SAO、すなわちこのデスゲームが始まってから5ヶ月が過ぎた。
当初は一層抜けるだけでも一苦労であったアインクラッド攻略も、次第にそのノウハウが確立されるにつれて徐々にペースを上げていき、現在攻略の手は第31層に及んでいた。
第25層のクォーターボス戦で大きな損害を出した《ALF》はギルドの再編とイメージダウンに伴う治安の悪化への対処に忙殺され攻略の最前線から脱落。現在はヒースクリフを中心として立ち上がったギルド《血盟騎士団》を始めとした攻略組がアインクラッド攻略の最先鋒となっていた。
だが、プレイヤーは彼ら攻略組だけではない。
職人、商人としてのスキルを磨き、前線のプレイヤーを支える道を選んだバックヤードプレイヤーもいれば、未だ攻略組に加わるには実力が足りず、しかしそれでも攻略組に加わることを夢見て日々腕を磨く戦闘職プレイヤーもいる。
そんな、最前線に立つことのない、良く言えば縁の下の力持ち、悪く言えば日陰者のプレイヤー達は、たいてい最前線から見てかなり下のフロアで活動することが多い。
そして、そうなってくると最前線で派手に暴れている攻略組との接点があるのはバックヤードプレイヤーくらいに限られてくる。二軍クラスの中堅戦闘職プレイヤーあたりになってくると攻略組との接点などあるはずがない――そう。あるはずがない、“はずだった”。
しかし、その日。
ほんの小さな偶然によって、ある中間層プレイヤーのギルドがあるトッププレイヤー達との運命の出会いを果たすこととなる――
◇
2004年4月7日 第11階層・迷宮区――
「急げ、みんな!
もうすぐ迷宮区の出口だ!」
リーダーであるケイタが声を上げ、彼の率いる五人組のパーティーは迷宮区をひた走っていた。
その後ろには、彼らをターゲッティングしたモンスターの群れ――最初は一匹だけだったのだが、その一匹が彼らの手に負える相手でなかったのが不幸の始まりだった。
倒すのをあきらめ、冷静に撤退を選んだまではよかったが、逃げる間に新たに一匹のモンスターに発見され、さらにもう一匹――あっという間に、追跡してくるモンスターの数は10を超えていた。
いつもなら安全区までのテレポート脱出を可能とするアイテム、転移結晶でさっさとトンズラするところだが、あいにく今はその転移結晶も手元にない。
予算的な都合で、今回に限って購入をあきらめていたのだが、まさかめったにないそんなタイミングでこんなことになってしまうとは――
そんな彼らにとって、逃げ延びるために頼りになるのは自分達の足のみ。しかし、その足にもそろそろ限界が来ようとしていた。
相手のモンスターの中に足が速いものがいるのがまずひとつ。そして――
「ガァァァァァッ!」
『――――――っ!?』
何より、行く手に潜んでいたモンスターにまで補足されてしまったのが致命的だった。
しかも、さらに運が悪いことにフィールドボスだ。《The Clime Sphinx》――倒されたこの階層のフロアボスに代わってこの迷宮区の頭を張る、幻獣系のフィールドボスだ。
後ろにはモンスターの群れ。前方にはフィールドボス。絶体絶命の状況に絶望する彼らに向けてフィールドボス、クライムスフィンクスが右前足を振り上げて――
そのクライムスフィンクスの顔面に、拳がめり込んでいた。
ケイタ達の中の誰のものでもない、まったくの第三者の拳だ。グシャリ、と鼻の骨が砕けるリアルな効果音と共に、急所攻撃&部位破壊ボーナスによる大ダメージを受けたクライムスフィンクスがその巨体を“一回転させて”地面に叩きつけられる。
何事かとケイタ達は目を見張り、絶句して――同時に気づく。
言葉を失った自分達だけではない。背後から迫るモンスター達の声も、いつの間にか途絶えている。
振り向いてみれば、モンスター達の姿はどこにもない――“砕け散ったポリゴンの残滓が漂っているだけだ”。
いったい自分達の目の前で何が起こっているのか――戸惑うケイタ達だったが、その答えはすぐに彼らの目の前に“現れた”。
「……我ながら運が良い……」
静かなつぶやきと共に、ケイタ達の前にひとりのプレイヤーが降り立つ。
ウェアも、プロテクターも、両手に着けたガントレットに副武装の剣までもが漆黒。そんな黒ずくめの剣闘士は、クライムスフィンクスをビシッと指さして言い放つ。
「最後の最後に、この迷宮区のフィールドボスに巡り会えるなんてな。
このチャンスを逃さず、ブッ倒させてもらうぜ――」
「経験値4200に資金9000コル! &ドロップアイテム!」
『せめて名前で呼んであげてーっ!』
ケイタ達のツッコミが唱和した。
Quest.9
月夜の黒猫団
2004年4月8日 第11階層・タフト――
「それでは、我ら《月夜の黒猫団》に、かんぱーいっ!」
『かんぱーいっ!』
結局、彼らが拠点であるタフトの街に戻ったのは日付が変わるほど夜が更けてからであった――しかし、生還を喜ぶ彼らのテンションは眠気など簡単に吹き飛ばしていた。帰り着くなり、宿屋の食堂で生還祝いのミニパーティーを開催するくらいには。
「そして、我らが命の恩人、ジュンイチさんに――」
『かんぱーいっ!』
「えっと……」
