2004年7月24日 第35階層・ミーシェ――
茅場晶彦によってデスゲームと化し、多くのプレイヤーを恐怖と絶望の底に叩き落としたSAOだが、すでにその恐慌から半年以上の月日が流れている。
当初は死の恐怖に怯えるばかりだったプレイヤー達だったが、次第にそのショックが薄れ、この世界と前向きに向き合うようになるにつれ、この世界ならではのメリットを享受する者も現れ始めていた。
そのメリットの多くは、システム面における各種生活行動の利便性の高さであり――その中でも特に評判がよかったのが、朝の目覚めに関する“起床アラーム機能”である。
システムによって半強制的に覚醒させられるため寝過ごす心配もなく、現実世界と同じようにアラーム音によって目覚めたいと思えば自分の好みのアラーム音を設定、その音で目覚めるようにもできる。しかもそのアラーム音は設定した本人にしか聞こえないから、同居人や宿で同室になったパーティーメンバーに迷惑をかける心配もないという親切仕様だ。
シリカもその恩恵に預かっているひとりだ。その日も脳内に響き渡るアラーム音によって眼を覚まして――
「…………お目覚め?」
「え…………?」
突然声がかけられた――見ると、ベッドに背中を預けるように床に座り込んでいるジュンイチが、背中越しに自分へと振り向いていた。
「じ、ジュンイチさん!? どうして……」
「ん」
寝ぼけていた頭が一瞬にして覚醒。驚くシリカに対し、ジュンイチは自分の左腕を指さした。
彼のウェア、その袖の部分がしっかりと握られている――シリカの右手によって。
「ヘタに放させようとしたら起こしちまうと思ったら、どうしようもなくてな。
寝てる間に放してくれるだろうとあきらめて、早めにアラームセットしてこのまま寝たんだが……まさか朝起きてもまだ握ってるとは思わなかったぞ」
「あ、あぅあうあぅ……」
ジュンイチの指摘に、顔が真っ赤になる――表現はリアルであるものの、対してリアクションは少しオーバーなところがあるSAOの感情表現だ。ひょっとしたら、頭から湯気でも上がっているかもしれない。
「ま、それはともかく、だ……」
そんな、大あわてのシリカの頭に手が置かれる――落ち着かせるようにその頭をなでてやり、ジュンイチは告げた。
「おはよう、シリカ」
「お、おはよう、ございます……」
ただそれだけで、心が落ち着く――「自分ってこんな現金な性格だったのかなー?」と内心首をかしげつつ、それでもシリカはこの安心感を存分に享受するのだった。
Quest.12
思い出の丘
2004年7月24日 第47階層・フローリア――
「ぅわぁ……」
転移門を抜け、第47階層の主街区へ――周囲を見回し、シリカは思わず眼を輝かせた。
まぁ、ムリもないか、とその姿を見たジュンイチは小さく苦笑、改めて周囲を見回す。
そして、率直な感想がその口からもれる――
「…………つくづく、現実側に実在したら街角の掃除が大変そうなフロアだよなー」
「この満開の花畑を見て抱く感想がそれってどうなのよ?」
となりのアスナから厳しいツッコミが飛んだ。
そう。彼らの前に広がるのは一面の花畑――正確にはいくつものブロックに分けられた広大な花壇だ。
特に飾り気もなく、本当に「街の広場」といった印象の強い他の街の転移門広場と違い、この街は転移門広場全体が、一面に咲き誇る花によって彩られているのだ。
「“フラワーガーデン”の二つ名はダテじゃない、か……前来た時はエリア解放前で凍りついてたけど、解放したらフロア全体がこうなっちゃったんだろ?」
「サチ、話を聞いてすごく来たがってたのに……残念だったね」
「仕方ないさ。
サチにはサチの役割がある」
この階層の別名を思い出すキリトのとなりで、アスナは小さく肩を落とす――そんなアスナにはジュンイチが答えた。
彼らの言う通り、サチは現在行動を共にしてはいない。今回の件に関わり、ちょっとした“おつかい”を頼まれてもらっているためだ。
そんな彼らをよそに、シリカは花壇の花を存分に愛でていて――ふと顔を上げたところであることに気づいた。
一面に花壇が整備され、ちょっとした公園のようになっているためか、明らかに転移門を利用するために訪れるパーティーの他にも人の出入りが多い――が、その“転移門を利用するためでない”利用者の多くが男女の二人連れなのだ。
(ひょっとして、ここって……で、ででで……でーとすぽっと、ってヤツなのかな……?)
ふと、傍らに立つジュンイチの顔を見上げる――自分とはぐれないための配慮なのか、気づくとすぐそばに立っていてくれる。そのせいか、キリトやアスナとの距離がやや開いていて、ちょうど自分との二人連れに見えなくもない。
(あたし達も……“そう”見えてるのかな……?)
そんなことをふと考え、次にそんなことを考えている自分に驚く――今までは男性プレイヤーにパーティーに誘われても一定距離以内に近づくことを頑なに避けていたはずなのに、なぜかとなりに立つ彼に対してはそんな警戒感がまったくわいてこない。
それどころか、もっと近くにいたいとすら思えてくる。それは彼の興味が自分ではなくピナに向いていることへの安心感か、はたまた自分と同じようにピナをかわいがってくれる“同好の士”に対する親近感か。
それとも――
「…………?
どうした? シリカ」
「あ、えっと、あのっ!?
