2004年6月12日 第20階層・ラプンガ――
「まいどありーっ!」
NPCの店主に見送られ、武器のメンテを終えたジュンイチとアスナは鍛冶屋を後にした。
「くそっ、耐久値をデフォに戻すだけでこんな時間かけやがって。
やっぱNPCの鍛冶屋じゃこれが限界か……」
「どこか、腕のいいプレイヤーの鍛冶屋がいればいいんだけど」
「オレ達、そっち方面のツテとかまるでないもんな。
今度、エギルあたりにオススメの鍛冶屋知らないか聞いてみるか?」
「だったらジュンイチくんが行ってね。
ジュンイチくん、こないだ《ドドリアンワームの卵巣》を売りつけた時の一件で怒らせたままでしょ?――いい機会だから謝ってきなさい。
こないだ行ったら、『悪臭のこと、事前に警告くらいしとけ』ってカンカンだったんだから」
アスナと二人でボヤきながら、転移門まで歩く――と、ジュンイチの目の前にフレンドメッセージが届いたことを示すダイアログウィンドウがポップした。
発信者はキリトだ。イヤな予感がしてすぐにメッセージに目を通し――
「…………クソッ、言わんこっちゃない!」
「ジュンイチくん!?」
「急ぐぞ、アスナ!
あのバカども……よりによって27層の迷宮区に稼ぎに出やがった!」
「えぇっ!?
ちょっと、それムチャじゃない!? 第二エリアの終盤じゃない――あの子達のレベルじゃまだムリよ!」
驚くアスナにかまっている時間も惜しい。彼女の手を取り、転移門に向けて走り出す。
「こうならないようにキリトに釘刺しておいたのに!
クソッ、ぼっちのキリトを当てにしたのが凶と出たか!」
「ぼっち、って……」
「とにかく急ぐぞ!
あの身の程知らずどもがバカやらない内に、アイツらに合流するんだ!」
Quest.10
宿敵との邂逅
2004年6月12日 第27階層・迷宮区――
「あー、稼いだ稼いだ」
「後は帰って、家具を買いそろえるだけだな!」
キリトのフォローがあった分を差し引いても、迷宮区での狩りは順調だった。
キリトの目から見ても、今日は珍しくモンスターのポップも少なめで、特に危機に陥ることなく黒猫団の面々はそこそこの資金を稼いでいた。
「な? 言ったじゃないか。今のオレ達なら大丈夫だって」
「あ、あぁ……」
上機嫌のテツオの言葉に、キリトはとりあえずうなずいてみせる――そうしている間も、索敵スキルを全開に働かせてモンスターが現れないか警戒している。
そんなキリトの後ろから、サチがおっかなびっくりといった様子でついてくる。そのまま、一稼ぎを終えた彼らは迷宮区を脱出――と、その時だった。
「…………ん?」
ダッカーが、傍らの壁にそれを見つけた。
「おい、ここ……隠し扉があるぜ?」
「え………………!?」
その言葉に、キリトの表情が明らかに強張った。
(そんなところに隠し部屋なんて……“オレ達だって知らないぞ”!?)
この第27階層を突破した時には気づかなかった、未踏破の隠し部屋――何があるかわからない。警告しようとするキリトだったが、ダッカーはかまわず扉を開けてしまった。
その中には――
「お! 宝箱発見!」
「――――――っ! よせ!」
シーフとして罠解除スキルを鍛えているダッカーだったが、ここは仕掛けの高難度で知られる第二エリア、しかもその終盤である第27階層だ。
正直彼のレベルでは心もとない――制止するキリトだったが一瞬遅く、すでにダッカーはトレジャーボックスに手をかけていた。
鍵をいじり、開錠して――
アラームが鳴り響いた。
部屋全体をレッドアラームの赤い光が照らし出す――同時、周囲三方の壁に仕込まれた隠し扉が開かれ、そこからモンスターが雪崩れ込んできた。
「やっぱり、トラップ……っ!
みんな! 部屋を出ろ!」
このせまい部屋でこれだけの数のモンスターに包囲されたら、キリトひとりではフォローしきれない。脱出を指示するキリトだったが、脱出するよりも早く入り口はモンスター群によってふさがれてしまう。
「転移結晶は!?」
「ダメだ! ウンともスンとも言わねぇ!」
(クリスタル無効化エリアか……っ!)
ダッカーに呼びかけるも、返ってきた答えはさらなる絶望――事実上、即時脱出の可能性は完全につぶされた。
「みんな、背中を預け合って守りを固めろ! 絶対にバックアタックを受けるな!
オレが血路を切り拓く!」
とっさに方針を全員の生存を優先する方向に変更。黒猫団の面々に徹底防御を指示し、キリトは独りモンスターの群れへと斬り込んだ。
相手の攻撃をかわし、ソードスキル一閃――次々にモンスター達を斬り伏せるが、相手の数が多すぎる。
一向に突破の気配が見えない中、キリトのみならず黒猫団の面々もモンスターの猛攻にさらされていく。
そして――
「ぅわぁっ!?」
「ダッカー!」
ついに防御の一角が崩れた。有効打をもらってダッカーが吹っ飛ばされ、サチが悲鳴を上げる。
だがどうすることもできない。倒れたダッカーへとモンスター達が殺到。いざ彼の命を奪おうとそれぞれの得物を振り上げて――
「ストライク――ペネトレイタァァァァァッ!」
咆哮と同時――吹き飛んだのは、モンスター達の方だった。
入り口を固めていたモンスター達が“背後から”吹っ飛ばされ、さらに飛び込んできた影がそのままダッカーに迫っていたモンスター達を吹っ飛ばしたのだ。
突然のことにテツオ達はもちろん、モンスター達も動きが止まる――だが、キリトだけはその正体に気づいていた。
対多数・直線突破を得意とする“剣闘士独自の”突進系ソードスキル、《ストライクペネトレイター》。
技を放つと共にソードスキルの名前を叫ぶことで自らのテンションを引き上げる――コンビネーションの一部ではなく、単発でソードスキルを撃つ際の、“彼”のクセのようなもの。
確信、警戒、困惑――それぞれの視線を浴びながら、彼はゆっくりと立ち上がり、
「人の護衛対象どもに、何してくれてやがる……っ!」
「経験値と資金の塊の分際で、チョーシこいてんじゃねぇぞ!」
言い放ち、ジュンイチは怒気を多分に含んだ視線でモンスター達をにらみつけた。
「ジュンイチ!?」
「オレだけじゃないぜ」
声を上げるテツオにジュンイチが答えると、
「ちょっと、ジュンイチくん!?」
声と共に赤い光が一閃。ソードスキルのエフェクト光が煌くと同時、入り口を再び固めようとしていたモンスターの一体が斬り捨てられた。
「ひとりでガンガン進まないでよ!