そして、そんな彼らのテンションに、この場への同席を誘われたジュンイチはちょっとついていけないでいた。
何しろ、彼にしてみれば特に特別なことをしたワケではないのだから――
いつ自分が絶体絶命の危機に陥るかわからない最前線では、“助太刀はお互い様”という暗黙の了解がある。
戦場において、同じ陣営に属する“同業者”の脱落は自分の属する勢力の戦力を削り、ひいては自分の生還率を著しく下げる――それゆえに、たとえ報酬の取り分を競い合う間柄だったとしても、同じ勢力にいる限りは相手が危なければ助け、代わりに自分が危なかったら助けてもらう。自分の稼ぎを増やすために味方を見殺しにするような欲を張ると、得てして戦場では長生きできないものだ。
現実の戦場、傭兵業界の中にも公然と通じているこのルールがSAOの中にも生まれつつあることを知った時には、ジュンイチも思わず苦笑したものだ。
現実においても実際に傭兵業に身を置いていた経歴を持つジュンイチにとっては通して当然のルール――だからこそ、逆にそのことでここまで感謝してくれる彼らの姿にちょっとした新鮮な戸惑いを覚え、半ば引きずられるままにこの場に同席するに至っていた。
「ありがとう……ホントに、ありがとう。
すごい、怖かったから……助けに来てくれた時、ホントにうれしかった。ホントにありがとう……」
だが、そんな戸惑いを覚えているのはジュンイチだけで、目の前の彼らの喜びと感謝の念は間違いなく本物だった。中でも紅一点の、黒髪の槍使いの少女、サチに至っては今でも歓喜と安堵のあまり半泣き状態だ。
「いや、まぁ……そんなお礼なんかいいよ。
オレにとっては、自分が稼ぐためにアイツらブッ倒したようなものなんだしさ……」
そんなサチの涙にどう対応していいかわからず、苦笑まじりに答える――そもそもジュンイチがキリトやアスナと離れ、最前線から10層以上も下のあの迷宮区にいたのは、まさにその“自分が稼ぐため”であった。
最前線の街のプレイヤーショップで装備品を新調しようとした際、超自分好みの外套を見つけたのがつい3日前のこと。
だが、そのマントというのがかなり有能なスキルボーナスを有しており、その分かなり高価な品であったことが問題であった。何しろその店で一番の高値で、ビーターのキリトのアドバイスのもとかなりの稼ぎを誇っていた自身の所持金でも少々届かないほどだったのだから。
キリトやアスナは自分達の所持金から融通すると言ってくれたが、そこはジュンイチが辞退した。自分の装備、しかも自分の好みというワガママで買うのだから、あくまで自分の稼ぎで買うべきだと。
そこで、最前線をキリト達に任せ、資金を稼ぐべく今まで攻略した中で一番資金稼ぎの効率が良かったあの第11層の迷宮区でのソロ狩りに勤しんでいたのだ。
しかし、いざ目標額を達成して戻ろうかという矢先にモンスターの群れとフィールドボスを発見、最後にもう一稼ぎと欲張ったのが、まさかこんな展開になろうとは――
すでに「もう帰る」とフレンドメッセージを飛ばした後だ。今頃キリトもアスナも帰りの遅さに怒ってるだろうなー、あ、キリトあたりはもう寝てそうだけど……などとジュンイチが考えていると、そんなジュンイチにケイタが声をかけてきた。
「あの……失礼ですけど、ジュンイチさんのレベルって、どのくらいなんですか……?」
「え? オレのレベル?
ちょっと待ってよ。えっと、いくつくらいだったかなぁ……」
「って、自分のレベル知らないんですか!?」
「いや、オレ、パラメータよりも自分のプレイヤースキルに全面依存なプレイスタイルだからさ……
相手との実力差の把握も、パラメータよりもやり合ってみての実感が最優先だし……そんな感じで、自分のレベルとかパラメータとか、あんまり意識してないんだよね」
必死にレベル上げに勤しんでいるプレイヤー達が聞いたら激怒しそうなセリフだが、事実なのだからなおさらタチが悪い――元々リアルで戦っていた頃から“自分よりも強い相手”との戦いばかりを強いられてきたジュンイチは、その手の相手のさばき方などいくらでも心得ている。そのため、レベル・パラメータ上でいくら相手の方が強かろうが大した問題にはなり得ないのだ。
レベルアップボーナスの振り分けも自動割り振りを設定しているから、レベルアップ時にパラメータをチェックすることもない――結果、自分のレベルを確認する機会といったら、未踏破エリアの攻略の際、キリトに安全マージンの有無を確認される時くらいのものだ。
そして、ここしばらくはそのキリトからも離れ、この中間層で狩り歩いていたのだ――結果、ジュンイチが現在のレベルを把握していないのも、ある意味では仕方のないことと言えた。
「よ、よくそんな戦い方で今まで……」
「その辺、パーティーメンバーに恵まれた、とも言えるかな。
今はちょっと別行動してるけど、アイツらにはそういう方向でけっこう助けられてる」
どうリアクションしたらいいかわからないようで、目を白黒させているケイタにそう答え、ジュンイチは軽く肩をすくめてみせる。
「あと……敬語はなしで。
こういう流れで敬語使われるのって嫌いなんだ。強さを鼻にかけてるみたいでさ」
「そ、そうでs……そうか?
