2004年7月23日 第35階層・迷いの森――



「………………ふむ」
 システムを立ち上げ、メニュー画面に表示されている時刻を確認。キリトは軽くため息をついた。
「……どう思う?」
 視線を向け、傍らのアスナやサチに尋ねる。
「まず、迷った、って可能性はないわね。
 ちゃんと地図は持ってるはずだし……」
「モンスターにやられた、とも思えないよね……」
 顔を見合わせ、アスナやサチがそう返してくるが――二人とも苦笑まじりだ。おそらく二人とも、口にしないだけでキリトと同じ結論に至っているのだろう。
 つまり――
「……ジュンイチのヤツ、さては集合時間も忘れてモンスター相手に無双楽しんでるな……?」
 自分達が“ある目的”のためにこの森を訪れ、ソロで挑んでも十分すぎるほどの備えと安全マージンがあったことから手分けして探索に乗り出したのが今日の昼過ぎのこと。
 そして陽も傾いた頃、集合時間となり集合場所に指定していたこの場に戻ってきたのだが、そこにいたのはアスナとサチの二人だけ。
 すでに陽はすっかり沈んでしまっているが、それでもジュンイチが現れる気配はない。
「まったく……これは帰ったらソードスキルの練習台の刑ね」
「あ、あはは……」
 『刑』と言ってる時点で『練習台』じゃない――つぶやくアスナの言葉にそんなことを考えるサチだったが口にはしない。そんなどうでもいいことにツッコんでアスナとケンカしたくはない。
「けど……マジメな話、遅いぞ、本当に……
 まさか、本当に何かあったんじゃ……」
「でも、ジュンイチくんに限ってトラブルなんて……」
 だが、そんなバカ話も冗談でなくなってくるほど、ジュンイチの合流は遅れていた。さすがに不安をにじませ始めたキリトにアスナも同様の不安を振り払うかのように答えて――
「……ひょっとしたら……“見つけた”のかも……」
『――――――っ!』
 ポツリ、とつぶやいたサチの言葉に、キリトとアスナは思わず顔を見合わせる。
「確かに……その可能性を忘れてた」
「だとすると……間違いなく先走るよね、ジュンイチくんの場合。
 どうする? 誰かこの場に残して、探しに行く?」
 うめくキリトにアスナが尋ねた、その時だった。
 彼らの目の前の空間のゆらぎ――この迷いの森の名の由来である、一定時間毎にランダムに転送先を変える転送ポイントの揺らめきが大きくなった。
 誰かが転送されてくる兆候だ。「ひょっとしたら」とキリト達三人が注目する中、彼らの予想通りジュンイチが姿を見せて――
「悪い、みんな。
 この子のガードしながらだったから、遅くなった」
 現れたのはジュンイチひとりではなかった。
 ひとりの女性プレイヤーも一緒だった。見たところ12、3歳くらいのその子は、すっかり意気消沈した状態でジュンイチの後に続いて姿を現す。
 その女の子を見て、キリト達三人は顔を見合わせて――
「…………よし、サチ。すぐに《軍》に通報。
 小さい女の子に手を出した不届きなプレイヤーがいるって」
「うん」
「じゃあ私はキリトくんと二人で犯人確保ね」
「よーし。
 お前ら全員その場に正座な」
 即座に自分を特殊な趣味の性犯罪者に仕立て上げたキリト達三人に、ジュンイチはこめかみを引きつらせながらツッコミを入れた。

 

 


 

Quest.11

小さな友達

 


 

 

 きっかけは、些細な意地の張り合いだった。
 つい先日誘われたばかりのパーティーとこの迷いの森に冒険に出かけ、モンスターを相手に荒稼ぎ。さて帰ろうかというその段階になり、帰還後のアイテム分配についてちょっとした口論になったのだ。

『帰還後のアイテム分配なんだけど、あんたはそのトカゲが回復してくれるんだから、回復結晶はいらないわよね?』

 開戦の狼煙となったのは、細身で長槍を装備したもうひとりの女性プレイヤーのそんな一言だった。
 『トカゲ』というのは、少女の使役テイムしている小さなドラゴン型モンスターのことだ。
 種族名は《フェザーリドラ》。少女は現実世界で飼っていた猫の名を贈り、“ピナ”と呼んでいる。
 直接の戦闘能力こそ高くはないものの、回復ヒールにかく乱にと実に優秀なサポート能力を持っている。加えてかなりのレアモンスターであることも加わって、飼い馴らしテイムに成功した少女は中間層のプレイヤー達の間ではちょっとした有名人であった。
 まだ十三歳と歳若い少女にとって、その人気は決して良い刺激とは言えなかった。持ち上げられるのが当然のことだと思い上がるまでに大した時間はかからず――

『そう言うあなたこそ、ろくに前面にも出ないで後ろをちょろちょろしてばっかりなんだから、クリスタルなんていらないじゃないですか!』

 結果、自分を差し置いて回復結晶を手にしようとした女性プレイヤーに、ムキになって言い返していた。
 そうなると後はまさに“売り言葉に買い言葉”状態。他のパーティーメンバーの仲裁も虚しく両者の口論はエスカレートの一途をたどり――とうとう少女は言い放った。

『わかりました。
 アイテムなんかいりません! もうあなたとは絶対に組まない!
 あたしを欲しいって言うパーティーは、他にも山ほどあるんですからね!』

 事実上のパーティー離脱宣言――そのままの勢いでパーティーから正式に離脱。危ないからせめて街に戻るまでは一緒にと引き止めるパーティーのリーダーの声にも耳を貸さず、少女は彼らから離れて森の枝道に飛び込んでいった。
 別にソロでも戦力的な不足は感じなかった。あちこちのパーティーに誘われ、ほうぼうのフィールドに冒険に出ていた少女は攻略組にこそ及ばないものの、中間層プレイヤーの中ではトッププレイヤーの一角に名を連ねるほどの高レベルに達していたからだ。
 主武装である短剣に関連するスキルも七割がたをマスターし、さらにピナの助けもある。別に彼らの助けなどなくても、第35層程度のモンスターに遅れを取ることなどめったなことではあり得ない。難なく最寄の街まで戻れる――はずであった。
 ただ一点――