な、何でもないです……何でも……」
尋ねるジュンイチの言葉に我に返り、同時に自分の考えていたその内容に思考が沸騰する――なんとかごまかすように答え、シリカは立ち上がるとジュンイチの手を取り、
「じゃあ、行きましょう、ジュンイチさん!」
「お、おぅ。
おーい、そこの黒白夫婦。いちゃつくのもそのくらいにしておかないと置いてくぞー」
『誰が夫婦よ(だ)っ!』
一瞬にして距離を詰めてきたキリトとアスナが、華麗なダブルライダーキックでジュンイチをブッ飛ばした。
◇
「そういえば……」
主街区を出て思い出の丘に続く道を歩きながら、話題に困ったシリカはさっきから気になっていたことをジュンイチに尋ねることにした。
思い返すのは、先ほど“転移門広場で”ジュンイチをブッ飛ばしたキリト&アスナの夫婦ライダーキックのことで――
「昨日から思ってたんですけど……ジュンイチさん達って、街の中でもけっこう普通にお互いのこと攻撃してますよね?」
「ん? あぁ……そうだな。攻撃っつーか……ボケツッコミ、っつった方が正確だけど。
けど……それがどうかしたか?」
「いや、だって、街中だと《圏内》だから、意図的に相手を攻撃することってできないんじゃ……」
シリカの言う《圏内》というのは、市街地全域に指定されている《アンチクリミナルコード有効圏》のことである。
“犯罪的行為”に対する“否定”、という名の通り、この圏内ではプレイヤーへの直接攻撃はシステムに阻まれて不可能となっている。
ただし、正当なデュエルを行う場合はその保護が解除され、また「思わず殴ってしまった」というような非意図的な攻撃の場合は保護が働かない(ただしHP保護は通常通り働く)など、決して抜け道がないワケではないのだが。
しかし、ジュンイチ達の場合は違う。主に会話の中でのツッコミであったが、割と攻撃レベルの打撃が繰り出されていた気がする。もちろん意図的にだ。
それなのに、彼らの攻撃はシステムに阻まれることなく、普通に通っていた。デュエルの申請をしていたようにも見えなかったが――
「あぁ、アレね。
オレ達、コレ使ってるから」
言って、ジュンイチはメニューウィンドウを表示した。目的の欄を表示し、シリカに見せる。
スキル設定画面だ。剣闘士、片手剣、短剣……と戦闘系スキルが最初に並び、次に料理、調薬……と職人系のスキルが続く。そして――
「…………《ツッコミ》?」
まさに“そのまんま”なスキルがそこにあった。
「そ。
コメディアン向けのスキルだよ――SAOがデスゲームと化した今、そんな職業を選んでるヤツなんてそうそういないけど、別に廃止されたワケじゃないから、それ向けのスキルもこうして残ってるワケだ。
最初はオレが見つけて使い出したんだけどなー……『圏内でもオレを殴れるように』ってアスナがキリトを巻き込んで使い始め、それがサチにも波及して……と、そんな感じ」
「説明が足りないわね。
『圏内でも“暴走する”ジュンイチくんを殴“ってでも止めら”れるように』ってことで選択したんですけど?」
「ぬかせ。今や完全にオレ達野郎組へのツッコミ用になってるクセに」
後ろをキリトと二人で歩くアスナからツッコミが飛んでくる――すかさずジュンイチに返されたが。
「でも、どうしてそんなスキルを使おうって……?」
「んー、ぶっちゃけると、リアルじゃツッコミなんて日常茶飯事だったから、だな。
その流れで、“こっち”でも割とキリトとかにツッコミ入れることが多いワケだけど、やる度に《圏内》効果で弾かれるワケだ、コレが。
それが気に入らなくて、なんとか回避できる手段とかないかなー、と思ってスキルを見てたら、こいつを見つけたんだよ」
尋ねるシリカに、ジュンイチは気を取り直してそう答えた。
「効果をざっくり説明すると『与えるダメージをゼロにする代わり、システム保護をキャンセルして相手に攻撃を当てられる』ってものだ。
まぁ、ツッコミはどついてナンボだからな。街中の《圏内》効果に阻まれてたら成り立たないってことだよ――ツッコミとはいえ意図的に殴る以上、キャンセル手段用意しとかないと《圏内》効果の対象になっちまうからな」
「はぁ……」
「で、さらにそこにツッコミというギャグシーンならではの効果としてギャグ系のエフェクトが加わる。
具体的には、普通に殴るよりもハデに吹っ飛んだり、破壊不可能オブジェクトである壁にめり込ませられたり、とかな。
しかも、スキルレベルが上がるごとにエフェクトもハデになるというオマケつきだ」
「て、徹底してますね……」
「まったくだ。茅場晶彦も変なところで力を入れてるよなー」
呆れるシリカにジュンイチが答え、二人で苦笑する――そしてそんな二人を、キリトとアスナは後ろを歩きながら微笑ましく見守っている。
「まるで仲のいい兄妹だよな、あの二人」
「キリトくん……“子供達を見守る父親”の目だよ、それ……」
「シリカが希望してるジュンイチくんとの関係はそういうのじゃないだろうけどね」と思いつつ、アスナはそれを見守るキリトに対しても「こっちはこっちで老成してるなー」とため息をつく。
そんな感じでさらに先へ進むことしばし――
「あ!」
シリカが何かに気づいて駆け出した。
見れば、彼女の行く手には他と一線を画すほど大きな花が一輪咲き誇っていた。
花の直径は人の身の丈ほどはあろうか。花自体はヒマワリの花に見えるが、本物のヒマワリと違って背は高くなく、地面から直接花開いている感じだ。
転移門広場での反応を見る限りシリカが花が好きなのは容易に想像がつく。リアルではお目にかかれなかった種類の花だし、見た目にも綺麗な花だ。彼女が興味を持つのもある意味当然と言えるが――
「シリカ! “ソイツ”は花じゃない!」
「え――――?」
ジュンイチの警告にシリカが振り向き――その足に何かが巻きついた。
何事かと思う前に、両足が引っ張られ、バランスを崩す。倒れると思いとっさに頭をかばうシリカだったが、彼女が地面に突っ込むよりも早くその身体がひょいと持ち上げられた。
そこに至り、自分の両足が肉質のツタに絡め取られたのだと理解する――が、すぐにそんなことを考える余裕も吹き飛んだ。
頭から逆さ吊りになったシリカのスカートが、重力に従ってずり落ちそうになったからだ。とっさに左手で押さえるが、そのせいで片手がふさがれてしまう。
「シリカ!」
「ちょっ、アスナ!」
あわててシリカを助けるために飛び出すアスナだが、そんな彼女にはキリトから制止の声が飛ぶ。
もちろん、止めるなりの理由があってのことで――
「ぅひゃあぁぁぁぁぁっ!?」
「言わんこっちゃない……」
あのツタの“主”は潜伏状態の間は当たり判定のない無敵状態だし、最初に捕まえたプレイヤーの救出に動いた後続プレイヤーに対しても同様のワナを張るのだ。
前に戦った時に把握したはずの特性を忘れて“またしても”引っかかり、シリカとそろって逆さ吊りの状態になったアスナの姿に、キリトは思わず頭を抱えた。
「お前、前回も捕まったサチを助けようとして同じ目にあってるよなー」
「う、うるさいわよ、ジュンイチく――ひゃあっ!?」
サチがシリカに置き換わっている以外は、以前別フロアで同類と戦った時とまるで変わらない光景だ――呆れるジュンイチに言い返すアスナだったが、自身のスカートもシリカのそれと同じようにずり落ちそうになったのであわてて押さえる。
「まー、ちょっと待ってろ。
すぐに本体が出てくるだろうから――」
ジュンイチが告げた、まさにちょうどその時、花畑の花を吹き飛ばしながらその“本体”が姿を現した。
先ほどシリカが興味を示した“巨大地上ヒマワリ”だ。人の身の丈ほどもある太い茎を胴体に、無数に枝分かれした根っこを足にしてしっかりと大地に立っている。
そして――“花が口を開けた”。
花の部分を上下に二分割するほどに大きな口が、手始めにシリカを捕食しようとばっくりと口を開いたのだ。自分に向けて口を開けたその様子に、シリカの顔が引きつる。なまじ花が好きだっただけに、その花の真ん中に開いた醜悪な口はより激しく嫌悪感を引き起こす。
「こ、来ないで! 来ないでよぉっ!」
半ばパニックに陥り、必死に短剣を振り回す――が、人食い花もシリカにツタを切られないよう、彼女の短剣の間合いに入らないよう器用にツタを走らせている。アスナに対しても同様だ。
「シリカ、落ち着け! そいつすっげぇ弱いから!」
言って、ジュンイチがシリカを助けようと走るが、ちょうどそのタイミングでシリカのスカートが再びずり落ちかけた。
「ぅわわわわっ! ジュンイチさんも来ないでぇーっ!」
「行かないでどうやって助けろっちゅーんじゃ、お前はっ!」
とっさにスカートを押さえ直して叫ぶシリカにジュンイチが叫び返す――その姿に、アスナもあわてて自分のスカートを押さえ直すと人食い花ではなくキリトをにらみつける。
「じ、ジュンイチさん、助けて! 見ないで助けて!」
「キリトくん! 見たら後でどうなるかわかってるわよね!?」
「そ、そんなムチャな……」
命も惜しいが女の子としての恥じらいも捨てたくはない。必死に叫ぶシリカとアスナの言葉に、キリトは思わず肩を落として――
「………………しょうがない」
ため息をつき、ジュンイチが口を開いた。
「あのさ、シリカもアスナも……どんな“助け方”されても、文句言わない?」
「言いません! 言いませんから!」
「いいから早くなんとかしてーっ!」
「……了解」
二人の了承を取りつけ、ジュンイチはアイテムストレージからあるアイテムを実体化させた――それを見て、キリトの顔が引きつる。
「お、おい、ジュンイチ、それ……」
止めようとするよりも早く、ジュンイチがそのアイテムを投げつける――人食い花の足元に転がったそれから煙が吹き出し、それを吸った人食い花が苦しみだす。
「ケホッ、ケホッ! な、何なんですか、これーっ!?」
「ジュンイチくん、まさか、これって!?」
当然、人食い花に捕まっていたシリカやアスナも巻き添えだ。煙に巻かれてせき込むが、そんな二人を人食い花が唐突に手放した。
おかげでヒロインがやってはいけないような顔面着地を実演するハメになったが、幸い煙のおかげで男性陣には見られなかったようだ。痛がるシリカをよそに、アスナは素早く態勢を立て直し、
「よくもやってくれたわ……ねっ!」
繰り出したソードスキルが直撃。人食い花は瞬く間にポリゴンの欠片となって四散した。
「大丈夫? シリカ」
「だ、大丈夫です……」
レイピアを鞘に収め、尋ねるアスナに答えるとシリカはその場に立ち上がり、
「あの……今のって何だったんですか?