でも、ジュンイチ。お前が強いのは事実だよ――少なくとも、オレ達全員を合わせたよりも、ずっと。
けど、だからこそ逆に気になるんだよ――そんなハイレベルプレイヤーのジュンイチが、どうしてこんな中間層の迷宮区に?」
「あー、ちょっとお財布的に厳しい買い物を控えてて……ね、うん」
「あぁ、資金稼ぎか……あそこ、効率がいいって評判だからな。
だからオレ達もあそこで稼いでたんだし」
本来、高レベルプレイヤーが低層ダンジョンに長時間こもるのは、中間層のプレイヤー達の成長の糧を奪い取ることから、あまりほめられた行為ではない――さすがに言葉を濁すジュンイチだったが、ケイタは特に気にすることもなく納得する。
「じゃあ……まだしばらく、あそこにもぐるつもりなのか?」
「あ、いや……目標額は達成したから、もう引き上げるつもりだけど……」
「そ、そうか……」
ジュンイチの答えに、ケイタの表情が曇る――なんとなく察して、ジュンイチは釘を刺した。
「仮に残ったところで、守ってやるつもりはないぞ。
さっきも言ったけど、みんなを助けることになったのは本当に偶然なんだ――偶然お前らを襲っていたモンスターを獲物と見定めただけで、改めてみんなを守るために行動を共にする理由はない」
「そ、それはそうなんだけど……
なんていうか、その……目標、って言えばいいのかな?」
「目標……?」
「あぁ。
オレ達、今はこんなだけど、これでも攻略組への合流を目指してるんだ。
だから、ジュンイチの戦いぶりをもっと見てみたかった……ハイレベルプレイヤーってことは、攻略組なんだろ? その戦いぶりを見たら、オレ達が目指すレベルっていうものがハッキリ見えると思うんだ」
「うーん……」
ケイタの言葉に、ジュンイチは思わず考え込んだ。
ケイタの意気込みは買う。買うが――正直、「顔を洗って出直してこい」としか言いようがなかった。
レベルが違いすぎる。それもパラメータ的な意味のレベルだけではない。戦い方、モチベーション――様々な面で、彼らは攻略組には遠く及ばない。たとえ身の程知らずだろうが実際に前線に出てくる行動力があった分、《ALF》の攻略部隊の方がまだマシだったとすら言える。
ハッキリ言えば、パラメータ上のレベルが追いついたところで今の彼らでは足手まといにしかならない。そのくらい、彼らには足りないものが多すぎた。
そんな彼らが自分達の全開戦闘を見れば、目指すレベルを見定めるどころか、逆に彼らの自信を木っ端微塵に打ち砕いてしまうことにもなりかねない。
だが――
「……ちょっと待ってろ。
パーティーメンバーと相談したい」
ため息をつき、ジュンイチはフレンドメッセージの送信ウィンドウを立ち上げた。
「今の時間帯なら街に戻ってるはずだ。転移門ですぐ来れるだろ」
「って、来てもらうつもりか?
別にそこまでしてくれなくても……」
「前線を離れることになるかならないか、なんだ。
パーティー全体の行動指針に関わる話だ。フレンドメッセージ越しじゃなくて、直に話したい。
それに……」
「……それに?」
「お前らだって、直接頼む方が頼みやすいだろ?」
サラッとケイタに答えて、ジュンイチはメッセージを作成、送信する。
曰く――
【帰りが遅くなってすまん。
遅くなりついでに、ちょっと第11層のタフトの宿屋まで来てくれ。話がある】
すぐに返信が来た――アスナからだ。
【こんな夜更けにいきなり何なの?
話があるなら、こっちに戻ってくればいいじゃない】
【オレひとりが絡んだ話じゃないんだ。
こっちは六人。そっちは二人――少数派が来るべきだろ。それが民主主義ってヤツだ】
【何が民主主義よ。
とにかく、もう遅いんだし、明日でもいいでしょ?】
【ところで今日の狩りで《ドドリアンワームの卵巣》をドロップしたんだが、共通ストレージに放り込んでいいか?】
【今すぐ行くから着くまでに売り払いなさいっ!】
とある素材アイテムの名前を出したとたんに態度が180度変わった――だが、それもムリはない。
何しろ、問題の《ドドリアンワームの卵巣》というのは、虫系モンスターに対する強力な虫除け剤に使われるだけあって、とてつもない悪臭を放つ素材だからだ。
さらに、アスナには特にこれを苦手とする理由がある――やはり前にドロップさせた際、実体化状態で顔面パスしたのはさすがにマズかったかと内心ちょっとだけ反省する。ちょっとだけだが。
「今すぐ来てくれるそうだ」
「それはいいけど……今、何か脅迫めいたやり取りがなかったか……?」
アスナの約束を取りつけ、告げるジュンイチに対し、ケイタが冷や汗まじりにツッコミを入れる。
「ドドリアンワームがどうとか……」
「ん。そのドドリアンワームからのドロップアイテムだよ。
見たことない? こういうのなんだけど……」
首をかしげるメイス使いのテツオに答えると、ジュンイチはウィンドウを操作、件のアイテムを選択すると“鼻をつまみながら”実体化させて――
◇
「来たわよ、ジュンイチくん!」
アスナが現れたのは、それから10分ほど経った後のことだった。
寝ぼけまなこをこするキリトを引きずって、勇ましく宿屋へと踏み込んできて――
「…………って、何?」
「かつてのお前と同じ悲劇を味わったんだよ」
窓を全開にして換気完了。しかし未だ超グロッキー状態の《月夜の黒猫団》の面々を見て尋ねるアスナに、ジュンイチはサラリとそう答えた。
ちなみに、問題の《ドドリアンワームの卵巣》はこの10分の間にオンライントレードで知り合いの某雑貨屋に売却済みだ。
きっと、今頃向こうでもここと同じような状態になってるんだろうな。『見たことない』って言ってたし、怖いもの見たさで実体化させたが最後、というヤツだ――そんなことをジュンイチが考えていると、
「じ、ジュンイチ……その人達が……?」
「あぁ、そうだ。
アスナ、キリト――こいつら、ギルド《月夜の黒猫団》のみなさんだ」
ケイタがなんとか復活した。彼の問いに答え、ジュンイチがキリト達に黒猫団を紹介する。
そして、ケイタ達にもキリトとアスナを紹介、加えて現在の状況を説明する。
「つまり……当分、彼らと一緒に動こう、って?」
「まぁ、そういうこと。
オレ達のレベル上げの足しにもなるように、とか考えるともうちっと上の階層での活動になるけど……まぁ、こいつらのレベルなら、オレ達と一緒にいれば身の安全くらいは保証できるさ」
一連の事情を把握し、問い返してくるキリトにジュンイチが答えるが、
「私は反対よ」
キッパリと答えたのは――アスナだった。
「自分が何を言ってるのかわかってる?
この人達に合わせて動くっていうことは、その分攻略から離れるっていうことなのよ?」
「別にオレ達がいなくたって攻略は進むさ。
オレ達がいなきゃ攻略組が成り立たないってワケじゃないんだからさ」
「そういう問題じゃないわ」
答えるジュンイチだったが、それでもアスナの表情は険しいままだ。
「私達は何のために戦ってるの? 一日でも早く、現実の世界に戻るためでしょう?
