてしまい、冷や汗が頬を伝うが、
「合わせろ、キリト!」
その叫びに、頬を伝う汗は一瞬にしてその意味を変じた。
なぜなら、ジュンイチは――
キリトに向けて、ソードスキルのかまえに入っていたからだ。
「ち、ちょっと待て!」
その姿に、先ほどの『合わせろ』という言葉の意味を理解する――とっさに剣をかまえ、自分もソードスキル発動のかまえに入る。
「き、キリトくん!?」
あわてたアスナが声を上げるが、説明している余裕はない。落下してくるジュンイチ、その動きにのみ意識を集中して――
『――――――っ!』
落下してきたジュンイチと、受けるキリト――二人の繰り出したソードスキルが激突、周囲に衝撃をまき散らす!
「どわぁっ!?」
その衝撃の中心から、吹っ飛んだ影がひとつ。そのまま周囲のプレイヤーの人垣に突っ込み――
「…………生、還っ!」
影――キリトとのソードスキルの激突によって弾かれ、人垣に突っ込んだジュンイチが、倒れたまま頭上高く右手のVサインを掲げる。
「な、なんてヤツだ……
キリトのヤツとソードスキルをブレイクさせて、そのノックバック効果を利用して減速しやがったのか……!?」
ジュンイチがしたことは容易に想像がつく。だがそのとんでもなさに、エギルはもう呆れるしかなかった。
しかし――同時に感心もしていた。なぜなら、
(だが……少しでもタイミングがずれれば成功しなかったはずだ。
そんなムチャを平気でキリトにやらせたジュンイチも、それに応えてみせたキリトも、大したもんだ。
お互いを信頼し合っていたからこそできたムチャ……この二人、本当にいいコンビじゃないか)
毎度ヒヤヒヤさせてくれるが、同時に頼もしくもある――キリトの手を取り、立ち上がらせてもらうジュンイチの姿に、内心で苦笑する。
「…………っ、く……っ!」
と、ジュンイチの足元が突然ふらつく――その姿に、キリトはジュンイチが今“どんな状態か”を思い出した。
「……っと、そうだ。
ジュンイチ、早く解毒しないと……」
言いながら、解毒ポーションを取り出してジュンイチの受けている毒を解毒。ようやくジュンイチのHPバーから毒の状態異常アイコンが消滅し、HPの減少が停止した。
ジュンイチの残りHPはちょうどレッドゾーンに入ったところだ。ギリギリと言うほどではないにしても、かなり危ないところだったと安堵しながら、キリトは続けて回復ポーションを取り出してジュンイチに飲ませる。
ポーションを飲み干し、ようやくジュンイチのHPはグリーンに復帰。全快とまではいかないが、当面はこれで十分だろう。
「サンキュー、キリト。助かった」
「いや、礼には及ばないさ」
息をつき、礼を言うジュンイチにキリトはそう答え、
「だって、さ……」
そう続けたキリトの頬に流れる汗に気づき、ジュンイチは軽く首をかしげて――
「そう……もう安心なのね……」
背後から底冷えのするような低い声がして、ジュンイチはビクリと身をすくませた。
ぎぎぎぃっ、とでも擬音がつきそうな、まるで油の切れたロボットのような動きで後ろを振り返って――
「なら、心置きなく“お話”ができそうね、ジュンイチくん?」
そう告げるアスナは満面の笑顔だ――だが、なぜだろう。その笑顔と全身からかもし出しているオーラがまったく真逆な気がするのだが。
「あ、あの……アスナさん?」
「何かしら、ジュンイチくん?」
「いったい、何をそんなに怒っていらっしゃるのでしょうか……?」
「怒ってる? 私が?