煙を吸ったとたんに、あのモンスターが苦しみだしたような……」
「あぁ、あれね……」
シリカの問いに、アスナはジュンイチをキッとにらみつける――対し、ジュンイチは何も気に留めていないのか、素直に答えた。
「んー、毒薬の材料になる素材アイテムをいくつか調合して作った、対植物系モンスター用の毒ガス。
要するに――除草剤だ」
「じょっ!?」
「この階層がエリア解放後に植物系モンスターの巣と化したのは、事前にわかってたことだからな。このくらいの準備はしてくらぁな」
思わず絶句するシリカにジュンイチが答えると、アスナがジト目でジュンイチに告げた。
「それ……確か対人で使ってもランダムで目つぶしとか麻痺とか受けるよね? 確率低いけど」
前にそれでキリトがひどい目にあったのを忘れたのか――そんな非難を視線に込めるアスナだったが、対するジュンイチはあっさりと答えた。
「『どんな“助け方”されても文句言わない』って、言ったよね?」
その後も、花好きのシリカの幻想を打ち砕くようなモンスターが次々に現れるものの、一行は順調に行程を消化していった。
その主力となったのは、意外にも初戦で失態を演じた二人――シリカとアスナだった。
シリカは大好きな花を醜悪なデザインに置き換えてしまったようなモンスター達にむしろ怒りをかき立てられたようで、アスナも初戦でさらした醜態から並々ならぬ怒りに燃えていた。
次々に現れる植物系モンスター達は、二人によってすぐさま駆逐されていく――あまりに突出しすぎて、複数同時ポップした際にジュンイチが使った除草剤玉の煙にまたしても巻き込まれてしまったりもした(しかもアスナが麻痺を引き当てた)が、そうした事態を除けばおおむね瞬殺の勢いだ。
SAOにおけるパーティープレイの経験値分配はモンスターに与えたダメージの割合で分配量が決まる(オプションで変更可)ため、前衛に張りつきっぱなしの二人には湯水のように経験値が流れ込んでくる。そのおかげで行程の半分ほどを消化した段階でシリカのレベルがこの階層の適正攻略レベルにまで追いついてしまったほどだ。
ともあれ、二人の快進撃は《思い出の丘》に入っても止まるところを知らず、気づけば一行はフィールドダンジョンの最奥部にまで到達していた。
「ここが……」
「情報によると……な」
つぶやくシリカにジュンイチが答える――彼らの目の前には、満開の花畑の中央にすり鉢状の岩がまるで祭壇のように置かれていた。
だが――それだけだ。岩の中には土が敷き詰められ、プランターのようになっているが、そこには何も生えていない。アイテム名が設定されたものどころか、ただの一輪の花さえも。
「ない……ないよ、ジュンイチさん!」
「到着してはやる気持ちはわかるけど……まずは落ち着こうか」
せっかくここまでたどり着いたのに、まさか空振りか――見る見るうちに半泣き状態に落ち込むシリカだったが、そんな彼女の頭をなでてやり、ジュンイチは答えた。
「よく考えてみようか。
ここには使い魔蘇生効果のある花が咲く。
けど、ビーストテイマーが来ないと花は咲かない。
さて、この二つの情報と空っぽのプランター、それらが意味するものは何かな?」
「あ………………」
ジュンイチの言葉に、シリカは彼の言いたいことをすぐに察した。プランターへと視線を戻した彼女の目の前で、プランターの中心にひとつの芽が芽吹いた。
そう、それらの情報が意味することとは――
「……あたしが来たことで……“今から、花が咲く”……!?」
「らしいな」
ジュンイチがシリカに答える間にも、花はグングン育っていく。まるで植物の成長観察のビデオを高速度再生で見ているかのような勢いだ。
やがてつぼみがふくらみ、花が開く――アヤメの花のような形の、真珠色の花である。
シリカがその美しさに見とれていると、システムが彼女の注視を検知して情報が表示される――アイテム名《プネウマの花》。
「これが……この花があれば、ピナは生き返るんですね……」
つぶやきながら、花に手を添える――と、花の茎が中ほどで消滅した。
シリカが触れたことで、花が自生状態から入手済みアイテムへと変化したためだ。取り落としかけたそれを、シリカはあわてて持ち直す。
これでピナが生き返る。さっそくアイテムストレージ内の《ピナの心》を実体化させようとするが、
「…………待った」
その手を、ジュンイチがつかんで止めた。
「え…………?」
どうして止めるのかと、シリカはジュンイチを見返して――気づいた。
ジュンイチの眼光が鋭く、冷たいものになっている――そして、その目にシリカは覚えがあった。
昨夜、自分達の話を盗み聞きしている者の存在に気づいた時の、あの目だ。
「……キリト、アスナ」
静かに声をかける――が、すでに気づいていたようだ。明らかに警戒しながら自分達の来た道をにらみつけており、アスナに至ってはすでに剣に手をかけている。
「…………そこに隠れてるヤツ、出てこいよ」
「え…………?」
静かに告げたジュンイチの言葉に、シリカは思わず彼を見返す――が、反応はない。
……いや、「すぐには反応はなかった」と言うべきか。数秒の沈黙の末、道沿いの茂みからガサガサと音がした。
同時、シリカの視界にプレイヤーカーソルが表示される――グリーンだ。犯罪者ではない。
そして姿を現したのは――
「…………ロザリアさん……!?」
昨日シリカとケンカしたばかりの、あの女性プレイヤーだった。十字槍を携え、道の真ん中まで進み出てくる。
「どうして、ロザリアさんがここに……!?」
「そんなの、決まってるじゃない。
あなたが心配だったからに決まってるでしょう?」
意外な人物の登場に驚くシリカに対し、ロザリアは笑いながらそう答えた。
「昨日あんな風にケンカしちゃったの、これでも反省してるのよ? そのせいで、あなたのあの竜も死んじゃったワケだし。
だから、あなたのことが気になってこうしてついてきちゃったの。無事に花も手に入ったみたいだし、よかったわね」
「ロザリアさん……」
昨日の険悪ぶりがウソのように優しく微笑むロザリアの姿に、シリカの抱いていた警戒感がほぐれていく。
なんだ、話してみれば意外にいい人だと、自分もケンカしたことを謝ろうと一歩を踏み出して――
「ストップ」
それを止めたのはジュンイチだった。
「ジュンイチさん……?」
「やぁ、ロザリアさん。
シリカのことを心配してきてくれたのか。しかもこんなところまで単独で。
そこまでシリカのことを気遣ってくれていたとは知らないで、昨日は失礼なこと言ってすまなかったな」
首をかしげるシリカだったが、ジュンイチはかまわずロザリアに告げる。
「けど、できれば《隠蔽》なんて使わないでついてきてほしかったな。
一瞬敵だと思って焦っちまった……アスナなんて剣抜きかけてたぞ」
「ごめんなさいね。
昨日のケンカの手前、どうも素直に出づらくて」
「まぁ、過ぎたことはもういいや。
とりあえず……オレ達、さっさと転移結晶で帰ろうと思うんだけど」
ジュンイチがそんなことを言い出して――ロザリアがピクリと反応した。
「どうする? 帰り道もソロで踏破してレベル上げてくって言うなら止めないけど……何なら、アンタも一緒に帰るかい?」
「そうね……アタシは来た道を引き返そうかしら?