 ここが“迷いの”森である、ということを忘れてさえいなければ。



 一面をうっそうと生い茂る深い森で構成されたこのフィールドは碁盤状に数百のエリアへと分割されている。そして各エリアの境目は転送ポイントとなっており、一分ごとにランダムにその転送先を変えるよう設定されている。
 もちろん、あっさり転送脱出などされてしまっては『迷いの森』の名折れだ。当然のように全域で転送系アイテムが特殊な働きをするように設定されており、この中でテレポートしようとしてもランダムに森のどこかのエリアに飛ばされるようになっている。うかつなテレポートはますます自分の現在位置をわからなくしてしまうだけなのだ。
 したがって、徒歩での脱出を余儀なくされたプレイヤー達の取り得る手段は専用の地図アイテム(冒頭でアスナが言っていた『地図』がこれにあたる)を街のプレイヤーショップで購入、各エリアの連結を確認しながら進むしかない。
 だが、チヤホヤされることに慣れきっていた彼女は地図アイテムについてもパーティーメンバーに任せきりで自分で所持したりはしていなかった。
 結果、少女が現在位置すら把握できなくなり、完全に遭難するまで、大した時間はかからなかった。
 もうこうなると、運良く森の外れのエリアに転送されるのを期待して移動し続けるしかない。あてもなくさまよい続けるが、そんな彼女をモンスター達が放っておいてくれるはずもない。
 転送するたびに期待を裏切られ、さらに次々に襲いかかってくるモンスター。気づけば、少女は緊急用のものも含めたすべての回復アイテムを使い切り、さらに精神的にも消耗しきっていた。
 彼女の不安を察したのか、肩の上に乗っているピナが頬に顔をすり寄せてくる――大丈夫だよ、とその頭を少女がなでてやった、その時だった。
 突然ピナが顔を上げ、低い声でうなり始める――警戒している。
 その意味を正しく理解し、少女は短剣を抜き放ち――それは現れた。
 《ドランクエイプ》。この迷いの森ではフィールドボスに次ぐ強さを誇る上位モンスターだ。
 それが三体――とはいえ、レベル的にはそれほど危ない相手ではなかった。
 “酔っ払いドランク”の名の通り、手には酒瓶、もう一方の手に棍棒を持っている――その棍棒から繰り出されるメイス系ソードスキルが主な攻撃手段だが、高い腕力値任せに繰り出してくるばかりでスキル自体は低レベルのものばかり。当たりさえしなければ大した相手ではない。
 先頭の一匹に先手必勝とばかりに高威力のソードスキルを叩き込み、そこから低威力・速度重視の連撃系スキルにつないで一気にHPを削る。反撃が来たので一度後退し、空振りしたところに再度突撃――あっという間に一匹目を瀕死に追い込み、いざトドメを刺そうとした、その時だった。
 一匹目の反撃からスイッチし、二匹目のドランクエイプが襲いかかってきた。とはいえ対応できない攻撃ではなく、冷静に後退して一撃をやりすごす――が、落ち着いていられたのはそこまでだった。
 なんとか二匹目をやり過ごして先に一匹目を、そう考え、一匹目のドランクエイプに視線を向けた少女は信じられないものを見た。
 手にした酒瓶の中身をあおる一匹目のドランクエイプ――そのHPバーが見る見るうちに回復しているのだ。
 あの酒瓶の中身は――
(回復薬!?)
 今までずっとパーティー単位で動いていた彼女は、遭遇したドランクエイプはパーティープレイをもって回復のヒマなど与えず殲滅してきた。それ故にこのモンスターに回復手段があることを少女は知らなかったのだ。
 早く一匹目にトドメを刺したいところだが、目の前の二匹目がそれを許してくれそうにない。仕方なく、二匹目のHPを削りにかかる。
 だが、後一歩で二匹目を倒せるというところでまたしても、今度は三匹目に割り込まれた。
 このまま入れ替わり立ち代り、回復しながら攻め立ててくるつもりか。これではキリがない――少女の脳裏に焦りが募る。
 そして焦りはそのまま動きに現れる。ミスアタックが増えていき、さらに回避においてもきわどい攻撃が襲いかかってくる。 
 じわじわと、だが決定的なところまで追い込まれていく――とうとう、ドランクエイプの攻撃をかわしきれずにもらってしまった。
 クリーンヒットでないにもかかわらずHPバーが一気に三分の一近くも減少し、思いもよらないダメージ量に背筋が凍る――ピナの回復ヒールアシストで回復できるのはせいぜい一割。そうそう何度も使えるものではないし、回復アイテムもすでに尽きている。
 一方、スイッチの合間に回復を繰り返していたドランクエイプは全員のHPがほぼフル回復状態。このままでは――やられる。
「――――――っ」
 その可能性が脳裏をよぎった瞬間、少女の身体が強張る――言うまでもなく、恐怖によって。
 ずっと十分な安全マージンを保ち、パーティーに誘ってくるプレイヤー達にチヤホヤされてきた少女にとって、SAOでの戦いはスリルこそあっても死の危険を感じるようなものではなかった。
 だが今は守ってくれるプレイヤーはどこにもいない。その場にいるのは自分と小さな相棒を除けば自分の命を奪おうと迫るモンスターだけ。
 初めて感じる、本当の死の恐怖を前に身がすくむ――生死をかけた戦いの渦中に、周りに甘えた中途半端な心がまえのまま身を投じ続けてきたツケが、ここにきて少女に支払いを求めてきていた。
 逃げなければならない。走って逃げることも、ランダム転送のリスクをとってでも転移結晶で離脱することも、今ならまだできる――しかし、恐怖に押しつぶされ、考えることのできなくなった少女には、ただ自分の命を叩きつぶそうとする棍棒を呆然と見上げることしかできなかった。
 赤いエフェクト光を伴い、棍棒が振り下ろされ――



 ぐしゃり、と何かがつぶれる音が――“少女の目の前で”響いた。



 飛び込んできた真っ青な何かが棍棒へと突っ込み、叩き落とされる――それが自分をかばった相棒だったと気づくのに、若干の時間を要した。
「…………ピナ!」
 もうドランクエイプのことなど眼中になかった。自分にも死が迫っていることも忘れ、大地に叩きつけられたピナへと駆け寄る。
 その身を抱き上げる少女の腕の中で、申し訳程度に残っていたピナのHPバーが完全に消滅する。くるぅ……と苦しげな、かすかな鳴き声がその口からもれて――その身体は、輝く無数のポリゴンの破片となって砕け散った。
「……ピナ……っ!」
 ただひとつ、長い尾羽だけが残り、少女の手の中に舞い落ちる――その尾羽に、少女の目からこぼれた涙が落ちる。
 もはや、少女に抗う意志は一片も残されていなかった。このデスゲームが始まってから一年、ずっと半身のように付き添ってきた相棒――否、友達を失い、少女の心にはぽっかりと穴が開いてしまった。
 糸の切れた人形のようにその場に座り込んでしまった少女に向け、ドランクエイプが棍棒を振り下ろし――







