第1話
「炎と焔」

 


 

 

「……えっと……」
 思わずため息をつき、彼は目の前の現状を憂えていた。
 突如発生した異変に対し、いつものように急行してみたのだが――そこで目にしたのは、対象者以外のすべてを停止させる効果を持つ特殊な結界の中で繰り広げられていた、真紅の髪の少女と異形の怪物との死闘だった。
 しかも、圧倒していたのは少女の方――あっという間に異形を叩き伏せ、その手にした刀で斬り捨ててしまった。
 まぁ、身内にもそのくらいは軽くこなす女連中がいるのでそれだけならば困惑するには値しない。
 ただ――何の因果で自分がその少女に刀を突きつけられなければならないのか。その一点にだけは大いに説明を求めたいところだった。
 だが、少女はそんな彼の心情など知る由もない。彼に刀を突きつけたまま、淡々とひとりつぶやく。
「何よ、コイツ。
 “ミステス”じゃない。“ともがら”でもない……なのにどうして、封絶の中で動けるの?」
 その言葉に、ジュンイチは再びため息をつく。
 困惑している理由が新たにできたからだ。
 自分は、この少女を知っている。それは今のセリフで確信できた。
 だが、顔見知りではない。
 いや――“顔見知りになどなれるはずがない”相手なのだ。
 事態は完全に自分の理解の外にある――そう考えるが、まずはこの状況をなんとかするのが先だと考え、告げる。
「オレに言えるのは一言だけ。
 つまり――『知るか』だ」
 その言葉に、少女の眉が釣り上がった。
 それに気づいてはいたが、あえて気づかないフリをして続ける。
「だいたいさぁ、お前こそ口の利き方がなってねぇんじゃねぇか?
 礼儀云々については、まぁお互い様だから何も言わんが……“ミステス”だの“ともがら”だの、こっちの予備知識にない可能性のある単語をズラズラと並べられたって、適切な答えが返せるとは限らんだろうが」
 自分の“知っている”彼女は正論をぶつければしぶしぶながらも納得するタイプだ。これで少しはおとなしくなるはずだ。
「む……それは……そうね……」
 予想通り。
 ならば次は、動揺を誘ってこっちのペースに引きずり込む――こちらはむしろ得意分野だ。
「もうちょっと、事態を冷静に見つめることを勧めるね。
 “アラストールのフレイムヘイズ”ともあろう者がそんなんじゃ、ねぇ」
「な――――――っ!?」
 またもや予想通り。ジュンイチのその言葉に、少女はまともに動揺して見せた。
「な、何なのよ、アンタ!?
 『知らない』とか言っといて、アタシ達のコト知ってるじゃない!」
「そんなコト言ってないさ。
 オレが言ったのは、『お前があんな質問したって、オレがもし予備知識を持っていなかったら意味がないだろう』って話だ」
 その言葉に、少女はジュンイチの言葉を思い返した。

『こっちの予備知識にない“可能性のある”単語をズラズラと並べられたって、適切な答えが返せる“とは限らんだろうが”