でも、どうせならあなた達も一緒に来ない? レベリングは大事でしょ?」
「申し出はうれしいんだけど、ぶっちゃけもう面倒くさくてさ。
それに、さっさとピナを生き返らせてあげたくて」
帰り道は同道しないか――そう誘ってくるロザリアだったが、ジュンイチはあっさりとそう返す。
「何より、オレ達目的の花を手に入れて、正直な話気が抜けてるから。
こんな状態でフィールドダンジョンを歩いて帰るのも、まぁ危ないかな、と思うワケだよ。
待ち伏せとかあったら大変だし……」
「大丈夫よ。
こんな見晴らしのいいフィールドで、誰も待ち伏せなんかしないわよ」
「………………へぇ」
ロザリアが答えて――ジュンイチはニヤリと笑みを浮かべた。
「『誰も』?
“まるで人が待ち伏せてる可能性について語ってるみたいだね”」
「………………っ」
ジュンイチの指摘に、ロザリアの顔色が変わった。
「オレはモンスターの待ち伏せについて語ったつもりだったんだけどな……だってそうだろう? こんな見晴らしのいい花畑でも、花とか道とかに擬態して待ちかまえているモンスターは多い。実際、ここに来る途中にもそういうモンスターと何度も出くわした。
アンタだって、ここまでソロで来たんならそういうモンスターに出くわしたはずだ。その脅威を味わったはずだ――なのにそんなモンスターよりも、プレイヤーの待ち伏せについて言及した。どうも不自然だよな?」
そして――ジュンイチは挑発的な笑みを浮かべたままロザリアに告げた。
「オレ達が転移結晶で帰ろうとしていると言われて焦ったみたいだな――おかげでボロを出したな。犯罪者ギルド、《タイタンズハンド》のリーダーさん?」
「………………っ」
今度こそ――ロザリアの顔から笑みが消えた。
「え…………?」
その一方で、驚いたのがシリカだ。何しろ、オレンジギルドのリーダー、という話なのに、彼女のカーソルは緑色だったからだ。
「あ、あの……ジュンイチさん。ロザリアさんは、グリーン…………あ」
反論しかけて――シリカは思い出した。
昨夜も、自分達の話を盗み聞きしていたプレイヤーがいたではないか。オレンジプレイヤーは街には入れないから、あのプレイヤーもグリーンに違いなくて――
「思い出したか。
そう――別に“オレンジ”ギルドだからって、メンバー全員がオレンジプレイヤーじゃなきゃいけないってワケじゃない。
むしろ、グリーンプレイヤーがいてくれた方が何かと便利なんだ。グリーンなら街にだって入れるし、獲物と見定めたパーティーに接触しても怪しまれない。
だから、オレンジギルドの中にはグリーンプレイヤーだっている――“仕事”のたびにグリーン復帰イベントをこなしてカーソルをグリーンに戻すギルドもあれば、汚れ仕事に加わらないことでグリーンカーソルを維持するグリーン役専門のメンバーを用意するギルドもいる……《タイタンズハンド》は後者のパターンみたいだな」
「そんな……」
ジュンイチの説明に、シリカは呆然とロザリアを見返した。
「それじゃあ、この二週間一緒のパーティーにいたのは……」
「えぇ、そうよ。
あのパーティーの戦力を見定めながら、お金が貯まって“食べごろ”になるのを待ってたのよ」
もうシラを切ってもムダだと悟ったのだろう。案外素直にロザリアはそう答えた。
「本当なら今日にでもヤッちゃう予定だったんだけど、一番の獲物だったあなたが離脱しちゃったものだから、その時は正直焦っちゃったわ。
けど、聞けば《プネウマの花》を取りに行くって言うじゃない? これを狙わない手はないと思って、こっちにターゲット変更したってワケ。
《プネウマの花》って今が旬だから、けっこういい値で売れるのよ。日頃の情報収集って大事よねー」
シリカのつぶやきに対し、悪意に満ちた笑顔でロザリアが答え――
「あぁ、まったくだな」
その言葉に同意したのは意外にもジュンイチであった。
「情報収集は大事――いやはや、まったくもってその通り。
オレも地道な情報収集に助けられたひとりさ――そのおかげで、割とあっさり“アンタを見つけられた”」
「…………どういうことかしら?」
「アンタら、十日くらい前に《シルバーフラグス》ってギルドを壊滅させてるだろ。
メンバー四人が殺されて、リーダーだけが脱出に成功した」
「あぁ、あの貧乏だった連中ね」
「………………っ」
どうでもいいかのように言い放つロザリアの言葉に、アスナが思わず剣を抜きかける――が、キリトに止められた。
「リーダーだった男はな、最前線の転移門広場で朝から晩まで、ずっと仇討ちを引き受けてくれるヤツを探してたよ。
そして――つい先日、オレ達が声をかけられたワケだ」
ジュンイチのその言葉に、シリカは気づいた。
昨日の、街に戻った後にロザリアと出会った時のこと――あの時、教えた覚えのないロザリアの名前をジュンイチが知っていた、その理由がコレだったのだと。
つまりジュンイチ達は、最初からロザリアを追ってあの迷いの森を訪れていたのだと。
「聞いて回ったら、意外と情報が集まってね――この一ヶ月で壊滅した、中層プレイヤーのギルドやパーティーは全部で四つ。その四つのパーティーすべてにアンタがいたことを聞いた。
少しばかり、ハデに動きすぎたな」
「あら、そうなの。残念ね」
ジュンイチの言葉に、ロザリアは少しも残念ではなさそうな様子でそう返してくる。
「まぁ、個人的な事情から仇討ちとかそーゆーのについては否定主義でね。最初は断ろうと思ったよ。
けど……アイツの話を聞いて気が変わった」
そんなロザリアをにらみつけ、ジュンイチはそう言って息をつき、
「アイツはな、アンタらを殺してくれとは言わなかった。
アンタらを牢獄送りにしてくれと……殺さず、生きて償わせろと言ったんだ。
なかなかできるもんじゃないぜ。仲間を殺されたら、普通は復讐の手段には殺し返すことを考えるもんだってのにな……“死”じゃなくて“生”をもって償わせてくれと願ったアイツの心意気に免じて、引き受けることにしたってワケだ」
「ふぅん、ご高説どうも」
ジュンイチの話に、ロザリアは何ら感じるものはなかったようだ。鼻で笑い飛ばし、ジュンイチに見下すような視線を向けてくる。
「何よ、マジになっちゃって、バカみたい。
ここで人を殺したって、ホントにその人が死ぬ証拠なんてないんだし」
「………………っ」