そんなワケないじゃない。ほら、こんなに笑顔なのに」
ウソだ。彼女のかもし出しているオーラは間違いなく激怒によるそれだ――思わず敬語で尋ねるジュンイチだけではない。キリトを始め周りのプレイヤー達もまたアスナの発するプレッシャーに圧されている。あまりの迫力にヒースクリフですらもドン引きだ。
「まぁ、仮に私が怒っているとしても……ジュンイチくん、本当に心当たりはないかしら?」
「え、えーっと……」
一歩踏み出したアスナを前に、思わず一歩後ずさり――もはや目も合わせられず、ジュンイチは視線をそらしたまま頬をかき、
「お、思いつかないかなー? ハハハ……
せいぜい、毒くらった状態のままボス相手に大暴れして、心配かけたことくらいしか……」
「まさにそのことで怒ってるのよ、私はぁぁぁぁぁっ!」
アスナの怒りの咆哮が響き渡った。
◇
「…………これでよし、と……」
ジュンイチに苛烈な“お説教”をしているアスナに代わり、キリトがボス部屋の奥の祭壇に《安らぎの笛》を納めた。
『納めた』と言っても、まるでパイプオルガンのようなそれの中央にあるくぼみ、《安らぎの笛》の形そのままのそれにはめ込むという、奉納とはまるでイメージの結びつかない納め方ではあったが。
ともあれ、《安らぎの笛》が戻ったことで、祭壇は再び本来の機能を取り戻したようだ。アスナが先ほど奏でたのと同じ音色が、祭壇のパイプのような部品によって増幅され、より大きな音量で響き始める。
同時、キリトやジュンイチ、アスナの眼前にメッセージが表示される――クエストクリアの祝辞と、獲得報酬の通知だ。
獲得アイテムはひとつ。《コート・オブ・デイライト》――キリトが前に手に入れた《コート・オブ・ミッドナイト》と同じ外套系の装備アイテムのようだ。
というか――
(……“夜明け”か……)
「……アスナー」
「ん? 何?」
何かを思いついたキリトに名を呼ばれ、アスナが説教を止めてやってくる――そんな彼女との共通アイテムストレージに、キリトは手に入れたコートを放り込んだ。
「え? 何コレ、コート……?」
いきなりストレージ越しに渡されたそれに、アスナは思わず眉をひそめた。
装備をいきなり自分のストレージに放り込まれたのだ。『着けてみろ』という意味なのは容易に想像がつくが――コート系の装備、すなわち今の服装の上から羽織るだけなのを幸いとして、試しに装備してみる。
光が放たれ、物質化。アスナの身体に新たにコートがまとわれて――
「……おやおや」
「こいつぁ……」
その姿に、エギルが、そしてアスナの説教から解放され、合流してきたジュンイチが眉をひそめた。
原因は言うまでもなく、今まとったばかりの《コート・オブ・デイライト》――装備して初めて明らかになったそのデザインは白のロングコート。
それはまるで、キリトの身にまとう《コート・オブ・ミッドナイト》と対になっているかのようで、実際に二人並び立たれるとその対比がよくわかる。
同時、キリトがアスナにこのコートを渡した意味も理解した。『デイライト』という名前から明るい色合いであることを予見したキリトは、黒ずくめの自分達よりも白系の装備を好むアスナに着せた方がいいと判断したのだろう。そう納得しながら、ジュンイチはうんうんとうなずき、アスナに告げる。
「……うん、よく似合ってるぞ、アスナ」
「そ、そう……?」
「あぁ、似合ってる。
本当によく似合ってるぞ、うん」
聞き返してくるアスナに、ジュンイチは繰り返しそう答える――しきりにキリトと交互に見比べながらのセリフである辺り、単に“アスナと《コート・オブ・デイライト》の組み合わせ”だけでない別の意味も込められていそうな気がするが。
「まぁ……似合ってるなら、いいかな?
パラメータ的にもそんなに悪くないみたいだし」
だが、そんなジュンイチの込めた“言外の意味”に気づくことなく、アスナは素直に納得するが、
「……あ、でも……すんなり渡されたからすんなり着てみたけど、私がもらっていいの?