 ジュンイチの言う通りだった。
 してやったり、と笑みを浮かべるジュンイチに対して、少女は顔を真っ赤にして頬を膨らませる。
 今や会話は完全にジュンイチのペースだ。とはいえ、これ以上はたとえ正論でも怒りを爆発させるな――と見切りをつけ、傍らの少年へと視線を向けた。
 先ほど少女が助けた、某マヨネーズのイメージキャラを模した巨大な異形に喰われかけていた少年だ。
 この少年も、ジュンイチは知っていた。
(坂井悠二、か……)
 ジュンイチが確信する間、少女もまた悠二を見つめ――つぶやいた。
「……ふ〜ん、こっちは“ミステス”ね?」
「そのようだな」
 そう少女に答えたのは、彼女の胸元のペンダントから聞こえた声だった――“彼”のこともジュンイチは知っている。
 そして少女の言葉から得られた確信がもうひとつ。
(つまり……今は『あのシーン』なワケね)
 納得すると、ジュンイチは無造作に振り向き――
「はい、残念♪」
 爆天剣から放たれた炎の塊が、飛来したマネキンの頭の集合体を吹き飛ばした。粉々に爆砕され、焼滅する。
「まったく、“燐子りんね”ごときがオレの前で勝手しようなんて、いい度胸だな」
「……なんでアンタがいろいろ知ってるのか、後でしっかり説明してもらうからね」
「最初から、そのつもりだ」
 少女の言葉は、ジュンイチが先ほどから導き出そうとしていたものだった。
 勝手に動かれるよりはこちらに興味を持って付きまとってもらった方がフォローがしやすい――期待通りに動いてくれた少女に、ジュンイチは笑顔でうなずく。
 そんな彼らを、動揺している悠二は呆然と見つめるしかない。
 が、そんな悠二の背後に新たな人影が現れた。悠二へと手を伸ばし――
「ドンピシャ」
「甘い」
 ジュンイチと少女の言葉が――同時に刃が交錯した。
 次いで悠二の背後から上がる悲鳴――女性のものだ。
 振り向いた悠二の視線の先には、両手を斬り落とされた女性の姿があった。
「いくら人間じゃないからって、女性を斬るのは気が引けるな」
「なら代わる?」
「代われない事情ってものがあるんだよ」
 少女に答え、ジュンイチは女性の前に出る。
「やって、くれるわね……!」
「あぁ。やってやったさ。
 そして――殺る」
 女性の言葉に、ジュンイチは平然とそう答える。
「私のご主人様が、黙っていないわよ」
「だろうな。
 断末魔かてめぇを殺された怨嗟の声か――どちらにしても絶叫するさ」
 事情が事情なだけに、一瞬、『やるべきではないのかも――』という考えがよぎるが、すぐにその考えを振り払い、女性に向けて右手をかざす。
 これなら悠二も何をするつもりかはわかるまい――彼が意図に気づく前に、手の中で“力”を練り上げる。
 そして――放たれた炎が、女性を包み込み、焼き尽くす。
「な………………っ!?」
 その光景に悠二は思わず声を上げ――次の瞬間、ジュンイチは跳んだ。
 焼き尽くされる女性“の中から飛び出した”影を追って。
 小さな人形だ。が――ジュンイチはその正体を知っていた。
 だが――逃がすつもりにはなれなかった。
「ひっ――――――」
「悪く思うな」
 恐怖の声が上がるよりも早く言い放ち――振るった一撃が人形を両断、次いで放った炎で焼き尽くす。
 跳躍が勢いを失い、身体が落下し始める中、ジュンイチは静かにつぶやいた。
「『物語』の流れを考えれば、斬るべきじゃなかったのかもしれないが――みすみす犠牲者を増やすつもりもないんだよ。
 マヂで悪く思うなよ、マリアンヌ」