追いかけるこっちの身にも――キリトくん、サチ、大丈夫!?」
文句を言いながら飛び込んできたのはアスナだ。ジュンイチに文句を言う過程でキリト達に気づき、あわててキリトに駆け寄る。
「助かったよ、アスナ――ジュンイチも。
けど……」
「あぁ。
喜ぶのは、コイツらを片づけてからだな」
キリトに答えて、ジュンイチはまだまだ数を残しているモンスター達を見渡した。
「アスナとキリトはオレ達の空けた突破口を維持。黒猫団はさっさとそこから脱出。
殿はオレ。あとは……わかるな?」
「あぁ」
「了解」
簡潔な答えと同時、キリトとアスナが動く――部屋の入り口付近のモンスター達を斬り捨て、脱出ルートを確保する。
「みんな! 今のうちに!」
「あ、あぁ!」
キリトの指示に、黒猫団の面々は背中をカバーし合いながらモンスター達の間を抜け、部屋から脱出する。
そしてキリトとアスナがその後に続き、あとはジュンイチを残すのみだ。
「ジュンイチ!」
「応っ!」
そのジュンイチが、キリトの声に応える――モンスター達の攻撃をかわして跳躍。空中で身を翻し、滞空時間の間にソードスキルのタメを入れる。
そして――
「アース……クェイク!」
その拳を“迷宮の床に”叩きつけた。衝撃が部屋全体に伝わり、モンスター達が足を取られて動きを止める。
範囲型・スタン系ソードスキル《アースクェイク》――モンスターの動きを封じて、そのスキにジュンイチも部屋からの脱出を図る。
だが、相手のスタン回復の方が早い。すぐに動き出したモンスター達がジュンイチの後を追ってくる。
間一髪、転がり出るように部屋を飛び出すジュンイチだが、そのすぐ後にモンスターが続き――
「このぉっ!」
「どっ、せぇいっ!」
打撃力重視の二人のカウンターが待っていた。キリトの剣が、テツオのメイスが、それぞれソードスキル付きで先頭にいた二体のモンスターの顔面を痛打する。
先頭のモンスターが倒れ、後続のモンスターには槍使いコンビの追撃――ササマルとサチの槍が突き刺さり、一撃を受けたモンスターが四散する。
次々に襲いかかってくるモンスター達だが、こちらに出入り口を押さえられては一斉に襲いかかることもできない。キリト・テツオコンビ、サチ・ササマルコンビ、さらに体勢を立て直したジュンイチがアスナと組んでそこに加わり、交代で叩き込まれるソードスキルがモンスターを次々に屠っていく。
おまけにダッカーがアイテムで支援。回復やステータス補助の助けが加われば、もはや数だけが頼みだったトラップモンスターなど彼らの敵ではなかった。
結局――モンスター群が全滅するまで、それから五分とかからなかった。
………………が、危機は去ってはいなかった。
「……ほんっとーに、アホだな、お前らっ!」
そう。別の意味での危機が待っていた――迷宮区の床に正座させられ、身を縮こまらせている黒猫団の面々には、ジュンイチからのありがたいお説教が待っていた。
「いくらレベル的には安全マージン範囲内だからって、いつもより戦力が落ちてる状態でいつもより難度の高いフィールドに出向くとか、いったい何考えてんだ!
オレやアスナが間に合わなかったら、死人が出るところだったんだぞ!」
「わ、悪い……」
「反省してます……」
「あげくの果てにトレジャーボックスに考えなしに手ェ出しやがって……
踏破済みの迷宮区に手つかずの宝箱。どう考えても怪しいことに気づかんか!?」
「……ゴメンナサイ」
「あ、あの、えっと……ごめん」
テツオやササマル、そしてダッカーやサチがそれぞれ申し訳なさそうに頭を下げる――そんな彼らの姿に、ジュンイチは軽くため息をつき、
「……これにこりたら、もう欲張らないこと。背伸びはしないこと。
それだけ約束できるなら、オレの言いたいことは以上だ」
「す、するする!」
「もームリはしませんっ! 欲張りませんっ!」
「欲しがりません、勝つまではっ!」
「最後のひとつは何か違う気がするけど……まぁ、いいか。
あぁ、それからダッカーはこれを教訓にワナ解除スキルをちゃんと育成しておくこと」
「うげ、オレだけ追加かよ……」
「当たり前だ。
無謀な行動の分を差し引いても、お前がちゃんとトラップを解除できていれば防げた事態なんだからな」
「はーい……」
改めて肩を落とすダッカーの姿に、一同の間から笑い声が上がる。
そんな彼らの姿に、ジュンイチは軽く息をつき、
「さて、それじゃあ、改めてあのトレジャーボックスの中をチェックしてから帰るとするか」
「え?