 “大地を”叩いていた。







「………………え?」
 何が起きたのか、最初はわからなかった。
 感じたのは唯一、移動に伴う強烈な慣性だけ――我に返った時には、少女の目には棍棒を地面に叩きつけたドランクエイプの姿が映っていた。
 少し遅れて、気づく。自分が今、何か――誰かに抱きかかえられていることに。
「すべり込みセーフと言うべきか、すべり込みアウトと言うべきか……」
 そんな言葉と共に、少女の身体が地面に下ろされる。自分を救ってくれた誰か、その顔を呆然と少女が見上げて――
「間に合わなかった罪悪感もあるからね……
 お前が望むなら……“友達”の敵討ち、今なら無料で引き受けてあげるけど?」
 希望の有無に関わりなく、すでにドランクエイプを殲滅する気マンマンのジュンイチが、少女に向けてそう告げた。







「……大丈夫か?」
 ジュンイチがドランクエイプを片づけるのに一分もかからなかった。言って、一仕事終えたジュンイチは少女に向けて手を差し出した。
「改めて……ごめん。
 お前の友達、助けられなかった。もうちょっと早く駆けつけられればよかったんだけど……」
「いえ……ありがとうございます、助けてくれて……」
 謝罪するジュンイチに答えて、少女はその手を取って立ち上がる。
 と――少女の手に残された尾羽が目に入った。気になり、少女に尋ねる。
「なぁ、その尾羽……」
「……ピナ、です……
 あたしをかばって、さっきのモンスターの攻撃を受けて……」
 その光景は、駆けつける途上で見た――改めて間に合わなかったことを痛感させられるが、同時に驚いてもいた。
 本来、使い魔、すなわち使役されたモンスターのAIは飼い主のサポートを第一に設定されている。HPが減れば回復し、攻撃に打って出たなら援護する、といった具合にだ。
 重要なのは、“プレイヤーの行動ないし状態変化に応じた行動を取る”という点だ――先ほど見たように、棒立ちのプレイヤーを守るために使い魔が行動を起こした事例など、情報屋アルゴに“超上得意”と言わしめるほど情報を集めまくっているジュンイチですら聞いたことがなかった。
 いったいこの少女は、使い魔にどれだけの愛情を注ぎ込んでいたのだろう。自分に向けられた愛情を使い魔のAIが学習し、彼女のために命を投げ出すまでに育つとは――そんな考えが頭をよぎり、ますます救出が間に合わなかった自分を殴り飛ばしたくなる。
 ただ、気になることがひとつ――
(死亡して、その尾羽だけが残った……
 まさか、ドロップアイテム……?)
「なぁ、その尾羽、アイテム名とか設定されてないか?」
 ジュンイチに問われ、少女は恐る恐る尾羽を確認する。
 と、ウィンドウがポップし、ただ一言表示される。
 アイテム名――《ピナの心》。
 改めてピナが死んだと思い知らされ、少女の目に涙があふれて――
「よし、《心》か」
 対するジュンイチは、なぜか満足げにうなずいてみせた。
「《形見》だったらどうしようかと思ってたけど……“助かった”。
 安心しろ。まだ望みはある」
「え………………?」
「最近わかったことなんだけどな……人間のプレイヤーと違って、使い魔には蘇生の手段があるんだよ」
「えぇっ!?」
 使い魔の蘇生――その言葉を聞いたとたん、少女は思わずジュンイチに詰め寄っていた。
「生き返るんですか!?」
「あ、あぁ……
 47層に《思い出の丘》っていうフィールドダンジョンがあるんだけどな、その奥で手に入る花っていうのが、使い魔蘇生のアイテムらしいんだ。
 ビーストテイマーが行かないと手に入らないっていう話だから、オレ達もまだ現物は見たことないんだけど……」
「……47層……」
 だが、降ってわいた希望はたちどころに霧散する――47層。シリカの今のレベルは44。安全マージンどころか攻略適正レベルにすら達していないことになる。挑むにはあまりにも危険が大きすぎた。
「……でも、教えてくれてありがとうございます。
 今はムリでも、レベルを上げて……」
「残念ながら、そうも言ってられないんだよ」
 それでも、わずかながらに希望が出てきた――告げる少女だったが、ジュンイチは首を左右に振った。
「人間と違って蘇生手段があるとは言っても、簡単な話じゃない――時間制限があるんだ。
 使い魔の死亡から三日以内……それをすぎると、アイテム名の『心』の部分が『形見』に変化して……」
「そんな……」
 アイテム名が『形見』になる――その名の意味するところは明白だった。
 レベルも足りなければ、そのレベルを補うための時間もない。もういっそのこと、わずかな生存の可能性に賭けて今すぐにでも挑戦しようかとも考えるが――
「……よし、“じゃあ、行こうか”」
 言って――ジュンイチは少女の肩を軽く叩いた。
「え…………?」
「47層。
 お前の友達を生き返らせに行くんだろ?」
 不思議そうに顔を上げる少女に、ジュンイチは何を当たり前のことをと言わんばかりの様子でそう答える。
「それとも……行かない?」
「あ、その、えっと……」
「……とにかく、どう決断するにしても、まずは安全なところへ、だな。
 この森にはオレの仲間も来てる。まずはそいつらと合流して……そこで改めてお前の選択を聞かせてくれや」
 言って、ジュンイチは少女に向けて右手を差し出し、
「オレはジュンイチ。よろしく」
「あ、あたしは……シリカ、です……」
 名乗るジュンイチに自らも名乗り、少女――シリカは彼の手を握り返した。