だったら、私達がするべきことは他のギルドの手助けよりも、むしろひとつでも多くの層を突破することなんじゃないの?」
そんな、どこか必死さすら垣間見えるアスナの態度に、ジュンイチとキリトは顔を見合わせた。
最近、アスナはこういった姿を見せることが多くなった。どこか余裕に欠け、まるで何かに急き立てられるかのように攻略に没頭。何をするにもそれが攻略にどう影響するかと攻略第一に考える始末だ。
たとえば、今回の事態の発端となったジュンイチのマント新調の件もそうだ。キリトが純粋に善意から購入資金を融通しようとしてくれたのに対し、アスナはマントの付加効果に目をつけ、ジュンイチの戦力向上という観点から購入に賛成していた。
「落ち着けよ、アスナ。
『ひとつでも多く』って言うけど、フロア攻略はオレ達だけじゃ厳しすぎるだろ――他の攻略組とも連携しなきゃいけない以上、急いだってどうなるものでもないだろ」
「『落ち着け』? 私は十分落ち着いてるわよ。
ただ、自分のやるべきことも同時にわきまえてるだけよ――あなた達みたいに、落ち着きすぎてどうでもいい他事に首を突っ込もうとしてる人達と違ってね」
なだめようとするキリトだったが、アスナは売り言葉に買い言葉とばかりに返してくる。さすがにこれにはムッとするキリトだったが、
「…………怖いのか?」
唐突に、そんな問いが投げかけられた。それを耳にしたアスナの動きがピタリと止まり、ゆっくりと問いかけの主へと視線を向ける。
「どういう意味かしら――ジュンイチくん?」
「いや、こいつらの面倒を見るとか言って、こいつらの前で無様をさらすのが怖いのかなー、と」
だが、にらみつけてくるアスナの視線もどこ吹く風。ジュンイチは平然とそんなことを言ってのける。
「もっとも、気持ちもわからないでもないけどねー。
ぶっちゃけた話、オレ達の間での模擬戦の成績、最下位だもんなー。オレやキリトに比べたら、お前はどうしても見劣りするワケで」
「言ってくれるじゃない。
要するにこう言いたいのよね? 『私には彼らの面倒は見切れない』って」
「そこまでは言ってないさ――うん、言わない」
「もうその言葉遊びにはだまされないわよ。
そうやって『言わない』って強調してるのは、『言わないだけで思ってはいる』ってことの裏返し。違う?」
「さて、どうだか」
ジュンイチの態度はあくまで余裕だ――そしてそうなると、ますますムキになる負けず嫌いがアスナの悪いクセなワケで――
「わかったわ。証明してあげようじゃない。
私にだって、彼らの面倒くらいしっかり見れるってことをね!」
「喜べお前ら。
アスナがお前らの面倒きっちり見てくれるってさー」
「って、あぁぁぁぁぁっ!?」
すぐさま態度を180度切り替えたジュンイチの言葉に、自らの失言を悟るがもう遅い。
「……ジュンイチの“誘導”に引っかかったの、これで何度目だっけ……?」
「…………その質問に対して何も言い返せないくらい」
さすがに呆れ、ため息をつくキリトの問いにそう答えるしかなくて、アスナはその場に崩れ落ちて――
「……え、えっと……」
そんなアスナに、恐る恐る声をかけてくる者がいた。
「ごめんなさい……
迷惑……でしたよね?」
黒猫団の紅一点、サチである。しゃがみ込み、アスナと目線を合わせて本当に申し訳なさそうな顔で尋ねる。
「……別に、迷惑だなんて思ってないわよ。
そう思うとしたら、あなた達よりもむしろジュンイチくんに、でしょ」
だが、こちらの怒りを恐れているのか、どこか怯えの入り混じったサチの姿は、かえってアスナの感情を落ち着かせていた。ため息をつき、その場に立ち上がると、サチの手を取り、立ち上がらせる。
そう。こうなった以上自分がやるべきことは自分の失言に対して恨み言を垂れ流すことではない。
「たとえノせられた結果であっても、自分の言ったことに対する責任は持つわよ。
攻略組である以上、フロア攻略が本格化してきたら一緒には動けないけれど……それ以外の時については、しばらく面倒見てあげる」
結局、こうなることもジュンイチくんの読み通りなんだろうけどねー、などと自分の義理堅さを軽く恨みつつ――それでも悪い気がしない自分自身に、アスナはどこか気に入らないものを感じていた。
◇
こうして、ジュンイチ達は《月夜の黒猫団》と行動を共にすることになった。
と言っても、別に彼らを鍛えてやっているワケではない――彼らが今までメインの狩場にしていた階層よりも二、三層上の階層で共に狩りをして、自分達の戦いぶりを見せる。後は彼らが危なくなったら手助けする。それだけだ。
元々が「ハイレベルプレイヤーの戦いぶりを見せてほしい」という話だったのがその主な理由だ――当初は「上の階層に行くならある程度は鍛えてやってからの方がいいのでは」という話も(主にキリトから)出たのだが、「そこまで世話になるワケにはいかない」というケイタの意向を汲む形で、「強くなりたいなら自分達の戦いぶりから盗めるものを盗んでいけ」というスタイルを通すことで話がまとまっていた。
とはいえ――正直なところ、彼らの実になるような戦いぶりができているかは甚だ疑問ではあったが。
何しろ、ジュンイチが出会った黒猫団のメイン狩場が第11層。そこから二、三層上がったところで13ないし14層。すでに攻略が30層を超えている現状を考えると、最前線でも十分に大暴れできるレベルにいるジュンイチ達にとっては物足りないことこの上ない。
当然、戦いなど見た目は激しくても手抜きもいいところだ。本気で戦うことなど皆無の日々が続き――早一月が経とうとしていた。
2004年5月9日 第11階層・タフト――
「聞いたよ、キリト。
38層、突破したんだって――って……」
好きで攻略組と呼ばれているワケではないが、そう呼ばれているからには最前線のフロア攻略には加わらなければ――そう頑なに主張するアスナによって、一度黒猫団と別れてフロア攻略に赴いたのが3日前。
無事フロア攻略を達成して、再び合流となったジュンイチ達を出迎え――キリトに声をかけたケイタは“それ”を前に動きを止めた。