でも、解除に失敗したトレジャーボックスって、アイテムはロストされるんじゃ……」
「単なるトラップならな」
聞き返すテツオに、ジュンイチはそう答えた。
「ただ……今回のトラップ、隠し部屋の発見難易度も含めて、この階層のトラップにしては攻略難度が頭ひとつ抜きん出てた。
そういうトラップの場合、生還すると生還ボーナスみたいな感じで、ロストしたアイテムの代わりにさらにレア度の高いアイテムがイベントドロップすることが多いんだよ。
だから、念のため……な」
「よぅし、じゃあ、今度こそオレが!」
「おいおい、大丈夫かよ?」
「大丈夫だって。ちゃんと気をつけながら見るから。
せっかくなんだ。汚名挽回のチャンスくれよ」
「それを言うなら『汚名返上』か『名誉挽回』だな」
ササマルとダッカーのやり取りに、キリトが笑いながらツッコむ――特にワナが再設置されたふうでもなく、今度はすんなりと宝箱は開かれた。
その中から出てきたのは――
「ガントレットだ……」
「なぬ?」
宝箱の中に入っていたアイテムを手に取り、つぶやくダッカーの言葉にジュンイチが反応した。
「本当か? ダッカー」
「本当だって、ホラ」
言って、ダッカーが見せたのは確かに実体化状態のガントレットだ――それを見て、ジュンイチはその場に崩れ落ちた。
「金払って、時間かけてメンテしてきたのに……その矢先に新品がドロップって何なのさ……」
「は、ハハハ……こういうこともあるって」
落ち込むジュンイチをキリトがフォローする。ため息をついてジュンイチは顔を上げて――
ダッカーの背後にいた人型モンスターと目が合った。
「ダッカー!」
「え――――――?」
ジュンイチの上げた声に問い返すヒマもなかった。背後のモンスターが無造作に払った手に殴り飛ばされ、ダッカーが壁に叩きつけられる。
ポーションで全快していたはずのHPが一気にレッドゾーンまで持っていかれる――“ただ手を無造作に払っただけの一撃で”。
「モンスター!?」
「またトラップ!?」
「いや……違う!」
声を上げ、それぞれの得物をかまえるササマルやアスナだったが、キリトが否定の声を上げた。
「トラップによるモンスターだって、さっきみたいな別室待機でもない限り出現の際にはポップのエフェクトが発生する。テレポートもだ。
けど、それがなかった……アイツ、“オレ達に一切気づかれることなく、通常移動であの場にやってきた”んだ!」
言いながら、剣をかまえ、相手を観察する。
体格は自分達とほぼ変わらない人間サイズ。姿はさながら翼を持つリザードマン。いや、リザードというよりは……
「……竜人……っ!」
うめくキリトの前で、竜人は軽く首をかしげ――消えた。
否、動いたのだ――気がついた時には目標の目前。身を翻し、拳を振りかぶっている。
狙いは――
「ダッカー!」
先制打撃を受け、倒れているダッカーだ。キリトの、悲鳴に近い警告の声も間に合わず、動けない彼に向けて竜人が拳を打ち下ろし――
「にゃろうっ!」
弾かれた。
両者の間に飛び込んだジュンイチが、その拳で竜人の拳を弾いて見せたのだ。
「ジュン……イチ……っ!」
「オレに意識向けてるヒマがあったらさっさと回復しやがれ!」
うめくダッカーに言い返し、ジュンイチは竜人に向けてかまえる――対し、竜人は静かにその場に佇み、
「…………そこをどけ」
“ジュンイチに向けて告げた”。
狙いはダッカーだ。だからそこをどけ――そう、告げた。“自我のないはずのモンスターが”。
「しゃべった……!?」
「モンスターが……!?」
「ウソ……だろ……!?」
遠巻きから見守るサチやテツオ、ササマルが呆然とつぶやく――だが、竜人は彼らを軽く一瞥しただけで、再びジュンイチへと視線を戻した。
「……もう一度言う。そこをどけ」
「お断りじゃボケ」
即答する。
「何が目的でダッカーを狙ってるのかは知らないけどさ、こちとらコイツらを守るためにここにいるんだ。
『どけ』と言われて素直にどくワケねぇだろうが」
「…………ならば、貴様から死ね」
そう告げた直後だった――竜人が地を蹴り、一気にジュンイチへと突っ込む。
繰り出された右の拳をジュンイチがさばき――
――パァンッ!
衝撃音と共にその顔が跳ね上がったのは――ジュンイチの方だった。
「な…………っ!?」
それはキリト達ですら見たことのない、ジュンイチへの明らかなクリーンヒット――これまで明確な被弾と言えば流れ弾の被弾事故くらい。それ以外は攻撃を受けるにしても最低限急所だけは外し、一度たりとも直撃を許したことのなかったジュンイチが、あまりにもあっさりと顔面へのクリーンヒットを許したのだ。
信じられないとアスナが目を見張る中、ジュンイチはとっさに後退。追撃を狙った竜人の蹴り上げをかわして距離を取る。
「ジュンイチ、大丈夫か!?」
「あぁ……なんとかな」
キリトに答えて、ジュンイチは打たれたと思しきアゴをさすり、
「“打たれ方から考えて、おそらくは単なる左ジャブだ”……野郎、警告のつもりかよ」
「………………っ!?」
ジュンイチのその言葉に、今度はキリトが目を見張る。
『打たれ方から考えて』『おそらく』――それはつまり、ジュンイチの目を持ってしても竜人の打撃を認識できていなかったということになる。
パラメータ的には今や“どんぐりの背比べ”状態のキリト達だが、こと相手の攻撃を見切ることに関してはリアルでの実戦経験があるジュンイチがもっとも秀でている。そのジュンイチですら見切れないとは――対峙する相手の底知れない力を感じ取り、キリトの中で警戒レベルが一気に跳ね上がる。
そこまでの強敵。いったいどれほどのレベルなのかと識別スキルを発動、竜人を観察して――
「――――――っ!?」
その結果に、今度こそキリトの背筋が凍りついた。
「キリトくん!?」
「……何だよ……何なんだよ、アイツ……っ!」
ただならぬ様子に声を上げるアスナに対し、キリトは震える声でうめいた。
まず見えたのは名前。《The Z of Dragon》――“Z=最後の竜”とでも訳せばいいだろうか。定冠詞がついているから、間違いなくボス級のモンスターだ。
ただ、問題なのは――
「アイツのレベルは……74。
“今のオレより、5も上だ”」
「な…………っ!?」
キリトからもたらされた情報に、アスナもまた絶句する。
キリトよりも上――つまりあの竜人のレベルは、“このメンバーの中での最高レベルよりもさらに上”だということになる。
さらに付け加えるなら――
「レベル74って……冗談でしょ!?