ロザリアの言葉に、今度はキリトの頭に血が上った。飛び出しそうになるのをかろうじて自制して、ジュンイチへと視線を向ける。
SAOの中で死んだ者は本当に死ぬ――それはかつて、一月遅れてこのデスゲームに参戦してきたジュンイチによってもたらされた確定情報だ。
自らもデスゲームに囚われるのを承知で、ジュンイチはその情報を自分達に伝えに来てくれた――確かな死ととなり合わせの世界から自分達を救い出そうと戦いに来てくれた。
そんなジュンイチの想いの証ともいえる事実が、ロザリアのようなプレイヤーによって無残に踏みにじられている現実に、一年間共に戦ってきた仲間として憤りを禁じえない。
だが――それでもキリトは自制する。一番の当事者であるジュンイチが怒りを抑え込んでいるというのに、自分が勝手にキレて飛び出すワケにはいかないと自らに言い聞かせる。
「仮に本当に死んだって、それがアタシ達の仕業だっていう証拠はないんだもの。そんなんで、現実に戻ったところで罪になるワケないでしょ。
だいたい戻れるかどうかもわかんないのに、正義とか法律とか、笑っちゃうわよね。
アタシそういうヤツが一番嫌い。この世界に妙な理屈を持ち込むヤツがね」
ロザリアの目が凶暴そうな光を帯びる――手を軽く振ると、周囲の茂みがざわつき始めた。
隠れていた人影が、次々に茂みから姿を現す――そのほとんどが、禍々しいオレンジ色のカーソルを頭上に頂いている。
「ひのふのみぃの……ざっと40、か。
まぁ、索敵スキルでバレバレだったから、別に驚きゃしないけどさ……よく茂みに全員収まってられたな。そっちの方が驚きだ」
「相変わらず、ツッコみどころがどこかズレてるよな、ジュンイチって」
「るせぇ」
傍らに出てきたキリトのツッコミに、ジュンイチも苦笑まじりに返す。
「か、数が多すぎます。離脱しないと……」
「あー、大丈夫ジョブJOB。
心配ないから、アスナと合流して少し待ってて」
相手は40人。こちらの十倍もいる――恐怖し、告げるシリカだったが、ジュンイチはあっさりとそう答えた。安心させるようにシリカの頭をなでてやると、彼女から離れて前に出る。
「……手伝おうか?」
「あー、キリトは下がってていいよ。
元々オレが勝手に受けた依頼にお前らを巻き込んでるワケだし……ここはオレが締めくくるのが筋でしょ」
「って言われても、オレも今の話聞いててムカついたしなぁ……
アイツらをほっとけないと思ってるのは、ジュンイチだけじゃないんだぜ――後ろじゃアスナもキレかかってる」
「あははー……そりゃヤバイ。
ならキリトも手伝ってくれ。アスナがバーサークして女の子としての株を下げる前に、ちゃっちゃと片づけないとな」
「しないわよっ!」
後ろでシリカを守るアスナも巻き込んでのん気に――ただし目はまったく笑っていない――話すジュンイチとキリトのやり取りに、オレンジプレイヤー達がにわかにざわついた。
「“キリト”……? “ジュンイチ”……?
黒ずくめの二人組、ひとりは楯無しの片手剣、もう一方は剣闘士……まさか、《黒の双ケン》……!?」
「後ろの女、“アスナ”って……《閃光のアスナ》か!?」
「や、やばいよ、ロザリアさん……こいつら、ビーターの……攻略組だ!」
その言葉に、残りの賊達の間にも動揺が広がる――が、驚いたのはシリカも同じだ。
だが、同時に納得している部分もあった――昨夜のジュンイチとの会話だ。
『それは……?』
『《ミラージュスフィア》。
大規模パーティーみたいな大人数で作戦会議をする時とかに使う、マップ表示アイテムだよ』
レイドパーティー向けの作戦会議用アイテムなんてどうして持っているのか――あの時はミラージュスフィアの高精度マップに感嘆してスルーしていた疑問だが、彼らが攻略組だというのなら納得できる。攻略組のダンジョン攻略こそ、まさにそのレイドパーティーの出番なのだから。
《黒の双ケン》。この二つ名にも覚えがある。攻略組の切り込み隊長。常に先頭に立ちボスモンスターに立ち向かう、攻略組最強の矛――『ケン』がカタカナなのは“剣”と“拳”、双つの意味を持つからだという話だ。
アスナを指した《閃光》だって負けてはいない。《黒の双ケン》のような派手な立ち回りがないがために名声では一歩劣るが、《黒の双ケン》をも上回るという速度は見切れる者なし。《黒の双ケン》が“最強の矛”なら、《閃光》は“最速の矢”――そんな、一歩間違えれば眉唾物な武勇伝を何度風のウワサに聞いただろう。
今までの会話から、最前線の攻略への参加経験があることはわかっていたが、まさか三人がその《黒の双ケン》と《閃光》――攻略組のトップストライカー達だとは思わなかった。
ロザリアも、自分達の前に立つ人物の意外すぎる素性にしばしぽかんとしていたが、我に返るとまるで自らに言い聞かせるかのように声を上げる。
「こ、攻略組がこんなところにいるもんかい! しかもトップエースだなんて!
どうせ、ハッタリを利かせてビビらせようっていう“もどき”に決まってるよ!」
「…………だそうだぜ」
「……暴れん坊将軍や水戸黄門に悪事を暴かれて、それでも相手をニセモノ呼ばわりして開き直る悪代官みたいだな」
「ぅわー、的確すぎるたとえね」
だが、そんなロザリアの言葉にもジュンイチ達はあくまで余裕――そして、その余裕がロザリアに火をつけた。
「バカにして……っ!
お前達! もういいから、さっさと片づけちまいな!」
「おぅっ!
本当に攻略組だろうがビビることぁねぇ! たった三人だ。こっちのこの人数なら!
それに、攻略組となりゃあ、アイテムも金もたんまり貯め込んでるに決まってる!」
ロザリアの言葉に、男達のリーダー格らしい男が声を上げる――『金とアイテム』、その一言に目がくらんだか、攻略組の名にひるんでいた男達は一斉に戦闘意欲を取り戻し、次々に得物を抜き放つ。
「じ、ジュンイチさん! ムリだよ、逃げようよ!」
「だーいじょーぶだって。
いいから、お前はそこで見てな――アスナのそばを離れるんじゃねぇぞ」
シリカの上げた声にはジュンイチが軽い口調で答える――彼だけではない。キリトもこの人数を相手にまるで動じている様子がない。一応剣は抜き放っているが、軽くかまえるだけでそれ以上動こうとはしない。
そんな彼らの態度に言い知れぬ余裕を感じ――それでも賊は一斉に動いた。こちらの先頭に立つジュンイチやキリトへと殺到し――
ガキキィンッ!