見るからに訝しげな顔で、キリトに耳打ちする。
「な、なぁ……キリト。
アスナ……どうしたんだ? なんだか見たこともないような“イイ笑顔”なんだが」
「あー……ここしばらく攻略に参加できなくてフラストレーションたまりまくってたからなぁ……
それが今回のフロア攻略で、その……“爆発”したワケだ」
「………………」
とりあえず、うかつなコメントは危険だと判断したらしい。沈黙するケイタに内心で同意しつつ、キリトはアスナに視線を向けた。
……溜まっていたものを全部吐き出してスッキリしたのはわかる。うん、喜ばしいことだ。
だけど、帰ってくるなりアブナイ笑みで愛用のレイピアを磨かないでほしい。黒猫団のみんなはドン引きだし、もう半年近い付き合いになる自分もちょっと引く。
「と、とにかく……まぁ、三人とも無事で何よりだよ。
さすが、今まで何層もフロア攻略をこなしてきた攻略組は違うね」
「経験に助けられてる部分も大きいけどな……最初の頃は、オレ達だってどうしたものかわからずにおっかなびっくりだったんだ」
「第一階層突破の際に戦死したディアベルを始め、大勢死んでる……助けられなかった。
特に二十五層の攻略なんて、《ALF》が最前線からドロップアウトするほどの被害が出たしな……そのせいで最近、攻略に及び腰になってきたギルドが続出して、攻略組も慢性的な人材不足。ますます死ととなり合わせの空気が強くなってきてる」
これ以上アスナのことについて触れるのは危険だという懸命な判断の元、話題転換を試みるケイタ――彼に答えるキリトのとなりで、ジュンイチが続ける。
「けど、アイツらが命をかけてノウハウを残してくれたおかげで、オレ達は今、戦えてる……」
現実の世界であったなら鬱血しているであろうほど強く、強く拳を握りしめながら――その姿に、キリトは今度はこっちかと軽くため息をついた。
だがキリトにもこの手の話題を楽観視できない事情があった。その脳裏に思い出されるのは、かつてこのデスゲームが始まったばかりの頃の出来事――
SAOサービス初日。まだ茅場によるデスゲーム宣言がされる前のこと。
キリトは、あるビギナープレイヤーに声をかけられ、戦闘のコツを教えてやったことがある。
かつてジュンイチも教わった、あのソードスキルの練習である。
その後も、軽く雑談などしてすごし、今日はこのくらいで、という段階になった、その時――茅場によってこのSAOがデスゲームと化したことを告げられた。
生き残るためにはどうしたらいいか。選択を迫られ、キリトは――そのプレイヤーを見捨てた。
彼ひとりだけであれば、守りながらのスタートダッシュもできただろう。だが、彼には他にゲーマー仲間がいて、仲間を見捨ててはいけないと言われた。
だから……彼を残し、キリトはこのデスゲームに独り身を投じた。
彼は「これ以上お前に甘えるワケにはいかない」と言ってくれた。言ってくれたが――キリトはその言葉を言い訳にして、彼らを見捨てた。
事情を聞けば誰もが「キリトは悪くない」と言うだろう。だが――少なくともキリト自身はそう思っている。「彼を見捨てた」と。
だから、だろうか。
このデスゲームに生き残り、ギルドの仲間達と共に攻略組に名を連ねるまでになり、フロア攻略の度に顔を合わせるようになった彼の姿が、そして今こうして、守れなかったプレイヤー達の死を悔やみ、自分の力不足を嘆くジュンイチの姿が、時折まぶしく見えることがある。
他のプレイヤー達の命、ギルドの名――あの日、自分が背負うことを恐れ、手放したものを、彼らはずっと背負い続けている。
「だとしても、今の三人がすごいのは変わらないよ。
みんなの遺してくれたものを、ちゃんとムダにせずにいられてる」
そんなキリトの苦悩をよそに、ケイタは自分を責め、暗くなりかけたジュンイチをそうフォローする。
「前にも話したけど、オレ達だっていつかは攻略組に――って思ってる。
けど、みんなのそういう姿を見せられると、まだまだ道は遠いなって、思い知らされるよ。
……ねぇ、二人とも。今の僕らが攻略組に名を連ねる上で、いったい何が足りないのかな? 単純なレベルの問題じゃないような気がするんだ」
「逆に聞くけど……ケイタはどう思ってるんだ?」
「そうだな……オレは、意志力だと思う」
聞き返すキリトに対し、ケイタはそう答えた。
「仲間を、そして全プレイヤーを守ろう、っていう意志の強さかな。
オレ達は今はまだ守ってもらう立場だけど、そういう気持ちじゃ負けたくないって思ってる」
「ん。そっか」
ケイタの言葉にうなずき、ジュンイチは軽く息をつき、
「じゃ、今度はオレの番か。
オレが思う、攻略組の一番の強みは……やっぱりモチベーションかな?」
「モチベーション……やっぱり、意志力ってことか?」
「言葉としては、な。
けど、お前が主張してるような“キレイ”な意志ってワケじゃない」
ケイタに答えて、ジュンイチは苦笑まじりに肩をすくめてみせる。
「攻略の場に居合わせたことのないお前らには実感わかないだろうけど、攻略組のみんなって、基本的に負けん気が強いヤツらが多いんだよ。
モンスターに負けたくない。このデスゲームに負けたくない。そして――他の攻略組プレイヤーにも負けたくない。
攻略組全員で力を合わせてボスを撃破する――その一方で、オレ達の間では常にある種の競争意識が働いてる。
ソードアート・オンラインをクリアするために、それぞれが自分の役割に全力を尽くす――そうした“ルール”の中で、攻略組のメンバーは己を高め、他者より上に抜きん出ようとする。
共通の目的があるから、なんとか団結していられる――お前らが思ってるほど、まとまってるワケじゃないんだよ、攻略組だってな。
実際問題、フロア攻略以外の場では、やってることは非攻略組と同じ、他のプレイヤーとのリソースやレアアイテムの奪い合いだよ」
「そう、なんだ……」
ジュンイチの言葉はケイタの考えの、ある意味真逆をいくものだった――彼の表情にいくらかの落胆の色がよぎる。
「やっぱり、オレ達の考えって甘いのかな……?