そんなの、70層以上をうろついてるようなクラスのモンスターじゃない! なんでこんなところにいるの!?」
通常のRPGであれば、100階層あるアインクラッドの適性攻略レベルは各階層の数字とイコール、というわかりやすい形で判断できる――デスゲームとなった今、実際にはそこからさらに8〜10レベルが安全マージンとして加算される(ちなみにジュンイチ達はさらに倍、つまり約20レベルの安全マージンを維持している)ワケだが、とりあえずこの話題とは関係ないので置いておく。
とにかく、“適正レベル=各階層の数字”。この判断基準に沿って考えるなら、当然相手となるモンスターのレベルもそれに準じることになる。ボスモンスターでようやく2ないし3レベルほど加算される程度だろう。
つまり、目の前の竜人は単純に考えればザコなら第74階層、ボスだとしても71層辺りにいるのが適正ということになる。間違っても27層なんていう半分以上下のフロアにいていい存在ではない。
「なるほどね……
レベル74。そりゃ強くて当たり前だわ」
キリト達のやり取りは聞こえていたらしい。つぶやくジュンイチもその表情にいつもの余裕がない。
「……仕方ない。
ここで黒猫団のみんなを殺させるワケにもいかないしな……」
だが、それでも退くつもりはない。つぶやくジュンイチの言葉に、キリトやアスナもその意図を察し、彼のとなりに並び立つ。
「キリト……アスナ……
…………全開でいくぞ!」
「おぅっ!」
「えぇ!」
その言葉と同時――三人の身体がそれぞれ違った色のエフェクト光に包まれた。
各自ステータス補助を発動させた証だ――ジュンイチが剣闘士用筋力値補助系ソードスキル《マッシブアップ》、キリトとアスナがアイテムによってそれぞれ筋力値、敏捷値を補強。竜人に向けて地を蹴る。
「はぁぁぁぁぁっ!」
最初に飛び込んだのは元々最速を誇っていた敏捷値をさらに引き上げたアスナだ。レイピアでの、目にも留まらぬ連続突き――しかし、竜人はその攻撃をガードを固めてしのぎ、
「ぇ…………?」
気づいた時には、すでに懐に飛び込まれていた。腹に拳を叩き込まれ、たじろいだところを蹴り飛ばされる。
「アスナ!」
返り討ちにあったアスナを気遣いながらも、キリトが斬りかかる――四連撃ソードスキル、《バーチカルスクエア》。
だが、そのすべてが空を斬る――四連撃すべてをかわされ、胸倉をつかまれた。力任せに振り回され、投げ飛ばされ、壁に叩きつけられる。
「野郎っ!」
最後に仕掛けるのはジュンイチだ。拳を、蹴りを次々に放つが、竜人はそのすべてを難なくさばき、反撃までしてくる。
が、繰り出す攻撃がソードスキルでないため、ジュンイチのリカバリも速い。竜人の反撃にも防御が間に合い、お互い乱打戦に突入する――かに見えたが、
「せぁあぁぁぁぁぁっ!」
「おぉぉぉぉぉっ!」
アスナやキリトが復帰、同時に仕掛ける――直前で気づき、ジュンイチから離れた竜人は冷静に二人の攻撃にも対応、あっさりとしのいでしまう。
ジュンイチも追いつき、三人で激しく攻め立てるが、竜人はその攻撃すべてをさばき続ける――
◇
「な、何だよ、アレ……」
「次元が、違いすぎる……」
一方、攻略組プレイヤー三人と謎のモンスターとの死闘に、黒猫団の面々は完全に置いてきぼりを食らっていた。目まぐるしく攻守が入れ替わる攻防に手出しができず、テツオとササマルが呆然とつぶやく。
「は、速い……」
「威力もだ。
オレを一撃で瀕死にした攻撃ですら手抜き丸出しだったんだろ? それよりも本気の打撃の打ち合い……相当重いぞ、どっちの攻撃も……」
サチも、そして彼女から回復ポーションを受け取ったダッカーも、自分達のまるで手の届かない次元で繰り広げられる戦いに圧倒されるばかりだ。
(アスナ……)
それでも、サチの視線は、キリトでもジュンイチでもなく、アスナに向いていた。
強くて、凛々しくて――同性の自分から見ても、彼女はとてもまぶしく見えた。
だけど、そんな彼女もまた、自分と同じで悩みを抱えていた。自分と同じ“弱虫”だとこぼした姿は今でも鮮明に思い出せる。
そのアスナが、今まさに戦っている。
それも、自分達を守るために。
(私は……っ!)
気がつけば――サチはその手を強く握りしめていた。
◇
「ぅわぁっ!?」
「きゃあっ!?」
徒手空拳のジュンイチや竜人と違い、キリト、そしてアスナは剣で戦う分攻撃半径が広い。
そして、攻撃半径が広いということは、徒手空拳に比べ攻撃の間隔が開いてしまうという不利がある――今まさにその不利を突かれ、左右から攻めていた二人は同時に竜人の拳を受けて吹っ飛ばされる。
追撃を狙うつもりなのか、竜人の視線がアスナに向けられ――
「させっかよっ!」
ジュンイチがそれを阻んだ。繰り出した拳はかわされたが、竜人はアスナへの追撃をあきらめ、ジュンイチへと向き直る。
竜人が仕掛け、ジュンイチが受け、激しく飛び交う拳と蹴り――乱打戦に突入する両者だが、状況はジュンイチにとって不利だった。次第に相手の反撃に押され、防戦一方になっていく。
「――っ、のっ、野郎っ!」
だが、ジュンイチもやられっぱなしで終わる男ではない。竜人の連続攻撃、それがほんの一瞬途切れたスキを逃さず、反撃に転じる。ショートアッパーで連打を寸断、動きの止まったところにヒザ蹴りで相手を押し返した上でダメ押しの上段蹴りを叩き込み、防御した竜人がたたらを踏む。
攻め込むなら今だ。懐に飛び込もうと重心を落とし――
「はぁぁぁぁぁっ!」
「――――――っ!?」
飛び込んできた影がひとつ――アスナだ。
竜人に向けてソードスキルを叩き込む。対する竜人はガードを固めてそれをしのいで――次の瞬間、アスナと竜人の間を何かがさえぎった。
一瞬の戸惑いの後、すぐにそれが竜人の片翼だと気づく――が、アスナの見せたその一瞬のスキは致命的だった。
翼が視界から消えた時には、すでに竜人は反撃の態勢に入っていた。気づき、飛びのこうとするアスナの回避は間に合わず、そののど元をつかまれる。
「アスナ!」
「ちぃっ!」
とっさにキリトが救出に走るが、ソードスキルをかわされたところを尻尾で打ち据えられる。さらにジュンイチの蹴りもつかまれ、竜人はジュンイチを振り回した上、地面に倒れるキリトの背中に叩きつける。
「まずは……貴様からだ」
「…………っ、ぁ…………っ!」
言って、竜人がアスナの首をつかむ手に力を込める――アスナがもがき、彼女のHPがじわじわと減少していく。
「く…………っ!」
そんなアスナを救おうとジュンイチが身を起こすが、竜人はそんな彼を蹴り飛ばし、キリトの身体を踏みつけてその動きを封じる。
「…………終わりだ」
すでにアスナのHPはレッドゾーンだ。このままでもいずれ全損するだろうし、もう少し力を込めて首をへし折れば、部位破壊の加算ダメージによって今すぐにでもアスナのHP全損は決定的なものになるだろう。
静かに、だが致命的な力を竜人がその手に加えて――
――――トスッ。
その脇腹に、刃が突き立てられた。
「………………」
予想だにしていなかった一撃に、その一撃を加えた張本人に視線を向ける。
「……アスナを……放して!」
サチだ――恐怖に震えながら、それでもしっかりと握りしめた槍を竜人の脇腹に突き立てている。
「……サ……チ……!