私個人じゃなくて、私達三人のパーティーのクエスト報酬なんだから、キリトくんとかが着ても……」
「……オレ達に白系のカラーリングの装備が似合うと思うか?」
「フフッ、案外似合うかもよ? イメチェンと思ってさ」
「勘弁してくれ……」
明らかに面白がっているアスナの言葉に、少しばかりゲンナリしながらキリトはジュンイチへと視線を向け――
「高機動戦闘中心のオレにそんな裾の長いモノ着ろってか。某ウィザードなライダーさんと一緒にすな」
こちらも速攻拒否。言葉の《バーチカル・ディバイド》とばかりに一刀両断してくれた。
と――
「……戦利品の確認は、もうそのくらいでいいかな?」
声をかけてきたのはヒースクリフだった。どうしたかと注目するジュンイチ達に対し、次のフロアへの扉を視線で示す。
「…………オレ達に開けろって?」
「最初に扉を開ける権利はボスを倒したキミ達にある。
まぁ、ゆっくり休みたいと言うなら代わりにやるが……」
「いや……行くよ。
ちょっと気になることもあるしな」
ヒースクリフに答えて、ジュンイチは彼らの先頭に立って扉に向かう。
「気になること……って、やっぱり、次のエリアの特性、か?」
「あぁ……
第一エリアがアレだったからな。パッと見でわかるものとも思えないけど……まぁ、そこは実際に行ってみてから判断するさ」
キリトに答えて、ジュンイチは次のフロアへと続く扉の前に立った。手を触れるとプレイヤーによる解放行動を読み取ったシステムが自動的に扉を開いていく。
「……行くぞ」
その向こうに続く通路を抜ければ次の階層だ。そこまでは安全だとはいえ、出口付近のモンスターの動きによっては抜けたとたんに即エンカウント、即戦闘ということにもなりかねない。少しばかり緊張感を取り戻し、ジュンイチが先頭に立って歩き出す。
「でも……これで、今までのフロアは少しは安全になるのよね……?」
「クエスト受注の時に受けた説明の通りなら……な。
あの《安らぎの笛》の効果で、15層までのモンスターの攻撃性が弱まるそうだから……」
「今までは、フィールド上にいる限り一瞬も油断できなかったものね。
まぁ、ずっと最前線に立つ私達はこれからもそういう状況が続くんだろうけど……」
その後ろで、キリトとアスナが話していて――その話を聞いて、ふとジュンイチの脳裏にある可能性がよぎった。
「……そうか。
“だからこそ”の、あのエンカウント率の高さだったのか」
「ジュンイチ……?」
「そこにちゃんとした意味があったからこそ、第一エリアには“エンカウント率の高さ”なんていう特性が与えられていたんだ……そういう話さ」
すぐそばを歩いていたためにそのつぶやきを拾ったエギルにそう答える。
「このデスゲームに取り込まれた連中は、ほとんどがそれなりのゲーマーだったろうけど、同時にガチの戦闘については素人ばかりだったはずだ。
戦いの場では一瞬の油断が生死を分ける……そんな基本すらゲーム感覚で受け止めている輩があまりにも多すぎた。そういう“甘え”を矯正するために、ちょっとでも油断したら即襲われるような危険極まりない環境が用意されたんじゃないかな?」
「なるほどな……」
「ま、実際のところは茅場晶彦くらいしか正解を知る者はいないんだろうけどな」
そうエギルと話すジュンイチの背中を、アスナとの会話が途切れたキリトがじっと見つめていた。
ふと、先ほどの戦いを思い出して気になったことがあったからだ。
(あの時……何人ものプレイヤーがボスの攻撃で毒を受けた……
けど、ジュンイチだけは毒に加えて麻痺まで受けた……)
ただひとりだけさらなるステータス異常を受けていた。そのことがどうにも引っかかる。
(麻痺についてはランダム発動で、ジュンイチだけが運悪くその被害にあった……とも考えられるけど、それにしては周りの“ハズレ”が多すぎる。
他に何か条件があった、か……?)