“勝ちたい”じゃなくて“守りたい”なんて受け身なことを言ってるようじゃ……」
「そんなことは……」
「んー、まぁ、確かに甘いな」
「って、ジュンイチ……」
落ち込むケイタを励まそうとするキリトだったが、対するジュンイチは一刀両断。非難の視線を向けるキリトにかまわず息をつき、
「だってそうだろう?
“守りたい”という想いからだって“勝ちたい”って想いにつないでいける――なのにそれをしないで、“守りたい”だけで終わってるんだから」
「え…………?」
その言葉に、ケイタが思わず顔を上げる――そんな彼に、ジュンイチは右の人さし指をピッと立て、笑顔で告げた。
「“守る”ために“勝て”ばいい。
みんなを守る、そのためにモンスターに勝つ。このデスゲームに勝つ。他のプレイヤーにだって勝つ……
少なくとも、オレはそういう心がまえで攻略組に名を連ねているつもりなんだけどな――みんなを、全プレイヤーを守りたいって思ってるのは、お前だけじゃないんだぜ、ケイタ」
「ジュンイチ……」
「お前がみんなを守りたいって心から思うなら、その心を決して捨てるな。
自分の決めた道を、決して曲げない――それが、お前の言う“意志力”の、本来あるべき形なんじゃないか?」
「あぁ……そうだな」
元気を取り戻し、笑みを浮かべるケイタに対し、ジュンイチもフッと笑みを浮かべ、
「だから、さ……オレとしては、お前らに早く上がってきてくれると非常に助かる。
オレ達みたいな考え方って少数派でさ、けっこう肩身が狭いんだよ。一日でも早く多数派になれるように協力してくれや」
「あはは、わかったよ。
すぐ追いついてやるから待ってろよ、ジュンイチ」
ジュンイチの言葉に、ケイタの表情が明るくなる――拳をぶつけ合う二人を微笑ましく見つめるキリトだったが、彼らは気づいていなかった。
アスナが、そんな彼らを憮然とした様子で見つめていたこと。そして――
そのアスナのさらに後ろで、サチが浮かべていた不安げな表情に……
◇
さらに数日が過ぎて――その日、アスナが夜の街に繰り出したのは本当に偶然だった。
昼間、テツオをかばって被弾したキリトの手当てに使ったポーションを補充し忘れていたことに気づいたのがつい一時間ほど前のこと。
別にそれで困るほどポーションの手持ちが乏しいワケではなかったが、そこは根が几帳面というかしっかり者のアスナのこと。ちゃんと補充しておかないと落ち着かないということで、まだこの時間でもやっているNPCショップに買いに出かけたのだ。
その目的も果たし、さぁ、帰ろう――という、そんなタイミングだった。彼女のもとに、そのフレンドメッセージが届いたのは。
メッセージの発信者はキリトだ。内容は――
《サチが宿屋からいなくなった。
ギルドメンバーリストからも居場所が特定できない。だからケイタ達は迷宮区にいるんじゃないかって、探しに出るつもりでいる。
ただ、オレもジュンイチも、そんな単純な話じゃない気がする。何かしらの方法で街のどこかに隠れてるんじゃないか、って。
とりあえずオレとジュンイチはケイタ達の護衛として迷宮区に同行するから、アスナは街の中を頼む》
「……私ひとりに、この街全部を探せって言うの……?」
思わず愚痴がこぼれるが――すぐに気を取り直す。
「仕方ないか。
数少ない、女の子の知り合いだものね……」
特に親しく話した覚えはない――が、SAO内でも希少な女性プレイヤー同士ということで、ある種の親近感を覚えているのも事実だ。少なくとも、彼女を探すことに異論の余地はない、くらいには。
とはいえ、問題は“どうやって探すか”だ。探索系のスキルはキリトやジュンイチに頼りきりであまり上げていない。さてどうやって探したものかとちょっとだけ考えて――
「……そもそも、隠れられたんじゃね……
現実ならともかく、このSAOじゃ《隠蔽》なんてスキルもあるんだし………………あ」
心当たりに、思い当たった。
「…………見つけた」
「え…………?」
まさか見つかるとは思っていなかったのだろう。アスナに声をかけられ、サチは心底意外という風に目を丸くした。
主街区の外れの水路、下水道に続く入り口の一角――そこに、サチはマントを羽織ってうずくまっていた。
「アスナ……さん……?
どうして、ここが……?」
「それよ、それ」
サチに答えて、アスナは彼女の羽織っているマントを指さした。
つい最近、黒猫団の狩りの過程で手に入れたモンスタードロップ品で、高い隠蔽ボーナスがかかっている。
「そのマントのことを思い出してね――リストで追えないのはそのせいなんじゃないか、って思ったの。
でも、そのマントで消せるのはギルドやフレンドのマーカーと気配値だけであって、見た目の姿まで消せるワケじゃない。となると、隠れる上で“人の目に触れない場所”ってところを最重要視するんじゃないか、って……あとはしらみつぶしよ」
「…………そう……」
アスナの言葉にかすかに笑い、サチは再び抱えた両ヒザに顔をうずめた。
「みんな心配して、迷宮区まで探しに行っちゃったわよ。
ほら、早く帰ろう?」
言いながら、彼女に向けて一歩を踏み出すが、サチからの答えはない。
もう一度、促そうとアスナが口を開――きかけたその時、唐突にサチが告げた。
「……逃げ出したの」
「え…………?」
「怖くて……私、みんなの前から逃げ出した」
もう一度、サチは今にも消え入りそうな声でアスナに告げた。
「私、死ぬのが怖い……怖くて、この頃あんまり眠れないの」
「…………そう……なんだ……」
「こんなこと言われても……困るよね。
アスナさん……強いもん。この世界のモンスターに負けないくらい、強いアスナさんは、怖いとか言われてもピンとこないよね」
言って、サチはギュッと自らのヒザを抱える手に力を込めて――
「……強いことと、怖くないことは、イコールじゃないわよ」
そう答えると、アスナはサチのとなりに腰を下ろした。
「……アスナさんも、怖いの……?」
「うん」
静かに、だがハッキリとそう答えた。
「まぁ、サチが言ってる通りの部分もあるよ。モンスター相手に怖いとか、そういう『怖い』は、確かに感じない。
私が感じてるのは……もっと別の恐怖」
言って、アスナは先ほどのサチのように両ヒザを抱え込んだ。
「ゲーム中でリアルの話をするのはマナー違反……なのよね?