ダメ……逃げて……っ!」
首をしめられ、満足な発声などできない。それでもアスナがサチに呼びかけるが、
「…………ジャマだ」
竜人はあっさりと動いた。空いている手の一振りで槍をへし折り、その衝撃でたたらを踏むサチを尻尾の一撃で張り飛ばす。
一撃でHPが満タンからレッドゾーンへ――壁に叩きつけられ、サチが倒れる。気絶したのか、ピクリとも動かない。
「サチ……アスナ……!」
状況は最悪に近い……否、まさに最悪だ。このままではアスナが、サチが殺される――蹴りを受けた脇腹を押さえながら、ジュンイチはなんとか身を起こした。
自分のHPもレッドゾーン手前。ここで起死回生の一手が打てなければ、それこそ犠牲が出るし、最悪全滅も十分にあり得る。
(何かないか、何か……!?)
打開策を求めて思考を、視線を巡らせて――
(………………あ)
“それ”に、気づいた。
「余計なジャマが入ったが……死ぬのが延びただけだったな」
言って、竜人はアスナの身体をまるで見せつけるように掲げ、その首をしめつける手に力を込める。
「今度こそ……死n
だが――またしても竜人は止まった。
先ほどのサチのように、誰かが攻撃した、というワケではない。
何かに気づいたかのように、振り向き、警戒のうなり声を上げる。
そして、その視線の先で、彼は静かに立ち上がった。
ジュンイチだ――ただし、一点だけ、ついさっきまでの彼とは違う点があった。
ひとつだけ、装備が変更されている。両手のガントレットが、今さっきトレジャーボックスから発見されたものに変わっている。
「…………貴様」
「………………っ!?」
今の今まで自分にとどめを刺そうとしていたはずなのに、急にジュンイチに意識が移っている――戸惑うアスナを、竜人は無造作に投げ捨てた。
対し、ジュンイチは静かにかまえて――ダンッ!と音を立てて地を蹴った。一足飛びに竜人の懐に飛び込む。
新しいガントレットに敏捷値補正がかかっていたのか、先ほどよりも明らかに速い。繰り出された拳を、竜人はかわしきれずにガードして――
まともに吹っ飛ばされ、壁に叩きつけられていた。
「な…………!?」
さっきまでの攻撃力ではありえない一撃――明らかに腕力値にも補正がかかっている。
だが、装備品単体でのパラメータ補正において、腕力値と敏捷値の補正は本来相反するのがある種の定番だ。腕力値のプラス補正を求めれば敏捷値が犠牲になり、逆に敏捷値のプラス補正を求めれば腕力値が犠牲になる――そうした仕様だからこそ、装備の組み合わせにプレイヤーは頭を悩ませ、知恵を絞るのだ。
しかし、ジュンイチの手にしたガントレットはその相反するパラメータに対し同時にプラス補正をかけている――キリトが今までプレイしてきたMMORPGの中にそういった装備も決してないことはなかったが、総じてかなりのレアものだった。
少なくとも攻略が折り返しにも入っていないこんな階層で入手できるようなものではない。竜人をブッ飛ばしたジュンイチの一撃にキリトが驚き、言葉を失うのもムリのない話であった。
「……キリト。
アスナとサチを頼む」
だが、彼にとってはそんなことはどうでもいい話だったようだ――キリトに告げて、ジュンイチは彼らの前に出た。立ち上がり、こちらを警戒する竜人と対峙する。
「今お前、コイツを着けたとたんにオレをタゲってきたな。
思えば、さっきお前が最初にブッ飛ばしたダッカーもコイツを持ってた……
……本当の狙いはこのガントレット――いや、このガントレットを持つ者、ってところか」
「貴様が知る必要はない」
「発言が不適切だな。
正しくは『オレに知られるワケにはいかない』なんじゃねぇの?――なるほど、コイツを使われるのは、お前らにしてみれば激しく都合が悪いワケか」
「知る必要はないと、言っている」
カマをかけるジュンイチだが、竜人はそれをあっさりと流した。ジュンイチに向けて地を蹴り、先ほどのジュンイチのように一足飛びに相手の懐に飛び込んで――
パァンッ!
鋭い打撃音と共に、竜人の顔が跳ね上がった。
「オープニングヒットの借りは、返したぜ」
そう告げる、ジュンイチのジャブによるものだ。竜人もすぐにその場に踏みとどまり、反撃に出るが、ジュンイチはその拳を身を沈めてかわし、逆に脇腹にリバーブロー。たまらず数歩後退した竜人の顔面に蹴りを叩き込む。
ふらつくように後退、迷宮の壁に背中を預けた竜人の前で大きく右半身を引き、右拳を溜める――ソードスキルではない。全身の“ひねり”の連動によって、拳は瞬間的に、爆発的に加速する。
「っ、らぁっ!」
「――――――っ!」
繰り出された拳を、竜人はかろうじてかわした。まさに紙一重、その顔面を掠めるようにジュンイチの拳が迷宮の壁に叩き込まれて――
“迷宮の壁が、破壊された”。
『な………………っ!?』
その光景に、戦いを見守っていた一同が驚愕のあまり言葉を失った。
だがそれもムリはない。迷宮の壁、天井、床はそのすべてが非破壊オブジェクトだ。柱はボスモンスターが武器とすることもあり、プレイヤー側もうまく使えば攻撃手段になり得ることから破壊可能オブジェクトに指定されているが、部屋を仕切る部分についてはそのすべてが破壊不可能――なはずなのだ。
だが、ジュンイチの拳はその不可能を覆した。叩き込んだ拳で、破壊不可能なはずの迷宮の壁を破壊し、その向こう側の通路をあらわにしてみせた。
通常ならばあり得ない現象だ。考えられる要因は――
(あのガントレットの、特殊効果……!?)
そう気づいたのはキリトだ――なるほど、それなら竜人があのガントレットがプレイヤーの手に渡るのをもっとも警戒していた理由も説明がつく。
“あんな効果”を持つ武器をホイホイと乱用されては、その気になればボスの部屋まで一直線だ。“迷宮”区が迷宮としての役割を成さなくなってしまう。
あのアラームトラップの凶悪ぶりもそう考えれば納得だ。今の攻略段階ではなく、もっと先――アインクラッドの後半を戦い抜けるほどにレベルを上げてからでないと入手できないようにする、そんな意図があったのだろう。
だが、そこまでレベルを上げてしまった後では、攻略に燃えるプレイヤー達はこんな低階層には目もくれなくなるだろう――今度は心理的な問題から、このアイテムの存在はさらに秘匿されるというワケだ。
攻略難度とプレイヤーの心理、多重の“保険”によって守られる――それほどまでに高い入手難度が設定されたあのガントレットの特殊効果、それは――
「……フィールド、破壊効果……!?」
「おぉぉぉぉぉっ!」
咆哮と共に飛び込み、繰り出される拳――竜人が回避した後の空間をジュンイチの拳が貫き、打ち込まれた床が轟音と共に砕け散る。
元々が非破壊オブジェクトのためか、破壊された床は高速で修復されていく――すでに、先ほど打ち貫いた壁は修復が終わっている。
「どうしたよ?