甲高い金属音はキリトの周辺から――その音と共に、周囲の男達の手にした刃がことごとく砕け散る。
言うまでもなく、キリトの仕業だ。彼の振るった剣が、男達の刃をことごとく打ち砕いたのだ。
「おーおー、出たな、キリトの十八番、《武器破壊》」
そんなキリトの姿に、ジュンイチがのん気につぶやく――その周囲では、男達が驚愕の表情と共にジュンイチを見つめている。
なぜなら――
「ま、キリトが《武器破壊》なら……オレには《武器静奪》ってもんがあるんだがね」
彼らの得物はすべて、斬りかかった瞬間彼らの手を離れ、ジュンイチの手によってその足元に突き立てられていたのだから。
相手の刃を素手でキャッチ、一瞬だけ、だが強い力で手首のスナップを利かせ剣を揺らす――瞬間的に揺らされた剣の動きは相手の手に衝撃という形で伝わり、システムに“剣を弾かれた”と誤認させる。
結果、相手の手から本当に剣が弾かれ、奪い取ることが可能となる――キリトの《武器破壊》にちなんで《武器静奪》と呼んでいる技だ。
どちらも、ソードスキルのようなシステムに設定された技ではない。武器破壊のメカニズムを調べ上げ、意図的に起こせるまでに剣の腕を磨いたキリトの、そしてシステム上の武器弾きの発生条件を利用し、相手の力を巧みに受け流す技をさらに伸ばすことでそれを可能としたジュンイチの、彼ら自身の技術のたまものだ。
こういったプレイヤー自身の技によって成り立つ技はシステムの外にあるスキル――“システム外スキル”と呼ばれている。システムにない技だから、相手が対応できず、また驚愕に目を見開くのは、ある意味で当然のことと言えた。
「な、何なんだ、こいつら!?」
「武器を壊されるわ奪われるわ――どうなってんだ!?」
「あんなスキルあったのか!?」
そして、驚愕はやがて恐怖に変わる――40人もの人数でかかっていっても傷ひとつ与えられず、それどころか武器を奪われ、破壊され、次々に無力化されているのだからムリもない。
相手はモンスターではない。剣がなければ素手で……と思う者もいるかもしれないが、ジュンイチのような剣闘士は実はかなりの少数派だったりする。剣も体術も上げるくらいなら、剣一本にこだわった方が剣の威力の助けもあって簡単に戦力増強が図れるからだ。
第1層でのジュンイチVSイルファング戦を思い出してほしい。あの時、当時まだ剣士スタイルだったジュンイチが通常ヒットではロクにダメージを与えられなかったように、たいていのプレイヤーの攻撃力は剣の攻撃力にほぼ全面的に依存している。キリトも体術を織り交ぜて戦うことができるが、彼の場合は剣の攻撃力をそのまま打撃力に反映しているのが実情で、一般的な剣闘士もそうしたスタイルだ。体術も剣術もガチで上げているような人間はジュンイチくらいのものだろう。
一応、剣闘士以外のスタイルでも武器なしで戦える《体術》というスキルもあるにはあるのだが……取得クエストの難度が(受けられる層の難度に比べて)あまりにも高すぎたのがネックになった。クエスト攻略可能なレベルになってから改めて取得に訪れるよりはそのまま剣士としてスキルレベルを上げた方がいいというプレイヤーが大半で、《体術》スキルを持つプレイヤーはジュンイチやキリトを含めごく少数に限られている。
すなわち、ほとんどのプレイヤーにとっては剣を手放した時点で攻撃力はほぼ皆無。武器を失うということは、攻撃力の喪失を意味するのだ。
「ダメだ、ロザリアさん! 手に負えねぇ!」
「ハッタリなんかじゃねぇ……本物の攻略組だ!」
「チッ……!」
もはや、数の差など問題ではなかった。完全に士気を失ってしまった男達の姿に、ロザリアは舌打ちすると、懐から転移結晶を取り出した。
「転移――」
だが、その言葉が途切れる――すぐ目の前にジュンイチが出現、驚きのあまり息を詰まらせたからだ。
そんなロザリアの手から転移結晶を奪い取ると、ジュンイチは彼女の襟首をつかんで放り投げた。尻餅をつくように、ロザリアが男達の真ん中に投げ込まれる。
そして、ジュンイチは懐からそれを取り出した。
結晶アイテムだ――青色のカラーは移動系の結晶であることを示すが、転移結晶よりも色が濃く、また一回りほど大きい。回廊結晶だ。
「これは、依頼人が全財産はたいて買った回廊結晶だ。
《黒鉄宮》の監獄エリアが出口に設定されている――お前らにはこれから、全員こいつで牢獄まで飛んでもらう。
向こうには、すでにオレの仲間が行って《軍》に話をつけてくれているはずだからな――向こうに飛んだ後、連中に見つかる前に逃げればいい……なんて発想は通じないからそのつもりで」
「もし……イヤだと言ったら?」
「オレが飛ばす。それだけの話さ」
あっさりと――本当にあっさりとジュンイチはロザリアに答えた。
「逃げたいヤツは逃げてもいいぜ。
ただし――攻略組最速の《閃光》から逃げ切れる自信があるなら、な」
言いながら、ギロリとオレンジプレイヤー達をにらみつける――まさに蛇ににらまれたカエル。それだけでオレンジプレイヤー達は完全にすくみ上がってしまう。
だが――そんな中にあっても、ロザリアはなおも開き直りを見せていた。
なぜなら――彼女はグリーンプレイヤーだからだ。自分を牢獄送りにしようと手荒なマネに出れば、今度はキリトやジュンイチがオレンジに“堕ちて”しまう。それを見越しているからこそ、ロザリアは二人が自分に対して実力行使に出ることはないだろうと踏んでいるのだ。
「ハッ、やれるものならやってみなさいよ。
グリーンのアタシに傷をつけたら、今度はあんたがオレンジn
だが、ロザリアが告げることができたのはそこまでだった。
一瞬にしてその視界が暗闇に覆われ、同時に衝撃――顔面に足刀蹴りをまともにもらい、ロザリアは“縦方向に”回転しながら吹っ飛んだ。
何度も地面をバウンドし――不幸な偶然だろうが、着地は全回顔面から――最後には顔面から木に激突して停止。微妙な沈黙がその場を支配する中、カーソルがグリーンからオレンジに変化したジュンイチは淡々と一言。
「……何か言った?」
そして――
「四次元ダストシュート!」
回廊結晶が発動、口を開けた青い光の渦の中に、ジュンイチによって“折りたたまれた”オレンジプレイヤー達が次々に投げ込まれていく。
比喩でも何でもない。本当に“折りたたまれて”――全身の主要関節に部位破壊をくらい、骨折扱いとなった彼らの身体が見た目そのまま、言葉そのままに「たたまれて」いる。もちろんジュンイチの仕業だ。
今頃、向こうで――《黒鉄宮》の監獄で待機してるサチは凄惨なオレンジプレイヤー達の有様に泡吹いてるだろうなー、などとキリトがのん気に考えている間に、全員を投げ込んだジュンイチの目の前で光の渦が消滅した。
「……ん。ゴミ捨て完了」
言って、ジュンイチは光の残滓に背を向けて伸びをする――その姿はまさに、“掃除の時間にゴミ捨てを済ませた学生”のそれである。
「シリカ、大丈夫……だよな? 一発も攻撃いってないんだし」
「は、はい……」
声をかけるジュンイチに、シリカが答える――が、その視線はジュンイチに向けられてはいなかった。
ジュンイチの方こそ向いているが、正確には彼の頭のすぐ上――ジュンイチの頭上の、オレンジ色のカーソルへと、シリカの視線は向けられていた。
「すみません……
私のために、ジュンイチさんがオレンジに……」
「ん? あぁ、気にすんな気にすんな。
二、三日オレンジになるくらいどうってことないよ。次のカルマ回復イベントでグリーンに戻ればいいだけさ――適当にフィールドをぶらついて、採取素材を集める時間ができたと思えばいい。
それに……」
笑顔でシリカにそう答えて――ジュンイチは不意にその笑顔を引っ込めた。真剣な表情でひとつのアイテムをオブジェクト化し、手にする。
一振りの槍だ――「オレンジ化したついでだ」と、ロザリアのアイテムストレージから唯一奪い取ったものだ。
「まだ、全部終わったワケじゃない」
蘇生アイテムは手に入れた。オレンジギルド退治も終わった――この上何があるというのか。その行動から彼の持つ槍が関係しているのはわかるが、そもそもその槍は何なのか。
情報が断片的過ぎて、シリカは首をかしげるしかない――そんな彼女に気づき、ジュンイチは周囲を、特に上空を警戒しながら説明してやる。
「オレが今回の依頼を引き受けたのには、実はロザリアに語ったのともうひとつ、理由があったんだ。
依頼人のギルド、《シルバーフラグス》のことを、ロザリアはなんて言ってた?