それに、自分の家の自慢をするようでイヤだから、キリトくんやジュンイチくんにも話してないんだけど……私の家って、けっこう“いいとこ”なのよね」
「そうなの……?」
「うん……
“いいとこ”の家だから……当然のように、私達にはエリートコースを生きることが求められていた。
もう、必死で勉強してたわよ……おかげでこの世界に囚われるまでは成績は学年トップグループの常連だった」
サチは、いつしか無言でアスナの独白を聞いていた――息をつき、アスナは続ける。
「けど……私はこの世界に囚われた。
本当は、ナーヴギアもSAOのゲームソフトも、私のものじゃなかったの……兄さんが手に入れてきて、私はそれを貸してもらっていただけ。
たった一回、勉強の息抜きにって、お試し感覚でプレイしてみた……そのたった一回で、このデスゲームに参加することになっちゃった。
エリートコースを生きることを義務づけられていたのに、こんな世界に囚われて……最初の頃は、パニックで何も手につかなくて宿屋に引きこもっていたわ。
このまま現実に戻れなかったら、私が今まで築いてきたエリートとしての道は断たれてしまう。そうなったら、私にエリートでいることを求めていた家族は……って、そう考えるとものすごく怖かった。
最初のフロア攻略でキリトくん達に出会えなければ……きっと私は、今でも半狂乱になってクリアのためにムチャしてたと思う。
レベルは高くても……戦う力は強くても、キリトくん達がいなきゃ心の平静も保てない。私の心は、こんなにも弱いの……」
「アスナさん……」
「アスナで、いいよ」
そう返して、アスナは手を伸ばし、サチの頭をクシクシとなでてやる。
「それにね……正直言うと、私、みんなに嫉妬してたんだ」
「嫉妬……?」
「うん。
みんなと出会って……ジュンイチくん、みんなの面倒を見るとか言い出しちゃったじゃない?
しかも、キリトくんまでそれに賛成して……それを聞いて、思っちゃったの。
『二人とも、私から離れていっちゃうんじゃないか』って……」
「そんなこと……」
「うん。ないって、わかってる。
けど……それでも、そう思っちゃった。
私がこの世界で心を保てていられるのは、二人がいてくれたからで……だから、二人が私の前からいなくなったら、と思ったら、不安でしょうがなかった」
その言葉に、サチはなぜアスナがジュンイチ達に対してあぁも攻略に戻ることに固執していたのかを理解した。
恐れていたのだ――自分達の関係が変わってしまうことを。
だから、攻略にこだわり、黒猫団から離れるように提案したのだ――キリトやジュンイチの視線を、黒猫団から自分へと戻すために。
「わかったでしょう? 私は『さん』付けされるような大層な人間じゃないの。
自分ひとりじゃ、私が私であることすら保てなくて……でもこんなことにならなきゃ、きっと誰にも話せなかった。そんな弱虫だもの」
「そ、そんな……
アスナさ……アスナよりも、私の方がずっと弱虫で……」
「あら、私の方が」
「わ、私の方が弱虫だもん!」
「私よ」
「私!」
そこで会話が止まる――顔を突き合わせ、二人は不意に吹き出した。
「フフフ……何情けないことで自慢し合ってるんだろうね、私達」
「うん……本当だね」
「ま、今日のところはどっちも弱虫ってことで」
言って、アスナはその場に立ち上がり、サチに向けて手を差し伸べた。
「とりあえず……弱虫同士、これからどうしていこうかゆっくり考えようよ。
だから……今日のところは、一緒に帰ってくれると、助かるかな?」
「……傷のなめ合いにならないかな? それ」
「あら、それだって精神安定くらいの役には立つわよ」
「暴論だね」
「違いないわね」
互いにクスリと笑みをもらし――サチは今度こそ、アスナの差し出した手を取った。
◇
サチを見つけたとメッセージを飛ばして、アスナは彼女と共に宿屋に戻った。
迷宮区の奥深くまで探しにもぐっていたらしく、男性陣が戻るには少々時間がかかった――帰ってきたケイタ達は、特にサチを問い詰めることもなく純粋にその無事を喜び、アスナの“裏路地で道を間違えたところからドツボにはまって完全に迷っていた”という適当な言い訳も素直に信じていた。
もちろん――ジュンイチやキリトは薄々何かあったと感づいていたようだったが。
そんなことがあってからも、彼らの日々はそれまで通りのものだった。
黒猫団のレベリングに付き合いながら、ジュンイチ達のパーティーが資金やアイテムを稼ぐ日々。いつかは終わる、だけど当分は続いていく予定の流れが、ただ繰り返されていた――少なくとも、表面上は。
女子が二人しかいない手前、アスナとサチは出会った当初から自然と宿屋で同じ部屋を使っていた――が、あのサチがいなくなった日から、ベッドの一方が使われることがなくなった。
サチが、毎晩アスナのベッドにもぐり込んでくるようになったためだ。アスナが一緒にいると実感することで、なんとか眠れるらしい。
「私、そういう趣味はないんだけど」と苦笑しつつもアスナもそんな彼女に付き合って一緒に眠るようになり――彼女自身も、そんなサチと共に過ごす内、精神的な落ち着きを取り戻し始めていた。
それまで余裕のなさは影をひそめ、素直に笑えることも多くなった――かつて本人達が言った通り、それはただの“傷のなめ合い”だったかもしれない。だがそれでも、彼女達が自分達の悩みを吐露し、わかり合う分には十分に役立っていた。
そして――さらに一ヶ月が過ぎた。
2004年6月11日 第11階層・タフト――