急に向かってこなくなっちまったじゃねぇか――そんなにコイツで殴られるのがイヤか?」
「ほざいていろ。
確実に勝つために戦法を変えたまでだ――貴様を確実に殺すために」
こちらの軽口に竜人が憮然とした様子で答える――冷淡に見えて内面は意外と感情的なヤツだと感じながら、ジュンイチは今しがた破壊した、今まさに目の前で修復を終えた床に視線を向けた。
(壁で3秒、床で9秒……修復時間に違いがあるな。厚みの差か?
とにかく……)
「『確実に殺す』なんて宣言してくれる相手に、遠慮なんていらねぇよな?
こっちも余裕がねぇんだ――そろそろ決めさせてもらうぜ」
「奇遇だな――同意見だ!」
言い返して、竜人が突っ込んでくる――いよいよ本気になったか、先ほどよりも明らかに激しい乱打の嵐がジュンイチに襲いかかる。
さすがにこれはジュンイチもさばききれない。徹底防御を余儀なくされ、成すすべなく後退――ついには壁際まで追い込まれてしまう。
「もらった!」
もう逃げ場はない。トドメの一撃――勝負を決めるべく、竜人が渾身の右拳を繰り出す。
「ジュンイチ!」
拳は一直線にジュンイチの顔面に吸い込まれていく。キリトが思わず声を上げ――
竜人の拳が、“迷宮の壁を叩いた”。
「な………………っ!?」
『………………っ!?』
瞬間、ジュンイチの姿が竜人の視界から消えた。竜人が目を見張り、見守るキリト達が息を呑む。
そんなキリト達の見守る中、ジュンイチは――
「――っ、オォォォォォッ!」
渾身の拳を、竜人の“後頭部に”叩き込んだ。
まさに紙一重、間一髪のタイミングで竜人の拳をかわし、背後に回り込んだのだ――まったく無防備の状態で後頭部に一撃をもらい、竜人が顔面から迷宮の壁に叩きつけられる。
「悪いね。
こちとらボクシングの心得もちょっとはあるんだわ――壁際からの脱出の仕方も、それなりに叩き込まれてんだよ」
「――――っ、く……っ!」
淡々と告げるジュンイチに対し、竜人はあわてて振り向く――そんな彼の目の前で、ジュンイチはすでに次の一撃の体勢に入っていた。
右半身を大きく引いてタメを入れ、かまえた右腕全体がエフェクト光に包まれている。これは――
(ソードスキル!)
体術系のソードスキルだと察し、とっさにガードを固める竜人。対するジュンイチはかまわず一撃を放ち――
外れた。
ジュンイチの一撃は竜人を捉えなかった。竜人の左頬をかすめるように、右拳が空間を貫く。
(バカめ――起死回生の一撃を外したか!)
このスキは決定的だ。拳を振り抜き、スキだらけのジュンイチを仕留めるべく竜人が拳を握りしめる。
(せっかくのソードスキルをムダ打ちしたな!
この勝負、オレの――)
だが――その瞬間、竜人は気づいた。
(……“ソードスキルを外した”!?)
本来、ソードスキルはプレイヤー側が打つ場合もモンスター側が打つ場合も自動追尾が基本だ。
そのため、よほど間合いが開いていない限り回避は難しい。イルファング戦の際のアスナのように至近距離で回避に成功するのは並外れた幸運の賜物であり、本当に稀だ。
故にソードスキル対策は防御するか、自分のソードスキルを当ててブレイクするのが基本であり、意図的に回避する手段があるとすれば自動追尾の射程外まで逃げることくらいしかない。
そう――間合いに捉えている限り、“ソードスキルは外れない”。それが大原則だ。ならば今の、自分の頬をかすめるだけに終わったジュンイチのソードスキルも、“狙いを外さなかった”と見るべきだ。
つまり――
(狙いは最初からオレではなく――)
(オレの背後の壁か!)
そこに至ってようやく気づく――ジュンイチのソードスキルの一撃を打ち込まれ、自分の背後の迷宮の壁が粉々に破壊されていることに。
壁は人ひとりが簡単に通れるほどの口を開けており、向こう側の通路に通じている。もちろんすでに修復が始まっているが――十分だ。驚愕し、動きの止まった竜人の目の前で、ジュンイチは小さくバックステップ、間合いを調整し――
「はい、さらばっ!」
その腹に、蹴りを叩き込んだ。吹っ飛ばされ、竜人が壁の向こう側の通路に放り出される。
壁に叩きつけられ、たたらを踏み――しかし、竜人は倒れることなく踏みとどまった。すぐにこちらに戻ってこようと地を蹴るが、すでに遅かった。竜人が破壊された壁にたどり着くよりも早く、修復された壁はその口を閉じたのだった。
◇
「た、助かった……」
竜人を壁の向こうの通路に追いやり、ひとまず危機は脱したが、いつまた戻ってくるかもわからない――転移結晶ですぐさまタフトに撤退。ようやく難を逃れた一同の中、ダッカーのつぶやきを合図に全員がその場にへたり込んだ。
「お疲れさま、ジュンイチ」
「ホントに『お疲れさま』だぜ……
こんなに必死にバトったの、いつぶりだ……?」
苦笑まじりに声をかけてくるキリトに答えて、ジュンイチはその場に立ち上がった。
HPバーが真っ赤に染まっている――レッドゾーンに突入している自分のHPを見て思わずポーションを使いたくなるが、ここが安全な街中だということを思い出して自重する。見ていて気分のいい状態ではないが、宿で休んで回復すればいい。
「しっかし……何だったんだ、アイツ……?」
「あの階層には明らかに不釣合いな高レベル。それだけでも不自然なのに……」
「しゃべってた、わね……」
離脱して落ち着いたところで、気になるのはやはり先ほどのモンスターの異常性だ。ジュンイチとキリトのやり取りに、サチを支えたアスナが加わってきた。
「明らかに、考えて、その上でしゃべってたわ……
プレイヤー、だった……?」
「あのモンスターが、アバターだったっていうのか……?