   ◇



「…………と、いうワケだ」
「なるほどな……」
 説明を締めくくったジュンイチの言葉に、キリトが腕組みしてうなずく――正座させられたままで。
「レベル44で47層か……パラメータは補正値の高い装備で底上げすればなんとかなりそうね」
「安全マージン分がないのは、私達でガードしてあげればいいよね……?」
 一方でアスナとサチも自分達の取るべき行動を話し合い始める――正座させられたままで。
「ん。アスナとサチの案、採用。
 まずは装備でパラメータにドーピングかますとして……」
 言って、ジュンイチがメニューを操作して――シリカの目の前に新たなウィンドウがポップした。
 アイテムを交換するためのトレードウィンドウだ。《シルバースレッド・アーマー》だの《イーボン・ダガー》だの、シリカが見たこともないアイテムがズラズラと羅列されていく。
 その内容の未知っぷりにも驚いたが、その詳細を見て改めて驚く――プレイヤーショップでの購入価格を示す販売価格の欄が線一本で消されている。なんと、ジュンイチがトレードウィンドウに放り込んだアイテムはそのすべてが非売品のレアアイテムだったのだ。
「この装備で5、6レベル分はパラメータをごまかせるはずだ。
 後は、オレ達がガードにつけばなんとかなるだろう」
 言って、ジュンイチはシリカへと視線を向け、
「さて……それじゃあ、答えを聞かせてもらおうか」
「こ、答え……?」
「お前の友達を助けに行く上で……ひとりで行くか、オレ達と一緒に行くか」
 聞き返すシリカに、ジュンイチが答える。
 つまり――彼はこう聞いているのだ。
 この装備を受け取り、自分達と一緒に《思い出の丘》に挑むか、それとも今のままの装備とレベルで、たったひとりで挑むのか、と。
 単純に安全性だけを考えるなら、提案に乗るのが最善だろう。(レアリティ、補正値、両方の意味で)自分ではとうてい手に入りそうにない、優秀な装備をごっそり分けてもらった上に、明らかに自分よりもレベルの高いプレイヤーのパーティーに護衛までしてもらえるのだから。
 だが――不安がないワケではなかった。
「なんで……そこまでしてくれるんですか?」
 そう。ジュンイチがそこまでしてくれる、その理由がわからない。
 ついさっきまで、自分とジュンイチはまるで面識のない他人同士だったのだ。発言の端々ににじませる“ピナを守れなかった罪悪感”によるものだとしても、ここまでしてくれるというのは――
 そんな疑問をぬぐいきれないシリカの問いに、ジュンイチは迷うことなく即答した。
「決まってる。
 オレにだってメリットのある話だからだよ」
 キッパリと言い切るジュンイチの言葉に、シリカの表情に落胆の色が浮かんだ。
(あぁ、やっぱりそうなんだ……)
 今までだって、有名プレイヤーであるシリカと組むことで自分のパーティーに伯をつけようと考え、声をかけてくるプレイヤーは数多くいた。
 そして、そのために自分と親密な関係になろうと考えるプレイヤー達も――自分よりはるかに年上のプレイヤーに言い寄られたことは何度もあったし、一度は求婚すらされたこともある。
 だが、当然ながらまだ十三歳のシリカにとっては恋愛など興味はあれどもハードルの高い話であった。そんなことをされてもプレッシャーになるだけ――そうした下心のありそうなプレイヤーを避けるようになるのに、大した時間はかからなかった。
 ジュンイチが自分を助けてくれたのも、協力してくれるのも、そんな下心からだったのかと、あきらめにも似た想いがシリカの胸をしめつけて――
「……シリカ」
 そんなシリカの肩を、ジュンイチはがっしとつかまえた。
「………………っ」
 恐怖が全身を突き抜け、その身が強張る――息を呑むシリカをじっと見つめ、ジュンイチは告げた。
「頼む。
 この一件が落着して、無事キミの竜が生き返ったら……」



「好きなだけ、キミ“の竜を”愛でさせて!」



「………………はい?」
「だから、キミの竜……ピナだっけ? 蘇生に成功したら、なでさせてもらっていい?」
 何か、自分の予想の斜め上――斜めに傾きすぎてグルリと一周したんじゃないかというぐらいのフレーズがあった気がする。思わず目がテンになるシリカに、ジュンイチは改めてそう尋ねた。
 …………ものすごく目が輝いている。まるで自分と同年代、いや、むしろもっと年下の子供のように。
 チラリと、視線を傍らのキリトとアスナ、サチに向ける――三人にとってもこの展開は予想外だったのか、呆気に取られたような顔でジュンイチを見ている。
「あー、えっと……ジュンイチ?
 ひょっとして、お前の言う“メリット”って……その子の、使い魔か……?」
「あたぼうよっ!」
 キリトの問いにノータイムが答えが返ってくる。
「お前らは見てないからわかんないだろうけど、遠目に見てもすっげぇかわいかったんだよ、この子の使い魔!
 あんなかわいい小動物をむざむざ死なせていいとでも!? 否! 断じて否! このまま死なせておいていいはずがないっ!」
 身を翻し、腕を振り、オーバーにもほどがある動きで演説する。完全にテンションがおかしなことになっている。
「と、いうワケで生き返ったピナと遊ばせてくれ。それがオレが求める“報酬”だ。
 えっと……ダメ、かな?」
「あ、その……ピナが嫌がらなければ、かまいませんけど……」
「よっしゃあぁぁぁぁぁっ!」
 答えるシリカの答えに、ジュンイチは天を仰いでガッツポーズ。
「うしっ、交渉成立!
 そうと決まればさっそく行動開始だ! 今日はひとまず休んで、明日の朝一で47層に殴り込むぞ!」
 上機嫌のジュンイチは、一同の先頭に立って森の出口を目指して歩き出す。半ば引っ張られるようにその後に続き、シリカはようやく正座から解放され、となりに追いついてきたキリトに声をかけた。
「えっと……
 ジュンイチさんって、もしかして……」
「ジュンイチ……小動物大好きだったんだな……オレ達も初めて知ったよ」
 苦笑まじりに答えが返ってくる。
「ただ……あぁなったら、キミの使い魔の蘇生については安心していいよ。
 ジュンイチの“暴走”は筋金入りだからな……“あぁ”なったら、良くも悪くも目的を果たすまでは止まらないから」
「そ、そのコメントは、安心していいのか悪いのか判断に困るんですけど……」
「大丈夫。その評価は正しいわよ。
 元々ジュンイチくん自身、あらゆる意味で判断に困る人間だから」
「まだ一緒に旅してそんなに経ってないけど、とことん行動が読めない人だってことはよくわかったよ……」
 アスナやサチからも微妙極まりない評価が返ってくる。ジュンイチの評価どころか今この場でのコメントにすら困り、シリカは前を歩くジュンイチへと視線を戻した。
 確かに、何を考えているのかわからない、そんな人に見えるが――
(それでも……悪い人じゃ、ないよね……)
 なぜかはわからないが――その一点だけは、強く確信を持つことができた。