『あの貧乏くさい連中』――そんなふうに吐き捨てるような貧乏ギルドを、《タイタンズハンド》はどうして狙ったのか?
その理由が、この槍だよ――いやはや、奪われたものの内容を聞いた際、コイツのことを聞いて血の気が引いたよ」
ジュンイチの言葉に、シリカはもう一度彼の手の中の槍を見た。
彼が「血の気が引いた」とまで言い切るほどの何かが、この槍にあるというのか――
「……“オブジェクト破壊効果”さ。
ダンジョンの壁を初めとした非破壊オブジェクトを破壊する能力が、この槍にはある。
そしてそれは、一歩間違えばダンジョン攻略の難易度を著しく下げる……ゲームバランスブレイカーとも言える危険な力だ――っと、来たな」
「え………………?」
突然顔を上げたジュンイチの姿に、シリカもその視線の先を追って――
「だから、なのかね……茅場晶彦は、この手の効果を持つアイテムを、そしてその所有者を狙う“ハンター”を用意した。
生半可なプレイヤーにそれらの武器を持つ資格はない。“ハンター”を退けられるほどの力を持つ、本物の猛者にこそ持つ資格がある……そんなところだとオレは踏んでるけど、ホントの理由はどうなんだか。
さぁ、来たぜ……その“ハンター”さんのお出ましだ」
ジュンイチがそう告げて――
轟音と共に、“それ”が目の前に落下――否、“着地”した。
土煙の中ゆっくりと立ち上がるその姿を認識した瞬間、シリカの背筋が凍りついた。
その正体は絶対の“恐怖”――先日のドランクエイプ3体を相手に感じたものとは比べ物にならないほど強烈に“死”を感じさせられ、シリカは恐怖のあまりその場にへたり込んでしまう。
相手は自分達と――ジュンイチやキリト達とそれほど変わらない体躯しかない。だがそれでも、シリカをそこまで恐怖させるほどの“力”を、そいつはその身に体現させていた。
「……また貴様か……」
相手が言葉を発したことに驚く余裕もシリカにはない――そんな彼女にかまうことなく、その“竜人”はジュンイチをにらみつけた。
そう、“竜人”――かつてジュンイチ達や《月夜の黒猫団》を強襲、絶体絶命の危機にまで追い込んだあの竜人、《The Z of Dragon》だ。
「そのセリフ、そっくり返したい気分だよ――“ZoD”」
そんな竜人に対し、槍を手にジュンイチが答える――その名の頭文字をとった通称を名づけるほど、フル名称で呼ぶのが面倒になって通称を名づけようとするほど、そして先方もすっかりその呼び名に慣れてしまうほどに腐れ縁となっていることに苦笑しながら。
「ったく、勤勉すぎるんだよ、お前はさ。
おかげで、この手のアイテムを見つけたって話を聞くたび、発見者がお前に襲われる前に回収に動かにゃならん」
「今回も間に合ったようで、貴様にとっては最良の結果だな」
もっとも――その“腐れ縁”の原因の一端はジュンイチ自身のそんな行動にもあるのだが。
「そんなに、オレに他のプレイヤーを殺させたくはないか?」
「たりめーだ。
オレはすべてのプレイヤーをこのSAOから救い出すのを目標にしてるんだ。
オレンジだろうがレッドだろうが、殺される可能性のあるヤツを見過ごすワケにはいかねぇよ」
ジュンイチのその言葉に、シリカは驚いてジュンイチを見上げた。
そして、知る――ジュンイチの、今回の件における“本当の目的”を。
ピナを生き返らせるためでもあった。依頼人の願い通り《タイタンズハンド》を牢獄送りにするためでもあった。
だが、何より――オブジェクト破壊効果を持つアイテムを手に入れた《タイタンズハンド》を“ゾッドから守るために”ジュンイチは動いていたのだ。
彼はこの一件で、オレンジプレイヤー、レッドプレイヤーである《タイタンズハンド》すら守ろうとしていたのだ――そのために、問題の槍を奪った上で彼らを牢獄に“保護してもらった”のだ。自らオレンジプレイヤーに堕ちてまで。
「ほらよ、今回のお前のターゲットだ」
「…………フンッ」
ジュンイチが投げ渡した槍を、ゾッドは受け取ることもなくその手で一撃。一瞬で耐久値をゼロにされた槍は粉々に砕け散るとバラバラの金属片となり、地面に降り積もるとアイテム《くず鉄》に変化する。
鍛冶屋の職業スキルに含まれるスキルコマンド、《処分》――失敗作の処理用に用意されたと思われるそれは、非装備状態のものに限り、あらゆる装備アイテムを耐久値を無視して一撃破壊、くず鉄素材に変える、というものだ。
“オブジェクト破壊効果を持つ武器の破壊”という役目を与えられたゾッドは、本来鍛冶屋プレイヤーが持つそのスキルコマンドをシステム側から例外的に与えられているのだという。
「さて……どうする?
このまま、オレの《フロンティア》を狙ってオレともやり合うか?」
「フンッ、そんなにオレに殺されたいか……ん?」
ともあれ、問題の槍は始末され、両者のやり取りは次の段階へ。不敵な笑みと共に挑発するジュンイチに対し、ゾッドもまた鋭い視線を返し――気づいた。
「……ひとり、パーティーメンバーがいつもと違うな。
あのサチとかいう小娘はどうした? 死んだか?」
「ひっ…………!」
ゾッドの視線を浴びた瞬間、それだけで全身を巨大な刃物で貫かれたような錯覚を覚える――ジュンイチの真意、その優しさを知り、和らぎかけたシリカの心が再び押しつぶれそうなプレッシャーに襲われる。
が――
「勝手に殺すなよ」
ぽんっ、とジュンイチの右手がシリカの頭に乗せられた。頭を優しくなでてくれるその手のぬくもりが、シリカの心を重圧から守ってくれる。
「サチはサチで、ちょっとしたおつかいだよ。
この子は、使い魔の竜を生き返らせるためにオレ達に同行して――」
「……竜、だと?」
ジュンイチの言葉に、ゾッドの視線が再びシリカへと向いた。
「貴様……竜を使い魔にしているのか……?」
「………………っ」
やはり竜のモンスターだからか、シリカが竜使いだと知って興味を示したのだろうか――しかし、それで恐ろしいことこの上ないプレッシャーを叩きつけられるシリカにしてみればたまったものではない。
たまったものではないが――
「そんな小娘が、オレ達竜属のモンスターを僕として使役するに足るプレイヤーだというのか?」
「――――――っ!」
ゾッドのこの一言には、それでも引き下がるワケにはいかなかった。
「……しもべなんかじゃ……ありません……っ!」
「…………何……?」
「ピナは、あたしのしもべなんかじゃない……
大事な……大切な、あたしの友達です!」
恐怖に押しつぶされそうになりながらも、それ以上の想いをもって立ち上がり、シリカはゾッドをにらみ返す――そんなシリカの姿に、ゾッドはため息をつき、
「…………そうか」
そう告げるなり、クルリとジュンイチ達に背を向けた。
「……その“友達”に免じて、今回は退いてやる」
ただそれだけ告げると、背中の翼を広げる――降り立った時と同じように周囲に衝撃をまき散らし、ゾッドは大空へと飛び去っていった。
◇
「…………ふぇ〜……」
緊張から解放されるなり、一気に力が抜ける――ゾッドが去り、シリカはそんな情けない声と共に再びその場にへたり込んだ。
「こ、殺されるかと思いました……」
「ハハハ、災難だったな」
つぶやくシリカに、ジュンイチはカラカラと笑いながらそう応える。
「けど、お前も大したもんだよ。