「アンタも、フレイムヘイズなの?」
 尋ねた少女の問いに、ジュンイチはあっさりとかぶりを振った。
「んにゃ、違うよ。
 共通してるのは炎使いなことだけかな」
 肩をすくめてそう答えると、ジュンイチは息をつき、
「それより……これからが大変だぜ」
「そうね。
 アイツの口ぶりからして、後ろにはそうとう大きな“ともがら”がいそうだし」
「いや、それ以外にも不安要素はあるんだけど、な……」
 少女の言葉に、ジュンイチはそうつぶやくと悠二へと向き直り、手を差し伸べる。
「災難だったな、お前。
 けどむしろ運がいいとも言える――ホントならブッタ斬られてるはずだったんだからな」
「は、はぁ……」
 ジュンイチの言葉に、悠二は明らかに生返事だとわかる返事をして彼の手をとって立ち上がる。
 まだ思考が追いついてないのだろう――どちらにしても自分が告げたことの『本当の意味』など、こちらから説明してやらない限りわかるとも思えないが。
 ついでに、悠二の胸元へと視線を落とし――試しに視覚に“力”を集中させてみる。
 ――希望のものは見えない。
(……『見方』は後で教わる必要がありそうだな……)
 息をつき、ジュンイチは少女へと向き直る。
 その少女はと言えば、ジュンイチ達にかまうことなく周囲の様子を確認し、
「あの“燐子りんね”、ちゃっかり手下が集めた分、親玉のところに送っちゃったわね」
「うむ。抜け目のないヤツだが――」
「『まぁ、この“ミステス”の中身の方が危険性は高い』」
 少女に答えようとしたペンダントの言葉を先取りしたジュンイチに、少女は怪訝な表情を向ける。
 が、ジュンイチはかまわずに続ける。
「『こっちを奪われなかっただけでもよしとすべきだろう。討滅自体はいつでもできる』――だろ?」
 その言葉に、少女は胸元のペンダントへと視線を落とす。
 ペンダントは答えない――それは肯定の証だった。
「なんで、アラストールの言いたいことがわかったの?」
「さっき約束した通り、後々説明してやるよ。他のいろんなことも含めてね。
 それより事後処理が先だ。この封絶だっていつまでももたせてられないだろう?」
「……わかったわよ」
 ジュンイチの言葉に答え、少女は身にまとったマントの中に刀をしまい(別にサヤがあるワケではなく、文字通りマントの中に溶け込むように消えた)、右の人差し指を頭上に向けて突き立てた。
 とたん、その先端から光があふれ、予期していなかった悠二は思わずその身をすくめる。
 その一方で、輝きは辺り一帯に散っていた炎をかき集め、人の形を作り始める。
 悠二が喰われる以前に喰われていた人間達――だが、ジュンイチにとってはどうでもいいことだった。
 どうせ、“この世界にいるはずのない人間達なのだから”
 その一方で、悠二は気づいた。
 彼らの中心に、灯火のような炎がともっていることに。
 自分の胸元へと視線を向けると、やはり同じものが見える。
(……なんだ……?)
 だが、少女もジュンイチもかまわない。自分達のするべきことをするだけだ。
「“トーチ”はこれでよし、と……
 街を直すのに何個か使うわよ」
「うむ……それにしてもハデに喰いおるわ」
「ヤツの主って、よっぽどの大喰いなのね」
 ジュンイチの“よく覚えている”会話を交わす少女とペンダントアラストールだが――
「違うよ」
 そんな彼女達にジュンイチは告げた。
「大喰いなんじゃない――自分達の目的のために、“力”を集めてるんだ」
「どういうこと?」
「何度も言わすな――後でまとめて話す」
 そう言葉を交わす間にも少女は作業を進める。先ほど再び形作られた人間の何人かが再び炎へと戻り、改めて少女の指先に収束。次の瞬間それが飛び散り、飛翔した先で破損した街を修復していく。
「終わり、と……」
 言って、少女が指をパチンと鳴らし――世界が戻った。結界が消滅すると同時に停止していたすべてが動き出した。
「さて、と……説明してもらえるんでしょうね?」
「説明してやるさ。オレの知ってる、わかる範囲でね」
 少女に答え、ジュンイチは悠二へと振り向き、
「そっちの“ミステス”くんにも、ね」
「コイツにも……?」
 ジュンイチの言葉に、少女はロコツに眉をひそめた。『コイツ』呼ばわりされた悠二がムッとするのにもかまわずジュンイチに告げる。
「こんなの、ただの残りカスじゃない。
 説明したところでどうせ意味ないわよ。むしろさっさと消しちゃえば――」
「バ、バカ!」
 言って、再びマントの中から刀を抜き放とうとした少女を、ジュンイチはあわてて制した。
「何考えてやがる! ……いや、ある意味『流れ』通りだけど……
 とにかく! “ミステス”をうかつに壊そうとするな! お前の味わった“天目一個”の騒動、忘れたワケじゃねぇだろ!」
「な――――――っ!?」
 その言葉に、少女はまともにうろたえてみせた。ジュンイチもしまった、と舌打ちするがもう遅い――すでに彼の胸倉には少女の手があった。
「どういうこと!? なんで“天目一個”のことまで知ってるの!?
 あれは私達しか……あの場にいて、生き残った数人しか知らないはずなのに!」
「だぁかぁらぁ、さっきから『説明する』って言ってるだろうが……」
 少女の言葉にジュンイチがうめくと、
「ち、ちょっと待てよ!」
 突然声を上げたのは悠二だった。
「なんだよ、さっきから『消す』とか『残りカス』とか、人のことをモノとかゴミみたいに……」
 その言葉に、ジュンイチは思わず心の底からため息をつき――チラリと視線で少女をうながす。
 そんな彼の視線を受け――別に受けなくてもそうしただろうが――少女は悠二に告げた。
「そう――モノよ」
「え………………?」
 聞き返す悠二に、少女はもう一度告げた。
「お前は人じゃない――モノよ」