   ◇



2004年7月23日 第35階層・ミーシェ――



「おやおや、ずいぶんとにぎやかになっちまって、まぁ……」
 第35階層の主街区、ミーシェに到着し、ジュンイチが最初にもらした感想がそれだった。
 それほど大きな街ではないのだが、現在はこの第35階層が中級プレイヤー達の主戦場となっているためか、かなりのにぎわいぶりを見せている。
「すごい人だな……」
「私達が前に来た時は、こんなににぎやかな街じゃなかったのにね」
「あの頃はまだエリア解放前で暑かったし、この街も攻略組の人達ばっかりだったから……」
 キリトやアスナ、サチも自分達の記憶とあまりにも違いすぎる街の様子に驚きを隠せないでいる――自分達が前に滞在した時は最前線だったこともあり、殺気だった攻略組がウロウロする殺伐とした雰囲気だったのだが、いやはや変われば変わるものだ。
「そっか……ここもエリアで言えば第三エリアだもんな。
 クォーターポイントを抜けた後だった上に、第2エリアが“アレ”だったもんな……おかげでエリアを突破して気が抜けたんだろうな。31層とか、このエリアに入ったばっかりの頃はキツかったよなー」
「……クォーターポイント?」
「そっか……何層も続く“エリア”と違って、クォーターポイントは一層一戦限りだもんな。ずっと中間層にいたシリカは知らんか」
 聞き慣れない単語に首をかしげるシリカに、ジュンイチは納得し、説明ついでに聞き返した。
「えっと……シリカはこのアインクラッドの“区分け”についてどのくらい知ってる?」
「んと……まず、各階層……ですよね? アインクラッド、全100層……
 それから、15階層ごとにフィールドのテーマ、というか、特徴の方向性が決まっていて、そういう同一テーマの階層、15層をひとまとめにして“エリア”って呼んでるんですよね……?」
「あぁ。
 モンスターとのエンカウント率が高く設定されていた、“野性”をテーマにした第15層までの第一エリア。
 迷宮区の複雑さが半端なくて、フィールドにも某配管工もビックリな仕掛けやアスレチックが盛りだくさんだった第30層までの第二エリアは“冒険”。
 そして今オレ達のいる、第45層までの第三エリアは“灼熱”。総じて気温の高いエリアだったし、解放された今でも砂漠だの火山だの熱帯だの、とにかく“暑さ”をテーマにしたフィールドが多く残ってる。
 さっきまでいた迷いの森も、解放前はジメジメムシムシした熱帯雨林だったんだぜ」
「そうなんですか?
 でも、今日巡った限りじゃ普通の森だったんですけど……」
「各エリアは、踏破するとクリアボーナスでテーマによる縛りがゆるくなるんだよ」
 聞き返すシリカにはキリトが答えた。
「たとえば第一エリアはモンスターとのエンカウント率が以降のエリアと同等くらいまで下がって、さらに獲得資金と経験値が上積みされるようになった。
 第二エリアはフィールドの難度こそ変わってないけど、致死性を始めとする仕掛けに引っかかった時のペナルティがゆるくなった。
 で、第三エリアは気候が普通になった……まぁ、それだけなんだけど、解放前を知ってると、体感温度が並に戻ってくれるだけでもずいぶんありがたいよ、うん」
「ちなみに明日乗り込む47層はついこの間解放されたばかりの第四エリア。
 解放前は極寒地帯でな……今だから言うけど、15層も氷漬けの世界が続くと思ったら正直泣きたくなったぞ、オレは」
「第三エリアが暑かった分、余計にね」
 キリトの説明に付け加えるジュンイチの言葉に、となりでサチが苦笑する。
「今の最前線はどうなんですか?」
「第五エリアか?
 まぁ、最前線はまだ62層。それほど進んじゃいないからどうとも言えないけど、パッと見の印象で言えば“西部劇”……かな? まさにあんな感じ」
「あー、確かに。
 主街区の街並みこそ今までどおりだけど、フィールドのあの荒野っぷりはそんな感じだよな」
 シリカの問いにキリトと二人で答え――ジュンイチはコホン、と咳払いして本題に入った。
「ま、そういう“エリア”の区分けとは別に、25層ごとに攻略の節目とも言える“クォーターポイント”と呼ばれる階層が待ってる」
「あぁ……25層ごとだから、“四分の一クォーター”……」
 納得するシリカに、ジュンイチがうなずく。
「階層の特色こそそのエリアに準じてるけど、ボスの強さが半端じゃないんだ。
 25層も50層も、攻略に際して大きな被害が出てる――特に25層なんて、ちょっとしたトラブルから何の備えもないまま戦うハメになっちまってな……偶然共闘することになった《ALF》なんか、攻略からドロップアウトせざるを得なくなるほどの被害を受けた。
 50層も、あらかじめ覚悟を決めて挑戦したっていうのに、そんなこっちの備えを跳ね返すくらい強いボスだったもんな……」
「はぁ……」
 話している内に、一行は街の正門から続くメインストリートを抜け、転移門広場に出た――回復アイテムが尽きているのを思い出し、補充してきますと断りを入れて露天商のもとに向かうシリカだったが、そんな彼女の姿を目ざとく見つけた顔見知りのプレイヤー達が声をかけてきた。シリカがフリーになったと早々に聞きつけ、さっそく自分達のパーティーにと勧誘するつもりなのだ。