あのゾッドを相手に食ってかかるんだからな――普通なら命がいくつあっても足りないぞ」
「そ、そんなにすごい相手だったんですか……?」
「あぁ。
どういうワケか、アイツいっつもオレ達よりレベルが上の状態で現れやがるからな……
前に一度、よりによってボス攻略の真っ只中に乱入してきやがったこともある――おかげで、ボス戦の一環だと思ってちょっかい出した血盟騎士団のプレイヤーが10人ばかり半殺しの目にあってる」
血盟騎士団――シリカもその名を聞いたことがある、攻略組のトップギルドだ。そこのプレイヤーが、一度に10人も殺されかけたというのか。
自分が相手をしたのがどれほど危険な相手だったのかを理解して、シリカの全身からドッと冷や汗が吹き出す。
「ま、何はともあれ無事でよかった。
オレの用事も、今度こそ全部片づいたし……お前らは、さっさと街に戻ってピナを生き返らせてやれよ」
「あ…………」
だが――ジュンイチのその一言で、シリカは冷や汗の不快感も忘れて彼の顔を見返した。
そうだ。ジュンイチは今回の一件でオレンジプレイヤーと化してしまった。このまま街に戻っても、彼だけは鬼のように強いNPCのガーディアンによって街から叩き出されてしまうだろう。
つまり――今帰っても、彼だけは街に入れない。
「そんな……ジュンイチさん、あんなにピナが生き返るのを楽しみにしてたのに……
……あ、そうだ! それなら、ここでピナを生き返らせて……」
「そいつはやめとけ。
ここのモンスターの強さはお前も身をもって味わったはずだ。ここまでの道中で大暴れしてレベルが上がったお前ならともかく、今まで死んでたピナには危険が大きすぎる」
思いついた提案もジュンイチに却下される――その言葉に、先ほどピナを生き返らせようとしたのを彼が止めたのは、ロザリア達の潜伏に気づいたからだけではなかったのだと気づく。
(そんなの……)
だが――シリカは納得できなかった。
ジュンイチは自分を助けてくれた。ピナを生き返らせるのに協力してくれた。自分の知らない誰かのために、戦ってあげていた。今だって、蘇生を止めたのはピナの身の安全を考えてのことだった。
それなのに――ひとりだけオレンジに堕ちて、楽しみにしていたピナの蘇生への立ち会いもあきらめて……完全にジュンイチひとりが貧乏くじを引き受けた形だ。
どうして彼ばかりがそんな目にあわなければならないのか。それがシリカには納得できなかった。だから――
「…………大丈夫です」
気づけば、そんな言葉と共にメニューを操作。《ピナの心》と《プネウマの花》をオブジェクト化していた。
「シリカ!?」
突然のシリカの行動に、ジュンイチが目を丸くする――かまうことなく花の蜜、そのしずくを《ピナの心》に振りかける。
雫を浴び、青い羽が光を放つ――光はふくらみ、形を成していき、次第に本来あるべき姿を取り戻していく。
そして――
「……きゅくぅ……」
ゆっくりと頭をもたげて――ピナはシリカを見返した。
「ピナ……あぁ、ピナ!」
離れていたのはわずか一日――だが、その一日が一年にも十年にも感じられた。蘇った友達を抱きしめ、シリカは歓喜の涙を流す。
「ほら、ピナ。
あの人達が、ピナが生き返るのを手伝ってくれたんだよ」
「きゅうっ!」
そして、ピナに対し恩人達を紹介する――シリカの意図を理解しているのか、ピナは彼女の腕の中から飛び立つとジュンイチの肩の上に舞い降り、彼の頬に頭をすり寄せてくる。
「シリカ、お前……」
「あたしなら……大丈夫ですから……」
当初の思惑通り、存分に愛でたいところだが、今はそれよりもピナの主人の方が気にかかった――うめくジュンイチに対し、シリカは静かにそう答えた。
「足手まといにはなりません。ピナだって、ちゃんと守ってみせます。
だから……グリーンに回復するまで、一緒にいさせてください」
「いや、カーソルのことはお前が気に病むことじゃ……」
「お願いします!
あたし達のためにオレンジになっちゃったんです。せめてそのくらい……」
手を振って断ろうとしたジュンイチだったが、そんなジュンイチの手を取り、シリカはさらに言葉を重ねる。
「今回のことで……ピナが死んで、本当に寂しかったんです。
ジュンイチさん達に生き返らせることができるって聞いて……それでも、やっぱりいないと寂しかった。
だから、なのかもしれないですけど……今のジュンイチさんこと、ほっとけないんです。
オレンジになっちゃって、あたし達と一緒に街に帰れなくなって……ひとりでいなくちゃいけない。そう思ったら、ほっとけなくなっちゃって……
だから今度は、ジュンイチさんがグリーンに戻るのを、あたしに手伝わせてください!」
「…………シリカ……」
手を放そうとしないシリカの言葉に、ジュンイチはため息をつき――告げた。
「……野宿になるの、覚悟の上なんだろうな?」
「…………っ、はいっ!」
事実上のジュンイチの“降参”――同行の許可をもらい、シリカは笑顔でうなずいて――
「……アスナ、すぐにサチにメッセージを飛ばして帰ってきてもらおう。
このままジュンイチを放置しておけないぞ」
「そうね。
私達みんなで監視して、ジュンイチくんがシリカに手を出さないように守ってあげなくちゃ」
「そうかそうか。
まだ“恐怖”が足りなかったか、お前ら――言っておくけど、今のオレはオレンジだからな、割とマジで殴れる立場だってことを忘れるなよー」
出会った時と同様、ほぼノータイムでジュンイチを特殊な趣味の性犯罪者に仕立て上げたキリトとアスナに、ジュンイチはこめかみを引きつらせながらツッコミを入れた。
◇
2005年3月1日 第35階層・ミーシェ――
「おーい、支度はできたかー?」
「はーい! 今行きまーす!」
外から聞こえる声に、こちらも同じようなノリでそう答える――先日無事グリーンプレイヤーに復帰できたジュンイチに答えて、シリカは改めて室内を見渡した。
実体化中のオブジェクト……なし。忘れ物、なし。
すべての私物をアイテムストレージに収納し終えたことを確認して、カウンターでチェックアウト。風見鶏亭の外に出る。
そこに彼らはいた――サチ、アスナ、キリト……そして、
「ジュンイチさん!」
「おぅ、思ってたよりも早く片づけられたみたいだな。
日頃からちゃんとしてるようで感心感心」
ジュンイチが、軽く手を挙げてシリカに答える――そんな彼に向け、シリカの肩にとまっていたピナが飛んでいき、じゃれ始める。
ジュンイチの腕の中に納まり、なでられてうっとりしているピナを少しばかりうらやましく思いつつ、シリカは改めて彼らに向けて頭を下げた。
「改めて……今日からこのパーティーにお世話になる、シリカです!
よろしく、お願いします!」
NEXT QUEST......
新しい武器が必要になったジュンイチは、第48層で武具屋を営むアスナの友人、リズベットのもとを訪ねる。
しかし、そこで希少なモンスター素材が必要であることを知らされ、レア素材集めに出かけることになる。
同行を申し出たリズベットと共に問題のモンスターが出ると言われるフィールドに出かけるが、そこにまたしてもゾッドが現れる。
そんな中、突発的に発生したフィールドイベントによって、事態は思わぬ方向に向かってしまうのだった。
次回、ソードアート・ブレイカー、
「一狩り往こうぜ!」
(初版:2016/10/12)