……まさか、アイツが茅場晶彦……!?」
「………………っ!?」
アスナに返したキリト――彼の言葉の中に挙がったその名に、サチがビクリと身をすくませる。ムリもない。自分達をこの世界に閉じ込めた張本人の名を、何の心の準備もない状態でいきなり聞かされたのだから。
だが――
「いや……たぶん、それはない」
キリトの仮説を否定したのはジュンイチだった。
「お前らだって、模擬戦で互いにやり合う時、薄々感じてるはずだ。相手の思考というか……感情、みたいなものを。
仮想世界であるこのアインクラッドですら、感情のあるプレイヤーと相対すればそういったものが感じられる――なのに、アイツにはそこに違和感があった。
思考こそしていても、会話にこそ感情をにじませていても……その行動には人間味とはどこか違うものを感じた」
「どういうこと……?」
「あくまで推測の域を出ないけど……アイツ、AI仕様だったんじゃないかな? それも人格型の」
「AI……人工知能か」
アスナに答えたジュンイチの言葉に、キリトが「なるほど」と納得する。
「アイツの異常な強さもそれで説明がつく。
元々のレベルの高さに加えて、思考することによる戦い方のイレギュラー性……オマケに、それでいて行動が機械的だから、人間を相手にするみたいに感情からその思考を先読みすることもできないときた」
「茅場晶彦も、とんでもないモンスターを用意してくれたものね……」
ジュンイチの話す内容はとても楽観視できるものではなかった。ため息をつき、アスナはポーションを取り出して飲み干す。どうやらジュンイチと違い、赤々と輝くHPバーを放置しておく気にはならなかったようだ。
「まぁ、あれだけの強さなんだ。ボスモンスターってこともあるし……たぶん、あのトラップイベント限定のボスだったんじゃないかな?」
「そうであってほしいな……
あんなのがまた出てくるとか、かんべんしてほしいよ……」
キリトの言葉にテツオがうめき、一同が苦笑まじりに同意するが、
(……だと、いいんだけどな……)
内心でつぶやき、ジュンイチは自分の両手――あの戦いの中で装備し、なし崩しに所有する状態になっているガントレットへと視線を向けた。
戦闘中はそんな余裕はなかったが、改めてその武器名を確認する。
(……《フロンティア》……なるほど、言いえて妙とはこのことか)
フィールド破壊効果で迷宮の壁をぶち抜き、進む道を切り拓く――“切り拓く者”とはよく言ったものだ。
名は体を成す、いや、この効果があるからこそのネーミングと考えるべきか。
だが真に気にするべきはこのガントレットの名前などではない。
あの竜人が、この《フロンティア》を持つ者を狙っていたという事実だ。
もし、茅場晶彦が“そのために”あの竜人をあそこに配置していたとしたら。
もし、《フロンティア》を守るために“考える能力がある”あの竜人を抜擢したのだとしたら。
(もしそうなら……ヤツは、必ず追ってくる……っ!)
自分の考えている通りなら、あの竜人はいずれまた自分達の前に現れるだろう。
《フロンティア》を得た自分を討つために、またいずれ、自らの判断によって――
(次は……負けねぇ……っ!)
かろうじて追撃を断っただけで、戦いの内容はお世辞にも『勝った』と言えるものではなかった――再戦の時、その時の勝利を誓い、ジュンイチは拳を握りしめて――
「…………あれ?
みんな……そんなところでどうしたんだ?」
転移門から姿を現したケイタが、ボロボロのジュンイチ達を見て首をかしげた。
「そうなのか……
危ないところだったんだな」
「あぁ。
もう生きた心地がしなかったよ」
仲間達から事の顛末を聞かされ、ケイタは危うく仲間達が全滅するところだったと知って冷や汗を流す――対し、テツオは危機を脱した安堵感からため息まじりにそう答える。
「全員無事で本当によかったよ……
せっかく買ったギルドホームに空室なんか作りたくないからな」
「たりめーよ!
オレ達だって、念願のギルドホームを見るまでは死ねないって!」
改めて全員の無事に安堵するケイタにダッカーが答える――そう。現在一同はケイタが購入したというギルドホームへと移動中。
オプションで内装の変更などを頼み、それらの作業のために正式な入居までにはまだ数日かかるが、ダッカーやササマルが外観だけでも見たいと言い出したのだ。
そんな彼らを案内し、ケイタがやってきたのはタフトの主街区の外れ――そこに、彼らの手に入れたギルドホームがあった。
見た目には周りの建物と大差ないアパルトメントにすぎないが、この建物が丸ごと自分達のものだと思うと、なぜか特別なものに見えてくるから不思議なものだ。
「ようやく念願がひとつ叶ったワケだ。
おめでとう、ケイタ」
「残す目標は、お前ら黒猫団の攻略組入りか。
資金稼ぎを兼ねることにこだわる必要もなくなったしな、ビシバシ鍛えてやるからな」
感慨深くギルドホームを見上げるケイタ達に、キリトやジュンイチがそう告げるが、
「…………いや、それには及ばないよ」
そう答えたのは、テツオだった。
「もう……十分だからさ。
後は、オレ達だけでがんばってみるよ」
「テツオ……?」
突然のテツオの申し出に、ケイタが思わず彼を見返す――が、テツオの真剣な表情を見て、彼もまた何やら得心したようだ。
「そうか……そうだよな。
ジュンイチ、キリト、アスナ……テツオの言う通りだ。
ここから先は、オレ達黒猫団が、自分達の力で切り拓いていく」
「ケイタ、テツオ……」
「そうだよ。
三人には、攻略組でがんばってもらわなきゃならないしさ……オレ達にばっかりかまけてるヒマはないだろ」
「それに……今回の件でしみじみ実感した。
お前ら、強すぎるんだよ……そんなお前らの本気を知った後で、それでもお前らと一緒にいたりしたら……きっと、オレ達、お前らの強さに甘えちまう」
ダッカーやササマルも、ケイタ達の意見に異論はないようだ。
「だから……オレ達にかまわず、これからは攻略に専念してくれ。
オレ達も……必ず追いつく。追いついてみせるからさ」
「ケイタ……」
改めて告げるケイタに、キリトは口を開き――
「……わかった」
そんなキリトを制して、ジュンイチはケイタと正対した。
「そこまで言うなら、後はお前らだけでやってみろや。
けどな……『必ず追いつく』なんて言ったからには、絶対追いついてこいよ。
もしそれが果たせなかったなら……」
「……果たせなかったなら?」