「あ、あの、お気持ちは大変ありがたいんですけど……」
 イヤミにならないよう気をつけながら丁寧に断るシリカだったが、勧誘は次から次にやってきてキリがない。どうしたものかと困り果てていると、
「んー? どうした、シリカ。
 回復アイテム、売り切れてんのか?」
 そんなシリカに気づき、ジュンイチがどうかしたのかと声をかけてきた。これは幸いと、シリカは思わず彼の手を取り、
「し、しばらくこの人とパーティーを組むことにしたので……」
 その言葉に、プレイヤー達の約半数から落胆の声が上がるが――残りの約半数からは、訝しげな視線がジュンイチへと向けられる。
「おい、あんた」
 中には、ジュンイチに直接凄みを利かせてくる者まで現れた――もっとも熱心に勧誘してきていた両手剣使いの男がジュンイチをにらみつけてくる。相手の方が背が高いので、ジュンイチを頭から見下ろす形だ。
「見ない顔だけど、抜け駆けはやめてもらいたいな。オレらはずっと前から声をかけてるんだぜ」
「『声をかけてる』? 『断られてる』って言えよ、正直にさ」
 だが、そんな程度で腰が引けるジュンイチではない。逆に男を見返し、不敵な笑みと共にそう返す。
「どれだけ声をかけてようが関係ない。口説き落とせた者の勝ち――それがスカウト合戦ヘッドハンティングってもんだ。
 お前らの熱意ばかり押しつけて相手のことを考えないからそうなる――今この瞬間、自分達がシリカを困らせていることに気づけていない時点で、アンタらがフられるのも当然だ」
「なんだと!?」
「怒るな怒るな。シリカが怖がるぞー」
「ぐ…………っ」
 ジュンイチにあっさりと返され――シリカの名を出されて、男はぐっと怒りを押し込める。
「もう一度、ハッキリ言ってやる――フられたんだよ、おたくらは。
 遠回しに断られてる内に、素直に引っ込んでおくことをオススメするよ――正真正銘、この子に嫌われたくなければね」
「ぐぬぬぬぬ……っ!」
 反論できず、食い下がることにすら釘を刺され、男の顔が行き場のない怒りで真っ赤になる――かまうことなく、ジュンイチはシリカの手を引いてその場を離れた。回復アイテムは後で買うことにして、キリト達と合流する。
「すみません、迷惑かけちゃって」
「いいよ、気にしなくて」
 軽く手を振ってシリカに答えるが、それでもシリカはどこか申し訳なそうにしている――話題を明るい方向に持っていけないかと、ジュンイチに代わってキリトが声をかける。
「それにしても、人気者なんだな、シリカって」
「そんなことないです。マスコット代わりに誘われてるだけですよ、きっと。
 それなのに、あたしいい気になっちゃって……“竜使いシリカ”なんて言われて、調子に乗って……そのせいで、ピナは……」
 話題転換失敗。涙ぐむシリカの傍らで、キリトがアスナにしばかれた。
「大丈夫。必ずピナは生き返るから」
「はい……」
 サチの言葉にシリカがうなずく――そのままメインストリートを歩くことしばし、行く手にシリカが逗留している宿屋《風見鶏亭》が見えてきた。
 と――そこに至ってシリカは何の説明もしないままジュンイチ達をここまで連れてきてしまったことに気づいた。
「あの、みなさんのホームって……」
「今は50層のアルゲート。
 まぁ、ホームって言っても宿屋を長期契約してるだけだし……どうせだから、オレ達もここに泊まろうかな。今からアルゲートまで戻るのもめんどくせぇ」
「そうですか!」
 ジュンイチの答えに、シリカの表情が輝く――「シリカが寂しがるだろうと気を回したんだろうなぁ」とアスナは察するが、指摘してもどうせシラを切るだろうから黙っておく。
「ここ、チーズケーキが美味しいんですよ!」
 言いながら、一行を先導して宿屋に入ろうとした、その時だった。
「あら、シリカじゃない」
 声をかけられ、振り向く――そこには、今一番顔を見たくない相手がいた。
 昼間ケンカ別れしたパーティーだ――もちろん、「顔を見たくない」のは全員ではなく、直接モメたケンカ相手の女性プレイヤーに限定されるのだが。
「へぇ〜ぇ、森から脱出できたんだ。よかったわね」
「えぇ、おかげさまで――急いでますから」
 かまうことなく宿屋に入ろうとする――が、相手の方が逃がしてくれなかった。シリカの肩が空いているのを目ざとく見つけ、目を細めた。
「あら、あのトカゲ、どうしちゃったの? ひょっとして……」
「…………死にました。
 けどっ!」
 一瞬唇をかむ――しかし、すぐにシリカは女性プレイヤーをにらみつけた。
「ピナは、絶対に生き返らせます!」
「へぇ……」
 そんなシリカの宣言に、女性プレイヤーは小さく口笛を吹く。
「ってことは、《思い出の丘》に行くつもりなんだ。
 でも、あんたのレベルで攻略できるの?」
「…………っ」
 女性プレイヤーの返しに、シリカは思わず口ごもり――