「えー、今日はみんなに報告があります」
ケイタに「大事な話がある」と言われ、宿屋の彼(とテツオ)の部屋に全員集合――みんなから注目される中、ケイタはそう切り出した。
「今日の狩りで、なんと、我ら黒猫団の資金が20万コル貯まりました!」
おぉ〜っ、というどよめきが黒猫団の面々から上がる。
そういえば前にギルドホームが欲しいと言っていたのを聞いた気がする。それだけ貯まれば物件次第で十分に購入が可能だ。当初の目標がいよいよ現実味を帯びてきたのだから興奮するのも仕方ないか、とキリトはなんとなく納得していた。
「それで、明日、不動産屋との交渉のアポまで取りつけてきました!」
「いよいよオレ達の宿屋暮らしも終わりかぁ」
「ふふん、いいだろ、キリト。
ま、それなりの付き合いだし、うちへの居候はぜんぜんオッケーだからな!」
「ハハハ、言ってろ」
テツオやシーフのダッカーの言葉に笑いながら返して――キリトはふと、ジュンイチが渋い顔をしているのに気づいた。
なんとなく予感がして待っていると、予想通りジュンイチからアイコンタクト――軽くごまかしまじりに断りを入れてから、二人で廊下に出た。
「何だよ、ジュンイチ」
「明日……オレとアスナ、武器のメンテで同行できないだろ?」
「あぁ……」
確かにそういう予定になっている。黒猫団の安全のキープのため彼らへの同行を優先し、今まで自分達の装備については手入れを先送りしていたのだが、アスナの剣やジュンイチのガントレットが、いよいよメンテナンスをしないと危ないところまで耐久値が落ち込んできていたのだ。
そのため、明日二人でNPCの鍛冶屋のもとを訪れ、メンテナンスをしてもらうことにしていたのだが、そうなるとリーダー不在の黒猫団と行動を共にするのはキリトひとりだけになるワケで――
「居残り組の動向に、ちょっと気をつけておいた方がいい」
「ジュンイチ……?」
「人間の金銭感覚的に、今まで貯め込んでたものを一気に使って蓄えがごっそり減った時、それまでがそれまでだった分、どうしても落ち着かなくなるもんだ。
たぶん、また一稼ぎ……とか言い出すだろうけど、ヘタしたら一気に稼ごうと今の狩場よりも上のフロアまで上がるとか言い出しかねない」
「………………っ」
ジュンイチの言っていることに確かな現実味を感じ、キリトは息を呑んだ。
確かにあり得る――自分達との共同レベリングで、黒猫団は急速に力をつけてきている。“ギルドホームの購入”というひとつの目標を遂げ、テンションの上がっている彼らなら、確かにそのくらいのことは言い出しかねない。実際に挑戦の余地が十分にあるレベルなだけになおさらあり得る話だ。
「戦場じゃそういう油断が一番怖いんだ。
そうならないよう、十分に注意しといた方がいい」
「そう……だな……」
「特にサチだな。アイツは守ってやらないと」
「サチ…………?」
こういう、守るべき対象が集団の時に特定人物の名前を出すなど、ジュンイチにしては珍しい。思わず首をかしげて、キリトは尋ねた。
「ジュンイチ……ひょっとして、サチのことが好きなのか?」
「なんでそうなる。
そうじゃなくて……アイツ最近、アスナと仲いいだろ。何かあったらアスナが凹むぜ。
お前的には、アスナに凹まれるといろいろキツかろうと思ってな、とりあえずそういう観点から助言を」
「な、なんでアスナの話がオレに振られるんだよ?」
「さーて、どうしてだかな」
言って、カラカラと笑うジュンイチに、キリトは少しばかり顔を赤くしてそっぽを向いた。
◇
「転移、はじまりの街!」
ケイタの宣言を受け、彼の姿が青色の輝きに包まれる――転移門を使い、一気にはじまりの街へとテレポートしていく彼を、キリトや黒猫団の面々が見送る。
ジュンイチやアスナの姿はすでにない。万一に備えて早めにメンテを済ませてしまおうと、朝一番で鍛冶屋のもとへ出かけている。
とりあえず、今日のところは宿屋でおとなしくしているのが吉か。そう思い、提案しようとキリトが口を開きかけたその時だった。
「なぁ……どうせだから、今のうちに迷宮区で一稼ぎしてこないか?」
「そうだな。
ギルドホームで使う家具とか一通りそろえて、ケイタを驚かせてやろうぜ」
「お、それいいな!」
テツオがダンジョンにもぐろうと言い出した。ダッカーや、サチと同じ槍使いのササマルが同意するのを聞いて、キリトは胸騒ぎを覚えた。
「なら、三人もメンツがいないことだし、今日は少し下の階層にしておこうか」
「それじゃあ大した稼ぎにならないって!
むしろ、ここはいつもより上の階層にしようぜ!」
「あぁ、そうだな。
オレ達のレベルならいけるって!」
「よし、そうと決まればさっそく出発だ!」
「お、おい!」
このままではマズイ。せめて狩りは少しでも安全なところで――そう考え、提案するキリトだったが、多勢に無勢。あっさりと押し切られてしまう。
サチへと視線を向けるが、元々自己主張の少ない彼女ではこの状況を覆す力にはなり得ないだろう。
ジュンイチの危惧が、今まさに現実のものになろうとしていた。
NEXT QUEST......
オレ達の懸念は的中し、危機にさらされる黒猫団。
駆けつけるオレ達のフォローで何とか事なきを得るが、それですべての危機が去ったワケじゃなかった。
そう……オレ達は出会うことになる。
アインクラッドの攻略に、そしてオレ達の運命にも大きく関わることになる、因縁の相手と――
次回、ソードアート・ブレイカー、
「宿敵との邂逅」
(初版:2014/10/10)