思わず聞き返すテツオに対し、ジュンイチはニヤリと笑い、
「現実に戻ってから、また会おうや。
でもって、その場でしこたまおごらせてやる……覚悟しとけよ?」
その言葉が意味するところは、十分すぎるくらいにケイタ達には伝わっていた。
ジュンイチは言っているのだ。現実に戻ったら会おう――すなわち、『追いつけないまでも絶対に生き残れ』と。
「ハハハ、了解だ。
そうならないように、一刻も早く追いつかないとな」
「オレ達も全力で突っ走るまでだ――簡単には、追いつかせねぇからな」
互いに宣言し、笑みを交わす――そして、ジュンイチはクルリと背を向けた。
「んじゃ、行こうぜ、キリト、アスナ」
「え、ジュンイチ……?」
「もう日も沈むし、せめて今夜くらいはみんなで……」
「何未練たらしいこと言ってんだよ。
こういうのは、宣言したタイミングでスパッと別れるのが一番なんだよ。ほら、行くぞ」
キリトやアスナに答え、ジュンイチは先行して歩き出す――放っておくワケにもいかず、キリトやアスナも改めてケイタ達とあいさつを交わしてその後を追う。
「……アスナ……キリト、ジュンイチ……」
そんな彼らの後ろ姿を、サチは名残惜しそうに見送って――
「…………サチ」
テツオが、そんなサチに声をかけた。
◇
「…………素直じゃないよな。
あのまま一泊なんてしたら、“自分が”明日別れづらくなるから、だろ――誰だよ、一番未練たらしいのは」
「うっせ」
キリトに答えて、ジュンイチはぷいとそっぽを向く――図星を指されてふて腐れるその姿に、アスナはクスリと笑みをもらす。
「さて、と……それじゃあ、明日からまた攻略、がんばらないとな。
そろそろ第49層のボス部屋も見つかりそうだって話だし」
「あぁ」
とにかく、明日からはまたこの三人でのダンジョン攻略だ。いつまでもヘソを曲げていられない、と気を取り直したジュンイチの言葉に、キリトも笑いながらうなずいて――
「アスナー! みんなー!」
そんな彼らに、声がかけられた。
「サチ……?」
声の主に気づき、アスナが声を上げる――そう。彼らのもとへと駆けてくるのは、今しがた別れたばかりのサチであった。
「どうしたの……?
私達、何か忘れ物したっけ……?」
「う、ううん、そうじゃなくて……」
尋ねるアスナに答えると、サチは自分のウィンドウを操作して――アスナ達の側に、ウィンドウがポップした。
〔サチがパーティーへの加入を希望しています。受諾しますか?〕
パーティー結成の申請メッセージに微妙に似た文言――すでに結成済みのパーティーへの加入申請メッセージだ。
「サチ、これ……!?」
「う、うん……
お願い……私も一緒に行く! 連れて行って!」
「つ、連れて、って……でも、黒猫団は……!?」
「兼任で!」
聞き返すキリトだったが、サチは彼女にしては珍しくキッパリと即答した。
「というか……これ、みんなから勧められたんだ」
「ケイタ達から……?」
サチの言葉に、ジュンイチがもう姿が見えないほど遠くに離れた、黒猫団のギルドホームの方へと振り向く――と、ジュンイチのもとにメッセージが届いた。
《そろそろ、サチがそっちに追いついた頃かな?
いきなりのことで驚いてるだろうけど……実は、前々から考えていたことなんだ。相談し辛くて、結局こんな事後承諾みたいな感じになってゴメンな。
それで、なんでこんなことしたのかというと……まぁ、オレ達なりに、三人の力になりたかった、ってことなんだ。
前から思ってた。いつか三人はオレ達から離れて、本格的に攻略に戻る時が来る――その後、オレ達はお前らの力になることはできないのか、って……
再会を約束して、ただその背中を追いかける。それだけで、オレ達は本当にいいのか、って……
だから……黒猫団のみんなで話し合って、決めたんだ。
三人に鍛えてもらっていた間に一番成長したひとりを、三人の仲間に加えてもらおう、って。
三人といて一番伸びたヤツなら、きっと三人とも相性がいいだろうから、ついて行ってもすぐに足手まといにならなくなるんじゃないか、って。
それで……みんなで選んだのが、サチだった。
聞いたよ。例の竜人モンスターとの戦いで、サチは黒猫団の中で唯一真っ向から立ち向かったんだろう?
驚いたよ。怖がりでいつもビクビクしてたサチが、自分よりはるかに強い相手に向かっていったって言うんだから。
レベル的な意味じゃない。精神的なところで、サチはオレ達の中で一番成長した……だから、きっと三人の力になれると信じてる。
ジュンイチ、キリト、アスナ……三人にサチを、そしてオレ達の決意を託す。
オレ達が追いつくまで……サチを頼む》
「……アイツら……」
ケイタからの長文メッセージを読み終え、ジュンイチは思わず苦笑した。
見れば、キリトやアスナも自分と似たり寄ったりな感じだ。
となれば……
「…………サチ」
「う、うん?」
「黒猫団としてじゃなくて、オレ達のパーティーメンバーとして同行する――その意味が、わかってるんだろうな?」
「………………うん」
自分達について来るということは、攻略組の一員として最前線に立つということだ。今までの戦いとは比べ物にならない激戦が続くことになる――覚悟を問いただすジュンイチだったが、サチは静かに、だが明確な同意を示した。
「絶対に、みんなについていく。
みんなと一緒に戦えるように……強くなる」
「……上等。
最前線で戦っていけるように、今まで以上にしごいてやるからな、覚悟しとけよ」
「うん!」
ジュンイチの言葉の意味するところを理解し、サチが笑顔でうなずく――そんな彼女に笑みを返し、ジュンイチは加入申請のOKボタンをタッチする。
同時、ジュンイチ達の視認する情報に――上方のHPバーに新たな一本が追加される。それを確認すると、アスナは笑顔で告げた。
「それじゃあ……改めて、これからもよろしくね、サチ」
「うん……よろしく、アスナ」
互いに笑みを、言葉を交わし――二人はしっかりと握手を交し合った。
NEXT QUEST......
ある用事で第37階層の北部に広がる《迷いの森》を訪れたオレ達。
そんな中で、ジュンイチはシリカというビーストテイマーの女の子と出会う。
しかし、シリカは大切な使い魔を戦闘で失ってしまったのだという。
そこでオレ達は、使い魔を蘇らせることができるという、《思い出の丘》に行くことになる。
次回、ソードアート・ブレイカー、
「小さな友達」
(初版:2015/05/31)