「できるさ」



 そう断言したのはジュンイチだった。
「階層こそこの子のレベルで挑むには高めだけど、《思い出の丘》自体は大した難易度じゃない。
 エリア解放後で攻略しやすいこともあるし……今のレベルでも、シリカの実力なら十分に攻略できるさ」
「ふぅん……?」
「あ、その目は信じてないな。
 悪いがガチで言ってるぜ――シリカならいける。断言できるね、これは」
「ずいぶんと持ち上げるじゃない。
 さてはアンタもその子にたらし込まれたクチかしら?」
「失礼な。人をロリコンみたいに言わないでくれるか、ロザリアさんよ」
「傍から見たらモロなんだけどなー」
 背後で余計なことをほざいたキリトには背を向けたまま蹴りを一発。
「ふんっ、まぁ、せいぜいがんばることね」
 言って、ロザリアと呼ばれたプレイヤーはきびすを返して立ち去る――見送ることなく、ジュンイチ達も改めて宿に入っていくが、
(…………あれ?)
 ふと、シリカは気づいた。
(あたし……ジュンイチさんに、ロザリアさんの名前教えたっけ?)



   ◇



 多くの宿屋の例にもれず、風見鶏亭の一階は非宿泊者も利用可能なレストランになっていた。NPCの受付を相手に手早くチェックインを済ませて、ジュンイチ達は先に食事を済ませることにした。
「すみません。
 あたしのせいで、ロザリアさんにまで絡まれて……」
「あーあー、気にすんな。
 立ち位置的に、あぁいうやっかみ屋には慣れてるからな」
 最初に、先のロザリアとのにらみ合いで不愉快な想いをさせてしまったと謝るシリカだったが、ジュンイチは本当にどこ吹く風と言った様子でそう答える。
「……どうして、あんな意地悪言うのかな……?」
 だが、それでもシリカは申し訳なさをぬぐいきれないようだ。ポツリとつぶやき――ジュンイチはサラリと一言。
「あー、そりゃきっとアレだな。お前のかわいさに嫉妬してんだよ」
「か、かわっ!?」
「……とまぁ、冗談はさておき」
 唐突な一言に、シリカの顔が真っ赤に染まる。そんな彼女に「からかい成功」とばかりに意地悪く笑い――不意にその笑みを引っ込め、ジュンイチはマジメな口調で話し始めた。
「確か、13歳……だよな、シリカは。
 ってことは、MMOは、このSAOが……?」
「はい……初めてです」
「初めて触れるMMOがデスゲームって、どういう引きの悪さだよ……いや、その不運の反動でピナに会える幸運に恵まれたと見るべきか……?」
 思わずうめくが――よく考えたら自分達のパーティーにはMMOどころかゲーム自体初めてだった“不幸の一番星アスナ”がいたことを思い出して、「実は案外よくある例なのか?」などとチラリと考える。
「とりあえず、その辺については後々議論するとして……とにかく、ストーリーにそって行動していくことになる従来のRPGと違って、こういうプレイヤーが好きに生きられる類のゲームになると、プレイ時に人格の変わるプレイヤーは多い。
 ゲーム内なら、たいていの不法行為はお咎めなしだからな。リアルではしっかり働いてる良心のタガが簡単に外れちまうんだよ。
 ロザリアも、その手の“タガが外れた”クチなんだろうな。案外、リアルじゃすんげーおとなしい女性だったのかもな」
 ジュンイチの真剣な表情に、シリカもまじめに彼の話に聞き入っている。
「ただ――SAOの場合、その傾向が特にひどい。
 ムダにリアルすぎるのが、ことこの手の話においては完全にマイナスに働いてる――何をやろうが現実世界と何ら実感が変わらない上に“あくまでゲーム内でのこと”っていう免罪符まであるんだ。悪意に酔いしれて、オレンジやレッドに堕ちることも厭わないプレイヤーが多すぎる」
 気づけば、ジュンイチは強く拳を握りしめていて――
「オレだって、ある意味ソイツらと同類だよ。
 オレの場合、リアルの方でいろいろと“しでかした”後悔があるから、なんとかこっち側に踏みとどまっていられるだけで……もし、それがなかったら、アイツらと同じように……」
「そんなこと……ないです」
 ジュンイチの言葉を静かにさえぎる――ジュンイチの手を取って、シリカは告げた。
「ジュンイチさんは、優しい人です……あたしのこと、助けてくれたもん」
「さて、どうだかなー。
 別に“お前を”助けたくて力を貸してるワケじゃねぇし」
「フフッ、そうでしたね。
 ジュンイチさんは、“ピナを”助けたくて、あたしを手伝ってくれるんですもんね」
 少し意地の悪そうな笑顔で応えるジュンイチにそう返す――自分のせいで暗くなりかけた場を和ませたくて叩いた軽口だということが容易にわかって、その気遣いがうれしくなる。
(やっぱり……いい人なんだな、ジュンイチさん……)
 改めてシリカはそう感じて――ふと、ジュンイチの手を握りっぱなしであることを思い出した。
 ジュンイチをフォローしたくて思わず伸ばした手だが、いざ意識すると自分の頬が一気に紅潮していくのがわかった。あわてて手を放し、深呼吸するが、なかなか気持ちが落ち着かない。
「シリカ……?」
「な、なんでもありません、なんでも!」
 首をかしげるジュンイチに対し、シリカは手をぶんぶんと振ってそう答えて――
「……ほほぉ、これはこれは……」
「あ、アスナー……?」
 シリカの内心を察し、おもしろいものを見つけた、とばかりにほくそ笑むアスナの姿に、サチがちょっと引いていた。