そう考え、とりあえずその“条件”になりそうな要素を考えてみる。
(《安らぎの笛》を持っていたから……か? あのボスモンスターがクエストボスも兼ねていたとするなら、クエスト達成を阻むためにキーアイテムを持ってるジュンイチにより苛烈な効果攻撃をした……
あと考えられるのは……)
他の可能性を模索して――瞬間、キリトの中を衝撃が走った。
(ジュンイチが……“茅場晶彦を探しているから”……!?)
思い出したのは、第2層に入ってすぐの出来事。
あの時ジュンイチは茅場晶彦がこのアインクラッドにいる可能性を示唆し、茅場晶彦に対し宣戦布告した。
当然、その宣言はGMである茅場晶彦自身にも届いているはず。そして、実際にジュンイチは攻略の合間、レベル上げの合間をぬって茅場晶彦につながる情報を探し回っている。
もし、そのことで茅場晶彦がジュンイチを危険視しているとしたら。
もし、ゲームのクリア条件を満たさない方法――すなわち自分を捕まえ、攻略途中だろうがおかまいなしにその場でみんなを解放させようとしているジュンイチを“ルール違反者”として排除しようと考えているとしたら……
(アレは茅場晶彦がボスモンスターに設定した、“対ジュンイチ用の攻撃”……!?)
だとしたら、これから先の攻略で、ジュンイチはボスモンスター相手に自分達よりもシビアな条件での戦いを強いられることになる。
今でこそ、圧倒的とも言える力でボスをねじ伏せている……今回の戦いでのピンチも半ば事故のようなもので、アレさえなければいつも通りの圧勝であったはずのジュンイチだが、攻略が進み、モンスター側の戦力が底上げれてきたらそうも言っていられなくなるだろう。
いずれ、ジュンイチの手にも余るモンスターが現れることは想像に難くない。そうなった時、より過酷な条件で戦うことになるジュンイチは……
「……あ、出口が見えてきたよ」
ふと、不吉な方向に思考が向きかけていたキリトにアスナが声をかけてきて……深刻な顔をしているキリトの様子に気づいた。
「……キリトくん?」
「あぁ、いや、何でもないよ、何でも……」
自分の懸念はまだ“可能性のひとつ”でしかない。ここで話してアスナを不安がらせることもない――そう判断して、キリトは推理を止めにした。顔を上げ、アスナと共に先を歩くジュンイチに続く。
やがて視界が開け、彼らは第16層に足を踏み入れて――
――ゴゥン、ゴゥン……
聞こえてきたのは、そんな……まるで何か大型の機械のようなものが稼動する音だった。
と言っても、その音の出所にはすぐに察しがついた。
何しろ、その音の発生源と思われるものはすぐ目の前にあったのだから。
数メートル先で道が途切れ、バックリと口を開けたクレバスの如き深い谷。
その谷の間に設置された、いくつものゴンドラ式の回転足場。
どう見ても、『足場を次々に跳び渡って進んでいけ』と言わんばかりのシチュエーションは――
「…………何、このスーパーマリオ」
「まさか、この先15層ずっとこんなじゃないよな……?」
先ほどの不安など、この光景のインパクトの前にきれいサッパリ吹っ飛んだ――率直な感想をもらしたジュンイチの言葉に、キリトは思わずその場に崩れ落ちたのだった。
NEXT QUEST......
《アインクラッド解放軍》。それは、かつてこのデスゲームが開始された時、第1層の《はじまりの街》を拠点に発足した、プレイヤー達による自警集団が攻略ギルドに姿を変えた組織。
独自にアインクラッドを攻略しようとする彼らの台頭は、オレ達攻略組との間に激しい摩擦を引き起こしていた。
だが、オレ達はまだ知らなかった。
これからそれぞれが挑む第25層。その攻略が持つ意味を……
次回、ソードアート・ブレイカー、
「クォーターポイント」
(初版:2012/12/21)