 自分に関する情報を包み隠さず与えられ、悠二は愕然としたまま目の前の少女を見返した。
 ジュンイチによって案内された、柾木家のリビングでのことである。
「そんな……
 ボクが……“もう死んでいる”って……!?」
「そう。
 本物のお前は“紅世ぐぜともがら”によってとっくに喰われて消えてる。
 今のお前はその残りカスで作られた代替物“トーチ”――その中でも特殊な宝具を収めた、ちょっと貴重なだけのトーチ、“ミステス”でしかないのよ」
「つまり、お前さんは言ってみれば『死んだ自覚のない幽霊』ってワケだ」
 そう付け加え、リビングに姿を見せたジュンイチは少女や悠二と同じテーブルを囲む形でソファに座る。
「“紅世ぐぜともがら”ってのは、オレ達の概念で言うところの『異次元』の住人だ。
 本来存在しないこの世界で存在を保つために、人間達から“存在の力”を喰らっているんだ」
「存在の、力……?」
「記憶やその姿そのもの――言うなれば存在そのもの。この世界に存在していることを示す、あらゆる要素を全部ひっくるめて“存在の力”っていうの。
 それを喰われることは存在の証明そのものが喰われること――この世に存在していたこと、そのものが消えてしまう……」
 聞き返す悠二に少女が答え――付け加える。
「けど、本来存在するはずのない“紅世ぐぜともがら”が存在して、存在していたはずの人間が存在しないことになってしまう――そんな“不自然”が積み重なると、いずれ世界のバランスを崩してしまう――そのことを心配する者が、他ならない当事者である“紅世ぐぜともがら”達の中に現れ始めたの」
 その言葉に付け加えるのは、彼女の首にかけられたペンダント――それを介して意志を伝える存在である。
「私もそのひとりだ。
 そして我らは、人間の中に資質のある者を見出し、自らの力を貸し与えて人間達を乱獲する同族を裁くことにした」
「それが……フレイムヘイズ……」
 徐々に落ち着きを取り戻し、それに伴って呑み込みのよくなってきた悠二の言葉に、少女は満足げにうなずく。
 そして、ジュンイチがその会話を引き継ぎ、説明を続ける。
「だが、“ともがら”達も黙って殺られているワケじゃない。
 連中の発見を鈍らせるために、彼らが探索のよりどころとしているもの――“存在の力”の消失による世界の歪み、その発生を和らげることを考えついた。
 そのために考え出されたのが、トーチだ。
 トーチは“ともがら”があえて“存在の力”を食べ残し、その喰いカスから作り出した本人の代替物だ。当然死んでるから生前と違って“存在の力”を維持できない。少しずつ消耗していき――やがて消える。
 そうして『いきなり存在が消える』状態から『少しずつ消えていく』状態に移行させることで、急激に世界が歪むことを避けているんだ。
 そして同時に、彼らはそうしたトーチに自分達の作り出した宝具や“力”そのものを隠すことも思いついた。そうして宝具を埋め込まれたトーチが、他と大別されてミステスと呼ばれる」
 そう説明し――ジュンイチは少女がじっと自分を見つめているのに気づいた。
「……何だよ?」
 何が言いたいかは想像がつく――しかしあえて尋ねるジュンイチの問いに、少女は悠二を眼で示し、
「とりあえず、こいつに話すべきことはもう話したんだし、今度はお前の話。
 どうして……そこまで“紅世ぐぜともがら”やフレイムヘイズのことに詳しいの?」
「こいつだ」
 少女に答え、ジュンイチはそれを差し出した。
 文庫本だ。カバーで保護されており、表紙は見えないが――
「これが、どうしたってのよ?」
「頭の方、目を通してみろ。軽くでいい」
 あっさりと答える。そんなジュンイチの言葉に眉をひそめつつ、少女はパラパラと出だしの部分に目を通し――動きを止めた。その目が驚愕で見開かれる。
「……どういうことよ、これ……!?」
「え? 何?」
 尋ねる悠二に、少女はその文庫本のあるページを開いて手渡した。
 そのページに目を通し――悠二もまた驚愕のあまり動きを止めた。
「……こ、これって……!?」
 そこに描かれていた物語の一説――それは、つい先ほど自分達が体験したものとほぼ同じだった。
 登場人物の名前も坂井悠二。少女やあの怪物――“燐子りんね”の描写もある。
 違いと言えば――ジュンイチがいないことぐらいだった。
 少女と悠二、説明を求める二人の視線を受け、ジュンイチは悠二の手から文庫本を取り上げるとカバーを外して表紙を見せた。
 そのタイトルは――

 

『灼眼のシャナ』

 

「オレは確かにお前らを知っている。
 けど――オレの知ってるお前らは、この物語の登場人物であるはずなんだ。
 だからオレがフレイムヘイズのことや“天目一個”のことを知っているのは当然だ。その物語の中で語られてるんだからな」
「どうなってるのよ、一体……!?」
「さぁな。
 ただ、これだけは言える」
 少女に答え、ジュンイチは告げた。
「お前や、悠二や、あの“燐子りんね”ども……
 お前らは、オレにとってはこの物語の中の登場人物でしかない――はずだったんだ。ついさっきまでは。
 だが、今ここにお前らはいる。その物語の冒頭部分そのままのやり取りまでしてくれた」
「そんな……ことって……!?」
 さすがにこれは想定外だったのだろう。少女は驚きのあまり呆然としたままそうつぶやく。
 悠二も悠二で、先の死亡宣告に勝るとも劣らない感じで思考回路を手放している。
 だが、事実である以上告げなければならない――自分自身信じられない話だが、ジュンイチは自分の仮説を言葉として紡ぎ出した。
「つまり――この物語の中の出来事や登場人物達が、オレ達のこの世界で“実在していることになってる”ってことだ」


 

(初版:2006/01/22)