   ◇



 食事を終えると、一同は明日のダンジョン行きに備えて早めに休むことにした。二階の客室フロアに上がり、シリカはいつもの、ジュンイチ達もそれぞれにとった部屋へと入る。
「ふぅ……」
 装備を外し、下着姿になってシリカはベッドに倒れ込む――密度の濃い一日だったのですぐに眠れるかとも思ったが、なかなか眠気はやってこない。
 どうしてだろうと思って――気づく。
 ピナがいないからだ。ピナと出会って以来、ずっとあの小さな友達の身体を抱いて眠っていた――そのピナがいなくなり、寂しいのだと改めて思い知らされる。
(ピナ……絶対、生き返らせてあげるからね……)
 決意を新たに、グッと拳を握りしめて――コンコンッ、と扉がノックされた。
 通常、建物の室内は音声遮蔽状態であり、扉を開かない限りドア越しの会話はできないようになっているが、唯一、ノック後30秒間だけはその設定が解除される――身を起こして、応じる。
「はーい」
「あー、シリカ? ジュンイチだけど」
「じ、ジュンイチさん!?」
 ノックの相手を知り、シリカの鼓動が一気に加速する――あわてて装備ウィンドウを操作し、持っている中でも一番かわいいチュニックを身にまとう。
「ど、どうしたんですか……?」
「いや、47層の説明、しておくの忘れてたからさ……まだ起きてるなら、説明しとこうと思って。
 それとも……もう寝るところだった?」
「あ、いや、えっと……大丈夫です!」
 言って、ドアノブに手をかけ――止まった。身だしなみをチェックして、おかしいところがないか確認してからドアを開ける。
 そこには、自分と同じように装備を外して軽装になっているジュンイチが立っていた――と言っても、元々彼の装備は最低限のプロテクターとガントレット、剣のみだ。それらを外しても、服装的な差異はほとんど見られないが。
「じゃあ、食堂に行こうか」
「あ、あのっ!」
 言って、自分を先導するように階下へと歩き出そうとするジュンイチだったが――シリカはその手をつかんで止めた。
「あ、あたしの部屋で……」
「え…………?」
「い、いや、だって、攻略のための情報でしょう!?
 そんな貴重な情報、みんなに聞こえちゃうような場所で簡単に話しちゃダメですよっ!」
 思わず呼び止めた挙句、気づけば自室に誘いまでしてしまった――自分の大胆な行動に驚き、同時に恥ずかしくなったシリカはあわてて理由を付け加え、なんとかごまかす。
「んー……じゃあ、おじゃまします」
「はい、どうぞ」
 だが、ジュンイチは特に不審に思うことなく納得してくれたようだ――それはそれで物足りない気はしたが、とにかく彼を部屋に招き入れる。
 個室ゆえひとつしか備えられていないイスをジュンイチにゆずり、自分はベッドに腰掛ける――そんなシリカと自分の間にテーブルを移動させて、ジュンイチはその上に小箱状のアイテムを実体化させた。
 小箱には青い水晶球がはめ込まれていて、それ自体がキラキラと輝いている。
「それは……?」
「《ミラージュスフィア》。
 大規模レイドパーティーみたいな大人数で作戦会議をする時とかに使う、マップ表示アイテムだよ」
 そうシリカに答えると、ジュンイチは慣れた手つきで操作して――水晶球が輝きを増した。放たれた光が空中に像を描き、アインクラッドの層ひとつを丸ごと収めた3Dマップが表示される。
「すごい……」
 シリカが呆然とつぶやくのもムリはない。街が、森が、木の一本に至るまで細かく描き出されている。これで人まで描かれていたら、ライブ映像と見間違えていたかもしれない。それほどまでに精密な3Dマップだった。
 そんな3Dマップの一角、一際大きな街を指さしてジュンイチが説明を始める。
「ここが主街区。で、いくつかのフィールドと村を抜けた、ここが《思い出の丘》だ。
 フィールドダンジョンの例にもれず見晴らしがいいから、道に迷う心配はほとんどないけど、モンスターの隠れられる茂みとか、擬態系モンスターが多いのが、ちょっと厄介かな……シリカは索敵スキル、鍛えてる?」
「あ、いえ……」
「そっか……じゃあ、オレかキリトのそばから離れないようにな。オレ達はコツコツ鍛えてるからいいけど、アスナやサチもオレ達の索敵に頼ってあまり熟練度上げてないから」
「わかりました」
 よし、これでジュンイチさんにくっついて動く理由ができた、と内心小さくガッツポーズ。
「モンスターは植物系が中心だ。一応、お前にあげたダガーもその辺を考慮して腐食耐性の強いものを選んであるけど、それでも樹液に強い対刃腐食効果があるヤツもいるから、あまり過信しないようn
 そこまで告げた、その時だった――唐突に、ジュンイチが動いた。
「え…………?」
「誰だ!?」
 突然のことに驚くシリカだったが、ジュンイチはかまわない。音をほとんど立てずにドアに張りつくと、素早く開き、廊下に飛び出す。
 同時、ドタドタと廊下を走っていく音がする――状況から見て、飛び出してきたジュンイチに驚き、逃げ出した……といったところか。出遅れた自分と違って、ジュンイチはその後ろ姿をしっかり見ていることだろうが。
「ど、どうしたんですか?」
「聞かれてた。
 大方、犯罪者オレンジプレイヤーにパシらされたグリーンプレイヤーだろうけどな」
 簡潔にそう答える。
「でも、ドアは閉めてたから、声はもれないはずじゃ……」
「手ならいろいろあるさ。
 聞き耳スキルを鍛えていれば室内が遮音状態でも会話を盗み聞きすることは可能だし、遮音解除はドアが『ノックされた』とさえ認識してしまえば可能だから……」
 シリカに答えると、ジュンイチはドアを閉めると左手をドアにあて、その手に対して右手で軽くノック。もちろん音はしないが――
「SAOは物理法則の再現にはムダにこだわってるからな……そのせいで、こんなやり方でもリアル同様ドアにノックした振動は伝わるから、ドアは『ノックされた』と誤認して、遮音状態が解除されちまうんだよ。
 まぁ、聞き耳スキル上げた方がよっぽど楽でアンリスキーではあるんだが……そこはオレンジプレイヤーに協力するような後ろ暗いグリーンプレイヤーだ。所有スキルに聞き耳スキルがあると怪しまれかねないからってこっちの方法を取るヤツも少なくないんだ。
 ま、どっちにしても索敵スキルをきっちり上げてると問題なく気づけるワケだけど――ちょうど今みたいにな」
「でもどうして、オレンジプレイヤーがグリーンプレイヤーまで使って、そんなことを……?」
「そりゃ、オレ達が《思い出の丘》に行こうとしてると知ったからだろうな」
 話が見えてこないシリカに、室内に戻ってきたジュンイチはベッドに、シリカのとなりに腰かけると簡単にそう答えた――まだピンときていないようなので、説明してあげることにする。
「オレ達の狙ってるアイテム、ぶっちゃけると花なんだけど……使い魔蘇生の効果以外にも、植物系のアイテムの例にもれず各種ポーションの調合素材としても使える。
 しかもそれがかなり優秀でな、使い魔持ちテイマーじゃなきゃ手に入れられないこともあって、けっこうプレミアなんだわ。
 オレ達の目的は夕方あの年増ロザリアが街中で大暴露してくれたからな、あの話を聞いたヤツはけっこういたはずだ……プレミアアイテムを取りに行こうとしてるヤツらがいると知ったら、そりゃオレンジなら狙うだろ」
 そんなことしてるヤツらの中にテイマーがいるとも思えないしなー、と、平然と付け加える。
「ま、今のところ放置で問題ないだろ」
「い、いいんですか……?」
「いーのいーの。
 オレ達の目的と、関係してるかもしれないからな……」
 その言葉の真意が読めずにシリカは首をかしげて――ぽんっ、とその頭に手が置かれた。
「ま、悪名高い《笑う棺桶ラフィン・コフィン》クラスのギルドでもなきゃ、やりようなんていくらでもあるさ。
 ……とはいえ、ちょっとみんなにも知らせといた方がいいな。メッセージ打つから、ちょっと待っててくれ」
 言って、ジュンイチはミラージュスフィアをしまうとフレンドメッセージ用のメーラーを立ち上げた。手際よくホロキーボードに指を走らせるその姿に、懐かしい暖かさを覚える。
 懐かしさの原因は明白だった――父親だ。フリーのルポライターであったシリカの父はよく難しい顔でパソコンに向かって原稿を打ち込んでいた。
 そんな父の姿を見るのが好きだった。このSAOに囚われて以来、その後ろ姿を見ていないが――記憶の中にあるあの父の姿が、目の前の年上の少年にダブって見える。
 気づけば、胸の中に渦巻いていた寂しさは消え去っていた。心地よい安らぎに身を委ね、いつしかシリカは意識を手放していた。


NEXT QUEST......

 

 いよいよ《思い出の丘》に挑むシリカとオレ達。

 順調にフィールドダンジョンを攻略して、無事に目的のアイテムを手に入れる。

 だが、その直後にシリカは知ることになる。

 この冒険の裏には、様々な想いがひしめいていたことを――

 

次回、ソードアート・ブレイカー、
「思い出の丘」


 

(初版:2016/08/22)